もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

安保に関する国是-2

2022年04月09日 | 防衛

 本日は「非核3原則」に関する持論である。

 改めて書くまでもなく非核3原則は、核兵器を「持たず」「作らず」「持ち込ませず」であり、多くの国民が支持する「国是」であると認識しているが、今一度、非核3原則の誕生を時系列的に整理すると
・1954(昭和29)年 マグロ漁船「第五福竜丸」がビキニ環礁で被爆
・1955(昭和30)年 反核・平和団体の原水協(共産党系)設立
・1960(昭和35)年 新安保条約に改訂¥核持ち込みの事前協議を確認
・1964(昭和39)年 中国核実験-原水協は中国の核保有を容認
・1965(昭和40)年 日本の核武装主張の高まりを受けてを受けてアメリカのジョンソン大統領が「日本防衛のための核の傘提供」を表明
・1965(昭和40)年 原水協から原水禁(社会党・総評系)分派
・1967(昭和42)年 佐藤栄作首相が非核3原則表明
・1968(昭和43)年 佐藤首相が「日米安保に基づくアメリカの核抑止力依存(核の傘)」を国会答弁
・1970(昭和45)年 新安保条約が単年度の自動更新に以降
・1971(昭和46)年 非核三原則を守るべきとする衆議院決議採択
・1972(昭和47)年  沖縄返還ー核抜き本土並み
 となっている。
 現在、非核3原則は広島・長崎への原爆投下、第五福竜丸の被爆等を受けて、終戦以降の早い時期に確立した「日本人の総意に基づく悲願の概念」と捉えられており、そのことは原則を論じる多くの場合に決まって「唯一の被爆国」との修飾が冠せられることにも表されている。しかしながら冷静に年表を眺めると、1660年代までは日本防衛のためには核武装すべきという意見もあったことは、その沈静化のためにアメリカが核の傘提供を表明したことでも明らかである。軍事と防衛を身近・肌身に知っていた我々の親世代は、核兵器は必要悪であるとの認識に立っていたようで、佐藤首相が非核3原則を表明した際の世論調査でも原則を是とする割合は20%程度であったとされているので、戦後教育世代がイニシアティブを執る時代になって急速に伸長したものと考えられる。閑話休題。
 非核3原則に話を戻すと、「核兵器を持ち込ませず」に関しては、当初から疑問視されており、さらには核搭載の米軍艦船・航空機については事前協議の対象にしないとの密約があったことが明らかとなっている。一般論であるが、軍艦が行動する際には全能発揮の状態で、更には装備の詳細を公表しないことは世界の常識で、日本に駐留若しくは寄港する際に事前に能力の一部を下し、公表することなど考えられない。そのことから、沖縄を含む在日米軍弾薬庫には核弾頭が無いにしても、核兵器を運用できる艦船は核弾頭を搭載していると観るべきである。さらには、事前協議という形式もアメリカとの取り決めであり、先日寄港した英空母が核兵器を搭載していた可能性もなしとしない。
 この状態を、多くの日本人は知った上で「非核3原則は確実に・誠実に履行されている」と自分を納得させている。まさにカエサルが「多くの人は自分の見ようとする現実しか見ない」の典型であるように思える。
 では何故そのような状態になるかと云えば、非核3原則を国是と考える人々も日米安保による核の傘が日本防衛の要であり、それなくしては日本の防衛が成り立たないことを知っているからであるように思う。歴代内閣も表向きは非核三原則堅持としているが、2010(平成22)年の民主党政権(菅内閣の岡田克也外相の国会答弁)、2014(平成26)年の自民党政権(安倍内閣)でも非核三原則自体は堅持するものの、緊急時における同盟国の核持ち込みには反対しないと表明している。
 「持たず」「作らず」について考える。
 前項でも書いたように、日本の防衛が日米安保、なかんずく核の傘に依存していることは多くの人が是とし、それらの人は核兵器を保有しない前提として日米安保が盤石で、それが消滅する事態など考えてもいないように思える。
 半軍事同盟というべき日英同盟と三国同盟、軍事同盟ではない日ソ不可侵条約が何故消滅したか、いかにして日韓請求権協定が形骸化したかを考えれば、条約は極めて脆いものであることが分かる。米国が攻撃されても日本が参戦義務を負わないという世界的に稀有な片務的な日米安保が70年も継続・機能しているのは、当初はソ連、現在は中国というアメリカの敵が存在するためだけで、それらに対峙するための策源地・後方基地としての地勢的位置をアメリカが重要視した結果であり、決してアメリカの善意だけではない。
 このことは、1971(昭和46)年のニクソン・ショックを見ると明らかであると思う。この電撃的発表に対して日本は事前通報もなかったことから、「頭越し」と叫んでみたものの日中国交正常化・台湾との断交など混乱に叩き込まれた。この例に観られるように、アメリカの敵が消滅して在日米軍基地の重要性が低下した場合、アメリカは日本に斟酌することなく存在価値を失った日米安保の破棄を通告するだろう。日米安保条約は、単年度自動更新の形であり、日米のどちらかが更新しないことを一方的に通告すれば1年後の7月には失効することになっているので、核の傘は1年間のリース契約ともいえる。
 条約は信義をもって履行しなければならないのは勿論であるが、失効した場合や破棄された場合についても同等な努力を忘れるべきでないように思う。
 日米安保が失効し核の傘を失った場合も、日本と日本国民は非核3原則墨守のまま、脆弱な通常兵器と兵力で強国中国と狂国北朝鮮に対峙し、一撃における市民の死を覚悟しつつ、在り続けるのだろうか。都市伝説であるが、日本の精密産業や原子力産業内部では、核兵器は3か月で製造可能とされているようである。

 本日の結論、「非核3原則」は日本人的には素晴らしい主張であるが、アメリカの差掛けた核の傘でしか輝けないもので、児孫の代にまで受け継ぎ・強制すべきものではない。将来における核兵器の取り扱いについては、次代の英知の選択に任せるべきである。

 共産党の志位委員長が、7日に党本部で共産党綱領を逸脱して、「急迫不正の主権侵害が起こった場合には、自衛隊を含めてあらゆる手段を行使して、国民の命と日本の主権を守りぬくのが党の立場だ」と述べたらしい。
 ここにも、ウクライナ情勢に触発された「やむを得ない路線変更」が看て取れる。