もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

韓国の検察改革に思う

2020年12月17日 | 韓国

 韓国司法制度の歪みが露わになっている。

 事の顛末は政権がらみの疑惑解明を目指す検事総長に対して、法相が御手盛りの懲罰委員会を指揮して検事総長に2か月の停職処分を決定したことで、政権に不利な捜査を頓挫させる事実上の指揮権発動と見られている。
 文政権は発足当初から検察改革を公約してきたが、検察浄化のためとして慣例を無視してまで任命を強行した検事総長が、政権を揺るがす疑惑解明に奔ったことから、下世話に云えば飼い犬に手をかまれた様相となった展開であろう。
 文政権の目指した検察改革は、誰の目にも大統領退任後に自身の安泰・安寧を企図するもので眉唾の内容であったが、高位・高官の不正については検察とは独立した「高位公職者犯罪捜査庁」を新設することで決定的となったと思っている。司法制度の門外漢であるが、貴族階級の追及と平民の犯罪捜査を別の機関が行うという国は、近世以降では無いのではと思っている。そのような仕組みは、同じ不正であっても平民は訴追されるが貴族は訴追されないというダブルスタンダードに陥ることは明らかで、人類が営々として勝ち取った「万民は法の下に平等」という理念に逆行する愚挙であろうし、法案を成立させた国会議員と立法を容認した韓国国民の程度を思い知らされた気持が拭えない。一連の動きは、ほぼ全ての前・元大統領を一旦獄に繋ぎ、現職大統領が恩着せがましく恩赦・減刑する茶番を良しとする韓国社会では当然のことであるかも知れない。文大統領には、師匠である廬武鉉氏が自殺に追い込まれたのは検察が積弊清算の片棒を担いだとの思いが強いのであろうが、当の廬武鉉氏にも捜査されるに足る疑惑が取沙汰されたことを思えば、文大統領の検察改革は高位者という特権階級の固定化に繋がるものでしかないように思う。
 広域犯罪や高位者の捜査に当たるFBI(米連邦捜査局)は時に司法省と敵対関係に描かれるが、組織としては司法省の監督下にあり、巨悪に対抗する地検(東京・大阪・名古屋)特捜部も法務省(検事総長)の指揮下にある。これは法の執行における二重基準を防ぐためであり、少なくとも韓国よりは正しい機構であるように思う。
 捜査機関が法務省の指揮を受けることによる弊害もあり、有名なところでは1954(昭和29)年の造船疑獄の際、与党である自由党幹事長佐藤栄作に対する収賄容疑の逮捕許諾請求に対して犬養法相が吉田首相の意向を受け、指揮権を発動して拒否したことがある。法相は翌日に辞職、第五次吉田内閣も後日に総辞職を余儀なくされたことが思い出されるが、それ以後、指揮権が発動されていないのは誇ってよいのではないだろうか。

 あの中国に於いてすら「虎もハエもたたく」と不正は階級によって免れないとしているが、韓国の不正は階級で手心を頂戴できるもののようである。
 総スカンを食らうであろう悪態を一つ。検事総長の処分を断行した法務大臣は文大統領の腹心(腰巾着?)で徴用工問題で司法尊重という大統領のまやかし主張を堅持、外相は慰安婦問題を外交問題として対外発信しないという政府合意に反して慰安婦行脚を続け、女性家族相は慰安婦いやし財団を問答無用と廃止した。以上の三閣僚が女性であることを思えば、指導者の心情に同化・盲従するとともに、木を見て森を観ずに猪突猛進する女性の特質そのものであるように思えるが、女性を自在に操れる文大統領は男性の鏡であるのかも知れない。