日本国際賞のサーフ博士とカーン博士。
貢献は確かに大きいのですが、他の自然科学とは異なり、ネットワークやシステムでのイノベーション(社会や文明を変革するような画期的な実用技術)は、1,2の個人の創意だけでは達成できないのです、特に現代では。
インターネットの情報伝送と交換の原理は、彼ら以前に、ポール・バランが「パケット」方式として提案していた。特徴は、集中的な管理が不要で、受け取った交換機が自分が持っている経路情報で「適切に」リレーしていくことを原理とする。
これが、当時1960年代70年代の米ソ冷戦、核戦争危機での軍事ネットワークのデータ伝送=コンピュータ間通信に、妥当な方法として採用されたのです。爆撃で多数の伝送路が破壊されてもどうにか目的地に到達する可能性がある通信システムとして。
これを実用的なレベルで、コンピュータ間の制御信号の規則にまとめたのが、サーフ博士。その注文を、米軍研究費で受注したのがカーン博士の属していたBBN社。
その後、大学のコンピュータ大規模化が進展。性能が大幅に向上、価格はむしろ低下。大学間の共同研究が活発化。冷戦が終結し、軍事研究の公開。当時の研究用コンピュータのデファクト標準OSであったUNIXバークレー版のUUCP(データ伝送プロトコル)に彼らの方式が採用。コンピュータ産業が米国の基幹に。
彼らの「リーダーシップ」の旗の下に、全米と世界中のコンピュータ科学の研究者が集まる。
慶応大学の村井純先生も、このタイミングで米国に留学。これを持ち帰り、エバンジェリストとして日本でこの分野の研究者の啓蒙に活躍。
と、全てが好回転して、今回の受賞となりました。村井先生(日本のInterntの父)にも会場でお会いしました。
貢献は確かに大きいのですが、他の自然科学とは異なり、ネットワークやシステムでのイノベーション(社会や文明を変革するような画期的な実用技術)は、1,2の個人の創意だけでは達成できないのです、特に現代では。
インターネットの情報伝送と交換の原理は、彼ら以前に、ポール・バランが「パケット」方式として提案していた。特徴は、集中的な管理が不要で、受け取った交換機が自分が持っている経路情報で「適切に」リレーしていくことを原理とする。
これが、当時1960年代70年代の米ソ冷戦、核戦争危機での軍事ネットワークのデータ伝送=コンピュータ間通信に、妥当な方法として採用されたのです。爆撃で多数の伝送路が破壊されてもどうにか目的地に到達する可能性がある通信システムとして。
これを実用的なレベルで、コンピュータ間の制御信号の規則にまとめたのが、サーフ博士。その注文を、米軍研究費で受注したのがカーン博士の属していたBBN社。
その後、大学のコンピュータ大規模化が進展。性能が大幅に向上、価格はむしろ低下。大学間の共同研究が活発化。冷戦が終結し、軍事研究の公開。当時の研究用コンピュータのデファクト標準OSであったUNIXバークレー版のUUCP(データ伝送プロトコル)に彼らの方式が採用。コンピュータ産業が米国の基幹に。
彼らの「リーダーシップ」の旗の下に、全米と世界中のコンピュータ科学の研究者が集まる。
慶応大学の村井純先生も、このタイミングで米国に留学。これを持ち帰り、エバンジェリストとして日本でこの分野の研究者の啓蒙に活躍。
と、全てが好回転して、今回の受賞となりました。村井先生(日本のInterntの父)にも会場でお会いしました。