幼いころは、かわいい子でした。
ややもすると長男に目を向けると、
「ママ!僕もここにいるよ!」
ひょうきんに、転がって、ママを喜ばせてくれた。
5歳の時は、もうバイエルをおしまいまで弾けました。
感性の豊かな子供でした。
子育て中、私はよくいけばなを飾りました。
息子は、大きなひまわりを一輪だけお皿に乗せて
机の上に持ってきました。
また、川で大きな鯉を釣ってきて、一生懸命飼っていました。
私は、鯉は普通の魚と違うから、
小さな水槽に入れるなら、メダカにしたら?
鯉は、川に戻しました。
私は、魚でいえば、自分は鮒だったと思います。
向上心もあり、滝登りも何度か試みた。
主婦は、家族の一大事になると
断腸の思いだが、、、家に帰る。
人生の、
大きなチャンスを3回中断してしまい、
職場を去っています。
私は、、、女性と違って後はない男たちに、、
身を引かざるを得ない状況で、
仕事を辞めて、家を守ってしまった。
女の守りは、
男たちは気が付かない。
薬剤師してた方が評価も受けるし、
社会に貢献できたはず。
いちおう、、、
居場所もあったはず。
しかし、、、
家庭は免許集団である一芸しかできない
サーカスのようです。
全員が、
家庭より職場に責任のある仕事をしている。
医者をする以外、
一切家庭に時間を提供しない夫が問題である。
医師としては患者さま第一の行動に徹しているから。
合格。
しかし家庭人としては、どうだろうか?
自分が看板を背負っている家庭であるから、
女房の自立は不都合である。
結婚前には、しょっちゅ行ってたゴルフも
結婚して今日まで一度も行かなかった。
ゴルフは長時間家を空けるから。
私のゴルフバックが
夫の手で処理された。
家庭を、丸投げで守らせながら、
出来て当たり前というワンマン。
昭和生まれは、戦中の教育が残っているのか?
女性は一段低い存在であった。
医師自身は
日頃のストレスがすごい人種だと知ってはいる。
育った家庭もそうだった。
特に内科医の兄は、ストレス饅頭のようで、
「アン」の代わりにトンガラシが入っていた。
ストレス中は、まったく寄り付けなかった。
医師になるのも全力だった。
医師をすることを続けるには
女房の、稼ぐお金も、
女房の、家事の手腕も、
医師以外の人たちへの外交の一切も
至極当然と言わんばかりに、
女房がやらねば、半永久的に
手つかずのままになるだろう。
一度は、女房側の家に入って手伝うと言ったことが、
内科医の兄にとって、
すっぽかされた恋人のように
悔しい思いを与えてしまった。
まるで、、、ラブレターのように、
いつ帰って来ても
即座に病院長代行が、
その日から勤まるように???
決算表から、23人雇っていた看護師さんの待遇まで
事細かな報告が、届いた。
私も、、、
いつになったら東京に帰ると言い出すかと
兄からの書類を整理しては、
分類してまとめていた。
しかし、、、
北大を卒業したという事は、、、
税金で医師になれたという事かもしれません。
無給医とはいえ、
なすべき仕事がふえつづけ、
自宅にも、真夜中に、
汚れた白衣(実験様白衣)で
夜食を食べに来たと思うと
実験中だからと、
大学に帰って行った。
もともと、
風呂のないアパートを借りているから
銭湯にも行けない勤務時間なので
多分、手術の手伝いについた後
大学のお風呂に入っているのかもしれません。
結婚のとき、東京に居た私に代わって
「アパートは、手頃なのを探したから、、、」
夫の探したアパートは、風呂がなかった。
外科医は、病院で、風呂に入れるのかも
しれません。
結婚の、何たるかも考えないで、
父の残して行った「外科の患者さん」を
引き受けて、東京に帰ると、
母との契約で、私は北海道に外科医を迎えに
結婚という「絆」が、必要だった。
恋愛や、お付き合いや、出逢いのない
東京に帰るつもりの外科医と、
病院存続のための、外科医を迎える者の結婚でした。
一個人の医療施設に、勤続する医師を迎えることは
結婚以外には、ありえない時代でした。
私は、「信用結婚」も否定はしていなかった。
結婚してからも、
仕事場第一の、不規則な帰宅時間の
自分ンを完成することしか頭にない
外科医のヒナ時代は
思いやりの欠片もない結婚生活でした。
ほとんど、
一緒に食事をしたことがありません。
「自分がそんなに可愛いの?子供はかわいくないの?」
1歳を過ぎた長男は、
父の顔を見ると、ママの背中に逃げて隠れました。
もう、、、愚痴を言い出したらきりがないので、
あと一つだけ!!!聞いてください。
孤立した、転々と移動する北海道の冬、
2歳になろうとする頃でした。
指をガーゼでまいて、お休み前の
息子の口のなかを拭いていた時、
「あーん」と開いた口腔内のほっぺの裏に
赤い斑点が出来ているのです。
「はしかだ!」とっさに思った。
しかし熱はない。
明日には、高熱が出てくる!
早朝、遅番出勤の夫に、「はしかかもしれない!?」
医師に見せたい!と言ったのです。
夫は、「熱はないんだろう?」、、「でも、、」
「はしかなら、高熱が出るよ、、」
そのまま、車で15分の北大に、一人で
いつものように出勤していったのでした。
とにかく、、、戸倉先生の所へ行こう、、、
「雪の中、ベビーバギーに、
おむつと、
離乳食と
防寒着、、
もろもろで包み
北大より手前にある
医療ビルの
戸倉先生の所に駆け込みました。
「先生!はしかの前触れです!解熱剤を処方してください!」
先生は、、、
「ほう、、、」と口の中をのどきこみ。。
「確かに、、、発疹があるね~~~」
「麻疹かもしれないし、、、突発性のものかもしれないが、、、」
「お母さんは、神経質だねー!、ピリピリしてるとよくないよ。」
「麻疹だと、熱が出てくるから、
どんどん冷やして何日か過ぎると
治るから、、、
今は、麻疹じゃ死なないから、、、」と
「まあ、、、お母さんが要るというんだから、
念のため、余病が重ならないように、
抗生剤の中に、解熱剤を混ぜた薬を処方したから
熱が出たら、、、
体を冷やしておでこを特に冷やして、
気長に、頑張ってね!、、
熱が出てきたら、もう一度いらっしゃい。」
麻疹なんか、見飽きたという
緊張感のない診断を眠そうに答えてくれた。
「私は、拍子向けしたが、
気持ちは落ち着き、帰宅した。」
その夜!熱が出てきた。
真夜中には40度になった、
氷水で絞ったタオルをあでこに宛てると、
息子は、手で、端っこをつかんで、、、ポイ!と投げる。
私はまた、おでこに戻す。、、、また投げる。
こんなに、、高熱なのに
痙攣も来ない。甘いお薬は喜んで飲む。
次の日も、次の日も熱は下がらない。
そして、全身に発赤が出始め、熱は38度と下がり始めた。
何日たったのか、、、寝ないで、大格闘した記憶が今も新しい。
親が、あたふたと、心配と興奮で過ごした一週間だった。
記憶に残っているのは、いつものように、実験中という夫は
真夜中に帰ってきて、発熱状態や、発疹を一度調べただけで、
「典型的な麻疹の発疹だなー!」と言ったきりで、
「戸倉先生にかかっている」と、私が報告すると
「じゃー、安心だ、僕の出る幕じゃないな~~」と
ぐうぐう―寝てしまった。
「何が、、、『僕の出る幕じゃない』って言うのよ!」
「戸倉先生が、
名医なのかどうかの試験問題なら
あなたの答えは正解かもしれないけど!
あなたは、今、
麻疹で高熱の息子の父親です!。
朝まで、タオルを取り換える出番ですよ!」
真夜中に、40度の息子を目の前にして、、
こんな非常識な
試験問題の解答のような事を言って
評論家のように、
他人事の結論を出して、
寝ぼけてるのね!
父親の、
もっと他人事ではない、
「親身」な「親としての」味のある
心配な、言葉がかけられないの!!、、
「評論を頼んでいるのではないのよ!」
本気で、私は怒っていました。
彼は言うのです。
「僕はね、、、
家族以外の人に対しては、ドクターなんだよ。」
「家族に対しては、父親なんだよ。
だから、、、評論家みたいに
戸倉先生が名医だと聞いているから、
丸投げした方が、いいのさ。」
「何が、、、いいのさヨ!。
何を御託ならべてるのよ!。
こんな時、
「俺おれ流」の御託は聞きたくない。
しっかりほっぺくっつけて、
おでこくっつけて、
息子に、父親としての親身なパワーを与えてよ!」
しかし、、翌日も、
夫は車を置いて行ってくれませんでした。
北大に行く途中に
戸倉先生のクリニックがあるんだから
載せていってくれるのが思いやりのある父親で、
車を置いてゆくかが、
「普通の父親」のすることでしょう?
私は、悔しく思った。
彼は、自分が医師であることの方が
意識の主体なのだと言っているのと同じです。
彼にとって、家族の為に知りうる医学の知識を
他人には駆使できても、
家族には、駆使できないという。
つまり、、、
家族は、彼にとって患者さんには成りえない存在なんだと
。。。。
それでは船が沈みそうな揺れを感じたら
船長さんは逃げ出したのと同じではありませんか?
私の父は、弟が麻疹の時、
鼻が詰まって、呼吸が苦しそうだったのを見て
急を要すると判断したのか???
口で、鼻を吸い取ってしまい。膿盆に吐き出していた。
子供心に、、、「汚い!」と思ったけど。。。
成人してからは
父の弟への並々ならない「愛だったのだ!」と、
記憶からは、薄れない出来事だった。
その点、実家でお産して、3か月間育ててから
札幌入りしたこともあり、
父親として、まだ?
夫はピンと来てないのかもしれません。
思い知らされた出来事でした。
家族を守る捨て身の愛が無いんだと、
がっかりしました。
(;-)
彼の患者様は、北大で、
彼もふくめたチームを待っている人なんです。
そして、彼にとって、
育児の全責任は、家内の仕事であり、
妻は、家庭の全責任者として、
依存しているのだと
一瞬思いました。
父親としては、何たる未熟。
医師をするためには、なくてはならない機械であり
洗濯機など、機械を動かす機械を探していたら
手頃な、君が見つかったと、
云われたような苛立ちでした。、、
もう!、、、旦那は、
家庭の運営には戦力としては、全く宛てに出来ない。
全く!戦力にはならない人だと、
常々腹が立っていたけど。。。
他人様からは、
「自宅にお医者さんがいて、奥さんは幸せね!」
いつも、周りからは言われているのに
この!、、、役立たず!、、
私は、
本当に怒りが噴出した思い出です。
(;;) (**!
一方、、、
外顔(そとづら)が良いというのか!!!
「家内も役割仕事」と割り切らないと、
感情を入れて、
事に当たると失敗する例もあります。
私が、評論家にならないと、
クリヤーしにくい場合が、あるのです。、、、
こんな事が、
結構たくさん思い出されます。
いくら断っても、
外科という性質上
「手術で命を救われた」という
******* 劇的な、瞬間に*****
直面することがあると聞きました。*****
、
患者様は興奮する感謝が
湧き出るのは仕方がない。
その反動で、
「心が逆境のストレス」を弱者に向ける
よくあるパターン。
私が個人的にそのように解釈した例です
ローテンションで
一般の中小の病院で
外科の胃腸の手術をしていたころの時代でした。
贈り物お断りが張り紙してある院内でした。
病院では断られたから、、と
「自分で作ったものなら、先生へのお礼が出来ると思います。」
空き缶を細かい千切りにして、上層部をねじった作品とか、
ご自分で作った「つまみ画」とか
花柄の刺繍のクッションとか、
木材をカットした、売れそうなほど良くできた作品とか、、、
お返しするには、
かえって、、、、、、、、?????、
医療上の回復の心理を妨げる恐れがあるのでは?
。。。。。という思いがが絡みます。
夫は勤務先の決まり事なので、、
絶対にお礼状は書きません。
「
忙しいから、
君がやってくれることには異存はない。」と
かなりの幅のある返事です、
送って下さった方は、
完治してない病人です!
自分が先生に伝えたい心を、
こんなにも内向した作品で伝えてくるのに
臨床心理士さんなら、
何とおっしゃるでしょうね?、
「その心に寄り添いつつ
受け取る方が治療でしょうと、
そのように考えるとおもわない?」
、、
夫に言うと、「、、、、ン」
「僕は外科医だから、心までは解らない、」、と言う。
「それほどいうなら、
君が、作品は着きましたと、
お礼状を書けばいいだろう。僕は、、困る。」
(** (++
そういうわけで、
ささやかなお礼状に
返事する役が家内に回ってくる。
中には、、
「先生に差し上げたのに。
奥さんがでしゃばって
お礼状を書くことはありません。」
わざわざ、おこって、はがきをくれる人もいます。
病気の人の心理がよく出ています。
正直です。
病状を考えると、
先生が頼りなのでしょうね。
解ります。。。この心理!
送り主にとって、お邪魔虫の奥さんが、
客観的に処理しなくてはならないのが、
家内の役目でした。
「先生には、私の感謝の作品が届いたのでしょうか?
奥さんにさしあげたのではないのです。」
電話で文句を言ってくる人には
「もちろんですとも。先生の、
机の棚の一番見えるところに
飾らせてもらっていますから、
先生も、ほめていました、
職人さんみたいに
上手だって言ってましたよ。」
「夫は時間貧乏でしょう。
せっかくの作品ですから、
着きましたよ、、と
安心していただきたかったのですよ。」
多分この患者様は
普段プライドが高いのに
病気という受け身になり、
仕方なく、医者の指示に従い
プライドが保てない、
依存状態に落ち込んでいるのでしょう。
そこで、自分を取り戻す唯一のことは
医者を驚かせるような作品で、
病気と闘い、自分のプライドを
取り戻せるのかもしれません。
患者としてではなく、
人間の自分をアピールしたい心境に
なったのかもしれません!?
病気。。。悔しい思いが、、伝わってきます。
人間って、、、勝気ですからね。
「私は、吹き流しのように、
夫との人生は、
八方敗れの「感情爆弾の処理班です。」
金持ちでもない医師が、
なんで、、月給が少しばかり高いと、
マークされるか?
病人という、つらい立場の人間から
必要な経費を払ってもらう立場に
立たされているということでしょうか?
治療費は、日本は
世界のどの国にも負けない安いシステムです。
それらは、
日進月歩の医学に遅れをとらないように、
医療機械や。
使いこなす学習や、
購入費用や学会参加や発表の為に費やされていった。、
たとえば、
心臓の手術にしても。
一斉風慰したと、夫から聞いていた
「コルディスの人工弁」は
もう、、
ほとんど日本では使われていないと
新しい手術だと、脚光を浴びるのも
次の発表が出てくると
旧いと言われる手術の方法で
使っていた実績のある「人工弁」も
機械もすべて、ゴミの山となってゆく。
人工心肺を回せるのは
臨床工学士の学校を出て
免許のある技師さんが担当していると
聞き及んでいます。
そうした学校を維持するのは、
医療費にはどのように
関与してくるのでしょうか?
薬科大学も、
医学校も、
医療関係の免許集団の費用は、
家族の協力がないと。、、
医療に関与する家庭がかなりの負担で、金銭は
業界内の関係者が、業界を支えるように
ロンダリングしていることにきがつきませんか?
高額な医学書は10年で時代に置き去られるためか
生涯の受験生を抱えたような出費と背中合わせに
颯爽とした、
信頼される医師をする事や、
医師が成り立っているという事は
内側から見ると、
勉強マシーンのようです、
全日本、全世界に
名を知られた先生たちは、、
怪物に見えます。
たとえば、怪物とは程遠い良医ですが、
たとえば、、、身近な例を言うなれば、、、
、、
我が家の愚息の二男
[謙遜語で息子のことは愚息というそうです。}(=-)
有名私立医科大学に受かったときのことです。
「先生、、、まさか、、金がないからって!!!
息子さんの、快挙を
、進学させないなんて言わないでくださいね!」
ご自分の長男は国立に受かっているから、
そんなこと言えるんですよね。」
しかし、
息子も、限界まで頑張ったのだから、
時の運もあるし、
私立とは言っても、
1,2、、を争う伝統ある学校だし!
東京大学より歴史は深い!
イギリスなら
国家が保存している病院であると思った。
さらに浪人しても、
来年合格とは限らない!
場合によっては、国立より「良医」になるかもしれない!
文庫本や、小説でも、息子の学校の歴史は
日本の医療の足跡のように読んでいて面白い。
明治の医学の黎明期のドイツ医学への向学など。
親も、金銭、授業料が云々と考えているより
全収入をかけても、若手を育てなければ、
国立を出してもらった者の役目だと、夫は言う。、
一度ローンの終わった家に
再びローンをかけて、20年払いにしました。
3年前にすべてのローンを終えたのですが。
知り合い縁者の応援金の返済が残っています。
一人の知り合いは年齢で痴呆になりました、
施設入居金の400万は、
来し方の感謝として払いました。
この方の父からは500万の応援をいただき
予備校に行っています。
地方になっても、、お返しです。
我が家の夫は、四人兄弟の、二男でした。
結婚当初は、高校生の弟もいました。
夫のお母さんからは、弟の進学もあるし、
娘の結婚もあるし、、、
「あなたには、二男ですから、息子を差し上げますから、
あなたの力で、立派な家庭に創り上げてください、
あなた方には、一切の迷惑もかけませんので
一切の後方の憂いはありませんので、、」
本州の実家から、切り離された、二男の夫は
3年以内には、家内の病院の外科を復興させる約束だった。
北海道大学大学院生の奨学生。
国のサポートで医学部を出してもらった医師が、
一開業医の外科医が早逝して、残された患者さんの為にも
北海道を離れて、個人の為に、東京に帰ってくるのは
虫の良すぎる話でした。
しかし、近視眼的に、
父の亡きあと、外科をどうするか、、、
内科医の兄と、母は、
夢のような若き外科医の出現に
現実と社会のシステムを考える余裕がなかったのでしょう,、
結婚までの準備も、
新婚の為の
北海道入りする費用は、
全部私の責任となりました!
速く過ぎてほしい!
無給医時代よ!!
「無給医時代よ!」
敗戦の日本だから?
皆貧乏の時代だから?
役に立たない技術未熟の若い医師は
先輩方の足手まといだから?
ひどい話ですよね。
単純運動量の月給があってもいいでしょう。
留守番役の女中さん並の給料があってもいいのでは?
研究に明け暮れてるのは
自分の時間を自分で使っているから??
無給医、、、
東京大学でも、青医連の学生が
スピーカーをもって騒いでいた時代ですから。
女性には理解に苦しむ家庭のピンチが続いた。
実家からは、
未来には仲間になるのだからと
仕送りをしてくれた、、、が
母が、夫の着物まで作って送って来たとき
一切袖を通さない夫を見ていて、
学閥に、気が付きました。
母の時代の医師を取り巻く環境と
夫を取り巻く環境が世代によっては
違う事にも気が付いた、
夫は。北海道を選んだ!、、と。
母を、だますことになるだろう、、、と。
学閥の厳しさが、当時はありました。
よほど優秀でないと、
他の大学では、、、継子であると思った。
私は、途中で
母の援助を断り
アルバイトを始めた。
心の中で、、お母さんごめんなさい!
ミイラ取りが、、ミイラになるでしょう!、、と。
艱難辛苦の時代が過ぎての後記高齢者となった、
、晩年離婚の長男に代わり、
父母の特別老人ホームへの入所。、施設費、
お見送り
、
お墓のことまで、
永代供養の手続きが、二男の夫に回ってきた。
痴呆になった兄の晩年離婚の都合で
夫も、弟さんも
父母の老後を支えあって、大変な出費でした、、
兄の代行で
、一切の出費もかかってきたというダブルピンチです。
東京の実家はその費用の一部として売り払った。
之で、、夫は、東京に帰りたいという
根拠地がきえた、
長男のお名前で、夫は父の葬儀も行った、
、全て、長男の名前で遂行したから、
私たちは
費用の半額を出した影のサポート。
回想お礼には、兄の名前がぽつりと書かれていた。
誰にも姿は認識されない参列者と同じである
、、が。費用だけは、痴呆の義兄は払えない。
医者は、若手を育てるのも人生の大仕事である。
子供たちの私立進学で大変な時も、
オカメから見えると
「、悠々、、、お金があるから、「あのひとたちは」よかしュ!
若手を育てることが使命と思っている夫は
どこからでもいい、お金をかき集めた。
医科の親戚が多いこともあり
卒業したら、返してくれればいいからと
貸してくれた。
入学金は
まさか、20年ローンで払ってるなんて思わないでしょうね。
まだまだ、やらねばならないことの多い
夫自身の医師をするための費用も必要である。。
その後息子からは、
あるとき払いするからと、、言ってきた。
卒業してからは、わずかづつ、
自宅の維持費と称して、2万づつ、
還してきた。
結婚祝いにと、そのまま貯金していたのだが、
今回、姿なき空間に、
日本の為につかってくれるというから
全部、支払った。
若い時は、、、、
唯一、社会的信用が、
ピンチを救ってくれました。
みんな、お金を貸してくれた。
若さがあった。
やっぱり!医師は、価値を知ってもらえていた。
無給時代は。借金経済をすることがしばしばあった、
世の中は、物や金銭を追いかけると
本末転倒になる。
そして後期高齢者になった今
働くことが、唯一、今の生活の支えとなった。
このように、、
医師の家には、見えない税金がかかってきます。
現場の苦労を理解できない怪物が
風評で、経済の地ならしをするかのように、
予期せぬ出費が重なった、
処理能力を身に着けて、
一瞬のうちに判断する気力が要りました。
来し方を考えると、
もう一度、主人とであっても、
絶対結婚しないと思うのですよネ。
好きだとか、恋をしたとか、
出逢ったとか、ときめきとは
全く縁のなかった生きるための結婚でした。
お互いに、、、。
戦後の本質的な貧乏が、心を度外視して
生きるために結婚していった時代でした。
主人にも片想いですが、芸大を卒業した
幼馴染がいたようですが、
水と油ぐらい違う、心の激しい芸術家ですから
同じ芸大の、ともに芸術をする人生を選ばれたと
夫はしょんぼりと語った。、、
「医者なんか、芸術家にとれば、スポンサーにも成れないさ!、、、
大金持ちでないと、芸大の芸術家とは、太刀打ちできないよ、、、」
さ、、、???それはどうかな?
医学以外は他人事の評論家のような夫の言う事は
発言の前に、わかってしまうほど、
適当な、マニュアルの正解というジャンルの言葉である。、、
私の処理能力としましては、これが限度ですから。
主人のような、社会的お化けでありながら、
昔の医師のように、
周りが、サポートしなくなった時代に、
戦後という「オール貧乏人」の時代に
医師になったものの、家庭を守るのは、
私ごときの処理能力ではつぶれてしまいます。
時代は「医者バカ」だけの素養では
生き残れない時代が来ています。
これに伴い、CT、医療機械、
60列、、、200列以上
600列?とか、ダヴィンチとか???
、、、、
病院の収入は医療機械の維持で、大変です。
患者様は、何千円カ払って、
「病院には金は払いたくない。」、、と
医師の家内という
「弱者」にぶっつけてくるのが現状です。
私は、われ関せずの免疫があるのは
医家の中で、もみくちゃになって
それでも自分流に生きてきたからかもしれません。
誰が間違いとか、、、誰が正しいとか、、、
正しいことが通用しないのが
「おとなのせかい」なのですから、
何者にも頼らず、一切の依存心を捨てて
欲張らず、奢らず、欲張らず、化粧をせず、
等身大の人生を、理解されなくても
他を理解する努力を惜しまず、
生涯。なんでも学び、一日を、きっちり頑張れば
明日のことは考えない。
ききわけの良い結果を余儀なくさせられる自分に
腹が立ちますが、、、
私たちが困っても、
誰も助けてくれないことだけは確かです。
私たちが、第3者の為に、
助けたいからというときは、
最終信用があるあなたたちの為にと、
助け舟は来ますが、
支払いは、我が家に来ます。
目立つ行動は、
ツケが来て、支払えないことが起きる前に
慎みます。
頼まれれば誠意を尽くします。
ですから我が家に限って
私が思ったままに表現するなら、
、
、医師の妻は、子供を産む機械であり、
育てる環境であり
、事細かに報告する事務であり、
いざというときは、
根こそぎ家庭の信用の為に
社会の化け物に、
姿なき怪盗に、吸い上げられるという
覚悟をもって、
人頼みをしない実力をつけないと、
生き残れません。
医師自身は草食の、、像さんです。
私は闘う事を覚えて
家畜から脱出せねばなりません。
どのような代償を請求されるかわかりませんが、
この世は、
裸で生まれ、裸で死ぬにですから、
ピエロの居ないサーカスは形になりません。
誰かが、家庭という、親類縁者という
血でつながったチームの絆の為には
ピエロを覚悟で、踊ることになります。
少なくとも
家庭を軸に
夫の勤務が、たとえば
救急や、外科である以上、
正月には「けがをしないでください」
「連休には、交通事故を起こさないでください。」
通用しません。
外科の先生は酒豪だと勘違いしている人もいます。
医局長,医長、部長、副院長時代、
一滴の酒も飲んだのを見たことがありません。
正月は、救急の出動に備えて
電話のそばで、うたたねスタイルです。
夫婦生活は子供を産む機械です。
愛は医療生活には邪魔な時間になりました。
銃後でご奉仕の、戦友ですが、
私からの一方的な見解でス。(^^!
夫は、待機して、家を守り便利屋であれば
顔は、●でも▽でも■でも良いのです。
「命と対面の医師である以上」
家内は、御庭番になってしまいます。
夫は、名刺一つ勝手に捨てても、気が付く人です。
掃除した後、
ホッチギスの金具が落ちてると
わざわざ見せに来ます。
時折、ガムテープで絨毯の上を
こすっています。
決して、高級でない我が家ですが、
掃除だけは、、、やむなく行き届かざるをえないのです。
ベットと壁の間に「輪ゴム」などや
洗濯バサミが落ちています。
掃除のとき、カタズけるのです。
故意なのか、偶然なのか、
主人は、輪ゴムの存在を認識しているのです。
女房を、家事に従事させる
「孫子の兵法」なのでしょうか?
明治の親に育てられているから、
女房の「私物化」と支配を免れるには
こちらにも知恵が要ります。
悪気じゃないのですが、
時代の、男尊女卑を免れないのですよね。
何一つ、自分の物はありません。
しいて言うなれば、全部、物は借り物です。
この世に、私の物は、、、使う力、駆使する力です。
どのように生きたか!
誰も評価しない、見えない家庭内で、
どのようなことに力注いで生きたかという
結果が、夫や子供によって表現されてゆくからには、
女の一生は、、、
他力本願に受け取られがちですよね。
「医師をする」、、、このことが出来た夫は
、物品的なことはともかく。
豊かな幸せな、恵まれた、
、本人が自覚していようと
いなかろうと
、
周りから支えられた
豊かな居場所であったことを
人生の終わりに振り返り、
妻は、洗濯機を動かす機械ではなかったと!
プロポーズのない、私の頭の上を飛び越した
生きるための結婚相手を、あなたが選ぶんではなくて、
出逢いたかったと思うんですよ。
2万5千円の、ホワイトゴールドの
0,002カラットの美しい白いダイヤは
もう、30年前に、力仕事で
節くれだった指には入らなくなっているのです・
外科医は指輪が邪魔という夫に代わって、
15サイズの夫の指輪を、中指にはめて
40年の月日が過ぎました。
愛が邪魔の外科医の妻の役をこなしたつもりが、
、、、
一人芝居のピエロであったのかもしれません。
誰でも、間に合う人であるなら、
良かったのかもしれません。
家内は、ため息をつくのです。
外科医は、、大変です。
息子は外科医ではありません。
ドクター年か接点はないのでは、、、と思います。
私の人生と人の人生は比べられない、
それぞれの花かもしれませんが
、
奥さんになる方は、
医療とは関係なく、
自分の好きなことをして、
気に入る生活をすれば、
幸せが来ると思います。
息子は医療社会的には
「サラブレッド」だと思います。
父は外科医、
おじいちゃんも外科医
叔父さんは
同じ科の先駆者で、宮様の賞もいただいているし
従妹は内科医。
母の兄つまりおじさんは内科医、
父親の従弟も女医
父親の叔父さんは産婦人科医で叙勲を受けている。
、母さんは薬剤師
母さんの兄さん夫婦も薬剤師、
、、、、家系としては
医療家族!臨床医と医学研究者の家族から
医者しか考えられない、生まれながらの
態度の、、、目線の高さは、
患者さん相手に、絶対の専門家としての
目線の高い、話し方をする
医師という主役を演じる人々の言葉を聞いて育った
先天性に近い尊大さが
患者さんからは頼もしく思われ、
同僚からは、なんだか知らんうちに
彼のペースに動かされ、
特殊なプライドのある人々からは
尊大に思われないように
離し方を磨くしかないと、
ママはハラハラ、、、ドキドキしてみています。
本当に、良い子だと、
そして、君をわかる人は、
本当に豊かで、育ちの良い素直な人だと
ママは信じている。
だから、君が、幸せになれるとピーンと来たら、
その人が、世代交代した後も
君と人生を共に生きる人です。
信じられる人を受け入れなさい。
医師以外のことで利益を追うと、
不必要な出費が、来ることが、世の常です、
医師の腕を磨き、医師をすることが
あなたの財産であることを、忘れないで、
健康に気を付けて、
自分の、担当の名医にまず、なって、
健康管理に、ベストを尽くすことが、
医師をすることですと、ママは思います。
君だけの為に、過去の日記帳となりました。
我が家の君は、、
医師しか勤まらないのではと思う。
医師としては
、
「サラブレッドの感性があると信じられる。」
それだけに「専門バカ」と言える。
他のジャンルのことは
幼稚園生へのいたわりが
君には必要かもしれません。
言わしてもらうなら
27~8歳のころは、
もったいないような「お嬢様からのアクセス」もいただいた。
医療に夢中だった本人の無頓着にあきれたのか、
やがて、そのお嬢様も、本来のお見合いで
立派な医師に嫁いでしまった。
あなたは、なんて鈍感でぐずだったの?
チャンスは一瞬の予感だと思うのよ!
断られてもいいじゃないの!
勇気を出して、自分の予感を
正直に話し
男なら、男からプロポーズすべきだと思うのよ。
今も、お見合い写真が数枚来てくれますが、
息子の写真を送ると
皆さん気に入ってくれます。
おかあさまから会いたいと言われてお会いしました。
しかし、、、息子は
「母さん、、、もう少しで博士号が取れるんだ。」
「面白い臨床例があるんだ」
、父さんに代わると
「父さん!すごいんだ、、、これこれ、、で
俺って、すごい救急患者を処置できたんだ!!」
「命と闘った!勝ったぞ!凄い実感があるんだ!」
そして、、、結婚の話は立ち消えです。
時間は待ってくれません、
時間は取り戻せません!
時間は君には優しくありません。
41歳は、すぐに結婚した方がいいという年齢です。
今度は、アンテナを磨いて、
すぐ近くに、お嫁さんになる人がいることを
キャッチしてください。
もしもこんな息子に、、惚れてくれて、
こんな息子でもいいと、
ひたすら、
構ってくれない家庭を、愛だけを信じて
私と仕事のどっちが大事?などと言わないで
運営していってもいいという
押しかけてくれる人が出てこない限り、
孫の顔は、、、生きてる間には見れそうもありません。
親から見ると、、
医療以外は、、臆病ですが、、
学ぶ心は100倍で、
音楽を愛し、芸術も愛し、文章も上手です。、、、
話も豊かな多岐にわたって表現できるのですが、
人の言う事を聞いてくれません。
聞き上手で、健康で、依存心が無くて、
息子を理解してくれる方が
たった一人、、この世に送り込んであると、、、
昨日も、夢枕に立って、
神様がおっしゃるのです。
自分に関心を注いでくれる
自分の事をいつも見ていてくれる、
相手を理解するより
理解されたい、、、欲張りな自己愛があるため、
無視されると、寂しくなる、、二男。
ママが、、、こんなに君を愛してるのに、
足りないと思うのは、
君は、、、与える愛を知らないからだと思います。
子供を持つと目覚めます!
与える愛にね。
君の運の強さを信じて、今日はおやすみなさい。