もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

御朱印と吉幾三

2019年05月16日 | 芸能

 改元の日に因んだ御朱印がネット上で高値で取引されていることが話題となっている。

 御朱印とは?と思ってネット上を拾い読みした。御朱印が発行?されるようになった由来は諸説あるとされているが、室町時代末ごろから寺社(当時は神仏習合)に写経を奉納した証として発行されるようになったとするのが一般的であるらしい。江戸時代中期には現在のように料金を払えば多くの神社仏閣で御朱印を貰うことができるように変化したが、現在でも厳格に写経を奉納した人にのみ渡すという古刹もあるそうである。御朱印自体も、当初は神仏の印形だけであったらしいが、それではどこの寺社か分からないということから現在のような形式に変化したものであるらしい。御朱印の縁起はともかくとして、宗教関係者が口をそろえるのは、御朱印は神社仏閣に参詣して神仏との縁を持ったという証でありスタンプラリー的な収集・コレクションとは一線を画して欲しいとする点であり、羽生結弦選手等が参拝することで有名な大崎八幡宮の権禰宜が「ネット上で取引するのはもってのほかであるが、そもそも他人がお参りした証を欲しがる人がいるのだろうか」と述べているのが一般的な感想であると思う。しかしながら、先日参拝した神社で同年輩の参拝者から御朱印帳を見せてもらったが、墨痕鮮やかな神社名と朱印の対比は見事なもので、信仰心も収集癖もない自分であるがコレクターの心情もわかる気がした。御朱印に関するネット上の売買や神罰の有無はさておき、自分としては旅先での土産について「あまりにも形あるものにこだわる」ことに合点がいかないものである。思い出があれば十分で、年とともに薄れていく記憶を補完するための「さりげない1枚の写真」で十分ではないだろうか。こう書けば旅行関係者や観光産業従事者はたまた観光による経済効果を希求する政府関係者からお叱りを受けるであろうが、自分としてはそれで十分と感じるものである。

 吉幾三氏は嫁ぐ娘に対して「みんな思い出持って行け 写真一枚あればいい」と唄っており、海外旅行する人の多くは、帰国時には出発時よりもトランクが1個増えているそうである。現地でしか手に入らないものもあるだろうし、1枚の写真以上に記憶のよすがとしたいものもあるだろうとは理解できるが、それよりも現地の空気感や人々の暮らしに目を向けての貴重な体験を土産に帰国して欲しいと願うものである。パスポートも切れて出不精になった老人の繰り言をもって、本日終演。