glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

日本の子、世界の子

2006-01-26 10:58:11 | 平和
 昨日、今日の毎日新聞に戦前種蒔く人の運動をした小牧近江さんという方のお嬢さんとお孫さんの記事が載っていました。お孫さんはお祖父さんの書いた色紙を持っているのですが、その色紙には『日本の子、世界の子』と書いてあるとのことです。日本に生まれたと言うことは世界にに生まれたということなのです。

 これは立場を替えれば、イラクに生まれても、モンゴルに生まれても世界に生まれたと言うことです。私達はこの事実を見逃しそうです。

 先日ある中学生グル-プが『世界がもし10人の村だったら』というワークショップをするのを見学する機会がありました。
 参加の中学生達は統計上の人口区分にある居住面積・言語・富みの差に従って参加者が分けられて行きます。そして最後に富みの差によってビスケットが配られました。富める地域には一人2枚強、ある地域は一人約一枚、ところが一番人口が多く人口密度の高い地域には10数名に対してビケケットは1.5枚でした。

 『食べてください』という指導者の声で騒然となりました。昼食後にもかかわらずです。多くビスケットを得た者の中にはポケットに隠す者もいました。不平等とは何か子ども達は感じたようでした。
 平和とは世界中の子ども達が等しく大切される日が来る事を願っております。


     


 今日のエスペラントの格言は Vero 【真実】 からです。

Vero generas malamon.  (Bias)
 真実は憎しみを派生させる。

Vero eldirita en malbona intenco estas iam pli fia ol ĉiuj mensogoj , kiujn oni povas imagi al si. (W. Blanke)
 悪意を持って言われた真実は 人が想像でき得るあらゆる嘘よりも何時であれ卑劣である。

Vero en sia substanco povas esti nenio alia ol bono . (G.G. Byron)
 本質的に真実は善以外の何ものでもあり得ないのです。 
 (少々難しい!どなたか解釈をお願いしたいです。)

La civilizo progresis ĝuste tiom, kiom ĝi estimis la veron. (Th. Carlyle)
 文明はそれが真実を尊重する度合いによって正に発展して来ました。

Per racio, ne per perforto ni devas gvidi homojn al la vero. (D.Diderot)
 暴力によってではなく理性によって私達は人々を真実へと導くべきです。

コメント (5)
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