花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

厳寒の北海道

2016-01-30 23:16:17 | Weblog

寒いです。
雪かきが、大変です。

体が冷えます。
とうとう、肩が、痛くて
70肩にかかっていまス。

腰も、痛いです。


春が待ちどうしい思いです。

肩の痛さは、冷えが大きな要因でしょうね!?

温めてくれる季節が、来てほしい。

新幹線と、バス路線の旅を、もう一度夢見ています。

2016-01-24 15:02:07 | Weblog
日本の歴史番組をTVで観るのが楽しみの70代の娯楽。

若き日に京都から、バスを乗り継いで、合掌造りの村を通り
白山に登り、頂上の神社にも、御来光にも合掌し、文字どうり
世界遺産になる前の歴史の村を、富山から金沢に、バスを乗り継いで
北上したことがあった、

日大の植物園や、生薬学の先生が、富山医科薬科大学とも
学術交流をしていたので、

薬剤師会の会員として、参加させていただいた。
深山幽谷の山村は、地域ごとにバス会社が異なり
楽しみながら、乗り継いでいった。

おかげさまで、家屋の中の不思議な天井まで見せてもらったり
水車の米搗きを観たり、
学生に戻って、夢中に見学していた。

当時、まだ、大学に入学したばかりの息子と、
白山登山口で落ち合ったのですが、

山頂に雪があるのを見て、軽装で来てしまった息子は
金沢に直行して、市内見学をしてるから
翌日、兼六園の巨大な松の木の前のベンチで待つからと

下山してしまった。

親子登山の千載一遇のチャンスを失い、
多くの、生薬関係者の先生方の
プロの登山家そこのけのメンバーに加わって
何とか、3000メートル近い白山の山頂に
たどり着いた。

今は、新幹線んが走り
東京から、金沢のコースを選ぶだろうから

あの、北上の縦コースを
バスを乗り継いで、くねくねと
探索する事もなくなった。

今度は、北海道へ新幹線が来る。

思えば、息子が東京で
入院したりしたこともあった。

青森から、私ともう一人しか客の居ないバスで、

南に、南に乗り継いで、
世界遺産になる前の森林を抜けて、くねくねと
南下し、

世界遺産になる前の
東北のお寺回りをした。

崖の上に有ったり、大きな池と
芭蕉の句碑が有ったり、

兵どもの夢の跡をたどりながら

お寺にセルフサービスのお勤め付で
4000円で泊めていただき

若者たちと、夜明かしで東北の歴史を薀蓄したりした。

翌日、松島逢出来て、2000円はしなかった島めぐりの舟に乗った。

松島や、、、ああ、、、松島や、、、松島や、、、

まさに、松島の、日本の海の美しさに見とれていた。

仙台からは、高速バスで、南下して、

息子の入院の病院に着きました。

学友仲間が、付いていてくれて、

通学中の、母校の病院なので、

先生方にお任せして、

私は、寝台特急で札幌に還った。

今は、、、新幹線が走るから、

函館の次は東京で下車となる、

津波の前の美しい東北を、
くねくねと、心行くまで旅をできたことが
今となっては、思い出のまま

私の東北は、不滅です。

復興を祈りながら、

涙が止まらない日々を送りましたが、

再び、バスを乗り継いで、

甦る東北を夢見ながら、

旅をしたいと願っている昨今です。


北海道の夜明けかもしれません、、、新幹線、、

2016-01-22 09:08:42 | Weblog

昭和44年、真夜中のオーロラ便で
初めて、札幌に降り立ちました。

6月の北海道は、空高く、緑香り
花が咲き、24歳の私は

自然の雄大なおおらかさに吸い込まれてしまいました。

かって高校時代、
クラスメートと
北大を受けようと
願書を出したことがありました。

結果的には、
兄の大反対で、
受けてもいないうちから、
「気はたしかか?」
「未亡人の母親を捨てて、北海道にゆけるのか?」

「入ったわけではないし、、、」
「受かるかどうか、、もわからないし、、、」
「バカ!」
「受かったら、必ず行きたいという学校を受けろ!」

「ぼんやりと、憧れで
ポプラ並木に見とれて、
北大にあこがれてる暇なんぞないはずだ!」

私立大学に、親の家業を継ぐために進学した兄貴には

夢も、ロマンも通じなかった。

高校時代の学友は
現役で北大に合格した。

初めのうちは、中央ローンや
クラーク博士の銅像の絵葉書が送られてきていた。

しばらく経つと、
広い芝生でくつろぐ乳牛のはがきに代わり、
3年進学のころは、理学部の校舎の絵葉書に代わってきた。

そして、北海道で恋に落ちて、彼は北海道の女性と結婚した。

北海道には、、、多分、、
東京にない魅力があったのでしょう。

当時企業が、入社を前提として、
北大の進学の奨学資金を募っていたらしい。

大学院を卒業すると、
本州の生まれ故郷に就職し
奥さんを含めて、仲良くしていただいた。

もしもこの時新幹線があったなら、
東京も、札幌も
兄弟のような都市連携になっていたかもしれないと
輸送パイプの有る無しが、

大きく時代を変えると思ったりもした。

私たちの高校は、府立と言われていたころの
歴史の古い高校であったせいもあり、

多くの旧友は
夢の実現に青春をかけて、
冒険人生に出発していた。

なかでも、北海道は、
受験生にとっては、ミニ大陸の夢の大地でした。

一浪して、北大に合格した旧友もいた。
彼は、進学時期になっても
音楽室でピアノを弾いていた。

おっとりとして、
受験戦争におよそ向かない、
柔道をすり足で行く受け身の強いタイプに思えた。

もう、、、皆、、
生きているのかも連絡が途絶えていく久しい。

40年前に
新幹線が走っていたら、、、

私も、皆も、親戚縁者も、友達も
交流しながらの、にぎやかな人生だったかもしれないと。

これから、北大に入学する人は
幸せだと、おもえるのです。

新幹線は、黒船のように、
本州の文化を運んでくるでしょう、、、

医師が「金持ちだと?」誤解している北海道に
竜巻が起きそうな気もします。

東京には、ビルを丸ごとキャッシュで買える金持ちが居たり、
世界の国々を、毎年旅行しながら育っている家族が
めづらしくない。

東京の大学に行って本州に就職した息子からは

北海道が田舎に見えるという。

回りの人間が皆優秀すぎて、脅威でもあるという。
彼は南校を卒業しているが、
母さん、、、東京には南校が60校ほど点在しているよ、
恐ろしい、文教地区だという。

確かに、、、
私はスタンダードな日大を卒業している
スタンダードな学生だったが、

理工学部の学友は、みんな昼休みは英語で話そうという
ESSなるクラブがあり、気楽に参加できた。
札幌オリンピックの時は50輪のバッチをいただき
街の英語サポートに採用していただいたりした。

札幌に初めてやって来た宣教師のご夫妻と
ご近所のお付き合いをしながら、

家族ぐるみで、過ごした思い出は
生涯の宝物でした。

洗礼を進められましたが、
私の家は、高野山の真言密教であり
日本には、家の宗教があるのだと説明すると、

彼女たちは、家、とか国とかではなく、
全地ゼンノウ??の創造主が、神様であると言った。

山にも、川にも、大木にも、
どこにでも神様を観る日本人の

正月の初もうでは、
宣教師の先生家族には
理解しがたい、偶像崇拝に思えたようである。

友達として、
また、素晴らしい知恵の書として、
聖書も、ページがよれてくるほど何回も読んだ。

教会にも、通ってみた。
しかし、、、決して否定はしないが
日本人の中には

乗り越えられない「仏教の教え」や
「先祖の教えが遺伝子の舟に積み込まれて私の中にあるようだ。」

良い教えであり、
ブッダもお釈迦様も、
イエス様も、像の神様も、etc.

皆、同一のお方に思えてくるから、
とりわけ、一つにこだわらなくなっているのが現状です。

科学の果てに宗教に行き着くのなら、、、私も
流れ着く神の懐があるのかもしれないが、

たたけ、、、さらば。。。開かれん、、、
この一行も、

即身成仏の真言密教の教えと重なって見えるのが、不思議です。

70歳、、、もう、、年です、、、
何処に行き着くかわかりませんが、

新幹線に乗りながら、
行き着いた神社、お寺、滝、、、、神様と感じたところには
すべからく手を合わせている自分に気が付くとき、

感謝の心が、神様と合わせてくれるのだと
ふと、、、気が付くのです。

この2年間、
出逢ったことのない、この世の怪物に出逢いました。
いまだに正体が見えません。

市谷に生まれ、早稲田中学を卒業し
慈恵会医科大学を卒業し、
戦争の続く日本の風土の中を
外科医として仕事にささげた父親が
54歳の2月、もう、、充分生きたから、
お前たちを信じているから、、、と

最後に、「玉虫厨子」の
側面にある絵の話をしてくれました。



腹が減って死にそうな虎の子供に
自分の体を与えてしまう、、、アッサジ??

後に釈迦はこのアッサジこそ我の師匠であると言ったという。
アッサジは、別の名前で伝えられているかもしれないが、

美しい玉虫厨子の側面には
わが身を差し出す絵があるというのです。

聖書の、我が子を差出す、山頂の生贄のシーンと
一致しませんか?

神は、羊をもって、子供の命を救ってくれました。

恐怖で動いたわけではありません。
私の中の神様が、一つづつ、一つづつ
明日やらねばならないことを、
自分で決心し、自分で選び、金銭に振り回されず
解決せよと、導いてくれました。

孫子の時代が救われてゆくのなら、
サザエさんの三代同居の家を建てる夢は
贅沢な、、、贅肉だったかもしれません、

若ければ、親戚中の老人が集まって暮らせる
老人の憩いの家にしても、幸せを感じたかもしれません。

世の中から、医者の家庭が、
余分な贅肉のある金持ちに見えたとしたら、

見えないお化け集団にとって、
本当のお金持ちに接する機会が
なかたのかもしれません。

医師の裏側を守っていて、思う事は、
大切なことは、
せっかく医師となる苦行に耐えた配偶者が、
患者さんが待っていてくれるかぎり、
「医師を続けること」そのものが

人生の、
「心を貧乏にしない唯一の財産」であると
私の中から、
神様が教えてくれました。

医業の、仕事を邪魔する雑音が、
不動産や、
サザエさんのような
三代同居の家を造りたいという夢が
回りから見て、
医師の家庭の贅沢に見えたなら

その不協和音を削除することが
医療の仕事に
安心して、集中できると思えたのです。

その雑音が

貯金にあるなら、

ことごとく、社会に蒔いてしまいなさい。

舞台役者は作品の表現の為に
資材をなげうって
舞台を手に入れると聞きました。

そのお金が、どこかの若者を育て、
、後輩を育て、舞台装置やスタッフを育て
日本が元気になるなら、

老後の、旅行も、贅沢も要らないと、

父の教えてくれた、玉虫厨子が
玉虫色に輝きながら

「心だけは、貧乏になってはいけない。
あなたは愛されたから、生まれた。」

自分たちの居場所だけあれば、

孫子、親子の夢だった、
「サザエさんの家」を造る事を捨てました。

私の夢は、他のものに取ったら
夢ではないかもしれないのです。

離れていても、心が結びついていれば、
一つの家に居なくても

結束は固いのですから。

金銭も、不動産もどこに行くのか
ゆくえは解りませんが、
さっぱりと、無くなりましたから
全ては終わりました。

何事もなかったのです。
我が家から、
いわゆる社会の評価する
物質が、天にばらまかれただけです。

やっと、、落ち着いて、仕事に打ち込めます。

鼠たちは、飼い葉おけのえさが多すぎると
桶をかじりにやってきますが、

馬は、見えない日本を背中に乗せて走るのですから、
、、
日本国内で使って、
若者の世代に
日本を活性化するために使われるのなら、
訳の分からない、
正体のない徴収も、

あたっ所から集められただけでしょうね、、、
きっと。

他の職業はともかく、
親類縁者、友人グループ。
出すことはあっても、

ひとたび、我が家が困ったからとて
助け舟は来ないだろう。

医師は金持ちと誤解されている以上
没落は、蜜の味と受け取られる恐れもあるから。

これからも何も、無くさなかった。
何も、困ったことはない、
今日が幸せならば
明日のことは朝考えるという
強靭な精神で、

真面目にコツコツと
努力を積み上げて
命と闘う医師という配偶者の仕事、

就職中であろうとなかろうと
薬学で教わった知恵を日常に生かして、
充実したサポートを続ければ、

5月には、息子たちに逢える。
旅行ができるぐらいは、
働けそうである。

ともかく、私たちは「仕事をとりました。」

全ては終了し、
身軽になりました。

心配して、夜も寝れなかったという
君一人の為に、
書いています。

安心してください。
全ては終わりました。

日本の、、、神様が
精神をしっかりと支えてくれました。

私たちは、多少過緊張ですが
冷静です。

これからも、医療を行う配偶者の為にも。
待っててくれる患者さんたちを通して、
地域に役立ちながら

頃合いを観て
また、逢いましょう、

誰も巻き込みたくなかったから、
また、、、一切の姿も足跡も残さない
不思議な空気の怪物だったから、

神戸のイルミネーションや
ロスチャイルドや
フリーメイソンのサイトでも読みながら

世界は広くて、
70歳の私は、生まれたばかりの赤子のように
物事が、わからなさすぎの
理化女だったと反省しています。

今からでも、
追いかけるように
マツモトセイチョウさんの
本や、いろんな本を観たり、
中身を増やすことにします。

君も、こちらは終わった事を知らせるから、
もう、心配しないでくださいね。、

心は、中山大博士のように、
医療界全体が、
困っている患者さんたちを救えるように、
製薬会社に依存しなくても
、医師達のチームで、
手っ取り早く、
難病の解決ができるように
地域制を超えた、
世界レベルの
円卓を囲んだ、医師という
プロ集団が、
経済の採算に振り回されないように
政治家にお願いし、

世界からの信用を取り戻した
アクチブナ凄いスタミナでノルマを果たされた
阿部さんや(TVの国会討論を観ていて思っただけですが)

がんばったTPPの隊長を
またまた、部下の弱点をつついて
戦う戦士をくたびれさせる討論会に
主婦のレベルで、
日本の国会は
ばらばらにならないで

世界平和の中の平和日本を
一丸となって
創り上げてほしいと
雪をかきながらも
携帯ラジオで、聞いています。

日本の平和を願うのは
皆一緒なのに、
どこかに、、、
ばらばらにしたい外側の力が働いているのかもしれません。
こうした発言は、
公開していない、君とのブログだから
言えるんだと思うけど、
責任が持てる意見ではありません。
感情的に、、、なんで、、、
がんばってる人が、、、こうなるの、、、て
おもいませんか?

さっきの、山中大先生の凄いヴィジョンに戻りますが、

歴史の積み上げられない現状が解決されれば、

日本にも「セントメリーホスピタルのように」
ペニシリン発見で
感染症が世界的に治癒したように
シャーレの展示には感動しましたよ。

入口には山中大博士の細胞の展示と、
大発見のタブレットと
天皇皇后の、象徴のお言葉の写真コーナーが

医学の未来にあるべきビジョンを展示した病院が出来て、

医学基金の世界的賞が、
日本にも誕生するかもしれないね。

皇室には、博士号の取得の皇族が輝いていますから、
高度な科学の実績をご理解あそばされるという
民間への、聴く力、理解する力の大切さの
象徴にもなられるのは

歌会始の高貴な輝きが、
新年のひと時を
より特別な日として、
慶びの時間となっているからです。

********************

新幹線のイメージが、膨らみ過ぎて、
世界と北海道をつなげてしまいました。

何にしても、
正体の見えない空間に
ほとんど、、、
全財産を投げた
多くの人の願いは

個人の贅沢や、
消えてゆく使い方をしないで、。
回りまわって
次の時代の
「点灯樹」を育てるお金として
使われることを願っています。

正体は、、、永遠にわからないことが、、、わかるのですが、

之を契機に、
今まで知らなかった社会の仕組みの
サイトを検索するようになりました。

大学を卒業しても
わからない世界が、
こんなにあったのだと、

婆さんになってから、
歴史書を読むように
、感心して読んでいます。

世界は

地球という点の恵みの
エネルギー不滅の謎の惑星を親と思い
親を大切に
親の恵みを感謝しながら、

新幹線で、森羅万象をめぐり
心豊かになる方向へと

正体不明のお化けの皆さんも
生きとし生ける万物の絶妙な
連さと、ベクトルで
地球が「エネルギー不滅の星として」
ミドリに輝くか

「猿の惑星になるか、、、」
私は、見届けるすべもありませんが、、、

水爆や核戦争だけはやめましょう。
タコが自分の足を食べて
とうとうタコが食べられてしまったという
先人の笑い話にならないように
世界は円卓で共通項を認識してほしいものです。

**************
新幹線開通が、どんどん膨らんで
かってなおしゃべりになりましたが
之は70歳という
時代から遅れたかもしれない婆さんの
個人的な、希望です。地球を大切に!

新幹線で
緑の地球を走りましょう。

新幹線が走ったころ、
本州の親戚縁者に
この世の御挨拶周りでもできたら、

十分な幸せかもしれません。


新幹線開通を待ち続けた40年

2016-01-19 02:23:01 | Weblog

昭和44年、女性はまだ、
平等に扱われていなかった時代でした。

親や、兄や、家の都合で、
お見合い結婚で、家を出てゆく時代でした。

東京で小学校から、大学まで過ごして
24歳で、結婚して北海道に来たときは

青函連絡船に乗り
北の海の波を観ていました。

地下鉄もなく、電車が走っていました。

木賃APには風呂が無く
真冬の雪の中を銭湯に行くと
真昼の一番湯は
いつも、私だけの貸きりでした。

人が入ってくると、
そそくさと、急いであがりました、

大学院生の主人は
学生気分がそのままで、

3か月ごとに、留萌、夕張、余市、旭川、、、など
ローテションの、浮き草のような、
アルバイトが、頼みの綱の

奨学金で、博士論文に取り組んでいる外科医でした。

畏れおおくも、陛下の執刀をされた
順天堂の神の手の先生が
手術に成功されたときの

新聞に出ていたバイパスの図が
40年以上前の
主人の論文に出ていた図とそっくりだったので、

世代は交代しても、
40年以上前に
バイパスを何とか臨床で応用したいと
日夜、泊りがけで実験していたのでした。

若き日の、
主人が、何日も
帰ってこなかった日々を思い出すのです。

そのような、ある日
階下の若夫婦のけんかの末のとばっちりで
APが火事になり、

2階の我が家は、階下が爆発させた
プロパンで吹っ飛びました。


その日は、主人は夕張に出張中でした。
私は、主人の祖母の葬儀で、東京に行っておりました。

母の持たしてくれた着物も、ドレスも、
黒い70リットル入りのゴミ袋20個に
無造作に入れられて捨てられてゆきました。

あの時、もう、、、
北海道に戻るの止そうかな、、、

真面目に一瞬、本気で、おもいました。

博士論文の事しか頭になかった主人は
きな臭い、修理されたAPの部屋から

引越しする気配がありません。

きな臭い部屋は、長時間部屋にいる私には
我慢ならないリスクでした。

しかし、当時は、無給医です。
立派な鉄筋マンションもない時代です

しばらく実家に帰りました。

実家に帰ってくると、

北海道は、、、遠すぎる、、、と
悩みふさぎ込んでいました。

その時、、「新幹線が走る日が来るんだよ。」

がんばって、北に戻りなさい」

。。。あれから、、、計画は

いよいよ具体的に実現する日が

ヤッテきます。

来ます。

あれから何年になるかしら?

新幹線は、、、いよいよ

北海道にやってきます。

多くの人々が待つっています。

お母さん

すぐに出会えますからね!

....母は、、、平成元年、、、

東京で、父の建てたピアノの部屋で

無くなりました。

いつも、
ショパンを弾いていたグランドピアノは.

お弟子さんのもとへ贈られました。

北海道に去った娘、、、

娘よりも、若くて美しくて

ピアノの先生と慕われ、

81歳の無くなる3日前まで、現役でしたから。

思い出すのは、

新幹線が、、、早く開通してほしいという

母の口癖でした。

待ちきれなくて、

フジテレビがイベントとして行った

ヨーロッパの豪華列車の券が当選して

函館まで乗ってきたのです。

ヤンちゃ盛りの幼児を2人連れて

人様に迷惑かけずに函館までゆく自信が無くて

とうとう、、、母に逢えませんでした。

無給医の大学院生の夫は

頭の中は実験や、手術の事だけで

結婚したという自覚もあまりなくて

一人前の医師に早くなって

月給をもらえる立場にならねばと

まるで、予備校生のように、

深夜まで、実験をしていたようでした。

誕生日には「御頭付よ!」と

メザシの焼きたてで、とりあえず

新幹線が、仮に走ったとしても

里帰りの費用に躊躇したかもしれません。

60歳を過ぎた母は

いつ東京に帰ってくるの?

子供の教育を考えるのなら、

40歳になる前に還らないと

東京は日進月歩で、子供は苦労しますよ。

母は、結婚の時の「殺し文句」が

博士号を取得したら、

「東京の妻の実家の医業を一緒にやります。」

外科医だった父の急逝の後、
内科医の兄が、父の友人だった先生の
暖かなサポートのおかげで

何とか継続していた医療施設に、

父が若くなって帰ってくる!

そのような、イメージで、母との間に

南紀で生まれた、北を知らない私が

北海道での数年を支えれば、

夫は実家に合流するはずでした。

しかし、、帰れないとわかってからは

新幹線のできるのを、待ち続けました。

東京とツナガッタ!

近くなった!

もう、、、北海道は北の果てではない!

本州の母からは、

近くなったという、
イメージが大切だったのかもしれません。

あれから40年以上過ぎました。

とうとう、、、新幹線がやってきます。

いつしか、北海道の雪かきのひねもすを
不思議と思わなくなった私にとって、

札幌が、故郷になっていたのだろうか?

**********

新幹線が来ることは
黒船の到来に思えるのです。

何と言っても、国際人の親に育てられた子供は
北海道の、素朴な、島国のおっとりが無いだけに、

受験戦争になると
新幹線でやってくる本州の学生に

ザンギリ頭を
タタイテ観れば、

文明開化の音がする、、、

北海道は、、、明治の幕開けのような
国際感覚を急速に強要されるのではないかと

不安になる。

札幌は、一見都会に見えるが

札幌の地域制は、かなりなものがあると思います。

幼稚園から大学まで、北海道の長男は
立派な北海道人であり
地域にもしっかり溶け込んで、
頼もしくもある。

私は、いまだに、、、
浮いてるなー、、って思ってしまいます。

新幹線が本州とつながるという事は、

急な文明開化に

どのような対応が必要になってくるのか、、、?

不安もあります。

でも、、、、とうとう、本州とつながり
日本の、日本らしい発展が
北海道にもたらされることを願っています。

連日の雪かきで、へとへとです。
頭が、、、半分以下の活性度です。

支離滅裂な表現にになりましたが、、、

新幹線が来るのを、、、待ち続けて、、いたのです。

嬉しいのです。

不安もありますが、、、。










日本のお正月

2016-01-18 00:40:28 | Weblog


お正月は、謹んで皇室のTVの番組を拝見しています。

日本人が、自分は日本人だと認識するのは
皇室のTV番組や、
両陛下の記事が、
掲載された新聞に接するときです。

昭和天皇陛下の玉音放送にひれ伏した敗戦の日から70年

原子爆弾という科学兵器で
人間が元素に還るという

戦争が生んだ「あってはならないこと」に

即座に終戦の玉音放送が流れ

日本は廃墟になるのを避けることが出来た終戦!

2発も原子爆弾を落としたアメリカも

陛下と逢われたマッカ―サーも

陛下の神々しい出逢ったことのない紳士の中の紳士に
きっと、日本人が、皇室なくしては日本ではありえない
理屈を超えた、天からのメッセージを感じたに違いありません。

今日のTV番組を拝見していて、

国民とともに、寄り添って生きてくださる両陛下の

今日までのご苦労は、私のような者には

自分でも訳の分からない、涙が出てしまいます。

日本は、ここまで復興しながらも、

大自然の試練の津波も、地震も、厳しいものがあります。

激動の大戦後の時代に

美智子様のような、女性が皇室に嫁がれ

皇太子様の笑顔が見られたテニスコートが

新しい時代の日本を導いて行った頃

親王様がお生まれになり、国民は喜びに沸きました。

過ぎし日の想いでは

皇室の、今の時代の眞子様の笑顔のように、
お美しい美智子様とともに
心豊かに、復興に頑張ってきた70年だったと思います。

やはり、日本人は、皇室とともにあるから
日本人なのだと

今日はつくづく畏敬れ多くも
両陛下の鎮魂の旅の御努力に

忘れたはずの
戦後の、団塊の世代の誕生に
希望を託した昭和25年前後の事を
思い出しました。

疎開先の父の診療所には
傷痍軍人が、手足を無くしても

義足や、義手で頑張っていた時代の事を
涙で振り返りました。

日本は、、、よくぞ、、、ここまで復活できたと、

国民とともに
皇室は、国民代表の美智子様と

ややもすれば、くじけそうになる
私たちに、元気と、光を届けてくれていたと

ふと、、お年を召された両陛下のお姿に

深く深く、言葉にならない

万感の想いで

ご自愛くださいますようにと

ご健康を祈りました。

両陛下のお姿は、世界への

平和の祈りと受け止めました。

戦争を知らない若者は
どのように、うけとめただろうか?

************************

放送が終わって、しばらくたってから、
ふと、自分に戻りました。

美しい自然豊かなカルチャーの大切さを
孫子にも伝え

戦争のない世界を、祈らずにはいられません。

シヴィライゼイション、、、
両刃の剣の科学!


科学が
破壊に向かう使い方をされたときは
がん細胞のごとく
地球という母体を破壊してゆく。

みずみずしい地球の
美しさも
かぐわしい香りも
おいしい空気も

一瞬で「元素」になり
放射崩壊のエネルギーは
地球ごと壊してしまい
「復興」と言う言葉さえ
光の粒子となって
宇宙のかなたに飛び去ることを

原子爆弾を体験した日本が
世界の国に知ってもらう事が大切だと思いました。

日本の体験を、
地球平和に向けるように
祈っています。

昭和天皇が、
耐えがたきを耐えられた終戦の
玉音放送を振り返るとき

核戦争の永遠の終戦を
伝えられたことを、
肝に銘じております。

私は70歳を超えています。

若者たちに、希望を託します。


 

2016年、あけまして、おめでとうございます。

2016-01-12 20:02:11 | Weblog

女性にとって、新年の3日間と、
10日前後の連休を挟んで、
雑役の忙しさは
どこの家もきっと、
大忙しだと思います。

結婚以来、
大みそかから、4日まで、
日時は飛んでしまいました。
そして今日はもう12日、、、

70歳を過ぎてから、
ますます時間は速く飛んでしまいます。

その間、フィッギャースケートの

チームで魅せた「花は咲く」が
新年に向かう希望の時間でした。

土地に根付いた「文化」の大切さを
痛感した東北の一瞬

でも、春はそこまで来ているような
「花は咲く」のリンクの輝きが

新しい年の希望を信じられました。

ザンギリ頭をタタイテみれば
文明開花の音がする、、、




島国だった日本人の
優性遺伝は、
世界に輝く感性の魂となって
一瞬の美を、魂のレベルで表現してゆく

周りが海のなせる賜物だったかもしれませんね。
科学の時代は
海を飛び越えて
地球は混ざり合う時代になりました。

地球家族は、科学をどのように使うか、
両刃の剣である科学を駆使するのは

人工知能や、ロボットや、パソコンであっては

成らないと思うのは
アナログ時代に育った婆ちゃんの

去りゆく考えなのですか?

順天堂6位!

2016-01-04 04:48:02 | Weblog




マラソンに明け暮れた正月でした。

社会人になった  
かっての
山の追い越しヒーロの今井選手。

体調が心配でしたが、快走しましたね!

一時はどうなるのかと
心配だった順天堂も
しっかりと6位に入り

今年は、
力をいただいて、
自分も復活できそうです!

人生は山坂が多く
打ちひしがれそうになる事もありますが、

正月のマラソンを観るたびに
人生そのもののように、

がんばれ!がんばれ!、、、が
いつしか、
自分自身を応援しているかのように

力をいただけます。

マラソンは、
青山大学に栄光の一位が輝きましたが、
山の神様も、
プレシャーに負けずに
走り切ったことに、拍手を送ります。


我が母校は、
シード権を失いましたが
また、来年を信じることにします。

お疲れ様でした。

長嶋さんの番組

2016-01-01 02:34:35 | Weblog

私たちの 特別な人です。

番組を、終わりまで見ました。

言葉を思いつきません。

  天才だと思ています。
  今も、努力の人です。

笑顔が素敵でした。

大学時代、多摩川で、巨人軍の練習があり
御茶ノ水のキャンパスから
電車を乗り継いで、身に行きました。

スパースターの長嶋さんが
ストレスを受ける世界への責任は
大変なものであったことを知りました。

私たちの太陽のような選手です。

永遠です。その光は!