最近は、ヤフーで、皆の活躍を検索しながら、ごく自然にサイトに導かれるままに
クリックしながら、時代について言っているような、深夜の2時間です。
昔、札幌にいらしゃった、京都大学の薬学部を出られた奥さんと、
ふとしたことで、顔見知りになりました。
私自身「日本大学の理工学部時代の薬学科」卒業なので、
医学部に例えるのなら、
京大の薬学部は基礎医学者で
日大の理工学部は、
臨床医に相当する実践学の大学だった。、、
私の学生時代のころはね。
それでも、クラスの、学門派の同級生は、
慈恵医科大学の医学部の薬理学の教官として、
帝京大学の医学部の中央機器何とかやらで、
博士号を取得して、研究者として、教官になっていたから
総括して、日大は臨床実験タイプの。運動家タイプかと言うと
走でもなかったような気がする。
私自身も、所属していた薬理のクラブの教授から
恩師でもあり、友人でもあり、学会の仲間でもある東大教授の
研究室で、寿退職する職員の穴埋めに
東大医学部の薬理に、とりあえず行くように言われ、
勤務した。
行ってみてから、どんな大学にも、
私ごとき、右も、左も
よくわからない大卒ほやほやが
歓迎される隙間の仕事って
あるものだした。
とりあえず、基礎の教室は、考え方が基礎ですから、
免疫剤が世に出ない頃の時代の
心臓移植をする、考えには、
ありえない考えの先生方とお見受けしました。
ヤッテ診て成功は、、臨床家。
まず、免疫抑制剤の開発のための、
基礎の薬物動態から、、、と
いろんな薬をヨウ素の同位元素の131に乗せて
犬を使って、薬物の動態を追跡する。
小さなステンレスの
ミニトレイに放射性の物質をミクロにこだわりながら
調整する。
例えて雄ならば、うな丼頼んだら、
ウナギを釣りに行くのが、担当医の臨床家。
ウナギの卵のふ化などを試みるのが臨床実験だとすると
基礎の教室は、ウナギを細胞レベルに解体して
ウナギを徹底的に調べて、膨大なウナギ資料を創り上げるみたいな、、、
うな丼に到達するのは、
その資料が儲かる場合、
膨大なお金途時間をかけて、
製薬会社などが、
じわじわと、臨床実験にまでたどり着き
薬になるのは、何十年後、、、という、、薬。
薬。たかが薬と、、、週刊誌は、簡単に記事にするが、
この関係の仕事に従事すると、
一生かかって、ボロボロの白衣になって、、、
実は、、何もしなかった。何も出来なかった。
しかし、実験方法は、生涯かかって極めたから
どっかの、、短大の教授になって、
凄い弟子を育てて、その弟子が
栄養学のオーソリティになって、
結局、先生としての仕事をなし得た友人もいる。
私の場合、とにかく、
医師の仕事以外は、何にも出来ないという、、
、外科医と
、言うに言われない、、、とと姉ちゃんのように、
高校生の弟、私立大学生の学生3人を残して
父が、54歳で早逝した。
東京大学に、、恵まれたスタッフの間で
国家公務員で就職できたものの、
寿退職のはずの職員が
破談となり、
「私は辞めない、、このままでは、定員オーバーです。
あなたは、若いから、東大の実験室の職歴で、
大学の、臨床薬剤科にうつりなさい。」
30歳の半ばを過ぎた、破談になった先輩職員の
悲壮な、ヒステリックなまでのススメもあり、
「ま。。。いいか?!。。」
若さの向う見ずの転職で、臨床薬剤師の修行に
私立医科大学の薬剤部の調剤に移動した。
おかげさまで、実践に役立つ技術を取得出来て、
月給も、公務員の2倍になった。
さすが、、、日大は実践に向いている。
精製水をもう一度蒸留して注射薬の製剤部に回ったとき、
細かい無菌操作をしながら、
基礎の実験に比べると、グラム単位の扱いなので
かっての職場の実験操作体験が
気持ちのゆとりをもたらしてくれた。
小児科の調剤の時は
ごっそりと積み上げられた入院調剤の処方箋が
今でも、夢に出てくるぐらい、緊張の連続でした。
処方箋の薬剤の0.05グラムとか。。。
その種類が15種類とか、、、
しかも、何倍さんとか、、
障害物競走をしているような調剤に
精神は、慣れるまでは、疲労困憊した。
ロイケミンなどの白血病の小児の為の薬を秤量しながら、、
次の月には、処方が来なくなり、
胸が締め付けられながら、
調剤していた。
ともかく、日大と言う大学は
私の在学していたころの昭和40年初期は
玉石混合の社会の縮図のような大学であった。
先生も、東大からの定年組の教授は
チンプンカンプンの難しい授業であった。
どうやって、通過したのか、出来たのか、、、?
先生方のおおらかな憐みが???あったのかもしれません。
あれから、50年
私は、医師の仕事しかしない夫の便利屋を努めながら、
薬剤師を貫いた友人が、独身でもある事や、
離婚組であることも、珍しくないという結果を観て、
かなり、先生とか、薬剤師は女性進出の職業なはずなのに
結果として、
離婚、、独身が、、良い仕事を残している。
医師と結婚した薬剤師も多いが、
結局、子供を育てくのに孤軍奮闘して、
もう一人の、大きな子供のお世話で
筋肉ウーマンの人生を送りながら、
医師と言う、民間からは解りやすい存在のウムラウトとして
付属物扱いのジレンマから、
何事も諦観できる修行をさせられて、
脇役人生の中で
自分を探し続けて70歳に突入。
アイガー北壁をながめつつ
足幅しかない尾根を歩く、、、いもりさん。
貴方の人生は、、、凄い!
その一瞬で、宇宙飛行士に匹敵する感動を
視聴者にくれました。
今日は、いもりさんの番組のおかげで、
人生、、何もしなかった自分が、
なんで、、、こんなに、わけのわからない時間を
過ごしてしまったのか、、、
復唱していて、支離滅裂の文になってしまいました。
アイガーに登頂成功で来たら、、、
私、、この世で思い残すことはないかもしれない。
京都大学を卒業されて、、、雪を搔いていらした
才媛の、、奥様は、
ご主人と転勤されたまま
交流は途絶えましたが、
ご立派になられたお子様が、活躍していられますね。
奥様の人生の証だったと、
拍手しています。
阿部首相が、、、女性が働きやすい世の中を
発言してくれています。
お休みなさい。、、いもりさん。