もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

光市母子殺人の死刑囚に思う

2022年04月24日 | 社会・政治問題

 山口県光市母子殺害死刑囚の第2回再審請求が広島高裁で棄却されたことが報じられた。

 驚いたのは、死刑囚の年齢が41歳とされていたことである。
 事件が起きたのは1999(平成11)年で、逮捕されたのは当時18歳の少年であった。罪状は殺人・強姦致死(屍姦)・窃盗とされ、一・二審は無期懲役判決であったが最高裁で破棄差し戻され、差し戻し控訴審で死刑判決がなされ2012(平成24)年に死刑が確定した。その間、少年犯罪に対する死刑の是非、二審から担当した弁護団の教唆と疑われる荒唐無稽な陳述、橋下徹氏の弁護団懲戒請求の呼びかけ、実名本の出版、被告が被害者家族に宛てた嘲笑的な文章、・・・などの大きな社会的反響を呼び起こし、最高裁も従来の死刑判決の永山基準を変更せざるを得なかった。
 逮捕以来23年間の獄中生活、そして2012年の確定後死刑執行に怯える(?)10年間、彼は何を考え・何を求めて生き、そして今はどのようになっているのだろうか。
 再審請求は、公判以降に見出された新資料(証拠)がないと受理されないこととなっているが、彼の再審請求資料は、「人格形成に関する学術書」だけであり、責任能力の低下という罪一等を減じる根拠とは看做されないと判断されるものであるらしい。
 死刑の執行は、再審請求中には行われず、更には死刑囚が人間性を取り戻し、かつ刑死を受け入れた時に執行されると聞いたことがあるので彼の執行は未だ先になるのだろうし、執行に際しては高僧もかくやと思わせる態度で逝く死刑囚もいると聞くが、果たして彼の場合にはどうなのだろうか。

 自分は、死刑制度容認者であるが、長期間にわたって限られた空間で・限られた生を独房で過ごすのは、死刑囚にとっても社会にとっても如何ほどの意味を持つのだろうかと考えざるを得ない。
 死刑執行は確定後3か月以内に行うこととされていること、仮釈放の望みが殆どない無期懲役が長い時間をかける死刑と呼ばれること、を思えば、厳格な死刑執行は人道的ですらあるようにも思える。
 「それでも、生きることに意味があり」「国家が殺人を行うことはあってはならない」という人々からの総スカンは免れないとは思うが。