花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

選挙

2007-07-22 03:59:13 | Weblog
もうすぐ選挙ですね

選挙になると,年金,,,、年金、、、と
毎日が年金と言う言葉で出来た紙吹雪のように
声も字も画像も,,、年金だらけでス。


「年金を頼らなくても良い社会つくりの総合力を持った人がよい。」

年金と言う、お金よりも、
心の豊かな老後を過ごせる
医療全体のことを考え、
人生の大海原に浮かんでいる家庭という小船の
心の豊かな人生航海を見守る政治にして欲しいと思いました。

年金の「紙ふぶき,言葉吹雪」のおかげで視界零の選挙にならないように!

何が宝なのか!
敗戦を復活させた老人の知恵を
老人切り捨て医療とともに
廃棄物として、
「人生のロマン」も燃してしまう政治が変わる事を祈り、

全国民が、依存性を無くし、自立する心で,
全体を考えて行けたら!

振り返ればあの人がいてくれた!

2007-07-19 09:00:50 | Weblog
 温故知新,,,

この言葉が手探りの私の60年の先生でした。

戦争中に防空壕の中で生まれた私は、
,,,おりこうちゃん!,,,が,「ダメ!」と言われている言葉だった。

食べ物が無い,,、
おりこうちゃん!、、、夕方まで待ってね!
洋服が無い,,、
おりこうちゃん!、、、これを着ていてね!
,,,兄のお下がりを手直ししたごわごわの、、、上着。

防空壕では、
泣かない赤ちゃんだったことが生き延びた。
「おりこうちゃんね!」と。

この言葉は、拳骨や、ピンタ,恐喝,恫喝よりも、一瞬全身がフリーズした。

戦前の日本は
「欲しがりません!」精神が叩き込まれていたようだ。

このような時代、敗戦の物資の無い中で、
「生きるとは!」ということを
全身が細胞レベルで探知しながら時を緊張で重ねていた。

池田隼人首相が「貧乏人はカレーを食べよ,,,」

カレーは私には御馳走でした。
マスコミは、
言葉を言葉でキャッチして、「カレーを喰え」となって流行した。

「マスコミ」に,「バカヤロウ!」と
水をかけた偉大な日本を立ち直らせた首相もいた。

軍医だった父は帰国後,
七か村でただ一人の外科医として疎開先の村で復帰して行った。

軍で鍛えられた勤務ぶりは,
「何時寝てるのか?」と思えたほどであった。

戦争さえなければ、30人の医師の働く、病院の院長だった。
戦争さえなければ、兄2人、姉1人死ななくてもすんだだろう!

異国の丘,乃木大将、静子夫人、、、。
お子様を戦争で無くされ,
時代とともに,生きた。
自ら戦争の時代に終止符を打ったように亡くなった。

この方のような,,,
何があっても時代に従って生きる方もいた。

お父さんは生き残っただけでも幸せだよ,,,。

傷痍軍人の白い衣に、
「あんたは生きているから幸せなんだよ。」

「ボロボロになった日本を,一本足があれば、頼らずに自分で立って復活させるんだ。」

当然,,,診療報酬ももらえる状況ではなかった。
診療報酬は、ウナギや鮎、とうきび、クリ、大根,,、と,

払える人には支払えるだけ払ってもらう
患者さん任せであった。

「教育だ、新しい時代の新しい教育を受けさせ,子供達を、敗戦から
未来の日本に飛んでゆけるように、教育の翼をつけるんだ!」

45歳の父は、
既に焼けて誰の物ともわからなくなった実家のあった
故郷の,
「東京」に、
残った子供達を連れて戻ってきた。

銀座では「喧嘩太郎」として
愛称で通用していた医師が、開業していた。
「診療の代金は患者さん任せで,回復した患者さんが、経済状態に応じて
支払っているようでいた。」

当時の医師は「生活の程度に応じて」報酬を受け取れない事も多かったのでした。

長年の無理が評価されたのか!
55歳と言う若さで、
奴隷のような無料診療の激務から
開放し永久休暇を授かりました。

大学生になったばかりの私は、死の前日手術を受けた患者さんが、
泣いているのを見て、もらい泣きしました。

母は「お父さん!あなただけ休むなんて!ずるいわよ!」
涙も出なかった母でした。

父の死んだあと、未来の日本に向けて、
兄弟はひたすら自分自身を仕上げる為の「生き残り戦争」の
教育の戦場へと突入して行ったのでした。

振り返れば,,,「エースコックのインスタントラーメン」を
エネルギー源として夜食に毎日食べていたのを思い出します。

                    次回につづく


クリにカルパス学会

2007-07-17 08:36:12 | Weblog
本州では既に実践している病院がいっぱいですが、
北海道では「クリにカルパス」って何?

けっこう聞くけど,,,???

私!会員になりました。
未来へ続く,医療の全体が見える場所に,
とりあえず参加することにしました。
これから、学びます。
よろしくお願いします。

学問としてはじめて生まれたのは1900年代だったと思います。
それを、臨床の先生方,看護師さん,コメディカルルの皆さんが
「ツール」として実践に取り入れて、
だらだらと、その時の都合で長引いた入院を
合理的な,各セクションの主体ある責任時間の割り当てや,建て横斜めのパスで
入院短縮の実績を果たしたデータ-は,見事なアイデアと思ったからです。

本州は既に盛り上がり
内科医の兄も「使ってるよ!!パス!」
癌センターの弟も
「パスは使い方次第でよい結果につながるよね!」
「心臓外科医の知人は,,,必要でしょ!パス」
300床の病院をお父さんから引き継いだ知人は
「パスで動いてますよ!」

大学病院で働いている息子も
「僕達の時代に大きな実績を残しそうな先見の考えだね。」

東京には「ノーベル賞を30回近く獲得した」かの有名なアメリカの病院が
巨大なビルの中に「クリニック群」として,進出してきている。

これからは、日本の医療界は医療人が自分のセクションだけの都合や発展を
考えて動いていたら、取り残されそうな,,,
医療の黒船が見えるような気がする。


民間の患者さんも
個人差のある人間を,ぎりぎりのところで復活させる医療には
一見「ミス」に見えることも起こりうる。
それが「医療」の世界なのだから、

人余り現象で,仕事にあぶれた弁護士がどんどん増えているのは
PCの普及もあながち無関係ではないと思える。
ミスではないのに、「ミス」としてお金を狙ってくる訴訟に
時間を取られている医療界の迷惑は心身実質ともに
足を引っ張られ,病院はプロの域に入り込んだ素人の弁護士に
大変な時間引っ掻き回され、診療に差し障っているのが現状だから。

世界の中の日本の医療を考えると、
ひたすらに政治家や権力者が、
医師を駒にして、医師斡旋業者がはびこる今日,
現場を認識しない頓珍漢な人事がどんどん増えている今日、
不得手な治療をせざるを得ない医師配置が日常化すると、
医療訴訟へ引っ張られることが無いとはいえない。

それほどに,医療は専門家が多く、学問は日進月歩の速さで進み、
医療界の実態を,第三者の素人や、机上の学問の弁護士が理解するには
あまりにも,刻々と代わる現場の臨床は,男に子供を産めと言っているような
無理がある。

臨床は、子育てと似ている。
データ-や,教科書や、理論や法律は空しい。

現場の担当者の医師,看護師,コメディカル,連絡,データ-処理の事務が
サッカーチームや、野球や,時にはアメフトのようにパスをして
刻々と動く状態変化の時間を、
各セクションの担当者が、仕事の主役であり、
患者さんが勿論主役として、時間割を守って行動する事は
次に「何をされるのか?」という不安から解放される。

その時間の責任を担当するのは未来のインタナショナルな考えに向かっていると思えた。

今、医師達は体力の限界で戦っているのだから、



ともに、生きてゆき孤立しないことが大切と思う。
ここは日本の唯一残された豊かな地球を感じられる「北の大地」。
強いものだけが引っ張るのではなく、
皆が活発に参加して、自分の目線の高さで貢献できるように
「パス」の考え方は,,,皆が主役である。


いつも本州に追いつき追い越せと
先人の涙ぐましい努力の上に
本州からは涙ぐましい援助が続いた。

裏腹に「援助の上にあぐらを描いて依存体質になった者もいる。」
全体が見えない!
自分がいつも一番!
援助を認識し感謝して、自分の実力から援助分を引いて考えられるだろうか?
援助に感謝して、援助してくれていた母体を支える側に廻れるだろうか!?

お化けにも似て「主張」だけが援助の上にクダヲ巻き,
自分の実力と勘違いして,,,
努力、実力、頑張り、忍耐を忘れてはいないだろうか?

外見だけ整って中身がついてきてないという事は無いだろうか?
自分達の為だけの,都合の良い行動に走り,全体を認識した行動が「損」という
損得や名誉や、地位を守る為の行動が正しいと勘違いしてはいないだろうか?
仕事の本当の主役として自立する喜びもきっとあると思いました。
こんな反省をしながら、北海道への「パス」の普及を願って入会しました。

いよいよ選挙!。。。誰が当選?!

2007-07-14 03:20:37 | Weblog
小泉首相の時代,医療改革がありました。

問答無用で,三位一体ということで、
患者さんの生活入院で病院を住処にする時代は終わりつつあります。

病院も、いろいろと規格や,医師,看護師の数やら、入院日数やら,
医療費の改革やら、現場はさておき,改革が先行しました。

何処の病院も「真赤,,,赤!」
北海道の僻地の病院が閉院やら,医師がイナイヤラ,,,
医療界は雪崩です。

実は、国にとって、医療が充実することは、
国民が心身ともにリッチになるということでは
ありませんか?

医療全体が,
いかに国民の心を豊かにするか!
それを,思うと、
医療全体のことを考えつづけてきた

あの議員に一票いれて、
日本の国の未来を豊かにして欲しい。


之では,誰だかわからない?,,,て?
信じるものは,,,自分の感!。

核廃絶

2007-07-03 00:26:46 | Weblog
昭和19年,敗戦の兆しの中で,父は軍医として大陸で敵、味方無く傷の手当てをしながら
自らも、激務の中でボロボロになってゆきました。

父を追って大陸に渡った家族は,戦乱のさなかに3人命を落としました。
「硫黄島からの手紙」のように、日本の兵隊も民間人も、最後の一人まで,戦いに巻き込まれてゆきました。

足の吹き飛ばされた兵隊さん、、。
顔を壊されてしまった兵隊さん,,。
「先生,,、足が痒いのです!,,,左足の先が,,,。」
弾丸で吹き飛ばされた左足は、大腿で、父が着ていた白衣を裂いた包帯でしっかりと
止血されて、足は無い!,,,痒い、痒い、と兵隊さんは苦しんで死んで行った。

駒のように従軍して死んでゆく兵隊さんの手を握り、せめて「医師にみとられて,人間として,死んで行く,,,んだよ,,,」無言の叫びが何処からか聞こえる。
お父さんの役割は、しっかりと手を握って死への旅に出る兵隊さんの孤独を共有すること
だった。

まだ,,、人間である。
ここまでは、凄絶であるが,,,人間である。

しかし、原子爆弾の投下は,今まで信じてきた「みずみずしい有機体に魂の宿った生物全てを「原子記号」に戻してしまった。

ピカソはゲルニカを描き、勅使河原創風は銀座のドッ真中に「砂漠の砂」のような花を生けた。
その華は「動物のシャレコウベと,,,確か,,、壊れた飯炊きの釜,,,」

原子爆弾は人間の世界の戦いの「ルール違反だと思いませんか!」
人間を否定するばかりではなく、緑の地球の皮をはいでしまい、ドロドロと溶岩の灼熱の
血液で「心」も調和も人類も,生きとし生きる森羅万象全てを「元素のチップ」に変えてしまう。人類否定ばかりではとどまりません。
壊れる「こころ」そのものを壊してしまうのですから,,,。

長崎にも、広島にも、小学生になった吾が子を,母の私が、「母」という存在そのもの
未来永劫続くことを祈り「命」と「元素」の間のむなしさを、あえて吾が子にみせておこうと、北海道から、はるばる連れてゆきました。

戦場で死んだ兄2人と姉1人。
形ある死であった。
人間としての死であった。

しかし、原子爆弾で死んだ人たちは原子のまま「影」になっていた。

祖母も皆,竹やりを投げ出した。
最後の一兵まで戦え!!!と,,,、がなりたてていた男達は放心した。

ここまでやられなければ,,、日本人は降伏しなかったのだろうか???
ここまでしなければ,,,戦争は終わらなかったのだろうか???

ここまでしてしまったら
戦争で無くなるだろう!!!!!
ここまでしてしまったら、
何千年もかかって築き上げた「感性」「こころ」「文化」,,,∞,,,の否定じゃないか!!

核は封印してください。
核があるというだけで、
未来が見えなくなります。

元素に戻りたくありません。
人間は
奇跡が起きて,,,地球上に現れた「命」の一つです。
その「一つ」が
多くの「命を」木っ端微塵にする権利なんてないと思いませんか!!!!

東京大学入試問題に

「人間が一人も居なければ,地球上の他の命の楽園は守られます。」
○か×か?????

このまま核廃絶に向かわないと,人間は朝敵どころではありません。
地球の敵になってしまいます。

朝まで書いて書いて,,、まだ言い足り無い。

世界の皆さん,「地球の命を」永遠に輝かせてください。