五木寛之さんが内田裕也のことを「昭和の青年だった」と評していました。
「平成の中年」や「平成の青年」ならよく分かるが、昭和の青年とはうまい言い方だがその中身は?
まずひたむきなのは感じられる。
ただそのひたむきさの結果が現代人の到底及ばないレベルに到達しているかと言えばそうでもありません。
ひたむきに手足をバタバタ動かして行動しひたむきに意味不明なことを論じ、エネルギーは燃焼でなく爆発でひたむきに浪費。
昭和というただでさえ面倒な時代に青年という厄介なものが付着しているからややこしくて仕方ない。
要するに不毛な青年だったと言えばミもフタもないですが、サテどんなものか?
「平成の中年」や「平成の青年」ならよく分かるが、昭和の青年とはうまい言い方だがその中身は?
まずひたむきなのは感じられる。
ただそのひたむきさの結果が現代人の到底及ばないレベルに到達しているかと言えばそうでもありません。
ひたむきに手足をバタバタ動かして行動しひたむきに意味不明なことを論じ、エネルギーは燃焼でなく爆発でひたむきに浪費。
昭和というただでさえ面倒な時代に青年という厄介なものが付着しているからややこしくて仕方ない。
要するに不毛な青年だったと言えばミもフタもないですが、サテどんなものか?