時々買い食いを楽しむ。
地瓜球。さつまいも粉を練ってフライした団子、揚げる途中で何度も半円状の穴あき鍋で攪拌。あっさりサクサクのボール状で美味い。
飛行時間は約4時間。沖縄県与那国島のちょっと先にある島が台湾🇹🇼。
地下鉄に乗った。切符は自販機で買う。日本語の案内あり、料金が安い。100円程度、距離別。子供料金はないようだ。
いよいよ本日、シンガポールでこの会談が始められるようです。
前日の夜、突然キム委員長がホテルから出て2時間くらい市内観光したようです。
頂上にプールを乗せたマリーナベイサンズホテルや、植物園を見学して、湾をまたぎマーライオン噴水を眺めることのできる吊橋の上で、シンガポール外務省と並んで自撮りしたとか。
しかし現実では、まさにテロリスト国家の独裁者であり、人類の最悪武器核兵器を各国を騙し続けて「完成」させました。
国際関係、国際交渉では、「力が正義」を示しています。国連の仕組みも無力です。
現地時間で午前9時(日本時間10時)から始まるのですが、どうなることやら。・・・
(TV映像はABCテレビ画像より)
会議の合間を縫って、マレーシアにおける仏教について調査を敢行しました。(観光ではない、きっぱり)
実は、それではなく自然環境の実態についての調査を意図して、学会会場の前からタクシーに乗ったのですが目的地ペナンヒル(六本木ヒルズのようなビル群ではなく、島内で一番高い丘の上が環境保護区になっていて野生の猿などの動物を保護し観察するためのスカイウォーク(樹冠の人工的金属歩道)があるらしい。オランウータンは別の島の保護区だとか!)~ところが、そこに上るケーブルカーが先日の悪天候で運行停止になっていました。で、運転手のススメで仏教寺院に行ったのです。汗
極楽寺。 鶴山極楽禅寺、実に立派な漢字名称です。
乗ってきたタクシーは、ほぼ自動的に数時間貸し切り状態となり運転手はお寺の駐車場に車を止めて、「はい、行ってきなさい、ここで待ってます」という感じでした。この国は昔英国植民地だったせいか英語がまあまあ通じます。
本堂のご本尊さま、観音さまかなと思われます。写真OK。
中国福州市の僧侶が建立し、建築は1893年から1904年に第1期の工事を完成。清の光緒帝は極楽寺のために7万巻の経典や石碑を贈ったとか。現在も拡張中のようです。
仏像だけでなく、その装飾も全て金と赤ですねえ。
なんとか童子かな。
*
さて、このお寺はペナン・ヒルの中腹に建立されているので境内は石段ばかりです。ピンクのユリが立派で美しい。
いくつものお堂が斜面に立ち並んでいました。
ブッダ、その弟子たちのレリーフが飾られています。
お線香、中国のお寺と同じです。太くて長い。根本に竹ヒゴがついています。
熱帯なので植物も豊かです。
丘の上にはこんなパゴダが造られています。八角形の塔で7層からなり高さ30mだそうです。
石門を潜って進みました。
信者グループが引率されて参詣しているようです。
石段の途中にある岩には文字が彫られていて赤く色が埋められています。
眼下の眺望を楽しみながら、まだ登りました。
多数の仏像群。
。。。むむ、美的感覚の違いですが、京都三十三間堂の千体千手観音像が好ましいと思います。
布袋さんかな。
寄進されたろうそく、、
中頃までいくと、突然、土産物店の奥からこのケーブルカーが現れました。若干の有料料金が必要。
乗りました。
お線香,たくさん。
丘の上には、大きな観音像がありました。スコールの雨が強く降ってきたのですが20分くらいで小降りになりました。
下りはケーブルには乗らずに、下山道を歩いて帰りました。本堂の駐車場ではタクシーが待っていたので、問題なく学会ホテルに戻りました。タクシー料金は事後交渉でしたが。言い値はリーズナブルでした、2000円相当くらいだったかな。
意図しない(けれど興味深い)寺院見学となったのですが、楽しい時間を過ごせました。
ペナンに到着時に大変な悪天候だったのですが、町中にはところどころにまだその爪痕が残っていました。
街路樹が倒れ、ベランダの鉢植え植物が落下していたり、屋根の瓦が落ちたり。
この町は世界遺産になっているところですが、特段にそれを宣伝している掲示や看板は見かけませんでした。
これも世界遺産かなあ?
路上の公衆電話ボックスには、もはや電話機はなく(携帯電話の普及のせいでしょう)、ボックス内に「このスペースをレンタルします」との張り紙がありました。どんなことに使えるかな?
さて、
到着時に泊まったホテルはやはり宿泊費がやや高いので2泊だけして、残りの日数は中級ホテルに移りました。
機能的であり部屋も清潔で全く問題なしでした。
「ドリアン持ち込み禁止」の表示が禁煙と同じサイズです。
路上の市場では、ドリアンを切り売りしていました。
花だけちぎってあって、何につかうのかな。
布地屋さん。
次に泊まったホテルのある一帯(Chulia street)は、白人客の多い地域でした。夜間は何やら怪しげな雰囲気もありました。
夜のホテル壁面の照明です。これもストリートアートでしょう。
こんなリアルな虎の絵もあったので、自撮りをパチリ。
落書き壁画の絵葉書を買いました。
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*
そのTシャツ。
この絵が気になった理由は、十数年前にカンボジアを旅行したときに撮ったスナップを元に油絵を描いたことがあります。
その絵がこれです。
仕事に出かけるらしい若い母親が自転車の後ろに子供を載せて走っていました。たくましい母にしっかり捕まる小さな女の子が可愛いです。母の右手は子供の体を抑えているのだと思います。
国際学会(IEEE Tencon)の様子を少し記録しておきます。例えば、開会式では招待講演があります。今回はマレーシアの大学学長でした。
Chuah Hein Teik
IEEE Fellow and President of Universiti Tunku Abdul Rahman (UTAR)
Industry 4.0 and One Belt One Road : Challenges for Future Graduates
演題に、「一帯一路」なんて政治用語が入っていたので、ええ~と思いながら聞きました。しかし「Industry 4.0」(次世代の工業) のところでは、上のスライドが使われました。Points to ponderという言葉で「熟慮すべきポイント」を列挙しています。学生の教育課題への主張です。
さらに、2020年に向けて必要な重要な10のスキルを示しました。
複雑な問題の解決能力、批判的思考、創造性、人々のマネジメント、組織調整力、(エモーショナルインテリジェンス、EI:心の知能指数)、等々。
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会場ホテルのロビーからの風景。ビル街の先にインド洋があります。
コーヒーブレーク風景。女性研究者、教員が多いですが、アジアでは電気電子情報系に女性が増えています。(日本以外)
同行した教員氏は、会場のWi-Fi接続を使用して日本の大学教室にいるアシスタントくんに接続しました。ここから、遠隔授業の開始です。手元の授業用テキストを参照しながら教室の受講生に指示を出していました。
彼のパソコン画面には、京都の教室の動画が映し出されていました。
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空出張では無いことの証拠写真が必要なので、スナップを1枚。
これは公式な発表証明書。外国で大学教授の研究室を訪問すると、このような証書、ディプロマ、卒業証書、表彰状、家族写真が飾ってあります。
これは論文発表後の記念写真、左が座長先生、右端がセッション企画委員先生、そして発表者たちです。
夜には、近くの劇場を貸し切って歓迎夕食会が開催されました。昼食、コーヒーブレーク、歓迎夕食会の費用も会議登録料、数万円に含まれています。この経費が日本では(アジアの他国に比べて)バカ高いのでなかなか誘致できません。
こんな料理や、
カキの天ぷら風?あんかけ。
ナシゴレン風炒め物。
地元の舞踊が始まりました。華僑の多い土地柄か、ドランゴンの飾りをモチーフにして、今風にカラフルなLEDで装飾していました。
円形テーブルを囲んで、色々な参加者と会話を楽しみました。
・・ただし、料理は、中華でもなく、タイでもなく、インドネネシアでもなく、味付けも中途半端でいまいちでした。おまけに宗教上の理由と思われますが、ビールを含めアルコールは一切なく、甘いジュースだけ。冷たいミネラルウォーターもなくて、持参のpet水をカバンから出してのみました。各国の宴会スタイルには色々ありますね。汗
到着の翌日は安定した天候となりました。寝不足なので少しゆっくりと起床して、でもホテルの朝食に間にあう時間に起きました。
この日は学会の参加登録が始まるので、まずは会場となるホテルのある区域に向かいました。地図で調べると徒歩で20分くらかな。ホテルの外に出ると、昨夜の悪天候と洪水の爪痕がところどころにありました。街路樹の大きな枝が折れ、ベランダの植物や瓦、看板などが路上に落下していました。
とはいっても、スコール、暴風雨が普通にある場所なので、それらが静まれば町中は平穏でした。
アーケードです。
道路全体を屋根で覆うのではなく、両側の家や店舗が約3mを歩道として提供して、それを連続位的につなげています。これならば雨の時にも歩きやすいし、明るい。
伝統的なまちづくり、あるいは行政指導でしょうか。
そんなことを思いながら・・・歩いていると、
こんな壁画が見つかりました。・・・モナリザがワインで乾杯!
結構上手な描きかたで、見入ってしまします。ホテルの広告でした「グランド スイス ホテル」だって。
例の、英国のコメディアンや、
だれ? ダウンタウンの松本人志、まさかね。
ベートーベン。
町の落書きが、こんなTシャツのプリントになっています。
この自転車に乗る子供二人乗りの壁画を、翌日とその次の日も探したのですが、見つかりませんでした。涙
^^
早めの昼食に、屋台の食堂にお客が集まり始めました。
果物のシロップ漬け、らしい。そのまま食べても美味しいのに、ともかく、甘くすることが好きなようです。
その店の店主らしきお兄さんのTシャツが・・
なんと、「古都 京都」
少しうれしくなりました。
~~
宿泊した華僑邸宅ホテルから、後日、こんなeメールがきました;
確かに、よいホテルでした。
泊まったホテルのすぐ前に玄武湖公園があり、早朝から開園しているので毎朝散歩に出かけました。
少し離れた場所に長江という大河が流れています。その長江から大昔に切り離された湖で、周囲が10キロメートルかそれ以上ある大きさで、その中に中州がいくつかあって堤防や橋で繋がっています。
早朝でも、スモッグのせいか薄くモヤがかかっていました。対岸にそびえる高層ビルの一つが学会会場のシャングリ・ラです。
湖の水は案外にきれいで1~2mくらいの水底が見えました。学会会場で地元大学の先生に聞くと、10年くらい前から水質の浄化に取り組んできたので現在はきれいになっているとのこと。都心部の下水道が完備されたこと、湖水のろ過装置を導入しているのでしょう。長江自体は大陸の遠い奥地から流れてきていて、途中に多くの都市や工業地帯があるので浄化は難しいと話してくれました。大気汚染も同様で、内陸部の工場地帯や都会の自動車などで対策には資金と時間がかかるが、徐々に良くなるだろうとも。~ 帰国してテレビニュースを見ると、習近平主席は中国全土のトイレ改革を急速に進める指示を出したそうです。
例のインスタントラーメンのキャラクターに似たボート、電動(蓄電池)で動くようです。
バトミントンを楽しむ人々。
公園の掃除人も早朝から働いていて、この場所には枯れ葉もありません。
観音様と童子たちでしょうか。
奇妙な形の大きな岩、その由来が書いてありました。
盆栽を育成している区域と建物。
中洲にある盆栽公園とその池。
屋外の出店、1元は約17円。シュウマイ6個で170円、まあ、日本の半額という物価水準でしょうか。20元で軽食セット。
野外劇場。
冬枯れの蓮池。
太極拳。
刀を使う武道、体操、あるいは大木を相手に柔軟体操する人など。
殆どがシニアの人々ですが、実に幸福そうに朝の運動を楽しんでいました。
聞くところによると、中国の都会では早期に退職、引退することが一般的でそのために働いているとか。 中国から日本に来た観光客は、日本では単純肉体労働に相当な老齢者が働いているのを見てショックを受けるのだそうです。日本人の老人は不幸そうだと。
夜の玄武門。
この門をくぐって公園内に入ると、驚いたことに、そこらじゅうに電気をつけて、カラオケや、社交ダンス、体操的ダンスなど、多くに人で賑わっていました。
中国の都会の中産階級の人々、特に老人たちは相当にハッピーだという印象でした。
泊まったホテルは、予算の関係上、中級ビジネスホテルを中国のホテル予約ネットサービス(Ctrip社日本語サイト)を使って予約しました。
テレビのチャネルは何十chあったのですが、日本語も英語もなくて全部中国語でした。音楽ならいいかとクラシックchを見ると、
交響曲を演奏していました。
司会者の男女アナウンサー。
子供の合唱もあり、
国内の雄大な風景や自然が映し出されたり、
労働の場面や、
戦闘場面も。
~~
帰国する日は、ホテルから地下鉄と郊外電車を乗り継いで空港に向かいました。乗車賃は驚くほど安い(合計80分くらい乗車して20元以下、300円くらい)。
地下鉄にはホームドア完備です。
若い女性、MCMのピンクのカバンや、ヴィトンのハンドバック。。。
経済成長の利点が発揮されていて、共産党独裁政権であっても、社会は安定していると感じました。