昨年、12月も押し詰まった時期に、我が家から電車で10分+徒歩10分の出町桝形商店街の真ん中に「出町座」なる小さいな映画館(とカフェ、書店)が開店しました。
映画館はスクリーンが2つ、座席数は各々50席弱です。
一般映画館で割と最近まで上映されていたのですが、いつの間にか終わってしまった映画がここにかかったので、早速見に行きました。
多少の脚色もあるのでしょうが、実話に基づいた物語であると記載されていました。
1971年、ベトナム戦争が泥沼化しアメリカ国内には反戦の機運が高まっていました。
国防総省(ペンタゴン)はベトナム戦争の始まりから、この文書を「後世に残す研究教育資料」として詳細に数千ページも作成していました。そのコピーが「ランド研究所」(カリフォルニア州シリコンバレー)にトップシークレットとして厳重に保管されていました。
米国テレビドラマの法廷ものにように、あるいは刑事もの映画のように映像は時間を追って展開していきます。 字幕なので、英語でのセリフも同時に聞こえて、口語英語や法律語の勉強にもなりました。
ボクが大学生のときに、ベトナム戦争反対「ベ平連」などの政治運動が日本でも起こっていました。米国UCバークレーでも大学構内デモに警官隊が突入したりする場面がスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツ大学生時代の映画に現れます。
ペンタゴンには、実は、米国軍人に一人だけ友人がいて30年くらい前に建物の中まで見せてもらったことがあります。たまたまその当時ペンタゴンに勤務していました。空軍将校で毎朝3時に出勤して全世界からの情報を整理し幹部への要約を作成する仕事だったようです。
新聞社、具体的には「ワシントン・ポスト」の女性オーナーと編集長(トム・ハンクス)の二人の主人公に焦点をあてます。当時、ベトナム戦争で米国兵士が次々と戦死(当時は徴兵制)している状況でした。そこに義憤に駆られた一人の人物がその書類(極めて大部)を持ち出して複写をつくり、NYタイムズに持ち込みます。で、報道ライバルのポスト紙はどう対抗したか。このような国家機密(特に戦争状況にある軍事機密を含む情報)は法律により厳しく規制(致命的罰則あり)されていました。・・・
この戦争は、初期の時点で「ベトナム共産党(ホーチミン指導)ゲリラの士気が極めて高い」「南ベトナムの政権(米国支援)は腐敗して国民の支持がない」そのため、紛争で勝てる見込みはない、と米国指導部は分析していました。それを続ける理由の7割は「米国は無敵であり、戦いに負けたことがない」ことを維持するためでした。その論理として考案されたのが「ドミノ理論」、つまり共産主義が南アジア諸国へ次々に将棋倒しのごとく伝染するので、ベトナムでなんとしてもくいとめる(マクナマラ戦略)でした。ケネディーなどの民主党から共和党への政権交代があったのですが、この戦略は変更されません。
結果的には、この報道暴露合戦によって「ベトナム戦争が終結」したわけではありません。
米軍が北ベトナムゲリラに追い詰められて、サイゴンから命からがら撤収して終結した(1975年4月)のが歴史的事実です。いわゆるボートピープルが多数発生しました。そこに至るまでにこんな息を呑む物語があったことを知りました。
ちなみに、この映画での悪役「ニクソン大統領」は、ウォターゲート事件で追い詰められて1974年8月、記者会見を開き辞任を表明します。
たまたまそのタイミングで、ボクは米国にいてコロラド州ボルダーにあるコロラド大学寮の集会所でテレビ放送を見ていました。・・懐かしい思い出です。