花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

20年という歳月

2015-01-21 17:35:22 | Weblog




20歳になったら、成人式で、
大人入り


40歳になったら

   会社で指導者として認められて必要とされる人材に
   起用されるか?

   あるいは、

   会社より、
   個人的なことを大切にしたばかりに、
   組織人としては失格。
   能力だけあれば足りる末端へ「左遷」されるか?

   または。。。栄転だよ!!、、、おめでとう!

、、(^^!

   何が栄転じゃ。
   支店長兼窓口、事務員、外回り、一人でやるの?
   そして出向、、、

   目立ち過ぎた指導力があったばかりに、
   上役の上を飛び越した。
   昨日の友は今日の敵、

   てっきり好意でしてくれていると、
   思いきや、、、
   革命後のジャンヌダークの運命とともに

   頭に乗りすぎて勇み足で、
   打たれる杭となるのも40歳。

しかしこの中には、
多分に、

会社から試されている場合もあるから厄介だ。

好いとこ取りの、
計算機のような社員は、
ここで転職。

人生は無情だからって、
定年が高年齢の会社に切り替える。
おれの資本は体力よ!、、、割り切る。

行き先を決めてから転職するなら、
最低の知恵は働いている。

この俺様を!!!!!
なんだって島流しにするんだ!!!と

キレてしまっては、
世間様の思うツボ。

あいつは全体が見えないやつよ。
風船は、何もしなきゃ真ん丸なンだ。

ゆっくり上に飛でゆくさ。
おーーーーい
おれの人生どこへ行くんだー?

若くて、次の世代の社員に切り替えられる20年目。
バージョンの新しいメカを
使いこなす世代に入れ替えられて
ハイ!
ウインドウXPはサポートがありません。
それしか使えない社員ごとごみ処理場への40歳。
、、、、、それまでよ。

かといって、
会社の仕事をまともにやっている社員には
あれこれ、目立つ論文も、
頼られる認定や、海外研修も
やってる暇のない、ロンダリングに自分でまきこまれる。

家庭の主婦みたいに。
やってもやっても評価されなくて
頼まれてあたりまえ。
ひたすら、便利な奴になってしまう。

ところが
便利人間長くやっていると
表現しにくいほどの
現場の感が授けられる。
将棋の世界とおんなじで
PCにも負けない、次の一手が理屈を超えて浮かぶものです。
実力という、無冠の帝王人の道が開かれる。

脱サラ成功!
開業成功!
独立成功!

後はNHKの「放送大学」で
お客さんのレベルに合わせて、
自己研鑽と、個人資金で実践をしておけば、

隙間産業で生きてゆく道も、20年は何とかなる。

20年後、時代に追い越され、
閉店するとき、
税務署は、施設ごと売らねば払えぬ税金で
時代遅れた施設を一掃してくる。
つまり、、、
店も、開業も、企業も、
40代なら、開くのはそれなりの力でたりる。

20年後、、、閉じるのが大変!
閉じるのに、、、借金なんてことも珍しくない。

開業の施設を貸せば、、、なんて、、甘い甘い。
その時点の斬新な設備に変えたいから、
古い機械も設備も、取っ払ってほしいという。

。。。それだけで破産。

個人が勝ち残るには厳しすぎるよ、、、羊さん!

失業保険の世話になるという事は、
サラ金ローンがあると、
銀行の低利のローンが組みにくいのと似ていませんか?
世の中

個人情報が

一万円札並に、ロンダリングしています。

再就職の条件は、
自分に特異な
才能や
能力を示す
免許の類いが要ってくる。

世間様は待ち受けています。
対して役に立たない装飾品並みの免許ラッシュ。
自己満足から、自尊心を、自ら生産しながら
自分で自分に生きがいとやりがい持てる社員を
自給100円アップで募っています。

これだけ考えても、

世の中、羊になる人と、
牧羊犬と、
牧羊犬を操る羊飼いと
牧場で働き、つつ、羊を選別するマニュアル眼力で評価して
未来の秀逸な羊の、目の前の弱点だけを
マニュアルにそって選別する、、、大衆眼の人畜無害に見える害虫人間。

ビジョンと夢と、
戦後の復興を世界に向けて発信した
世界レベルの日本を築いた団塊の世代の恩人たちは
今、、、、何処に行ったのでしょう

迷った羊をジンギスカンにする料理人は、
派閥争いから派遣されてくる。

現場を無視して、時代だけを読む出資者たち。

施設への出資者が居ることが、
時代を切り捨て、
回り舞台のように
時代の価値観もすり替えてしまう。

かって、、、向田邦子さんのドラマの中に
TVで、ご飯食べるシーンに、
ほのぼのと、びっくりした記憶がある。

昭和10年代は
誰も、
知らない人は居ないほど、
みなさんご存知瀬すよ。

それが今は、、、、
何処のチャンネルも、、、食べている。
味を伝えることのできない悔しさがありませんか?

NHKのSさんは、音と映像と、自然体で
TVやラジオの、持てる力を使いこなす
凄い視点の、「詩人」「瞬間のありのままを切り立ってくる画家頭脳」
一画面が語ることは本の一冊をはるかに超える。
見る側にも努力が要り
感性を磨くことが、
作品を楽しむことにつながってくる。

もちろん、「ごちそうさま」も毎回見ました。
ほんとに、楽しく、毎朝待ちました。
「赤毛のアン」は。本の訳が素晴らしい。
中学校の時、
中学校が、図書館の前にあったから
「赤毛のアン」に出会ったときは、

国語の教科書の代わりに読みふけった。
訳そのものが、感性が書かせた詩だったのを記憶している
抒情詩の好きな年代だった。

NHKのSさんの家に下宿して、
進級試験に明け暮れた大学時代には
興味の詩人がすっかり変わった。

***********************

20年という歳月は、牧場の柵が、
瞬間ですが開かれるのですよね。

20歳になるまでに、
免許のひとつや二つは取得し

40歳になるころは、

若い羊の面倒を看れる力と、

それなりの毛並みをそろえ、
さりげなく

もうすぐ開かれるだろう柵のそばに、
行けてることが、

羊飼いになれる一瞬のチャンスです。
チャンスには後ろ髪がない!
後ろの髪をつかむチャンスはない。

待ち受けて、、、さりげなく
通り過ぎる瞬間をつかめ。

40歳。

其処からは、激務に耐える
自分の腕次第で、、、よい人生を造るんだよ。

「おらが会社のイメージで自己洗脳」

働くことが、
生きがいになるような、
鈍感過ぎるといわれるほどがよい。

「僕の会社では、、、僕の。。。」連発してもいいと思う。

愛社精神で突っ走る。

愛社精神と、
時代に生きてるプライドで、

後の20年、
鈍感力が物を言いますよね。

20年、、、40年、、、60年

二番だと、、、
本人が気づかぬように、、、
粗大ごみ」になってしまう。
羊の方が、食べてもらえる。

会社の寿命も
団塊の世代とともに消えて中身が入れ替わり
秀逸の実力で覇者となっていた時代が回り
名前だけがむなしさを語る。
世の中、、、人を育てそこなったらおしまいです。

伊勢神宮の遷宮の時、
若手作業員、見習いが、
次の遷宮の時は
技術者としての体験が、
物言う実力となり
棟梁がきちんと養成されているという

昔の人の知恵は永遠ですね。

アメリカからやってきた
PC文化は
VM21が私が使った初めてもPCだった。
3年ローンが残ったままのバージョンアップで
ウィンドウ95は
フロッピーが小さかった。
喜びも束の間!
周辺機器ごと、データーごと
時代のごみと化して
、98バージョンへ、
そして2000、XP
ウインドウ7、*****8、*****8,1、、、

時代のゴミは
データごと入れ替わり
技師も、
周辺の関連商品も
ゴミとともに、
新バージョンへ。

スマホがあれば、
間に合うさ、
ガラケーと、
仲良しは、賢い人。

20年間、世間様に遊ばれて、遊ばれて、
走り回って、柵の近くに行きたくて
柵から遠くへ行かないように、

時代に乗ろうと
水澄ましのように表面を泳ぎ回った。

私が居ない!
何処に居るの、、、私!
いつ70歳になったの?
私。。。

若者よ、体を鍛えよう!
若者よ、
歴史も時代も、
自分で見つめよ、
私のように
振り回されるな!
何を学び、
何を体得したか、
自分をいつも信じて歩め。
君は愛されている!
君は天から愛されている!
君の父母は
11割の愛情で、
君を抱きしめて人生をゴールするだろう。
親が、寿命で命尽きても
親の遺伝子は
きみの心と体の中で
二艘の舟となって、天空に浮かんでいる。

さみしくなったら
オリオン座を一緒に囲んで語らおう。

20年一昔。

年寄りの知恵を用いて、
自分若さの知恵と新しさとブレンドして、

知恵を授かろう。
神様より授けてもらえる生き方をしよう。

ゆく道を見つめるものと、
来た道を振り返るものと

知恵をブレンドして

死ぬまで戦え、
人を頼るな、
ひとに甘えるな、
精神が豚になると、
えさを狙って、
ハイエナが寄ってくる。
いつも、
フレッシュで、
さわやかで、
立ち止まってはいけない。
マイペースを見つけ出し、
「俺様が生きてゆく主体を持て」
そして、、、大切なのは、

休むのも仕事だという事です。

人を頼むな、
人に頼める人格になれるように、
他人にも頼まれたら、
相手の視点を大切に要件を満たしてあげれる
思いやりの視点を増やせ。
ひとを利用するな、
得することを考えるな、

40からの生き方を
自重して機に敏になれ!

走り続けるコンディションを身に着けないと
丸々太ったステーキに、見られてしまう隙ができる。

年齢で分別し、無差別に蚊帳の外にしてくる60歳!
還暦、、、若き日の一人から始める年が20年後にやってくる。

若き顔を見て逃げていた狐たちが
食いに来る60歳がやってくる。

年で分けられないように、
年をとらない技術や、
認定や、考え方を通して、
若手を育てよ。

自分を、師匠、親、指導者として必要としてくれる
子供や、後輩や、サポーターを育てるように。

20年を節目に
切磋琢磨が
男の生きてゆく必須条件だからね。

、 母さんは、どんどん年をとり、
       あの世に向かってゆくけれど、

面と向かって言えなくても

しっかり生きて行ける
気骨だけは伝えたい。

連休が約束されているではないか。

人は一度は死ぬんだから。

100パーセントの確率でね。
怖くない、人生なんて、

一度しか死なないんだから、

勇気をもって、生きてゆくんだ
馬も四足
鹿も四足

鵯越は
ドクターヘリで降りればよい。

自分の夢を貫こうよ

年よりも、惚けさせるな!
どんどん仕事を頼んで
しわくちゃな身体に
アドレナリンを呼び起こし

皆、ぴんぴんころりの良い人生に向かって、サー、、働くよ!

羊飼いと、牧羊犬と、羊たちの幸せ

2015-01-20 11:31:05 | Weblog

戦争を境にして、多くの人々の人生が、
どんでん返しになった日から
かれこれ70年になろうとしています。

私の父も母も
多くのものを失いました。

戦乱の恐怖が
時々、甦るかのように
母は、耳を押さえて

ムンクの「叫び」のような「一枚の絵」になることがありました。

あの時から、私は、ムンクの「叫び」の絵は
叫んでいるのではなく、

耳を押さえて、聞きたくない音の風景に慟哭している絵だと
自分勝手に解釈するようにになりました。

さっきまで、和やかに母と会話していたのですよ。

私は、鼻歌交じりに「あ~りらん、、、あ~りらん、、」と
歌い始めた時です。

母はフリーズして、ムンクの「叫びの絵」になってしまったのでした。

戦乱の中、逃げ惑う中で、この歌が聞こえてきたそうでした。

PTSDとか、そういうのではないと思いますが、

一過性の錯乱状態だったことは確かです。

どんな人も、琴線にに触れることってあると思いますが、

母は、ピカソのゲルニカのような、
地獄を見てしまっていたのだと思いました。

明治生まれの母の時代、
東京の音楽大学に通い
青年医師と出会い、

結婚し
自分も、東京都の珍しいと言われたころの
先生をしながら、
長男に恵まれて

この世の春だったと思うのですよね。

それだけに、戦争で失ったものが多かった!。

羊飼いの少女のような生活から、
いきなり、、、羊になってしまい
牧羊犬に追い回される戦争が起きたのですから。

世界遺産になる前の
南紀の和歌山に疎開してゆく多くの人に交じって、
熊野の川を
さかのぼっていったのでした。

母が卒業した新宮高校では、
佐藤春夫さんや、妹さん、、、
今、NHKでは知る人ぞ知る、、、
音で作品を表現してゆくSさんの母上とも同級だったのです。

勝浦新宮、古座川界隈は、自然が人々を幸せにしてくれるところでした。

母は、南紀で生まれ、
先生をしていたおばあちゃんと、
東京の青山師範を卒業して、
校長先生をしていた祖父の間に生まれました。

祖父は若いころアメリカに渡り
多くのことを学び、古座界隈に持ち帰っていました。

疎開中の私が、小学校に入るころは
おじいちゃんは、町長さんをしていました。

また、中学校の校長先生もしていました。

父は、あたり七か村、無医村という状況の中で

母とも、子供たちともすれ違う激務の中で

なぜか、、、生き生きとはじける魅力の笑顔が記憶に残っています。

あのまま、村の人たちの「かけがえのない存在」で生きていたら、

きっと、長生きをしたことでしょうね。

30代のピークを,

戦争という名前の「牧羊犬」に追い回されて、

戦後は、羊飼いになって、多くの羊を育て、

羊毛で、世界の人を温められたらと

思ったのかもしれません。

あるいは、戦争前に総合病院の院長をしていた時代の
「羊になりきれない血が騒いだのかもしれません。

戦争で木端微塵になった本土決戦の
残骸の中で、立ち上げる時を察知したのかもしれません。

戦いは、、、これからだ、

新しく開業した東京への復帰は
筆舌に尽くせぬほどの、「復興」の、
新たなる戦いでした。

あのまま古座に居たら、
長男も末っ子も
学問のチャンスをつかめないまま、

草を食み、幸せの中で
ジンギスカンのお肉になっていたかもしれません。

何もなかったけれど、、、
耕せば実る勉強の畑を与えてくれた父は、

子羊の子供たちを守りながら
54歳で他界したのです。

戦後、父母に再びの希望をよみがえらせた、弟の誕生が、
時間の泊まっていた南紀の川を下り

東京へと、戦後の新しい教育の激流目指して
父母をよみがえらせたのでしょうか?

弟は「団塊の世代」の日本の復興を果たした年代の一人です。

子供のころから、姉のかなう相手ではなく

その才能が、親を東京へと復活させたのでしょうね。

彼が、国立一期校の医科大学に合格した時は
父は、亡くなった後でした。

熊野で、粗末なレントゲンの、不完全な鉛の防御の診察室で、
外科医として、日夜、レントゲンを使い、
自分で現像する父の診療所には
傷痍軍人が、働くことを忘れたように
心と、体の傷を抱えてきていました。

父は、失った手足は、
もともとなかったつもりで、
使えるところを磨き、自立せよ!と

義足を造ったり、義手を造ったり、

心まで、依存性の奴隷になるな!と
瀬としていました。

話す父の手は
放射線の漏れからくる潰瘍がいっぱいで来ていました。

医学部を卒業するころ、
医師も、患者さんも、
痛みのない診断がされる日の為に、
僕は闘う!

大学の外科の医局に居て
手遅れになっている患者さんの手術に向かうとき、

手術が、手遅れになる前に発見し、
痛みのない治療ができないものか!?と

話すようになりました、

その時、新しい医学の象徴のように
国立がんセンターが、

ヴィジョンを持って
弟を吸い込むように、未来の夢に向かって
人生を大きく変えさせたのでした。

CTってなに?

なんなの、それ?って
皆CTなど聞いたこともない時代でした。

敗戦の中から、復興の兆しが見えた日本の医学の黎明期でした。

すっかり、、、お年を召された白髪の柳田邦夫さんの本の中に
当時の、がんセンターが、CTを充実させてゆく
新しい、痛みのない診断へ向かう医学の黎明期の記録が
何冊かの、本になって残っていました。

「がん回廊の朝」「明日への挑戦」、、、
姉として、当然、息子たちに本を送りました。

外科の出番が来る前に
発見して、
痛みのないうちに
初期がんを撲滅させるんだ、、、

息子は、当時おじさんにあこがれていたせいもあり、

大きく影響されたはずと、思いながら、

文京の、マンションの最後荷造りの中に
弟の出ている2冊の本と

肝、胆、膵、の弟の著作した本を
丁寧にシートでくるみ、実家に発送した。

私が、命尽きた日にも、

弟の夢を追った人生の結果が生んだ
これらの本が、

母が伝えることの不可能な

戦争からの日本の復興の、
ひとつのジャンルだと、思ってしまうから
捨てられなかった。

これらの現象を、牧場にたとえるのなら

羊飼いは
、東芝という技術に優れた人々と
弟の夢と、
がんセンターという
牧場主の、合奏曲として

夢を追う激しい闘魂の牧羊犬を
弟の心の中に住みこませた
父の、敗戦からの、
追いつけ追い越せの闘魂が
実を結んだのではなかろうか、

人を産み
人を育てることしか知らない
昭和の十年代の私の心は、

自分の中の小さな牧場を、
柵を超えられないまま
うろうろと、思いつくままに、
ひねもす、
草を食んで過ごした70歳でした。

若者よ、
自分の心の中に、
一匹の虎が住んでいるのに
気が付くでしょう。

虎は、孤独で、
鏡に映った我が姿を見て
「びく!」と驚きを隠せぬそうな。

孤立しないで、

皆で勝ちに行くように、
仲間を募り、

夢をかなえるための
夢を持った人と、
出会えるように、

共通のビジョンの為に
人生を、ともに歩けるように、
自分なりの役割を果たしてください。

CTってなんですか?
CTとらしてくださいって?

いろいろな科の医局で
迷惑そうに断られたりしながらも

データーのない時代から
データーを集め、

東芝技術陣と、CTそのものの
機械の改良に、
議論を繰り返し、技師のよい画像と、
医師として、

患部がクリヤーに診断できる画像との
ずれの改良とか

当時の弟は、

人間をやる暇がないほど
100パーセント以上、
がんセンターの中で、
飛び回っていました。

理解してもらえない時代に
予算もなく、生活も、生きづまり、
落ち込んでいた時に、


時代が
弟を必要としてくれたようでした。

多くの人々が、痛みのない診断の恩恵を受けられている!

これが、、、報酬だったに違いありません。

息子よ、
見える栄華や
権力や、
贅沢を追ってはいけない。

結果が出ようと、出まいと、

医師だけをしながら
戦争に出っくわし
ぼろぼろになって、
54歳で早逝した
あなたのおじいちゃんは、

息子が、自分の夢を継いで、
戦い抜いた
「団塊の世代の一人として、
ジャンルを問わず」

医学のCTの牧場で、
日本の復活の紛れまない役割を果たしたと
孫にあたる
君の血のの中で、
うなづいているかもしれない。

意識下に感じなくても
おかあさんの中の
霊性が
ふと、
量子力学の世界の、
コンクリーの壁を突き抜けるように
精神の中でひらめくのです、

*******************

世間様が、どう誤解しようと、

サラブレッドは、、、血で走るのです。

羽生さんは、氷から生まれたように
かんじませんか?

医師は医師の道をしっかりと歩んでいれば、

知る人は知ってくれる。
わかる人は解ってくれる。
患者さんは。素人だから、恩恵を受けてることには
感知しないのが、またいいでしょう。

医学で人を包めたら、、、最高でしょう!
ほかに何が必要ですか?

ここまで話せばわかるかな?

君が。真摯に生きた証は、子供が示してくれるものだから、

そろそろ結婚して、
未来の銀河鉄道に
自分の遺伝子を載せて
時空に放ってください。

あなたの、生き方の判定は、
子供や、孫や、玄孫が、どう育つかで、わかるでしょう。

夢は、友を呼び
友は、友を呼び、

羊たちは目覚め、地球規模の幸せと、
森羅万象共存共栄の緑の地球という大牧場が
人類で、新陳代謝してゆくとき、

栄耀栄華、一人勝ちの国も、人間も
猿の惑星の映画のように、
むなしくスンをつかみ、
人類の栄華だけはありえない。、
一人勝ちは成り立たないという

水が教えてくれる
水の旅が、

雲を造り、
雨となり
雪となり
季節を運ぶように、

そのままの地球の力を引き出す人類の、
健康を担うものとして、

多くを求めず、

生涯、君のジャンルで
精神の中で
夢を追う牧場主になってください。

依存してもいけない。
人を頼ってもいけない。

知りたいことは、自分の足を運び、
目で確かめて、他人の視点で考えてから、
自分色の意見で、考えの子羊を放牧すると、

てんでバラバラに走る考えの子羊を、

時代という牧羊犬が追ってゆくでしょう。

その中に、羊飼いになれる羊が出てきます。

羊飼いの少女、、、という

ミレーの絵があるでしょう!?

あの少女が、生かされてゆく、
私たちかもしれませんよ。

君を医師に育ててくれた
胎盤の一部になってくれたMSを
去るにあたって、

二人でカギを閉めましょう。


もう
ここにはお母さんが来ることはできないのです。
君の忙しすぎる時間を埋めてくれる人は、いないのです。

70歳という年は、
時代が、親子を引き離し、
依存性からの出発です。

次の世代の、相棒に引合してくれる年が来たのですよ。

日本のどこかに、、、私を待ってる人がいる、、、

百恵ちゃんの、透き通る声が聞こえてきそうです。

意外と近くに居て、きずかないのかもしれないその女性にに出会ったら、

惜しみなく、
思いやりをささげてください。
其の女性の視点に沿って、日常のことは
彼女の意見をどんどん受け入れてください、

家庭が、彼女の居場所になれば、
亭主、元気で留守がよい、、、となりますよ。

そうなると、人生を仕事にかけても、
しっかりと、君の帰りを焦点に合わせて、
奥さんも。社会に参加して、時代についてゆくでしょう。
愛ってわからないものですよね。
愛は惜しみなく奪う。という本がありましたが、
物ではないから、主観がほとんどですから、
この人になら、何かを与えるというよりは、
この人の為に、役立てるのが幸せならば
与え続けて行ける君が誕生するでしょう。
そして幸せ気分をいっぱいもらって、

支配せず、私物化せず、一個の人間として尊重できれば
一人より、、、二人が幸せよ。

これからは、オリオン座を見上げて、
離れていても、空で団欒しましょうね。

   ソーネットの引越しが、難しくってわからないから、
   このまま、ブログレターや、
お母さんの日記はお休みに入ります。

また、、、お会いする日まで、、、さようなら















20年親しんだ文京のマンションも荷造りが終わりました。

2015-01-20 05:19:25 | Weblog
11月から、毎日本の整理をしながら、
床に生えたキノコのような生活が2か月半続きました。

中国の西湖のような庭園が近いここは、去りがたい思いです。
春になると桜が咲きます。椿も咲きます。
メトロエムには100円ショップもあります。
足を延ばせば、日大法学部のあたりには
かなり専門的な古本屋さんもあります。
飯田橋には学生時代が還ってくるような
おしゃれな店が、手頃な値段で並んでいます。

白山通りには、ばっちりグルメの材料がそろったマーケットもあります。
フラーと区役所に入ると、
お習字や、絵画や、いろんな展示会が見られるし、
一日1000円あったら、リッチな満足感が得られる地区だけに

20年間ローンが終わって、?
故郷に帰れる嬉しさも、、、
被災地の皆のことを考えると、贅沢な望みでした。

きっと世の為に、お金はロンダリングして
一人でも、二人でも、救おうと、廻ってゆくので
御あし、、ていうんでしょうか?

二人でドアを閉めて、
また、、、会える日まで、、、さようなら、、、

私の、、、文京暮らしよ、、、ありがとう。

小学校から、大学卒業するまで東京暮らし。
東大に勤務した22歳、、、
三四郎池には「雷魚が居たり。。。」

30過ぎた助手さんが結婚退職するからと
欠員ができるからと、勤めたものの

彼女の結婚は破談になり
このまま私が居るという事は、
彼女は居場所がなくなります。

ちょうどいいから、、、
臨床に移って病院薬剤師に転身したのが23歳、、、

臨床医に出会ってしまったのが24歳、、、

サヨナラ東京!、、、

まさか、、、45年も年も北海道の生活が続くなんて
自分でもびっくりしながら、

息子が東京の大学に入学したのをきっかけに
月のうち、一週間や二週間、
文京の界隈を散歩した。

東大の植物園は、主人もさそった、

家康の御薬園というだけで、ありがたく
満足な夫の様子が、面白かった。

江戸川橋の桜やミンクるバスで、
あちこち散歩したことが思い出される。

御茶ノ水から秋葉原へあるいてゆくと

学生時代が甦る。

ESSグループにいた、ウクレレの上手だった人、
電気科の男の子がはしゃいでいた秋葉原の電気屋台、、、

荷造りも終えて、、、ふと、、、気が付いた。

まだ、体の動くうちに、

大きな大きな、、、お片付けができたな~~~って。

私の未来は、身軽な方が良い!

発送を逆転して考えると、

、、、、いい仕事したかもしれない。


人生いろいろ、70歳の峠道

2015-01-19 04:12:38 | Weblog

13年前のことをふと思い出すのです。
ピカピカのノイへレンが、つんのめりそうな豊富と
つっかえ棒のいりそうな、張り切りようで

卒後の医局に入局した前後の、泣き笑いの物語です。

母さん、、、私は、新入医局員の、、、と、挨拶するや否や

「いいか、、、お前は間違っている!、現場では、
教科書100点でも、何も役に立たん!

いいか、お前はかんがえるな!
ひたすら、先輩の指示に従え、、、、

いきなり、国家免許を取得したという、、、勢いも
さあーー俺様の出番だ!という
わくわくする気持ちも

新参医師という自己紹介の終わらぬうちに、
辛酸意志って感じになりました。

何か自分から手伝おうとすると、
「お前は何もするな、考えるな!ひたすら見ていろ!」

母さん、、、医局では、何もさせてもらえないんだ、、、。

命の前には
「机上の空論は、何もしないという事以下だってことを、
先輩は教えてくれてるのでしょう、、、」

頭だけでも、口先だけでも、免許があるからって
目の前の 、
生きるか死ぬかの剣ヶ峰の命の前には、
何の役にも立たないだけじゃなくて、
その瞬間に集中している担当の医師の邪魔をしないことが、
技術の一歩という事かしら?

すっかり自信喪失の息子の電話に、苦笑いしながら

お父さんだって、医師になりたての頃は
「僕の身分は医局で飼っている犬のえさ係だ!」って
何もさせてもらえないで、その間実験ばかりしてたわよ。

「このままでは、外科医として、役に立てる日は来ない!」
「あちこちの関連病院をローテーションしながら、
技術を習い、一人前の医師として、
主治医が務まるようになったのは40歳近くだったと思うわよ。

臨床医は、患者さんが先生だから、
それだけの症例にあたってないと、一人前にはなれないみたいよ。

**********

あれから13年たちました。
すっかり医師らしくなりましたが、
彼は、人並みのささやかな
幸せのかけらもありません。

企業と違って、勤務医は控除がありません。
激務と寝不足で、タクシーで移動しながら
睡眠時間を買うという、研修の時代を過ぎると、

11月からい月いっぱいかかっても、
整理しきれない本が、
つみあがる。

日進月歩の医学の世界では、
10年たった本のほとんどが
バージョンの古いPC、のごとく、
役に立たなくなる。

今回200キロ以上の本を処分したが、
税金の控除には無関係である。

開業して、従業員の家族もろとも背負える職業を
他人に提供して、
初めて控除らしい控除に出会えるからね。

本人が
自分の為だけに生きているうちは
税金は、
たとえ医学の為に使っても、
お金が無くなっても
、払わねばならないのが税金だから

40にして、自宅なし、嫁なし、、、、
多くの社会のことを、学ぶ時間を、
狭く、細く、医学のことだけに
かかわってきた彼を

母親として、
導く時期はとっくに過ぎてしまっている。

でも、、、信じているのです。

あなたの父さんも、おじいちゃんも、おじさんも
そのまた おじいさんも、医者だったという事実、

医師の見えない部分の、
天から授かった感のようなもの、

遺伝子でしか運べないDNAの中の、
そのまた光の粒子よりも小さな何かが

息子を、
医師になることへ、
導いたのでしょう。

天が、神が、 病人を救うための、
千手の一本に、
息子を選んだんだと信じている。

自分が
役に立つ医師になるために、
自分の為ばかりに生きた
40年の人生を振り返り

ここら辺で、結婚して、
多くの視点から、
成長させてくれる奥さんと
かわいい子供を授かって、

自分以外の人生の
サポーターを始めてはいかがですか?

先代の医師達は
、どういうわけか、
世間が思っているような
家屋敷も、金銀財宝もない。

その代り、、、
娘か息子を「医師として、世に送り返している。」

つまり、、、
家族から、医師を世に送り出すという事は

世に出てゆく、
「蛹時代」に、
親も家も食い尽くさないと

医師は生まれないという事かもしれません。

医師の財産は、、、
「医師である」という事と、

「医師を続けるための、技術がある」という

いつの世にも、
医師を続けていることが
財産であるという事かもしれないと思うのです。

一生、
怪獣のような時代に
ついてゆくための金銭を燃やす、
親からも、限界までのサポートを受ける

頭脳の新陳代謝の活発な
排気ガスを出し続ける
医師たちの裏方は

彼らを理解することで、
彼らの背後の神様に

息子が一生
医師として医師を続けられますように、、と祈り

今日も、天にありったけの心を、放り投げるのです。
命の前には、僕となる医師は
患者さんの僕になるのではないでしょう?

素人の感情たっぷりの自己診断に
洗脳されたように、
感情が動いてしまい、

医師としての判断が鈍るぐらいなら
「愛」は、医師にとっては
邪魔な感情かもしれませんね。

だからと言って、
人としての、幸せも、子供を持つことで
生命の不思議を知るから、
家庭を持つことだって

臨床医の
ポリクリの一種ではないのでしょうか?
奥さんが先生、
子供が先生
孫が先生、




そう思えてならないのですよ、

あなたのお父さんは言いました。
僕は、家族の前で
医師で居ることは
とてもできない、、、よ。

,,,,,,,
zekku .





引越しも荷造りが結構大変ですね。

2015-01-17 00:22:52 | Weblog

今日まで、一人で、こつこつと、荷造りしました。

お疲れさんでした、、、、

頑張りましたね、、、、

他人のものを捨てるのって、、、たとえ息子でも、
勝手に捨てられなくて、、、、苦労しました。

残り少なくなった人生ですが、

今回思ったことは、3年かけて、本当に整理して、捨てるかしないと

ローマは一夜のしてならずですよ。

今日の本の整理の中にはね

研修医時代の、一生懸命の資料をどうするか?

医学の世界は、日進月歩、10年前の資料は捨てるべきかと、、、、

本人にしてみれば、古い資料を

自分の頭のPCで、アップデートして

有効にしてるかもしれないし、、、、

本は、、、重い。

夫も、本を捨てないから、30年も前の学会誌を、

ひとまとめずつ、包装紙にくるんで、一か月かけて、

本箱ふたさお、、、からにした。

9時過ぎに、垢ぬけた青年がピンポンして、

○×新聞を購読してほしいと、ごみ袋を持ってやってきた。

アルバイトなのかな?

引っ越すからいらない、、、と答えた。

いつひっこすのですか?

荷造りが、出来上がったらね、、、。

青年が帰ってから、捨てるか捨てないか

PM.12時まで、本とにらめっこしていた。

ノンちゃん、、、もう寝なさい、、、
私が、私を励まし、労わる声が聞こえる、今日の。本の荷造りでした。

引越しのネックはNTTの自宅電話が解約できない

2015-01-13 02:40:54 | Weblog

毎日、、116に電話してるのですが、お待ちくださいの一点張りで
解約手続きができません。

PCから、記入しても、完了が反応しません。

画面には、ツールバーからインターネットオプションの
詳細設定のセキュリティセクションの
「暗号化されたページをディスクに保存しない」オプションの
チェックを外す、、、、

と出るばかりです。


何回入力しても、完了が反応しない。

今月で、他人様の電話になるから、
ご迷惑はかけたくないので

30日には、解約完了したいのですが、
東京の電話局は忙しすぎるのでしょうか、

北海道に帰っても、北から解約はできるのでしょうか?

老人大量時代には、解約客で、116はつながらないのでしょうか!

ネットでは、すっかり記入しても、完了できないし、

NTTのみなさん、、、助けてください。
受付では
113にかけてください、、、ともいうので
かけました。

故障係が出ました。
フリーダイヤルを教えてくれましたが
まったく、出てはくれません。

29日には、新しいオーナーに
ご迷惑な残留物を処理してから、お渡ししたいのです。

NTT東日本116番さま、、、どうか、解約申し込み電話を

受話器に、係りがお出になり、焦る引越しの気持ちを

解決してください。

もう、、、自宅がなくなるのですから、
20年使った電話は、次の居住者の御迷惑になるのです。

どうか、、、116番電話に出てください。

お願いします。




北海道の、吸い込まれそうな
地球誕生から創世記の羊蹄山、洞爺湖の
雄姿の写真を、お礼に、、、アップしました。

明日は116番電話口に、どなたか対応してください。

期待しています。

引越し直前の業者選び

2015-01-10 19:07:36 | Weblog




和歌山県、東牟婁郡 古座川町


医科大学の場合、
学校との距離が
値段の宿選びであった。

近さに助けられた、、、
4年生進級は
親は、、
、第一の関門を突破したと

気合を入れなおす


(^^!



友人たちと休みに、
インスタンプール参加者募ってるよ。

飛翔、、、インスタンプール、、の?

とんでもない、、、

ローン終わったばかりの自宅を

抵当に入れて、
東京のマンションを用意できたけど、、、

向こう何十年か余裕なし。


人体、命の
未知の世界旅行の
前売り券
7年分買ってしまったから

満願かなうまでは、
那智の滝に行ってみましょう。
其処からは、
解剖学では教えていただけなかった

精神の満ち溢れた、
滝の不思議なメッセージが
聴こえるわよ!

世界遺産に登録される前の那智は

修験者の気配も、
滝に圧倒されて、
自然の力、
生命の境界を何に求めるか?
凄い力で、
お滝さんは迫って来た。
生きている!
命が躍動して迫ってくる 滝

北海道のダイナミックさと
異なった滝の力に

息子は、、、
日本って、、、こんなところがあったんだね、、、

レンタカーを
豪華なホテルに乗り入れても
値段を聞いて引き返す私に、、、

よく、、
恥ずかしくないね!
「だって、、一人3万だっていうから、、、」

結局6500円のシティホテルに素泊まりし、

翌日は、海中公園や、
クジラの弁当、

橋杭岩、十津川の
瀞と、車を走らせ、

その勢いで、古座川を上り
和製ローレライの一枚岩までたどり着きました。
街道を行くで、おなじみになる前は
店がなくて、
三尾川小学校の一年生の、
遠足の目的地でしたよ。
村のいたずらのすきな青年が
藁で龍を造って、淵に沈め
皆を脅かそうとしたら、
藁は、本当の龍になって、
青年はすっかり驚いて、いたずらしなくなったという話を
遠足に行ったとき、教えてもらいました。
貧乏旅行をしましたが
我が家で、共有する郷土がもてました .


「母さん、、、ホテルなんか安くたって、、、面白かったよ。」

あれから、、、、
このマンションが、
息子の世界だった。

ぎっしり詰まった
母校からのエネルギッシュな学問が
ガンダムとともに魅惑した7年間。

とうとう、、、医師の誕生につながった。

目的は医師をすることですから
これからです!

羽化して飛ぶ昆虫のような
短い人生ではありません。

先生方への感謝の代わりに
あなたが寿命の尽きる一日前まで、

医師の仕事が続けられるように、
それが、お世話になったみんなへの

あなたができる、、、感謝です。

医師の生まれるための、、、紫何車、、、

しってますか?、、、胎盤のことよ。

ママはさみしくありません、
医師の受精卵を育てた胎盤は
大学と、先生方と、
このマンションだったのですから。

羽化した息子の残した殻のごとく、
古くなったMSには

よく頑張ったね!と、

労わりだけが、湧いてくるのです。

***   ***   

全部捨てなさい、、、
全部持っていきなさい、、、

二件の引越し屋からどちらかを選ぶのに
2週間考えましたよ。

全部持ってゆくことにしました。

全部持ってゆく業者さんへ

バカって言われるかもしれないけど、

北海道で、
あの子の親父さんと相談してから

もう一度、、、捨てることになるかもしれないわね。

子供のころから使ってたテーブルを梱包しながら、

いい色になったテーブルの裏に

二艘の舟  の歌詞を、マッキーで書き綴った

親父さんは外科という「愛」のない
切った貼ったを躊躇なくする。

私が、精根込めた残留物は、きっと
捨てるでしょう。

ぼろぼろに荒れた指先で
記憶をたどれば、

白浜の砂も、持ち帰ったのだった。

捨てれないでしょう!


白浜まで飛行機で行き、クマクス博物館を通り抜け
三段壁に立った、

北海道で育った息子は、
付き合ってくれているような平常心で
、、、遠くの波を見ていた。

入学当時の幼い顔は、ない。
 
20年後、、、あの時、

医師になるまで、自分たちが生きていられるか?

短期7年間だけの、
授業料保証の保険に加入したり、

親の責任はとりこし苦労もありました。

友人との絆の為にも、
出せるものなら、
海外旅行の思い出は、
あった方がベストだけれど、、、

親の心中は
平常の判断を欠いていた。


****************************************

******************************************

2年生の時、
解剖学の実習が始まったとき、

私は、勤めを辞めて、
このマンションに泊まり込んだ。

ご遺体様の貴重な献体を、
全力で、学生も受け止めねば、医師にはなれません。

私たちは親子で、ご遺体様に名前を付けて
お名前で、挨拶し、今日の教えはなんだったの?と。
息子の初体験の大切な瞬間を、
干渉をしていた。

学生とは申せ、
ご遺体と向き合っている
疑似体験をしている母の気持ちは緊張で
平常心を欠いていた。
二艘の舟のように
私も揺れながら、
息子の科学への洗礼を
無事に通過できますようにと祈った。

初めての実習日から、
一連のカリキュラムを終えた日、

先生から、
貴重なお体を学生の志の為に献体してくださった方の
お名前を教えてもらいました。

親子で、つけさせていただいた、
お名前と一緒だったのです。

毎朝、感謝してお名前をお呼びして

今日もよろしく、、、と
息子を送り出した日々の、奇跡に近い思い出でした。

今、息子は、解剖学が基礎となる
医学の道を、自分なりに、歩みながら、
生死の境の患者さんと、真摯に向き合う日々が続いています。

このマンションの消えてゆく日は
新しい、、、出発なのだと思いたい。

役目を終えたのかも知れないマンションは
リホームされ、
また、世代交代で、学生たちを育ててゆくでしょう。





マーケットに入った息子は

わけもなく、、、涙が流れて、止まらなかったという。

もう、、、御茶ノ水に帰ってくることはないだろう、、、

帰ってきても、、、住処がない、

暮れの飲み会で、『皆もよく来てくれたMSを手放したよ』

「リノベーションして、次の世代を育てるMSに
生まれ変わるのさ、、、」

息子の友人は、時には廊下にもあふれて、泊まっていたと言いながら
一緒に、、、「無くなるなんて残念だなー」と。

喪失感を分かち合ってくれたそうです。

正月は13日間連続休みの先輩たちは
息子の連続連夜の病院泊まりで、きっと、
後ろ髪惹かれることのない、家族の団欒を持てたことでしょう。

最後のマンションで、初めての正月を迎えようと
息子を待った、

新幹線んで二時間はかからない東京で

二日の夜、現れて、三日の七時には新幹線で帰って行った。

心はいつも、テレパシーでつながっていても、ここ十年間は
正月がない。

医師として、ピークの40代突入です。
人間としても、幸せになってもらいたいと願っています。

毎日、命と格闘していると、

生死にかかわること以外は、反応しないので、

、喜怒哀楽の
職場を忘れた、思いやりが、
戻ってきてほしいものです


が必要ですよね

2015年  謹賀新年

2015-01-06 01:35:04 | Weblog

20年住んだ、文京のマンションを引き払うことになりました。

20年前、医科大学に受かった息子の部屋を探して、お茶の水の。山の上のホテル前で
息子と待ち合わせました。

教養時代の千葉から
学部移動してきた息子は、
よれよれの巨大なボストンバックと、汗のしみ込んだデニムのズボン。
伸びた髪。

上野の西郷さんの像の前か、動物園のゴリラの折の前で
待ち合わせて、盛り上がればよかった。

当時の山の上のホテルは、
私の大学時代の実験室が隣にあったこともあり、
洗練されて、どこか、明治の古き良き品があり
旧友と紅茶など楽しみに行ったものだった。

教養を終了した息子は、きっと、
医科大生、誕生のごとく、洗練されているかもしれないと、

その日は、楽しみに待ち合わせた。

が、、、、、

急きょ、ラフなイデタチニ、似合う店に入って、
一年ぶりの再会に、とりあえずコーラで間に合わせて乾杯した。

「母さん、、、運動部の学生たちと
2段ベットのずらーと並んだ部屋で
寝てるのか?起きてるのか?わからないぐらい、、、
ベットだけの、我がスペースで、一年がすっ飛んだよ。」

無精ひげ、洗いざらしの木綿のシャツ。くたびれたズック。

「この一年間で、思い知ったよ!」
同じ部屋の運動部の生徒はね、
頭の中まで筋肉隆々って感じでね、
何をやっても、、、かなわね~~~~よ!

つくづく、僕の生きて行ける道は、
しっかり勉強して、医師になるしか。活路はないって、、、
思い知った一年間だったよ。

あのころは、大学駅伝でも、毎年一番、二番を争っていた運動部だけに、
凛とした実績からくるオーラーが、
グラウンドでは、医学部の追従を許さないレベルであったのだろう、、、と
私なりに想像した。

子供のころから、頭の回転だけはよかったので、
何とか、医大に進学できたものの、

あと6年、そして国家試験、
医師になってから、ほとんど無給が3年、
あちこちの病院の特徴のある科を研修して回る向こう20年間の

勉強部屋。

賃貸の1kが、9万、、、2kが11万、、、

いっそ購入してローンを組むと2DKで、支払いは変わらない。

医大に通うことは、本の増え方も考えた。

思い切って、父の住んでいた早稲田から近い文教に
中古のマンションを買いました。

父はこのあたりから、慈恵医大に通っていた。
神楽坂の毘沙門天のあたりの縁日の話など、思い出しながら、
息子の、人生の拠点を買いました。

北海道に帰ってからは
1か月290時間という激務の勤務の中で、
マンションを買い取ることが、
息子への、医師への道をかなえさせられる必須条件と、思われた。

古くても、我が子と、親の絆の保てる唯一の住処であった。

医師になって14年目、

認定医の資格をとり、
息子は静岡に固定をしたいという。

「母さん、、、静岡は、生きるか死ぬかの患者さんが
ドクターヘリで運ばれてくるんだよ。」

医師の中でも、あまりの忙しさや、
静岡という、自然の中の、交通が不便なところなので
希望者が少なく、

必要とされているのが、日々の忙しさでもわかるよ。
凄腕の先生が居たんだけど、
現場って、やってる本人にしか理解されないほど
激務なんだけど、報われることは少ないと思うよ。

一瞬んを争う命の境目に立っているだけに、
くたくたになりながらも、、、
必要とされている、充実感があるんだよ。
医者バカと言われれば、、、そのとおり。

40歳、独身、時間が敵だった。時間はすべてを飲み込んでしまった。
大学院に行って、自分の為にも論文を書き、
留学をして、各国にパイプを作り、
華々しい、人生を目指して、
時間を自分の為に使いこなすかしこい先生は多い。

もう、、、東京に帰ってくることはない、、、という。

このマンションンも役目を終わり、
新しいオーナーに、リホームされて、
また、大学生を社会へと生み出す役目を果たすだろう。

医師という職業柄、まとめて捨てることのできない資料が多い。

学会誌だけでも、200キロ以上ある。

個人情報にも気を付ける。
名簿類も捨てない。

今日で、縦横高さ140センチの段ボールが50個目を発送した。

売れたお金は、空に投げる。
日本のどこかで、廻りまわって、
被災した人々の援助隊の人々の
活動費の一部になるのだそうですが、
息子は、多くを語らない。

どんどん空になってゆく部屋の中からは、
これほど多くの地味な、資料の勉強の土台を
マンションの部屋は受け止めてくれていたのかと思うと、

息子を医師として育ててくれた子宮、
胎盤がこの部屋であったと、、、感謝する。

40歳で独身、彼女なし。
ひたすら医師として仕事に明け暮れる息子よ。

不器用に生きている君だけど、

医師を続けてゆくことは、
国家免許を合格して、医師になるより難しいかもしれないね。

部屋を片づけながら、
いつになったら、幸せが来るのかわからないが、

真摯に、医師として、医師をやってくれれば、
それだけで、難しいことを、よく実行できていると、
心から、親は、天に感謝するよ。

内面のポテンシャルエネルギーの大きな
命をあづかる一瞬一瞬は、時間の魔術師のように
息子の人生を、あっという間に、おじいさんにしてしまうだろう。

このマンションを維持できなかったことは、
一抹のさみしさとともに、
私も、故郷の東京に、足がかりが亡くなり

息子との絆を守っていた人生の持ち時間が
燃え尽きてゆくような、
一抹のさみしさをふと、、
思いながらも、
私が元気なうちに
医師を生み出した、胎盤の処理が出来てほっとした思いです。

今後は、多くをノ望まず、
よい医師を続けてく行ってくださいね。