もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

終活に思う

2020年12月03日 | 社会・政治問題

 終活の一環として、PCを掃除した。

 掃除は、PC内の写真と動画を整理してDVDに落とすことであった。データ量から考えて当初は10日間程度で編集・ダビングができるだろうと楽観していたが、予想に反して1か月以上も要してしまった。原因は、根気の無さ(喪失)であると思う。日本シリーズのTV観戦に、映画鑑賞にと寄り道を重ねるとともに、最後には映画鑑賞後の昼寝習慣にまでたどり着いてしまった。
 中国コロナ禍の現在、多くの会社でテレワークが行われ、報道されるところでは労使ともに7割近い人がテレワークに賛成し、テレワークでも作業効率は低下しないと答えているが、作業量が半減してしまった今回の自分の体たらくを振り返れば、将に尊敬に値する数字と思う。怠惰という先天的な資質に加えて、艦船勤務では課業時間中に艦外に出ることは殆どないという強制生活習慣が形作ったものと思いたいが、それ以上に加齢という要素も無視できないようである。同世代の世間話では、終活を一寸伸ばしにしているという話を聞くことが多いが、真意は煩雑な作業に気力が続かないだろうという恐れからではないだろうか。
 PCの掃除は手始めで、さらに多くの終活を行わなければならないが、気力を振り絞って頑張ろうと決意したものの、はたしてどうなることやらとの不安が拭えないところである。

 ブログ休載中にも、中國コロナは感染の第3波を迎えて医療体制崩壊の危機目前、トランプ大統領落選、王毅外相の高圧的発言等々、日本は四面楚歌の状況である。そんな中で埼玉県知事の座右の銘が「立国は公にあらず私なり」であることを知った。素晴らしい言葉であると感心して、本人の言葉であろうか・先人からの借句であろうかと調べて見たら、どうやら原点は福沢諭吉の著書「痩せ我慢の説」冒頭の一文「立国は私なり。公に非ざるなり」であるようである。しかしながら、誰の言葉であれ国の存立の真理を述べていると思える。ハンニバルを追ったカルタゴ市民の末路、中国の走狗バイデンを選んだアメリカ市民。日本国民もGo-Toキャンセル料を殊更に言い立てるところではないように思えるが。