日本における国防に関する、専守防衛・非核3原則・憲法9条堅持を国是とする人は多いが、自分は、それらの主張に対して「現実を直視しない思考停止の所業」と思っている。
これまで、「武力=悪若しくは不要」とする著書を読んだり、同様の主張を繰り広げる市井の人々と話す機会があったが、両者に共通しているのは「今、平和憲法を持つ日本を武力攻撃する国は無く、対話と経済支援外交での解決が可能で、紛争が起きたとしても国連の調停によって武力衝突は回避できる」との前提に立っており、武力侵攻事態の想定すら受け入れようとしなかった。
残念ながら、日本と同様に、専守防衛・非核を国是としていたウクライナが狂国の侵攻を受けている現在でも、国防態勢の見直し論に対して立憲民主党が「火事場泥棒的」と一蹴しているのと軌を一にしているように思える。
本日以降、複数回に分けて日本の安保について、自分の考えを整理してみたい。
そもそも「国是」とは何だろうか。ウィキペディアでは「国民の支持を得た国の大方針で、すべての政策の方向性を決定付け基本的には長期的に維持される」とあるように、アメリカは独立宣言を、フランスは人権宣言を、韓国は抗日上海臨時政府を、それぞれ憲法前文に掲げて国是としている。しかしながら、第二次大戦前のアメリカのモンロー主義のように一時的な国是と捉えられるべきものも少なくないと思う。
専守防衛は、1934(昭和29)年に発足した自衛隊に関して当時の杉原荒太防衛庁長官が、翌年の国会答弁で使用したのが最初で、その後1970(昭和45)年以降に刊行されるようになった「防衛白書」で使用され正式用語となったとされるので、50年間の歴史しかないが、50年間も守れ通したのは奇跡と云ううべきかもしれない。
専守防衛の概念は、1981(昭和56)年防衛白書において「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限る」とし、以後の閣議決定答弁において定義として使用されている。
このように、専守防衛の概念誕生時の背景を考えると、中国・韓国と一部の東南アジア諸国が日本の再軍備・海外派兵を懸念し、国内では全盛期の社会党が近隣諸国に呼応するように活発に政府・自衛隊を攻撃していたために、政府は自衛隊の創設が憲法違反である印象を薄め・糊塗し、保有する武力も極めて限定的な範囲にとどめることを内外に示す必要から生まれたもので、軍事的な選択ではなく再軍備の矮小化を企図・演出した政治的政局の産物に過ぎないと思っている。(注: での訂正は、投稿4時間後)
日本が定義する専守防衛に従えば、必然的に敵を日本の領域内で迎撃せざるを得ないために、全土がかっての沖縄戦と同様な戦場となって軍民・インフラの損害は測りし得ないほど大きい。特に、初動(第一撃)における損害は避けることができないことを専守防衛を国是と戴く朝野は覚悟しているのだろうか疑問である。第一撃の犠牲者は、侵攻勢力の選択に任されるために、政治家であるか、市民であるか、子供であるか、自衛隊員であるか、誰も予測し得ないし、誰も逃れることはできない。
ウクライナの推移を見ても、専守防衛に徹するウクライナは、ロシアの武力行使があり得るとした西側情報を荒唐無稽とし、臨戦態勢構築の予備役招集に踏み切ったのは侵攻2日前とされている。
幸いにして、ウクライナでは市民の強固な団結と戦意によって徹底抗戦を成し遂げつつあるが、市民の犠牲におののいた日本の有識者の一部がウクライナ降伏を主張することを見る限り、日本有事には国民の憂国の情など置き去りにされて、初動の損害で白旗を挙げることすら予想される。
本日の結論は、専守防衛は国民の生命を守るために機能するよりも、敵に武力侵攻の企図を誘引させ、無血侵攻の幻影を誘発させる愚策と称すべきである。
独立国は、自衛のための権利に自ら手枷・足枷を付けないのが世界基準であり、専守防衛を平和の手段と考えるのは日本の独りよがりの議論であるように思う。