昭和44年、真夜中のオーロラ便で
初めて、札幌に降り立ちました。
6月の北海道は、空高く、緑香り
花が咲き、24歳の私は
自然の雄大なおおらかさに吸い込まれてしまいました。
かって高校時代、
クラスメートと
北大を受けようと
願書を出したことがありました。
結果的には、
兄の大反対で、
受けてもいないうちから、
「気はたしかか?」
「未亡人の母親を捨てて、北海道にゆけるのか?」
「入ったわけではないし、、、」
「受かるかどうか、、もわからないし、、、」
「バカ!」
「受かったら、必ず行きたいという学校を受けろ!」
「ぼんやりと、憧れで
ポプラ並木に見とれて、
北大にあこがれてる暇なんぞないはずだ!」
私立大学に、親の家業を継ぐために進学した兄貴には
夢も、ロマンも通じなかった。
高校時代の学友は
現役で北大に合格した。
初めのうちは、中央ローンや
クラーク博士の銅像の絵葉書が送られてきていた。
しばらく経つと、
広い芝生でくつろぐ乳牛のはがきに代わり、
3年進学のころは、理学部の校舎の絵葉書に代わってきた。
そして、北海道で恋に落ちて、彼は北海道の女性と結婚した。
北海道には、、、多分、、
東京にない魅力があったのでしょう。
当時企業が、入社を前提として、
北大の進学の奨学資金を募っていたらしい。
大学院を卒業すると、
本州の生まれ故郷に就職し
奥さんを含めて、仲良くしていただいた。
もしもこの時新幹線があったなら、
東京も、札幌も
兄弟のような都市連携になっていたかもしれないと
輸送パイプの有る無しが、
大きく時代を変えると思ったりもした。
私たちの高校は、府立と言われていたころの
歴史の古い高校であったせいもあり、
多くの旧友は
夢の実現に青春をかけて、
冒険人生に出発していた。
なかでも、北海道は、
受験生にとっては、ミニ大陸の夢の大地でした。
一浪して、北大に合格した旧友もいた。
彼は、進学時期になっても
音楽室でピアノを弾いていた。
おっとりとして、
受験戦争におよそ向かない、
柔道をすり足で行く受け身の強いタイプに思えた。
もう、、、皆、、
生きているのかも連絡が途絶えていく久しい。
40年前に
新幹線が走っていたら、、、
私も、皆も、親戚縁者も、友達も
交流しながらの、にぎやかな人生だったかもしれないと。
これから、北大に入学する人は
幸せだと、おもえるのです。
新幹線は、黒船のように、
本州の文化を運んでくるでしょう、、、
医師が「金持ちだと?」誤解している北海道に
竜巻が起きそうな気もします。
東京には、ビルを丸ごとキャッシュで買える金持ちが居たり、
世界の国々を、毎年旅行しながら育っている家族が
めづらしくない。
東京の大学に行って本州に就職した息子からは
北海道が田舎に見えるという。
回りの人間が皆優秀すぎて、脅威でもあるという。
彼は南校を卒業しているが、
母さん、、、東京には南校が60校ほど点在しているよ、
恐ろしい、文教地区だという。
確かに、、、
私はスタンダードな日大を卒業している
スタンダードな学生だったが、
理工学部の学友は、みんな昼休みは英語で話そうという
ESSなるクラブがあり、気楽に参加できた。
札幌オリンピックの時は50輪のバッチをいただき
街の英語サポートに採用していただいたりした。
札幌に初めてやって来た宣教師のご夫妻と
ご近所のお付き合いをしながら、
家族ぐるみで、過ごした思い出は
生涯の宝物でした。
洗礼を進められましたが、
私の家は、高野山の真言密教であり
日本には、家の宗教があるのだと説明すると、
彼女たちは、家、とか国とかではなく、
全地ゼンノウ??の創造主が、神様であると言った。
山にも、川にも、大木にも、
どこにでも神様を観る日本人の
正月の初もうでは、
宣教師の先生家族には
理解しがたい、偶像崇拝に思えたようである。
友達として、
また、素晴らしい知恵の書として、
聖書も、ページがよれてくるほど何回も読んだ。
教会にも、通ってみた。
しかし、、、決して否定はしないが
日本人の中には
乗り越えられない「仏教の教え」や
「先祖の教えが遺伝子の舟に積み込まれて私の中にあるようだ。」
良い教えであり、
ブッダもお釈迦様も、
イエス様も、像の神様も、etc.
皆、同一のお方に思えてくるから、
とりわけ、一つにこだわらなくなっているのが現状です。
科学の果てに宗教に行き着くのなら、、、私も
流れ着く神の懐があるのかもしれないが、
たたけ、、、さらば。。。開かれん、、、
この一行も、
即身成仏の真言密教の教えと重なって見えるのが、不思議です。
70歳、、、もう、、年です、、、
何処に行き着くかわかりませんが、
新幹線に乗りながら、
行き着いた神社、お寺、滝、、、、神様と感じたところには
すべからく手を合わせている自分に気が付くとき、
感謝の心が、神様と合わせてくれるのだと
ふと、、、気が付くのです。
この2年間、
出逢ったことのない、この世の怪物に出逢いました。
いまだに正体が見えません。
市谷に生まれ、早稲田中学を卒業し
慈恵会医科大学を卒業し、
戦争の続く日本の風土の中を
外科医として仕事にささげた父親が
54歳の2月、もう、、充分生きたから、
お前たちを信じているから、、、と
最後に、「玉虫厨子」の
側面にある絵の話をしてくれました。
腹が減って死にそうな虎の子供に
自分の体を与えてしまう、、、アッサジ??
後に釈迦はこのアッサジこそ我の師匠であると言ったという。
アッサジは、別の名前で伝えられているかもしれないが、
美しい玉虫厨子の側面には
わが身を差し出す絵があるというのです。
聖書の、我が子を差出す、山頂の生贄のシーンと
一致しませんか?
神は、羊をもって、子供の命を救ってくれました。
恐怖で動いたわけではありません。
私の中の神様が、一つづつ、一つづつ
明日やらねばならないことを、
自分で決心し、自分で選び、金銭に振り回されず
解決せよと、導いてくれました。
孫子の時代が救われてゆくのなら、
サザエさんの三代同居の家を建てる夢は
贅沢な、、、贅肉だったかもしれません、
若ければ、親戚中の老人が集まって暮らせる
老人の憩いの家にしても、幸せを感じたかもしれません。
世の中から、医者の家庭が、
余分な贅肉のある金持ちに見えたとしたら、
見えないお化け集団にとって、
本当のお金持ちに接する機会が
なかたのかもしれません。
医師の裏側を守っていて、思う事は、
大切なことは、
せっかく医師となる苦行に耐えた配偶者が、
患者さんが待っていてくれるかぎり、
「医師を続けること」そのものが
人生の、
「心を貧乏にしない唯一の財産」であると
私の中から、
神様が教えてくれました。
医業の、仕事を邪魔する雑音が、
不動産や、
サザエさんのような
三代同居の家を造りたいという夢が
回りから見て、
医師の家庭の贅沢に見えたなら
その不協和音を削除することが
医療の仕事に
安心して、集中できると思えたのです。
その雑音が
貯金にあるなら、
ことごとく、社会に蒔いてしまいなさい。
舞台役者は作品の表現の為に
資材をなげうって
舞台を手に入れると聞きました。
そのお金が、どこかの若者を育て、
、後輩を育て、舞台装置やスタッフを育て
日本が元気になるなら、
老後の、旅行も、贅沢も要らないと、
父の教えてくれた、玉虫厨子が
玉虫色に輝きながら
「心だけは、貧乏になってはいけない。
あなたは愛されたから、生まれた。」
自分たちの居場所だけあれば、
孫子、親子の夢だった、
「サザエさんの家」を造る事を捨てました。
私の夢は、他のものに取ったら
夢ではないかもしれないのです。
離れていても、心が結びついていれば、
一つの家に居なくても
結束は固いのですから。
金銭も、不動産もどこに行くのか
ゆくえは解りませんが、
さっぱりと、無くなりましたから
全ては終わりました。
何事もなかったのです。
我が家から、
いわゆる社会の評価する
物質が、天にばらまかれただけです。
やっと、、落ち着いて、仕事に打ち込めます。
鼠たちは、飼い葉おけのえさが多すぎると
桶をかじりにやってきますが、
馬は、見えない日本を背中に乗せて走るのですから、
、、
日本国内で使って、
若者の世代に
日本を活性化するために使われるのなら、
訳の分からない、
正体のない徴収も、
あたっ所から集められただけでしょうね、、、
きっと。
他の職業はともかく、
親類縁者、友人グループ。
出すことはあっても、
ひとたび、我が家が困ったからとて
助け舟は来ないだろう。
医師は金持ちと誤解されている以上
没落は、蜜の味と受け取られる恐れもあるから。
これからも何も、無くさなかった。
何も、困ったことはない、
今日が幸せならば
明日のことは朝考えるという
強靭な精神で、
真面目にコツコツと
努力を積み上げて
命と闘う医師という配偶者の仕事、
就職中であろうとなかろうと
薬学で教わった知恵を日常に生かして、
充実したサポートを続ければ、
5月には、息子たちに逢える。
旅行ができるぐらいは、
働けそうである。
ともかく、私たちは「仕事をとりました。」
全ては終了し、
身軽になりました。
心配して、夜も寝れなかったという
君一人の為に、
書いています。
安心してください。
全ては終わりました。
日本の、、、神様が
精神をしっかりと支えてくれました。
私たちは、多少過緊張ですが
冷静です。
これからも、医療を行う配偶者の為にも。
待っててくれる患者さんたちを通して、
地域に役立ちながら
頃合いを観て
また、逢いましょう、
誰も巻き込みたくなかったから、
また、、、一切の姿も足跡も残さない
不思議な空気の怪物だったから、
神戸のイルミネーションや
ロスチャイルドや
フリーメイソンのサイトでも読みながら
世界は広くて、
70歳の私は、生まれたばかりの赤子のように
物事が、わからなさすぎの
理化女だったと反省しています。
今からでも、
追いかけるように
マツモトセイチョウさんの
本や、いろんな本を観たり、
中身を増やすことにします。
君も、こちらは終わった事を知らせるから、
もう、心配しないでくださいね。、
心は、中山大博士のように、
医療界全体が、
困っている患者さんたちを救えるように、
製薬会社に依存しなくても
、医師達のチームで、
手っ取り早く、
難病の解決ができるように
地域制を超えた、
世界レベルの
円卓を囲んだ、医師という
プロ集団が、
経済の採算に振り回されないように
政治家にお願いし、
世界からの信用を取り戻した
アクチブナ凄いスタミナでノルマを果たされた
阿部さんや(TVの国会討論を観ていて思っただけですが)
がんばったTPPの隊長を
またまた、部下の弱点をつついて
戦う戦士をくたびれさせる討論会に
主婦のレベルで、
日本の国会は
ばらばらにならないで
世界平和の中の平和日本を
一丸となって
創り上げてほしいと
雪をかきながらも
携帯ラジオで、聞いています。
日本の平和を願うのは
皆一緒なのに、
どこかに、、、
ばらばらにしたい外側の力が働いているのかもしれません。
こうした発言は、
公開していない、君とのブログだから
言えるんだと思うけど、
責任が持てる意見ではありません。
感情的に、、、なんで、、、
がんばってる人が、、、こうなるの、、、て
おもいませんか?
さっきの、山中大先生の凄いヴィジョンに戻りますが、
歴史の積み上げられない現状が解決されれば、
日本にも「セントメリーホスピタルのように」
ペニシリン発見で
感染症が世界的に治癒したように
シャーレの展示には感動しましたよ。
入口には山中大博士の細胞の展示と、
大発見のタブレットと
天皇皇后の、象徴のお言葉の写真コーナーが
医学の未来にあるべきビジョンを展示した病院が出来て、
医学基金の世界的賞が、
日本にも誕生するかもしれないね。
皇室には、博士号の取得の皇族が輝いていますから、
高度な科学の実績をご理解あそばされるという
民間への、聴く力、理解する力の大切さの
象徴にもなられるのは
歌会始の高貴な輝きが、
新年のひと時を
より特別な日として、
慶びの時間となっているからです。
********************
新幹線のイメージが、膨らみ過ぎて、
世界と北海道をつなげてしまいました。
何にしても、
正体の見えない空間に
ほとんど、、、
全財産を投げた
多くの人の願いは
個人の贅沢や、
消えてゆく使い方をしないで、。
回りまわって
次の時代の
「点灯樹」を育てるお金として
使われることを願っています。
正体は、、、永遠にわからないことが、、、わかるのですが、
之を契機に、
今まで知らなかった社会の仕組みの
サイトを検索するようになりました。
大学を卒業しても
わからない世界が、
こんなにあったのだと、
婆さんになってから、
歴史書を読むように
、感心して読んでいます。
世界は
地球という点の恵みの
エネルギー不滅の謎の惑星を親と思い
親を大切に
親の恵みを感謝しながら、
新幹線で、森羅万象をめぐり
心豊かになる方向へと
正体不明のお化けの皆さんも
生きとし生ける万物の絶妙な
連さと、ベクトルで
地球が「エネルギー不滅の星として」
ミドリに輝くか
「猿の惑星になるか、、、」
私は、見届けるすべもありませんが、、、
水爆や核戦争だけはやめましょう。
タコが自分の足を食べて
とうとうタコが食べられてしまったという
先人の笑い話にならないように
世界は円卓で共通項を認識してほしいものです。
**************
新幹線開通が、どんどん膨らんで
かってなおしゃべりになりましたが
之は70歳という
時代から遅れたかもしれない婆さんの
個人的な、希望です。地球を大切に!
新幹線で
緑の地球を走りましょう。
新幹線が走ったころ、
本州の親戚縁者に
この世の御挨拶周りでもできたら、
十分な幸せかもしれません。