花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

リラ冷えの季節

2017-05-25 12:06:31 | Weblog

初夏なのに、真夜中にストーブを点けて、

洗濯ものを、室内に干して、

湿度と温度調節をしながら、

明け方4時30分に、

朝刊が、状差しに落ちてくる音で、火を消しています。

北海道の、季節の言葉に

「リラ冷えの季節」という、、、5月の初夏の温かさが

戸惑って、寒さが戻ってくる、、、束の間の

ストーブの季節があります。

リラの花が咲き誇るころ訪れる寒い季節のなごりです。

青春時代に、

夢、花、爛漫の中から、大人の世界に突入した4月。

入社のしごきに堪えて、

生まれ変わる新入社員が

リラの花満開の大通り公園で、なぜか、、、シングルの昼休みを過ごしている。

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卒業式とともに、サヨナラした、片想いの恋人を

ふと、、、思い返すような、、、

社会人になる事を戸惑うようなリラ冷えのベンチで

うなだれている。

紫の、うなだれたリラの花に、心が冷やされて、

真夏に向かって、ふっきらなばならない過去を

振り返るがごとく

札幌の花の季節は、、、複雑な心の花びらが風に揺れている。

紫の芳しい馨の。。。冷夏を立ち止まらせて、

70歳過ぎても、、、通りすぎた過去を振り返る。

深きは声なし、、、、

庭の50年間のお友達同様の樹木も、

黙って、一緒に時間を過ごしてきたように

大きくなり過ぎないように剪定し、

無理やりに人生の道連れとなってもらう。

閉じ込められた主婦が

花芽の枝を、自ら落として、生垣の役を果たすように

結婚は、姓も、学歴も、友人も、家族も

届かぬところに置き去りにする。

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遠い過去を振り返れば

結婚後の心の冷えも

リラ冷えの季節だったのかもしれない。

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      リラ冷えの季節に、

 

庭の枯らしてしまった「あか松」を  見上げて思う。

赤松の大木に育った家族同様の樹が、

自らの成長のバランスを取り切れずに

塀からはみ出した。

道路に針葉をまき散らすので、こまめに掃除を繰り返した。

それでも、台風の翌日などは、針葉が近所に飛んで行った。

苦情に逢って、敢無く、撤去。

その時飛んできた、近所の車庫のトタン屋根は、

苦情を言い返すのは、思いとどまった。

苦情の主も、この世を去って、、、

何年もたった。

小さな花が大好きな、心は少女のような人だった。

枯れた松の大木は、立ったまま、、、庭の主で在りつづけている。

誰か、この、大木の柱のままに

赤松を慰める仏像か?

あるいは、、、枯れても空を我が世界と飛べるように

竜の彫刻にしてくれないものか、、、と。

心の中で、

「枝のない、枯れた大木を、空に解き放ってやりたい」と、、、。

朝な夕なに、ため息をついている。

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庭師の職人さんが選んできた赤松は、

我が庭に植えられたばかりに、

立ち枯れて、、、

なお、、、庭の主役かの如く

高いポテンシャルエネルギーを放射している。

 

徳川300年の鎖国が成り立った島国の日本。

科学が発達する前は、

海という、、、巨大な堀が、国ごと城砦になっていたのかもしれない。

能ある武士は、海を渡って脱出して、外国から日本を観て言った。

しかし、我が家ファーストで、鎖国はしたくない。

 

我が家の小さな庭で、

大きくなり過ぎた松の木は

我が家の力では支えきれない巨木に育った。

 

才能のある多くの、、、

埋もれてしまった巨人のもがき苦しみ、、、切りのこされた枝が叫ぶ。

見上げる私の心はつらかった。

50年近く住んでいても、相談相手を求めなかった。

どんなにアクセスしてくれた奥さんにも、感謝と、常識と、エチケットで接し

個人関係を深める努力は怠った。

「北海道にとついだ後は、誰も頼らず、do it yourselfe -fun でやり抜こう。」

やがて悟った。

鎖国とはみなされないが、心の鎖国は

話し相手に「樹木、登山、山野草を選んでいた。」

親友の赤松!

大木になって、近所とは、同居できなくなった「私の赤松」

「枯れた心」は、沈黙のまま立っているだけ。

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君が大きくなりすぎて、持て余してしまった、

守りきれなかった、、、小さな私を許してくれて、

赤松はじょうぶつしてくれるだろううか?

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多くの人は、生まれや、生まれた場所によって

移された場所の、受ける力が運命を決める。

旧い体質の自治体の多い日本という島国で、

受け止めきれない巨木のような才能が

「盆栽」になって生きていることは、絶妙な合意の樹(気)なのか?。

灌木のつつじや、

散っても喜ばれる枝垂れもみじの淦と

3間離れて、緑の枝垂れもみじ、

名月楓の、大胆に枝を減らした剪定。

ショートカットが、住宅街と共存。

赤松は、

元来は山に植えるべき大木だけに、

枯らしてしまった、庭の狭さに、

50年たった今頃気が付く。

立ち枯れた庭が寂しくて、、、

リラの花を植えても、

なぜか、心は冷えたまま。

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ごめんなさい、、、こんな庭に、、、

小さかった松の木を、、、

自分の心を満たす事だけ考えて、、、受け止めてしまって、、、。

やはり、、、庭には、バラや、リラ、つつじや、ボケや

かいどうの灌木の花が良いかもしれません。

紫の大輪のモクレンの花は、40年来、同じところで、花がひしめき合う。

毎年、同じような大輪を咲かせて

あたりに香りを放っています。

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「リラ冷えの季節」になると、

心の油断が、

脱線するのを戒めるかのように

夏が来て、服を脱ぎ捨てる季節に待ったをかけるのです。

    再びの冬に向かうがごとく冷え込みに心モ冷えて

等身大で、

精一杯のバランス感覚で

家族の健康と、末永い絆を

祈る事を、再認識する季節でもあるのです。

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40歳過ぎて、未婚の医師の二男を想いうかべながら、

男には、リラ冷えの季節があるからこそ、

真夏の太陽の暑さを迎え撃って

ひまわりのような背高のっぽの花が咲くに違いないと、、、

焦らず、

息子の「運の強さ」と、「母校愛から、離れないだろう継続の根付き!」

もう、、札幌に帰ってくることはないだろう。

初期設定のCPUが

札幌南校合格の

知的な判断力があることを信じて、

親の元から離れて行く事を、成長と思う事にする。

やがて、母よりも、七世も共にする伴侶がきっと現れるだろう。

きっと、出会いがあると!!!

信じることにしました。

その日の為にも、

仕事バカで、いまだにお嫁さんに備える家もない状態を

何とかして、

「主婦になるのが夢という、、、未来の女性の為に

巣作りの、外枠だけでも、手伝っ」て、

良縁に向かう準備を始めねばと、、、思いながら。

「母さん、、、現れたら、、、その時、二人で考えるから、、、」

大木になって、庭に収まらないような、女性じゃ無くて、、、

主婦になって、お母さんになるのが夢だという、、、そんな女性が

未来に現れたら、結婚するから、、、」

息子の、のんびりとした声を思い出しながら、、、。

いつか咲く、、、リラの花のような女性が、

孫を抱いて、笑っている夫婦の姿を、想像する、、、

きっと来る!、、、真夏のハイビスカスのような夏。

6月の4日になっても

寒い部屋で、

リラ冷えの中に立ち尽くす

73歳も過ぎようとしている夏を待っています。

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PS.

男の人生は、もしかしたら、、、

石庭のように、

枯山水のように、

それとも、「庭」を造らず、心は、銀河鉄道を走り続けて、

宇宙の果ては、、、背中だったと

心の夢の光は、微妙に曲がり続け、

宇宙一回りしてから、

しょんぼりと、、、年をとった私の背中越しに、、、

母さん、、、再び会えたね、、、と。

お爺さんになった息子が

シングルのまま、

心が青年のまま、

仕事に幸せな居場所を求め続けて

宇宙に飛ぶ青い鳥を追いかけ続けてゆくのが見えるようです。

アインシュタインンは、科学で心を伝えてきます。

 

 

 

 


おげんきですか?

2017-05-08 02:45:51 | Weblog

 

桜咲く5月、連休の桜を見に行こうと、珍しく主人からの誘い。

こどもの日には、桜自身も心得て、満開の花で迎えてくれるはず、、、

少し早いが、咲き始めた桜の花が、ちらりほらりの枝の勢いも魅力がある。

農林試験場は、散歩には最高の桜の季節。

5月2日の昼過ぎに、散歩のつもりで、出かけた。

桜はちらりほらりの木々が、勢いを持った枝で北国の春を告げてくる。

まるで、枝がムクムクと動きながら、花が突き破ってくるようだ。

ふっくらと、満開の樹も何本か見事な美しさで春爛漫を呼んでいる。

もう一度来ようね、、、その日は早めに帰ってきた。

そして、7日の今日、満開の桜と、桜の若葉の薫る5月を散歩しながら、

葉桜の年齢になった老夫婦は、ちょっぴり強い風の中で

桜餅の葉の馨になって、風に揺れる木々の間に立って、

花もよし、葉もよし、幹もよし、桜の並木道で

着物着て、背筋を伸ばした老人が、

孫と思しき少女のカメラに向かって

満面の笑みをポーズしている幸せがこぼれて、

桜の季節から、北国の元気が始まるようですね。