この日は家族たちが東京に戻る日で夕方の新幹線まであまり時間がないなか、東山の峠を越えて距離的に近い大津市にある坂本城跡に行きました。
明智光秀が織田信長の命により1571年に築城したお城の跡です。当時、鉄道も自動車もないなか多量の物流は水運が中心でした。琵琶湖は日本海の港から京都への水運に重要な役割をはたしていました。
完成した坂本城は、琵琶湖湖岸から少し離れた湖上を埋め立てて本丸とし湖岸側に関連施設を建設しました。現在でも湖の水中に城壁の石組が少し残っていて湖の水位が下がると現れるそうです。土日祝日は地元のボランティア「坂本城を考える会」のメンバーが説明をしてくれます。
いただいた資料の坂本城復元予想図です。
ここに城を築いた目的は、比叡山延暦寺に対する抑えと琵琶湖水運の交易(課税)・湖賊(海賊)の警備でした。織田信長は光秀に坂本城を、羽柴秀吉に長浜城を築かせ、そして自身の安土城の対岸に大溝城(琵琶湖西岸、高島市)を築き四つの城によって、琵琶湖の水運を完全に掌握しました。
明智光秀の像が設置されています。
「光秀の意地」(唄:鳥羽一郎)の歌碑、ボタンを押すと歌が流れました。
坂本の町を散策しました。ここには伝統ある鶴喜そばの本店があります。当時、築城の石垣建設の専門家集団「穴太衆」(あのうしゅう)が住んだところです。
以前にこのあたりを散策した時の写真を掲載します。
規格化された石材ではなく、色々多様な石を組み上げています。なにか芸術性を感じさせてくれます。
(古城巡り、終わり)