正直言って私は「政治オンチデス」
ですから、作家「石原慎太郎」さん
人!「石原裕次郎」さん
青春時代に、現れた「太陽族」の思い出がある人なら
まるで人生燃えて、燃えて、輝いた慎太郎さんが
大海原と、水平線にある「新しい太陽の国に」
太陽の党を人々の心に刻み
自らが、、、
空と海の間には
もう一つの国があるんだよ、、、
石原さんなら
きっと「弟三の国」が見える方ではないのでしょうか?
政治的には
私は、まるっきり、理解をしていないのですが
三島由紀夫さんとか
裕次郎さんの
「長かろうと、短かろうと、、、」
歌声が胸から胸に直撃してくる
「その人、、、が、歌ってる。」と思える
不思議な、生き様の「美学」が伝わってくるから
個性、、、って輝きですよね。
小樽に裕次郎さんのメモリアル観光ゾーンがあるので
元気がなくなりそうなとき
行ってみるのですよね。
敗戦で、お兄ちゃんの金ボタンの服を
お下がりできていた、ザンギリ頭の私は
坊や、坊や、と呼ばれて、
自転車のわっかを、
お兄ちゃんと、まわして、走り回っていた
谷内六郎の世界に
「太陽の季節の、まぶしい光が日本を変えたように思いました。」
北原さんも、外国人のように手足が伸びやかで
敗戦のしょぼくれた気持ちは吹っ飛びました。
中学一年のときは
弟さんの「裕次郎さんのシングルを買ってきたりしました。」
学校にブロマイドを持っていって
一番後ろの席をいいことに
教科書の間に挟んで
かっこいい長い足を見ていたら
先生が、いつの間にか後ろに立っていて
ポニーテールの尻尾を引っ張られて
立たされて、怒られて、写真を取り上げられてしまいました。
あの頃、北大路欣也さんとか、
旗本退屈男や、
元気をくれる「スターが、輝いていました。」
その中でも「慎太郎さんの世界」は
代三の世界の「太陽」に思えた、
「日出ずる青春」を闊歩できる
類まれな、
総てを透過して進める新しい日本の
青年男女の青春に
抑圧された「因習の檻が
飛散して、
「太陽族」が生まれていました。
今までの「タブー」は
2次元の地図の上で道をなぞっていたような見えるものでした。
山や、海や、雲や、星空や、森羅万象の目隠しで
道がない!、、、と思っていた。
視点を変えると、
あの山、あの海、 あの空の雲の向こうに
太陽が照らす道は、
人間の「一人一人の中に眠っているエネルギーを
光合成させ、成長させ
垣根より高く
首をもたげたとき
別世界にいざなわれる「閃きをくれた。」
母の言うことも
父の言うことも
逆らわないが、
自分の思ったとおり
「名誉と栄光のためではなく」
自分探しをしながら
敗戦後の新しい視点を手探りした。
国会でも、地方議会でも
お父さんや
お母さんのように
常識的で
説得力はあるが
地に足がくっつきすぎている意見は
未来に生きようとする、当時の私には
重たかった。
中でも、一番重たかったのは
東大、京大、阪大、千葉大、など、、、もちろん一ツ橋も。
慶応、早稲田、、、、東都大学、、、ほか
受験の邪魔する「青春時代」は
男尊女卑の家庭を強要され、
いたずらに、「時間だけが過ぎていった。」
国会も、あのときの家庭の様に、
捨石の「女性」に当たる群が
世界に対し、
日本の「男性」に当たる群を
命がけの「日本の美学」と心中するつもりで
サポートしてゆく、、、
激しい男の太陽は
空を染めて女性の心を「しっかりと捕らえて」
水平線と、空の間に
確かに存在する世界へ
吸い込まれてゆこうとする。
すごい、、、人の
晩年の、夕日が
国会という湖の向こうの海の世界と
空のあいだに、確かにある「新世界に」!
若き斬新な芽吹きの心を、
夕日に思えても、
夕日ではない
太陽に向かっての、
雄飛の「あか」に
呼ぶ声が届けば、
新しい日本が
又、、、
生まれるかもしれませんね。
断っておきますが、
私は「政治オンチデス」
政治抜きで、、、
慎太郎さんの出現に
目をぱちくりさせた記憶が
この文を書かせただけです。
ご本人の謙遜でしょうが
そんしばく は、
120歳まで生きて
養生集を
貝原えっけん、、さんに
バトンを渡し、
健康の太陽は
今なお、輝きを失っては居ませんよね。
慎太郎さんの80歳はこれからでしょうね。
老人の暴走ではなく、
素敵な生き方だと思います。
素敵な人は、、、年ではありませんよね。
マインドも
閃きも
叡智も
勇気も
年はとらないと感じました。