中東情勢が緊迫・混迷の度を深める状況にあっても、政府が予定通り自衛隊の中東海域派遣を行うと発表したことに安堵している。
野党は言うに及ばず与党内部でも「自衛官の危険回避のために派遣を中止すべき」という意見があるが、本末転倒の主張と考える。およそ軍事力を行使するのは国家の安寧と繁栄を維持することを大命題としており、兵士や一部の国民を守るためではない。こう書けば自衛官の安全・生死を無視していると反論されそうであるが、兵士の安全を確保・局限するということは国の安寧を守るという大目標を達成するために考慮すべき数多い要素のうちの一つでしかない。自衛隊の派遣中止を主張する代表者として立民の枝野代表に問いたい。現在も日本経済の血脈である原油輸送のためにタンカーは危険な中東海域を航行しているが、船員の安全を図るために運航を止めよ、タンカーの運航を止め・中東原油が途絶しても日本経済とエネルギーを確保する方策をお持ちなのだろうかと。おそらく何等の具体策もないままに耳障りの良い主張を述べているだけで、嘉手納基地を”最低でも県外”と主張したが頓挫した鳩山民主党政権と同じ手法であると思わざるを得ない。元自衛艦隊司令官(連合艦隊司令長官に比肩)の伊藤俊幸元海将は産経新聞に寄稿して「中東情勢が不安定化を増した今こそ海自派遣の意義が際立ち、紛争海域から遠く離れたアデン湾で行動するよりもイランにより近いオマーン湾で行動すべき」と主張しておられるが、まさに軍隊行使の正鵠を衝いたものであると思う。枝野氏を始めとする野党議員諸子がこのような決断力と判断力を持たない限り、日本の舵取りを彼等に委ねることは極めて危険と思う。アメリカ国民がヒラリー・クリントン氏に政権を与えなかったのは、彼女が核の引き金を握ることと軍事力の行使を躊躇するかもしれないことへの不安感が大きく作用したとされている。河野防衛大臣が、派遣した海自艦艇の緊急事態を想定した指揮所演習(図上演習)を統括したことが報じられた。指揮所演習は単に部隊運用についてのみ行われるものであるが、オブザーバーとして枝野氏等を参加させて政治的な動きをも加味するという”ウオーゲーム”化すれば、彼等の目を覚まさせることができるのではないだろうかと思うところである。
自衛隊の必要性に関して、泥棒の侵入を防ぐためのカギの役目であるとする「戸締り論」が盛んに用いられた時期があった。中東への海自派遣を「自衛官の危険回避」という視点で中止すべきとするのは、戸締り論と同じ様に陳腐な例えかも知れないが、次のようなものではないだろうか。『刃物を持った暴漢が暴れており通行人に危害が及ぶかもしれないが、警察官の安全が脅かされるために警官を出動させるな』というものであると思う。局外者や一般国民は、現場に急行した警察官が殉職したり負傷する事態に対しても、彼等の負った厄災に同情する以上に、厄災が他に及ばず社会秩序が保たれたことへの安堵感の方が大きいのではないだろうか。