岸田総理の施政方針演説が行われた。
紙面に掲載されている全文を読んだものの靄のかかった頭では、お世辞にも熟読・完全理解とは言えないが、新資本主義と銘打った「成長と分配の好循環」を目標に、新自由主義的は成長戦略から一歩引いた経済政策を掲げた以外は、目新しいものは見当たらないように思った。
岸田型新資本主義は、来週にも発表される自民党の選挙公約にも盛られると思うので、これまで新自由主義打倒による富の再配分を最大公約としていた立憲民主党と、「餅の配り合い」的な展開になってしまった。そんな事態への警鐘であろうか、財務省の事務次官が月刊誌に「与野党のバラマキ合戦は、タイタニック号が氷山(財政破綻)に向かって突進しているようなもの」と寄稿しているらしい。
そういえば、予算審議の通常国会での定型句「財政再建」「赤字国債圧縮」が聞こえなくなって久しい。
昨日のブログで「それみたことか」と乱暴にタイトルしたことを痛く反省している。
これまで、「選挙後の政権では協力しない前提での選挙協力は、議会制民主主義と有権者を愚弄するもの」と度々書いてきたことを顧みれば、枝野氏の「選挙協力の延長としての共産党閣外協力」明言は論理としたは正しく、そうなければならない選択である。このことによって、今回の総選挙は社会(共産)主義と資本主義の戦いであることが明確になって、有権者は選択し易くなったと思っている。
ソ連邦の崩壊や東西ドイツの統一で決着したと思っていたイデオロギー対立が、30年の時を経て日本で再現されることになる。
現在、資本主義・自由主義社会での階層化が顕著になり、持てるものと持たざる者の分化・固定化が進んだ結果、仏・伊では共産党が息を吹き返し、共産主義信奉者は社会から排除されるとされていたアメリカでもBLMが「我々は訓練されたコミュニスト」と公言している。さらに、コロナ禍のような国難では、共産主義社会の強権が自由主義に勝る一面が明らかになった点も大きいと思っている。
枝野氏は、衣を一枚脱ぎ捨てて隠れコミュニストを窺わせる姿態を一部露わにしたが、投開票までには全ての衣を脱ぎ去って、枝野政権の大きな政府が目指す「統制の対象や限界点」まで明らかにして欲しいと願うところである。