花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

梅雨時の北海道?

2015-07-31 03:19:12 | Weblog

40年以上住んでいて、
今年ほど、傘が必要な夏は
記憶にございません。

例年、8月5にちぐらいから
熱帯夜が続き
お盆には、

秋の冷風が感じられました。

ことしは、雨が続き、
まるで、梅雨のようです。
お隣の国が、
森林を伐採したせいでしょうか?

それとも
コウソウビル群の間を
気流の長れが、緩やかで、
雨を降らせば、また、元の
森になるからと

神様に教えてもらって

北海道にも、梅雨が」おとづれたのでしょうか?
じめじめして、湿度は高く高温が続いています。

真夏の草刈り、、、お疲れ様

2015-07-28 02:06:58 | Weblog

25歳まで東京で働いていた時は
真夏の30度も、
照り返しも、
汗を拭き拭き、、、頑張れた。

札幌の29度は、暑さ負けの気温です。
早朝、4時に起きて
庭の剪定をしていたら、

歩け歩けのおじさんたちや、

犬の散歩のおばさんたちが

おはようさん、、、とご挨拶。


    ****  ご報告  ***

昨日は、売買契約中の、

他人様の者と思っていた
空き地の草刈りを
北区役所から、お願いされました。

契約成立と同時に
他人様の権利のように、思えて

心では、気になりながらも、
躊躇していました。

連日の大雨で、草は伸びました。

お願い書類に案内してくれていた通り

本日、刈り取り終了しました、

*****   ご報告終わり *****


  

我が家の、最後の
終の棲家の二世帯住宅にと
計画していたAPも

世代交代には、売るしかない時期となりました。

8月31日には、完全に
私の手からはなれます.

今は、大和ハウスさんが、
なにかと、面倒見てくれています。

三井のりハウスさんも、
てきぱきと、書類を進めてくれていますが、

真夏の札幌は、一泊休みです。

家を、残しても、
日本の国内事情では
3代は続かないと、、、聞いています。

時間貧乏の、外科医の裏方と

東京の本籍で北海道育ちの二男は
やはり、東京方面、関東界隈へ

鮭の川登のように
故郷へ帰りました。

今は、ドクターヘリの飛ぶ
救急対応の病院で

病院300メートル界隈を離れないようにと
頑張っています。

医師になる本人も、
頭のアスリートのように大変ですが、

医師になってからの
総合的な、人間力を維持するには
家族が一枚岩になって
全力で支えあわないと、

医師をするのは、、、大変です。
お店を開くのとどこか
???似ていませんか?

運命に導かれて、
私立の、最高のグループの
医科大学で、
受け止めてくれたのですから、

サポーターは、
負けるわけにはゆきません。
お金がかかるから、
進学できませんなど、
絶対に言えません。

何とかしますと!

しっかり、サポートして、
人様の必要としてくれる医師に成長し、

地域の為に役立ってほしいと願うから、

親も、一生懸命、寄り添って
人間力を育てるお手伝いをし続けます。

見えないけれど
残らないと思うけど、
生きている実感を感じれるなら!
親は、シュウカツシテ、
サポートしましょう。

人間を相手に、
病気を診てゆく職業なのですから。

日進月歩の医学書の、
総入れ替えの節目には
月給だけでは足りません。
しかし、
医師の競争相手は医師ですから、

患者さんが
頼って来てくれる
時代に沿った診療をできるためにも
全力をつぎ込んでゆきます。

親の応援は
世代交代の、不動産処理により
借金を全額返済して、
子供の代には残しません。

今年で終了いたします。

後は、家事、育児、体力の応援をできるでしょう。

医師の父、医師の兄、弟、甥っ子、

医師の夫、 息子、、と

わかき頃より、、
医師の隣り合わせの人生を

運命的に余儀なくされましたが、

時間貧乏の、盲点があるのに

気が付くのが、遅すぎました。

この方たちの、雑役引受業?を
さりげなくする位置に立ち続けたせいか、

妻の時間は、診療以外
何もしない医師の雑役に

誠心誠意ささげてきました。

それでも、離れているせいか、
医療で、24時間が飛んでしまうのか、

もうすぐ、、41歳を目前に、

病院の寮の、一人暮らしです。

結婚するからには、
奥さんを、
幸せにしたいのでしょう。

「母さんと、父さんの、結婚生活は
まるっきり、参考にならない!」

僕は、母さんの夢でもあった
「サザエさんの家庭」をつくりたいから、

もう少し、位が上がって、
休み日の、予定が、
自分で組めるようにならないと、

結婚しても、形だけになって、
家庭が出来ないでしょう!

確かに、、、
外科医に「愛」は邪魔かもしれない。

目の前で、
生死の決まる手術室の戦いは、
家庭どころでは、
無かったかもしれない。

外科医が愛しているのは
「メスよ輝け!」

多分、、、、
女房が居たことも気が付かない。
なんでもやってくれる、、、
「雑役」の
同居のおばさんだったかもしれない。

「愛」とは出会う暇がなかった。
多くの、患者様から、

手術から、20年過ぎました、、、
自分で作った、野菜です。

等、など、、、。

夫の生きがいは、
「医師として診療すること。」

世間様は、、
、お金持ちと間違えるのですが、

タクシーで、時間を買い取り、
睡眠する二男。

40歳の医師なら、
家や、マンションの
一つがないと、

お嫁さんが来てくれるとは思えない。

額面の給料は、
平均より高いのは、数字のマジック。

びっくりする、、、税金。

高額な、医学書、

学会。

知識の維持、研鑽。

日進月歩の医学会は、
レベルの維持は

高級車の維持以上。

医師をするには、医師免許所のほかに、

多くの、「認定」やら、実習や,

講習会の出席など、

拘束時間が、壱日中。

周りも、人様の命と対面する以上
万難を排しても、サポートに回ります。

縁の下の力持ちが必要です。

高級車のように、
維持費もメンテナンスも高額です。

人と会う仕事だけに
日々に新しくないといけません。

71歳まで

息子が、札幌に帰ってきたら、
二世帯住宅を建てようと思っていたが、

医師を続けるには、
住宅どころではありません。

40歳までの
お世話になったところに、

借金だけは残さないで、
世代交代をしたいと思っています。

サラリーマン医師には
税金の控除が、ほとんどありません。

年金も止められていました、

75歳になっても、
一部は止められています。

ご縁で、援助することがあったとしても、

医師という看板で生きてきた以上
「助けてください」とは言えない、、、

武士の根性の、、、負けず嫌い。

医師の老後を共にする家内の気持ちは、

怪獣を、責任もって担当する

怪獣園の世話係のような、緊張が続きます。

手放した家は、一戦も手元に残らず

税金だけが

分割で支払う義務が残っています。

だれですか?
どこですか?
日本の医療界は
お土産残業どころではないのです。

仕事バカの、仕事生きがいの
医療という、プロ集団の
アーティストのようです。



医者と結婚すると、
左うちわだなんて、、、

風評を流す、、、週刊誌は?

自分でも、ライフワークを持たないと、
置いてけぼりの、蚊帳の外の、

便利おばさんになりますよ。

医師をするという
一見勝手な夫を、
理解できないと
自分が孤独になり
寂しくなりますからネ。



しっかりと、
頼らないで
夫を、遠くから見守りながら、

菊の花のような家族を創ってね!

菊の花は、
花弁の一つ一つが°独立していて

しかも、一枚岩のように、
ひとつの花を創っている、

誰も、待たせない。
誰も、待たない

君は、君。
僕葉、僕。

されど、、、、仲良き?

誰も頼らず、誰も依存せず、

寒菊の、まどうは己が 光のみ。

和して同ぜず。

夫の愛は求めず、天の愛を知り、
温かく包んで、

朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり

。。。。。

どんな言葉も、当てはまらない

私の、裏方人生も、、、、いつの日か終わる。

息子よ、

弐艘の舟は、波の上で
それぞれが揺れても、

寂しくならないためにも、

結婚して、子供を育ててください。

この世で、孤独はさみしさに向かうから。

日本の政治も、
日本人の血を絶やさないように、

若者が、結婚できる条件の、
お隣近所のぬくもりを
日本遺産にしていってください。

今日は、息子へ、
結婚の大切さを
お伝えして、

おやすみなさい。







人魚姫の祭典

2015-07-27 00:14:42 | Weblog

昨日の夜から、人魚姫の

カラフルな水しぶきに魅せられています。


音楽も素敵!
ピチピチ跳ねる歯切れの良いリズムに

見れいる私も、背筋がピン!

美しい水しぶきの中の
ダイナミックなデュエット!

日本代表の人魚姫に、
思わず、、、拍手!

ソヴィエトの人魚姫も
世界の国々の人魚姫も

真夏の夜の、夢の中のようです。



マンボウの私は、
見とれていました。


ファッシネイト*****花は咲く

2015-07-22 19:25:04 | Weblog

花は咲く、、、透明の氷の中で、、、光が舞う

摩擦のない氷の上を、、時間が飛ぶ

傷ついた青春も、希望という恋に出逢う

追いかけて、追いかけて、光をまとう

追いかけて追いかけて 未来に向かう

傷だらけの青春に 花を見つけた

未来という、、花を抱きしめる

私たちは、、若い!

僕達には  君という 花がほほ笑む。

天を仰ぎ、、苦難の地に伏し、、

それでも、立ち上がれたのは

希望という 花を見つけたから、、、
         
海と波と光と、、、季節が飛んだ

もう、、、泣かない

希望という、、、君に恋したから、、、

**********************

羽生さんの「花は咲く」のTVを見ています。
女の子がいなくなり
花が、氷の上に、、、咲いているのを見つけました。

涙が流れて止められません、、、
万感の思いを、摩擦のない異次元の空間で

画面から、胸に直撃してきました。

わけもなく、、、涙が止まりませんでした。

きっと、立ち上がってくれるでしょう、

冬枯れの立往生の花の親たち
新芽が、
発芽してくるのを感じることが出来ました。


花よ咲け、花よ咲け、
光の中に
希望の花を見つけ
立ち上がれ

若者たちよ、、、

            

復活

2015-07-17 01:03:34 | Weblog

この一週間、札幌は、
気温が上がったり下がったりで
夏バテというのでしょうか?、、

力が入らなくって、
カーテンを閉めて、
温度を遮断して

ひたすら寝ました。
夏バテで、、、

ブログはしばらく、、、休みに入ります。

連絡メールや
写真や、写メールは
ガラケーでは受けていない設定ですので
メールに、送ってね(^^

kikokikokiko.noriko@yafoo.co.jp


*************復活しました*********

今日は札幌は27度に向かって
気温上昇中!

(^^クリステルさんのほほえみと

オリンピック誘致の感激の日が
時間を止めたまま

7年後のオリンピックに
日本は期待を寄せています。

今、競技場の設計で
形、予算。安全性、アピール度
国際性。サイバー攻撃対応度、
日本の国土に連続性のあるフィット感があるか?

薬でも、大根ニンジンは、上品と。書きますが
「じょうほん」、、と読みます。

劇薬、毒薬は、、、一発で効くが、、、下品。

試合後の維持費、部品はありつづけるのか?
、、など、、など、、

誰だって、ベンツ乗りたいし
カッコイイスポーツカー乗りたいけど、

維持費はロックフェラーのお家でないと
くるしくない?

主婦の井戸端会議でも
いろんな意見が出てきて、

聞いてる方が面白いので

その中のいくつかを、、、紹介します。

スポーツ選手が「華でしょう?」
競技場の方が華なの?

オリンピックは
もともとは、クーベルタン男爵だったけ?
平和のスポーツ祭典なのよね?

アマチュアだけで始まったの?
建物がプロ中のプロのデザインで
何千億とか、、、?

それって、オリンピックの為の
世界の舞台に
建物を展示するみたいで、

主役が反転してない?

むしろ、オリンピック会場を
自国の技術と経済のアピールになって
目的が、すべってない?

それで、、、か?!
有森さん泣いてた理由?
うそー!!!泣いたの??彼女??
TVで泣いてたわよ!

理由はもっと高尚な理由で泣いたのでしょう?

メダリストでないと、わからない理由でしょう?

阿部さんは
「白紙撤回」したでしょう!

切り替えが早いのよ!
若いから。お年寄りみたいに、
230手先まで考えて、
手は打たない、、、っていう
国家公務員の特徴はありませんね。

奥様も、森永で、レストランで
ケネディさんとお友達で
世界中を
駆け巡っている、
多くの文化を
直に、目の前で見て、参加していられる
別格の感性の方の決断を

井戸端でどうのこうのは、、、控えましょう。

どう思う、??

予算の2倍近くなってしまったら、
現実には、

さらに、追加のオプション付くのが

建築の常識だから、

阿部さんの英断は、尤もな気がするわ。
でもね、、、
担当者は、初めから、
変更になるの予測してたかもしれないわよ?

2千億あれば、いろんな未解決問題も
解決するし。、、、(--!

半端な予算じゃないし、
税金が使われるんだし、、

我が家なんか、税金分割してもらわないと、
生活に困るし。、

あなたならどうする?

「私ごとき、お母ちゃんが、意見申し上げて
いいのかしら?」

「此処だけの話だし、、、本音で語ろうよ!」

Aさん、、、「

後から使える施設をメインに考えるわ。」

Bさん、、、、

「ねたまれないように、品よく目立たないが
実は、、
日本の丹下さんのように、

角度によって、選手の視野の条件が有利なんてね!」

Cさん、
、、、
静岡の御殿のように、
会場のどこからも
やんごとなき方が拝観できて

大切な招待客が見える設計とか?

世界には、、
とんでもない事する変人が
居ないとは思うけど、、、
居ないとは
限らないから、、、、

一部の床が、緊急降下エレベーターで
安全地帯直行設計とか。、

屋根は、軽くて薄くて、閉めてしまうと
湖に見えるようにするとか?

人工芝のやねはどう?
3重構造にして、ジュラルミンで創ってみたら?
あら!、、、古いわね!
今は炭素繊維が流行りなのよ!

湖に見える屋根の下は
人工芝
その下は、

天に向かって
サーチライトを灯ける。

空からは、光で、
何も見えない一瞬を
競技場全体のゾーンに創るのよ、

競技場が見えなくなるのよ、光で!。

それじゃ、、、
戦争じゃないの!

オリンピックは
平和のイヴェントなのよ!

そんな必要要るかしら?

予算は100億ぐらいがいいわね。
まさか!足りないわよ!

東京湾と地下でつないで、
オリンピックの後は、
目玉観光ルートになるように、

その収益で、
オリンピックの後の
巨大施設を維持するのよ。

オリンピックの後の、
地下5階は、
世界から来た家族が楽しめるような
安全な巨大空間。

何にしても、
形だけに
こだわらないようにしないと、

世界に、貧しい人が
いっぱい住んでいるという
現実をかんがみ

目立たないが、
見かけより広くて、
オリンピックが終わった後、
日本の世界遺産になるような、

時代の建築技術の
稀有なる遺産になるように

奇をてらう流行のデザインは
消耗品の
ゴミとなる事も考えないと!

宮大工さんたちの
博物館並の腕を揮えるような
粋な計らいを、、、、なんて!
阿部さんは、、、わかすぎるかな?、

流す音楽は、とうぎさん、、。
無理よ。年代的に理解できないわよ。

お手をつながれて
タラップ降りられるモダンなご夫婦が

越天楽で歩まれるのは、、、むり!!!


腕を、募集して、
日本建築の技術とスポーツを
自前で持ちより、
自分の担当した部分に
会社名を張り付けて、

後世に解体した時に
時代を超えて
名誉の、名工として復活!。

阿部さんが、
粋な大工さんと
出逢わせて、
パッチワークのように
請け負う会社を募るのはどうかしら?

阿部時代のオリンピック施設を
解体すれば、
日本の歴史的な建築技術が
伝承されているような
建築にしてこそ、

次の代に役に立ち、
日本文化も、
世界から注文を受けるような
経済効果のある
世界を巻き込む日本の建築物
競技場!、、、か!?

見本になるような、
質にこだわれば。

、、、話は延々ときりがありません

皆さんの腕前をしんじてる。
買い物一緒にいく?
夕飯のおかず、毎日買いに行くのよ!
夏場の食事って、、、面倒ね!

ジャー又ね!(^^ (^^ (^^


人生たった一度の笑

2015-07-14 21:15:06 | Weblog

世の中には「わらい」があふれている。
「笑点」など、何十年も観ている。
寄席も大好き。

漫才は、テンポが速すぎるのと、
間が難しくって、

笑える時と、騒々しいと思うときと
笑いの性質が違うが

携帯電話をかけている
女の子の真似をしている
丸ぽちゃの、かわいらしい女性の
一人漫才が、面白くって

天然のトークの上手さがあって
自然体なのに、
あれは、、芸の確かさですよね。

コロッケさんの
白いクマが実った芸域の広さには
おなかが痛くなるほど笑ってしまう。

笑い、、、この一言の絶妙なコントラスト。

人生には,,,,,,,

笑えないコントラストに

笑いも、

ワンテンポ遅れて、
一人で、下を向いて、、、

、、「ふふ、、」と

溜息のように

深い笑いがある。


*******************


長男が
中学校に進んだとき。
「国語の教科書に
小文があった。」

世間様では
「指導者」として
上流と思われる一行が

馬車で行くだけの物語です。

まるで人生行路のような道を行く馬車。


その馬車が、
がけから落ちるのです。

そして、
馬車にとまっていた
「蠅」だけが
何事もなかったように

また,,,,,,

次の馬車にとまってゆくだろうと
想像させる。

何とも、 ^^ ^^ ^^
、しんみりと、
胸につき上がる

「笑い」が、

胸の奥深くまで
囁いてくるではないか!

「蠅」という題名の

小文であった。

今,,,,,,
私は、こうして

キーをたたいて

71歳を、堅実に生きてゆくことが出来るのは、

風評被害の崖で、
馬車が転落しても、

又、

息子たちが
小学と生と、中学校の
成長盛りの時

夫が、
病気で入院したことがあった。

今なら、簡単に治癒する疾患が
当時は、手術という手段のほか

全身状態が良くても、
入院して、固定するという
医療レベルの最高の病院でも
4か月の戦いであった。
その後すぐには職場復帰したものの、

医局の雑事に満ちた医局長の激務には
完全にこなす自信はなくなった。
後輩に、役を後退してもらい、、
単身赴任で、医師の仕事だけに専念する一方
リハビリーに余念がなかった。

ふふふふふ、、、、、
入院中も、
患者さんになれなくて、
担当の看護婦さんも、躊躇する
笑えない、、、笑いが

医者が患者さんになったとき。

疾患がわかりすぎる医師が、
患者になるには
どうすれば、、、良いのか?

激動のカーブで
夫の馬車は車輪が一つ
崖にとられて、
前にも後ろにも進めないという

待ちの忍耐の時期があった。

一緒に待っているほど
重たい人物ではない、、、この私。

何処をどう飛んで助かったのか、
マイペースで、付添をしながら
形勢不利に傾いだ我ら家族の人生馬車。

転勤、

単身赴任、

チャンスとばかりに
正職員として、
管理薬剤師に復帰して、
夫の扶養家族から離れる。


方や、夫の人生は
国立病院勤務から
新進オープンの
個人経営の法人病院の
立ち上げ時のメンバーとして
大学人事で、
またもや転勤。

今では十数人になった外科チームも
4人で始まった立ち上げのころは、
土日しか帰宅しない、

擦れ違い夫婦も完全に背中合わせ。
お互いの顔を見る暇もなく
月日は飛んだ。

光陰矢の如し!!!!!

縦横16センチと14センチの
卵巣腫瘍を抱えたまま、

息子の医師国家試験が終わってから
手術してもらおうと。考えつつも
悪性だったら、
死につながると、
病院へ行くのを逃げていた。

振り返れば、
外科医の家内が
巨大な腫瘍を抱えたまま
病院に行かないのですから、

悪魔の、、、笑いですよね。
国立がん研究検診センターの
所長だった弟の所に
駆け込んだ。

お姉ちゃん!!
いい加減にしないか!
仮にも、、医者の妻だろう!
今、ここから、
手術室の予約をするから、
すぐ、入院しなさい!

赤ちゃんの頭ほどに成長した
ムチン質の腫瘍であった。

世間では、クライスラーに乗って
三越で、宝石のお買いものでしょうと、
巨大病院の医師の夫人は
風評被害にあう。

TVでセレブの生まれで
たまたま、大金持ちの病院長夫人の
贅沢ぶりを、マコトシヤカニ
面白おかしく放映するから

国立系の大学で
50歳近くまで働いていた
サラリーマン医師は

同様に思われてしまう。

之こそ、、、
「笑い」の始まりです。

ステータスだけは高い。
付き合う相手も、社会性のある方々。
会議の場所も、豪華ホテルの大広間。
時間貧乏の職業柄、
タクシーを使って、睡眠時間を買う
学術の戦いあう職業だけに
学会は。30個?
学会費の請求の山、
丸善からは、十万以上のツケの支払い。

医師本人は颯爽として活躍する。
息子は当然医療関係に進学したいと
視野は狭く選択肢は決まってしまう。

お父さんの医師免許も、
学識も、手術技も、一代限り!。

名店街のように
、店も、場所も、
遺産に出来て
息子たちに譲れるものなら
お金持ちになる機会はあるのですが。

残念ながら、医師は一代限りです。
設けたお金は、
日進月歩の医学についてゆき、
時代をとらえた医療のできる医師として
認定をゲットするのに使ったり、
外科などは、一人でできない
ナデシコチームと似ています。
日頃のチームワークの会合や、
学会や、得意分野の違うドクターとの
コミュニケーションや、
外国とのパイプ、
交流病院とのパイプ、
。。。
家なんぞは、寝る時刻に帰って
寝るだけの場所の為に、
一人で3部屋使い、どの部屋にも
本をてんこ盛りに置きまくる。

之が、一万円札の束というのなら
世間の風評どうりですが、

10年たったら、医学は進歩し、
何百万の本は、ゴミとなるのです。

人は、、、病気の時、、、
どんな金持ちも、
心は貧乏です。

心が貧乏の時、
医者は、元気をあげれる
存在であろうとするから

輝いて見えるのかもしれません。

夫婦という分類の枠の中にはいますが
妻の顔を忘れてしまうぐらい、
関心もなければ、
見てもいません。

多分、、「お母ちゃん」の
バージョンの違う機種と
思っているのかもしれません。

お母ちゃんは「愛」と「信頼」で
別格です。

バージョンの違う妻という機種は
医師をするのに、
都合の良い機種であることを
暗黙の裡に強要してきます。

夫の医師をする以外の雑事の代行に
医療関係の仕事はすべて妻に。

代行の効くものは、委任状で済ます、

長男の出産にも仕事が先で間に合わない。
分娩室で、
手を握る夫が居るというのに!

妊娠6か月で実家の東京に
トランクひとつで居候を決め込んだ。

2度は流産したくないと
真冬の出産を、
留萌で無事に
成功させる自信はなかった。

妻が居ようと、居なかろうと
外科の技術を習得する以外は
一切の興味の対象外の医師は
   無給医!
   てんこ盛りの奨学金返済中!
   家なし、
   免許なし!
   風呂なし
   共同トイレ

北海道の、昭和40年代の
研修医の生活は、
山男と、雪女の野宿のような
新婚生活でしたよ。

50歳から、いきなり幹部として、
高級をいただいて、
喜んだのもつかの間でした。

私立医科大学に進学した息子は
分不相応の坊ちゃま大学に行きました。

お給料の全額を東京に送っても、
足りなくて、
一度返済した自宅のローンを
再び借りて、仕送りするという

激務が続きました。

医師になる本人は夢に萌えて
良い仲間に恵まれて、
東京のど真ん中に
親の仕送りで住めるのですから。。。

そして、40歳の一人前の医師になった息子!
もう、、二度と、故郷に帰ってこないでしょう!。

そうなんです。

医学部は、昔ほどではないにしろ、

大学の派閥に似たような
なにかがあるのでしょうね?

40歳、、、
家なし、、、
ペーパードライバー
彼女なし、、、

救急病院で、
ドクターヘリの飛んでる病院で
医師をする事だけが、生きがいという

夫と同じ
自分だけを見つめて生きてる
医療だけが興味の対象という
狭く細い視野のスペシャリストを
世に出すために、

親は、、、億という全財産をつぎ込んで

自分はおけらになったけど、、、

なぜか?

間違ってなかったように思うのです。

*****笑***笑***笑***親ばかで***笑も出ない***バカ笑い



子供を二人とも大学を卒業させた日

ふと、、隣を見たら、
忍耐力で、人生行路を
馬車で走り切った夫が、
となりに立っていた。

背中合わせに戦った人生行路で
小さな私は助かっていた。

晩年、
ローンを返すのに
財テクを始めた。
証券会社の電話攻勢に負けて、
拓銀と、日航の株券を買った。

売ったり買ったりはしない株でした。
持っているだけで
お金持ちになった気がしました。

ところが、一夜にして
紙切れになりました。

株を持っていると
飛行機の搭乗券が格安で入るのが
幸せでした。

息子が、東京の大学に入学したので
故郷復帰のつもりで
格安空港券で、
掃除、洗濯、家庭料理と
健康管理に100回以上は乗りました。

そして、卒業するころ、
突然、日航の株券は紙切れになった。

領収書、●×▽■株 @和証券。。。

無効の株券の処理もせずに
いまだに、
貯金のつもりの株がある錯覚の中で

格安の「爺婆、その日の空席切符」で

株券があるときと
同じ値段で東京に行っている。

拓銀も大損害したおかげで、
今は、一切財テクはしていない。

財テクするマトマッタお金も
税金に払って、
被災地特別税に払って、
関係各所に寄付をして、
正体のわからない請求に
払った方が、世のためかもしれないと
高齢で痴呆になった 親類の
施設入りの後始末に
400万の、
自分たちの老後資金を支払った。

吉永小百合さんの「弟」という
TVの映画を見ながら、
薬剤師の性格が表現されていて、、、

お友達のように親しく思えた。

私も、、、義理のお金ではあるが、
人生最後だと思って
出来ることは、今回限りだと思い

とりあえず支払った。

ストレスはない。
日経も読まない。

子育てのノルマが
馬車馬に変身して
頑張るしかない時期もあった。
それだけのことだった。

吹けば飛ぶような
小さい存在だったから、

手持ちの株を失っただけの
悪夢から目覚めると
息子という株は
もしかしたら。。。
育ってくれるのではないかと
祈っている。

息子よ!
君の未来にかけるなら
75歳の
最後の、老後資金をそちらに回そう。

孫の学資の応援も気にはなるが
、何とか、まだ、時間があるから、
少しは、応援ができるように
節約すればよい。

お金は、
子育てが終わると、
食べるだけあればいいことがわかる。

今、出来ることをした方が

人生は、微笑みで。。。終われる。

人生こそ、、、深淵な、、笑いである。

人生は「喜劇である」と
昔の文豪が言っていた、、、け。

文豪とは、、
笑いを心得ている
文士の事かもしれない。

君は、おじいちゃんも、
お父さんも、おじさんも
従兄弟も、医師ですから

ほかのことは幼いところがありますが、
医療界に関しては
サラブレッドですよ!

叔父さんは、宮様の賞もいただいた位
医療に関しては、血統書が付いています。

必ず、世の為、地域の為に
役に立てると、信じて、
真摯に、謙虚に、周りに感謝で、
医師をすることに、、
命を懸けてください。

臨床医は、、、
何も残らないかもしれません。
時間の芸術かもしれません。
氷の芸術かもしれません。

医者の陰の、、、親ばか、、、笑い


ボロニーズと出逢った早朝散歩

2015-07-14 06:45:28 | Weblog

起き抜けに。サーと髪を梳かして。

散歩をする癖がついたのは、

50歳を過ぎた頃からです。

朝の散歩は、神様の贈り物のような

驚きや、感動や、微笑みに出逢います。

けさ。

観たこともないような、淑女さながらの

小さな、おっとりと、優雅なしぐさの

白い犬と出逢いました。

この辺りは、犬を飼うひとが
おおいほうでしょうか?

朝の散歩では、
顔見知りのワンちゃんが
懐っこい目で、
見上げてくれます。

今朝、、、!出逢った犬は
別格です。
天然の深窓育ちの優雅さと
美しさと、
かわいさと、

何よりも、、、こんな犬に出逢ったのは
初めてです。

いつもは、飼い主と会釈して
すれ違うのですが、

今日は、
思わず、座って、ワンちゃんと
目線を合わして、微笑みました。

思わず、
「これは、、、何という種類のわんちゃんですか?」
問いかけました。

「ボロニーズという犬種ですよ。」
飼い主は、メンコクテ、可愛くて、愛しいという

何とも善いお顔で、教えてくれました。

「初めて、こんな可愛い
エレガントなワンちゃんと逢いました。」

16年も、
テリヤと秋田犬の
雑種を飼っていたのですが
「犬」という感じでした。

でも、今、目の前で、
白いカールのかかったシャーぎーのような

ふわふわのドレスをまとったワンちゃんは
少女の時代の淑女の雰囲気を持っています。

別格の優雅さです。

「ため息交じりに、見つめていると、、、」
「山口県で、出逢ったんです。」と。
飼い主の目が細くなった。

「山口県というと、、、長州ですね!」
「そうせい」のお殿様で有名な土地柄ですよね。
みなと貿易も盛んなところなので、
こんな、珍しい犬がやってくるのでしょうね。。。

「どこの国から、やって来たのでしょうね?」

「イタリヤから、来た」と。
飼い主は、目を細めて、
遠い異国の空を見ているように

このワンちゃんの故郷も愛する故郷に思えている
優しい表情で、教えてくれました。

イギリス王宮や
エルミタージュ美術館や、
マリーアントワネットの部屋から

ちょこんと現れても
「絵になる」何とも言えない気品がありました。

愛されるには
美しいことが大切よ、
珍しいことも大切かも、、、
でも、そんなことよりも
天性の気品があり、
天性の懐っこいオーラーが
花のように人を包み、

思わず、抱き上げたくなる衝動に駆られるが、
その気品の前には

触ることを控えさせる赤ちゃんのような
天性の不思議な輝きがある。
触れてはいけない光の粒子が、、、
手をひっこめさせる。

散歩の邪魔をしてしまったのは
この、
ワンちゃんの魅力である。

決して、、私は、
ボロニーズという
この、
犬種を忘れないだろう。



少子化の対策、、、婆はこう思う

2015-07-13 01:26:47 | Weblog

なんで、、、子供を産まなくなったか?
女性が。主体をもって社会参加をする時代に

子供の居る女性より
子供の居ない女性の方が、

ビジネスの最終段階で。
女性が持てる武器の全てを使って
勝負に出れるから。

サバイバルに勝っても 負けても、
納得があるでしょう。

子供が居る場合、
いざとなると、
子供を優先にせねばならないから、
戦えない。

結局、
子供を育てながらの社会参加は
女性は消耗品の戦力で、
挫折も多いと思う。

子供が進学時期になると、
奨学金を借りて、
大学に行くとする。

大学を卒業しても、
借金の返済で
貯金はできない

選挙権をとるまでは
国が、
子育てを育てるべく

経済面の配分を
子育に大きくすれば
産むという、
難関に向かって行けると思います、

私の場合も、結婚した時点で、
家賃の50倍もの奨学金の返済があり、

子供は一人だけなら、、と
思いました。

4歳になったとき、
この世の中に、
一人ぼっちはかわいそうと。

2人目を産みました。

2人育てるのがやっとでした。

息子たちの進学のころと重なって、
夫の両親が双肩にかかてくるわけですし、

国は、教育は宝と割り切って、
学問を、国民が平等に受けられるような
システムにすれば、

格差も差別もなくなり。
心の貧乏が救われるので、

日本は、五感に見える、感じる、以上の
発展をすると、思います。

私的な旅ではもったいない***** 京都*****

2015-07-10 04:10:15 | Weblog



昨日、、、NHKプレミアムの、京都の歴史を観ていました。

子供のころ、右手の大やけどのおかげさまで、

京都大学病院の、近藤鋭矢先生のもとに

通院していました。

病院からの帰り道、

京都の街を、母と歩きました。

知恩院や、鴬張りの廊下や、

二条城に行って、来ました。

哲学の道も、
桜の花の並木で
夢のような道だった。

清水寺では、驚きが感動に変わりました。、

京都まで、通院することが、

毎回楽しみで、
やけどのおかげで、
母と娘の散歩道でした。

2歳半から17歳まで
右手の矯正手術は、
7回に及びました。

そのおかげで、
父と母の、

***大いなる遺産は***

お金ではなくて、
右手のやけどを
直してくれた「親の愛」と

京都の名医の先生との
コミュニケーションでした。

お宝池、、嵐山、、、平安神宮、、、

羅生門の舞台になった文学の道。

それから、
修学旅行でも
京都に行きました。

小松川高校の友人たちは
もう、人生を卒業している頃ですね。

私のメールは 
kikokikokiko.noriko@yafoo.co.jp
美容師の竹さん、
山の好きな久保さん
星の王子様に恋をしていた「トン子」

小学校の先生になった写真部の部長!

山と渓谷。。。という立派な雑誌に
高校生なのに掲載されたSUさん!
蓼科山は、てっぺんが岩だらけで
しんどかったです。

関が近いのに、話しかけることはなかったけど、
東京工大に進学した「皆のつけた愛称が、ろくちゃん」

きっと、世の為に働いた事でしょう。
ピアノが上手くて、北大に行った サクヤさん。

もう一人、
北大に行ったKさん
忘れられないほど
素敵な美人だった、静かな名前の Nさん



京都の修学旅行の思い出は
尽きることはありません。

卒業以来、たった一度だけ、
体育のM先生が、
聖母大学の学長になられたとき
同級会に行きました。
高校、大学と一緒だったO嬢が
クラス会の世話役をしていたので
何とか、仲間に入れました。

京都に修学旅行に行った事が、
今でも、
みんなの笑顔が浮かんでくるのです。

京都は、不思議な「絆」ができる所ですね。

2年間も入院や、通院で、
そのたびに、
八坂神社の近くで
くずきりを食べたりしたのに、
修学旅行では、
立ち寄ることは
しなかった。

これから、受験だというのに
皆も、私も

たった一度も、
家康や、秀吉の事を
話しませんでした。

最後に母と京都を訪れた時も

京都の雅な美しさしか
考えたことがありませんでした。

清水の坂の途中で、
クロトラメ石の「数珠」を見つけて

神様、仏様のお恵みに思えて
母に、買ってもらいました。

あの数珠は、、、
どこにいってしまったのか?

南紀で13年、小学校6年から、
大学卒業まで、東京。

お父さんの生まれた市谷
外科医の居ない内科は困る時代だから、

父もあちこち、、、大学病院からの
命令で、日本と言わず、外国へも
新しい術式を学びながら
旅から旅の人生だった。

父が、京都大学の近藤先生の
サポートをいただくようになったのは
私の、大やけどの移植手術の時からかもしれません。

父は、京都に出向く時間のない
過疎地七か無医村で、
戦争からの疎開地として
急に人口の増えていた、
古座川、新宮川、の間のあたりの
村の診療所で働いていた時でした。

寝る暇もない激務のお父さんの様子に
近藤先生の方から、一か月も、出張してくださり

娘の、私の手の手術を、
父と二人で、
村の診療所の手術室で
施術してくださったのでした。

父が、外科医でなかったら、
スーパードクターが、
山奥まで泊りがけで、
娘の為に
手術をしてくれる機会など、
夢のまた夢の出来事だったと思います。

疎開地の、七つの無医村の
唯一の医師だった
父の激務に、

武士の情けのような
スーパードクターの理解があって
サポートを
いただけたのではなかったのだろうか?

父の、おかげで
近藤先生と知り合いになれました。
患者さんの一人として、
京大に入院できました。

京都は、こうして、私にとって、
癒しの街となりました。

17歳の時、
警察病院の、
大森先生が、
最後の仕上げのZカットで
指と手のひらの引き連れを治療してくれました。


近藤先生
大森先生、

3人の先生のおかげで、
私は、チェルニーぐらいなら
弾けるようになりました。

ピアニストの母も
結婚のお祝いにと、
アップライトのヤマハの88鍵盤の
ピアノを買ってくれました。

息子たちには、
バイエルや、
ブリュックミラーの小曲を
私が、手ほどきしながら、
連弾もしました。

私は、17歳で
復活したのです。

京都は、復活の街なんです。

東京は、父の生まれ故郷。
なぜか、京都での
お父さんの姿は記憶にありません。

右手が治癒して3年たたないうちに
父は、54歳で急逝しました。
まるで、今にも起きてきそうな父を
早朝、薄明かりの中で、
まだ。。暖かかった手、、
「その手」を握り締めまま、
見送りました。

お父さん、さようなら。
皆の京都よ
さようなら。

*************
           ******
               ******
兄が後を継ぎました。

4年ほど、過ぎた頃から
開けても、
暮れても
お見合いの話ばかりで
窒息しそうな
兄のお見合い強制攻撃にはまいりました。


薬剤師の24歳は
これからが修行です。
結婚どころではないのです。

しかし、、、
母の勧めには逆らえませんでした。

その後、札幌で
外科医の夫と出会いました。

母が、、、お父さんが、
若くなって、
我が家に帰って来てくれる、、と

私たちの縁を進めました。

君の家を手伝うよ、
夫になるという、この男性は
母に向かって、
「3年たったら、東京に戻り。
必ず、お父さんの後を手伝います。」

殺し文句を母に言ったのでした。
、、
手伝うつもりだった、、
嘘を言うつもりは
さらさらなかった。

彼の父母も、帰ってくると信じていた。
私も、3年ぐらいなら、
北海道に居るのは恵みであると、割り切った。

医学の世界を知らなかった、、、私も彼も

ここで。もう一度繰り返します
医師になるのも、、そうとう難しい!
しかし、、、医師をするのは、、、さらに難しい。

人生をささげなければ、医師はできない。
親も、伴侶も、サポートに徹する15年以上が続く。
実家を手伝うどころではない。
寝る暇もぶつ切り時間を、うまく睡眠をとる。

国立で、税金で
医師になった彼が、
私的な病院で、
自分の意志のままに
働けるほど、
医学の社会は、甘くはなかった。

大学院は博士号を取得出来なければ
前にも後ろにも進めない時代。
平成の今とは違って「無給医」である。
外科の医術を学ぶまでは、
アルバイトどころではない。

収入はない。
時間はない。
家庭を振り返る暇はない。
奨学金で生活をする、

奨学金は一日も早く返さねば
次の生徒が、借りねばならない。

返済は、
これからの学生の事を考えると
還さねば
罰が当たる、

結婚してしまった責任上、
私は、とりあえず、
無利子の
奨学金を一気に返し、
銀行のローンを組んだ。

風の吹くままに
札幌で、結婚生活へ、

3か月後に留萌へ、

札幌、留萌、余市、夕張、旭川、函館、、、

外科医の夫は、
一か所にとどまることの少ない
修行が、続く。

京都の雅とは、反対の世界。
冬山の吹雪と
日本海の荒波の、虎落笛が
ガラスにヒョウ紋を創る、、凍える美。

腰までの雪の中を玄関にたどり着く。
宿舎の廊下は雪だらけで
長靴のまま歩いた。

流産はするし
夫は仕事以外は耳にも目にも入らない。
妻なんて、無給医のストレス解消の
対象でしかない余裕のなさである。
重大なことなのに
取り合ってくれない。

吹雪の中を病院に向かって
這って行った記憶が、
我ながら、
依存心があったと。反省する。
切迫流産だったら、、、どうしよう!!
もう。夫のことを頼るのは止そう!
ヤッケを着て、雪の中を這った。
恐怖の吹雪が、顔に突き刺さり
自然の怖さが
今も、残っていて

PTSDというのは
こういう記憶をいうのかもしれない。

その間、外科医として、
身につけねばならない
手術の手ほどきを
授けられていた夫は

術後。産婦人科の医局に電話がかかってきた。
私は、出れなかったので、
先生が出てくれた。

「一人で、帰れるかい?」

と、言っていますが、
産婦人科的には、外科の研修医に
教えたいこともあるので、
御主人が帰るまで、
私が目の届く当直室で
しばらく、、、眠ってください。
その日は、夫は、外科の病棟に泊まり、

迎えには来なかった。

婦人科の先生の機転で
当直室に、おいてもらい、
回復を待った。

外科にも命の境目の患者さんの手術があり
とうとう、、、夫は来なかった。

翌日、雪の中を
たった一人で退院しながら、

成り行きとはいえ
とんでもない
結婚をしてしまったと
思いました。

私は、自分の認識の未熟さと、
医師は免許を取ってから、
15年以上も、
上司のペースに
「はい!」以外は答えられないのだ。

妻側の家庭生活一切を依存しないという
サポートがないと
学生同様の生活で
教えを乞う
情けない身分であることを
思い知ったのでした。

実家を手伝うどころか、
里帰りもなく、
母の葬式にも来れなかった、
外科医の宿命。


結婚前の、母に負んぶに抱っこの
依存生活が、思い出された。

一人で京都に旅に出ました。

右手を三角筋でつりさげたまま
学校生活と
手術の繰り返しの中でも
私は、苦しいと
思ったことはなかった。

家族が居たから。
母という。頼れる相手と、
京都の街を散歩しながら幸せだった。

私の麦手の手術と闘っていたのは
母だったから、
私は、お客様だった。

しかし、、、
結婚は違った。

夫は
「医師をするために、
研修の機会を生かすことしか
考えないという
余裕のない性格」だった。

医師免許をいただいてから

「医師をするまでの腕」は、
100パーセント
チームの都合に合わせて、
仲間にしてもらえるかどうか
夫にかかっていた。

外科は一人ではできない。

チームの都合で動く。

家庭を大切にしているようでは
術式など、
先輩から指導してもらう
チャンスを失う。

特異な専門分野で
医師をしている先輩のもとで、
3か月を単位に助手をしながら
手術を取得する。

そして大学に戻り
指導を受ける。

大学では、大きな医局である外科は
執刀医が回ってこない。
見るだけ、

「こう曳」、、、という
患部がよく見えるように
執刀者の上司の医師の為に
切開部を広げて見えるように
引っ張る器具で
ひたすら引っ張る役が
新米の医師の役割だったようです。
何時間も。同じ姿勢で引っ張るだけで
肝心の手術は見えない。

「このままでは。。。外科医になれない。。」

夫の頭の中は、
外科の執刀技術を指導してもらえる
評価のある指導者の居る病院に
行く事ばかり考えていたのであった。

何処の住人やら、
自分がわからなくなるほど、

出張が続き
地方によっての
特有の疾患に出逢うと、
興奮して、
仕事のことばかりしゃべっていた。

大阪の循環器病院に行ったきり
何か月も、妻子を親類の居ない札幌に残して
帰ってこない時もあった。

このころは、もう、
夫は家に帰ろうが、帰らないだろうが、
あんまり、、、意識にはしなくなっていた。

もともと恋愛ではない私たちの夫婦は
話すこともなかった。

毎日仕事のことを聞きながら、
家政には必要な事だけを
頷きながら、チョイスして聞いていた。
雪かきをしながら、
窒息しそうになると、

京都へ行った。

京都に行って、
深く考えもしないで、
あちこち歩き回り、

お母さんに、、、ごめんね、、
ごめんね、、と言って

京都を歩き回った。

枝垂桜の美しさに、見とれて、
また、、、

北へ戻った、

4月だというのに雪の轍が
足首の捻挫を起こすほど
歩きにくい春先だった。

夫の学会で京都について行った。
駅で、学会の指導者の
先輩に出逢った。

「君、僕の荷物持って、
先にホテルに
チエックインに行ってくれない?」
夫は、学会誌だけ持って、先輩と
お宝池の方に消えた。

京都まで来て、
2個も、ごろごろ引っ張りながら、
一人で、ホテルに向かうなんて、

私の夫は、仕事バカである。

このまま、
2個の荷物をごろごろ引っ張って
女一人、、、
ホテルにチエックインしたら
「あほ!」
私は「あほ」です。

タクシーを止めて
荷物を載せてもらい、
2時間、観光コースにない穴場を
走ってもらった。

腹を立てる分、
逆手に考えて、
京都の庭や、茶室を
一人で堪能した。

時代祭を、見に行ったこともあった。

NHKのプレミアム放送で紹介されたように、

***********

、、、家康のことも、

秀吉のことも、

頭に浮かんだことはなかった。

***********

嵯峨天皇と空海のことは
しばしば、
お坊さんの説明を受けた。

市松模様も、
托鉢と深い関係があることも知った。

私にとって、
京都が、
癒しの街だったことは確かですが、

歴史を深く考えて歩いたことはなかった。

戦争で、よくぞ、、、残った!

ライシャワー大使の顔が浮かんだ。

*******    ****    ****  
(^^  (^^

二男が、医学部の4年に進学できたとき、

ともかく、
京都、那智、勝浦へ行こうと、

気の向くままに、
京都を、二人で歩き回った。

東寺に出逢った。

お守りを買いました。
この子が一人前の医師となり、
医師をすることのできる
40歳ぐらいまで、
どうか。。。

サポートができる健康を
下さい。
本気で祈った。
40歳、、、、命がけのサポートに成功した。

私も、手術上がりで
リハビリ中だったので、
ペースは、ゆっくりであったが
ともかく、息子の大移動を成功させた。

東京のマンションを引き払って、
救急病院に固定した。
地域の人々に貢献できると信じている。

親は、息子に望むことは
医師として一本の道をまっすぐ進めば
必ず、地域に貢献できる医師になれるという事です。
「医師になって、、、頑張ったね」
、、、さあ。。。これから
最終目的の
「医師をする事」に、
まっしぐらの臨床力をつけながら
医師をすることを、貫いてください。

親の望みは、これだけです。

よほど、恵まれた環境で、
息子をサポートする医師の父親でもいれば
医師の息子は、苦労を知らずに、
修行だけに打ち込めるのかもしれない。

それとも、

学問に王道はないのだろうか?

医師の妻も
医師になろうとする息子の母も
自分を捨てて、
多面的に、
ありったけのサポートをしても。

医師は医師しか助蹴ることが出来ない。

やぶ蚊が止まったぐらいのことしかできない。

せめて、心だけでも
一緒に生きて、

寄り添って、
応援し続けながら
見えない何かを支えないと、

学問、や、臨床の怪物に
人生丸ごと食いちぎられる。

上司に「はい」としか言えない
長い修行の中で、
人間力をつけてください。
上から目線の、
専門バカにならないでくださいね。

実るほど頭の下がる稲穂かな!!!!!
忘れないでね!!!!!

世間に、
医師という金持ちが居るがごとく

「風評被害」の真っただ中で、

ふと考えるのです。
どんな金持ちも、豊かな人も
病気の時は貧乏で、
豊かではありません。

だから、、、指導的立場の医師が
金持ちで、豊かに見えてしまい、
世間の風評が「金持ち」になってしまうのは
仕方ありません。

確かに、月給は多少多いかもしれません。
時間貧乏の医師は、
睡眠も、タクシーの時間を買うのです。
人生の時間を、月給で買い取っているのです。


患者様に頼ってもらえるすべてを
身に着けて行くのが
「医師をする」という事につながるのですから。

となりの病院の医師に負けてしまったら
患者さんは、隣に行ってしまいます。

医師の競争相手は、
日進月歩の医学の進歩に
取り残されないという、
地道な勉強ではないですか?

同業者という事になりませんか?

開業資金を自腹で借りて、
医術を商品として駆使するのも
事務系の大学卒は考えて
大きな会社は、
サービス業と考えるでしょうね?、

医師も、医術も、
事務系の采配によると、
マリオネットのように
思うように、
お金儲けの方へと動かせると
一見、、、考えるでしょう!?

医師は、患者さんの信頼で生きているから、
商品にはならないと思います。

周りで環境を整える分野では
サービス業のプロ意識で
事務系の手腕にかかってくると思いますが、

医師は医師としての大切な何かを守っている
理解しがたい、芸術家のような、気質があって、
その特性を大切にして、
尊重してあげることが、
まず、
戦略の第一にすべきと
気が付かねば、
あたら、素晴らしい才能を、
発揮させることが出来ないのではないかと

ナデシコジャパンの
監督さんを見ていて、
ふと、、、気が付きました。


デモシカ先生は、、、
命の前には成り立たないのが、

舞台裏に居る家内からは見えるのです。
何たる、、、人たちなんだろう、、、

患者さんのことしか、
病気のことしか
考えない、

医師の敵は医師とばかりに、
医術で負けたら、
患者さんは頼って来てくれないと
考えているのでしょうか?

ピークの時は30個もの学会に所属して、
病院に泊まって、
自宅には、土日しか帰らなかった。

昔のことが頭をめぐり、
息子とこうして歩けるのも、
学生時代だけと、、ふと思って
息子を見た。

息子は言った。
「母さん!、でたらめに歩きながら、
東寺を引き当てるなんて、凄いね!」

それから、、苔寺、石庭、枯山水、
たった2畳しかない、お茶室とか、、、

息子との京都は、観光コースからそれて、

山あり谷あり、川あり、琵琶湖疏水から

琵琶湖に出た。

私の京都は、
父母からの、大いなる遺産であり、

息子との、
人生の峠を越した
母子の絆の散歩道だった。

医師免許をもらってから
息子は実家に帰ってきたのは
一回だけである。

救急病院で
病院300メートル以内に
待機していることが多いのだそうです。

息子と京都を歩いた、、、あの時も

一度も、家康のことも、
秀吉のことも、
やんごとなき方のことも
頭に浮かばない、

心の別荘地のように、
ひたすら癒されて、

生きるパワーをいただいていた。

今日、プレミアムで。
京都の歴史を教えられました。

家康、秀吉、公家衆、やんごとなきお方。

日光東照宮、静岡東照宮、

武家たちの、天下平定、、、

京都のイメージが、
今日一日で、変わりました。

かなり、、、
親しんでいたつもりの京都を
私は、、、何も考えずに、

水澄ましのように、
水面を飛んで歩いていたことに気が付いた。

自分の京都の旅が、
いかに私的なものだったのかと。。。
味わうことをしなかったことかと。。。

びっくりしています。
雅は、歴史を隠してしまう

京都に、、、長い間、、、
71歳になる今日まで、

考える力を、目隠しされていました。

何も考えないで、ひたすら癒されて、
歩き回った京都に、

私は、、、2年以上も、居たのですが、、、

京都のことは、何も知りませんでした。

NHKのプレミアムの番組は、

人の世の、黒幕に逢わしてくれた
政治の世界の京都でした。

取り残されていた、70年は
取り戻すことは無理ですが、

これからは、人の世には、
歴史の黒幕が存在することだけは
認識して、
もう一度、NHKの視点で、

もう一つの京都を見てきたいと思います。
人生最後の幕は

医師をすることを認められた息子に
ありったけのものを譲り
良い環境を整えてあげたいと思うのですが
維持費のかかった車が2代続くと、、

無い袖は振れません。

一段落したら、

わずかな貯金は残さないで
旅に使い切ろう!

秀吉の神社も
時代の都合で取り壊されてゆく
平和の維持の前には

個人の財産なんて、、、
穴の開いた葉っぱのようなものかもしれない。

番組に、、、ありがとう、、、と、
申したいのです。

親もほどほどの
名誉が守れる老後を過ごすことが
息子への、大いなる遺産になると
気が付きました。





梅花うつぎの花を見つめて登校する児童の笑顔

2015-07-09 18:43:05 | Weblog
北海道は、今、
梅花うつぎの白い花が咲く道を
児童の皆が、
集団になって登校する姿が
何とも楽しい朝の風景です。

       この白い花のひとつを、
         ジーと見つめてみてると
           花の進化なのか、?
             花の風化なのか?


 おしべが***我勝ちに花びらへと
       
     変身中なのがよくわかります。

       花びらになりたい

         子供たちに、
       ほほ摺り寄せておはよう!、、、て

          おしべが我勝ちに

         花びらへと*****

      変身中です。

 花って、心があふれて
         
           七重八重の魅力になるのでしょうか?  

草の気品

2015-07-09 03:38:59 | Weblog



ことしの北海道は、夏がなかなか来ませんね

雨模様のお天気は

北海道に来てから、珍しいと思うんですよ。

傘のいらない初夏から秋

園芸種は、手入れが大変だから、

アトランダムに生えてくる草を、

自分好みに抜き取ることで、

強い草だけ、、残っている、
、、
私だけが、好きな庭。

マーケットで、
根っこのついた三つ葉を買った。

根っこが愛しくて、
ふじ棚の下に植えた。

ちいさな鉢植えだった藤が棚になり
その下で、三つ葉のプレリュード。

昭和大学の薬草園の先生方と
北大の先生と、
農学部の先生方と、
学会のフィールドで

富士山に登った時に、
拾ってきた木の実が
小さな箱庭の中で
ミニミニ大自然。

その後、
金沢大学と、
富山薬科と
韓国の先生方の
学会のフィールドでも
草に出逢った。


御影先生の学会に参加した時の
白山登山の時、

赤い花の「ふうろそう」を
韓国からの参加者にいただいた。

韓国では著名な先生らしい。
山を歩きながら、
流ちょうな日本語で、
いろいろな植物を教えてくれました。

3000メートル近い高い山。
白山は、8月はお花畑でした。

日大の恩師か、説明の為採取した
四葉ヒヨドリも、
説明が終わったサンプルをいただいて
庭に植えた。

対馬の植物研究登山に
北大の聴講生としてくっついて参加。
対馬は、道路が狭くて、
自然が守れていました。
ひとつばだこ、、白い花の港がありました。

資料では
1000メートルに満たない低い山。
ハイキング気分で参加した。

山は、なめてはいけません!
山は、高さで、
難易度を木マテは大間違い。

最初の30分は、
確かに、、、ルンルン。
鳥居を潜り抜け、
しばらくすると、岩、岩、岩。

途中で見つけた「椿の原種」

嬉しかった、
一重の椿は凛として、
自然の気品に
触れるのを、ためらう虫たち。

昔の葉っぱのままの草たち。

特に、おけら!!!

海の孤島の植物たちは、
他種とは混ざりにくいのだろう!
江戸時代の植物図鑑のままの、
原種に近い草!

ほそばおけらとは、また、
一味違った、
日本画の世界の美のある葉

若かりし学びの日々

日大の恩師がお元気なころ、

イギリスの、
原種を保存している
植物園を教えていただいたことがあった。

チェルシー植物園でした、
14世紀の「ジギタリスの花」が
黄色い花を咲かせていました。

現在のプルプレアの紫の花の先祖とは!
驚きです。

片っ端から写真にとって、
スライドにして、
北海道の、植物の先生に報告。
ちょうど、北大の吉田先生が
ダイオウの栽培をされていて、

チェルシーのダイオウの写真を
差し上げたこともあったっけ。
吉田先生に差し上げておけば、
きっと、生徒さんや、先生も
植物園には遊びに来ているから、
興味のある方の目に留まるでしょう。

聴講生になって、
「雑草」と言われる草なんて無い!と

先生から教わった。
雑草という概念は
見る側の価値観の分類ですってね!

アイだって、、、知らない人には
雑草に見えるでしょうね。

吉田先生は、
実学では右に出る人は居るのかなー?

それくらい、植物の話は面白い。

ヒマラヤの登山の時、
ここから先は、
植物がないという
境界線で、
採取した苔の話など、

育児の終わるころ 
無心の心で、
北大の植物園に
入り浸っていたっけ!

身分は、、、
いつも学生なので、
あちこちくっついて歩いては、

自己満足の研究に明け暮れた。
水谷のおじいさんという
北海道に、
ゲンチアナの花を咲かせた方が居る。

北大の先生が、
おじいさんの観察日記を
布の表紙の本にして
基準植物になった栽培を讃えていた。

私も、一冊買いました。

北大と交流していた先生方には
当時の生薬を学ぶ者の
師と仰ぐ専門家が、
いらっしゃいました。

昭和大学なのか?
小w薬科大学なのか?
富山薬科なのか?
当時、学会長だった日大の恩師の
先生が、時折、北大に立ち寄られたと
伺い、
大学間は、同種の研究者は
交流が、グローバルで
国際的にまで広がっていることを
身近に、感じられました。

アゲタせんせいという、
恩師さえ、3尺離れているような
偉いんだろう――な~~という

おじいさん先生も、
信州の山でご一緒した。


植物のおじいちゃまという
雰囲気の
柔和な先生でした。


セセラギの縁で
「燕尾せんのう」という
赤い花を指して、
説明してくださった。

ツバメが輪になっているようでしょう!?

優しいおじいちゃまの顔になって
孫子に説明してくれるような
わかりやすい
植物の物語を帰化してくださいました。

あの時、山一面
ヤナギランが
花の絨毯を敷き詰めたがごとく

言葉にならない
一瞬の風景に行きあたり
ため息が出ました。

自然は、、、美しい!
自然は、、、、気品がある!

恩師の先生を見上げると、

「ラン、、、と言ってもね、
之は、、、アカバナ科だよ」

思い出す草の世界。

あの時、、、
サンカヨウの小さな白い花が
大きなフキの葉のような
巨大な葉っぱの陰で
宝石のように光って見えた。

香りを、、知りたいと、顔をくっつけた。
花は、息を凝らしていたにも関わらず

 。。。散ってしまった。。。

恩師は、サンカヨウに、
そんなに顔をくっつけると
鼻息で、花が散ってしまうだろう、、、

、、と、、言ってくれた時はすでに、

花は散ってしまっていた。

知らないという事は、、、
恥ずかしいことであり、

知らないという事は
罪でもある

草の、、、デリケートな一面を
思い知ったのでした。

万年学生で、所属部隊のない、
自分勝手な研究生活の明け暮れで、

結局、何も出来なかったのですが、

沢瀉という植物を、庭や、屋内、ベランダ、
日陰、日向、水深をさまざまに変えた
条件によって、変わる沢瀉を友として
明け暮れた3年間で

草の秘密を少し知りました。

文献に書いてあることと、
実際に、家族として、
身近に育てるのでは

まるで、別の植物のような
生態を見せてくれるのですね。

白い花から、
ピンクの花が、
先祖がえりしたり、

一年に5回ぐらい、
花が咲いたり、

毎日音楽を聞かせ、
話しかけると、
園芸種のように華やかに
満開に答えてくれた。

そして、、、次の瞬間

全滅して、枯れた。

草と、
愛でるものの「気」も
まさに交流して、草は答える。

夢中になりすぎると
草は、、、死ぬ。

愛するってことは、

相手のペースで、
自然の植生のままに、

環境に合わせて、
草が自分で咲くことを、
邪魔しないことが、
大切であると痛感した。、

三年越しの「草の友」の
全滅を目の前にして、
教えられました。

やはり、、、、野におけ、、レンゲソウ。

昔の人の知恵は、深い。

万年学生で、
研究所に所属しなかったから
いろいろな、フィールドに、
参加させていただきました。
もしも、派閥の垣根があったとしても、
子供のような立場の
勝手連の研究学生は
垣根がありません。

専門家は、
大きな世界で生きていますから。
人畜無害の、個人研究には
大きなアイデアをくださいました。


草の気持ちから、教えられた、
天と地と、人と草と

風任せのタンポポのような
どこにでもある草でさえ
生きる知恵の塊です。

我が家の庭で、

夫は、、つぶやくのです。

我が家の庭って、、、
全部、、雑草なのに

気品があるね?!

草の気品?

「寒菊や まどうは 己が光のみ」

草だって凛と生きてる命の輝きは

すべからく「気品」があると思います。
「命」の輝きこそ気品ですよね。

息子が、南高校の時植えたボタンの花が
ことしは、大輪が3個咲きました。

本州で生きる息子は40歳で、独身です。
マイハウスも、マイカーも、
彼女もいません。

ドクターヘリの飛ぶ、
大学関連病院の、救急で

そういう、、、
医者も、必要だよね、、、
居ないと困るよね、、、

好きじゃないとやれないよね、

いろいろな事を言われながら、

一間の病院の寮に、
安いのと、便利なのと、近いので、
住んでいますが、

今どきのお嫁さん候補は、
家付、カー付、ババ抜き、
5時からマイホームパパ。
高級付

異常が条件でしょうから、
若さという、無敵の条件を
大学病院で技術取得にかけていた以上

40歳という年の条件は、
気持ちの幼さだけでは
お嫁さんを探すのは難しい。

身にあまる方から、
娘さんを紹介してくれるのですが、
息子の、武器は、

「医師をしているという」。。。
之しかない!
医師は「愛」を優先しない。
科学の条件で
女心を、真っ二つにする時もある。

自立した心で、
医師という、、、
ゴジラを飼育するくらいの
豪傑な心の持ち主でないと、
24時間の持ち時間は
仕事のことと、自分のことで、
眠りに帰ってくるぐらいの事であるから
寂しがり屋の女性や、
自分に注目してほしい女性は
まず、息子には愛想を尽かすだろう、、、

草のように、
凛として、
マイペースの
天与の気品のある女性が

息子を好きになってくださって、
鍋釜背負って、
惚れてくれる以外には

考え付かないのです。

医師というだけで、
お金持ち、
セレブ

風評被害の中で、
実際の、姿を見て、
たまたま、職業が、医師という
その他は、
中流のサラリーマンであることを
理解してくださる女性!

草のように、
ご自分で、輝く命の光をまとい
ご自分の生命力で、子供を育て、
息子の存在だけで、
風雪台風の屋根と思って、
それだけで満足して、食事を作り
掃除洗濯を、健康維持のフィットネスと
割り切って、ご自分の花を
天に向かって咲かせる、、「草」のごとく

強い女性が
向く子を好きになってくれることを

世界中から、探しています。

生きているうちに
孫の顔を見せてくださるあなた1

メール、、お待ちしています。

息子には内緒です。

kikokikokiko.noriko@yafoo.co.jp








七夕の織姫、彦星の出会いのように、

2015-07-08 00:27:27 | Weblog


仮想世界が、携帯やPCで
簡単に手に入るこの頃、

欲望のままに、キーをたたいて、
明日と出会い、

検索に頼り
目的に向かう欲望が、
多くのシステムに支えられ
かなってしまったかのような
仮想世界の今日、

努力と。練習と、
その結果
必然的に仲間を得て

そのチームが、
一枚岩になって

世界と出会ってゆく。

本当の出会いの難しさ!

出会い系サイトで
簡単に出会ってしまって、

地球の裏側の人たちとも
出逢っているつもりの
仮想世界。

何とも
手ごたえのない日常に
孤独を感じることさえ
忘れていた。

ナデシコさんが
静寂のカーテンを開けた。

女性だって、
男社会の環境を打ち破って
考えられなかった
女のグループの
一枚岩を見せてくれました。

とかく、自分だけが
ヒロインになりたがる
女性の弱点のないチーム。

女性は強くなった。

作戦で、アメリカに
時間とともに強くなる
ナデシコさんの戦いぶりを
研究されていた。

しかし、
点数や、勝ち負け、優勝の
結果以上に、
あきらめないで
ペースに戻って
2点の挽回に及んだ時、

ナデシコさんの
強さを感じました。
戦う意味が、
最後の一秒まである!

最後の一秒までの
結束の面白さを教えてくれました。



出会いとは、、、必然!
決勝戦で、

地球の裏側の選手と出会い
競い合える実のある一瞬

テレビの画面で、
ナデシコさんと出会い


空港に凱旋しての
帰国を、

待ち続けた今日一日。

必然に出会う事の努力を
ナデシコの花の皆さんから

胸から胸に伝わってくるのでした。

お帰りなさい、、、
素晴らしかった、
ワールドカップの

パスからシュート、
ゴールキーパーの戦う一瞬

少年のような俊敏な動き。

ナデシコさんは、
一枚岩の心と
出会いの必然性を

自然体で
背中で教えてくれました。

日本の女性と

鉄の心を、
真綿でくるんだ
人あたりの優しい
監督さんと、、、

アメリカチームの
体格の大きさは
忘れることはないでしょう。

お帰りなさい!
青春をありがとう!

世代が交代しても
誉さんが
女子サッカー界の
レジェンドになって
一枚岩を見守ってください。

ナデシコさん 準優勝 おめでとう!

2015-07-06 15:56:17 | Weblog

悔しいけど、、、体はでっかいし。
        勝ち続けているアメリカチームは
        しょっぱなに、シュート シュート 
シュート シュート

        一枚岩になる、ナデシコパスを
        リズムを崩す、
大作戦できましたね!

        後半2点返して、
さすがに根性ありますね。

        、、、また!背後から、
チャンスをつかむアメリカ!

        仕方ないよね!、

        こんな、チーム相手に、
戦えるんですから。

        悔しいけど!、、、
準優勝はすごいと思います。

        お疲れ様でした。

        楽しかった ワールドカップに

        乾杯!

        

君一人の為に 書いているんですよ!

2015-07-04 21:20:20 | Weblog

このメッセージを、読んでくれてるあなた!

君、一人の為に、書いています。

ピアノを演奏する母は

いつも、、、言っていました。

会場で、私の曲を。心から楽しんで、くれる人、
心から、なにかを感じてくれる、、、たった一人の為に
私は、演奏しているのよ、、、と。

見えないあなたの、共感があれば、
それは、私が読者として
対象にしているのは
あなただけです。

君だけです。

たった一人の読者の為に、
私は、今日も、、、書いています。

   71歳、、、まだ、P.Cが大好きですよ!(^^

ありがとう、読んでくださって、

私と、、、同じ、、、大海原で、、あなたの舟が揺れてるとき

私の心には、カモメが何かを伝えてきます。

私の舟も、、、揺れるのですよ。

中島みゆきさんの、、、二艘の舟、、、のように。

この宇宙の中で、燃えない心は、音叉のように

波の音が、、、私の心にも響くのです。

愛されていた君の心の豊かさは
君が、、、愛するひとに、、、バトンをつなげて