バイデン大統領が「アメリカは台湾を守る責任を持つ」と発言した。
バイデン氏は、8月にも同様の発言をしたが直ちに政府高官が「従来の戦略的曖昧政策の変更ではない」とした経緯があり、今回も報道官が政策変更では無いと火消しに大童である。一連の発言はバイデン氏の痴呆に由来すると片づけるのは簡単であるが、「隠すより現れる」の結果であり米政権内部では台湾防衛について相当にツッコんだ議論が行われているのではと思っている。
台湾防衛のシナリオの一つが、1958(昭和33)年、米国のダレス国務長官の台湾訪問を前に起きた第2次台湾海峡危機(金門島砲撃事件)である。
1958年8月23日、中国軍は中華民国(台湾)領の金門島に対し上陸侵攻を窺わせるに十分な火砲459門による砲撃を開始、2時間で4万発・23日だけで5万7千発もの砲弾を金門島に打ち込んだ。台湾軍は直ちに応戦するとともに、アメリカも最新鋭戦闘機F104と空対空ミサイル「サイドワインダ」を緊急供与して制空権の確保を図かるとともに、金門島への補給のための制海権を維持するために空母7隻(ハンコック、レキシントン、シャングリラ、プリンストン、ミッドウェイ、ベニントン、エセックス)を急派した。まさに一触即発の状態であり、米軍ではソ連からの報復攻撃をも考慮した上で中国本土に対する戦術核攻撃も検討されたとされている。
実質的な金門島砲撃は双方に450名の死傷者を出して10月5日に中国の一方的宣言で終結したが、それ以後も1979(昭和54)年1月1日の米中国交樹立時までの約21年間にわたって、毎週月・水・金曜日の0800時から30分間に砲撃が継続されたが、終盤には炸薬ではなく宣伝ビラを詰めた砲弾が無人の山地に打ち込まれるという国際社会へのアピールに注力された。
金門島(金門県)は、台灣の西方100km・中国の厦門東岸から僅か2km沖合に位置する12の島で構成され、総面積は153㎢・人口13万人の飛び地で、欧米が実施する自由の航行作戦航路より遥かに中国寄りに位置しているので、金門県や馬祖県まで含めた台湾全土を防衛するためには、アメリカとしても相当の覚悟が必要であるので「曖昧戦略」にならざるを得ないのが実情に思える。
日本にとって金門島砲撃事件には見逃せない事実がある。それは、米軍が本格的支援に先立ち台湾に対して「金門・馬祖の放棄」を提案したことである。時のアメリカ大統領は先の欧州戦線の最高指揮官で共和党のアイゼンハワー、さらに当時の米軍は中国軍など問題にしないほど強力であったが、それでも本格的な支援には躊躇している。結果的に米提案は、台湾の反対と台湾軍の強硬な反撃によってアメリカは本格支援に踏み切ったわけであるが、核を持ち通常戦力でも米軍に肩を並べようとしている中国と弱腰の老民主党バイデン氏という現状を見ると、本格的に中国が尖閣に牙を剝いた時にアメリカが「尖閣放棄」を提案してくる可能性無きにしも非ずと覚悟しておかなければならない。その際、アメリカを本格支援・介入に動かし得るのは、日本政府・国民の領土維持の覚悟であり、自衛隊の奮闘であることを教えているように思える。