花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

男、女,、そして第3の性

2021-11-29 16:19:17 | Weblog

物事の分類について、

科学的根拠も無く『、、、分類する時』と

有る時間的な領域内で、

感情だけで分類する場合と

外見の形や、

バランス的な均等のとれている形態であるが

   感情的な感性だけで、分類する場合と

外見や形にこだわらないで

  機能的な部分で分類してゆく場合と

好むと好まざるとに関係なく

 用途によって分類する場合など

   地球上のあらゆるものは、、、分類が、記号化されて

  パソコンでは、条件になっている事の、

    約束されている数字の羅列を入力するだけで

   色々ん用途に応じた「サイト」にたどり着けるという

  URLが、分類の神様のように、

   目的のサイトにたどり着けて

      知りたいことを、的確に画面に出してくれるという,、、

                           令和の時代

   日本を「人間の人体に例えると!!」

      「パソコン」や「スマホ」を

         使いこなせる若者には、、、

                         大学レベルの回答が

              クリック一つで、引き出させるという

                すごい時代になったものですね。

 

             

理科系の大学を選択した友人たちの特徴は

   人体の構造から、、、例えて、

      漠然と分類すると

         ホルモンの働きは

             後日考えるとして

     今は、、、中枢として考えて

       交感神経と、、、副交感神経で考えようよ、、、

         そして、大きく分類してしまう。

      実際の問題に当面してから

     これは、、、どのホルモンの関係だとか

       内分泌系の子の臓器からの、、、

          この物質ではないだろうか、、、と。。

        参考書を捲ってから考えて分類するというような

       骨組み志向の分類で生きていこうとしているように見える。

 

      一方、、

       私の父は、外科医ではあったが

          東京大学の農学部にいきたかった人である。

         私が幼いころは

           大学に行かなくたって

            牧野博士は植物の分類では

           東大の先生も舌を巻いた、、、などと言って

         牧野博士の植物の分類の辞典を買ってくれた。

       人間の人体の仕組みから考えて

         外科医だった父も

             牧野博士の分類の仕方も

            交感神経と、副交感神経の様な分類に思える。

 

        その点、感染症の学者さんの分類の基本的な感性は

        人間の構造から考えると

          ホルモンや、内分泌の細部に至る物質の移動が

          原子のレベルで

             しかも、分子間の引き合う力や

          スピンの理論まで入り込んだ分類だから

         専門家同士の世界で、

           喧々諤々、、、

       学会で、さっきの新発見を報告しながら  

      途中で席を立って、、自分の実験室に帰って

       今聞いた理論を実験に取り入れるというような

           分類の究極は、、、見えないナノメーターの

        そのまた、、ナノの世界にまで

          理論で分類してゆく時代になっている。

 

        しかし、、、究極の技は

             女性が子供を産んで育てるという

          新しい命を産むという事である。

 

       鮭の細胞から「鮭のお刺身」が出来るという現在

         人工肉は実験室で出来る時代になったし

          人工ふ化も珍しくない時代である。

 

        しかし、女性の中の胎盤の出現は

           ホルモンの世界のなせる技かもしれない。

         男性と女性の、、究極の違いは

          ホルモンの動きを出来るのは

         ホルモンの役目の様な

         微細な体内のバランスを担当できる考えと

        一致擦り事で、、、ホルモンの分泌を動かせるという

       理屈を超えて、、、感情の世界が

          内分泌を左右しているとしたら、、、

         人間は、何も考えずに

             欲も忘れて

            大自然の流れに沿って

             無になるという

              坊さんの様な時間を過ごせば

             余計なホルモンが出なくて

              ストレスが無い時間が多くなり

      病気にならないのではないかな~~~???

        時々、、、全く,、非科学的な考えの中で

           動きを止めてしまう事が有る。

            

           男は神経で考え

           女はホルモンで考えるとしたら

            政治家の世界も、

             中枢神経の役割の巨人と

              脳の中からは

             ホルモンの役割の政治家を

              国会の中に派遣して

            日本の微細なバランスは

            男性より、、女性が、、、

           人体でいえば、、、ホルモンの役割を

           女性は出来るかもしれないと思ったりしています。

       今日は、、、自分でも、、、何を言っているのか???

         わからなくなりました。

           おやすみなさい、、、

            もう、、4時50分ですけど、、

        これから寝ますね!!

 

         

        


雪の札幌、、、根雪となるか??

2021-11-27 11:07:03 | Weblog

おととい、25日に

    インフルエンザの予防注射してきました。

        バス停まで歩いて5分

          ハスで15分

            地下鉄で20分くらい

             地下街歩いて札幌のJR駅まで12分

                  JRで病院の駅まで15分ぐらい

   もたもた歩くせいかもしれませんが

    駅から病院まで10分

       

                                              コロナが、、

                                                               まだ

                                                                      ゼロとは言えない,,,,,,,,,,,,,,地下鉄で

 

             緊張気味に、、ジョイントの空間に立っていた。

 

           12時25分と、45分の2本しか来ない

              、、、coronaバス時刻表

 

             予想外の、、長い月日

                   御茶の間の住人だった自分に

                 

            世間からは蚊帳の外になりつつあることを感じながら

          感染症の、、、感染源になるのだけは

                      避けなければ、、、と、気合が入る。

 

           例年の事ながら、、、

 

               此処の病院の注射は痛くはない!!≪^^👆

 

               全然痛くない!!!

 

                 26号の針を使ってくれている!!

 

               患者さんの気が付かない、、、プロの領域の配慮に感謝している。

             だから、、、バス、、、地下鉄、、電車、、JR 

                乗り継いでも、、、予防注射はここにお願いしている。

 

                   ありがたいことに

               札幌市は、インフルエンザの援助金が出ているので

               1400円で済ませられた。

 

              これで、、、万一の、、、万一、、、

                 感染しても、、、重症にならない、、、はずである。

                  医療崩壊の、、病院に

                            ならないで済みそうだ。

 

             予防注射の、、、副作用で、、、

                   どうのこうのなるくらいなら

                  本物のcoronaが入ってくると、、、

                        それどころでは済まない!!

 

                    まして、、予防注射をしないで

                      「感染源」になったときのことを考えると

 

                         これは、、、社会的な大人として

                     私は、、個人的には、、、

              やらねばならない仕事の一つとして

            受け止めている。

 

                インフルエンザと、coronaと

                  同時に感染は、、、したくないし

                     (^0^) 👆

              

 

            帰りは、どこにも立ち寄らず、、、

               自宅に帰宅予定であったが

                最後の駅で、、、

                消毒液の充てん用の大袋を3個買った。

 

              駅のパン屋さんで「イギリスパンを3斤」

 

              これで、、、2~3日、、、ごろごろしてれば

                 特別の副作用は無い筈が、

               長い年月の自己のインフルデーターであるから。

               夜はパン食にして、、、久しぶりに爆睡した。

 

                   翌日、、、つまり昨日の26日!!

                   50年連れ添った庭木たちが

                   、、、話しかけてくる。

 

               「母さん、、、今年も、雪囲いの滑り込みだね!、、

                   僕の枝が、、、私たちの花芽が折れないように

                      もう少しだから、、、

                    頑張って、、雪囲い仕上げてネ!

                 明日は雪が来るよ!!、、」

                 

       「火山灰土に、黒土を客土しただけの庭」

              春には

             花の咲いてくっれる愛する木々は、

                苗から植えたものが多いだけに

                  我が子とともに育てた

 

                   娘たちと同様である

             勝手気ままに、伸びた枝を、剪定するだけで

                後は雪囲いをするだけで

                  真っ四角な箱の様な

                    無味乾燥の事務所の様な我が家は

                       どうにか、、、家に観えて柔らかさが出てくる。

                      

                  火山灰地のこのあたりには

                    周りに「休火山」が点在する。

 

               何かの時は,、、火山の退避壕にとって代わるのではと

               家らしくない、、真っ四角で、、収納庫も無い

                   天井の低い、、、

                      家にした。

       

            開放的で、、縁側の有る,キリズマの家が、理想ですよね。

                  北海道では、、落雪の事を考えると 

 

                    四角な屋根で耐雪に良い家

 

                      という事になるのですよね、、、。

 

                  77歳から、、、

                何年生きれるのか解りません。

                             

                 でも、今日、、生きているのだから

                  今日はセイイパイの動きをして

 

                   明日が来ることを信じて

                    今日の為に生きる。

                   

          今、、、の連続が、、、生きることになっているよです。

           「明日は明日の風が吹く、、、」

                コロナの事は、正しく怖がり

                 これからの冬に向かって

                マスクは大切だと思っています。

                手洗いも、換気も、、消毒清掃も

                習慣として、観に着いたと思うから

           

             クリスマス、、、正月の、、、

                   3蜜に気を付けて、

                 道外から、、、「大6波corona感染」を

                避けることが、、、今年の締めくくりと

              来年の経済復興の為の

              コロナ対策には、、、欠かせませんよね。

 

                 これから、、、寝ます

                   ゆったりと、、休みます、、、

                  寝ている間に「体内の免疫を育てられるように!」念じながら。

 

                

         

               


旭川生まれの登山家、元気を戴いた2021年

2021-11-24 07:38:51 | Weblog

とうとう、、、札幌市にも、、、冬将軍がやって来た。

  昭和44年、、6月、、、

     北海道から来た大学の同級生が

        そうとう、、勉強は出来た方であったと思われる

           北海道は道北のエリート女学校から

             入学してきた。

   生徒も多いし、、、附属からの生徒のエスカレーター組も多い総合大学は

     東京の、半端ではないお金持ちの坊ちゃん譲ちゃんが結構素敵だった。

      駐車場は、先生方の車より

         親父さんのセカンドカーを乗りこなしている生徒の車の方が

            いよ~~~!!すごいなーー

               トヨタのスポーツカージャン??

           あちらのは、、、ポルシェ、、、だよね、、、

 

    駐車場の車は、、、まるで、お金で造った山脈のように

       私立の総合大学には、、、

      経済面でも、、、玉石混合の教養時代の学生模様だったことを思い出す。

 

   下町の都立高校で

      府立第七高女としての創立の高校には

         蓼科山に、山の寮があった。

           蓼科山の山頂にたどり着くのには

              山頂直下は、、岩又岩の、、、ごろごろのロックが続く

      山頂にたどり着くと、、、ほかの山の山頂と違う!!!

           ひろ~~~~~い!!

             見渡す限り、山山山、、、

                木の生えていない蓼科山は

                   日本中の山が見えたような

                     爽快感で、、、小さなストレスは、、吹っ飛んでしまう。

 

   小学校6年の時、、、疎開先の和歌山から、、、

       父の生まれ故郷の故郷、、、父が命をかけて

          子供たちに残せるのは、、、戦後の東京での教育だと

             まるで,、、鮭が命をかけて、、故郷の川に帰るように

    戦場からの帰還組だった父と、母方の、、、一文無しになった戦後の親戚を引き取って

        東京に、、、40をすぎてから、、、

     初めての開業をしたことを思い出すのです。

    東京帰還、、とは言っても、

      父が遊び場として、、かくれんぼをしたという、、毘沙門天も

     大好きだったという、、神宮も、新宿御苑も、、椿山荘も 

   母校だという早稲田中学も、、、

     小学校の私には、、、遠すぎて、、まるで幻のように

        引っ越してきた下町は、、、ドブだらけだった。

          夏は「蚊」が多くて、、、東京なのに「蚊帳が必要な夏」だった。

   父は、子供から観ても、、、いつも都会人で

      母は、日本女性としては

          男尊女卑を無関係に生きた、、、国立音楽大学を卒業した後

       東京都の女学校の音楽教師をしながら

     生徒たちをNHKの、、、音楽コンクールで優勝させて

        職員室では「御茶汲みの、強要される女子教員の苦痛から

                脱出一番の、、、女性群のリーダーになったという

                  強いし,、主観が強い、、、

            当時の女性の軍団には居ないタイプだった。

   子育ても、、母という、、、トップダウン式暗黙の指揮権が有った。

    戦後の、、、オール日本貧乏時代に

      東京の下町も、、、舟に住んでる人や

        そこらじゅうの廃材で,、、建てた手製の家が

           コンクールのように、、、立ち並び、、、

              戦後の貧困の中

           生きようとする、、、男親のたくましさ!!

           女親の、、なりふり構わぬ、、、食料調達の交流は

           大学教育とは違う、、、

        根っこの部分の、、、貧乏な戦後を観て

      父が、、学徒兵から帰還できた実弟が、、、

     28歳から、、早稲田の理工学部に入学しなおしを

     帰還したばかりの東京の開業医院の自宅部分の

       一番いい部屋に住んでもらって

        生き残り組の長男の家庭教師として指導してもらい

           電車の中で知り合ったという

             学芸大学での女性教師と結婚するのを

               実兄の父が、全て引き受けて

             叔父さん夫婦がもう一部屋、、、一番いい部屋を

            叔父さんお嫁さん衣あたる,、、新しく親族になったおばさが使う事になった。

         おばさんは、、我が家の開業する下町から、

        バスで140円の位地の小学校に勤めていた。

       関西の兵庫県の出身で

      モダンな、、超美人の、、、女先生は

     自分の力で自家用車を買って、、、車で通うという、、、母も顔負けの

      自己中だった。

        まもなく、、、日大の理工学部を中退して、学徒出陣から

          運よく帰還した母方の親戚を

              家族6人が全員、、、居候として

                開業部分の裏の敷地に

                 これからの為にと増設した入院病棟に住むようになった。

        叔父さんの長女は、、

           嵯峨美智子さんという女優さんと

              「上戸彩ちゃんの、、、超可愛さ」を

            混ぜて、、、色を日焼けさせたような。。

              前田美波里さんの様な雰囲気もある、、、魅力のある女性だった。

           我が家は開業の仕事用のポストと

              自宅用のポストは

                それぞれ、、表札をつけて、分けてあったんですが

           叔父さんの長女へのラブレターや葉書が毎日入っていて

         彼女は、ますます美しくなっていきました。

       父も母も、、実の子の私なんかには、、、興味を示してくれなくて

      伯父さんの家の子供なのに

     我が子以上に、力を注いだ。

       彼女はイラスト画もプロ並みだった。

         公立高校に通う私の制服は

           母にとっても、叔父さんの長女にとっても

            修道女のように、、、路傍の石に接する生臭人間に似てきた。

 

           音楽大学を卒業して、明治生まれなのに

             ラケットを抱えた写真や

               ワンピーススタイルの水着の時代に

                   海で遊ぶ母の写真を観るにつけ

              湘南族は、、、この人たちの感性が、、

     、進化して生まれたのかもしれない、、、などと思い

     

    慎太郎さんの本を読んだり、、、

    裕次郎さんの、、新しい時代の新しい若者文化を理解したくて

   日活の映画や、洋画が変わるたびに

      飯田橋の100円映画館に通っていた。

     ジョンウエインや、ウエストサイド物語や、、、眼下の敵

          十戒、、、なども、、今も忘れない映画ですね

      チャールトンヘストンの素敵さ

        眼下の敵の,「クルト ュルゲンス」、、、ブルー目に、、しびれましたね!!

      吉永小百合の「キューポラ」のある町、、だったかしら???

      東寺の戦後の街が、、特に下町の若者の様子が解る映画でしたね。

     音羽信子の「ドブ」

      長門博之の「豚」、、、

       観に行ったわけではないが

         3本建て100円の映画館は

            観たい映画のほかに、、、当時、ヌーベルバーグという

       脱ぎ脱ぎムードの、、、映画も抱き合わせに有りましたが、、、

      奥手だったのか、、、田舎っぺだったのか?

       夜にかかる3本目は、、、自宅に帰って、明日の宿題をする時間だった。

     あの時、、、勉強より、、、3本目を観ていたら

      伯父さんの長女のように

         妖艶になれたと、、、思う???

          私の場合、、、まず、、、ダメでしょうね、、、(^^?

     生まれながらに、、、初めて観たのが5歳の時の高野山の

      女性が登れない坂道!!

        お爺ちゃんが、手を引いて、そこを通してくれて

         競書会に通った、、、幼いひよこは

           初めて教えられたのは、、、

             女性の美しさや、、魅力や、、、妖艶さからは、、、ほど遠い

         「 西暦1000年になる前の、、、宝亀院の、、」

 

           、雪舟の書いた襖絵だったのです。

         

       お爺ちゃんは、、、墨一色の山の絵を

                  星座で見上げながら

                      目をつぶると,、、

             御爺さんは、、、この絵の中に居るようだと

                私の事を忘れていたように

                   その絵の前を離れなかった。

            ひよこの時、、、出逢った人が、、、永遠の親だというのは

          人間の子供の感性にも、言えるKとかも知れません。

 

       フィギャ―の「真央ちゃん」の

           挑戦する美しさは、、、氷の上の無重力が故に出来る

                 一瞬の美しいポーズが

               私にとって、「真央ちゃん」という

             娘の様な親しさを美しさの瞬間として

           特別な選手になっている。

 

        最近のジュニアのフィギヤにも

         「真央ちゃん」のジュニアが出現してるね。

            私の中の美意識は

               初めて感動した「一瞬の美しさ」が

                  フィギャ―のフアンになってしまっている。

            トリのオリンピックの、、、ただ一人の金メダルの     

              「イナバウアー」の女性!!

                 あの時の歌手、、、

               誰も寝てはいけない、、、

 

               そして、、、羽生さんが出現して

              無重力状態のバレーの様な体操であるのかもしれないが

              動きが連続して、加速度や遠心力の使い方が

                 魂のクラシックの旋律に乗る羽生さんの、、、

                立体と、平面と、、感性と、、、音楽という一瞬尾芸術を

               瞬間い捉えて、、、一瞬の5次元空間の一瞬い魅せる美しさの連続が

              ジュニアの少女たちには、、、ヒヨコが親の姿をまねて

                 いきなり飛べるように、、、いきなり、、、餌をとれるように

              自然の中で、、まるで、、遺伝子の継承のように

                  羽生さんや、真央ちゃんの努力の結晶が

                   生まれながらに、、、そこから飛んでるような

                    ジュニアのフギヤーコンクールを観ていて

                  音楽の「音質の工夫が気になる程」

                     一生懸命観ている、、御茶の間の婆ちゃんでして。

             いよいよ何の話をしていたのか、、、解らなくなりましたが

            やっぱり、、、冬の初雪を前に

              心の支えになるのは

               これから、、、雪の冠を光らせる

                   札幌から見える山の

                     私を丸ごと吸い込んでしまう、、美しさ

               NHK de、、、田中君と、、、御茶の間で登った日本の山々

                「とうちゃこ!」で 、主役の日本緒皆の心の風景を

                  自転車目線で、、、走る、、、正平さんの

                     家庭料理に近い、、、美味しいくつろぎの昼食に

                   世の中の、、金持ちは無関係の、、、宝物を感じながら

                    「いいな~~~」

                 「若くなって、、、登山や、、、自転車で、、走りたい~~~!」

                原野に座って、、、弁当、、たべた^^い!」

                  貧ねで言いたい放題の正平は

                   バンダナのように、、、景色もムードも、、画面の一部のように

                 心に来る、、、一言が、、、脇役のナレーターに見えて

                    やっぱし、、、正平さんが、、、意識はしないが、、主役だと

                      名わき役だった、、、自然の芸が、、、    

                         誰も真似が出来ない、、、人の心を捉えてしまうよね。

                  ホント、、、貴重なニュースを観ていても、、、

                        「とうちゃこ!,、、だ!」

                    画面もてしまうものね、、、

                       バンダナと、、正平さんの、、、不思議な自然態が

                      画面を引き締めている、、、一輪の野草のようだものね、、、

                       観方によっては、、、正平さんが、、、野の花。。。かも知れませんね。

               だらだらと、、、思いつくまま書いていましたが、、、

                  今日の日記に、、、札幌の近くの山を、、、ご紹介しますね。

 

        冬よ、、、雪の冠を、、、札幌近郊の山に、、、美しく、、冬の勝利者として与えよ!!

                      手稲山、、、1024~~1023~~??あたりの高さです。

                     ちいさな、、、三角山、、、311メートル前後です

                    阿部山、、、700メートル以上は有ります。

                  大倉山、、、スキージャンプで世界の人が知っているよ!!

                 コロナ沈滞後は、、、一度は観ておけば、、、

                トリの様な少女が、、、見えるよ!!

 

                     300メートル以上は有るよ、、

               新井山、、185メートルと、、聞いたことがあるけど、、自分で調べてみてね。

                ここら辺は、、、山菜もありそうだけどね、、

             奥三角山、、というのもあるよ、、、300メートルから400メートルの間ぐらいの高さだよね

           円山、、、226メートルって、、聞いたことがあるが。。正確には知りません。

         この界隈は、、、すそ野には、、札幌ではお金持ちと言われる

                    指導者タイプの公人や、、病院経営の院長クラスとか、、

                  我が家の様な、、、大学に50歳近くまでいて

                   子供が私立に入って、、、慌てて民間病院立ち上げに粉骨砕身し

                家には週末にければようという

                  勤務医で、、、医師をすることの生涯、、意外考えない

                          勤務医が、、住めるとすれば、、、

                         親がお金持ちだった場合だけかもしれない、、、というような

                      札幌では「エリートの金持ち邸宅が、、目立つかも、、・・??」

 

               我が家は何処かって?

                    次男と次女の、、、家から出るしかない組み合わせの夫婦が

                      35年のローンが終ったのが70歳で

                       住み始めたのは、、、丸山と真逆の羊が丘の傍の

                         タケノコ山を造成した

                           何にもないように見える、、、建売団地の一角ですが

              なんと、、「焼山」という名の、、、 

                 ハイキングコースの丘が有るんですよね!!

                        祖のすそ野には

                       水源地という、、人工らしい??池が有り

                    北大の研究林とか、、、奥の方は演習林や

                       巨大な、、「市民墓地が有ります。」

                     道路隔てて、、国有林らしい整備された

                  巨大な滝野国立公園は、、、親子のレクレーションとして

                    夏の遊び場ですが、、、

                 最近クマが出て、、、閉鎖の時期もありました。

               神威岳という983メートルと聞いている、、、が、、詳しくは知りません。

 

                ソノ山に向かってゆく途中には

                  百松沢山1038メートル前後

                   百松沢南峰1000メートル以上ありますよね。

                  地元の叔父さんが言うには

                    1043メートルあるんだ、、、とのことですが??

                       正確には知りません。

                   鳥帽子岳(エボウシダケ)という

                          警察の電話番号みたいな高さの山が有りますよね

                             1110メートルらしいですよ??

                         ホントかな?、、、ギャグでからかわれてるのと違う??

 

                   そして、、、神様の居る「神威岳」の山頂は雪!!

                     その向こうは、、

                        幌見峠、、の小高い峠、、、300メートルは、、なさそうです。

                    

         

       

       コロナ、、coronaで、、、暇のない大学の先生方も

          筋肉がなえないようにと

               休日は、、眠いのを押し切って、

                医療は、体力勝負だからと、、

                   一日の運動に、、使っているのが

                 藻岩山という、、、札幌のシンボルの山です!!

 

                     たったの、、、530メートル前後の山です

 

               クマもヘビも、、キツネも鹿も、、、虫さんも、、、

                 人間と共存しているのか???

                登山道路には、、、不思議とクマには敬遠しているのか?

               時間差出勤しているのか?

                出会いません。

 

                 もう、、、20年以上、、会っても居ないし、、連絡もしていませんが

               甥っ子が、、大学進学で、、、躓きそうになったとき

                一緒に、藻岩山頂まで連れて行って

                        私はそっとそばを離れた。

 

                     周りの低い山頂を観て

                   夜景を観て

                  札幌の「

                 「宝石の様な夜景の光」に、

                        吸い込まれていた。」

 

                 大學や仕事にこだわらなくても、、、

                       ここから見える街の光の中に

                          医師の家の光なんて、、、探せないぐらい

                        皆頑張って、、

                   「一隅を照らしているじゃないか?」

 

                      「 医師になるのをためらうのなら、、

                          ホカノ仕事見つければ?」、、、

 

                  彼は「ウン、、、!」と言って

 

                    魚の死んだような眼をして

                      悩んだ挙句の、、行き絶え絶えで

                         我が家に逗留したことがあった。

 

                「何も、、、医師になる過程で

                       解剖学の実習で、、、ストップした彼は、、

                           本当に、、退学してしまうのかと、、、思った。」

 

                   藻岩山の山頂と、夜景と、

                     翌日は、、、水源地を一日歩き回って

 

                       鳥の声、、、

                          「アカゲらの空中デート、、、!」

 

                 子供達の仕掛けた、、、「はちみつスイカ」に群がる、、

                         クワガタ、、、

 

                      食虫植物に集まる、、、蝶々!

                    観た事の無い、、、シジミチョウ、、、

                         

                       水路でつかみ取った、、ヤツメウナギ、、、

 

                    「こんなかわいい生き物も、、、獣も、、人間も

                      生きとし生ける物を、、、殺して喰う人間が

                       人間だけは助けようとする、、、と

                  人間は解剖して、、、人体を知ろうとする。」

 

                 「人間は、人間を切り刻んで、、、医学を習うのは、、悪魔では無い!」

                       人間の究極のエゴかも知れないが

                          生きるって、、、神と悪魔の同居かもしれない!」

 

                  「君の父さんも、、君が思っているほど強くない!!」

                      医学部の時に、、解剖学のあと、、、

                        ショック状態だった。」

                  「失恋状態よりひどかった、、、よ。」

                 そのうち慣れっこになって、、、

                     解剖室で、、昼休みに、、、パン食べられるように、、、なったとか、、?」

 

   山野を歩きながら、、、「いやならやめてしまって、、家に帰らなければいいじゃないか、、、」

                  自分に合った仕事を探せばよい、、、と

                「自分の子供じゃないから、、、正しいことを言えた。」

 

                     正しいことを言うのは誰でもいえるようで

                      突き放すわけだから、、、両刃の剣であるとは、、解っていた。

                  同情して、、彼の弱い所の目撃者になるよりは

                   鬼の様な、、冷たい、、

                   人の感情の解らないおばさんであることを選んだ。

              「 あんたが医師になろうが、、ほかの仕事人になろうが

                    あんたの世界の事は、、、あんたが決めればよい!

                     それより、、ラーメンおごってあげるから

                       札幌のラーメンの味、、、忘れるんでないよ!。」

                   ふと、、、藻岩山を観るたびに

                           彼を救ったのは、、、藻岩山の夜景だと思うのだ。

                

                      その後、彼は医師になって

                         女医さんと結婚したが

                   「おばさんの様な、、冷酷な事を言う人は

                      へ垂れた僕に、、さらに、、、ひどい事を言ったの

                           解っているのか!?」

                怒った電話がかかってきたが、、、その後彼とは何十年も、、会っていない。

                   結婚式には呼んではくれなかった。

 

         世間の人は、、ややもすると、、、

            医師を高給取りと間違って「

                  理解に苦しむようなTVドラマが放映されるが、、、

                    、、現実は

                医師の心を受け止められるのは

                     大自然のスケールが無いと無理でしょうね。

 

               それだけに、、、私は山信仰に似た畏敬の念を山々に感じます。

 

           藻岩山の右には、、

               砥石山という、、、藻岩山より300メートルぐらい高い山が有る

                     830メートル前後の山である。

                       その手前には

                 子育ての時、、しょっちゅう行っていた「スキー場のある山が有る!!」

                    盤渓という600メートル前後の山である。

                  初級者から、、中級者まで

                       色々のコースが有り

                    息子達はここで、、、野生のスキーヤーのなり

                       瘤周りをしないで

                      瘤の上を飛んで滑降する、、、野生のスキーヤのなったが。

               孫たちは、、一級とか,、2級とか

                   爺ちゃん婆ちゃんの

                        お年玉で、、、きちんとした             

                          クリスチャニア、、というのかな?

                     トニーザイラーの様な

                         くねくねと、、美しい恰好をして滑り降りるのだ。

                 昭和生まれの私たちの育児は、、、

                   親が、娘にまで手が回らないので

                       3人尾男兄弟の育児で、、、一杯だった時代である。

                  盤渓の山は600メートルという、、、手ごろな遊び場の山である。

                その後ろの、 

                割れ山、、、結構高い山である!!、、

                        800メートルは雄に越している。

                    

                 藻岩山を中心に、、、恵庭の方に向かうと

 

                豊平川が有る、、

                  この川には「鮭」が遡上してくる。

                    札幌という都会の真ん中で

                   鮭の遡上が見えるという、、、

                これぞ、、、札幌の宝物の一見の価値ありの風景だ!!

               真駒内の近くには

                鮭科学館の様な、、、子供らのため

                           父兄の為、、

                             観光客の為になる

                                 鮭専門の科学館がりますよ~~~!

               季節になれば、子供達が

                  鮭の卵に白子を絞って有精卵にする実際が観れることもあるそうですよ!!。

              軍艦岬、、豊平川、、そして、、、恵庭岳!!

                   恵庭岳は、、、結構高い山で、、、すぐに見分けがつく!!

                1320メートル前後の三角の山である。

               その隣に、、、孫子の様な小さな山が有る。

 

                    「島松山」

                        という名前だと、、、

                    地道の爺さん

                 目をあけているのか?

             寝ているのか?ワカラナイしぐさで教えてくれた。

 

                   たった、、、500メートルもなさそうな、、、山であるが、

               500メートルは有るだろうとも、、、

              思える山である。

      

           そして、、、車でまっすぐ、、樽前山の方向にハンドルをとると、、、

 

               「イチヤンコッぺヤマ」という

                    アイヌサンの言葉なのだろうね、、、?

                    1103メートルと、、、どっかに書いてあった。

                    

  そしてづーと遠くに山頂だけが

         やっと見えるのが、、、

               風不死岳!!!

                 スゴイ強そうな名前だね!!

                            そして、、、

               全国の人が知っている,、、、、、かの有名な

 

                樽前山、、、1050メートル前後の山だよね!!!

 

           一目見て解るよ!!

                特徴なある山だから、、、

                   その前に池の様な、、、湖が有って

                       息子達は小学校の時

                        水浸しになって遊んだよ。

             その帰り道、、、

                  有珠山が爆発して、、、車の前は火山映えだらけになって

                  ワイパーの扇形の窓から車道を観乍ら

                   一目散に、札幌めがけて、、、帰路を急ぎ、、、

                      命あっての、、、山だよりですよね。

 

            北海道は、、、いつ爆発しても、、、おかしくないという

                    活火山が、、あちこちにあるから、、、

                    温泉だって、、すごいよね!!!

                        いつだったか、、、女満別から

                             鶴雅というホテルに行ったことがある。

                   息子が、大学生の時、

                         北海道には、、もう、、けれない年月が続くだろうと思い

                知床や,、、トドワラ、、、アイヌコタンの阿寒湖に連れて行った。

                 本州に住んでも、、、北海道の子の自然を、、思い出してね!!

                    息子と知床を歩きながら、、、

             一番大切にしていた、、、思いでの白い帽子を

                             風に持って行かれた、

 

                       北海道の山は

                     田中君という、、、山のプロフェショナル、、、を産んだのが解る!!

            山又山の続く紀伊半島の山を知っている、、、13歳までの私の記憶は

                    南紀の山、、奈良の山、、、観えの山は

                     なんと、、、海の底だったのではないかと思う、、

                        それに比べて、、、北海道の山は

                           青年を観ている様な

                             火山の匂いがする。

 

 

 

           山の誕生から、青年期、、壮年期、、、そして大自然の呼吸を観たければ

                  洞爺湖の界隈の「ホテル、、とか、、、丘の上から

                あたりを見渡せば、、、山の誕生から、、、青年期の地球が見えるよ!!

                  なんせ、、、世界でも稀有な山!!!

                    昭和新山が有る所から、、、火山が作った先輩の山や湖が

                   タモリさんもびっくりの,、、見渡す限り、、

                     違くしたくなりますよ!!、、、

                   大学時代の教職で、、地学を専攻したときに

                     山や,、、岩石や、、地球のメッセージが、、、見えるようになってから、、

                  ヒトの手の加わった「宝石が、、、石ころに見えて、、

                          岩山や、、湖が、、、地球の胎動に思えて

                            岩山が、、愛おしくなってしまった

                         変態になった、、花鳥風月の、、、ブロガーです。

                      友だちが出来ないわけだよね、、、!!

                         旦那と子供と孫が、、居るから

                          北海道の自然がすごいと思えて、、

                              東京に帰る時期を逸してしまった

                            居間しかない、、、婆ちゃんの

                               北海道の、山のおしゃべりでした。

サロマ湖畔南紀の一枚岩比べて鑑賞!!北海道の山々

                

                   


北海道は山叫ぶ 木枯らしの季節

2021-11-21 09:16:38 | Weblog

家の周りは、、枯葉舞う

   冬がきたぞ~~~!

     伝令の葉書が、空中を舞い乍ら

        木枯らしが叫びながら通り抜けた。

 

空一面が

  絹のカーテン

       カーテンを 

          静かに地面に落としてみよう

     真っ青な空が

       透き通る快晴の秋が

         去りがたくて

           立ち止まっているようだね。

 

空のカーテンは  今年はもう

     雪空になってしまうのだろう、、、ね。

        この2年間で

           足腰が10年はやく弱くなった気がする。

 

     病気と闘いつづけた医師という職業の人たちは

         孤独を孤独と感じる暇のない人たちなのかもしれない。

 

 命を左右する時には   時間が飛ぶ。

    この2年間は昨日の事だったように、、、時が飛んだ。

       、オリンピックやパラリンピックが

           毎日毎日

          感動の世界に連れて行ってくれたから

   心は置き去りにならないで、、、大きな深呼吸とともに

      冬の支度にとりかかれた。

  大谷選手が、、、「満場一致でMVP,,,!!]

     一郎さんの偉業を、、、さらに完成させた、、、すごさ!!!

 

     頑張る人が居るから

       疲弊した心が

          自分だって、、、へ垂れては居られない、、、と

            部屋の中で

              階段をあがったり、、、降りたり、、、

 

    リックを背負って、冬のための,、、しょうゆ2本

         雪かきに備えて、、ポカリスエットと

               アクエリアスを買っておく

           これに主人用の牛乳が2本

             500、500 500  500、、これだけの物で

      リュックのフウテイは2キロ!

         じゃが芋  里芋、、ブロッコリー 人参

         なすび、 しし唐の代わりに,、、ピーマン

          豆腐、、ガンモドキ  豚小間パック

            食パン、、、御団子、、、

           リュックに入りきらないで、、、

          両手もふさがる袋詰めを持って

             15分歩く。

 

         買い物の肉体労働と

          冬の雪かき

            秋の雪囲い、、、

         結構な重労働と、、、恒例の食事に弁当、、、

          女性の永久就職先は

         体力勝負である。

          なかば強制的な労働が

           77歳の婆ちゃんの健康を守ってくれている。

 

          少将膝が痛いからと、、、休んでしまうと

          周りの筋肉が落ちると、、、下手をすると

            杖が居るようになると思うと

           支持パネルに入った膝あてを

             シップの上からして

            モンペをはいて、、、その上から

             普通の膝supporterをして

           冬支度は、、、7分どうり、、、何とかなった。

 

         部屋に戻ると、、、お相撲さんが勢ぞろいして

           土俵に上がるのが始まった。

 

           お相撲さんは独特の体型で、丁髷も

 

              化粧まわしも

            男の華が有って

          TVで、、、こんな豪華な化粧まわしと

               それが似合う若集を

                土俵の上で観れるなんて、、、

             見とれたね~~~

 

             婆ちゃんの時代は、栃若時代だったから

             しかも、、、東京の実家は

               栃錦の家の裏だったから

               相撲熱は、、、すごかったよ!!!

 

           栃錦は史も小岩小学校が焼けた時

           時の人気力士を総勢で

           小学校の運動場に土俵をつくり

           そこで場所を観ている様な豪華メンバーで

           相撲を小学生はじめ,、、若きも年寄りも

             国技館のように、、、見物に取り囲まれて

 

            小学校の建てなおしに大きな力を動員したこともあり

           東京の江戸川区、、、小岩駅には

             長い間,、、栃錦の銅像が有ったんだよね。

           栃若時代のお相撲さんは

             強いだけではなくて

              戦後の貧しい

             昭和30年前後の、、、希望の星だったんだよね、、、

 

           今日でいえば、、、一郎さんや、大谷選手の様な

             別格の人気があったんだよね!!

              若乃花は、、肩の筋肉が2重になっていて

             一億総貧乏な日本の戦後の立身出世の星だったんだよね!!

           弟さんの貴乃花はハンサムでしたね。

            小学校の校庭では

            若秩父という、、、ちゃんこ型の大きな力士の

            塩で清めるその姿が

              塩の雨の中に居るようで

             皆掛け声が出てしまうほど

            ど派手なパフォーマンスで、、、

             小学生は、クレヨンで、、、塩撒きの絵を描いていたよね。

           朝潮は、、、もみあげが長くって、、、毛深くて

            エキゾチックな魅力が在る力士でしたよ、、、

            足が弱かったような、、、気がするよね。

           とっておきの、、、お相撲さんは

            オオダチ、、、という、、、巨大力士!!

              すご~~~~い

             大きな㋐相撲さんだった。

 

           この頃の前後して、、、

       「悲劇の横綱」と言われて、、、

            横綱になってからは

               なかなか優勝が遠のいたお相撲さんでしたが

            錦絵にしたいような

              美しい、、、本当に、、、絵の様な

             美しいお相撲さんでしたよ。

 

          その後、、、騎馬民族の野生の猛獣の様な素質に恵まれた

         モンゴールのお相撲さんが出てきましたが、、、

          強すぎて、、、

          どこかで、、、独り勝ちの済もうかラ、、、

            少し離れていました。

         昼過ぎからは,、、

        マラソンで知る人ぞ知る

          増田明美さんの声が聞こえたので

     思わず、、詳しすぎる、、、独特のナレーションに

        時々、、、笑いがこみ上げながらも、、

           よく、、こんなに、、、選手の素描画みたいに

             うまく人物を想像させるな~~と

          感心しながら、、、   

        世界制覇の車いすマラソンの「マルセル、フグ」選手と

        まるで、、一番2番のセットのように

          二人いるから、、、手に汗握りながら、、、やっぱし

          一番、2番の、、順番は変わらない

           スズキ朋樹選手の、、、付帯居るから面白い走行を

          握りこぶしで、、、それゆけ、、、鈴木、、、声を挙げ乍ら

         観ていた。最後は、、、マルセル、フグ選手が、、

          自分の公式ではなかったけれど「世界記録」のタイムを上回り

        1時17分47秒にてゴールイン

         1時18分37秒に、、、2位の鈴木選手がゴールイン!!

         車いすマラソンと言っても

           こういう足が車いすで出来ている様な一体感のある

        全体の美しい一体感のある、レースは

          魅力がスゴイ。

          走っている姿も、、、美しい、、、

           素晴らしいマラソンを魅せていただいた。

 

        コロナで2年間閉じ籠っている

          疲弊しそうな心が、、、すごい勢いで立ち直ってゆく。

 

       膝が痛いの、、階段が辛いの、、、

      立ち仕事の時、、、椅子の出にお尻をのっけて

       左足だけで、、、早朝の弁当をつくっている自分が

         、、、なんて、、、私は、、、気合が足りないのだろう、、、

         なんて、、、、自分はへげたれなんだろうと、、、

          車いすマラソンの後は、、、

         庭に出て、、、残った雪囲いをすることで

            負けちゃー居られない、、、と

            コロナで、、散歩不足でなまった足なのか?

         ワクチンの、、、運悪く右足筋肉痛なのか??

          どっちゃでもいい!!

           明日からは、、、泣き言言わずに

          足に筋肉付けて、、、筋肉を松葉づえ代わりにしてやると!!

         鍛え治すことにしました。

          コロナの2年間、、、

           オリンピックと、、、パラリンピック、、、

          今日は車いすマラソンに

           増田節、、~~~心から楽しく仕事から上がると

          豪か絢爛、、、豪華絢爛、、、不安の応援お心が伝わり

          国技の相撲が、、、いち早く、、、復活してきたのを観ていて

          これからも

         コロナは、、、正しく怖がり

            マスク、手洗い、、三密を避けて

            大声の応援の代わりに、、、万雷の拍手で

            相撲は、、、観客が有っての,、、華ある若者の

             国技だと思った、

           ホテルの割引券も良いけど、、、

          相撲見物の割引券が有れば、、、

            若者のフアンは、、、入りすぎるほど

             観に来るかもしれませんね。

       札幌は、、、特定の、、、老人の多い環境では

        医師以外のスタッフの、使い捨てマスクや

          使い捨てビニール割烹着とか

         プロの医師が少ない状況の病院では

           医師があらゆる部署に

             コロナを正しく怖がるように

            患者さん衣触ったときは、、、毎回手洗いするとか

          ムダになっても良いから、、、

          使い捨てビニール割烹着や、マスクを配布しないと

         、、、coronaのピークが去ったという

          無意識の手抜きが、、、

          手すり磨きを簡単に済ませたり

           トイレの便座磨きを、、大の後は裏側もシュシュして

          次の人の使用の跳ね返り水に、、、金が含まれないように

           水洗の水にも次亜塩素酸をシュシュ、、とか

           こまめな、、、corona対策で

           職員のクラスターは、、、かなり防げるのではなかろうか??

          若き日に、、病院薬局に勤務していた時は

           早朝、、、病院が開く前に

            ワゴンに,、ヒビテン液や、アルコール70パーセント液や

           清掃用の不折布を配布していて

          けっこう、、、クタクタになった日々を思い出し、

 

           今は、、我が家の各部屋に

            市販の消毒液を買って来て配置し、

            滅菌用不折布も、、切らさないようにして

            新聞の入る玄関には早朝ファブリーズを撒いて

           1時間後に、、、

    新聞も、チラシも読んでいる、、神経質すぎる、、、

        過ぎたるは及ばざるごとし、、、すれすれの、、、

           毎日を、続け乍ら、、、

           いつしか習慣になってしまって、、、

            もうそろそろ、、、そこまでしなくても、、、と

           思いがちであるが、、、

             習慣というのは、、、筋肉が覚えていて、、、

            無意識に、、、やってしまっているという

              2年間の、、、筋肉への刷り込みは

               仮に、、、痴呆になっても

                手足が、、勝手に滅菌運動しているKもしれないね。

          歳をとるほどに、、、滅菌婆さんという

         そんな婆さんになるつもりはないのですが、、、

         当分は、、、

     主人に、、、神経質すぎる婆さんが付きまとうでしょうね。

       玄関で、、靴に、、滅菌スプレーしている姿は、、

          いつか、、笑い話になってほしいですね。

     

 

    


枯葉舞う、、札幌の街

2021-11-20 06:59:57 | Weblog

先日NHKを観ていたら、、

   秋の日の

      ビオロンのため息の

          身にしみて

             ひたぶるに

                 、、、哀し、、、

   ちょっと聞き取れなかった部分もありますが

    若き日に読んだ詩集の中の

        記憶に残っている作品が報道されました。

 

     懐かしい、、、、手を止めて、、聴き惚れていました。

  そのあとですぐに、ナレーター~が言いました。

 

   これは、、、戦争の最中に

           仲間に知らせる暗号に使われました、、、と。

 

    ○○作戦の開始!、、、という

      進軍ラッパの代わりに

         全市民の愛する詩集からの作品を

              一般市民向けに放送されましたが

      ビオロンのため息は、、、攻撃開始の暗号だったと聞いて

 

     びっくりしました。

 

     

    板子一枚、、下地獄、、、

    戦時中に生れた私、、、77歳の婆ちゃんは

     愛唱していた、、、秋の日の、、、ビオロンのため息の、、、

       身にしみて、、、主婦という立場の

        蚊帳の外の感激が、、、

          愚かな自分であった、、、長き日を

            何事も無く生きることが出来たかのように

               明日が来ることを信じられる日本を

             信じて、、、

           これからも、、、重大な事も知らずに

          詩を口ずさみながら

         77年間の、、、、生き残れたことを

        感謝しか有りませんね。

               

          


大谷選手!!おめでとう!!!

2021-11-19 16:31:10 | Weblog

太陽が眩しいような気持ちです!!

    素晴らしいニュースです!!

 

        元気が一杯に、なりました。

       ごちゃごちゃ考える自分が

         場外ホームランで

             どっかにすっ飛ばされた気持ちです。

 

     スゴイね!!

      


対馬の原種の椿と、北海道の冬

2021-11-19 04:16:35 | Weblog

今年も、「対馬の原種の椿の木」を

  グラスウールの箱の鉢に植え替えて

      玄関に入れました。

 

    syokubutu

探索会で対馬の先生に、

          資料として、

            採取を

              許可された椿の花の木です。

     当時 

、単身赴任して地方に赴任していった主人が

     医者しかしないし、、、医者しか出来ない代わりに

        人様の心臓の穴あき部分を縫って

             真っ新な心臓と同じ循環を取り戻せるという

               手術の人生にまっしぐらだったこともあり

子供を引き取って、札幌に残りました。

   薬剤師として正職員の社員として

      復帰する人生になりましたが

        国家免許は、自分自身で責任をとらねばなりません。

  主人は居ないし、、、

    日大卒業の私には、守ってくれそうな先輩も見当たらなかった。

   日大に進学したとき、

     教授から言われたことを思い出した。

          薬剤師に成ったら、

             東大卒とか、、日大卒とは関係ないからね!

           出来ないと、自分で責任を取る仕事だから

         本人が、バリバリト、、、日大の施設を使って

       勉強して、実力で生きていってください。

 

     大学名を挙げれば、、、水戸黄門のように

       「コノ大学の稲の穂が見えないか!!?」

     三つ葉葵でなくても、、、東大のもんどころは有効な時代でした。

                             いいね、、学歴社会の特権を

          金屏風に出来る大學は、、、

               そんな、、けちな嫉妬は止めて

          金屏風に恥じない学問に捧げる

            本人も自覚しない

             天の檻に入った彼らの

            出来ない事を

          我々は、、、自由にやることに目覚めよう!!

       レベルさえ、、、

        恥ずかしくないラインに到達すれば

          新しい社会の、、、

                                         臨床部門のリーダーになるかもしれないという

                         自由な発想が許されているんだからね!!!

 

 

      日大は、玉石混合の、、、社会の縮図の様な

         各方面への実力が、

           プロ並みのキャラクターで

          学ぶことの多い

         社会の縮図の様な大学でした。

 

         自動車の運転一つにしても

           レーサーの免許を持っている人もいた。

            ヨットにも精通していた。

           水泳は、オリンピッククラスの選手が居た。

          体育の授業は、、、知る人ぞ知る

           あの体操の、、あん馬の

            遠藤先生でしたよね!!!

 

         運動、、どへたの私が

           日大に入学したおかげで

            体育の授業が

              遠藤先生から、、、指導の機会が有った!!

 

          これって、、、すごくない!!?

             私にとっては

         宝の持ち腐れの様な時間だったけれどね!!

 

                                               m(^^m(--!!

 

         日大には

      感謝しているので、、、77歳の今でも

          名簿には掲載されない

                                              外野に近い卒業生ですが

         後輩の応援の意味でも

        同窓生会費は納めさせていただき

       見知らぬ後輩の活躍が、掲載されている

                「桜薬誌」を捲っては

      世間でとやかく言われている問題が

        大学にとったら、、、

           生徒には関係ない部分で

             卒業生にバッシングが来るのは

            、、、残念です。

 

         世間では名門と言われる大学も

         数々合格しましたが

          戦後、身分の差にこだわらないで

          日本中から生徒が集まった

           玉石混合の大學こそ

          自主自立の、、、

             自分私大≪自分次第≫の良い大学だと

           私は自由奔放に

             大学内を利用させてくれて、

          免許を沢山取得させてくれた

            「生きるための武器」を下さった日大は

           感謝が先立ちますから、、、母校は

             良い面を観て、

          悪い面を観ないようにしています。

             

         当時、日大の医学部に在学していた兄は

              総合大学の良い面と

              厳しい面と

             掲示板を見ないと落第につながるシステムを

            私に教えてくれました。

              薬学部の私は、

              ドイツ語と、物理化学は

                医学部と同じ先生に習いました。

 

              科学は「ユバ先生」

          、、、通称生徒の間では「ユバちゃん」

 

        物理学は諏訪部先生。

            諏訪部先生は、授業中も

              生徒の名前を憶えているらしく

                私は、、、質問されて、居眠りが出来ませんでした。

 

         入学時は、皆顔が解らないのでという事で

          大學サイドの指名の幹事になり、

            先生と生徒の間の雑事の便利屋をしているとき

           諏訪部先生が、、、苦笑いしながらおっしゃられました。

 

     「君の兄さんは、

         研究者も顔負けの

            優秀な物理学者だよ、、、

                生徒だけれど、、、

          「僕が書いた教科書,、、治されちゃったよ、、、ホントだよ。」

        「兄貴はバカだから、、、そのような失礼なことをするんです。」

          「ゴメンナサイ!」

           ぺこんと頭を下げて、、急いで、先生を置き去りにして

             逃げてしまったことがありました。

       正しいことは正しいのかもしれないが、、、

         兄貴のしたことは、、、学生の身分を越しているので

           小さなことが気になっても

              自己満足の為に、先生に物申すのは

               卒業してからにしてほしいと思いました。

 

        私たちの期からは、独身を通した女子学生は

            社規貢献できた人が

            今でも、、ネットに功績が出てくるから

             日大というのは、、、実に、、玉石混合の大学でした。

         日大の板橋病院に通っていた兄貴のことが

           思い出されて、、、

             病院全体の一部分の職員の事で

              大学病院や、大学のイメージが

                損なわれるような記事が

             道新の3面記事に大きく出るたびに

            大学の名前をでかでかと出さなくても

          7万人?は居るかもしれない大学の

            卒業生は、、、

              130年間で、、、無茶苦茶多いと思いますよ。

         オリンピックで金メダル獲得して

         輝いている卒業生も居るし、、、

           社会の縮図の様な大学の中で

              起きてる事件は、、、大学の生徒には

             ダメージを与えないような、、

           報道の仕方は無い物なのでしょうかね???

 

       報道も過ぎると、、、

          未来の新芽を、、、摘んでしまう事にもなりますよ。

           新芽の学生は

            未来の日本を背負う年代の

              大切な若者達ですよね!!

 

          北海道は、大学数が少ないので

            日大の底力は、、、北海道にとっても

                  必要な時代が来ていると思います。

           大学の体質が、、、悪いのではなくて

            大きな大学なので、、、いろいろな事も

              社会の縮図として、、、怒りうるほど

            大学の経済面は、日本の経済効果の一部になっているほど

               大學は日本に貢献しているという事が

                 生徒数を考えただけでも

                スゴイ経済効果だと、、、思いました。

 

         学問することは、、人生の経験するたびに

             利息が増えるように

             大学教育を受けたものは

              日本を背負ってゆきます。

            国際的な、、、親善大使も顔負けの

             コミュニケーションを果たした卒業生も居ます。

 

          「日本」という名前を戴いている大学は

            世界とのつながりも深いわけですから、、、

          大学のイメージを下げるような連日の報道は

           、日本に対して、、、イメージ的損害を

               世界に吹聴するようになりますよね、、

             貢献した人の方が多いのですから、、、

            そろそろ、、日大のバッシングは

              全体が悪いわけではないことも

                道新さんは、、、書いてくださると

                  助かります。

            

           、、

    

          色々な事が有って。。。

            拡大報道は、、、生徒に迷惑ですよね。

           孫子は日大を選んではくれないという

         寂しい婆ちゃんをつくるよね。

          

         時期が悪いというか、、、、

 私も、、孫子に、、日大を受けてみれば?、、、と

      言い出せない、、、新聞デカデカノ

          北海道新聞の3面記事は

         考える余地なく、、、道内の総合大学を受験するのに

        まっしぐらの、、、子供達、孫たちでした。

         道内の住民としては、、、

          此方の方が良かったのかもしれませんね。

 

        私は、、、これで、、、本州に帰る葡つようも無くなりました。

         北海道にしっかりと根をおろして

          孫子の応援をしたいと思いました。

           

        同窓生には「金メダルの同僚も結構います。」

      北海道では、、「清水さん」のスピードスケートは

        後々の女子選手のスピードスケートの

          世界へのレベルに、、、清水さんの金メダルは

            大いに啓蒙されているはずです。

          この方だって日大生でした。

 

         玉石混合の日大が

          受験の時期に、、新聞でたたかれる事は

            若い未来を背負う若者に

         あの素晴しい、、

          求める学生には

            世界に進出できるシステムを備えている日大が

 

        一部の

           次元の違う部署の事柄で

 

        「日大」の名前を

           イメージダウンされるのは

          卒業生として、、、

             遺憾に思います。

 

   我が家の家族は、、、北大卒

              北海道の薬科の有る大学卒。

             孫に至っては、、

      一生懸命これから進路を見つける

         北海道の総合大学に合格中!!

 

       日大は、本州という、、

          道産子の母親としては

          外国の大学扱いで、、、

 

         我ら道産子で

           気鋭の高い孫子の前では

           「母さん、、、今更勉強しても

             北海道で要求されるのは

            臨床力だからね!!

             研究で必要とされるのなら

            北大卒業して、

            東大あたりか、、阪大あたりか、、、

           ハタマタ、、オックスホードだとか

          アメリカはボストン!!

           ハーバード研究員していたとかで

 

        北大の助教授、、、教授、、、という

            北大に呼び戻された立場でないと

 

          母さんの様な、、、

         「勉強スキ人間」に

             出番は

            母校に尽くすことで、

          母校の助手あたりになって

          独身んで、、、

         僕たちとも

        会えていない人生だったかもしれないんだよね。

          日大は地元の 同僚が居ないだけに

            地元大学の集団の情報ネットの進化には

              孤立してしまうと思うよ。

          有るラインを超えて

           優秀な、実績の、社旗的な業績が有れば

           北海道に招かれるとは思うけどね、、、!

        雑役の番しか、、、出番はないんだから、、、

          77歳にもなって、、、ネットを辞書代わりに

          オタク張ってるの、、、僕はもったいないよね!!

       もっと楽しいこと、、、一杯あるでしょう!!

 

        母さんは、、、「まだ文も見ず、、、天橋立、、」だろう??

 

     叔父さんが引き上げてきたシベリア抑留兵の到着した

          若狭湾位は観ておけばいいのに、、、

          そして、、、戦没者の、、

             食べる物さえなかった日本を

            守るのは、、、「お勉強ではなかっただろう?」

           子育て、、、育児、、、雑用、、、こそ

    女性の偉業だから、、、

         勉強している暇が有ったら、、、旅行すれば?

         孫子は、、、正しい、、、

            でもね、、、これからの孫子の事を思うと

           迷惑かけたくないから、、、

            余分なお金は使えないと、、、思うのが本音です。

 

          ありがとう、、でもね、、、

           老後に備えておかないと、、、

           勤務していた時の年金が少なくて

             施設にも入れそうもないよ。

         

         孫子に、金銭的迷惑をかけるのには、、、、

           戦後の復活期の良心は仕方ないが

                平成の世に、、

              そして令和世に

            コロナの威力を観てしまった今は

            ネットを図書館代わりに

             学問に、、、U-ターンして

           コロナから家族を守るのは

          歳をとった77歳の、、、危険ゾーンの年齢の

         自分自身の、、、感染防御の為の

            スキルが、、、生き残りだと思うから

           信頼できるサイトには

          こまめにクリックして、、、

             勉強を続けます、、、ネ。

         

      

 

      肉屋にさそうと,、、石焼ビビンバとるし、、、

       ボーリングにさそうと、、、ガーターばっかり、、

       寿司屋にさそうと、、、、

       あぶりサーモンばっかり、、食べてるし、、

        孫の空手の試合に誘っても

          2度目の誘いには

        「ドンナモノなのか解ったから、、家で応援するよ。」というし。

      「

あの日から40年は過ぎました。

          

    過保護と行ってしまえば  それまでですが

      40年ぶりに、去年、、、初めて 

          蕾の開花寸前まで行きました。

 

これは、、

   寒冷地に順応しているはずの

      「カメリア ヤポ二カ」の種類と違って

 「対馬」で

学会で許可されて採集したモノだけに

 

      南国育ち、、、というイメージが抜けなかった。

     雪は平気な椿属であり

       青森県の夏泊まり半島だっけ?

         平内町だっけ???

        一万株以上の、、、椿山が存在して

           天然記念物になっているというのに

         

     私的には、、、札幌は、椿の北限を越しているのではと

       枯らしたくない一心で、

      11月には、いつも室内にとりこんだのだった!!。

 

     40年近く立って、、、

       今年、、、初めて「蕾を持った椿であった!」

 

   でも、全開の椿は観ることが出来ませんでした。

      つぼみのまま、、、落下してしまった。

 

実践に強い北大植物園のY助手の先生が

  素人のおじいさんが

     学者が、栽培できなかった「ゲンチアナ」を

       北海道に寝ずかせて、、、今は象銅になっているよ、、、と

    教えてくれた。

   「ゲンチアナの生まれ故郷と同じ温度で管理させて

     ゲンチアナの植物に、

   ここは故郷だと、、、勘違いさせて

   北海道で根付かせたんだよ!!」

 

   薬剤師として、子育ての後の再就職にあたって

    免疫学や、薬物動態学、、、大好きだった生薬学と漢方学の

      頭脳刃の錆びを落とそうと

       北大の聴講生に入った。

  しかし、、、この実務のプロの助手さんに出会ってからは

     すっかり、、、世界を変えてきた薬用植物に目覚めてしまったのだった。

     学生課には、ある期間登録されるので

     学生証を入場許可として使える「国際学会」はじめ

      学会という学会には、、、さび落としのつもりで参加した。

 

 当時、生薬学会の会長先生だった滝戸先生の主催のフィールドなどには

    北海道薬剤師会員として参加させていただいた。

 

     東京大学に新卒時代勤務していた関係上

      リーダーのスタッフから

        直接、札幌の自宅に参加権が送られてきて

         薬学再履修の機会を戴けた。

    「学問は、、、足下に有る!!」

       私を卒業と同時に

         東京大学の医学部の薬理学教室に就職を仲介してくださった

        薬物教室の教授が、、、

           私の顔を見ると

     「学問は足下にある!!。女性は、どんな環境でも

         与えられた部署で、、、学問を生涯続けなさい!」

      教授からは、、、

        東京大学で2~3年実験助手をしてから

          日大に帰ってきなさい、、、と指導された。

        私立大学では、、、スポンサーのあしなが叔父さんか。。

        父親のように、、、

       想定外のおこずかいをくれる人を失った私には

       先の事を考える暇はなかった。

    兄貴が2年もかかって浪人しても入れなかった東大を

      内側から観て、

        学歴社会には、何を大切にしている先生が

          生き残ってゆくのかを

        内側から体感できる機会かもしれない

         と思っただけだったように思える。

 

        ボーとしているように、、思えたのかもしれないが

      19歳で父の早逝で、、、

     金銭的スポンサーを失った私にとって

        アルバイトで忙しくって、、、

         授業中は居眠りしていることが多かった。

 

家庭教師3件、

    大使館主催の神社の説明員のアルバイト

      西銀座ドラックの夜間販売員

        アメリカンファ―マシイの売り子

         自身の

       日常英会話を磨くための

          一挙両得の、、、

           バイトに明け暮れていた。

   大使館主催の、ホンジュラスの外人に向けた日本文化の紹介に

    皇居の周り、、

        神社仏閣の案内を担当したときには、、

      泡を喰った!!!!

 

        英語が、、、全く、、、通じないのだ。

 

          スペイン語なのだ!、、、

            どうしよう‼?、、、どうしよう!、?

    こうなったら、身振り手振りでやるしかない、、、

   ストラグルしているうちに、、、

     ホンジュラスの大使館員は、、、私を困らせるのは

         可哀想に、、、同情してくださったのか、、、

 

    「英語で話し始めたのだった!!」

 

    何だ~~~!初めから英語で話してくれれば良いのに!!

 

   それからは、生き返った私でした。

 

     ホンジュラスの大使館員からは

      「灰皿」という、、スペイン語を教わりました。

   アシュトレイ、、、つまり、、アッシュ、、灰、、、トレイ,、お皿

      灰皿は、、日本語と同じ発想でした。

    ホンジュラスという国は

       この日以来、、、私は、、

      日本人と共通な感性が有ることを知りました。

 

    こうして、、、主人の単身赴任の間には

      学生時代の知人や先生を頼って

        薬剤師として、復帰してゆきました。

      イギリス、フランス、医薬歴史学会見学親睦学会の

         東大の先生の、、、

       かばん持ちメンバーの一人として

        その他大勢の、、椅子を温めながら

 

       向こう様からは、、

       教授同行スタッフとして

      モアッサンのノーベル賞の額縁の有る研究所まで

         見学させていただきました。

 

      フランスでは、、

       日大の生薬学のPFでいらした

       有吉先生の博士論文研究をされたという

         パスツール研究所の研究室から

 

       御婦人の豪華な画廊の様な個室までも

        見学させていただき、、

 

       世界に著名な業績を残された

         「ツル首のフラスコ」で有名な

        実験器具の展示場まで案内されて、、

         、思ったことは

 

      偉大な研究の後ろには

        とてつもない、、お金持ちの、、、

      ご婦人がいらっしゃったという事を学んのでした。

 

      日本は

       研究者にとって、、

 

        パスツールの奥さんの役割を果たせる、、

         スポンサーが居ないという事を

            今回の、、自国のワクチン開発が遅れていた事と   

           関連付けて考えるのは、、、

              短絡した婆ちゃんの発想だろうか?

 

         77歳になって、、、

       回転が悪くなった頭脳の婆ちゃんが

        個人的に思う事なのだろうか?

 

    研究者にとって、、、研究資金が確保できないのは

   優秀な脳とやる気の、、、

 持ち腐れになってしまうかもしれないね。

              

学者で成功するなら、、、奥さん選びが大切かも???な~~んてさ!

      イ~ジイナ短絡でした!m(--)m

 

      学者さんの中でも、、、ノーベル賞を御取りになった先生は

        小野薬品に、、研究の費用の必要性を説得できたようですが、、

 

      経済観念で出来ている日本の企業には

 

        研究の、、、

        あたるも八卦、、、あたらぬも八卦、、、の

       不確定要素の多い、、、

         理解不能の次元の必要性を説かれても

       裁判という、、、

       専門家が入って

     戦うというと事なのでしょうかね???

 

 

       お茶の間の婆ちゃんには

         次元が高すぎて、、、

          理解の根っこにも、、行けませんが、、

     裁判にならないうちに

       世界的な賞で認められて、

        日本に光を導いた人には

 

          資金的に、、、政治家の

           文章代金を献金すれば

               世界への格調高い文章以上の

           人類に役立つ論文メッセージとなって

 

       お返事は、、、海の向こうから

  例えば、、、

アメリカの方から、、、必要だと、

       寄ってきてくれるのとちがうのかな~~??

           

     今回の国会の、、

       岸田内閣のスタッフの

        優秀な頭脳の集団を

        新聞で観ていると。。。

 

     ○○党の為に、、、○○党の力を蓄える為の発言を、、、

      演説しているのを聴くにつけ、、、

     野党は、もっとヴィジョンを持ってほしいと思いながら

    日本の平和と世界との協調のレベル意地の為に

      頭脳の使い方が、

        目的の為に、捧げてほしいと思ったりしている。

 

     今から、国内の、、

       我が党の為にだけ、、考えを集中すると

 

      かって野党が政権を獲ったとき

 

      医療関係者への、

       半可通な政権を強制的に駆使してきて

         理解してもらうのは面倒なので

          皆されるがままに

         迷惑を、受けながらも

          早期がんの発見によって

           癌と仕事の共存までこれた50年の総まとめをする前に

          独立法人となったり

         また元に戻ったり、、、

        政治の政権の交代のクレパスで

      半可通な野党の女性議員に

         大幅な研究費を削除されたり

           本人は従順に、、、

          人生はいろいろだよ、、、だよ、、、と

        どんな苦境にも、、子供の時から文句を言わず

       その時に応じてベストを尽くす、、、尽くしてきた

      団塊の世代の、、、弟たちの仕事場に

     政権交代のクレパスが、、、多くの医師たちの

    日常を飲み込んだ事件は忘れられません。

       黙って、、、時の政権のいうように従ってゆく官僚。

      弐度と、、、半可通な、自分の党の繁栄だけを目的とする

     政権交代だけは、、、野党の政治家には理解してもらえない

    人生の、、、最後に計画していた集大成が

       奪われると追う、、、

         外側には見えない、、、魂の損失が有るという事を

          残念に思い出す。

        野党も優秀な人はいることを感じますが

       成功の為に、、、ビジョンをまげて

       主義主張を、、、破壊的な方向へと行く

         票の為には貧相にならない考えで

        与党のサイドブレーキとなって

        日本の安全運転になる野党になってほしい。

         重箱の隅をつついて、、、

        野党のアピールの為と

          与党の攻撃の質問で

        お茶の間国会劇場を

          詰らなくしてしまわないでほしいと思いました。

         政治音痴の婆ちゃんは

        国会劇場のやりとりを

         本気で聴いているのですからね、、、。

 

 

           がんセンターの50周年記念を目前に

             研究の総まとめの前に

            がんセンターの病院長らは止めてしまわれましたよね。

         私は、、患者だったから、、、

           知ってる先生が居なくなって、、、

          本当に心細かったのですよね。

         

           半可通な未熟な科学力や知識では困る時代となりました。

       間に合わない、、、飛行物体の集団が

        ミッドウエイの海戦の時のように

      日本のレーダーが届かない

          雲の上、、、当時としてはありえない、、、

            一万メートルの空の上に潜む軍団が

       難攻不落と言われた、、、赤城などを、、

         全て、、、沈没に導いてしまているのを

                孫の歴史教科書参考書で観るときに、

 

   力のある政治家、、

   、グレイゾーンは、、

       対外的に必要な時

       日本の隠し玉の力として、

 

          日本を戦火から守る為の

 

         ミッドウエーのグレイな雲の上に潜む軍団は

       日本の政治家の底力で逢ってほしいと思いました。

 

    軍隊が、先導した第一次世界大戦や

         第二次世界大戦には

            闘う事しか無い歴史を振り返らせます。

 

         その究極は、、、

         世界でも、、日本だけという

        2発も、、、原子爆弾の落ちる

           人類破壊

           地球汚染

            命あるものの元素化、、という

            瑞瑞しい生命学理論に

           岩石や、元素や、、未知の太陽系以外の物体まで

         「命」として

         認識することで,、科学力の

             間違った使い方を

           正当化する方向に、

            学問そのものが進んでゆく。

 

        大自然という、、

          、量子力学も、、、子供魂だと笑う

         スピンの話をする相手も居ない時代だった。

 

       大自然の不思議の前に、、、

          地球はどんどん汚されて行き、、、

            オレオレ万歳の、、、

 

            ゴリラの集団の様な

          胸,、ドン、ドン、ドン,、ウヲ―、、

 

          獣の様な。。。縄張り争いの戦争で

 

           地球温暖化は、、、自然も崩す

             自然と共存共栄している、、島国も

           海底に向かって、沈めてしまう、、温暖化!!

 

       戦争や、、ミサイルや、、爆弾を辞めて、、、

         中国は雄大な、、、

         眠れる獅子に戻ってくれれば

        野性の様な地球のジャングルは

         エデンの園に帰れるかもしれません。   

 

       近代化して人工的になってゆく中国は

         天然の雄大な、、、イメージの中の大富豪から

           

   昔、、、中国の中心都市に

           チベットの方の

             宗教の人が訪問できる建物を

                つくられた工程がいらっしゃったと思います。

     素晴らしい歴史だと、、、若き日に、、、

        そこに行ってみたことがありありました。

自分で働いた給料は、、、社会に最終発の為にと

     見聞旅行に使ってしまいました。

       今、、それが有れば、、、

           ケア付き、、、食事つき、、、快適老人施設で

             本ばかり読んでいるかもしれませんでしたね。  

 

  

 

      輝く虫さん、、、空を飛べる、、虫さん、、、いいね~~~

          

       1990年時代に

        北京、薬王山登山、、万里の長城歩行、、

         杭州は、万葉時代の日本に出逢った。

       西湖では、、かの有名な「西施」だったかしら???

        美貌が故に一刻を救った美女を

            王妃が、迎えに行った西湖で

              傾国の美女が我が国に帰国すれば

             王様も、心奪われて、、、我が国は滅ぶ、、、

        そう思ったどうかは知りませんが

          西湖の上で、、、この美人を、、、

        亡き者にしてしまうという、、ショックな歴史の現場に

          船で行きました。

         写真をかなり撮影したのですが、、、

           自分も入って、、、シャッターを押してもらったのですが

         私の体は透明な、、、まるで、カメラの二重写しのように

       ダブルに映った者ばかりで

         光の邪魔が入りすぎて、、、

            このあたりの水面と、コメンの温度が

           遠くからの、、写真撮影の、、、妨害の

         宇宙線でも受けている様な、、、

           気味の悪い、、画面の羅列でした。

          捨てました、、、フイルムごと、、、

            ペトリのカメラごと、、、

         そして、、、西安に行き

           兵馬傭??こんな字だったかな???

          巨大な発掘現場を見学しました。

 

    ソビエットの払い下げ機の

         セスナの飛行機は

           機内のビスが、、、アチこっち浮いて、、

              倒した椅子の背もたれは

                壊れていた。

       「成都に着くまで、、、落ちないでください!!」

         祈る気持ちで、、、低空飛行の中国の大地を

            思いっきり楽しむことが出来ました。

     1990年になる前後だったと思います。

        今は、、2021年、、、

          中国の当時の姿は有りません。

       成都で、、三国志のジオラマや、、、

        杭州で。。三蔵法師の足跡に向かって、、 

           アチコチにバスで走りながら

          黄土という世界に足を踏み入れて

         成都に到達して、

        1000件はあっただろうか???

        生薬市場で、、、ラマ教の和尚さんの首にかかっていた

        山サンゴが、、、薬草として売られていたのにびっくりしました。

        チベット高原は、、、海の底だったんだ!!!

          構想ビルは一つも無く、、、

          40は越しているだろうという

           色々な民族が創る原始的なアーケードには

          犬のペニスを

             簾にして干したものが売られていて

       成都の村々にも、、、犬が歩いていなかった。

      ここでの蛋白源は、、犬なのだと、、、

        ホテルの肉料理が、、食べられないで、、、

          カロリーメイトばかり、、、

       食べていた事を覆いだしました。

  トイレのあるうちが少なくて

     私たちは、杭州で買った大きなスカーフで

        畑の周りの竹で、、個室をつくり

            御用を済ませるという

        ありえない、、、旅行をしました。

         道には茣蓙も若かずに、、、トウモロ菓子を干してあり、、

        夜のトウモロコシの入ったお椀を

            ソート、無菌がーぜの切れ端で越して

               飲んだのも、、、

             失礼な事をしてしまったと、、、反省しています。

         現地の人は「免疫」が有っても、、、

           私は「免疫」がないから、、という

          正当防衛なのですが、、、

             科学の届いていないこの村の人には

                  観られると誤解されるので

             膝の上のハンカチの下で

               ろ過して、、、食べました。

            貴重なろ過物は

           夜部屋に帰ってから、、、持ち替えるもの

          捨てる者に分けました。

          貴重な生薬が入っていたのには驚きました。

         「竜眼肉」という木の実も

            そのまま椀物に入っていたのですよね。

           貴重な勉強をさせてもらいました。

           そこの村の役場に立ち寄って、、

          素朴な現地の薬用本を手に入れて帰ってきました。

 

          後日、、持ち帰って来た数キロの書物を

           年表にして

           引率の先生方に、、資料として

          何かのお役に立つのではないかと

         お送りさせてもらいました。

          国を知ることが、、、楽しかった、、旅を御観だしながら、、

          聴講生という身分では

          東洋医学会という、、、当時は臨床家の学会だった会で

         パネルにして、、一部報告はしましたが

          文章にすることはしませんでした。

          文章化するためには

            どこかの大学の研究室に所属して

              指導者の援助のもとに

           みんなの名前で報告しなければならないという

          学会の社会の「当たり前」が

         主婦の私には

          ベルリンの壁よりも、、高く立ちはだかっていて

          下手なアピールを個人的にすると

          引率の先生に、、、ご迷惑がかかってしまうという

 

         学会の世界では、、、婆ちゃんは、、当時は

              報告したいことも、、越せないような

                個人だったという事です。

         引率の教授が

            私がサポートを出来ると思いますので

              せっかくの資料を「論文」にしなさいと

            論文の書き方の、規則や、方法の指導書類を送って下さり

          必要ならば、一緒に仕事をしますか?と

         指導者的立場を獲ってくださったのですが、、、

           主婦の哀しさでした。

             チベットの、、小高い芝の上で

          「私は、、、此処で生まれた~~~!」と

             叫んで帰ってきました。

            何を描いたのかわからなくなりました。

            後で、、推敲して、、、きちんと整理しますね。

        

 

       

        

 

      中国4大中医学院親睦学会

      

     冬にも強い椿を、

         毎年、室内に入れて

          ふゆごえを 寒さしらずに大きくなった。

     そのせいなのか??

 

    明日は、、この続きを、、考えてみます。

          おやすみなさい、、、、

           


油断大敵、この冬は、coronaを正しく怖がる緊張感がつづく。

2021-11-17 10:31:40 | Weblog

北海道新聞を捲ると、初めに「corona情報に目を通す」

11月17日水曜日

   クラスター押し上げ   

      市長「対策続けて」という

        見出しが目に留まった。

             

 

新型コロナウイルスの感染者は23人となり

          薬、一か月ぶりの20人を超えた。

 

医療機関によるクラスターが17人含まれているので

    民間には「6人の新規感染、、、という事になるだろうか。」

 

  クラスターは、専門家の監視下の目をくぐって蔓延するのは

          不可抗力な何かが有るのだと思うと

 

    コロナは、今年の冬も、民間人として、最大のこまめさで

        手洗い、うがい、、マスク、

          トイrwの際の消毒液、

           ウイルス除去アルコールの噴霧を

                 つづけることにしています。

 

 

    今年のネットの画面で、coronaに関する専門家のサイトが

         肝に銘じて、私にcorona対策を推進させていることは確かです。

 

https://www.amed.go.jp/news/release_20210616.html

 

かれこれ半年も前のサイトですが

 

「ウイルスの感染力を高め、日本人に高頻度な

     細胞性免疫応答から免れる

           SARS-CoV-2変異の発見」

 

プレスリリース

             ニュースに属する画面ですが

            東京大学。

            熊本大学

            東海大学

            宮崎大学

 

        日本医療研究開発機構、、、、、出どころは確かな専門家集団なので

        熟読して、理解を深め、

        見えない敵のcoronaの軍団の戦力を感じながら

            マスクも、手洗いも、三密も避けて、

              コロナの収束までは、社会の一員として

                 感染予防には、ベストを尽くさねばと

                    息抜きは自宅で、

                   集会は家族だけで、 とりあえず

                  感染源にならないように、ベストを尽くす毎日が続いています。

 

        医療関係者以外の

          孫などに放すときには

              新型コロナには、、、

                イガグリ頭の様な帽子(

             スパイクタンパク質と呼んでる部分)が有ってね

             これらの一本一本がね

               「感染受容体結合部位」と言てね、、

      人間側のcoronaウイルスを受け取ってしまう

             人間側のミットの様な所に結合する

                コロナが輪のイガグリ帽子(スパイクタンパク質)の

                   結合部分、、と言ったらいいかな?

 

    このcorona側の部分をね

        人間って、、すごいじゃな~~~い(^-^

           人間の細胞性免疫(自然免疫と獲得免疫が有ってね

             ここでいう免疫というのは「獲得免疫応答」

               TVでNHKに出てくることがあるけど、、、

              「キラーT細胞」

                「ヘルパーT細胞」、、、が

                漫画チックにウイルスを喰ってる画面、、、観たことあるでしょう!

 

          ヒト白血球抗原、、、良く出てくる人間の体内の「味方の兵隊」だよね

 

              HLA部隊登場だ!  

 

             Human leukocyte antigen(ヒューマン ロイコサイト アンチゲン)部隊が正式な名前。

                   寿限無寿限無、、、て長すぎるから「HLA」という略語が使われるよ

 

             HLA、、、、、クラス1(人の全身の細胞に見張っているよ!)

               、、、、、クラス2(

            人間の体って、、、すごいよね、、、ばい菌や、ウイルス、、、がん細胞など

                     入って来た ̄~~ぞ!!!って知らせる軍隊が居るんだよね。

                  そして

                   人間が持っている「免疫の軍隊」に

                 「敵が来たぞ~~~」て」

                 知らせるんだよね、、、。

                カラオケして、、人間自身の脳ミソは

                  歌って騒いで、、大声で、、、デュエッとして

                    頬摺り寄せていると、、、

               「ご主人様」を守るために

                  体内では、、、、勝手に軍隊が動いてくれて

                  免疫軍隊、、、はたらいてくれてるんだね~~~!!

 

 

           「大変です!!コロナウイルスという敵の軍隊が現れました!!」

 

            トテチテタ^、、、進軍ラッパが鳴り響いたかどうか知りませんが

              T細胞軍団、、、ヘルパーT細胞の軍団が

               戦いをはじめます。

                  ドン食細胞、、、大食い細胞、、、ばい菌やウイルス、、、くうぞ~~~!!

           

                 

  しかし、、、「懸念すべき変異株」と称される「顕著な変異を有する変異種」が出現しました。

 

      新聞、TV,,、、、ラジオ、、マスコミ、、、

         皆も一度や二度は耳にしていていると思うけど  

       新聞なんかは、、票にして出していたよね。

          思い出してみよう、、、

 

      Variants of concern,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,変異株、、、、、、!!!

        繰り返して、復習すると

      !    イギリス株           (B.1.1.7系統、、、、アルファ型)

      !    南アフリカ株         (B.1.351系統。、、、べ―タ~型)

      !    ブラジル株          (P.1系統、、、、、ガンマー型)

      !    カリフォルニア株       (B.1.427/429系統、、、L452変異 )

      !    インド株、、、、、、、、、、、(B.1.617系統、、、デルタ型、、L452変異)

 

      〇デンマーク、、、、、、、、、、、、、、、(B.1.1.298系統 (2020年秋、収束した。」)

                          

       ( L452変異)  に着目するならば!!!!!!!        

                                      カリフォルニア株

          インド株

               これらは「懸念すべき変異種」と、、、大声で言っている様な株だね。

 

      !      カリフォル二ア株は昨年末2020年アメリカのカリフォルニア州で

             出現して2021年初めに大流行したと新聞は報じていた。

           まもなく収束へと向かった。

             インド株と同様に、 

                L452変異株としてマスコミは報じた。

       この、、、452変異!!!、、感染しないようにしないと

             たちが悪い!!!

                    

         L452R変異はHLA-A24(ヒト白血球抗原)から,、、逃避する

            しかも

         感染受容体ACE2への、、、結合性を高め    

                     ウイルスの膜融合活性を高める

                     つまり、、、ウイルスの感染力を増強させるという事だ!!

 

        薬剤師仲間なら、、、URLを書いておきましたから

        技自分で、この、論文を読まれると容易と思いました。

            半年前に読んだ論文ですが

               第6波、、、が来るとすると、、、

                 北京オリンピックには世界から人が集まるから

                   帰り際に、日本の観光ルートを回る時の

                置き土産☜しては

                    「皆無、、、ゼロ。。。0、、、」と葉言い切れない。

        オリンピック終了の帰国者、

          観光旅行者、、、

            水際作戦が、、、第6波の流行をくい止めてくれるといいですね。

 

           外国から「懸念すべき変異種」が入るのを

              水際でブロックできれば

          日本は、、、ワクチンンの効果を期待できるのではないかと

                 77歳の婆ちゃんは、、、日記帳に書いておきます。

 

            

 

      ワクチン、、、

       獲得免疫!!!

         ヒトの免疫応答の一つであり

           B細胞による、、、、液性免疫

           T細胞による、、、細胞性免疫

 

           後天的に外来物や、「がん」など、異質なモノに対して

           一度獲得されると

            「免疫記憶」として維持されるという、、、、免疫の不思議(^^!

 

         ワクチンを受けると、、、、、獲得免疫の保持者という事だけれど

           SARS-CoV-2

          これから派生した、、、他の変異種とは別格に

           上記に記した「イギリス株」「南アフリカ株」「ブラジル株」

                  「カリフォルニア株」「インド株」

                  「

            「懸念すべき変異種」は、、、ワクチンが、、、効果がなさそうだから、、、

        政治家の先生方や、北海道知事さんや、札幌市張さんが

         北京オリンピックからの、、、ついでに日本立ち寄り観光組の 

           水際作戦が、、、第6波を、、そして、、、

            マスコミの、半可通でない報道が

             国民の,コロナや、、そのほかの疫病からの防衛能力を

               高めて,、、自衛できる健康日本を造るんと、、、

              違うんかいな?

 

            東京には、北京オリンピックの後

           水際対策が物言うと思いませんか?

         都議の女性議員の、、、先生も、

           しっかり出席するならして、、

              しっかりホームランかっ飛ばすような

                東京を守って見せて下しね。!!

                  挽回のチャンスを、、、東京防衛

                    コロナからの第6波防止で

                   実績挙げてください。

                   東京を救ったら、、、周りの目も違ってくるかもしれません。

                皆立ち上がろう、、、

             本日の日記帳はこれくらいにして、、、雪囲い、、の続、、、だわさ!!

     


凛々しくなった大谷選手!!

2021-11-15 17:42:24 | Weblog

今日は心は快晴ですね!

  大谷選手がTVでインタビューにコテてくれていますね!!

   栗山監督が、大谷選手に一目ぼれで、

     北海道に来てもらった日が、夢のようですね。

   

立派な体格で、まだ少年の幼さが

       残っていたお顔が浮かんできますよね。。。!!

レッドソックスで大活躍している間に

    すっかり、、

        りりしい大人の男性に成長されて

       お話の

      力ある言葉には、

         世界の舞台で輝く速球の威厳があって

          眩しかったですよね、、、、

       それなのに、、、優しくて、、、甘いマスクをしている大谷選手は

      20歳前後の少年の、、、ヒーローでもありますよね。

 

      皆、、、どこかで、、、大谷少年時代から

            メジャーに行った大谷選手を

                見続けることで、

                 明日の力を貰っていると思いますよ

          今日は、、、一日中、、、頑張れましたよ!!

           いいものですね~~~!!!

             若い、最高の、、美しさ!

           ピークにさしかかった  大谷選手!!

 

                レッドソックスに

                    ニッポン緒野球ファンをくぎ付けにする若きヒーロ!!

          77歳になっても、、、今日は20代の頃のように、

                 新鮮な気持ちで、インタビュ^を観ていました。

              楽しい一日でした!。

         

                


目が覚めてから、、、

2021-11-13 09:14:33 | Weblog

ここしばらくは

   大谷選手の事が気になって

      野球の事が気になって仕方がない。

          レッドソックスの「大谷選手」

            二刀流の大谷選手

 

       ピチャーだから

          外国選手相手に

            打てない球を投げたり

              フライを打たして、チーム力で責めたり

                豪速球で、、、外国選手にプレッシャーをかけれる投手だし

           、、、三振をとったり、、、

 

       大谷投手としての、球を投げるセンスが

           外国の投手独特の

            剣道の心の様な、、、日本の投手に多い

             技とパワーというより

             変則的に曲がったり、落ちたりするから、

 

            大谷選手のように、なげる側

                       打つ側の

                         両サイドからの立ち位置で

                     球を観れる選手って、、、

                  理屈で考えると、、、打てるよね~~~!

         その他にモ、、、

            戦争を経験して、、、根っこに謙虚さのある日本人☝さ、、、

                今,、勝っているからっってさ、、、

                    おごってしまわないでしょう、、、。

                 こまめに盗塁するし

                       こまめにボールは打たないで

                           フォアボール選んで、、、一塁に出るし、、、

          大谷選手観てると、、、外国チームのレッドソックスに居るのが不思議なくらい

            日本のチームに居るみたいよね。

               一郎さんは、宮本武蔵の剣豪みたいだったけれど

                  大谷選手は、、、又違った目玉が三つ目の大将みたいだね。

 

         れっどそっくすと言えば、、大谷君だけど

 

           1869年の日本では、、明治2年に

              レッド ストッキング、、、っていう

                世界では最初の往路野球のチームが有ったの、、知っていた?

        大谷選手は、日本の国を、、、元気にしてくれるよね!

                    コロナのショックも、

 

          大谷選手観ていたら、、、立ち上がれるよね!

                

            

                

               


無題の、、寝ぼけ眼で、、、キーをたたく。

2021-11-10 05:31:52 | Weblog

産まれ始めていますね、、、

          新しい野球ゾーンの芽吹きを感じます、

   [道新]は、、、

                       北広島の、、、新しい野球ゾーンの

     キャンペーン....

 

 効果が後ろからついてくるという

       ベストフアッション!!

         ベスト着こなし!

           紅い運動着の[襟の形]が、、、

                                                                    いいよね!!,,,靴も、、、!

             野球場には

              選手を追いかける少年と

                   その母親や

                       姉ちゃんの

               新庄さんの ファッションを追いかける

                   野球音痴の野球スキ。

 

            女性フアァンが、

                やがて、、野球の面白さに目覚めて

                  全体の球場を見渡せば

              ビッグbossが役割を果たすころには

                北広島は、、、日本の、、、男女の野球ファンであふれ

                  選手も、どんどん、、

                       メジャーへ進出という

              野球の国際親善が見えるようですね。

 

                大谷君!!すごいよね!!

            

           北広島、、、

              平和の使者、、、

                  野球ヒーローが

            世界の交流試合を、、、

          世界の女性があこがれる

         その時代に選ばれたファッションと

              初代ビッグbossに続く、、、

                  歴代のビッグbossが

                   やがて、、女性の野球チームが登場する

                  野球のヒロイン、野球の女王時代の

                             嚆矢となるよね。、、、北広島1.

           金メダルの輝きは

               野球が文化であっるという、、

                      文化勲章に位置付けたと、、、。

                  

        昭和生まれの婆ちゃんは、

                長嶋さんが、又、、、眩しくなった。

                   

        アメリカを受け入れ、、、

               アメリカに追いつき追い越せ、、

                  復興に向けたのは

            少年たちの、、素直な野球へのあこがれと、

            

              アメリカという国を知ろうという

                「ナイスボール!!」

                 

             伊豆の国市の次の駅に

                  長嶋さんの走ったドーロが有るんだよネ!

                      (^^

        いい球、、、悪い球では、、、野球は出来ない!!

                セーフだよ、、、

           野球が「国際間の仲良しツールになる事は!!」

 

        そして、、、金メダル獲得して、、

              マイクを向けられても

              「あの選手、、、この選手の、、、選手の活躍」あの時の

             あの監督さんが、、、

 

               ビッグbossと、選手を、

               、またまた、、金メダルに導くかもしれない、、、

 

                    素敵な組合わせだと、、、

 

                      野球音痴、、、で

                 それなりに野球が大好きな婆ちゃんは

                   野球は文化だと!!!、、、

                    それゆけ日本!世界親善だと思います。

 

                世界中に、、いい子が育ち、、、

               世界中に、、、野球の魂が、、、

                   デジタルで

              勝負も、画面も、、、

              フアッションも、、、男性も女性も

                      野球を通して、、、

 

                 幸せになれるかもしれない。

               

   野球グッズは、、、経済的にも、、、

        施設の維持費になってゆくだろうね!!

 

            新庄スタイルで、、、

           雪掻きしている女性が居たり、、、

          「へ~~~、、、そんなシャツが、、、3万円もするのかい!?」

 

            婆ちゃんは口には出さないが

               そのシャツを着て、、受験に挑む孫の姿は

         

             心がきれいすぎて、、、ちょっと心配!

 

  野球ほど、、、個人差のある楽しみ方のできる、、、

            幅広い種目は少ないですよね!!

 

        世の中の人間関係は、

            日本ほど住みやすい国は無いと思うけど、、、

        

                 

      

         日本人の社会性が

           島国に閉じこもった文化だっただけに

            世界に比類ない独特の文化が栄えたが

             国際性に関しては、、、

             

               マッカーサー元帥が指摘したように

                  「日本人は12歳!!」

 

             本当に、、、的確な、、、指導だったかもしれない。

 

              

 

         

 

          世界には比類ない魅力の芳香を放つ

            神社仏閣大衆文化、、、

            

                 

       婆ちゃんは、、、詳しいことはわからんが

        

        

            

         

                  お宮を立てる大将が、

                  現場の宮大工の棟梁だとしたら、、、

 

                   会社でいえば、、、

              部長、、科長、、、係長のように

 

            20年ごとの遷宮で、

              実際の現場教育で、

              腕の良い大工さんが

 

                   20年後の遷宮には

 

        「棟梁として、、、若い大工さんの現場を指導する」という

 

        かって、、、名選手だった新庄さんが、

               野球人生を魅せてゆく。

 

 

         終戦を期に、アメリカの良い所を受け入れて

          ニッポン野球界を構築した、

              土井垣、、、川上、、青田、、、沢村、、中西さん、、、藤田さん

                 長嶋さん、王さん、村山さん、、、野村監督、、、

              子供のころ「丸いメンコで遊んだっけ、、、」

 

              青春時代には、、、村山、中西、、、王。長嶋、、、、、よかったね~~~

            大学時代は、、

                 多摩川まで、、、

                長嶋さんと王さんの居る、、、

              ジャイアンツ≪巨人軍)に引き付けられたっけ。

             漫画本まで、、、野球漫画!!!

 

           そして、、、

                 高校野球に目覚め、、、

                    夢中になった時代が、、、結婚後だった。

 

            「マー君とハンカチ王子」

               野性と、

            大卒までに完成していた選手の、

              道は

             二人の選手の野球人生は

                 それぞれに、、、無駄な事は一つも無いだろう、、、

 

                舞台に立ち続けた「マー君」と

                   全体を観続けた「ハンカチ王子」

 

                     彼は、きっと、、少年たちの指導者として

                       未来の栗山監督のような人になるのかな???

 

               マー君と、野村監督は、、、

                    私の中では

                  切り離せない。

 

                世界のマー君になったマー君を

                  日記帳に中だけでは、、、「私のマー君。」

 

               ひとたび外に出れば、、、

                   失礼だから、、、呼ばない。

                  本名も言わない。

                        黙っている。

 

                     婆ちゃんの中では、、、

 

                   「マー君とハンカチ王子」は、、、

                        永遠の旬間の二人だから。

 

                      TVがくれた、、、青春時代でしたよ、、、ネ!

 

             アメリカから来た、、、「いい球」が、、、

                ナイスボールになって

 

                野球という、、、

                  金メダル獲得の文化が生まれて

 

                 文化勲章を獲得した!!

 

                 日本の野球が生れた瞬間!!

 

                ビッグbossを

               抱擁できる大きな文化となった野球て、、、

                北海道の

              北広島の球場を支える

 

                    文化ゾーンが楽しみだね!!

              観光地も近いしさ、、、!!

 

             アメリカから吸収した野球!!

 

           ㇾッドソックスは

                日本の選手がヒーローだ!

                   赤いユニホームの大谷君は

 

                  今朝、、、受章のニュースが流れていた!!!

              パッチリ、、、眼がさめた!!。

 

    日本の秀逸な文化が守られてきたことはすごい!!

     

      

               野球は、やがて女子チームも生まれて

                       皆の宝物になるといいね!

 

                    家族円満、、、

                 野球👪、、、家族で行こう、、、

                      北広島へ!

 

             「オリンピックまでは活きるぞ!」と、、

                        頑張った婆ちゃんだけど

            北広島の野球を見に行くまで、、、

                     頑張って生きていることにした!!。

               

      

          

          コロナにも、、インフルエンザにも、、、負けないぞ~~~!!

      

                

       一夜開けたか?2夜開けたか、、、?

 

         雪囲いの毎日と、

           思い出すのは真夏の日の「予防接種の2回目です!。

 

                       

          コロナの予防注射の2回目をして、、、

               15分無事に何事も無くて

               

            歩いて駅まで来たとき、、、

                  右足が引き連れて動けなくなった。

 

             その時から、、、右足のひざ下も内側と

                       同じく右脚の膝上

 

                外側サイドから斜めに上方部にむかって

                       「筋肉の引きつれ感のある」「しびれ」。

 

                 

              そして、、、

               「右足のくるぶし」の後ろに近い

                      右サイドの

                       10センチ上が 

                         「痛覚」が「しびれ」と混ざったように

                     私が歩こうとすると。。。

                        動けなくする。

 

                ゲ、、、足が、、、抜ける、、、て、、???かんじかな?

 

 

         モタモタシテいる私が、

                ひどく、、ゆっくりと

                   JRの駅に向かうと

 

           いつもより少し早く退社して、

              家まで同行する

                 待ち合わせの主人の姿が、、、

                   100メートル先ぐらいに視えた。

 

         もたもたしている私に、

           「先に駅に行ってベンチに腰掛けているから」と

              「手真似足真似のデスチャー」で

                   遠くから合図すると

                 主人は駅の中に吸い込まれていった。

 

         普通の夫婦と違って、、結婚以来、、これが普通の我が家のマナー。

 

                30分ぐらいかけて、、、

                    ゆっくりと、

                 エスカレ―タ~を使って、

                  主人の座っている駅のベンチに到達!。

 

         あの日から、、、

            立ち仕事を長くすると、、、

                   同様の筋肉痛になり

 

           若いころ「ヘルニア」が腰に

                   あったことがあるので

                            ぶり返しかな、、、と

                「 神経のイタズラ」かもしれないと

                              思いながらも

 

                2回目の

           「フアイザーの予防注射後」の30分ぐらいたって

 

                   外を歩き始めてから起きた

                「へんてこな筋肉痛」であるから。。。

                もしかしたら、、、

              後遺症だったらどうしよう、、と不安だが、、、

              足を挙げて5時間ぐらい安静にすると

                又、、、何とか、、、

                腰かけ乍ら、、、働けるので

               発作が起きないようにと、、、

                  祈りながら、、、

                   雪囲いや

            一時に買い置き買い物の、、、

                ダンボールを4個、、、

                  家に運ぶ。

 

            「医師をするだけで、、、一生余裕のない、、、自分の事でいつもいっぱいの                      

                    主人というより、、、なんだろう・・

                        「仕事人間」は言う、、、

              

             君のように、日大卒業して

                 薬剤師、衛生管理者、衛生検査技師、、、

                  高校物理化学教職免許

                         中学教員免許、、、

                      草月の生け花師範、茶道に、、日舞、、、

              イッパイ持ってて、、、

            僕の家の掃除洗濯、、、

                 子育てだけで

              仕事らしい仕事が出来ないから、、、

                 自分でも気が付かないうちに

                ヒステリーになっているかもしれないよ??

 

          結婚のとき持ってきた、健康維持のツールのゴルフ道具は

             主人の「玩具」となって、、、一度もコースには出ないまま

                  水泳も行かないし、

                    ビリヤードもしない。

                庭で、植物と過ごすだけの人生だった。

                   お互いの、時間が有れば、、、それでよかったから

                     干渉もしないし

                    医者の家内。。。という

                       職業も無いし、、、ポジションもないし

                     雑用のてんこ盛り人生だった。

                 

                   働くのが好きで、、、じっとしているときは

                 NHK を、、、観てるか、、本を読んでるとき。

 

             77歳で、雇ってくれるところは無いかもしれないが

                    「 薬剤師の現役で、、、余生過ごせるなら、

              足が、、治るんじゃない?。。。

                       気の毒にネ!」

              「 生まれてくる時、、、忘れ物してくるからさ。。。!」

                「日本は男社会だからね!」

                    

                 「 見事なまでの

         最後の勝ち残りの、、、男性も舌を巻くような秀逸な

               武器が錆びてると

            男性は仲間に入れてくれない、、、」

                 

                    「昭和の戦後の時代だからね、、、。

              君の様な女性は、、、男から見ても、、、敵に成ったら手を焼くから

                初めから、、、家に閉じ込めてしまうという時代だよね、、、

             女性は、、、可愛らしい人の方が

                      引き立てっられて、、、幸せになるもんだよね。」

 

         「君みたいなタイプは、、、家庭を預けっぱなしで

           早朝から深夜まで、僕は仕事の事だけ考えられるから

                 超べんりな女性だけど

                    何か出来るのに、、、雑用の山で

                      人生おしまいまで、番犬もどきの鶏人生って

                  僕なら、、つらいな~~~」

               いろいろ言ってくれるけど、、、いつも⒥他人事だからね、、、。

 

          仮にヒステリーで、足に来ているというなら

 

             新庄さんの出ている野球観に行くと、、、

                       すぐに治ると思うよ!!

 

                雑用の主婦だから、、、時間のやりくり は

              主人のように、、、

              患者さんの都合という、、、縛られているわけではないし、、、

 

          育児と家事と、

            掃除洗濯買い物、、、

              何やかんやの雑用すれば、、、

 

              コロナさえなければ、、、外出OK!!だから

 

              主人が言うような、、、アイデンティティの

                  哲学めいた、、ヒステリーとは違うと思うよ、、、

            

                  

                  ひたすらコロナのせいで、、

           2年間も家にカンズメという

          単純な閉塞感からくる「ヒステリー」だとしたら、、、

 

             2年間の閉じ籠りと

 

                拭き掃除、、、滅菌掃除、、、衣類寝具の手入れ

             旦那に「外食させないため」の、、、

                   「押しつけ弁当」、、、2食、

 

           医療人が、

           coronaの外食禁止令の時に

         万一、おなかがすいたからと、、

              、医師が、外食するのは

             絶対に避けなければ、、、

             民間への伝染病防止の立場の

                医療人として

          有ってはならないと思うものだから、、、。

 

            滅菌剤、、、滅菌ティッシュ、、、

              坊ウイルス仕上げの仕事に

                     2年間という月日はすっ飛んだ!!!

 

             もし、、ヒステリーで、、、

            「 右足のストライキ」が起きているなら、、、

 

            野球場なら野外だし、、、

                 伝染病の心配もないし、、、

 

         、、北広島野野球が始まって、、、

             新庄さんが

              ハレーで出てくるの観たら、、、

               きっと、、ヒステリーが治ると思うよね。

 

           その翌日から,、、走ることが出来ちゃうかもしれません。

 

 

          コロナヒステリー、、、

           私のほかにも、、、居ると思いますよ。

 

     今日は早朝TVで、

         大谷君の受賞を知って、、、

            階段を早く降りてこられたものね!

 

        私の、、バカ‼!、、、

               いい加減に精神コントロールを自分でやれ!!

 

 

           しかし、、、「この閉塞感」は、、、

                    叫びたくなるね、、、

 

            第6波、、、corona、、、

                 日本へは来るなよ~~~!!

 

            「 来たら、、、根絶やしにしてやる、、、」!!!と、、

                 怒っている、、77歳の婆ちゃん!!

                         絵にならない、、な~~~

        

         

               

      

       

               

 

       

             

 

 


HNK-BS 羽生結弦10年間の軌跡   吸いこまれてしまいました、、、

2021-11-09 18:57:22 | Weblog

札幌は土砂降りの雨の中、

一度は外に出かけました。

角を曲がったところで、、、傘がお猪口になってしまい

U-ターンして、戻ってきました。

 

5.10分、、、

何げなく、、、いつものようにNHKのBSにスイッチを入れました。

 

         幻の魂のスケーターの羽生さんの番組ではありませんか。。。!

美しい曲線を描きながら

    ショパンの曲がながれ、、、曲が摩擦の無い氷の上で、羽生さんになったような

       不思議な錯覚の中で、

       透明な氷の上に

         透明な羽生さんが、

           音楽になって

              氷の上で舞っているようでした

     

          光を描き、

           音を描き 

            曲線を舞う羽生さんの

                若者の魂が踊っているようでした。

 

         音楽になって飛翔している、、、光が描く曲線のように

              オーロラを観ている様な

                七色の光がイメージされて

                   羽生結弦の世界に、、、吸いこまれてゆきました。

 

         77歳の婆ちゃんが、、、

            魅惑されてしまった、、、

                     見事な、、、

                       魂の伝わってくる、、、

                          息をするのも忘れるくらい

                             美しく、、、強く、、、

 

                 心の琴線に触れる、、、羽生さんの描いた

                     10年の、、、魂の舞う軌跡でした。

 

    このような、形而上の世界の動きをするスポーツは

            羽生さんの心が創る世界なのでしょうね。

              勿論、、音楽、、、衣装、、、パホーマンスの創作

              NHKの「光の技術」、、、氷の輝きと、、その反射。。。

               すべての要素が、

            羽生さんの演技の上に、、

                一つになって

               無重力の空間を飛翔する

                   瞬間の連続!

         点数をつけている競技だという事も忘れて観ていました。

    羽生さんの映像は、羽生さんの宝物でもあり

        NHKの宝物でもありますね、、、最高に、、、良い時間を持てました。

          陰陽師も、、、日本独特の、5次元の世界のように

   、 宇宙からのメッセージを観ることが出来ました。

        氷とすれすれの光の反射と、リンクの反射と

           会場の光の反射の、空気密度の違いなのでしょうか??

             反射した光が、微妙に氷上で、青くなり,、  

               幽玄の世界の揺らぎの様な、、、不思議な空気感がありました。

       羽生さんの最高の10年間を観れて、、、生きていて良かったと思いましたよ。

           77歳の婆ちゅんが

             こんなに感動するのだから

                若い世代の観客は、、いかばかりであった事でしょう

                    


生れた順番と、生れた時期で兄弟の地位は決まった時代

2021-11-09 04:42:07 | Weblog

昭和11年、、日本は戦争のムードが盛り上がり

    国内外で、、、小さないざこざが、、、大きな戦争にと

      世界情勢も活火山の爆発寸前のような時代でした。

 

ドイツでは、ヒトラーが、イギリスでは 国王になるべき人が

     「 王様の恋」で世界を揺るがしたり

        あの頃も、今も、、、位よりも「恋する心」が、

           抑えきれない、、、、、今も、昔、、、。

      いいな~~~!!、、、恋って、、、感情はよくわからないまま

        生き残りゲームの様な人生だった私には

      一瞬、、立止まって、、、ポカンとして、、、

            他人事なのに、、、自分以上の事の様な錯角で

                時代背景のもたらす恋なのか?

               マスコミが追い込んでしまった恋なのか?

               天使のイタズラが、男女の求める心に火をつけた??

 

         ともかく、NHKの取り扱う「世紀の恋」は

           一瞬仕事の手を止めて、

        TV画面が「歴史の中の恋」を展開してゆくのに引っ張られた。

 

          昨日はヒットラーと、その側近の夫婦とその夫人の恋物語だった。

            もう一つが、、、イギリスのシンプソン夫人と殿下の恋!!

 

             時代を動かす女性達の

                生まれた順番が気になった。

                   子だくさんの時代の「父親の愛」の獲得戦。

             最後は、、、「誰が為に鐘は鳴る」だったかな??

                あの時に、ゲリークパーの相手役に女優」だった

              イングリッド バーグマン、、、だっけ?

                素敵な二人の恋心に、

                   ブルーの瞳と、、、可愛い女性の姿が

                       よかたね~~~(^^

                 そして、、、モナコの女王様になった、、、女優。

               グレースケリ―、、、と 陛下!

 

                   昭和の、、、戦後の、、、ドサクサの中で

                  周りの雑音から切り取られたように

                 恋物語が、時代の中を花園にした。

 

                  何年も経過して、、、マスコミも、NHKも

                   初恋の中に、、、何か理由を見つけたいと

                     父親の愛と関連づけたり

                   時代背景の、、

                   その日その時の権威や地位に

                         左右されているように

                人へのあこがれや、地位へのあこがれと、

                      恋心への関連性を、

                    説明しようと、、、

                       もがいているのが伝わってくる。

 

     あえて、、、説明すると、、、無理が感じられたりする。

             世紀の恋、、、それはそれで、、、事実だけで雄弁であるから

                どんな蛇足も、、、、当てはまらない。

                   時代が平穏で、

                     一生涯保証されていたら

                    恋の行方は何処に行き着くのだろう?

                   夢を見る必要も無く、、、目覚める必要も無く

                  平和の中で「世紀の恋」は、世界を揺るがすニュースには

                   程遠いことだったかもしれませんね。

                 「恋」なんて、、、個人的な事ですから、、、、、

                


長男と次男、、男性と女性、、、日本の風習

2021-11-06 16:31:48 | Weblog

日本という国の風習は

   封建制度が長く続いたせいなのかどうか???。。。判りませんが、、、

      長男の重みと、、、次男の重みは

 

   日本という国は、、、違うような気がしてなりません。

     本当に平等になる日は、、、たぶん、、来ないでしょうね、、、。

  次男の役割は

      秀吉の弟のように

          地味な影から、、、無くてはならない役割を果たしているという

            忍耐力の必要な、

              役割に対して、、、本当のプロ根性で

                  親族を守るという

                     縁の下の力持ちが、、、次男の役割なのかもしれません。

    我が家は、、、建物としての実家は無くなりましたが

        弟が、、、団塊の世代としての

           日本の復活の一翼を担って

             医学の分野で、、、多大なる貢献を出来たという事が

               物としての我が家は消えたけど、、、

                 父の夢だった、、、研究と臨床と

                    思いっきり医学を出来た弟は

                      大いなる遺産で兄弟の夢と生きる力になってくれたことに

                 ココロより感謝しか有りません。

             

             弟の事を「叔父さんは放射線医学のパイオニアだ!」

                   「コロンブスの卵だ!」

                      5年生のころ、我が家に遊びに来た叔父さんに啓蒙されて

                    放射線科を選んだ息子は

                  医者になって初めて、、、リニヤックの画像を見つめては

                どんどん、、、叔父さんの世界に引き込まれていった。

 

 

               後2年で、、、50歳、、、

              結婚する気はさらさらない、、、、

             医師をすることだけで、、、時間が過ぎてゆく人生に

            気が付かなかったというのだろうね、、、きっと。

          充実していたにだから、、時間が飛んでしまったのだろう。

         大学病院の附属病院の地方版。

           卒業と同時に研修に来て、

             東京と地方病院を新幹線で通っていた5年間。

               いつの間にか、、、仲間の先生方にモ受け入れていただき

                 病院のある地方が第2の故郷となったらしく、、、

                    北海道には帰る暇がないようだ。

                  50歳を目の前にして、、、自宅も無い、、、車も無い、、、

             「医師という仕事だけ。」

 

            20歳代や30歳代の医師ならば、、、未来点を考えて

               家も、車も、土地も、貯金も無い、、、仕事だけが充実の

                 自分だけは医師でも

                    カカアデンカが来てくれれば、、、

                  奥さんの力で、家屋敷、、、車も残すだろうが、、、

                 サラリーマン医師で、、、万年助教で

                   仕事に腕だけが敏腕という、、、やる気だけの元気な次男!

                     仲間には必要とされ、慕われているのがうれしいです。

                  

 

                    最近の私は、、、次男には、、、家庭は期待していません。

                   

                 あの子が、、、歳をとって、、、北海道に帰ってきたときには

                あの子の育った、、、小さな、、離れの別棟に

               電気も、水道も引いて、、、バリヤフリーの

                   車いすで移動できるように

 

              リホームした3DKの思い出詰まった家を残して

 

              老後が孤独にならないように、、、

             あの子のものは、、、机も、本箱も、、、自転車も、、、

            断捨離しないで、、、

          帰ってきたときは、、、

             南高校で、、、マルタのジャズに夢中になっていた

                楽譜を置いて、アルトサックスのリードを

                 乾燥させておくからね。

                

 

               私は、、、ジャ⋯ネ、、!

                  母さんは、天国に一足先に行って、、

                   今度は雪を掻かなくても良い、、、

                  日のあたる豪邸を

                 夜は、オリオン座の見える空に

                花の咲く庭園を造って、、、皆を待っているからね、、、

 

               地球では、、、自分の思うように生きて、、、ね。

              老後、、、独りぼっちで寂しくならないように、、、

             北海道の家は、、、バリヤーフリーにして

            君が帰ってくるのを待っているからね。

               100年人生の時代だから、、、

                  50歳になっても、、、運命の人が現れるようなら

 

                    その女性と、人生の旅に出かけなさいね。

 

                次男は、、今から持つことは、、、

                     考えない方が、、いいと思うからね。

                晩年、、、70歳を過ぎて、、、

                     子供の進学地獄を体験するよりも

               50歳まで独身で通したならば、、、

                    医師をすることに絞り込んで

              お仲間にいつまでも必要とされる勤勉な医師で居てください。

 

              77歳のママは、、、

                 来年は、、歩けなくなっているかもしれないし

                運が悪いと、、呆けているかもしれません。

                  君の子供の顔を見たかったけれど、、、

                    これからは、、

                君自身の幸せだけを祈っているよ。

                      力の無くなった婆ちゃんに、、、なってしまった母さんを

                            振り返らないで、、、

                          自分の幸せの道に

                         真摯に突き進んでいってください。

                

                      

 

北海道の、、南校を卒業して、、、父母が幸せに過ごした地で

        君が医師として、、、世の中の役に立ってくれる人になってくれただけで

           母さんの役目は果たせましたよ。

               

             仕事は何でもいいよ、、、都の中の役に立つ仕事ならね。

 

           孫たちは、、、海に興味を持って,、、海洋の大学に合格しましたよ。!!

             船長さんになるのかね~~~?


雪囲いやっと半分終了の後で、、

2021-11-05 04:19:11 | Weblog

昭和44年、、卒業して2年半の、

病院勤務の社会人でした。

 

昭和38年に、

東京大学入学にこだわっていた兄が

     2年浪人しても、東京大学に受からなくて

        しょんぼりとしていた姿が

             今も浮かんできます。

何百年も東京に住んでいた先祖の事を思うと

   戦争で、市ヶ谷の実家は無くなったが、

       再び東京に回帰して

         最後の力で、古いお寺の跡に開業してくれた父の想いを

           東大に受かれば、、、

       東京都内の「生き残り組になり、転々としたくない、、、」と思ったのでしょうね。

結果的に、

   私立の医科大を卒業して

        臨床医になりました、

         

     父と同じ経路の人生を辿りながらも、

         晩年は閉院して勤務医となり、、、質素乍ら

           85歳にして現役医師であり

             81歳にして英検一級を受かっています。

           勤務医になったおかげで

         不動産はすべて処理して、、、老人施設から勤務している

           「医師をすること」を選んだ兄です。

         姉弟には、、金銭的には、、、1000円の遺産相続もさせない

        長男唯一の時代に、

       従軍して大陸に渡った8年間は

         終戦によって、日本の国民は、

           「日本が  残っただけでも、、、、昭和陛下にひれ伏した。」

           みんなで泣いた。、、、

        原子爆弾で、人間が元素になる瞬間を観た国民は

           最後に一人まで、、、女性も、、竹やりを造っていた。

        「終戦の玉音放送」にひれ伏して

         「陛下の、、お言葉だけに、、、皆、、終戦を受け入れて

           女たちは竹やりを置いた、、、日本の国民性って、、???

        サイパン玉砕の時も

          女性たちは、、、皆、、、バンザイ岬から飛び降りて 

 

                   大海の中に身を投げて、、、しまった。

         終戦は、、、世界の終戦であ有ってほしい。

        闘うのなら、、、、オリンピックのように、人間同士の優劣で戦いたい!。

           科学を間違った方向に巻き込まないでほしかった。

          原子爆弾や、水素爆弾や、この世に有るというだけで

             X軸と、Y軸だけで勝負を考えた

              科学者の扁平な次元だったのではないのだろうか。

         実際は、、、戦争の前後には、相対性理論や

            立体次元で、、宇宙の自転、、、公転、、、太陽系銀河系

              そのまた外の銀河系、、、の様な宇宙が報告されていた時代に

             原子爆弾の砂漠での実験の後、日本に、、、2発も投下された。

 

       政治家や 軍隊は X軸とY軸で勝ち負け、、、領土、、、支配、、、と

         人間が万物の霊長として、、、条件づけた領域の中の計算で

           国と国が、、、

          地球の統治を争ってきたのではないのでしょうか???

       地球は一つなんだから

、、、地球の平和を、、、丸ごと考えてほしいと思いました。

 

        地球という、別の生命体、、、別の生命論で考えた「鉱物、元素、化学物質、、、」

          スピン、、そのものが、すでに

      X軸とY軸だけで、領土や経済を考える人間が、、、部分でしかないことを

          物語っているのではないでしょうか???

   地球の生命をZ軸に、銀河系、太陽、、、衛星,、月、、、多くの軸を判断の基準に加えて

          国際間は一つになって、、、せめて、、z軸の地球を立体象限として

       温暖化は、、その小さな小さな、、、兆候でしかないと、、思えたりしています。

 

  話は、、もとに戻しますね。。。。日記だから、、、自分で自分に

      呆けないうちに、、、何を考えたかを、、日記に記しておきます。

    日大の理工学部の時代の、、、教養時代の数学の

     「行列式を、、、もう一度解きなおしながら、、、

         世間では、、、なんと言われようと、、、

            日大は良い講義をしてくれたと

             母校に感謝して、、、私自身の人生に限っては

                     日大に感謝して卒業したい。

        大学名だけでは「金屏風にならない、、、各人の力があらゆる方向に力となる、」

      ぎょろめの教授が、、、早口で、、、授業の時、、、無駄口時間のように

           勉強しない私たちを、、、啓蒙してくれました。

            卒業アルバムには、、、マンガで書いた似顔絵を、採用してもらいました。

          人生は、、、マンガのように、、、解りやすく、、生きた私でした。

             孤独を感じなかったのは、、、頭は常に、別の生活をしていました。

    量子力学、、、物理,、、化学、、、数学、、、専門の薬学は実学で

        筋肉で仕事しながら、、、

      いつも教わった、、

          思考の数学なんかを、、、考えながら、、

            いつの間にか、筋肉が家事をこなしていた。

                友人は一人も居ない、、、北海道の結婚生活でした。

                  NHK が有るから、、、寂しくもなんともありませんでした。

 

 

 

           父が、、、幸せとは思えない、、、激務の人生をおくったことは

         戦後の、親戚縁者、、、皆、、、医師である父を頼ったという

        戦後の溺れれそうな人は、、、皆父を、、、藁のように掴んで

       居候だらけだった、、、我が家、、、

         池田総理の時代から、、、1人、、、また一人、、、我が家から

             独立して、、出て行ってくれた。

               戦後とは、、、出来る者の方にかかってきて、、、手加減は無かったし

            貧しい心は、、、父から持ち出すばかりの時代だった。

       最後は開業医だった父は54歳で、、、過労死したことが

            兄に、、、自己防衛を考えさせたのかもしれない。

          ほとんどアルバイトで大学を卒業した私は

             これから、、医師になる弟の事を兄に託して

               北海道に、、、父の代わりに働いてくれるという

                 外科医を、北海道に、、、迎えに来たはずだった。

                      北海道で、確固たる職場を得た相棒は

                        結婚時の約束を、当然のごとく、、、守れなかった。

        父と経営していた開業で、1人の内科医が心細く開業を継いでも、

          たぶん、、、命を対象の仕事だけに、、、

            孤独と恐怖があったのだろうと推測した。

 

         兄は、身軽になって、施設に住み込んで

          勤務医を続けるという選択をした。、、、

      実家を売ることは、、姉弟にも、、、相談はしなかったようである。

           突然、、、実家が売られてしまって、、、無くなった事を知った弟は

             財産としてではなく、、、

          父母が、、、大勢の従妹や、、、叔父さん、、おばさん、、の何組も支えた

            雑居家族だった時代が、、、忽然と消えて,、、心が寂しいと

         売るなら、、、一言、、、相談してほしかったと、、、ぼやいていた。

             

 

          54歳で過労死した父の場合を振り替えると

          医師に、、全ての事が、、、

           おんぶにだっこだった様な

            強く見えすぎたばかりに背負った

 

            雑多のノルマの過剰だったと、、、

               蚊帳の外からは見える気がします。

 

          晩年、、、時々ぼやいていたように、、、

                 星空を,、、黙って見つめていた父の顔が

                         何を思って、、、賽の河原の石を積むような

          診療の繰り返しを、、、1人で背負っていたのだろうと、、、

         医師に、、、おんぶにだっこの、、、親戚が、、

             要領が良すぎに見えて仕方がなかった。

 

 太平洋戦争で、

     外科医は海外の

        戦場の至近距離に御奉公した時代が終わり

 

   終戦まじかの昭和19年、

      父は軍服にすべてをゆだねて

    最前線の戦場に

      トラックで移動するところでした。

 

      もし、、、あの時

 

        乘るはずだったトラックが

          既定の場所に現れたなら、、、

 

            父は、そのトラックに乗って

              玉砕した戦場に行くところだった。

 

     上層部では、すでに、、、日本は長期戦に突入の為

       資源の少ない日本は、あらゆる物資が底をついていたことを

            知っていた。

 

          国民のパニックをさけるためなのか??

          国内の情勢が相手の国に察知されるのを防ぐ為か、、、???

 

         最大の新聞社も、、、

             報道は規制されていた。

 

        国民は,、偏った報道に翻弄されて

           勝利を信じ乍らも

 

          鍋、、釜、、、指輪に至るまでの

           国への奉納の始まった空気に、、、

 

          「憲兵さんに聞かれると,、、マズいけれど、、、

              新聞は、、、ワシャ、、、信じるの、、、止めて、、、

                 防空壕に、米を備蓄した方が、、、良さそうじゃ、、、」

 

          「ワシも、、、そう思う、、、」

 

     村の長は、村民に、本土決戦の為に

           備蓄などをはじめたさなか

 

              女性たちは「竹槍」をつくり始めた。

 

             町長をしていた

                母方の、、、私の祖父が、

               大学出身の少ない田舎では

              校長先生も兼ねていた。

 

         学校では、

          座布団を二つ折りにしたような

             防空頭巾と呼んでいた綿入れ帽子が

                 通学スタイルになったころ

 

       

        国から、

      日本の、軍隊の玉砕が知らされたそうです。

 

       祖父は、単身、戦場まで、

           娘家族を迎えに大陸に渡りました。

          

     アメリカから、日本に帰国していた祖父は

        アメリカと戦争するなんて、、、

          どうかしていると、、、嘆いていた。

 

      この戦争は、

        巻き込まれてしまったのかもしれない、、、

       真珠湾を忘れるな、、、という

       アメリカの合言葉が、しばらくの間、、、

           原爆投下を正当化するかのように

              戦後の昭和25年ごろまで

                子供たちの耳にまで、、、

         「真珠湾?」と、、、飛び交った。

 

        祖父の話によれば、ハワイには低賃金労働者としての日本人が

         何千人と「サトウキビ畑」で働いていた。

          アメリカ兵とともに、、、日本人も真珠湾で大勢死んでいったのだよ。」

 

        明治生まれで、筑波大学の前身の師範学校を卒業し、

        28歳でアメリカに留学していた祖父は

 

           戦争がはじまる直前に、引き上げてきていた。

 

            日本はアメリカと戦争するなんて

              全くどうかしている、、、、

             資源も比較にならない、、、

             法の下に発展してきたアメリカの国民意識は

            南北戦争をはじめ

              いろいろの国の国民の

                合衆国であるだけに

              考えそのものが、合理的に発達してきている国であったそうです。

 

               日本の一部の人間によって国が動いて行くような

            短期決戦型の国とは違いっていることを

           小学生になった私たちにも、、、

        話してくれるような祖父だった。

 

         終戦の前に、戦場から、着のみ着のままの姿で帰国して

               救われた父母は

 

         祖父が、町長をしていた南紀の山奥に、

                そのまま疎開したのでした。

          「産めや増やせ」の国の掛け声で

           戦時中の女性は子だくさんでした。

             我が子が、、、肉弾3従士や特攻隊の

               人間爆弾になるとは、、、どの母親も考えただろうか?

             考えもしない展開を見せた、、、

               人間が武器となった戦争であった。

             物資のない中、、、

                  母も8人、、、

                    出産しています。

 

               日本に帰国できたのは、長男と次男だけでした。

 

                帰国した父母が

           実家のある市ヶ谷、母校の有る飯田橋界隈、、、は

                  焦土と化した。

                  焼夷弾攻撃で

                東京を捨てて人は疎開を選んだ。

 

          山奥へ、、、山奥へと、、、

             無医村の医師として

            疎開の生活が始まりました。

 

          十数軒だった集落は、

            七か村、点在するように川に沿ってありました。

 

             無医村地区に「東京の医師が住み着いた」

 

           その情報は、村落だった村が、、、にわか銀座となり

          医師のいる村に疎開する,、、、、動きは、

             にわかに人口も住居も増えて

            戦後の疎開生活は、

              無口な父が、動きを止める暇の見いだせない

            激務の続く診療の毎日でした:

             人工は3000人を超しました。

 

           体も、、精神も、、ボロボロの

           傷痍軍人が、白い服で、診療所に来ては

          戦後の復活に向けて、、、

                   少しづつ立ち上がっていきました。

     

 

戦後の日本を観てきた時代に生れた私

          自分の人生も…77歳となり、、、

    私なりに、、、勤勉に、、、

          ひたすら銃後の御奉仕のように

           日本女性は、戦後、、、立ち上がる日々だった、

 

      「少なくなった男性人口の中」、、、

            老人が復活の家庭の戦力であり

 

       未亡人が、、、、残された男の子を3人も、、、

 

         父の診療所で、

          食事配膳を切り盛りしたり

           リネンや掃除に明け暮れ乍ら

              戦争未亡人の鏡のように、子育てをする姿に

 

                今も、、、思い出すのは、、、

                 帰宅時にもたされた「握り飯」に

                    笑みがこぼれた、、、あの時代。

 

          昼も夜も、激務に往診、、、

             父の姿は観えなくても

         働き手を失わないで

             疎開で来た母は幸せな方だと思った。

 

        戦地で子供を三人失ったことと、

         1人の流産で

         疎開地に着いた後でも、

 

           時折耳を抑えて走り回ったりしていました。

 

           「 B29」の飛行機が

                 昭和20年代の後半まで

              あんな山奥の疎開地の空の上にまで

               飛んできていたのでした。

 

           ゴン、、ゴン、、、ゴン、、ゴン、、、と

                 響く独特の音響が

             空を威嚇している様な、、、

         地響きのように共鳴して

           母は、狂ったように、、

            耳をふさいで、、走り回っていました。

 

         子供たちは、、、何とも、、、

          理解しがたい大人の姿が

           目に焼き付いています。

 

           B29が去ると、、、母や賄のおばさんは

            ニコニコと、

            もとの顔に復活するのでした。

 

           戦争を知らない、、

              団塊の世代の男子が生れました!!

     戦後の太陽の子です!!!

          

          戦後は復興に向かって、、人々は

             アメリカに追いつき追い越せ‼!!、、、の

              ありえないほどの「勤勉な日本人!!」の

            登場でした。

          「湯川秀樹博士」が「ノーベル賞:」を授与されて

          誕生する男の子の名に、、、「秀樹」、、、多く聞くようになりました。

 

        雪囲いしながら、、、今は、、高野山の杜となって

           この世を卒業した父母の時代が思い出されて、、、

              いつしか、、、庭木に

             思い出の人々の笑顔が見えて、、、

           来年も、、一緒に生きようね、、、

             一本一本の枝折れを防ぐように

               選定しながら、、、

                  雪から守ろうとする、、、ごく自然な友情が

                今年も、雪囲いをするのかもしれない、、、

     

            

           来年も、、生きていたら、、、息子にも逢いに行きたいと思っている。

        

 

       孫が3人とも私立、、二人は大学、、、めざしも分け合う長男夫婦に

        「この,,,向こう4年間が人生の、、、育児戦争のピークだから、、、」

       「 長い間、、ローンンを返し終わった分を

                銀行が、上乗せして貸してくれたから、、、助かった!! 」

          共働きしている看護師さんの嫁さんとは

            経済戦争の戦場の話を聞く役でああるが、、、頼もしい戦士デす。

 

              普通の嫁舅、姑の様な 

 

             お茶を入れてもらうとか、、、

              一緒に買い物をするとかの

                親族の独特の付き合いは、、、

                    我が家には無いが

              しっかり生きてゆくようにと、、、

                 応援の心も

                 祈る心も、、、

            普通の爺ちゃん婆ちゃん並みに有るのですよね。

 

                   

             不思議ですよね、、、孫たちの笑顔は、、、

 

           共働きする両親の姿が

 

              過ぎし日の自分たちの

             「育児戦争の時代」と重なって

 

             野球に夢中に応援するフアンにもにて、、、

 

                未来に放たれた、、、矢のように見上げながら

                  息子家族の頑張りを

 

                 無力になってゆく77歳の婆ちゃんは

 

                   毎日、、日の出に、、、

                    皆の幸運を祈っている。

 

         戦後の太陽の子は、、日本の「早期がん」を見つける

               医学への貢献が出来て

           父も、兄も、、、、医師を育てて

                  医療に貢献できたことを

                   遠く北海道から、、、見つめながら

                  今はすべてに感謝しかない。

 

                明日は、、、残りの雪囲いをして

               未生から育った君子欄を、室内に移して

              対馬で生薬探索会でもらった未生の椿が

             30年過ぎて、、、蕾までは、、咲きかけた今年、

            まだまだ、coronaにも注意しながら

               孫子を労わるように

              庭木が、、、私の世話焼きを受けてくれる。

 

            次男は、、、、50歳を目前に

              医師をすることだけに、、生き甲斐を感じているようであるが、、、

                 大学が

              卒業生をしっかりと成長さして

               医師をすることの病院勤務に

                必要な技術を育ててくれたことは

                  家庭の育児とは

                スケールの違う、、、医療界のリーダーなのだろうと思いながら

           経済的な余力のなかった北海道の暮らしからは

          孫子の未来に向かって

         我が家から

     「医師を育てる力は、、、もう無いであろうと思いながらも、、、」

       医師の娘として生まれ

         世間からは想像もつかない、、、医師の舞台裏を見続けて

           ギリギリのところで

             医療崩壊を避けられた、、与党のワクチンの入手に感謝しながらも

          これからの日本の医療体制は

            国際交流の    その陰に危惧される、、、感染症に備えて

              

                医療チームの

 

              現場の医療に必要な組織作りを

             政治家の偉い先生の指導のほかに

                 現場専門家の意見に即して

                   医療は、、、権力や、、順番ではどうにもならない

              専門分野の「命」に対面している毎日であることを

             再認識して、、、

            半可通な意見ででっち上げた、、、

              マスコミ報道が

           下手をすると、、、国民の

             自宅療養で

           命を失う医療社会をつくってしまう事に

                 気が付いたと思う反面

 

         のど元過ぎると、、またまた、、、

            あることないこと、、、

          現場を知らないコメンテーターの、、、

            評論が、、、医療崩壊の方向にと、、、

                    モンスターの取り巻きをつくってしまい

 

               再び、、医療崩壊の起きない社会を構築する為の

             雑音になるのではないかと、、心より

           医療の充実で、

          、国が亡びるのを防ぐ方向の放送を願っています。

            医師や医療人を揶揄したくなったときには

             ゴミ袋で走り回っていた医療人の姿を

               思い出して、、、

             二度と、、、自宅療養で、、、若者が死んでゆく事の無い

            医療体制と、、、患者さん側の、、、

               自分が素人であるという

             「御 自分の命の前には」、、、謙虚になって

                 専門家の医師の前で、、、

                  客だと思う事はどうかと思うのです。

               

       命は、、、医療組織の充実で守られると信じています、

      人間の誰しもが,、、血管は青く見えるし

            血管を繋ぎ合わせると、、地球のひとまわりよりは

               はるかに長い、、、

             心臓が、、、その地球の周りよりも長い血管に

            ポンプとなって絶え間なく血液を循環させて

          命を守ってくれているという

        人体の構造は、、、神がかった精密な

             物理であり、、、科学であり、、、心理学であり、、、

              この世の学部全部合わせても足りない、、、「心」が左右する。

 

        たった一人のドクターXが

             「人体を引き受けられる歳てドラマをつくり」

          黙々と命と向き合う医師の姿を、、、揶揄し、、、皮肉り、、バカにする、、

         全てはパラドックスに似て、、、面白いが、、、笑ってしまう、、、嘘が面白い!

        

            先ごろの「ハナシカ」さんの「人間国宝」が旅立たれ

             追悼番組を観乍ら、、、

               「ハナシカ」にかけた人生の真剣さに

                 どのジャンルの職業も、、、皆

               命をかけていて、、、その人にしかわからない

              哲学を持っていて、、、真剣に生きている。

                 

           医師も、医療人も、、真剣勝負の世界であるから、、、

          これからも、、、定期的に起るであろう、、、

              パンデミックに備えて

         マスコミの、、半可通な医療描写は

         「患者様」「患者さんのお客意識」「医師への表面的理解」

         「白い巨塔」「アイゼンカツラ」「、、、白衣の天使、、、

            医療現場を知っている者は、、、

           感情が先行して物事を観ているドラマは、、、

              考えモノではある

 

         ニッポンの未来、、定期的なパンデミック

           細菌戦争の時代に備えて

             命と闘う医療人の

             専門知識の取得と維持の、、、見えない出費は

              40歳ぐらいまでは、、、ローンできり向けた記憶があります。

               

            TVで観るような、セレブな夫人は珍しいですよね。

          

              

              見かけ上の分配される収入は

                医療機械のバージョンアップやリースに消えてゆく。

             このまま行くと、、

              コロナの時の悪夢のように、

                 自宅療養で死んでゆく命が

            防ぎきれると言える医療組織であると、、

                 日本の、医療組織そのものが

                     医師の時間貧乏という仕組みを、

                           変えられるとは思えない。

 

           細菌爆弾搭載ミサイルの迎撃装置は

            医療人への理解と、、

           医療組織を権力で統治するのは無理があるという事と

           医療人とその家族への理解と、、、

            世の中の白アリが、、

             医師を喰ってしまうのを

                防げないモノなのだろうか、、、?

 

         国宝だったハナシカさんの言葉をお借りするのなら、、、

           医師はハナシカ、、、だとするならば、、、

               マス小物報道は「落語」に相当して、、、

                 素人は、、同じものだと思うかもしてないが、、、

         笑わせるのと、、、「笑ってしまう」のは、、、違うという事でしょうね;

             落ちがでましたので、、、この辺で、、、ペンを置きます。