もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

公務員の懲戒に思う

2020年01月28日 | 社会・政治問題

 公務員の懲戒2件が報じられた。

 1件目は、仙台高裁判事が「殺害された女子高生の遺族をフェイスブックで侮辱した」件で、仙台高裁が最高裁に同判事の懲戒を申請したものである。認定された場合は「裁判官分限法」に定める戒告若しくは1万円の過料処分となる。戒告や過料は刑事罰ではない行政処分であるために、処分されたとしても本人の痛みは軽微なものだろうが、一般社会では会社の品位を貶めた行為として懲戒解雇すら予想される事案ではないだろうか。裁判官の司法判断に対して何等の罰則が科せられないことは司法権と裁判官保護のために必要不可欠であるが、法廷以外の不品行までも保護されるべきであろうか疑問に感じるところである。ちなみに過料とは「行政上の軽い禁令を犯した者に科する制裁のための金銭罰で「あやまち料」とも呼ばれているそうである。2件目は、小4児童が父親の虐待で死亡した事件で、千葉県が監督者である現・前の野田市児童相談所長を文書訓告したものの実務者は処分しないとしたものである。訓告とは地方公務員法28条に定める降任・免職・休職・降給の懲戒処分よりも軽いもので県条例に定めるものなのだろうが、こちらの処分も本人にとっては痛くも痒くもない程度ではないだろうか。被害者である児童のおかれた現状を適確に判断できなかった理解力と判断力の欠如は管理者として不適格で、少なくとも休職以上の処分は科されるべきであると思う。刑罰や行政処分の効果は、犯した本人が罪科を償うとともに「一罰百戒」と云われるように同種事象の波及・蔓延抑止も期待されていることを考えれば、本人が痛みすら感じない程度の処分は一利もないと感じるものである。また直接の担当者の処分が見送られたことにも不満が残る。訓告の一般的な解釈は「公務員部内において監督の地位にある者が、部下職員の義務違反に対してその責任を確認し、将来を戒めるために行う行為」とされており、千葉県は監督者を訓告する背景に部下の義務違反があったと認識しているのだろう。部下の義務違反や不作為の罪を許し、その責任を監督者が一身に負うと云えば浪花節では感涙を呼ぶところであろうが、職員の公奉意識改善には一切寄与しないことから百害すら感じられる。

 仙台高裁の判事の所業に対しては、遺族が名誉棄損や慰謝料請求の訴えを起こすことで更なる鉄槌を下す道が残されているが、野田市の児童にはその路すらない。出来得れば祖父母・親類縁者が千葉県・野田市・児相担当者の法的責任を追及してくれることを期待するものである。しかしながら、そこまでしなければ自浄できない組織とは一体何なのか・・・。一般には遅刻と呼ばれる行為も、艦艇乗り組みの海上自衛官は「帰艦時刻遅延」として戒告処分、さらに出港時時までに帰艦できなかった不注意は「後発港期」として減給処分は覚悟しなければならないことを紹介して、本日終演。