glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

ナルニア国ものがたりと指輪物語

2006-01-23 09:58:25 | 
正月に久し振りに顔を見せた息子が‘ナルニア物語が映画になった’といいました。彼が本を読みたいのかと思い私の愛読書を出してきたら、読む暇は無いと帰っていきました。私の本は1966年に発行されています。

 現在エスペラント訳で読んでいる指輪物語の作者トールキンとC.S.ルイスそれに指輪物語をエスペラント訳したW.オールドはともに学んだそうです。もし、オールドがナルニア国ものがたりをエスペラント訳してくれたら私は喜んで読むでしょう!

 同じクラブで互いの作品を朗読し合ったということなのに読んでいて感じる印象は全く
ことなります。
 指輪物語はまだ、3巻中2巻目(二つの塔)の150ページ過ぎをよんでいます。読みながら私は夜の国、あるいは日蔭の国に居るような気分になります。
 一方ナルニヤ国ものがたりは、いつも光の中に居るような気分で読んだものでした。英語音痴なのでできれば、忠実に表現されたエスペラント訳が読みたいものです。

      



今日も格言は Pensado 【思考】から。

Ĉiuj ideoj kiuj havas vastsignifajn sekvojn, estas simplaj. (L.N. Tolstoj)
広範な意味を伴うあらゆる思想は単純です。

Bonkonduto estas la neeldirita parto de niaj pensoj. ( P. Valery)
 良い行いは私たちの考えの口に出さなかった部分です。

En du diversaj opinioj venkas kutime la pli brua.  ( K. Čapek)
 二つの違った意見の中で一般的に勝つのは騒ぎ立てる方です。

Estas problemo, ĉu por scienculo estas pli grava la kono de la faktoj aŭ fantazio.  ( A. Einstein)
 科学者にとって事実を知っていることと空想的であることとどちらがより大切か、難しい問題です。

Por mi homo sen fantazio ne estas kompleta homo. (M. Gorkij)
 私には空想できない人間は完成された人間には見えません。

コメント (9)
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