花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

お天気しだいです。ゴールデンウイークの出費

2013-04-29 23:44:17 | Weblog


年をとった成果も知れませんが、

ゴールデンウイークは

お天気しだいで、出かけたり、出かけなかったりと

予約で動くことをしなくなりました。

北海道のゴールデンウイークの全般は

雨風、雪、、、と

穏やかな日は無くて、

とうとう、、、家のなかでTV漬けになりました。

TVも続けてみると疲れますね、、、

気がついたら、眠りこけて、時計は4時を指していました。

何時間も、寝ていたことになりますね。

冬の雪をひねもす掻いた後遺症で

ばね指が、なかなか治らなくって、

シップ薬を指型に鋏で切って、

右手の指に、シップ薬の人工伸縮皮膚の追加としゃれ込んで

キッチンペーパーを細く切ってセロテープでつなげた包帯で

丁寧に指と手の甲を保護してゆく。

固定された右手は

思い切り使っても、指先を使うだけの衝撃なので

休ませていることになる。

近所の婦長さんだったおばあさんは

「少しずつ、、、使いながら休ませて直さないと、、、
治ったときに筋肉が落ちて使い物にならないよ、、、手が。」

アドバイスをしてくれた。

紙包帯の上に

指の出せる手袋をして、一ヶ月以上経つが、
ばね指は治らない。

外科医の夫は専門外なので

一切口を出さないで、

自己流の治療をしている私を見ている。

ある日、

「同僚の整形外科医にばね指のこと聞いたらね、
腱鞘炎だと思うと言っていたよ。

痛い駐車があるそうだよ!、、、」と

夫は言った。

「痛い、、、注射ね、、、」

行くのやめた。

もう少し、自己流で休ませてみよう。

いよいよ、治らなければ、そのとき又、
考えよう、、、。

もしも夫が、

「ぜんぜん痛くない注射があって、結構早く治るみたい、、、」

こんな言い方をしたら、

行ってみようかしら、、、整形に、、て。

思ってかもしれませんが、

いくつになっても、病院から逃げ腰の私です。

早期に何でもいいから、専門家に処置をしてもらうべきと

理屈では、、、心底わかっているのですが、、、

主婦は、雑用が多くて、病院に行きそびれてしまいます。

国立がんセンターに弟が居てくれたのですが

定年になり、今は居ません。

検査も5年以上していません。

弟が定年になる前に、

がんセンターで受診したかったのですが、

今年の北海道の雪は、

戦争のようでした。

毎日毎日、ヤッケを着て、本気で数時間、雪と向き合いました。

弟が、四月に、がんセンターを定年してゆく前に、

受診できなかったことは、

北海道の雪をどうすることも出来なかった

我が家の設計の甘さであったと悔いています。

50年以上という、

日本の「放射線医学の黎明期から、
最先端医学に発展するまでの『がん』との戦い。」

本にもTVにもなって

津軽海峡を越えて、北海道にいる姉の孤独を救ってくれた。

東芝は中国の北京にも進出して

北京に行ったときには、

中国と日本の友好を、感じてきた。

日本の医学は、音楽や芸能のように、国境を越えて

世界をつなげてゆくのではないでしょうか?

中国の国民に、日本は、これからも

日中友好に十分答えられる、医学であること、
芸能であること、、、

玉三郎さんの美しさは

京劇との友好を世界が認めたと思いました。

日本の医学も、中国にとって
日中友好の大きな絆になると思うのです。

フウアイ病院には、お友達も居たのです。

本当に、優しい、中国の先生でした。

韓国ドラマも「トンイ」も、日曜日には楽しく観ています。

話が、、、それてゆきましたが、

本当は、、、
「中国にも、韓国にも、、旅行したいのですよ。」

アジアは皆、仲良くしてください!

それから、ヨーロッパや、アメリカや、
中東の世界の平和に貢献していってください。

孫子の時代に、若者が生まれてきて良かったと
幸せになれる、地球国民になれますように、

武器を捨てて、地球のパワーを大切に循環して、

知恵と努力で、武力を排除してください。

ばね指、、、なんか、、、問題じゃなくなってしまいました。


日本とロシア

森首相の努力もあって実現しましたね!。

首相会談が平和に向かって行きますように。

ゴールデンウイークですね!!!

2013-04-28 06:50:21 | Weblog

世界情勢が国会討論で発言され

マルマル諸島に船が来ても、

一時 休戦です。

懐かしい故郷へ、

懐かしいお母さんに会いに、

孫に会いに、

じいちゃんに、ばあちゃんに会いに、

早朝から、出かける ゴールデンウィークの始まりですね。

真夜中に「三国錬太郎さん」の映画を見て、

ちょっと寝不足ですが、

今日は、、、孫と食事でも、、、。

庭には、まだ雪が残っていて、

雨風激しい週末も、明け方には、風邪が止んでいます。

戦争の無い地球家族に成れますように、

人の心が「欲張り」『勝気』「貧しい心」「嫉妬」

「依存性」「孤独」「閉じこもり」「アピール」

陰湿なマイナーな「人のせいにする」自立の無い未成熟、、、

力を過信して「主張ばかりに突進して」、、、みんなのブレーキになること。

日本の国より、、、国会討論に勝ちたい議員さん、、、

アジアは、日本の友達のはず。

アメリカはオバマ大統領は

ノーベル賞の受賞者ですし、、、

世界が円卓を囲める「ツール」はそろってますし、、、

ゴールデンウィークで、疲れを休ませ、

心も体もリフレッシュして、

「和して同ぜず」の

日本のこだわりの「国の色」も

憲法も、平和に向かって、

ゴールデンウイークに

金色に輝いて、

まず、、、経済から、バランスよく行きますように。

三国さんの映画のようなことは、、、両国の国民の意思を

時代が踏みつけていっていますよね、、、

阿部首相はきっと、そこのあたりを

上手く運んで、、、和して行くことを祈っています。

今夜の刑事シュート4 の欣也さん

2013-04-02 04:04:58 | Weblog

欣也さん、、、なんとも言葉では表現できない

素晴らしく洗練された「オーラー」とともに、
素敵がありますね。

欣也さんが出ていると、

なぜか見とれてしまいますよ。

之が「芸の力」というものなのでしょうか?

歩いてドアに向かう後姿さえ

踊りのように「絵」なのですものね!

芸の力 凛とした品 日本の美のある、素敵なおしゃれ。

フィナーレの、車とファッション!

スカーフと、スカーフリング、

暖かな「マジェスティク」に

すっかり「ファシネイトされました。」

魅せますねーーー!

国民栄誉賞!

2013-04-02 03:20:50 | Weblog
長島選手、、松井選手、、、選手としても、昭和を生きた華ある長島さんが、

一大傑物の「ゴジラ」を育て、インタナショナルな世界の「ゴジラ」は

老若男女、皆フアンですよ!

こんなに身近な『国民栄誉賞』は、
自分の家族が輝いているような錯覚で

大きな「やったー!!!!」と
思わず叫んでしまった。

高校野球のTVでは、151キロの速球が華やいで、
この、生徒の中からも

未来の「長島さんや、松井選手」が、
出てくるかと思うと

ますます、観戦が楽しくなる。

イレブンPMというTV番組が、、、昔ありましたが、
司会者の巨泉さんが、

「巨人、大鵬、玉子焼き」の、昭和の甚句を言ってから
チャバチャバチャバチャバチャーーーーーーn--♪

長島さんの活躍が、戦後の復活のパワーを見ているようでした。

多摩川で練習している巨人軍の華ある選手を見ていると
大学に戻るのを忘れそうでした。

今回の受賞は「昭和という時代の華」が
松居選手の手でインタナショナルに、
紹介されてゆくことでしょう。

長島さんの巨人は、
日本の全部のチームの選手を、
世界に希望を馳せる
「夢ある選手」に変えたことでしょうね!

おめでとうございます。


4月です、

2013-04-01 01:42:14 | Weblog


桜の花は、、、まだ、間に合いますか?

東京の桜を観たいと思いながらも、大雪の後始末に追われて

飛んで行けないもどかしさの中で、


31日で、国立がんセンターを
定年になった弟に、数年前、

腫瘍を診断してもらい、お世話になったのに

「お疲れ様会」もままならないまま、

存在だけで、頼もしかった弟に、
感謝の花束も届けないうちに、4月になった。

振り返れば、50年前、


弟が、まだ、聞きなれない「CT」の開発に従事して

日夜、東芝の社員の方や、多くのジャンルのリーダーの方々と

がんセンターに泊り込んで、日夜開発活動と取っ組んでいた

日本には「CT]って何?と問いかける人が大半だったと記憶している。

くじけそうな時、戦艦三笠を見にいって、万感の思いで、
頑張ったことも記憶している。

当時は、CTという言葉さえ知らない人が多くて、
画像を改良してゆくためにも、
患者さんに、説明する根気が言ったそうでした。

MRI,ラセンCT, ペット、、、と、
今では検診やドッグでおなじみの機械も

開発のプロセスを、見つめていた若い世代は、

いち早く、「放射線医学」に興味を示した者も居た。


私の父は、「外科医」
配偶者も 「外科医」
兄は   「内科医」

従姉妹も、甥っ子も「内科医」ですが、

新しい世代にあたる、

息子は「放射線医学」を専攻しました。


多分、、、叔父さんの
ダイナミックな
おおらかな人柄に
幼かった息子の心には、

忘れられない、印象を残して言ったのでしょう。


息子にとっては、叔父さんにあたる「私の弟家族」と
幼い頃、公園で遊んだり

叔父さんが学会で札幌にやってきたとき、
お友達の放射線科の先生らと

早朝、水源地あたりを「サイクリング」して

すっかり、おじさんたちを大好きになりました。

その後も、アメリカ学会や、
ハーバードや

メイヨークリニックなど、グローバルに行動するおじさんを
すっかり、尊敬して

とうとう、息子は「放射線科の専門医になりました。」

、私の腹の中に、
音も無くっていた14センチ×15センチの
パンクしそうな腫瘍!

自覚症状は、、、無かった!
ありえない、私自身の
とんでもない不思議な体験であった。

初めて「医師」としての弟の顔と初対面した。

「卵巣腫瘍を画像診断」して

その場のテーブルから、「明日中に手術」をするようにと

手稲渓仁会病院の婦人科に
手配をするようにと

当時、副院長だった夫に電話を入れてくれました。

その結果、とんぼ返りで、画像を持参して、

婦人科でも画像を撮り、
真剣な婦人科の線の目に、再度促され

オペ室運ばれたのでした。

画像によって、病理も予告されていたように、
寸ぷん違わない「蜂の巣」のように
仕切りのある、ダチョウの卵のように
腹水に浮いていたのでした。

その診断の正確さは、科学と医学の輝きでした。

弟の、画像診断には、心から尊敬するものがあります。

昭和30年前後、レントゲンのエックス線で
父の手は潰瘍で、ただれていました。
外科医の父は、激務のため54歳で亡くなりました。
弟は、国立一本の受験で、
がんセンターには無給で研修した
貧乏な時代を、不屈の精神で耐えていました。

そのときの、一途な弟を思うと
一度は、検診してもらっておこうという
軽い気持ちでした。

やがて、良性腫瘍だったため命拾いした私は、
あれから7年以上経過しました。

忙しすぎる弟には、彼の時間を、

多くの患者さんに捧げて欲しいと思いながら、

開発から担当してきた彼の人生の中で

姉、弟、としてではなく

医師としての
「眼光鋭い画像診断をするドクター」として出会えた記憶は

今では、ラッキーだったと思っています。

息子が、叔父さんにあこがれて

画像診断の道に、まっしぐらに行ったのが
わかるような気がしました。

画像診断は、魔法のように、一ミリの境界線まで
性格に、言い当てました。

息子の言葉をそのまま言うなら、

「おじさんは、、、この世界では神様のいきの先生だよ!」

母さんは、自分の弟だから、
普通に口利いているけど、、、
僕なんか、医学部の時代は
叔父さんの書いた本が教科書だったからね、
雲の上の先生だよ!


がんセンターのホームページを
しばしば、拝見するようになりました。

当時厚生病院に勤めていた薬剤師の息子も、

国立がんせんたーの薬剤部に
同僚と、研修に行ったことがありました。

がん認定薬剤師を目指して、
頑張っているのですが、

転勤の多い病院なので、
なかなか、思うようにはゆかないようです。

認定薬剤師、専門薬剤師を目指しながら、

先生方のチーム医療に加わり
社会に貢献できたらと
希望を膨らまして、
生きがいにしているようです。


今では、まだ、報酬面までは反映されてないのが現状ですが、

こうした、特殊な分野は

私のように、本人が命拾いした経験がある場合や。

放射線の専門医になっている息子の目には

神様の域の眼力を持った弟が、

「日本の宝物の能力と思えるのです。」

姉として、

同じ親から生まれてきたとは思えないほど
弟は、社会への貢献度が素晴らしいので、

時々、、、、自分が、あほっぽく見えるのです。

雪ばかり、、、掻いてて、、、之でいいのかな??????

ありがとう、、、君たちが居てくれたおかげで、

とても、、、心がリッチな人生を送っています。

定年後も、もっとも医師らしい医師として
その存在は、元気をくれます。

弟の、素晴らしい能力は、
年をとらない、輝きの中で、

多くの人々の、健康を支えてゆくと信じています。

がんセンター50年史は、、、
弟自身だと、痛感しています。

そして、4月からは、

政治の介入で、がんセンターは
変わってゆくのでしょうね?きっと?

いつも、元気をくれてありがとう。
ありがとう、、、お疲れ様でした。

落ち着いたら、、、どこか、、、
海の煮えるレストランで
、、、皆で、、、会食したいね、、、

今は、、、そーと、、、体も心も休めてください。

さくら、、、さくら、、、弥生の空に