選挙と聞いて思い出す2つ目はフルシチョフの電撃解任である。
目を見張ったのは、解任を伝える新聞写真でフルシチョフが「自分自身の解任に賛成の挙手」をしていたことである。重要な地位から解任される場合には最大限の抵抗をするのが普通で、ましてや解任に賛成の挙手など有り得ないと思っていたので、解任されることを容認せざるを得ない「暗い何かが」ソ連にはあるのだろうと恐ろしく感じたものである。
解任劇があった1964(昭和39)年10月であるが、1962年のキューバ危機において核戦争勃発の危機を回避し得た米ソは、ホットラインの開設、部分的核実験停止条約の締結等に加えて、ソ連国内の「雪どけムード」が伝えられる等、敵対的平和関係とはされるものの米ソ融和・冷戦終結に向けて歩み続けるのも夢では無いという楽観的な見方が一般的であったように思うが、フルシチョフの解任後には。ソ連は再び鉄のカーテンの向こうに姿を隠して米ソ関係は冬の時代に逆戻りすることになる。後日、明らかとなったところでも、解任は宮廷クーデターと呼ばれるもので、ブレジネフとコスイギンを中心としたグループから退陣を迫られた結果、命・引退と引き換えの解任賛成であり、フルシチョフは死ぬまで当局・政権の監視下・幽閉状態に置かれたとされている。
ちなみに、当時の艦内生活と新聞事情についてであるが、艦内では各班(概ね15人内外)単位で好みの新聞を購読していた。配達は、許可を受けた船食業者が直接艦まで届けるものであったために、艦の行動については下級乗員以上に、船食業者やクリーニング屋が知っていると云われたものである。配達された新聞は、牢名主制度的に班長から順番に手にするため、雑用と業務に追われる最下級の自分が読めるのは概ね夕食後の自由時間であった。
選挙と聞いて思い浮かぶ2件について書いたが、今回の首班指名では立民の枝野氏に共産党が投票したことで、枝野政権下の「限定的な閣外協力」の正体を暗示していると観ている。また候補者のいない互選では当然のことながら、衆院では自民党の高市早苗氏に1票が投じられている。投票したのはN党の丸山穂高議員で、前回の投票では小泉進次郎氏に投じたことで話題にもなった。
現在の記名式互選では「造反者」は皆無であるが、改憲を必要としない総理公選の1形態ともされる「無記名互選」とした場合にはどうなるのだろうか。共産党との連携に危機感を持つ立民党議員が高市氏に、日和った執行部に批判的は共産党議員が自党№2に、新自由主義に反対の意味を込めて自民党議員が枝野氏に、・・・と党派を超えた連衡が起こり得る一方で、自己顕示欲旺盛な政治家であれば「九郎助」投票のオンパレードになることも予想される。