ハリウッドスターのトム・クルーズ氏が撮影スタッフを叱責・痛罵する音声が報じられた。
叱責されたのは、最新作「トップ・ガン2」の撮影現場で密集を控えろというコロナ感染防止指示に反したスタッフを叱責するものであったが、音声の途中が擬音処理され翻訳テロップにもXXと表示されていたことから、放送コードにも抵触する語句を使用しているらしい。件の映画は中国資本が参加しており、台湾が中国の一部とするシーンがあることで話題に上ったが、更に中国コロナに起因することが報じられて、なにやらの因縁を感じるところである。閑話休題。
叱責を伝えるタレントのMCが「俺がやったらパワハラでアウトだ」と述べていたように、日本であれば恒例の謝罪会見・説明責任で大きく取り上げられる事案であるように思われる。アメリカでは、上位者をファーストネームで呼ぶことは一般的であるために上下関係は緩やかであるように見られるが、組織の規律や効率維持に関しては日本とは比べ物にならない厳格さと非情な一面を持っているのではなかろうかと思っている。米海軍との限られた経験でしかないが、明らかに自分の過ちに起因する事象に関しては、雲突くような下士官が非力この上もない自分にも直立不動であったことや、米士官が下士官兵に罰直を課している場面を複数回経験している。この経験やトム・クルーズ氏の行動からアメリカ社会では、業務を任されたのは自分にそれを遂行できる能力があると評価されたからであり、遂行できなかったのは、命令者の期待を裏切った、自分の能力・努力が不足していたという「アメリカ流の恥」の意識があるのではと考えている。
一方、日本の恥は世間という不特定の対象に向けられることが多く、叱責場面の音声が暴露された結果パワハラと酷評された豊田真由子議員と明石市長の例を見ると、叱責された豊田議員秘書や明石市役所職員は単に職責を果たせなかった力量・努力不足を叱責されたものであることを思えば、日本では職責を果たせなかった自分の力量不足を恥じるという感覚は薄いように感じられる。
トム・クルーズ氏の事案では、スタッフが属しているであろうユニオン(組合)からの反発・抗議もなく、SNSでもトム・クルーズ氏を称賛する反応が伝えられている。音声データ流出についても、先に挙げた日本の例では「お涙頂戴」的なニュアンスが強いが、今回の場合は「パパラッチ的」「宣伝的」な匂いの方が強いのは、叱責されたスタッフや流出させた人は、このことで世論が湧くことは期待してもスタッフ擁護・クルーズ氏叩きにはならないことを知っているものと思う。日本ではパワハラ・モラハラの全てを「やった方が悪い」と結論付ける風潮が蔓延しているが、やられた方も被害者であると同等に加害者であるとの認識、アメリカ流の恥を知るべき時期ではないだろうか。