もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

宇都宮動物園前の捨て犬考

2019年05月14日 | 社会・政治問題

 宇都宮動物園前に20頭もの犬が捨てられていた。

 過去にも同様な事案があったことから、悪質なブリーダーによる行為かと推測されている。自分は犬好きでもなくペットも飼っていないが、この報道で思い出したことがある。1993(平成5)年カンボディアへのPKO2次隊の後方支援部隊として従事した時のことである。海上自衛隊は水深の浅いシハヌークヴィル港に輸送艦2隻を接岸停泊させて陸自施設大隊に対する支援を行うとともに補給艦によってシンガポールから真水、糧食を輸送して輸送艦に補給する活動をおkなった。自分が乗り組んでいた補給艦は喫水が深いために接岸できず”沖がかり(港外に錨泊)”を余儀なくされ、1か月に一度シンガポールから真水や生鮮食品を輸送する時以外は20日間以上も土を踏めない生活を送っていたため、各停泊期間中に1度「保健行軍」を実施した。保健行軍途中の道路沿いに点在する民家の多くには電線が引き込まれていないことから十分に恵まれた生活ではないだろうと推測したが、そんな中にあっても少なからぬ家で裸足・パンツ一丁の子供が犬と戯れるのを目撃した。おそらく人間でもその日の糧に苦闘しているだろうに犬を飼う余裕があるのだろうかと心配する半面、犬と人間が共生する原点ともすべき光景ではないだろうかとも思ったものである。十分に満たされた境遇でないにも拘らず犬を飼う。犬は単なるペットではなく番犬等の実利的な理由で飼われているのかもしれないが、少なくとも犬を捨てる環境ではなかったと思う。冒頭の捨て犬に戻れば、繁殖させたものの器量が悪い、血統に問題がある、大型犬の需要が減った、等々の理由で犬を捨てる行為は、本来の犬と人間の共生からは外れたもので、ブリーダーの意識もさることながら、日本のペット事情が本来の愛玩よりも、犬を飼える、高価な犬を飼えるというように飼い主のステータス誇示の面が少なくないことも一因をなしているのではないだろうかと危惧するものである。

 飼い犬にマイクロチップを埋め込む法律が制定される等、本来自由であるべきペットと人間の共生関係に法律の網を被せなければならない現実。京都では住民の餌付けによって観光拠点に野犬の繁殖が報告された現実、犬好きが嵩じたあまり多数の犬を劣悪な環境で飼育して悪臭等の近隣被害を及ぼす者がいる現実、さらに言えば外来種によって固有種が絶滅の危機に瀕する現実。ペットを飼育する人はもとより、国民一人一人が人間と動植物の関わり合いを真剣に考える時期に来ているのではないだろうか。