現在は死語となっている「非国民」という言葉を思い出した。
きっかけは、30年以上も前に当時中3の長女が、日本選手を応援せずにカール・ルイスに肩入れする2歳年下の妹を「非国民」と一喝したことを思いだしたことからである。当時でも死語であった「非国民」は、おそらく学校内で流行っていた言葉を使用したものであろうが、現在の世相を考える上でのキーワードにも最適であるように感じる。ちなみに、コトバンクで「非国民」は【国民としての義務・本分に違反する者。国民としての観念がうすい人。特に、第二次世界大戦時に、軍や国策に対して非協力的な者を非難する語として用いられた。】と解説されているが、自分の印象では国家総動員法や各種統制令違反で処罰される刑法犯や、治安維持法等による国事犯・思想犯とは別に、例えば、愛国婦人会の提唱するモンペを履かない、パーマをあてる、防空訓練に参加しない、等々の御上が処罰する程ではないが民心協調を損なう者に対して使用されたのではないだろうかと考えている。
中國コロナ禍の現在の「非国民」を探してみると、最初に「マスクをしない人」が、次いで「見るからに不要不急の体で繁華街をふらつく人」や「営業時短に応じない経営者」を思い浮かべることができる。更に「Go-Toを利用する人も・・・?」と考えて愕然とした。Go-To政策は外出自粛要請と並んでコロナ対策の2本柱であるので、その施策に参加しない(実際は経済的に参加できないのだが)自分は非国民と呼ばれても仕方ないのではないか。まァ、政府が二律背反の施策を掲げる以上、どちらかに努めることで何とか非国民の汚名を勘弁して欲しいと開き直ざるを得ないようである。また、価値観の多様化した昨今では、画一的に「非国民」と断定できる行動・主張はないということかもしれない。
新聞やTV番組制作者も背反二律のコロナ対策のどちら側に立つか決めかねているようで、昨日までは医療態勢の逼迫・Go-To早期中止一辺倒であった報道も、Go-To停止が発表された本朝には、宿泊・飲食関係者の苦境を大々的に報じて、恰もGo-To中止が誤りであるかの印象を広めようとしている。蝙蝠報道・手のひら返し報道は今に始まったことではないが、せめて1社・1紙くらいは首尾一貫した姿勢を貫けないものかと慨嘆するところである。
Go-Toの一時停止を表明する菅総理の映像を見た。持ち前の早口で暗記した官僚口上を無表情に述べる姿からは、危機感も切迫感も感じられない。官房長官(報道官)であれば政府の施策を正確に伝達するだけで十分であろうが、指導者であるならば口上・文言を超えるものを国民に伝えることが必要であるように思う。菅総理の映像に並ぶ形で放映されたメルケル首相は、抑揚と身振りを交えて文言以上の危機感を醸し出していた。戦時の宰相、強い指揮官はおしなべて雄弁若しくは語彙が豊富であるように思う。芸能人・著名人の謝罪会見の陰にはプロの演出家がいるとされるが、彼等の力を借りてでも菅総理は、強い指揮官を演じるべきではないだろうか。小泉純一郎氏が、抵抗勢力をぶっ潰す。自民党をブッ壊すのフレーズだけで支持を得たことを見れば、今少し感情を表に出す方が説得力を持つように思うのだが。