椿三十郎、、、と言う「三船敏郎」主演の映画を視ていた若き日
美しい椿の花を、
小川水路いっぱいに、
紅い椿の花冠丸ごとチョンギッテ、、、
椿の花の帯が、、、
すごい迫力にしているシーンが有りました。
黒澤明さんという方は
シナリオも、ご自分の自筆による絵画で
見事なリアリティで映画の画面が語る
奥深い洞察が、作品の素のように
椿の花、、、
彼にとっては「花絵の具」で描いた忘れられない画面として、
おりにつけて、、、椿を視るごとに、、、
思い出すのです。
スゴイ、、映画監督さんでしたよね、、、
常人ではない、、、
絵心が、、、
椿の花冠のありったけを、
絵の具にも似て、画面構成の命の川に使うなんて、、、
椿の花は、日本侍の、潔さの心を観客に伝えてくる。
椿の花の花冠丸ごとが
水面を埋め尽くしてどんどん流れてゆく!
、、、
考えようによっては、、、残酷な!!!
悪ガキが、、、あんなことをしでかしたら、、、
母親の私は、、、黙ってはいなかったでしょう、、、!
黒澤さんが、、、椿の川紅の画面に描くと、
散る時は、花冠丸ごと、、、ぽとりと落ちて、、、
あの映画のような地面を
南紀の疎開先の
バカでっかい敷地の椿の庭が
ころりと落ちた、、、椿の花冠で
絨毯になっていたことが
幼い私の記憶の中に、甦ってきた。
椿は少女の恋の花のように、、、紅い!
でも、、、
花びらが、舞いながら散ることはしない。
あでやかに咲いて,、、ポトリと、、、惜しげもなく、、、
花冠ごと地面に落ちる。
黒沢監督は、椿の花冠の地面の絨毯を視て
踏んで歩く気にはならなかったのではないだろうか???
踏まれてゆくには
命が地面の上で、、燃えている。、
恋のように
燃え続けている若き赤に
川に流して、花筏のように
少女の恋の行方は
水に流れて、、、大きな川まで運ばれて
、、、まばらな記憶のようになりながら
海へ、空へと、、、飛翔したら、
花の終わりはいつしか夕焼雲のようになって
明日は朝がやってくるという、
余韻の画面に、
私は自分流に勝手に思う事にした。
椿は咲く直前が美しい、、、
椿の蕾を視ていると
あっけらかんの落花の潔さは想像できない。
エキゾチックでありながら日本の花よ!
彼女の名誉の為に
ポトリとは人気が落ちることはしない。
花冠がいつの間にか
見事な椿油に代わっていた。
椿の咲ききった満開のあとも、
彼女は
椿の花は、、私的には、
ダイナミックな少女のエネルギーを感じる花から、
石うすで曳けば、見事な椿油になるだろうと
ひと手間かかるが、皆がイイね~~と言うような椿の花
予期できなかった北海道の生活が
北海道にしかない大自然の恵みの魅力に向かわせた。
北大の生薬学は、理学部系統に代わりつつあり、
ふぐ毒のテトロドトキシンに、、
毒の基準があった平成の初めのころ、
「沖縄などの海の底から集めたホヤ」に、
毒のある種類があるというので
「ふぐ毒の基準」にとって代わるのではないかと、、、
「ホヤ」に夢中の大先生が、、、
民間の大会社から
教室のドンになられていた。
私は、、、「ホヤ」には興味が持てなくて、
北大の薬用植物の、栽培のノウハウを学ぼうと、
ホヤの、「ドン」の御許しを得て、
薬用植物園の助手さんに、、、暇さえあれば
植物談義を聴かせてもらいに出かけていた。
Y先生は、身分は当時は助手でいらっしゃいましたが
実際の野良仕事で手をかけて育て、研究者の対象とする
基準薬草を手掛けているだけに
現場で、植物と寝食を共にしないと、、、絶対に解らないような
貴重な一言が、、、ポトリ、、、ポトリと、、、雑談の中に入るのでした。
「聴講生の,れきっとした、学生課に登録されている、から
教えてあげるよ、、、」と言って
「これはね、、、ヒマラヤに行ったときの、
ここからは、、、植物は無い!と言う、、、
境目にあった「コケだよ!」
「おばさんは、、、当帰芍薬散って知ってるよね!?
当帰って、植物さわったことある?」
一応、、、日大の薬学部には、木村雄四郎先生や
滝戸先生
山内先生らが
学生の為に、漢方薬に使う植物や
動物、鉱物に至るまで、植物園や標本室に力を注がれていて
研究心熱心な学生はいつでも見れるようになっていた。
ただ、、、学名や科名、全て、、、
ラテン語を強制的に暗記させられたのだけは
逃げ出したくなった。
覚えないと、、、チンプンカンプンなのだから。
椿と言えばいいものを、、、カメリア、、、○○。。。、、、
富山医科薬科の、難波先生とは親友だったみたいで、、、
北海道に住むようになってから、
難波先生の中心になった「薬膳」の集いなどが
四川飯店でも行われ、、、
初めてそこでは、、、
真っ黒い鶏の料理をいただいた。
烏骨鶏と言うらしく、薬用の鳥だと聞きました。
美味しかったですよ!!!
「世界を変えた薬用植物」と言う
世界の視点が頭を占領して
主人の単身赴任中なら、
チェルシー薬用植物園まで行ってきました。
1400年ごろからの原種のみを株分けで保存している
努力の植物園でした。
ロンドンからフランスに飛んで
パリ大学の薬草園で、
マンドラゴラの
トマトのような青い実が生ったのを視てきました。
パリ大学!!!
もあっさんの、、、ノーベル賞をとった実験室が
現状保存されていて、、、
ノーベル賞の賞状を額から出して、
当時の使われた印刷技術や紙質まで
説明してくれました。
参加者には、手で触らせてくれましたが、、、
私は、、、畏れ多いので、、、
控えて、視るだけにしました。
医薬史の会に、、機会が与えられたら
発表できるかもしれないと、
病院のゼミにも参加できましたので、
カラー刷りの病院の歴史を保存したミュージアムの本を
館長さんは、フランスの方でしたが
signをしながら、、、
参加者に美しい歴史観の保存品リストの本を下さいました。
学者さんの中に交じって、主張するのなら、
どこかの大学の研究室に所属して、
ドンの許可を得て、教室の連名で発表するという
学会の、エチケットが、
天然に身についている環境に育ってしまったので
発表することの、、、手順やルール、方式など考えていると
宝の持ち腐れも無きにしも非ずですが、、、
日本は、、、何といっても男社会の
バンカブルな社会構造で、、何かをするのには
大学院や研究所や、製薬会社の所属の一員でないと
個人の発表は、ルール違反に近いものがある様な空気が有りました。
私は、仕事を辞めて、家庭に戻り
ひたすら家庭を守っていたという
座布団の上に、、、座りなおしたのでありました。
北大の聴講生だけは、、、好きな時に植物園に顔を出しながら
何とか、鉢植えだけは、枯らさないノウハウだけは取得できました。
。
助手と言う社会的な地位は
植物臨床現場のオーソリティは、
どこの大学も、、、実はつながっているんですね、、!
学者の世界って、、、研究を持ち寄って、
発表し合って、、、
新しい知見を共有して、「学会になっているんですね!」
例えば、植物園の先生との会話ですが、
「当帰」はご婦人の更年期障害などにも使いますよね。
薬剤師なら、国家試験に出るから、、、知ってますよ。
成分の構造式だって、、、、知らないと、
仕事にも、、、差し障ります。
、肩ひじ張らずに、はっきりと応答した。
「じゃ、、、北海当帰と、日本当帰の違いは?」
Y先生は、、、「薬剤師なんて、、、そんなことも、、気が付かない?」
思いっきり、、、現場の実力の差を確認せざるを得なかった。
Y 先生は、北海道の東西南北山歩きされて
日本海側と太平洋側の山の中の野生の当帰を採集して回ったという。
「茎の色が違うんじゃナ!、、、」「一発に解るんじゃな!、、」、
「試験管使って、、、試薬使って、、、成分調べんでもさ、、」、
女性視たら、日本人の女性か?、アフリカの女性か?
一発にわかるんと一緒じゃよ!」
こんな調子で、私は漢方調剤処方箋が来たら、
植物園に通う事で、
基礎の部分を再履修することにした。
植物の実践に強い、
実際の植物の癖を学べたことはラッキーであった、
平成初期の頃の、ラストチャンスだったと思いました。
Y、先生の後をくっついて、
富士の裾野の「樹海の薬草の探索」にも
昭和大学の植物園のリードで参加をさせていただき
プロのリードのおかげで、
何とか、、、生きて帰りました。
「チャーターしたバスガイド」が、樹海に皆を降ろした後、
反対側の出口でバスは待っていると放送したものだから、
私はリュックごとバスに置いて、
ナップザックに軍手や、タオルだけをもって降りたのでした。
「青木ヶ原は、、、さすがに、、、さすがでした。」
こんなに長く、、、
のっぱらに居るわけはないと思って
昼のおにぎりも、バスに置いてきてしまっていた。
、昼ごはんが無いのは、、、私だけです。
緊張して、
木の根っこの上や、地が洞窟をもぐったり、登ったりして
片足がズブッともぐったり、、、ヒヤリハットの探索は
腹ペコで、、、
「しまった!!、、、リュックを持ってくればよかった!」
腹が、、、グー、、、となった。
皆はうまそうに、、、握り飯に大きな口を開けている、、、。
農学部の先生が、、、
「あれ?昼食置いてきたの?」
「バスに帰ってから、、、座席で戴くつもりでしたので、、、:」
「良かったら、、、多く持ってきたので、おひとついかがですか?」
「恐縮です、、、それでは、お言葉に、、、あま、、、」言いかけると、
Yせんせいが、、、「ちょっと待った!」とやってきた。
我が教室の聴講生だから、、、
Y先生が、弁当を分けてくれるのかと
楽観していたら、、、
「ご厚意だけ受け取らせていただいて感謝します。、、、握り飯は
分けないでください、、、彼女は、これからも山岳探索に行くので、、、
身にしみて、、、自分の行動が甘すぎるという事を、学習に来ている
野外実習中なので、、、
思いっきり、腹を空かせて
体験で覚える時期ですから、、、よろしくご協力を!、、、」
「え~~~?そんなのないでしょう、、、
せっかく分けてくださるんですから、、、
バスに戻ったら、、、お返しも出来ますし、、、」
「皆と一緒に食べたい!」と言ったら、、、
「だめだ!、次の実習に誘って要らないというのなら、、、
もらって食べてもいいよ!」
Y先生は、こんなひどい意地悪だとは思わなかった!
遠くに歩いて行ったすきに、、、農学部の先生が、、、
「行っちゃったよ、、、この次からは、山野には
自分以外は、大勢いても、頼れないと、わかればいいよ。」
「おにぎり食べとかないと、、、
昼からの数時間、、、身体持たないよ、」
「そうですね、、、戴きます、、、」
お腹がすいて、、後で、、、おっ説教を聴く方がまだましだと、、
苦い笑いしながら、、、戴きました。
誰かが、、、面白半分に、、、
「おにぎ、、、喰ってたよ!(^^!」
でっかい声で言ったものだから、、、
Y先生は、今度は、くださった方に、、、
「やったらダメ!と、,、、言ったでしょうが!、
体験させないと、、、わからんでしょう、、、このタイプは!」
言ってくれますよね、、、
子供扱いして、、、、。
ともかく、、、この時、、、
握り飯を食べたおかげで、
訓練はごあさんでした。
次の実習の登山を兼ねた植物採集に
再び、、、知らなかッタ、、、では済まされない
「野外探索会の常識」の訓練を受ける羽目になったのです。
「対馬の原種植物の探索会に誘っていただいたのです。」
Y先生は「対馬の山は、、、わずかに、、、500メートルの高さだ。
早朝出て、日帰りだ。
博多集合だ!」
つっけんどうな言い方ではあったが、、、
韓国の国際生薬学学会に参加して、済州島の山に
大学時代の恩師のT先生が「生薬学会の会長」さんとして
国際学会に未来の教授の卵の先生方大勢と参加する会が
薬剤師会の会報や、パルマシアと言う、、、
何やら研究者の雑誌に出ていた。
北大図書館で、「シェークスピア薬品考」を読んでいるとき
知人が、国際学会の記事を教えてくれた。
はるか昔の卒業生ですが、
薬剤師会の会員と言う立場で
韓国との交流が出来る
「高麗ニンジンの国の、、、国際学会にさんかできませんか?」
かっての大学の恩師にお伺いを立てました。
「薬剤師会員なら参加できるよ。、、、
今や日大の学生が参加している時代だからね!」
そして学会はともかく、学会後の済州島の生薬探索会に
一度は行ってみたかった島めぐりと、日の出峰の登頂をしました。
その時、、、なんと、、、
済州島からは対馬が見えたのでした。
確かに、、、対馬は、、、歴史的にも
日本と韓国の交流の島でありますから、
一度は行ってみたかった。
幸運なことに
Y先生が、
「原種植物の探索」に誘ってくださったのです。
「椿の原種」をみたいと思った。
グラフ雑誌などで、
椿の実を石うすで曳き乍ら
椿油をつくる女性たちの、
文化にも触れたいと思い参加した。
そして、、、またもや、、
山野に気楽な私は甘さが残っていたのだった。
運動靴で参加したのでした。
Y先生は、、、
「 やっぱし、、、運動靴か、、、?
500メートル位と言ったから、、、丘ぐらいだと思ったか?」
「この分だと、高山の探索会には連れてゆけそうにないな?」
謎の言葉で始まった探索会は、
鳥居をくぐると、すぐに、、、なんのことを言っていたのか
理解が出来た。
岩また岩のミニチュアロッククライミングであった!
鎖場のロッククライムであった。
運動靴では足の裏が痛くて、、、ひどい目に遭ったのでした。
山の難易度は、、、高さではないと、思い知ったのでした。
Y先生の現場指導のおかげで、
対馬で出会った野生の椿の一枝が
挿し木でついて、、、
30年ぶりで、、、蕾をもとました。
このままの勢いで、、咲いてくれたら、、また写真を撮っておきますね。
三十年前の、聴講生との「おばさん」など
覚えているわけないかな~と思って、
先生らしい、薬草山の、生き生きした植物にだけ
椿の報告をしてきました。
対馬の野草の原種らしい、、、
椿の一枝が、、、
30年ぶりに咲きそうですって!、、、ね
登山のノウハウを学んだのは
その後参加した、、、白山登山でした。
生薬学会の先生方は
韓国の大学とは
学術交換麻学会なども開催されていました。
その後、
上田先生の信州の学会に参加を出来ました。
入傘山で出会った、、、柳欄の見事な山の装い、、、
滝戸先生がおっしゃいました。
ランの花とは思わないでね、、、
ヤナギランはアカバナ科だからね、、、
登山を楽しんでいた私は
学会後の探索会になると、、、元気が出た。、、
学会には韓国の大学の教授が何人か参加しておられて、
女性教授でいらっしゃったのが、、、
日本の大学とは、、、違うと思ったものでした。
聴講生、薬剤師会会員と言う参加のパスポートで、
男社会の組織を見学できたことは、
ラッキーだった。
政治と、、、学会ね~~~
答えが出ないほど、、、いろいろの要素が有って、
やっぱり、、、学会は政治が届かない
民会外交をしているという実感が有りました。
学問が国境を超えているというのは、、、
芸術や、、、オペラや
何だかよくわかりませんが、、、
奥の深い外交を無意識に果していらっしゃる、、、
学会組織の外野からの私は
自分との間には
分厚いガラス越しの世界のように受け止めましたね、、、。
学士、、、薬剤師会員、生薬学会会員、、医薬史学会会員、、、と言う
参加権のある会員と言う立場を使って、断れない参加者としての
国際学会にくっついて行ってみましたが
政治と学会は、、、語れない、、、
学会は、生きる道が重なっている者同士が
友のように歓喜で行う外交の深さを
垣間見た思いがしました。
家庭に戻った私は、、、
全部の会員を辞めて、、、「○○さんの奥さん」と言う
名無しの権兵衛で
76歳の冬に向かって生きています。
息子よ、、、孫よ、、、
寒菊の,、まとうは、、、己が光のみ!
一つで好い、、、これが出来ます!、、、任せてください!と、
いえる力を持ってください。
婆ちゃんが、、、居なくなった時代にも、、、この一行だけは覚えておいてね。