glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

おなじ話題は嫌いですが・・・。

2005-04-19 09:47:37 | Weblog
 実はアメリカに友人がいます。彼の名はヨハーノ。

 4年ほども前突然手紙をもらいました。そのエスペラント文のまあ英語式と言うのでしょうか、ただ単語を並べたもので、エスペラントでは対格と言うのですがnの文字は全く無し。これは日本語では助詞が欠けているような文章です。
私 飲んでいる お茶(Mi trinkas teo.)。お茶 飲んでいる 私(Teo trinkas mi.)
エスペラントでは対格をつけることによって飲む方と飲まれる方が分かるのです。
例えば
 Mi trinkas teon.
 Teon mi trinkas.
 Trinkas teon mi.
Mi teon trinkas. 
これらは強調している単語は言っている人の気持で違ってきますが、全て意味は『私はお茶を飲んでいる』なのです。

 私の住所をどこで見つけたのでしょうか、彼は書いていました。初心者です。文通して下さい。私の名はジョン。でも私はヨハーノの方が好きなのでヨハーノと呼んで下さい。

 私はこれ以上文通相手を増やしたくはなかったのですが、アメリカ人に頼まれて断るのは日本人の恥じと思い返事を書きました。彼はeメ-ルでないほうが良いというので郵便での文通が始まりました。時間がない時は手紙を受け取ったという知らせをeメールでと使い分けました。

 数回の文通の後、彼は書いてきしました。文章の間違いを見つけたら直してくださいと。
 私は返事を書きました。『文法的な間違いが時々あるけれど、あなたの言いたいことを私は理解できます。沢山本を読んで沢山文章を書けばもっと素晴らしい文章になるでしょう。私はそれを待っています。』と。

 昨年春、大学に戻り臨床心理の勉強を始めたので忙しいという便りがました。秋の手紙は日本人とアメリカ人の感情のもつれの原因についてでした。

 ヨハーノの友人の一人が次ぎのような発表をしたそうです。
 日本人はアメリカ人が嫌いである。理由は第2次世界大戦後、アメリカが英語教育を日本に押し付けたからであると。

 それは本当でしょうかと彼は私に尋ねてきました。
  
 私は次ぎのように答えました。
 私は幼児だったので、その当時の日本人お気持を答えることはできませんが、日本の英語教育は戦後に始まったものではなく、義務教育でなかったとしても英語教育は行われていました。戦争中、日本政府は英語を教えることも、自分で学ぶことも禁止しました。ですから、英語教育の開始は日本人にとって抑圧からの解放意味するものの一つだったと思えます。私の兄達も嬉しそうに英語の勉強をしていましたし・・・。
 日本文化はもともと海外の文化を吸収し同化させることで発展してきました。ですから、外来文化に憧れこそすれ、拒絶反応など示さなかったと思います。 ただ、長いこと日本に住んでいるのに特権階級のように日本語は使わないアメリカ人がいます。そう言うアメリカ人は傲慢だと思いますし、嫌いですと。

 4月、ラスベガスから便りが届きました。女友達と羽を伸ばして楽しんでいるようでした。それにはアメリカ人として他国の人と付き合う時は気をつけたいと書いてありました。
 忙しくて返事を書かずにいたら、手紙届いたかとeメールが来ました。昨日慌ててメールを書きました。

 こんなやり取りはエスペラントだからできると思っています。
   
  

   
コメント (2)
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