■2018年6月26日、小笠原諸島はアメリカから返還されて50年の節目の時を迎えました。
そして
6月30日に父島でパレードと式典、
7月1日には母島でパレードと記念セレモニーが行われました。
これは母島のパレード風景です。
海上自衛隊横須賀音楽隊が奏でる音に合わせて、
森下村長、小池都知事、石井国土交通相、そして母島の中学生が先頭に行進しました☆
小笠原に住んで15年。
この50年に一度の節目をこの目で見て、感じるために母島から父島の式典を見に行きました。
その中で、この50年の月日に思いを馳せるとともに、色々と感じることがありました。
父島の方の式典やパレードは報道や多くの人が書いていますので、
母島の目線から書こうと思います。
■まず一連通して一番感動したのが、
小池都知事を乗せたははじま丸が母島に近づいたときに、
10隻の漁船が歓迎のお迎えをするシーンでした。
15年、小笠原に住んでいますが、これは初めて見る光景でビックリしました!!
漁船にはその家族や子供たちが手を振っています!
母島は第一次産業である漁業と農業が盛んな島です。
その第1次産業は燃料補助、運賃補助など、多くの補助に支えられています。
悔しいですが、まだまだ自立には程遠いのが実情です。
その補助の多くを支える東京都の代表である小池知事が初めて来島するのですから、
歓迎しない訳がありませんね!!
村長もこれには「やるね!漁協!これが母島ですよ!」の一言。
予想外にあまりに感動した僕は、
船の自衛隊音楽隊の皆さんや関係者に「こんな歓迎は10年住んでて初めて見ました!すごい事ですよ!」と伝えました(笑)。
聞くところによると、
最近の役人さんはみんな船ではなくヘリで来るので(今回も国土交通相はヘリでした)、
船の歓迎の迎えは横田副知事の来島以来だとか…
海況もそこそこ良いとは言えず、揺れましたが、
よく不便で時間のかかる船で来てくれました!
動画も撮ったのでぜひどうぞ!
■沖港に到着したら、多くの母島小中学校の生徒達が迎えました。
実は長女(中3)はこの時、重大な役目を任されていましたが、
なんと前の晩に人生初のぎっくり腰になっていました(10代の若さで!!)。
しかし、傷み止めとコルセットと気合で乗り切り、
午後には海に飛び込み、「泳いだら完全に治った~~!!」という滅茶苦茶な流れがあったことは内緒です(笑)。
その後、少し時間をおいてガジュ下から学校前まで150mほどのプチパレードを開催。
母島の中学生と役人、村長、そして海上自衛隊横須賀音楽隊が母島の短いメインストリートを歩きました。
島民の多くは国旗と返還50周年の記念旗を持って歓迎のアピール。
パレードの後に続くみんなが楽しそうです♪
なんだかんだ言って、シャイな母島の島民もパレードを楽しんでおりました♡
僕はその光景が楽しかったです。
学校の前までを過ぎてパレードは終了。
なんかどこか昭和チックでノスタルジーな感じがしました(笑)。
前日に見に行った父島のパレードはとにかく島民のパワーが凄まじかった印象があります。
母島は、みんなでお祝いしている雰囲気がなんかとても良かったです♡
その後は学校体育館で記念セレモニーです。
■学校の体育館で村長をはじめ、
返還50周年のお祝いの言葉が延べられました。
返還当時、欧米系が住んでいた父島と違い、
無人だった母島は父島の返還から5年遅れての開拓でした。
今こうして便利で幸せに暮らせているのも、先人たちが一生懸命に作り上げて来てくれた背景があるからです。
本当に感謝と尊敬の念でいっぱいです。
母島のセレモニーでは古くから地域を支えてきた母島クラブの副会長の方がお祝いの言葉を述べて下さいました。
返還当時、一緒に島を作ってきた仲間の多くが亡くなり、寂しいが、
こうして無事に50周年を迎えれたことが感無量であると。
これからは次の世代が島を支えていって欲しいというおもいが伝わってきました。
小池都知事は母島のスピーチでは空港問題には触れず、
母島の早くて4年後、太陽光発電で年間半年分の電気をまかなう計画を明かしました。
ソーラーパネルの為に新たに土地を開墾するのか心配になりましたが、
具体的には今年の3月に閉鎖した畜産指導所の跡地を利用するようです。
※旧ヘリポート先の美しい圃場がソーラーパネルになるのだろうか?それはあまり歓迎しないです。
個人的には太陽光発電は、
「発電自体はクリーンだが、
生産、運搬、廃棄に多大な化石燃料を消費し、
それで消費する化石燃料と、
その燃料で電気を作るのとさほど変わらない、
なので太陽光発電は大きな電池を買うものだ」と思っているので、
素直に喜べない部分も多いのです。
しかし、今の母島は火力発電所しかなく、
毎日ドラム缶5本近くの重油を消費している事を思うと、
ソーラーパネルさえあれば、
いざという時に自分たちの島にあるものだけで発電できる強みがあるのは事実です。
こういう挨拶というのはありきたりな言葉ばかりで、
さほどグッとくる言葉は少ないものだと思っていましたが、
小池都知事、この場でしっかりとした具体案を提示して、凄いなと思いました。
セレモニー1部の最後には全員で歌う「大切なもの」が歌われました。
これは以前母島に赴任していた教員が作曲し、子供たちが作詞した素敵な曲です。
教員も子供たちも島民もみんながステージに向かって、
素晴らしい合唱を聞かせてくれました。
妻はこれが凄く感動したと言っていました☆
■その後は海上自衛隊横須賀音楽隊の皆さんが素晴らしい演奏を聞かせてくれました。
この音楽隊の皆さんは音楽のプロとして自衛隊に勤務し、
世界各国で演奏を披露しているそうです。
音大出の選りすぐりのメンバーが揃い、
長い航海中は毎日ずっと練習しているとのことです。
素晴らしいアンサンブルに圧倒されました♪
1曲目は大好きな「南崎」。
母島の一番南にある半島部の事で、
海鳥が営巣し、美しい情景を歌っています。
2曲目は島の南洋踊りの古謡を織り交ぜた返還マーチ
を披露してくれました♪
■船が到着し、パレード、記念セレモニーと立て続けに続いた後は記念表彰された方と知事ら来賓の皆さんが、
島の皆さんお手製のお弁当を食べる昼食会をして、
その後はもうははじま丸に乗って島を発ちます。
父島と違い、日帰りの母島は滞在時間4.5時間。
その間に島内を巡視し、農園も見たりしているから、相当な過密スケジュールだったと思います。
それらを迎える島の関係者の皆さんのご苦労も相当だったと思います。
双方ともに本当にお疲れ様でした!
多くの島民と漁船に盛大に見送られて母島を後にしました。
■アメリカ統治時代、母島は無人島でした。
強制疎開で故郷を奪われた旧島民の皆さんが数々の返還を求める活動が実り1968年、小笠原が返還されました。
50年前、無人となりジャングル化した母島を少しずつ開墾して、
先人の皆様がインフラを整備してくれて、今の便利な暮らしがあります。
しかし、返還後、小笠原特別処置法の元、多くの補助で私たちの生活基盤は作られ、維持されてきています。
今はその補助がなければ、今のように暮らすのは難しいでしょう。
国境離島という立ち位置、
排他的経済水域の多くを占める小笠原は国的にも重要な離島なので、
補助がなくなることはきっとないでしょう。
人が住み続けるとこに意味があるからです。
しかし、この暮らしは持続可能とは言い切れません。
生活物資のほとんどを外に依存している暮らしです。
僕は50年後の100周年を迎える頃、
この小笠原が補助に甘えることなく、
今よりももっと持続可能に近づき、
少しでも自立した地域になることを願ってやみません。
大事なのは過去を知り、今をどう動き、未来をどう見据えるか。
返還50周年の節目にいる今、次の世代の子ども達が健やかに生きていけるように、
私たちは頑張っていこうと思います!!
最後に横須賀音楽隊の皆さんがアンコールに奏でてくれた「アオウミガメの旅」をどうぞ!
そして
6月30日に父島でパレードと式典、
7月1日には母島でパレードと記念セレモニーが行われました。
これは母島のパレード風景です。
海上自衛隊横須賀音楽隊が奏でる音に合わせて、
森下村長、小池都知事、石井国土交通相、そして母島の中学生が先頭に行進しました☆
小笠原に住んで15年。
この50年に一度の節目をこの目で見て、感じるために母島から父島の式典を見に行きました。
その中で、この50年の月日に思いを馳せるとともに、色々と感じることがありました。
父島の方の式典やパレードは報道や多くの人が書いていますので、
母島の目線から書こうと思います。
■まず一連通して一番感動したのが、
小池都知事を乗せたははじま丸が母島に近づいたときに、
10隻の漁船が歓迎のお迎えをするシーンでした。
15年、小笠原に住んでいますが、これは初めて見る光景でビックリしました!!
漁船にはその家族や子供たちが手を振っています!
母島は第一次産業である漁業と農業が盛んな島です。
その第1次産業は燃料補助、運賃補助など、多くの補助に支えられています。
悔しいですが、まだまだ自立には程遠いのが実情です。
その補助の多くを支える東京都の代表である小池知事が初めて来島するのですから、
歓迎しない訳がありませんね!!
村長もこれには「やるね!漁協!これが母島ですよ!」の一言。
予想外にあまりに感動した僕は、
船の自衛隊音楽隊の皆さんや関係者に「こんな歓迎は10年住んでて初めて見ました!すごい事ですよ!」と伝えました(笑)。
聞くところによると、
最近の役人さんはみんな船ではなくヘリで来るので(今回も国土交通相はヘリでした)、
船の歓迎の迎えは横田副知事の来島以来だとか…
海況もそこそこ良いとは言えず、揺れましたが、
よく不便で時間のかかる船で来てくれました!
動画も撮ったのでぜひどうぞ!
■沖港に到着したら、多くの母島小中学校の生徒達が迎えました。
実は長女(中3)はこの時、重大な役目を任されていましたが、
なんと前の晩に人生初のぎっくり腰になっていました(10代の若さで!!)。
しかし、傷み止めとコルセットと気合で乗り切り、
午後には海に飛び込み、「泳いだら完全に治った~~!!」という滅茶苦茶な流れがあったことは内緒です(笑)。
その後、少し時間をおいてガジュ下から学校前まで150mほどのプチパレードを開催。
母島の中学生と役人、村長、そして海上自衛隊横須賀音楽隊が母島の短いメインストリートを歩きました。
島民の多くは国旗と返還50周年の記念旗を持って歓迎のアピール。
パレードの後に続くみんなが楽しそうです♪
なんだかんだ言って、シャイな母島の島民もパレードを楽しんでおりました♡
僕はその光景が楽しかったです。
学校の前までを過ぎてパレードは終了。
なんかどこか昭和チックでノスタルジーな感じがしました(笑)。
前日に見に行った父島のパレードはとにかく島民のパワーが凄まじかった印象があります。
母島は、みんなでお祝いしている雰囲気がなんかとても良かったです♡
その後は学校体育館で記念セレモニーです。
■学校の体育館で村長をはじめ、
返還50周年のお祝いの言葉が延べられました。
返還当時、欧米系が住んでいた父島と違い、
無人だった母島は父島の返還から5年遅れての開拓でした。
今こうして便利で幸せに暮らせているのも、先人たちが一生懸命に作り上げて来てくれた背景があるからです。
本当に感謝と尊敬の念でいっぱいです。
母島のセレモニーでは古くから地域を支えてきた母島クラブの副会長の方がお祝いの言葉を述べて下さいました。
返還当時、一緒に島を作ってきた仲間の多くが亡くなり、寂しいが、
こうして無事に50周年を迎えれたことが感無量であると。
これからは次の世代が島を支えていって欲しいというおもいが伝わってきました。
小池都知事は母島のスピーチでは空港問題には触れず、
母島の早くて4年後、太陽光発電で年間半年分の電気をまかなう計画を明かしました。
ソーラーパネルの為に新たに土地を開墾するのか心配になりましたが、
具体的には今年の3月に閉鎖した畜産指導所の跡地を利用するようです。
※旧ヘリポート先の美しい圃場がソーラーパネルになるのだろうか?それはあまり歓迎しないです。
個人的には太陽光発電は、
「発電自体はクリーンだが、
生産、運搬、廃棄に多大な化石燃料を消費し、
それで消費する化石燃料と、
その燃料で電気を作るのとさほど変わらない、
なので太陽光発電は大きな電池を買うものだ」と思っているので、
素直に喜べない部分も多いのです。
しかし、今の母島は火力発電所しかなく、
毎日ドラム缶5本近くの重油を消費している事を思うと、
ソーラーパネルさえあれば、
いざという時に自分たちの島にあるものだけで発電できる強みがあるのは事実です。
こういう挨拶というのはありきたりな言葉ばかりで、
さほどグッとくる言葉は少ないものだと思っていましたが、
小池都知事、この場でしっかりとした具体案を提示して、凄いなと思いました。
セレモニー1部の最後には全員で歌う「大切なもの」が歌われました。
これは以前母島に赴任していた教員が作曲し、子供たちが作詞した素敵な曲です。
教員も子供たちも島民もみんながステージに向かって、
素晴らしい合唱を聞かせてくれました。
妻はこれが凄く感動したと言っていました☆
■その後は海上自衛隊横須賀音楽隊の皆さんが素晴らしい演奏を聞かせてくれました。
この音楽隊の皆さんは音楽のプロとして自衛隊に勤務し、
世界各国で演奏を披露しているそうです。
音大出の選りすぐりのメンバーが揃い、
長い航海中は毎日ずっと練習しているとのことです。
素晴らしいアンサンブルに圧倒されました♪
1曲目は大好きな「南崎」。
母島の一番南にある半島部の事で、
海鳥が営巣し、美しい情景を歌っています。
2曲目は島の南洋踊りの古謡を織り交ぜた返還マーチ
を披露してくれました♪
■船が到着し、パレード、記念セレモニーと立て続けに続いた後は記念表彰された方と知事ら来賓の皆さんが、
島の皆さんお手製のお弁当を食べる昼食会をして、
その後はもうははじま丸に乗って島を発ちます。
父島と違い、日帰りの母島は滞在時間4.5時間。
その間に島内を巡視し、農園も見たりしているから、相当な過密スケジュールだったと思います。
それらを迎える島の関係者の皆さんのご苦労も相当だったと思います。
双方ともに本当にお疲れ様でした!
多くの島民と漁船に盛大に見送られて母島を後にしました。
■アメリカ統治時代、母島は無人島でした。
強制疎開で故郷を奪われた旧島民の皆さんが数々の返還を求める活動が実り1968年、小笠原が返還されました。
50年前、無人となりジャングル化した母島を少しずつ開墾して、
先人の皆様がインフラを整備してくれて、今の便利な暮らしがあります。
しかし、返還後、小笠原特別処置法の元、多くの補助で私たちの生活基盤は作られ、維持されてきています。
今はその補助がなければ、今のように暮らすのは難しいでしょう。
国境離島という立ち位置、
排他的経済水域の多くを占める小笠原は国的にも重要な離島なので、
補助がなくなることはきっとないでしょう。
人が住み続けるとこに意味があるからです。
しかし、この暮らしは持続可能とは言い切れません。
生活物資のほとんどを外に依存している暮らしです。
僕は50年後の100周年を迎える頃、
この小笠原が補助に甘えることなく、
今よりももっと持続可能に近づき、
少しでも自立した地域になることを願ってやみません。
大事なのは過去を知り、今をどう動き、未来をどう見据えるか。
返還50周年の節目にいる今、次の世代の子ども達が健やかに生きていけるように、
私たちは頑張っていこうと思います!!
最後に横須賀音楽隊の皆さんがアンコールに奏でてくれた「アオウミガメの旅」をどうぞ!