ご真影という言葉知っている方が、ブログを読む人の何パ-セントを占めるか想像できません。ご真影とは天皇の写真です。第2次大戦に負けるまで、天皇は神格化され、その肖像は礼拝の対象でした。
戦時中、私はまだ幼児でした。母の生家がとなり町にあり、母は2才の弟を連れて、時々自分の母を訪れていました。そんな時、父が働いていた学校の教員室が、私の託児所となりました。私が学校にいると聞くと、教師を父に持つ二人の友達もやっ来るのです。学校とその周囲は私たち3人には安全な遊び場でした。クラスのある棟への出入りは禁止されていましたが、2階には標本室とか、柔道や棒術をする畳みの大広間があり、いつも私たちの好奇心を駆り立てました。3人は自分自身の足音に怯えながら、息を殺し、あちこちと歩き回り、不思議な緊張に耐え切れず、われ先にと逃げ出したりするのです。これも子どもにとって楽しい遊びでした。
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講堂も私たちの遊び場でした。ステージにはビロードの幕が垂れ下がっていて、そこは進入禁止の場所でした。ある時、幕が引かれていました。艶やかに光る木製の大きなケースが同じ色の台の上に乗っているのが見えました。
私たちはステージに上がり、協力して観音開きの戸を引っ張りました。なんと扉が少し開き、紫の垂れ幕が見えました。3人は怖くなり、外へと逃げ出しました。
後で父に聞くと、ここに天皇の写真、ご真影が保管されていたのです。3人ともひどく叱られました。父親3人は、私たちのした事を誰も見ていなかったことを知り安心したことでしょう。これは多分親の監督不行届き、もし、私たちが大人なら不敬罪に相当する犯罪だったでしょう。
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1945年初夏、町の人たちが校庭に防空壕を4個作りました。それぞれの防空壕の上に違う色の旗が立てれました。記憶違いでなければ、紫、青、緑、黄色の旗です。私たちは、すぐに防空壕を見に行きました。その広さは、学校の教室の半分より狭い感じでした。
紫の旗の立つ防空壕の前には縄が張られ、大人たちはここは入ってはいけないといいました。私たちは、大人たちの目を盗んで、縄の下を潜り抜け、その中に入りました。特別なものがあるわけでもなく、荒削りの板で急いで作ったと思われる粗末な台が、中央にあるだけした。
なぜ台があるのかと父に聞くと、私たちの侵入に呆れ顔の父は、もうすぐ大空襲がくる。あそこはご真影を避難させる防空壕だと教えてくれました。ご真影は、とても大切なものだなと、私は感じたのでした。
戦時中、私はまだ幼児でした。母の生家がとなり町にあり、母は2才の弟を連れて、時々自分の母を訪れていました。そんな時、父が働いていた学校の教員室が、私の託児所となりました。私が学校にいると聞くと、教師を父に持つ二人の友達もやっ来るのです。学校とその周囲は私たち3人には安全な遊び場でした。クラスのある棟への出入りは禁止されていましたが、2階には標本室とか、柔道や棒術をする畳みの大広間があり、いつも私たちの好奇心を駆り立てました。3人は自分自身の足音に怯えながら、息を殺し、あちこちと歩き回り、不思議な緊張に耐え切れず、われ先にと逃げ出したりするのです。これも子どもにとって楽しい遊びでした。
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講堂も私たちの遊び場でした。ステージにはビロードの幕が垂れ下がっていて、そこは進入禁止の場所でした。ある時、幕が引かれていました。艶やかに光る木製の大きなケースが同じ色の台の上に乗っているのが見えました。
私たちはステージに上がり、協力して観音開きの戸を引っ張りました。なんと扉が少し開き、紫の垂れ幕が見えました。3人は怖くなり、外へと逃げ出しました。
後で父に聞くと、ここに天皇の写真、ご真影が保管されていたのです。3人ともひどく叱られました。父親3人は、私たちのした事を誰も見ていなかったことを知り安心したことでしょう。これは多分親の監督不行届き、もし、私たちが大人なら不敬罪に相当する犯罪だったでしょう。
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1945年初夏、町の人たちが校庭に防空壕を4個作りました。それぞれの防空壕の上に違う色の旗が立てれました。記憶違いでなければ、紫、青、緑、黄色の旗です。私たちは、すぐに防空壕を見に行きました。その広さは、学校の教室の半分より狭い感じでした。
紫の旗の立つ防空壕の前には縄が張られ、大人たちはここは入ってはいけないといいました。私たちは、大人たちの目を盗んで、縄の下を潜り抜け、その中に入りました。特別なものがあるわけでもなく、荒削りの板で急いで作ったと思われる粗末な台が、中央にあるだけした。
なぜ台があるのかと父に聞くと、私たちの侵入に呆れ顔の父は、もうすぐ大空襲がくる。あそこはご真影を避難させる防空壕だと教えてくれました。ご真影は、とても大切なものだなと、私は感じたのでした。
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