メリークリスマス!
思わず、、、更新!
家庭始まって以来
小さな小さなケーキ、、、
二人で囲みました!
神様、、、神様はいらっしゃいました。
今年いっぱいで、忙しかった主人の人生が
普通の社会人社員のような帰宅時間になりそうです。
夜、9時には
夕食を二人で囲む人生が来るように思います。
クリスマス、、、メリークリスマス!
思わず、、、更新!
家庭始まって以来
小さな小さなケーキ、、、
二人で囲みました!
神様、、、神様はいらっしゃいました。
今年いっぱいで、忙しかった主人の人生が
普通の社会人社員のような帰宅時間になりそうです。
夜、9時には
夕食を二人で囲む人生が来るように思います。
クリスマス、、、メリークリスマス!
クリスマスイヴは皆さんは
どんな日をすごされていますか?
若い日にキリストを知りなさい、、、と、
街では「スピーカ」で、教会の関係の方のでしょうか?
マイクを最大にして放送していました。
良い正月を祈りながら、
床、壁、すべてを拭き掃除をしながら、
神様は何処で、何を導いて下さるのか、、、?
私たちを見守ってくださっているのか
お会いしたいものです。
とりあえず、日本の習慣に従って
正月のお飾りや「寿の箸」を買いそろえました。
明日はクリスマスです。
今年はいろいろな事がありすぎました。
ひたすら真っ直ぐに一生懸命頑張っても、
時代の大波は庶民を飲み込んでしまいます。
息をしないで、
波のまにまに翻弄されながら
上に上に向かって身を任せ
波のまにまに顔が出たら
一気に泳ぎ始めれば
時代の波はきっと過ぎてゆくと
自分自身に言い聞かせながら、
頑張るしかありませんね!
かって感じたことのない、
前がよく見えない霧の中です。
皆様、良い来年をお迎え、ください、
師走で、モーレツに忙しいので
これで、今年はプログの下記おさめです。
訪問して下さった皆様、
ありがとうございました。
来年は、、、きっと良い年であると信じています。
どんな日をすごされていますか?
若い日にキリストを知りなさい、、、と、
街では「スピーカ」で、教会の関係の方のでしょうか?
マイクを最大にして放送していました。
良い正月を祈りながら、
床、壁、すべてを拭き掃除をしながら、
神様は何処で、何を導いて下さるのか、、、?
私たちを見守ってくださっているのか
お会いしたいものです。
とりあえず、日本の習慣に従って
正月のお飾りや「寿の箸」を買いそろえました。
明日はクリスマスです。
今年はいろいろな事がありすぎました。
ひたすら真っ直ぐに一生懸命頑張っても、
時代の大波は庶民を飲み込んでしまいます。
息をしないで、
波のまにまに翻弄されながら
上に上に向かって身を任せ
波のまにまに顔が出たら
一気に泳ぎ始めれば
時代の波はきっと過ぎてゆくと
自分自身に言い聞かせながら、
頑張るしかありませんね!
かって感じたことのない、
前がよく見えない霧の中です。
皆様、良い来年をお迎え、ください、
師走で、モーレツに忙しいので
これで、今年はプログの下記おさめです。
訪問して下さった皆様、
ありがとうございました。
来年は、、、きっと良い年であると信じています。
2008年はもう10日を残すのみとなりました。
若者には大正時代の
「青白きインテリ」時代の再来です。
就職を職求めても、
会社ごと倒産してゆく世代交代の荒波です。
一生懸命勉強して、
夢多き青年時代への羽ばたきであるはずが、、、
内定取り消し、時代です。
仕事がどんどん、、、
少なくなってゆきます。
アメリカが風邪をひけば、
日本がクシャミどころではありません。
世界中がバランスを崩して、
経済が恐慌を起こし始めています。
日本は「島国です。」
水際で「経済恐慌」を防げないものなのでしょうか?
ネット時代に「鎖国は不可能です。」
でも、
「道徳」のしっかりと教え込まれた時代に生きた私たち。
国内だけの伝統工芸、
伝統芸能、伝統祭りなど
この際、
徒弟制度の時代に戻って、
時代の特殊性のため
職に就けなかったものの、
「力もやる気もある若者」を
当座、住み込みで
日本の独自の文化を学ぶチャンスを
掴んでもらうことはできないものだろうか?
食事と
6畳と
お布団とを保障できないものなのだろうか?
東京の地下鉄の階段など
疲れ果てて、、、
寝込んでいる若者もいる。
お墓参りの日ではないが、
お墓には、
菊とアイリスとカーネーションの花が献花台にあった。
「兄さん?」「それとも義姉?」
亡き父と母に
「どうか、、、私にご加護ください、、、。」
お参りに来たのは私だけではないようだ。
戦争に巻き込まれて、
家も子供3人とも戦場で亡くしたのに、
敗戦の本土に落ちる焼夷弾の中を
疎開地の山奥まで逃げて、、逃げて、、、
そこで、
再び人生をやり直した父母の強さを
私にもください。
もうくたびれました、、、。
後ろ向きの言葉は聞きたくない。
敗戦の中を、
ひたすら復興に向かって生き抜いた昭和生まれ。
働いて、がんばって育ててきた子供たち。、
子供たちは
IT革命で「機械の支配下」。
タマゴッチを育てながら、
携帯電話と、ギガビート音楽と、ファッションと、PCの虜。
虚数の世界を飛べる子供たちは
伝統的な体温の感じる心をどこかに置き忘れて来た。
千歳空港の「花畑キャラメルの行列「を
あなた、、、知ってますよね?
不況の時代に
都会にへばりついて
ホームレスに満足するよりも、
敗戦の昭和20年を思い出すなら、都会を出よう!
もう一度、がんばって、
自然に生かされてゆくことで、
ゆっくりと、
何かを体で学びながら
チャンスを待とうよ。
今、若者を拒否しているのは
会社ではなさそうだよ、
内定を取り消しているのは
世界のバランスが「押した」第二の時代爆弾。
ピタゴラスイッチかもしれない。
時代が変わる節目なのかもしれない。
人は「数字」ばかりを大事にしすぎたかもしれない。
「1と2」しかないPCに
「就職を奪われたのかも知れない!」
「若者の内定を取り消させたPC」に
敗戦した時代なのかも知れない。
「スピードと数字」がすべての
「バンカブルのタコ」が
自分で自分の足を
食べてしまった「タコの時代」なのかもしれない。
コンピューターに従属しないで
使いこなそうではありませんか?
数字の奴隷にならないでください。
街には立派な若者が
自然と共存してきた昔の知恵の父母を排除して
自分たちで造った虚数の社会の就職浪人です。
「心の時代」をさまよっています。
若者には大正時代の
「青白きインテリ」時代の再来です。
就職を職求めても、
会社ごと倒産してゆく世代交代の荒波です。
一生懸命勉強して、
夢多き青年時代への羽ばたきであるはずが、、、
内定取り消し、時代です。
仕事がどんどん、、、
少なくなってゆきます。
アメリカが風邪をひけば、
日本がクシャミどころではありません。
世界中がバランスを崩して、
経済が恐慌を起こし始めています。
日本は「島国です。」
水際で「経済恐慌」を防げないものなのでしょうか?
ネット時代に「鎖国は不可能です。」
でも、
「道徳」のしっかりと教え込まれた時代に生きた私たち。
国内だけの伝統工芸、
伝統芸能、伝統祭りなど
この際、
徒弟制度の時代に戻って、
時代の特殊性のため
職に就けなかったものの、
「力もやる気もある若者」を
当座、住み込みで
日本の独自の文化を学ぶチャンスを
掴んでもらうことはできないものだろうか?
食事と
6畳と
お布団とを保障できないものなのだろうか?
東京の地下鉄の階段など
疲れ果てて、、、
寝込んでいる若者もいる。
お墓参りの日ではないが、
お墓には、
菊とアイリスとカーネーションの花が献花台にあった。
「兄さん?」「それとも義姉?」
亡き父と母に
「どうか、、、私にご加護ください、、、。」
お参りに来たのは私だけではないようだ。
戦争に巻き込まれて、
家も子供3人とも戦場で亡くしたのに、
敗戦の本土に落ちる焼夷弾の中を
疎開地の山奥まで逃げて、、逃げて、、、
そこで、
再び人生をやり直した父母の強さを
私にもください。
もうくたびれました、、、。
後ろ向きの言葉は聞きたくない。
敗戦の中を、
ひたすら復興に向かって生き抜いた昭和生まれ。
働いて、がんばって育ててきた子供たち。、
子供たちは
IT革命で「機械の支配下」。
タマゴッチを育てながら、
携帯電話と、ギガビート音楽と、ファッションと、PCの虜。
虚数の世界を飛べる子供たちは
伝統的な体温の感じる心をどこかに置き忘れて来た。
千歳空港の「花畑キャラメルの行列「を
あなた、、、知ってますよね?
不況の時代に
都会にへばりついて
ホームレスに満足するよりも、
敗戦の昭和20年を思い出すなら、都会を出よう!
もう一度、がんばって、
自然に生かされてゆくことで、
ゆっくりと、
何かを体で学びながら
チャンスを待とうよ。
今、若者を拒否しているのは
会社ではなさそうだよ、
内定を取り消しているのは
世界のバランスが「押した」第二の時代爆弾。
ピタゴラスイッチかもしれない。
時代が変わる節目なのかもしれない。
人は「数字」ばかりを大事にしすぎたかもしれない。
「1と2」しかないPCに
「就職を奪われたのかも知れない!」
「若者の内定を取り消させたPC」に
敗戦した時代なのかも知れない。
「スピードと数字」がすべての
「バンカブルのタコ」が
自分で自分の足を
食べてしまった「タコの時代」なのかもしれない。
コンピューターに従属しないで
使いこなそうではありませんか?
数字の奴隷にならないでください。
街には立派な若者が
自然と共存してきた昔の知恵の父母を排除して
自分たちで造った虚数の社会の就職浪人です。
「心の時代」をさまよっています。
私が知ってる「老医師」のお話です。
頭は若いし判断も診断も、
専門的なところは
円熟して、
よりよい診療をなさることと思います。
しかし、
日新月歩の医学の世界では
体力も怪人並にあって、
学会も勉強も、お付き合いも
精力的ににこなし、
コ、メディカルの皆さんとの
専門的な共有部分を
よりよく理解し、
迅速に助け合って
患者さんの「命」を
患者さんとともに見つめてゆかねばならない「医師」は
@@ 本人以外は代替えがききません。@@
それだけに、
トータル的な視野」で
十分にしてゆかないと老後の医師のみが持つ
人間的な理解力を引き出せないのではないでしょうか?
老後、家庭に帰ってきた医師は
きっと、家事を一から学ばねばならないでしょう。
そのような事を考えながら、行動費、冠婚葬祭、学会
医学書物、
参加が減って行くでしょう。
「医師であり続ける!」という「大変な偉業!」
あえて「偉業」と申しました。
理解者のサポートがなければ、続ける事は大変だと思いました。
代替えがきかない「医師!」
本人でなければ出来ない「診療!」
いくら、医師を増やしても、
なんとか間に合うまでは13年や14年はかかります。
老医師を、生活面でサポートして、
雑事に、税金に追いまくられない
「心の豊かさをサポートすれば!」
医師を増やして、その医師たちが一人前になる13年や14年は
充分一線で出来るかも知れません。
そのためには、老いる憂鬱や、心が萎えてしまう
「医療現場で、医師であり続ける意欲」を
家庭、
夫人ともに、
サポートができる
心のエネルギーを失っては、
老いる医師は
増やした医学生が役に立てる日まで
健康で、やる気の出るようなノルマの中で
いつまでも、がんばってもらい、
リレーのバトンをしっかりと
次代の医師に渡すまで
周りも、総合的な配慮でサポートするのが良いと思います。
「少子化」も「健康の保障」がカギでしょう。
「優しい、、、おじいちゃんの医師が、」孫を知ってる眼差しで
診療すれば、お母さんもピリピリしなくなるかも知れません。
発想の逆転も役に立つかも知れません。
一般が思っているように
勤務医の家は「セレブ」でも「金持ち」でもありません。
税金を考慮してくだされば、
家内はどこに行くにも、優先して同行し
雑事のサポートを出来るとは思いますが、、、
勤務医は開業と違って、学会費用も、交通費も宿泊費も
移動に関する税制の優遇がありません。
老医師を支える税制のサポートを充実させれば、
勤務医は退職後も十分働けると思いませんか?
医師は本人以外代わりがきかない職業です。
総合的な、社会の「少子化」のカギが
老医師の活用にかかているのではないかという気がします。
年をとっても
「頭のしっかりしている医師は多いと思います。」
この方たちを、ゆったりとした気持ちで
長生きしてもらう事が、
新卒の医師の養成にかかる
莫大な費用を
かなりの間、
節約できる余力を秘めた先生方であると
思います。
先生方の
健康を握る家庭の夫人も、
勤務医の税制を優遇すれば
、
体が老いる分を
「同行して主人専科」にサポートできると
思いますが、、、
日本の税制は「開業医」にはいろいろとありますが
勤務医の場合ほとんど何も控除がありません。
70歳以上の、元気な頭脳の先生方の
ゆったりとしたサポートが
赤ちゃんを産もうとする年代の女性にも
勇気と安心と、祖父のような
「リラックスを」持てるのではないでしょうか?
頭は若いし判断も診断も、
専門的なところは
円熟して、
よりよい診療をなさることと思います。
しかし、
日新月歩の医学の世界では
体力も怪人並にあって、
学会も勉強も、お付き合いも
精力的ににこなし、
コ、メディカルの皆さんとの
専門的な共有部分を
よりよく理解し、
迅速に助け合って
患者さんの「命」を
患者さんとともに見つめてゆかねばならない「医師」は
@@ 本人以外は代替えがききません。@@
それだけに、
トータル的な視野」で
十分にしてゆかないと老後の医師のみが持つ
人間的な理解力を引き出せないのではないでしょうか?
老後、家庭に帰ってきた医師は
きっと、家事を一から学ばねばならないでしょう。
そのような事を考えながら、行動費、冠婚葬祭、学会
医学書物、
参加が減って行くでしょう。
「医師であり続ける!」という「大変な偉業!」
あえて「偉業」と申しました。
理解者のサポートがなければ、続ける事は大変だと思いました。
代替えがきかない「医師!」
本人でなければ出来ない「診療!」
いくら、医師を増やしても、
なんとか間に合うまでは13年や14年はかかります。
老医師を、生活面でサポートして、
雑事に、税金に追いまくられない
「心の豊かさをサポートすれば!」
医師を増やして、その医師たちが一人前になる13年や14年は
充分一線で出来るかも知れません。
そのためには、老いる憂鬱や、心が萎えてしまう
「医療現場で、医師であり続ける意欲」を
家庭、
夫人ともに、
サポートができる
心のエネルギーを失っては、
老いる医師は
増やした医学生が役に立てる日まで
健康で、やる気の出るようなノルマの中で
いつまでも、がんばってもらい、
リレーのバトンをしっかりと
次代の医師に渡すまで
周りも、総合的な配慮でサポートするのが良いと思います。
「少子化」も「健康の保障」がカギでしょう。
「優しい、、、おじいちゃんの医師が、」孫を知ってる眼差しで
診療すれば、お母さんもピリピリしなくなるかも知れません。
発想の逆転も役に立つかも知れません。
一般が思っているように
勤務医の家は「セレブ」でも「金持ち」でもありません。
税金を考慮してくだされば、
家内はどこに行くにも、優先して同行し
雑事のサポートを出来るとは思いますが、、、
勤務医は開業と違って、学会費用も、交通費も宿泊費も
移動に関する税制の優遇がありません。
老医師を支える税制のサポートを充実させれば、
勤務医は退職後も十分働けると思いませんか?
医師は本人以外代わりがきかない職業です。
総合的な、社会の「少子化」のカギが
老医師の活用にかかているのではないかという気がします。
年をとっても
「頭のしっかりしている医師は多いと思います。」
この方たちを、ゆったりとした気持ちで
長生きしてもらう事が、
新卒の医師の養成にかかる
莫大な費用を
かなりの間、
節約できる余力を秘めた先生方であると
思います。
先生方の
健康を握る家庭の夫人も、
勤務医の税制を優遇すれば
、
体が老いる分を
「同行して主人専科」にサポートできると
思いますが、、、
日本の税制は「開業医」にはいろいろとありますが
勤務医の場合ほとんど何も控除がありません。
70歳以上の、元気な頭脳の先生方の
ゆったりとしたサポートが
赤ちゃんを産もうとする年代の女性にも
勇気と安心と、祖父のような
「リラックスを」持てるのではないでしょうか?
GPファイナル 2度目の優勝!
ショートプログラムでは一位だった地元韓国の「キムヨナ嬢」。
逆転で優勝した「真央嬢」
ジャンプンプの女王「伊藤みどり」さんも
解説の声が興奮していた
3回転半ジャンプが見事に空中で花開いた!
カメンブドウ会、、、の曲のリズムが
真央嬢のトリブルアクセスへの序曲のように聞こえた。
美しい!
少年のような力強さと女性の芳香ののようなしなやかさ!
敏速なダイナミックな足が美しいカーブを宙に描いて
一瞬の動きの連動が氷上の花となって若さが輝く
数次元の美しさが真央嬢から輝きながら宙を舞う!
美しい、、、とても美しい、、、美しい
女性の美しさと
男性の力強さと
集中した気力の創るスピードと
物理的な計算された
幾何学の美しさと
感性の豊かな表現と
スポーツのさわやかさと
極め付きの若さの輝き!
可愛らしさも愛らしさも
真央嬢の黒い衣装が
真紅の薔薇の女王の花びらが空を舞うように思えてきた。
長生きは、、、良いものです!
日本の女性の最高に美しい瞬間を観れました!
真央嬢に ありがとう!
ショートプログラムでは一位だった地元韓国の「キムヨナ嬢」。
逆転で優勝した「真央嬢」
ジャンプンプの女王「伊藤みどり」さんも
解説の声が興奮していた
3回転半ジャンプが見事に空中で花開いた!
カメンブドウ会、、、の曲のリズムが
真央嬢のトリブルアクセスへの序曲のように聞こえた。
美しい!
少年のような力強さと女性の芳香ののようなしなやかさ!
敏速なダイナミックな足が美しいカーブを宙に描いて
一瞬の動きの連動が氷上の花となって若さが輝く
数次元の美しさが真央嬢から輝きながら宙を舞う!
美しい、、、とても美しい、、、美しい
女性の美しさと
男性の力強さと
集中した気力の創るスピードと
物理的な計算された
幾何学の美しさと
感性の豊かな表現と
スポーツのさわやかさと
極め付きの若さの輝き!
可愛らしさも愛らしさも
真央嬢の黒い衣装が
真紅の薔薇の女王の花びらが空を舞うように思えてきた。
長生きは、、、良いものです!
日本の女性の最高に美しい瞬間を観れました!
真央嬢に ありがとう!
最近時代の動きが速すぎて
落ち着いてゆくリと時代を
「はあくしたいなあ」っておもいませんか?
そんなとき行く先は「紀伊国屋」に、、、
来ちゃっています。
一泊遅れの時代が本になっていて
明日の新聞やネットの意味の理解に役立ちます。
先ごろは、、、
「病院のランキング」という本が出ていますね。
新聞のランキングと大きく食い違ったりもしますし、
新聞と同じ名前がダブって上位を占めていたりもします。
昔は、、、40年もまえでしょうか?
「病院の医師の専門性」や
「医師の熟練度」が口コミで走り
名医が決まったり、
病院のランキングが決まったり
患者さんが肌で感じて決めていたような時代もありました。
電車が走って行く、、、「おーい!」
車掌さんが手を振ってくれました。
あの電車は良い電車、、、という、、、口コミでした。
昭和20年ごろは保険制度も発達してなくて
銀座にあるクリニックには
診療値段が書いてありませんでした。
御金持でお金がある方は
「感謝の大きさだけ払っていたようでした。」
医師に診察していただける事が大変な時代でした。
私の父には診療代のかわりに
「囮になる大きな鮎」だとか、
ウナギ駕籠からはみ出そうなウナギだとかが
持ち込まれていました。
医師の数も少なかった。
ランキング表はどうやって決めているのでしょうね。
本を見ると「疾患や手術の数」などで順位が羅列されています。
しかし、、、私が個人的に思うのは、
国立がんセンターのように、
早期発見の内視鏡手術や
開腹手術もすべて多いのは、、、、
さすがー!と思いますが、
開腹手術ばかり多いのは数が多くても
重症ばかりになった患者さんとも取れるので、
結果的には、「命はたすかっているのだろうか?」
手遅れになった患者さんを引き取って
徒労な手術に明け暮れて
先生方は、
大変なのではなかろうか?、、、
そうなると、
「助かった生存した患者さんの数が大切?」とも考えられます。
しかし、
早期発見のための検査に通える患者さんも、
早期発見を出来る施設も限られてきます。
ランキングを漠然と書かないで、
重症になってしまって、
手遅れになりそうな方の手術は「●病院へ」
早期発見の検査のすぐれた病院は「早々何所何所病院へ」
検査と同時に切除できる病院は「●▽病院へ」
患者さんがニーズによって選べるランキングにすれば
便利かもしれませんよね。
一番やってはいけない事は、
病院のランキングに乗せてほしかったら
お金を出してほしいという
出版社がいたら、
これは最悪ですよね。
医療を食いものにする根性で
患者さんを翻弄してほしくないですよね。
ランキングというのは
患者さんにとって
」心地の良い病院が一番」という分け方もあるし
本人は技術不足でも、
良い結果を多く出している診療所に
紹介してくれる先生のランキングも大切でしょう。
患者さんの
「病人丸ごとを診療対象として考えてくれる」場合もある。
ケースワーカーさんとか
臨床心理士さんとか
薬剤相談カウンター
栄養相談カウンター
理学療法や多くのコ、メディカルの皆さんの
総合力や
優しいお姉さんのような看護師さんの励ましがあるとか、、、
地域のボランティアさんとの心の交流がある病院とか、、、
ランキングの視点によって、
像さんは長いのよ
像さんは丸いのよ
像さんは柱のように太いのョ
像さんのランキングはどこで決めるのかしら?
やっぱり鼻の長さよね!
お尻にちょこんとついたしっぽのくるくる度
やっぱりやっぱり
素人が数の統計学で決めるランキングを決めるのと
医師同士の仲間の決めるランキングは
又、大きく視点が違うようです。
ですから、
「医師をランク分けしたりすることは難題と思いませんか?」
「ミロ」と「ピカソ」と「モナリザ」と
「ルノアール」と
「アンディーゥオホール」と
「横山大観」と
「長谷川利行」と
「歌麿」と「鈴木晴信」と
「手塚治虫さんの髭親父やランプ」と
自分で描いた「かかりつけのお医者さんの顔」と
ランクをつける事が出来ますか?
医師と患者さんって
アートの世界のように
好みも相性も信頼も安心感もリラックスも
すべてランキングの要素には
入れられないほど、、、
微妙で、、、安易に数字のEBMで
医療社会をP、C的な二進法頭脳に任せると
心なき「ランキングの世界かな、、、」
砂のように、
患者さんには
握れない数字という事もあるかもしれません。
そんな事を考えながら
本は立ち読みしてめくってしまいました。
参考にはなるので、
何種類もある「ランキング」の中で
一冊選んで買ってきました。
緊急の時は役に立ちそうに思いましたので。
落ち着いてゆくリと時代を
「はあくしたいなあ」っておもいませんか?
そんなとき行く先は「紀伊国屋」に、、、
来ちゃっています。
一泊遅れの時代が本になっていて
明日の新聞やネットの意味の理解に役立ちます。
先ごろは、、、
「病院のランキング」という本が出ていますね。
新聞のランキングと大きく食い違ったりもしますし、
新聞と同じ名前がダブって上位を占めていたりもします。
昔は、、、40年もまえでしょうか?
「病院の医師の専門性」や
「医師の熟練度」が口コミで走り
名医が決まったり、
病院のランキングが決まったり
患者さんが肌で感じて決めていたような時代もありました。
電車が走って行く、、、「おーい!」
車掌さんが手を振ってくれました。
あの電車は良い電車、、、という、、、口コミでした。
昭和20年ごろは保険制度も発達してなくて
銀座にあるクリニックには
診療値段が書いてありませんでした。
御金持でお金がある方は
「感謝の大きさだけ払っていたようでした。」
医師に診察していただける事が大変な時代でした。
私の父には診療代のかわりに
「囮になる大きな鮎」だとか、
ウナギ駕籠からはみ出そうなウナギだとかが
持ち込まれていました。
医師の数も少なかった。
ランキング表はどうやって決めているのでしょうね。
本を見ると「疾患や手術の数」などで順位が羅列されています。
しかし、、、私が個人的に思うのは、
国立がんセンターのように、
早期発見の内視鏡手術や
開腹手術もすべて多いのは、、、、
さすがー!と思いますが、
開腹手術ばかり多いのは数が多くても
重症ばかりになった患者さんとも取れるので、
結果的には、「命はたすかっているのだろうか?」
手遅れになった患者さんを引き取って
徒労な手術に明け暮れて
先生方は、
大変なのではなかろうか?、、、
そうなると、
「助かった生存した患者さんの数が大切?」とも考えられます。
しかし、
早期発見のための検査に通える患者さんも、
早期発見を出来る施設も限られてきます。
ランキングを漠然と書かないで、
重症になってしまって、
手遅れになりそうな方の手術は「●病院へ」
早期発見の検査のすぐれた病院は「早々何所何所病院へ」
検査と同時に切除できる病院は「●▽病院へ」
患者さんがニーズによって選べるランキングにすれば
便利かもしれませんよね。
一番やってはいけない事は、
病院のランキングに乗せてほしかったら
お金を出してほしいという
出版社がいたら、
これは最悪ですよね。
医療を食いものにする根性で
患者さんを翻弄してほしくないですよね。
ランキングというのは
患者さんにとって
」心地の良い病院が一番」という分け方もあるし
本人は技術不足でも、
良い結果を多く出している診療所に
紹介してくれる先生のランキングも大切でしょう。
患者さんの
「病人丸ごとを診療対象として考えてくれる」場合もある。
ケースワーカーさんとか
臨床心理士さんとか
薬剤相談カウンター
栄養相談カウンター
理学療法や多くのコ、メディカルの皆さんの
総合力や
優しいお姉さんのような看護師さんの励ましがあるとか、、、
地域のボランティアさんとの心の交流がある病院とか、、、
ランキングの視点によって、
像さんは長いのよ
像さんは丸いのよ
像さんは柱のように太いのョ
像さんのランキングはどこで決めるのかしら?
やっぱり鼻の長さよね!
お尻にちょこんとついたしっぽのくるくる度
やっぱりやっぱり
素人が数の統計学で決めるランキングを決めるのと
医師同士の仲間の決めるランキングは
又、大きく視点が違うようです。
ですから、
「医師をランク分けしたりすることは難題と思いませんか?」
「ミロ」と「ピカソ」と「モナリザ」と
「ルノアール」と
「アンディーゥオホール」と
「横山大観」と
「長谷川利行」と
「歌麿」と「鈴木晴信」と
「手塚治虫さんの髭親父やランプ」と
自分で描いた「かかりつけのお医者さんの顔」と
ランクをつける事が出来ますか?
医師と患者さんって
アートの世界のように
好みも相性も信頼も安心感もリラックスも
すべてランキングの要素には
入れられないほど、、、
微妙で、、、安易に数字のEBMで
医療社会をP、C的な二進法頭脳に任せると
心なき「ランキングの世界かな、、、」
砂のように、
患者さんには
握れない数字という事もあるかもしれません。
そんな事を考えながら
本は立ち読みしてめくってしまいました。
参考にはなるので、
何種類もある「ランキング」の中で
一冊選んで買ってきました。
緊急の時は役に立ちそうに思いましたので。
季節がめぐり
四季の歌が心に響きます。
亜熱帯から寒帯まで伸びる飛び島
日本は
何所かが春です
何所かが夏です
何所かが秋です
何所かが冬です
そして
今年は「ノーベル賞が四人です!」
日本語の流れる表彰式。
これを「日本の宝物」といわずして
他に何があるのかな?
オリンピックの「金」メダル!
そして、「神の国日本」は太陽の光が降り注ぐ。
子育てには最高の風土です。
何所かで、政治が生まれている、
四季の歌が心に響きます。
亜熱帯から寒帯まで伸びる飛び島
日本は
何所かが春です
何所かが夏です
何所かが秋です
何所かが冬です
そして
今年は「ノーベル賞が四人です!」
日本語の流れる表彰式。
これを「日本の宝物」といわずして
他に何があるのかな?
オリンピックの「金」メダル!
そして、「神の国日本」は太陽の光が降り注ぐ。
子育てには最高の風土です。
何所かで、政治が生まれている、
毎日TVで必ずお顔を拝見しているうちに
家族のように思えてきました。
もしも、この方たちが、
日本国太郎というお父さんの息子たちだったとしたら
どんな家庭が出来るのだろうと、、、、想像したりする。
*****************************
童話 <日本国太郎の家族>
*****************************
やっぱし長男の甚六で「みのさん」が長男で
しっかり者の小沢さんが二男
心と感情と元気な三男が「麻生さん」
政治家ではあっても、
政治家の駆け引きや
こんな事を言ったらどうなるか?。。。
あんまり考えないで思った事を
フィーリングたっぷりに
まるで「太陽の塔」的発想で言ってしまう。
元気が爆発して、、、
政治は「爆発的発言」で心を伝えようとする。
この方のキャラクターはお金では育てられない天然。
良いとか悪いとか批評する前に
何をおっしゃりたいのか!?
(^^!
母親のような、「麻生言葉」の意味を
伝えてくれる側近の力が必要と思いますよね!
長男の「みのさん」、、、なんとかして、、、チョウダイ。
麻生さんは「ピタゴラスイッチ的発言」ですが、
組み立てによっては
側近や周りの設計で協力すれば
「的」に入れられる
「元気な笑える明るさを天然に持っていられるようにおもいませんか?」
こんなキャラクターの方はあまりいないと思います。
母親が息子たちを見ていると
きっと、、、、
呟くでしょう!
「あなたたちは、、、、一人一人は皆、ユニークなのに
何で?、、、協力して一つの船を動かせないの?」
ズルしたり、手抜きしたり、自分が一番大事なの!
どうして、仲良く、一生懸命頑張って協力しないの?
日本国太郎家族の信条には
外の家族によって影響されたり
分裂させられたり
罠や作戦に乗らない為の
一致団結が必要よね!
怖いのは、外側でしょうから、、、
地に足のついた「実」を生きてネ、
「スイッチ」や「キー」一つで
結果の変わる「風評や人気」に惑わされないで
しっかりと、
「不動心」で
日本国太郎家族の
充実した政治を目指してほしいわね!
(‘‘)(@@)
母親のような側近なら、
麻生さんの発言の意味が
「何をしたいのか?」
「どこに行きたいのか?」
道具は何をそろえてほしいのか?
察知できるのでしょうね。
「あ!うん!」の
「風神雷神」のごとく
風を起こし雲を呼んで
麻生さんを雲に乗せられるマスコミが
逆風な今。
言ってることと、
考えている趣旨は
育ちや環境からくる言葉が
巷の法則とはかみ合わないので、
マスコミの思うがままの人気を作れる。
トランスレイトして、
イメージの転換用語は
かなりな専門的な
思いやりが必要だと
母親的な側近なら
わかるかも知れないと思ったりする。
「マリーアントワネット」が
「パンがなければケーキを食べれば良いでしょう!」
彼女のお育ちからは本気にそう思ったと思います。
おどま ぼんぎり ぼんぎり あんひとたちゃ よかしゅ、、、
よかしゅ やかおび よかきもん。。。。
この感情が最も怖いことを計算に入れられない側近は
諸葛孔明にサンコノ礼をして軍師を迎えねばなりません。
今の世の中は、
「こういう感性の人」も必要だと思います。
ヨーロッパのマイセンや
有田焼や赤絵の微妙な違いが
民衆に説明できる側近は少ないのでしょうね。
マイセンは日本に影響されているという部分も面白いですよね。
平民や庶民が聞いたら
「ギロチン人気」になるのは当然ですが、
フランスの歴史を振り返ると、
解釈の違いは育ちの違いなのだから、
拒否遮断の次元を乗り越えて、
ジャンヌダークも
マリーアントワネットも
生きていてこそ「花」だったかも知れません。
フランス革命の後も
「花の存在」があってこそ
ステータスだったかも知れません。
「美しい国日本!」なのかもしれませんね?
21世紀の時代は形ではなくて
「頭脳」の中の革命に突入しました。
虚数を見破る一握りの天才若者が
流星のごとく現れ始めています。
老人グループもIT機器を見て
はにかんではいられません。
才能が花咲くのは
周りが賢いのでしょう!
育てる力が回りにあるのでしょう!
世界国家に形を変え始めた21世紀に
「●丸何党、、」
「◎バツ党」、、、などと言っていないで
一丸となって
「世界恐慌」に備えて
「やがて来る貿易恐慌」に
対策を立ててください。
一円一ドルになっても
困らない
自給自足の充実。
外国の欲しがる何かのある日本!
気品と節度と汚れなき神聖とが
神通力となって
「風神雷神」になったかも知れません。
年寄りを排除しないでください。
干し柿のように良い味ですよ。
後期高齢者を介護する家族への
温泉無料宿泊サービスとか
ボランティァをもっと楽しく
IT相談員を主婦の中から育てて
介護に、ボケ防止にと役立てる
巡回授業の出番が元気な仲間をつくるとか、、、。
後期高齢者同行の無料リゾート連泊サービスとか
子育てにも応用できる様な心の「元気」を下さい。
御湯に入って、無料で楽しめば
天然のお湯は無尽蔵の年金かも知れません。
鬱鬱とした老人の顔が
無邪気な孫にも似て
可愛い別の生き物のような
内なるパワーを引き出せるかも知れない。
考え方一つで、
御荷物にしてしまっている政治が
老人と一緒なら、施設が
「無料切符」に変われば
会社も、社員を休める介護休暇を推進し、
介護も楽しくなり
温泉に行けない若者を、
介護サービス日を申し込めば
胸を張って温泉に行ける
一日特権階級にするシステムが出来るかもしれませんね。
御金の配布、、、???
現金の配布は
「目線が高すぎる」とおもいませんか?
便宜の配布が
国会議員の行動力になっているように
介護の必要な後期高齢者を抱えた
日本国太郎家に必要なのは
介護が楽しく出来る便宜。
みのさん!!!考えてください!
日本の政治家の為にも!
そうそう、、、
四男の阿部さんを忘れていました。
国立大学や官僚にはない「ムードメーカー」なのに
世智辛い世の中であるため、
阿部さんが首相の座に長期滞在するのには
日本が真綿のお布団のような国でなければ
受け止める事が出来ないかもしれません。
さてさて、、、
しっかり者の小池姉さま、、、
政治家としては「美人過ぎる、、、」のが気になります。
防衛長官だったなんて、、、
あの美しさで
信じられません。
見とれています。
日本国太郎家族の政権争いは
どこに向かってゆくのでしょう、、、?
私はすこぶる政治に弱いのですが、
最近のTVの発言で
胸から胸に来た言葉があります。
このような時代、、、
「馬を乗り換えるな」
<~^ HiHiHiヒヒーーーーン
自分たちの船は自分たちで漕げ!
日本国太郎家族の
外部から加えられた作戦にまんまと乗って
オールを渡すな、、、というような言葉が
わけもなく胸に来ました。
医療家族の
茶の間でのつぶやきは、
医療情勢がどのように浮き沈みしようとも
「老いも若きも大人も子供も命の重さは一緒」なのだから
「医師として、自分のポリシーを貫いてほしいと思います。」
良い医師であり続ける事です。
病気をよく知り医術を磨き患者さんの病気を
患者さん自身が治療して行ける最高の条件の環境に出来るように
心がけて、一途に仕事に生きることですよね、、、と。
時代に動かされて
自分を見失う事がないようにする
強い精神力が
「日本の底力」です。
怖がって、、、不安になって、、、
次々指導者を入れ替えていると、、、
ハツカネズミが
「輪っかを回しているような政治」になって
政治の隙間を喰う年金泥棒や
イデオロギーが先行して主義主張の党の為の党の政治に
なっては
「角をためて牛を殺す」ことになりかねません。
一部の
「心ない発言のクローズアップ」で
時代を先導してゆく
マスコミには
「角」がいっぱいたまるでしょうね、、、。
角角角、、、、、
良く儲け、よく学び、よく働き、
自分の維持費に巨額をかけてリーダーとして頑張り続けた
昔の若者達よ!
社会に還元し、
おかげ横丁を元気にさせていた中心の人たちよ!
もう一度、日本に元気をばらまいて
「花咲か爺さん」になってください。
後期高齢者
要介護老人
この方たちを
「花咲かじいさんにしてあげてください。」
一握りの灰が花に変わり
皆が花によってくるのです。
「わんこちゃんのドレス」が
四万円もするのがあるのをしっていますか?
お年寄りのイメージを変えてあげれないものでしょうか?
皆で協力して!
おかげ横丁を作りましょう。
お医者さんでも「年金」をあてにしているのですか?、、、など
とんでもないことをいう窓口がネグサレさせたのです。
「年金」は老後の酸素です。
おかげ横丁を
「無意識につくる医師」を盛り上げてゆかないと
健康も、おかげ横丁も、支える事務員も職を失います。
医師を国の知的ポテンシャルエネルギーとして
サポートすることは
麻生さんは病院の経営者として
実際になさっている事なのに
うっかり、、、身近すぎる無礼講で
医師が非常識だなんて、、、
TVで言ってしまうなんて
笑えない苦笑いです。
又、年金の役割として
最低の保障が
ボーダーラインの人間のプライドを守ります。
老後の弱者のいじめからも逃げられます。
保障があるから、
なりふり構わず働いて、、、働いて、、、
社会に還元できる力となります。
後期老年期を孤独にさせないためにも
年金や、介護を
御かげ横丁から回収してください。
老人の介護精神はご神体かも知れません。
日本国太郎の家族のお母さんは
、、、子供たちの個性に戸惑って
いろいろの事を口走っていました。
だんご だんご だんご だんご。。。。。兄弟!
自分が一番のだんご!
個の団子は早く
早く、、、食べてしまって 「ない!」
おしまい
家族のように思えてきました。
もしも、この方たちが、
日本国太郎というお父さんの息子たちだったとしたら
どんな家庭が出来るのだろうと、、、、想像したりする。
*****************************
童話 <日本国太郎の家族>
*****************************
やっぱし長男の甚六で「みのさん」が長男で
しっかり者の小沢さんが二男
心と感情と元気な三男が「麻生さん」
政治家ではあっても、
政治家の駆け引きや
こんな事を言ったらどうなるか?。。。
あんまり考えないで思った事を
フィーリングたっぷりに
まるで「太陽の塔」的発想で言ってしまう。
元気が爆発して、、、
政治は「爆発的発言」で心を伝えようとする。
この方のキャラクターはお金では育てられない天然。
良いとか悪いとか批評する前に
何をおっしゃりたいのか!?
(^^!
母親のような、「麻生言葉」の意味を
伝えてくれる側近の力が必要と思いますよね!
長男の「みのさん」、、、なんとかして、、、チョウダイ。
麻生さんは「ピタゴラスイッチ的発言」ですが、
組み立てによっては
側近や周りの設計で協力すれば
「的」に入れられる
「元気な笑える明るさを天然に持っていられるようにおもいませんか?」
こんなキャラクターの方はあまりいないと思います。
母親が息子たちを見ていると
きっと、、、、
呟くでしょう!
「あなたたちは、、、、一人一人は皆、ユニークなのに
何で?、、、協力して一つの船を動かせないの?」
ズルしたり、手抜きしたり、自分が一番大事なの!
どうして、仲良く、一生懸命頑張って協力しないの?
日本国太郎家族の信条には
外の家族によって影響されたり
分裂させられたり
罠や作戦に乗らない為の
一致団結が必要よね!
怖いのは、外側でしょうから、、、
地に足のついた「実」を生きてネ、
「スイッチ」や「キー」一つで
結果の変わる「風評や人気」に惑わされないで
しっかりと、
「不動心」で
日本国太郎家族の
充実した政治を目指してほしいわね!
(‘‘)(@@)
母親のような側近なら、
麻生さんの発言の意味が
「何をしたいのか?」
「どこに行きたいのか?」
道具は何をそろえてほしいのか?
察知できるのでしょうね。
「あ!うん!」の
「風神雷神」のごとく
風を起こし雲を呼んで
麻生さんを雲に乗せられるマスコミが
逆風な今。
言ってることと、
考えている趣旨は
育ちや環境からくる言葉が
巷の法則とはかみ合わないので、
マスコミの思うがままの人気を作れる。
トランスレイトして、
イメージの転換用語は
かなりな専門的な
思いやりが必要だと
母親的な側近なら
わかるかも知れないと思ったりする。
「マリーアントワネット」が
「パンがなければケーキを食べれば良いでしょう!」
彼女のお育ちからは本気にそう思ったと思います。
おどま ぼんぎり ぼんぎり あんひとたちゃ よかしゅ、、、
よかしゅ やかおび よかきもん。。。。
この感情が最も怖いことを計算に入れられない側近は
諸葛孔明にサンコノ礼をして軍師を迎えねばなりません。
今の世の中は、
「こういう感性の人」も必要だと思います。
ヨーロッパのマイセンや
有田焼や赤絵の微妙な違いが
民衆に説明できる側近は少ないのでしょうね。
マイセンは日本に影響されているという部分も面白いですよね。
平民や庶民が聞いたら
「ギロチン人気」になるのは当然ですが、
フランスの歴史を振り返ると、
解釈の違いは育ちの違いなのだから、
拒否遮断の次元を乗り越えて、
ジャンヌダークも
マリーアントワネットも
生きていてこそ「花」だったかも知れません。
フランス革命の後も
「花の存在」があってこそ
ステータスだったかも知れません。
「美しい国日本!」なのかもしれませんね?
21世紀の時代は形ではなくて
「頭脳」の中の革命に突入しました。
虚数を見破る一握りの天才若者が
流星のごとく現れ始めています。
老人グループもIT機器を見て
はにかんではいられません。
才能が花咲くのは
周りが賢いのでしょう!
育てる力が回りにあるのでしょう!
世界国家に形を変え始めた21世紀に
「●丸何党、、」
「◎バツ党」、、、などと言っていないで
一丸となって
「世界恐慌」に備えて
「やがて来る貿易恐慌」に
対策を立ててください。
一円一ドルになっても
困らない
自給自足の充実。
外国の欲しがる何かのある日本!
気品と節度と汚れなき神聖とが
神通力となって
「風神雷神」になったかも知れません。
年寄りを排除しないでください。
干し柿のように良い味ですよ。
後期高齢者を介護する家族への
温泉無料宿泊サービスとか
ボランティァをもっと楽しく
IT相談員を主婦の中から育てて
介護に、ボケ防止にと役立てる
巡回授業の出番が元気な仲間をつくるとか、、、。
後期高齢者同行の無料リゾート連泊サービスとか
子育てにも応用できる様な心の「元気」を下さい。
御湯に入って、無料で楽しめば
天然のお湯は無尽蔵の年金かも知れません。
鬱鬱とした老人の顔が
無邪気な孫にも似て
可愛い別の生き物のような
内なるパワーを引き出せるかも知れない。
考え方一つで、
御荷物にしてしまっている政治が
老人と一緒なら、施設が
「無料切符」に変われば
会社も、社員を休める介護休暇を推進し、
介護も楽しくなり
温泉に行けない若者を、
介護サービス日を申し込めば
胸を張って温泉に行ける
一日特権階級にするシステムが出来るかもしれませんね。
御金の配布、、、???
現金の配布は
「目線が高すぎる」とおもいませんか?
便宜の配布が
国会議員の行動力になっているように
介護の必要な後期高齢者を抱えた
日本国太郎家に必要なのは
介護が楽しく出来る便宜。
みのさん!!!考えてください!
日本の政治家の為にも!
そうそう、、、
四男の阿部さんを忘れていました。
国立大学や官僚にはない「ムードメーカー」なのに
世智辛い世の中であるため、
阿部さんが首相の座に長期滞在するのには
日本が真綿のお布団のような国でなければ
受け止める事が出来ないかもしれません。
さてさて、、、
しっかり者の小池姉さま、、、
政治家としては「美人過ぎる、、、」のが気になります。
防衛長官だったなんて、、、
あの美しさで
信じられません。
見とれています。
日本国太郎家族の政権争いは
どこに向かってゆくのでしょう、、、?
私はすこぶる政治に弱いのですが、
最近のTVの発言で
胸から胸に来た言葉があります。
このような時代、、、
「馬を乗り換えるな」
<~^ HiHiHiヒヒーーーーン
自分たちの船は自分たちで漕げ!
日本国太郎家族の
外部から加えられた作戦にまんまと乗って
オールを渡すな、、、というような言葉が
わけもなく胸に来ました。
医療家族の
茶の間でのつぶやきは、
医療情勢がどのように浮き沈みしようとも
「老いも若きも大人も子供も命の重さは一緒」なのだから
「医師として、自分のポリシーを貫いてほしいと思います。」
良い医師であり続ける事です。
病気をよく知り医術を磨き患者さんの病気を
患者さん自身が治療して行ける最高の条件の環境に出来るように
心がけて、一途に仕事に生きることですよね、、、と。
時代に動かされて
自分を見失う事がないようにする
強い精神力が
「日本の底力」です。
怖がって、、、不安になって、、、
次々指導者を入れ替えていると、、、
ハツカネズミが
「輪っかを回しているような政治」になって
政治の隙間を喰う年金泥棒や
イデオロギーが先行して主義主張の党の為の党の政治に
なっては
「角をためて牛を殺す」ことになりかねません。
一部の
「心ない発言のクローズアップ」で
時代を先導してゆく
マスコミには
「角」がいっぱいたまるでしょうね、、、。
角角角、、、、、
良く儲け、よく学び、よく働き、
自分の維持費に巨額をかけてリーダーとして頑張り続けた
昔の若者達よ!
社会に還元し、
おかげ横丁を元気にさせていた中心の人たちよ!
もう一度、日本に元気をばらまいて
「花咲か爺さん」になってください。
後期高齢者
要介護老人
この方たちを
「花咲かじいさんにしてあげてください。」
一握りの灰が花に変わり
皆が花によってくるのです。
「わんこちゃんのドレス」が
四万円もするのがあるのをしっていますか?
お年寄りのイメージを変えてあげれないものでしょうか?
皆で協力して!
おかげ横丁を作りましょう。
お医者さんでも「年金」をあてにしているのですか?、、、など
とんでもないことをいう窓口がネグサレさせたのです。
「年金」は老後の酸素です。
おかげ横丁を
「無意識につくる医師」を盛り上げてゆかないと
健康も、おかげ横丁も、支える事務員も職を失います。
医師を国の知的ポテンシャルエネルギーとして
サポートすることは
麻生さんは病院の経営者として
実際になさっている事なのに
うっかり、、、身近すぎる無礼講で
医師が非常識だなんて、、、
TVで言ってしまうなんて
笑えない苦笑いです。
又、年金の役割として
最低の保障が
ボーダーラインの人間のプライドを守ります。
老後の弱者のいじめからも逃げられます。
保障があるから、
なりふり構わず働いて、、、働いて、、、
社会に還元できる力となります。
後期老年期を孤独にさせないためにも
年金や、介護を
御かげ横丁から回収してください。
老人の介護精神はご神体かも知れません。
日本国太郎の家族のお母さんは
、、、子供たちの個性に戸惑って
いろいろの事を口走っていました。
だんご だんご だんご だんご。。。。。兄弟!
自分が一番のだんご!
個の団子は早く
早く、、、食べてしまって 「ない!」
おしまい
昨日積った雪が融けています。
雨が路面をつるつるのリンクにしています。
車もタイヤが滑ります。
世界の今は?
TVをつけると、、、、天気のことなど、2の次です。
ギリシャで暴動が起きています。
クリスマスの前なのに、、、、
世界の皆はどうなっちゃったのでしょう!?
命の尊さを今一度冷静に見つめてください。
世界の皆がツワーで訪問する素晴らしいギリシャを
壊さないでください。
ギリシャの少年は天使のように、
皆の冷静になるのを祈っているとおもいませんか?
神様はきっと見ている。
雨が路面をつるつるのリンクにしています。
車もタイヤが滑ります。
世界の今は?
TVをつけると、、、、天気のことなど、2の次です。
ギリシャで暴動が起きています。
クリスマスの前なのに、、、、
世界の皆はどうなっちゃったのでしょう!?
命の尊さを今一度冷静に見つめてください。
世界の皆がツワーで訪問する素晴らしいギリシャを
壊さないでください。
ギリシャの少年は天使のように、
皆の冷静になるのを祈っているとおもいませんか?
神様はきっと見ている。
日々の徒然なる日記のような
「花鳥風月」に
力の入った
洞察力の深いコメントを頂き
感謝しています。
私は、
宗教にも、政治にも
造詣の深い皆様と
対等に話し合えるほどの、
しっかりした意見が纏まりません。
人間の社会は、
「ゆく川の水のごとしですね!」
同じに見えても、
刻々と変わり、
時間は待ってくれません。
それだけに、
安易な
トラックバックも
コメントも
公開するのは
考えてしまいます。
良いものであればある程、、、
その方を気遣います。
そんな訳で、
最大公約数的なもので、
少々の反響も動じないようなコメントだけ
公開させていただきます。
マスコミの
「椿事件」のコメントを頂き、
サーフィンして勉強させていただきました。
政治に関することは、
本当に難しいですね。
マスコミも「中立」という基本姿勢を守り、
日本の行く末を
ともに、脊負い、
偏った
自己の主張の為の記事を
クローズアップすることは、
大きな意味で、
「押してはならないスイッチ」を
押す結果になりますので、
日本のみならず、
地球という
「みずみずしい素敵な星の命を見つめて」下さい。
人間が星に宿った
「癌細胞」のように、
留まる事のない
「欲望」を煽る記事は
考えて書いて下さるよう
孫の時代に、
「命の健康」をリレーしてください。
老いも若きも
バラもレンゲも
命は平等に美しい!!!
戦前に生まれた私は、
「椿事件」どころか
戦争記事が、
国民を無視した一部の人たちの
嘘っぱちの記事で
新聞がうずめられていたのを知って育ちました。
でも、それを批判するだけの
世論が当時はありませんでした。
敗戦後、心から悔いる人や、
なりふり構わず私利私欲に走る人や、
傷痍軍人の姿の中に
人間の世界の「マンダラ模様」を感じながら、
一個のコッペパンをもらうのに行列を作り
茶がゆをすすり、
ピカソのゲルニカに「鬱鬱となりました。」
勅使河原創風さんが、銀座に骨と花を飾り
戦後を風刺する魂の生け花を始めました。
主婦たちは
わけもなく、、、、
元気がわいてきました。
花の持つ
「命を溜めた枝や花ビラや葉の勢い」が
創風さんのアレンジで、
萎えた戦後の主婦の心に
「花や木や鉱物、樹木の根の持つ、、、命のパワー」が
地球レベルの
「何かを育てる勢い」を流し込んできたのです。
地球の欠片の材料は「命」となって
戦場のブラックホールを
踏襲し始めました。
主婦たちは、あちこちに
「花を飾りました。」
芸術とは言えないかもしれません。
しかし、
「自分を失いかけていた戦後の廃墟」で
花の命や太陽の力を溜めた枝に
根のない植物が、花開き、冬を越えて、
根が出始めたのを見て、感動をしました。
生け花がきっかけで
植物や動物、鉱物に命を見出し
登山や、園芸や、ガーデニングを始めた主婦らの輪が
日本の敗戦の中で。
踏まれても踏まれても、芽を出す「おおばこ」のように
「日本の母ちゃん」の姿を復活させていきました。
「花を生ける!」「自分を生ける!」
枝なんか、、、
縦でも横でも、素材が良ければ美しい!
皆、自分を見つめはじめました。
私的人生の光を見つめ、
戦後の自由な価値観が
いろいろのジャンルに花咲きました。
混乱の文化の中で
太陽族が生まれ
葉山の海はヨットが美しかった。
、、、そして、、、行きついたところは、、、
「やはり野に置け、、、蓮華草、、、」
あるべきところにあるのが、、、美しい!
年をとったのかもしれません、
何が大切なのか、、、命のリレ-の山登り。
自然のままの雑草のような花に
蝶や虫たちや、鳥が来るのがうれしい、、、、
「我」の果てに「無我」になったとき
鮒を釣り始めた
孫と友達になれていました。
孫の成長に追い越され、
また、また、おいてけぼりになる頃
私は一足飛びに
「光の中へ粒子になって飛んでゆきたい!」
陽だまりで、息子が空を見上げ、
奥さんがほほ笑み
孫が、「温かいね、、、」って笑ったら
私は生きています。
永遠に!
そして、、、
冬の寒い夜空には
「オリオン座で皆を見つめているよ、、と言った母と会いたい!。」
「花鳥風月」に
力の入った
洞察力の深いコメントを頂き
感謝しています。
私は、
宗教にも、政治にも
造詣の深い皆様と
対等に話し合えるほどの、
しっかりした意見が纏まりません。
人間の社会は、
「ゆく川の水のごとしですね!」
同じに見えても、
刻々と変わり、
時間は待ってくれません。
それだけに、
安易な
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考えてしまいます。
良いものであればある程、、、
その方を気遣います。
そんな訳で、
最大公約数的なもので、
少々の反響も動じないようなコメントだけ
公開させていただきます。
マスコミの
「椿事件」のコメントを頂き、
サーフィンして勉強させていただきました。
政治に関することは、
本当に難しいですね。
マスコミも「中立」という基本姿勢を守り、
日本の行く末を
ともに、脊負い、
偏った
自己の主張の為の記事を
クローズアップすることは、
大きな意味で、
「押してはならないスイッチ」を
押す結果になりますので、
日本のみならず、
地球という
「みずみずしい素敵な星の命を見つめて」下さい。
人間が星に宿った
「癌細胞」のように、
留まる事のない
「欲望」を煽る記事は
考えて書いて下さるよう
孫の時代に、
「命の健康」をリレーしてください。
老いも若きも
バラもレンゲも
命は平等に美しい!!!
戦前に生まれた私は、
「椿事件」どころか
戦争記事が、
国民を無視した一部の人たちの
嘘っぱちの記事で
新聞がうずめられていたのを知って育ちました。
でも、それを批判するだけの
世論が当時はありませんでした。
敗戦後、心から悔いる人や、
なりふり構わず私利私欲に走る人や、
傷痍軍人の姿の中に
人間の世界の「マンダラ模様」を感じながら、
一個のコッペパンをもらうのに行列を作り
茶がゆをすすり、
ピカソのゲルニカに「鬱鬱となりました。」
勅使河原創風さんが、銀座に骨と花を飾り
戦後を風刺する魂の生け花を始めました。
主婦たちは
わけもなく、、、、
元気がわいてきました。
花の持つ
「命を溜めた枝や花ビラや葉の勢い」が
創風さんのアレンジで、
萎えた戦後の主婦の心に
「花や木や鉱物、樹木の根の持つ、、、命のパワー」が
地球レベルの
「何かを育てる勢い」を流し込んできたのです。
地球の欠片の材料は「命」となって
戦場のブラックホールを
踏襲し始めました。
主婦たちは、あちこちに
「花を飾りました。」
芸術とは言えないかもしれません。
しかし、
「自分を失いかけていた戦後の廃墟」で
花の命や太陽の力を溜めた枝に
根のない植物が、花開き、冬を越えて、
根が出始めたのを見て、感動をしました。
生け花がきっかけで
植物や動物、鉱物に命を見出し
登山や、園芸や、ガーデニングを始めた主婦らの輪が
日本の敗戦の中で。
踏まれても踏まれても、芽を出す「おおばこ」のように
「日本の母ちゃん」の姿を復活させていきました。
「花を生ける!」「自分を生ける!」
枝なんか、、、
縦でも横でも、素材が良ければ美しい!
皆、自分を見つめはじめました。
私的人生の光を見つめ、
戦後の自由な価値観が
いろいろのジャンルに花咲きました。
混乱の文化の中で
太陽族が生まれ
葉山の海はヨットが美しかった。
、、、そして、、、行きついたところは、、、
「やはり野に置け、、、蓮華草、、、」
あるべきところにあるのが、、、美しい!
年をとったのかもしれません、
何が大切なのか、、、命のリレ-の山登り。
自然のままの雑草のような花に
蝶や虫たちや、鳥が来るのがうれしい、、、、
「我」の果てに「無我」になったとき
鮒を釣り始めた
孫と友達になれていました。
孫の成長に追い越され、
また、また、おいてけぼりになる頃
私は一足飛びに
「光の中へ粒子になって飛んでゆきたい!」
陽だまりで、息子が空を見上げ、
奥さんがほほ笑み
孫が、「温かいね、、、」って笑ったら
私は生きています。
永遠に!
そして、、、
冬の寒い夜空には
「オリオン座で皆を見つめているよ、、と言った母と会いたい!。」
何回も 何回も観た「ラストエンペラー」
テレビでも、最後の皇帝が、
戦後
普通の人間として、
「常識的な生活が出来るようになるまでの年月」が
ドラマとして放映されました。
大きな背景が権力で侵略してゆく時、
政治的に利用されてゆく皇帝。
翻訳では
「皇帝に乾杯」!と字幕が出ていた映画もあった。
これは、
「陛下に乾杯!」という字幕になるのが妥当なのかな?
何にしても、
侵略してくる勢力は
これから手中に収めようとしている
国やゾーンの
まとまりを分断して、
本来は一つのはずの国を
バラバラにまとまりのない国にしてゆく。
国の中で内乱がはじまると
いくつかの勢力の一つの
後方の黒幕のような盾になって
背後の見えない位置から、
時代に取り残されそうになっていた
皇帝陛下を擁立して
侵略目的の国を
支配しようとする。
しかし「民主化」の波は
皇帝の時代を押し流してゆく。
日本も、
現在のような民主国家に到達するまでの間には
歴史を揺るがすような
軍の歴史があったことが
ドラマの中から哀しいまでに見えてくる。
***********************
今、医療界に置き換えてゆくと、
「医療の品質」が「病院の品質」が問われている。
医者以外のジャンルの「経営」「運営」「数字」の世界の
文系や経理や運営、経営の社員の手に握られる時代が来た。
紀伊国屋の2階にまた、
今日もやってきました。
本のページをめくると、、、、
現場を知らない勢力によって、
支配されてゆこうとする時代に突入した。
本たちの言わんとすることを手短に述べるなら、
「医師の人々」は「城主」のような
独立した自我を貫く
「力」と「道」と「人脈」を持っている。
その、
個々の独立した心の「
城主の集まり」が
一つの大きな病院という形態になり、
各科独立して
毅然と医療に向かうとしたら、、、
各科それぞれが
「城主」のようにまとまっているだけに、
「医師」の中から
カリスマ的に大病院を引っ張って行くリーダーが
各科にいらっしゃるという事になる。
当然「大きな科」の特徴が出てくる。
「外科」と「内科」も病院の舵に大きな影響力を持つ。
どんなに大変でも、
どんなに苦しくても、
自分たちが主体で
この!「病院という船」が航行するという自覚が
100パーセントの力を越えて、
超人的な働きも可能にしてきた。
しかし!!!
時代は大きく変わってきた。
舵は「各科のリーダー格」の「医師の手から離れ」
株式会社の「定款」の手にゆだねられる時代がやってきた。
株式会社は、文系や経営の数字に強い
バンカブルな、運営サイドの支配によって
「医師」という「社員」を統治してゆく。
少数の会社幹部の会合で決まる時代が来た。
手段は選ばない。
自分たちの都合の良い「ラストエンペラー」を
医師の仲間の中から選ぶのである。
選ばれた医師は、「抜擢」という栄誉を手にする。
医師仲間が、
現場を把握しない運営や経理サイドの
権力によって、
「人事権が駆使されるという苦痛」を考える前に
自分の輝きに目がくらむのは
人間として、
ありがちな盲点である。
現場を知らない会社幹部の都合で
定款の法の下で
病院に侵略する為には
創立樹にすでに計画されていると
本は叫んでいる。
病院の土地、
医療器械、
施設に融資をするときに
20年後の会社経営が計画されていると
本は大きな見出しで読者を呼び込む。
当然、
創世記から軌道にのせるまでの
激動の時代を背負った
功労者の勤続20年以上の先生方は
隅に追いやられてゆく。
経営サイドは
「病院を若返らせてゆく。」
見かけと、合理性と経営サイドの価値を掲げる。
80歳の患者さんの気持ちは
60歳の勤続勤務の医師に支えられていたりする。
医療は年齢を超えて命の重さを平等に受け止める
新しく会社の侵略に選ばれた
ラストエンペラーの立場の先生は
数ある先輩のや古参の先生をさしおいて
栄光の座に抜擢された自分の才能に高揚した
満足感で、何も見えない。
見えていたとしても
自尊心が先立つ。
現場を知らなくても、
私が橋となって会社の幹部の盾となれると
信じるだろう。
現場を把握するスタッフからは
何と思われようとも
「エンペラー」として
乾杯を受ける。
「乾杯!、、、経営陣のエンペラーに!」
こうして、現場を支え続けてきた
古参の各科の城主は
経営サイドの支配権を駆使するのには
扱いにくい存在として
後期高齢者の適用となる
保険制度のように
当然の権利を叫ばねば
隅に追いやられてゆく。
「医は仁術」
心の時代が終わり
経営が病院を動かしてゆく。
つまり、現場を把握して、
「現場の心」をしっかりととらえている
医師のリーダーが
各科に出てきて、
輪になって
病院という
船の舵を動かしていた時代があったにもかかわらず、、、
一丸となって
医療世界を
信頼の絆で結ぶべく
主役の
医師と患者の絆が
「訴訟」や
「患者様」という
我がままの言えるような
勘違いする呼び方に変わりました。
一部の医師の
「認識」の違いも、
一部にはあり、
本来は
病気と一緒に戦う仲間であるはずの者同士の
「絆」が
ズタズタに切られて
「信頼関係がなくなっていった。」
マスコミは
「患者主体」の意味を
取り違えて
報道する日々が続きました。
患者様と呼ばれるようになって
主体が患者さんになったとするなら、
責任も患者さんにあることを認識することが
大切だと思います。
患者さんは、
自分の責任をさておいて
わがままになりました。
医師を選び、
病院の梯子をする方も現れました。
先生から先生へと
移りながら診療を
受けるようになりました。
病気の主体が
「患者さん」である以上
医師は、
病気と闘う患者さんと
戦場へ同行する戦友のように
患者さんが病気と闘う戦場の
「軍師」のように
、
医術を提供し、
病気に勝てるように
サポートしてきたと思うのです。
病院は
「病気と闘う患者さんの為の環境」を提供すると思います。
現場の把握をしている
医師と、
コ、メディカルの皆と
、
「患者さんの信頼」が
一丸となってこそ、
「病院という船は健全に航海できると思うのです。」
信頼が力となって
嵐の日も、
高波の日も、
医者は150パーセントの力で
「船の航行」に全力を尽くす
「やる気」が生まれてきました。
自分たちが「舵」を握っているという
責任と誇りが
150パーセントの
「やる気」を起こさせていたと思います。
ひたすらに、
ひたすらに、
命がけで守り続けた船は
いつしか、
会社の経営陣の手によって
舵が握られ、
現場を無視した権力で
経営や運営や、
事務の数字で見るバンカブルな方向に
船の舵は取られてゆきました。
医師たちは
「やる気」を亡くし
150パーセントの力は
魔法が解けたシンデレラの馬車のように
かぼちゃの馬車となりました。
一人、、、
又一人、、、
現実の空しさに
「やる気」を無くして行きました。
舵を握った経営の三人組みは
会社法が決めた「定款」の一行を
船の旗として掲げ
誇りある医師達の
ビジョンの旗は降ろされ
経営陣に選ばれた
「ラストエンペラー」の医師は
医師たち全員に
現場の声で選ばれた自分であると
思いこみ
経営陣の旗を掲げ
乾杯!、、、
「経営陣のバンカブルな会社病院の為に!」
こうして、
「患者さま!」として、
マスコミからも、
はやし立てられ、
「私たちは客よ!」と勘違いし
夜昼、
医師を酷使した小児科も、
産婦人科も、
患者さんの
医学を知識で浅く認識すると
些細なことでも
訴訟が起こりはじめました。
「ありがとう」のかわりに
突きつけられた訴訟で
医師は辞めてゆきました。
医師と患者さんの
「絆」の間に
マスコミの攻撃が続き
「まるで原子爆弾を落として、
医者の信頼を、
患者さんとの「絆」を
木っ端みじんにしてから、、、」
医療を支配する権力や会社が
宇宙人のように顔を表しました。
一生懸命「医学」の道を見つめ
ぎりぎりまで、
医療にささげた医師は
当然、、、
経営まで頭を回せる時間がありません。
医師の中に
「病院経営のプロは少ないと思います。」
「病院のプロの経営者」を
文系や、
経営学や
経理の人材に
ゆだねる時代が来ました。
!!!!!!!!
ここで、会社組織の登場となったのですが、
現場を把握する医療知識のない経営が
さまざまな「机上の文献」や
「会議場の知識」や
講演会での知識によって
病院の権力を握り
抜擢によって選んだ医師を
「ラストエンペラー」迎えて、
乾杯!経営陣の会社の定款を囲む3人に乾杯!
本末転倒のサポートになりました。
現場の熟練者である院長は
人事に発言権はありません。
長年の年月と
地域との信頼と
医療人同士の医療提携を
見抜けない経営サイドの人事が
病院を
「やる気のない病院に追いやって行く」
紀伊国屋の医療崩壊の本棚の前で
ページをめくりながら、
自治体の病院など
荒廃した病院の紹介が掲載されていました。
まだ!!!!間に合う!
現場をよく知るスタッフ!
現場で舵を握ってきた功労者の
船員のように
「軸」となって仲間に信頼の厚い
医療のスタッフの
チーム力を尊重してはいかがでしょう!。
揺れる船の
舵を戻せば!
まだ!!!間に合う。
本のページは叫んでいる!
医師の性格は、、、たぶん、、、
「自分の船の舵は自分で握る」ことで、
「やる気」に気合が入り
「強敵の病魔の持つブラックホール」に吸い込まれないで
患者さんを
健康ドーンに引き戻す
超人的な
集中力が宿ると!、、、思いました。
病魔と闘う「気力」と「やる気」を支えるのは
経営陣の謙虚な
病院を愛する奉仕のサポートだと思います。
三人やそこらの現場を知らない
非医療人の経営者が
現場の意向を無視した「会社の定款」の
法的権力で
形だけ整えても、
病院は「医師」「スタッフ」の現場の各自の誇りにかけて
自ら湧いてくる「やる気」「気力」が
病人の持つ負のエレルギーの荒波を乗り切る
医療の現場の力となるはずです。
病気の持つブラックホールに向かう気力と「やる気」が
医師のみんなから奪われては
病院は建物だけの空しい廃墟となって行くと思うのです。
医師も自分の船の舵は
現場を体で体験していない素人に渡しては
航海の航路は北北西に進路をとれません。
医師の気力!
医療スタッフの気力!
これが病院の力です。
病気に向かう「やる気」を起こさせる人事は
現場から「生えてくるリーダー」にゆだねるのが定石と思いました。
経営陣が
「医師は常識がない、、、???」などと考えて
サポートを忘れて、
自分たちの権力の指揮する病院を夢みて、
自分たちの権力闘争の欲望の為に
外部から「特別扱いの医師を招き入れて」
「ラストエンペラー」の様に
医師を擁立して背後から
病院の舵を取ろうとしても、
絵に描いた餅のように
「食えない医療施設」として、
「気力の萎えた医療施設」
「やる気のない医療施設」
として
崩壊してゆく雑誌が、
紀伊国屋にはいっぱいありました。
医師は、机上で、会議で
又、外国のシステムを知識で振りかざした
非医療人の「駒になれない」とインタビューは続いていた。
患者さんも、
「患者様」と
たてまつられて、
唯一「
病気と闘う戦場の戦友のような医師」との
「信頼の絆」を
一部の不心得な
悪徳医師の
クローズアップの報道戦略で
必要以上に
医師への不信を仰ぎたてられました。
戦略の手りゅう弾で
木っ端みじんにされて
弁護士の稼ぎ場所の訴訟となってしまい、
簡単に、すぐに
「医師を訴訟」するという
とんでもない風潮の時代になりました。
患者様とたてまつって
医師との「信頼関係」を揺るがし続けたマスコミ戦略。
ばあちゃんの子供のころは
医師と坊様には手を合わせて感謝したもんじゃった、、、そうな。
病人の持っている
不安、依存心、
人のせいにしないと生きてゆけない
現実逃避、、、etc.
当然の権利のように
原点にある「欲」と
自尊心。
訴訟するとお金になるという弁護士の勧誘。
こうした事実が
多くの、
素晴らしい小児科医を閉院に追い込んでしまい、
産婦人科医を
どんどん少なくしていった原因の一つとして
本は、
大きな見出しで取り上げていました。
日本の女性は
子供を産まなくなりました。
なぜ?なのでしょう?
感謝という「ありがとう」が無くなった事も
大きな原因かも知れません。
マスコミも、
マスコミの存続価値のアピールのための報道が
日本の根底を揺るがすことになったのかも知れません。
本当に、、
取り上げなければならないのは、
有名人や著名なキャリアウーマンや
自分の為の人生を生きた人よりも、
報いられる事はなくても、
ひたすら子供を育て、
やがて
空の巣症候群から
おいてけぼりの自分に絶望して
更年期の孤独に落ちいっても
気力雄々しく
立ち上がり
60歳から、自分を生きた
「日本の母ちゃん」を
報道することで
、
素敵に生きる
女子アナ的な
キャリアウーマンも
自分に生きる30代の女性も、
命を産むことの重さが
命がけでの子育てが
、
自分自身をも育てる事に
気づくのでは無いでしょうか?
子供を産み
子供を育ててこそ
人生が見えてくる部分もあり、
味わえる事も増え、
光が育てる地球の命にも
木々にも、岩にも、川にも、海にも
愛おしさと
優しさで感謝できる共有の心に気づきます。
その「命を守る健康」を
生まれてから、
衣服を着る前にまといます。
医療は「命の健康を守る。」
医療は「健康を守る。」
ひたすら、株式会社の定款によって
3人ばかりの現場を把握できない役員に
運営や経理や経営が先行した
会社権力の為の
病院への人事の介入は
子供を産んだことのない、又、育てた事のない
知識と、頭と、会議と、立場で職場を制してゆく
キャリアウーマンに
子育てを任せるような
それにも似た、
何か足りない人事力を感じませんか?
権力や知識や財力や常識を超えた
「やる気」と「気力」を
医師から奪った時
病院は荒廃に向かって、
転がり落ちてゆくのではないでしょうか?
病院の「やる気を奪う」
最悪の時代が来たと哀しく思うのです。
病院や医療はロボット工場ではなく
命という
「瑞々しい心」
「病気と闘う気力を注ぐ」見えない部分が大切な
気力の集団であることを
再認識する時かもしれません。
「非常識な病気の悪魔」の
「ブラックホール」のような
「マイナスの気力と戦う医師」に、
常識や定款で道を説く前に、
「医師の持つ医師独特の力」を
医療だけに使えるように
サポートして、
一切の雑務や
わずらわしい訴訟から解放すべく
マスコミも、
良い社会をつくるための
指導者になってほしいものですね。
医療の未来が日本の心身の健康を背負うと思いました。
テレビでも、最後の皇帝が、
戦後
普通の人間として、
「常識的な生活が出来るようになるまでの年月」が
ドラマとして放映されました。
大きな背景が権力で侵略してゆく時、
政治的に利用されてゆく皇帝。
翻訳では
「皇帝に乾杯」!と字幕が出ていた映画もあった。
これは、
「陛下に乾杯!」という字幕になるのが妥当なのかな?
何にしても、
侵略してくる勢力は
これから手中に収めようとしている
国やゾーンの
まとまりを分断して、
本来は一つのはずの国を
バラバラにまとまりのない国にしてゆく。
国の中で内乱がはじまると
いくつかの勢力の一つの
後方の黒幕のような盾になって
背後の見えない位置から、
時代に取り残されそうになっていた
皇帝陛下を擁立して
侵略目的の国を
支配しようとする。
しかし「民主化」の波は
皇帝の時代を押し流してゆく。
日本も、
現在のような民主国家に到達するまでの間には
歴史を揺るがすような
軍の歴史があったことが
ドラマの中から哀しいまでに見えてくる。
***********************
今、医療界に置き換えてゆくと、
「医療の品質」が「病院の品質」が問われている。
医者以外のジャンルの「経営」「運営」「数字」の世界の
文系や経理や運営、経営の社員の手に握られる時代が来た。
紀伊国屋の2階にまた、
今日もやってきました。
本のページをめくると、、、、
現場を知らない勢力によって、
支配されてゆこうとする時代に突入した。
本たちの言わんとすることを手短に述べるなら、
「医師の人々」は「城主」のような
独立した自我を貫く
「力」と「道」と「人脈」を持っている。
その、
個々の独立した心の「
城主の集まり」が
一つの大きな病院という形態になり、
各科独立して
毅然と医療に向かうとしたら、、、
各科それぞれが
「城主」のようにまとまっているだけに、
「医師」の中から
カリスマ的に大病院を引っ張って行くリーダーが
各科にいらっしゃるという事になる。
当然「大きな科」の特徴が出てくる。
「外科」と「内科」も病院の舵に大きな影響力を持つ。
どんなに大変でも、
どんなに苦しくても、
自分たちが主体で
この!「病院という船」が航行するという自覚が
100パーセントの力を越えて、
超人的な働きも可能にしてきた。
しかし!!!
時代は大きく変わってきた。
舵は「各科のリーダー格」の「医師の手から離れ」
株式会社の「定款」の手にゆだねられる時代がやってきた。
株式会社は、文系や経営の数字に強い
バンカブルな、運営サイドの支配によって
「医師」という「社員」を統治してゆく。
少数の会社幹部の会合で決まる時代が来た。
手段は選ばない。
自分たちの都合の良い「ラストエンペラー」を
医師の仲間の中から選ぶのである。
選ばれた医師は、「抜擢」という栄誉を手にする。
医師仲間が、
現場を把握しない運営や経理サイドの
権力によって、
「人事権が駆使されるという苦痛」を考える前に
自分の輝きに目がくらむのは
人間として、
ありがちな盲点である。
現場を知らない会社幹部の都合で
定款の法の下で
病院に侵略する為には
創立樹にすでに計画されていると
本は叫んでいる。
病院の土地、
医療器械、
施設に融資をするときに
20年後の会社経営が計画されていると
本は大きな見出しで読者を呼び込む。
当然、
創世記から軌道にのせるまでの
激動の時代を背負った
功労者の勤続20年以上の先生方は
隅に追いやられてゆく。
経営サイドは
「病院を若返らせてゆく。」
見かけと、合理性と経営サイドの価値を掲げる。
80歳の患者さんの気持ちは
60歳の勤続勤務の医師に支えられていたりする。
医療は年齢を超えて命の重さを平等に受け止める
新しく会社の侵略に選ばれた
ラストエンペラーの立場の先生は
数ある先輩のや古参の先生をさしおいて
栄光の座に抜擢された自分の才能に高揚した
満足感で、何も見えない。
見えていたとしても
自尊心が先立つ。
現場を知らなくても、
私が橋となって会社の幹部の盾となれると
信じるだろう。
現場を把握するスタッフからは
何と思われようとも
「エンペラー」として
乾杯を受ける。
「乾杯!、、、経営陣のエンペラーに!」
こうして、現場を支え続けてきた
古参の各科の城主は
経営サイドの支配権を駆使するのには
扱いにくい存在として
後期高齢者の適用となる
保険制度のように
当然の権利を叫ばねば
隅に追いやられてゆく。
「医は仁術」
心の時代が終わり
経営が病院を動かしてゆく。
つまり、現場を把握して、
「現場の心」をしっかりととらえている
医師のリーダーが
各科に出てきて、
輪になって
病院という
船の舵を動かしていた時代があったにもかかわらず、、、
一丸となって
医療世界を
信頼の絆で結ぶべく
主役の
医師と患者の絆が
「訴訟」や
「患者様」という
我がままの言えるような
勘違いする呼び方に変わりました。
一部の医師の
「認識」の違いも、
一部にはあり、
本来は
病気と一緒に戦う仲間であるはずの者同士の
「絆」が
ズタズタに切られて
「信頼関係がなくなっていった。」
マスコミは
「患者主体」の意味を
取り違えて
報道する日々が続きました。
患者様と呼ばれるようになって
主体が患者さんになったとするなら、
責任も患者さんにあることを認識することが
大切だと思います。
患者さんは、
自分の責任をさておいて
わがままになりました。
医師を選び、
病院の梯子をする方も現れました。
先生から先生へと
移りながら診療を
受けるようになりました。
病気の主体が
「患者さん」である以上
医師は、
病気と闘う患者さんと
戦場へ同行する戦友のように
患者さんが病気と闘う戦場の
「軍師」のように
、
医術を提供し、
病気に勝てるように
サポートしてきたと思うのです。
病院は
「病気と闘う患者さんの為の環境」を提供すると思います。
現場の把握をしている
医師と、
コ、メディカルの皆と
、
「患者さんの信頼」が
一丸となってこそ、
「病院という船は健全に航海できると思うのです。」
信頼が力となって
嵐の日も、
高波の日も、
医者は150パーセントの力で
「船の航行」に全力を尽くす
「やる気」が生まれてきました。
自分たちが「舵」を握っているという
責任と誇りが
150パーセントの
「やる気」を起こさせていたと思います。
ひたすらに、
ひたすらに、
命がけで守り続けた船は
いつしか、
会社の経営陣の手によって
舵が握られ、
現場を無視した権力で
経営や運営や、
事務の数字で見るバンカブルな方向に
船の舵は取られてゆきました。
医師たちは
「やる気」を亡くし
150パーセントの力は
魔法が解けたシンデレラの馬車のように
かぼちゃの馬車となりました。
一人、、、
又一人、、、
現実の空しさに
「やる気」を無くして行きました。
舵を握った経営の三人組みは
会社法が決めた「定款」の一行を
船の旗として掲げ
誇りある医師達の
ビジョンの旗は降ろされ
経営陣に選ばれた
「ラストエンペラー」の医師は
医師たち全員に
現場の声で選ばれた自分であると
思いこみ
経営陣の旗を掲げ
乾杯!、、、
「経営陣のバンカブルな会社病院の為に!」
こうして、
「患者さま!」として、
マスコミからも、
はやし立てられ、
「私たちは客よ!」と勘違いし
夜昼、
医師を酷使した小児科も、
産婦人科も、
患者さんの
医学を知識で浅く認識すると
些細なことでも
訴訟が起こりはじめました。
「ありがとう」のかわりに
突きつけられた訴訟で
医師は辞めてゆきました。
医師と患者さんの
「絆」の間に
マスコミの攻撃が続き
「まるで原子爆弾を落として、
医者の信頼を、
患者さんとの「絆」を
木っ端みじんにしてから、、、」
医療を支配する権力や会社が
宇宙人のように顔を表しました。
一生懸命「医学」の道を見つめ
ぎりぎりまで、
医療にささげた医師は
当然、、、
経営まで頭を回せる時間がありません。
医師の中に
「病院経営のプロは少ないと思います。」
「病院のプロの経営者」を
文系や、
経営学や
経理の人材に
ゆだねる時代が来ました。
!!!!!!!!
ここで、会社組織の登場となったのですが、
現場を把握する医療知識のない経営が
さまざまな「机上の文献」や
「会議場の知識」や
講演会での知識によって
病院の権力を握り
抜擢によって選んだ医師を
「ラストエンペラー」迎えて、
乾杯!経営陣の会社の定款を囲む3人に乾杯!
本末転倒のサポートになりました。
現場の熟練者である院長は
人事に発言権はありません。
長年の年月と
地域との信頼と
医療人同士の医療提携を
見抜けない経営サイドの人事が
病院を
「やる気のない病院に追いやって行く」
紀伊国屋の医療崩壊の本棚の前で
ページをめくりながら、
自治体の病院など
荒廃した病院の紹介が掲載されていました。
まだ!!!!間に合う!
現場をよく知るスタッフ!
現場で舵を握ってきた功労者の
船員のように
「軸」となって仲間に信頼の厚い
医療のスタッフの
チーム力を尊重してはいかがでしょう!。
揺れる船の
舵を戻せば!
まだ!!!間に合う。
本のページは叫んでいる!
医師の性格は、、、たぶん、、、
「自分の船の舵は自分で握る」ことで、
「やる気」に気合が入り
「強敵の病魔の持つブラックホール」に吸い込まれないで
患者さんを
健康ドーンに引き戻す
超人的な
集中力が宿ると!、、、思いました。
病魔と闘う「気力」と「やる気」を支えるのは
経営陣の謙虚な
病院を愛する奉仕のサポートだと思います。
三人やそこらの現場を知らない
非医療人の経営者が
現場の意向を無視した「会社の定款」の
法的権力で
形だけ整えても、
病院は「医師」「スタッフ」の現場の各自の誇りにかけて
自ら湧いてくる「やる気」「気力」が
病人の持つ負のエレルギーの荒波を乗り切る
医療の現場の力となるはずです。
病気の持つブラックホールに向かう気力と「やる気」が
医師のみんなから奪われては
病院は建物だけの空しい廃墟となって行くと思うのです。
医師も自分の船の舵は
現場を体で体験していない素人に渡しては
航海の航路は北北西に進路をとれません。
医師の気力!
医療スタッフの気力!
これが病院の力です。
病気に向かう「やる気」を起こさせる人事は
現場から「生えてくるリーダー」にゆだねるのが定石と思いました。
経営陣が
「医師は常識がない、、、???」などと考えて
サポートを忘れて、
自分たちの権力の指揮する病院を夢みて、
自分たちの権力闘争の欲望の為に
外部から「特別扱いの医師を招き入れて」
「ラストエンペラー」の様に
医師を擁立して背後から
病院の舵を取ろうとしても、
絵に描いた餅のように
「食えない医療施設」として、
「気力の萎えた医療施設」
「やる気のない医療施設」
として
崩壊してゆく雑誌が、
紀伊国屋にはいっぱいありました。
医師は、机上で、会議で
又、外国のシステムを知識で振りかざした
非医療人の「駒になれない」とインタビューは続いていた。
患者さんも、
「患者様」と
たてまつられて、
唯一「
病気と闘う戦場の戦友のような医師」との
「信頼の絆」を
一部の不心得な
悪徳医師の
クローズアップの報道戦略で
必要以上に
医師への不信を仰ぎたてられました。
戦略の手りゅう弾で
木っ端みじんにされて
弁護士の稼ぎ場所の訴訟となってしまい、
簡単に、すぐに
「医師を訴訟」するという
とんでもない風潮の時代になりました。
患者様とたてまつって
医師との「信頼関係」を揺るがし続けたマスコミ戦略。
ばあちゃんの子供のころは
医師と坊様には手を合わせて感謝したもんじゃった、、、そうな。
病人の持っている
不安、依存心、
人のせいにしないと生きてゆけない
現実逃避、、、etc.
当然の権利のように
原点にある「欲」と
自尊心。
訴訟するとお金になるという弁護士の勧誘。
こうした事実が
多くの、
素晴らしい小児科医を閉院に追い込んでしまい、
産婦人科医を
どんどん少なくしていった原因の一つとして
本は、
大きな見出しで取り上げていました。
日本の女性は
子供を産まなくなりました。
なぜ?なのでしょう?
感謝という「ありがとう」が無くなった事も
大きな原因かも知れません。
マスコミも、
マスコミの存続価値のアピールのための報道が
日本の根底を揺るがすことになったのかも知れません。
本当に、、
取り上げなければならないのは、
有名人や著名なキャリアウーマンや
自分の為の人生を生きた人よりも、
報いられる事はなくても、
ひたすら子供を育て、
やがて
空の巣症候群から
おいてけぼりの自分に絶望して
更年期の孤独に落ちいっても
気力雄々しく
立ち上がり
60歳から、自分を生きた
「日本の母ちゃん」を
報道することで
、
素敵に生きる
女子アナ的な
キャリアウーマンも
自分に生きる30代の女性も、
命を産むことの重さが
命がけでの子育てが
、
自分自身をも育てる事に
気づくのでは無いでしょうか?
子供を産み
子供を育ててこそ
人生が見えてくる部分もあり、
味わえる事も増え、
光が育てる地球の命にも
木々にも、岩にも、川にも、海にも
愛おしさと
優しさで感謝できる共有の心に気づきます。
その「命を守る健康」を
生まれてから、
衣服を着る前にまといます。
医療は「命の健康を守る。」
医療は「健康を守る。」
ひたすら、株式会社の定款によって
3人ばかりの現場を把握できない役員に
運営や経理や経営が先行した
会社権力の為の
病院への人事の介入は
子供を産んだことのない、又、育てた事のない
知識と、頭と、会議と、立場で職場を制してゆく
キャリアウーマンに
子育てを任せるような
それにも似た、
何か足りない人事力を感じませんか?
権力や知識や財力や常識を超えた
「やる気」と「気力」を
医師から奪った時
病院は荒廃に向かって、
転がり落ちてゆくのではないでしょうか?
病院の「やる気を奪う」
最悪の時代が来たと哀しく思うのです。
病院や医療はロボット工場ではなく
命という
「瑞々しい心」
「病気と闘う気力を注ぐ」見えない部分が大切な
気力の集団であることを
再認識する時かもしれません。
「非常識な病気の悪魔」の
「ブラックホール」のような
「マイナスの気力と戦う医師」に、
常識や定款で道を説く前に、
「医師の持つ医師独特の力」を
医療だけに使えるように
サポートして、
一切の雑務や
わずらわしい訴訟から解放すべく
マスコミも、
良い社会をつくるための
指導者になってほしいものですね。
医療の未来が日本の心身の健康を背負うと思いました。