サッポロは100年以上も、
こんな大きな地震はなかった!!!
[我が家でも爺さんがまいっておるよ、、、!!!]
[ビクビクしながら寝床に入る毎日だが、、、
揺れてるようで
寝付かれない。、、、]
札幌の被害の大きかった地域の知人の話である。
、、、、、、札幌市の北と南の、、、沢を火山灰で埋め立て造成した地区や
もともと泥炭地だった北側が、、、揺れて、独特の地盤の変化が起きた。
主人が大学院生の頃、北の泥炭地に連棟長屋が売りに出された。
あちこち出張や留学の話に巻き込まれて、
2年間留守にできる家、、、を探した。
本拠地を連棟長屋のど真ん中の家にした。
此処なら、両となりに人が住んでいて、
家具を置きっぱなしで、海外に勉強に行ける!!、、、(^^!
若さは馬鹿さである、、、
一年もしないまま、左に置いた鉛筆が、右の端にあった。
大変だ!この家は傾いている。
建てた業者は、土台の基礎を持ち上げればよいと考えたようだった。
土台上げをします、、、責任ある言葉であったが、
私は、2年住んで、とりあえず、土台上げをした家を、
近所の人に譲って、南の羊ケ丘の麓に、、、
此処に、、、住みかえた。
財テクでもなんでもありません。
税務署は、国立大学勤務の医師も、
親の後を引き継いだ医師も
医師は「お金持ち」と勘違いしている時代でした。
短期で手放して、すぐに住みかえる、、、
留学から帰ってきたときには平たんに保てる家が必要だったから
生きるためにも、安全策を考えて、
厳寒の昭和基地に建物を建てた、
ロマンと闘争とチャレンジの
ミサワに惹かれて買った家でした。
この年になるまで、、
札幌では、、、大きな地震に会わなかった。
揺れたという記憶すらなかった。
それが、、、平成という時代が
陛下の御意思もおありになって
時代が代わるという事が新聞やTVで報道されて、
私たちのような昭和生まれの者は
少なからず、、、心は揺れていた。
そして、現実に物品も揺れる地震が起きた。
耐震構造のパネル工法の我が家でも、
今回の北海道の地震では揺れに揺れた。
物も落ちたり、、、壊れたり、、、
家の壁から、
ドスンと3人掛け大のモルタル壁が落下した。
ミサワホームのアフターさんが
専属の業者さんを伴ってすぐに来てくださった。
今度は、ミサワの構造に精通したベテランの業者さんだと
紹介してくれました。
「モルタルをはがして、
腐ってしまったコンパネと、支持の柱を取り換えて、、、
足場が,、、,、占めて、400万円ぐらいで治りますよ。」
「何しろ、モルタルをはがして捨てに行くのは
高いのですよ、、、」と、、言った。
今までにも、もう一軒建てられるほど
リホームばかりしてきただけに、、、
愕然となった。
はがしたモルタルなど、
アスベストが入っているかもしれませんので
処理費が高いのですよ、、、と言った。
「長いスパンで、考えて、今すぐしなければならない事だけでも
多すぎるのだから、、、最小限の生活防衛で、ともかく、、、」
返す言葉がない。
ストレスを回避するためにも、時間をおいてから、
どうするか?
後で、、、考えることにした。
保険には入っていないし、、、、。
我が家は、比較的地盤が良いらしく、
地面事かなり平行に揺れたが
凸凹に揺れることはなかった。
それでも、大切にしていたゴブレットや、
結婚式の引き出物に配った博多人形のカメさんを持った右手が割れた。
床に落下したが、さすがに博多人形は立派、、、右腕しか破損はない。
早速、余震の中で、アロンアルファで修理、
台に戻して、紙のトレイの上に置き、トレイをビニールテープで固定、
人形と、硝子戸の間にウレタンのクッションを置いた。
サイドボードは、観音開きを使っていたため
助かった!と思って開けたとたんに、
すべての段から、食器が落下!
しまった!!!!!、、、と思ったが、、、
遅かった。
今は、ビニールテープで固定している。
思い出をたどれば、、、、
若いころ、羊ケ丘のふもとに、
建売のミサワランドがあらわれた。
バブルで、土地も家も、、、どこまで上がるのだと、、、
自宅は持てそうにもない値上がりだった。
提携ローン9パーセントで購入、
しかし、本州の業者の当時の建物は
雨風しか防げない瀟洒な少女のような未熟な可憐さがあった。
軒が長く、、、豪雪が乗ると、雪が落下する前に
軒のほうが破損する。
寒気と暖気が繰り返すと、
本州並みに傾斜の緩い屋根には
クッションのような、、、
果てには応接セット並みの氷塊が出現。
次の暖気で、氷塊爆弾が落下、!
本州並みに広い幅の
ベランダサイズより幅広のガラス窓が
たたきのコンクリートから、
敷居までの高さが低すぎて、
バウンドして、
たたきのコンクリートをがっぽり破壊して
瀟洒なアルミ窓を割って、
内窓の臼ぺらな飾り模様の波が入った普通のガラスを
いとも、、、簡単に、、、木っ端みじんに打ち砕き
、ラワン材の枠をぶち割って
巨大な氷塊が、
窓際に置いてあったゴムの鉢植えと、
勉強机を
反対側の壁まで押してきて、
体一つの幅で、椅子につっかえてくれて止まった。
死ぬかと思ったと、、、息子たちは真っ青になった。
この日以来、隣の敷地に、
さらなるローンの上乗せで、、、、
35年間のローンが強要される結果となった。
軽量コンクリートのパルコンを建てて、
隣で寝るようにしました。
ミサワホームの材木の節々が
碧い、、、鬣を振り乱した馬が、
壁から、怒涛のように走ってくるような
幻覚の恐怖で、何度か飛び起きたりした日が続いた。
早朝から、寝るまでには、
木造のミサワホームに置いたままの家具を
移動させねばと、、、、気持ちばかりがはやるが、、、、
堂々巡りの、、、お手上げの時が流れた。
今思えば、、、雪が氷塊になって落下した災害が、、、
心をでんぐり変えさせたのでした。
隣の敷地に、軽量コンクリのパネル住宅を建てて、
工期の短い長所に依存して、生活の場を安全確保に切り替えました。
ローンの上にローンが重なり、
大学の給料では、生活が立ち行かない、
もう一つローンを増やしてAP経営を、
家内だけの責任において
借り人は私、経営も私。育児と両立させれるように
短時間のアルバイトも始めた。
真夜中の急病センターに12時から、翌朝の7時まで。
學校薬剤師も初めて、創立100年近い古い校舎を担当した。
社会勉強を始めたのでした。
難問に突き当たっても、勉強だと思ってぶつかってゆきました。
手探りで人とつながってゆきました。
APの入居者が出てゆくたびに、
大和の職員である2級建築士さんにリホームを依頼して
子育てで、なかなかAPを貸してもらえないという
お母さんの応援になるように
小さな子供のいる家族に入っていただくようにした。
毎月、いろいろな相談や、小さなリホームや
隣や上下のトラブルに呼び出されながらも
気長に聞き役をして、かなりのわがままな使用条件も
子育てに免じて目をつぶってきた。
この家族が、子供が小学校に入学とともに
引っ越していった。
天井から畳、、壁、、クレヨンのイタズラ書き!
リホームは2LDKで108万円のフルリホームでした。
もちろん、、、退出した家族には請求出来ませんでした。
子育て中ですから、壁紙を、ダブルにしておけば。。。
こんなにリホームはかからなかっただろうね。
ドアも交換、、、
入居者は、出てゆく前に、
ボイラ~とガス湯沸かし器が壊れたと言ってきた。
長い間入居していたので
設備として、新品と交換した、
アパートで儲けることは、、、まず無理だと思いました。
売る前の退出にも
退出費や、引っ越し代金、片付け代金、、、
結構な金額と、日時もかかりました。
しかし、、、ローンのピンチを時代を切り抜けると
主人は、博士になり、固定して、初任給が23万円という
当時としては、、、高級をいただくようになった。
ロ―ンはどんどん返済できるようになった。
しかし、、、、ミサワホームの、、、
倉庫になってしまった建物のリホームで
しばしばリホームせねばならないことが起き始めた。
主人の臨床力は年ごとに磨きがかかり
患者さんがどんどん来てくれるようになりました。
病院側では、若きエースの外科医として
昇給も毎年、働きに応じて、くださいました。
支払いと収入の差額が12万ほど利潤に傾いてくれて
生活費を確保した。
博士号を取得すれば、固定した仕事に就けるから
一挙に返済できるはず、、、と
火の車に乗ったつもりの若き時代の思い切りが
その場しのぎの借金経済を、
銀行の進めてくれる提携ローンで組んだ。
人生の、、、家計のピンチの時代が来た。
持ち家を借家にすれば、良かったのかもしれません。
若さ、、、は馬鹿さでもあった。
しかし、40歳を過ぎて、
主人が、一人前の外科医になったころから
ローンは順調に返済できるようになりました。
APの収入と、リホームは、予期しないまとまった支出を創るので
手放して、しまいました。
人生の終活として、子育てが終わった今、
APは要らなくなりました。
買った時の半額以下の値段で処分しましたが、
振り返ると、、、
経営することで、
ローンの差額が子供の教育費になっていたのだと思いました。
売ってしまった後は、100円も手元に残らないという
不動産の世界の不思議なシステムに驚きました。
日本という国は、不動産は国の者であり、
自分の者と思いながら暮らしているだけで、
人生が終わるころ、、、国に還ってゆく行く生き物だと気が付きました。
AP経営も、自転車操業のように、銀行と、不動産の会社と
仲介さんと、リホーム業者さんに、ぐるぐると家賃が巡回するだけでした。
旧くなって、入居者が一家族だけにして、全面リホームして
収入のすべてを使っても、
入居していただきたいような家族は見向きもしなくなる時代が来ます。
結局、設備も、全てリホームして、支払いが残っていても
入居者が居なくなります、
買った時の半額に壊し代金を差し引いて、支払い残高で処分して
身軽になって、、、女性の起業は、、、くたびれもうけで「0円」になって
老後は、、、子供の学費にと薬剤師をしていた5年間の年金で
孫と遊べるという、、、庶民のシステムを駆け抜けました。
隣の倉庫にはなっていても、
気のぬくもりと、柔らかな木材の香りに惹かれて
昼間だけは、隣のお二階で生活をするという
読書三昧の良い時間を老後の宝物に思っています。
地震の後も、モルタルはヒビだらけですが、
さすがにミサワホームのパネルは強くて
窓も開け閉めがスムースです。
ストレスを避けて、
未整理のままで、
母屋と隣を行き来しながら
最低限の満たされる生活に通い、
余震の治まるのを、動かずに待っています。
3年ぐらいかけて、
徐々に、隣に」生活を移した氷塊災害の時のように
長いスパンで考えないと
ストレスによって、、、死んでしまう年齢となりました。
デザインもシンプルで、
窓枠以外は
階段だけがラワン材でありますが
とりわけ目障りな自己主張の素材も無くて
日本の落ち着いた日常に、干渉してくる癖のある素材はなく
本質的には、
ストレスが解放される天井の高さもあります。
しかし、ひとたび、お風呂などを使うと、
タイルが一畳以上の大きさのまま、
ドサーと、落ちてきて、
リホームが馬鹿にならない金額が続きました。
藤色がかった、ピンク系の風呂のタイルにしました。
失意の時って、
ピンクや赤にすると
ドーパミンが出てきて、頑張れるような気がしています。
主人が単身夫人の時は
車のシートを「真っ赤」にして
毎朝「さ!、、、夜でも鉄砲でもこい!」
正社員になって会社に行くキャリアウーマンに変身しました。
赤い色のシートは、毎日働くことだけを推進してくれました。
この家は、60過ぎた母が、東京から
娘の私に会いに来てくれた、、、
母と寝泊まりした最後の姿が残っています。
突然、病院の務めをやめて
北海道に、嫁いだ私を訪ねてきてくれた
日大時代の友人が3人
物見遊山の旅の途中に
立ち寄ってくれた家でもあるのです。
何よりも、
息子が大学時代に友人を3人連れてきて
夜の麻雀の思い出のある居間に
一畳大の虎のぬいぐるみにまたがった姿が忘れられないのです。
時が止まってくれているのです。
居間の唯一のの装飾壁などは、
オオク色の落ち着いたピアノのキーのような
縦カット入りで
気に入っているので、
夏の間は、
昼間はそちらで過ごしていました。
その後、、、
同じ町内の家族に、
自宅を完成させるまでと、
半年ほど、敷金なしでお貸ししました。
しかし、、、この間、
同じ町内の方にお貸しするということは、ということは
周りの人とも仲良くするというメリットも考えて、
大サービスのつもりで、
要求には、、、ご無理ごもっとも、、、と
短期間だからと、全てに応じてきました。
採算抜きで、、、、
コップ一杯のすがもれ水を持ってこられても
屋根の吹き替えに発展してゆきました。
除雪費も差し引いて
お貸ししました。
次から次へと、、、注文があり、、、
あちこちのリホームが余儀なく続き、、、
半年で出て行かれましたが、
りほーむ倒れの会計でした。
近所の入居者はこりごりなので
自分の未来の住処の為に
りほーむは完成したと思い
子供のいない大人だけの家族にと、
会社員に会社契約で入っていただきました。
家財なども、扱う
社会的にも優良な会社だったのですが
水道の故障や、ボイラーの故障、屋根のスガモリ、、、
いっこうに治らないすが漏れは、ミサワホームの七不思議です。
スガモリのカビが、化粧室と、ふろ上がりの3畳間を
餅カビで塗装したように、緑のカビでおおわれて
借家人の夫人も、ストレスがひどくて、
出て行かれました。
一本下の道路に面したセキスイハイムに移ってゆきました。
ミサワホームは本州では人気の建物です。
本州の屋根は、板金加工が、
雨風の防御のレベルだったのでしょう。
屋根は長尺のトタンの一枚張りだったのですが、
今は、すが漏れ解決のためのリホームが、
何回も続き、4枚張り合わせの
つぎはぎだらけで、
貸すことも、売ることも、できない状態の家になってしまいました。
南サイドに落下させる雪を四分の一を
北側に落下させて、
氷塊の落下を防ぐためのリホームをしたので
ミサワのアフターの一存で屋根の形をちぐはぐにするのは
想定外のリホームでした。
北側の屋根に、
南側に落ちていた雪まで落とす構造替えのリホームは
ミサワ本社に、力学の解る指導者が居たのだろうか?
北側の雪は融けなくて、
重たい氷塊となり、屋根に張り付き、
従来の安全な位置に重力がかかるはずが
過剰な重力バランスとなり、
屋根の境目の玄関の上が、ひび割れてきて、
軒下の板も、モルタルも、ひび割れが大きく出てきました。
冬は、ストーブを焚くと
すが漏れがひどくて、3か月間は閉鎖しています。
その間、大学の医局の指示で、あちこち移動しては、
日進月歩の医学書や、薬学書や、
出張先で購入した家具を収納する倉庫や、
単身赴任中の
主人の学生時代の書庫になっています。
単身赴任からの帰還の後は
大学から一般の総合病院の立ち上げ幹部として
札幌に勤務するようになり、
大学の講師までの、
もろもろの学会誌や本、
学生時代の資料や医療道具、、、
学会用のスライド作成の設備一式。
全紙に引き伸ばし焼き付けできる写真設備など、、、
バージョンの旧くなったパソコンが
データーが入ったまま
周辺機器が使えなくなり
個人情報も入っているので保存。
VM21,片手大のフロッピーホルダーが地震で落下。
富士通、バリュースター、、NEC,,,ペンティアム!~5
ラビエ、、に
デル、、の使いやすかった、、、あの、、、ヴァージョンも
マイクロソフトのサポートがなくなり
突然!!!パソコンがブチ切れストップ。
仕事に使うパソコンと周辺機器だけでも、、、すごい。
旧いバージョンはバックアップをとっていても
ソフトそのものを受け入れるメカが動かない。
時間に追われて、時代にお尻をたたかれながら
パソコンには収入の多くをささげたが、
開業医さんとは違って
従業員の職業を維持しているわけではないので
勤務医には必要経費は認められない。
機械のヴァージョンを追いかけるのは、、、出費が多すぎる。
ウィンドウ8を導入して以来
スマホもすべて、もう、、、追いかけないことにした我が家。
戦後の、オール貧乏人の時代に
ファイトと、頑張りで医師になって、
我が家は「医師をすること一本」に絞ってきた人生でした。
ささやかな自宅が、リホームが必要のない建物であったら
人生の時間がもっと有効に、会社も、購入者も使えて
幸せが、手のひらに会って、ほのぼのと老後のゆとりが持てたでしょうね。
すべて、
住むことはできないのですが、高級な倉庫として
水道もボイラーも、風呂も、トイレも使えませんが
隣の敷地のミサワホームが飲み込んで保存してあります。
使える家にするために
リホームを繰り返したのですが、、、
最近やっと、
水道局の内勤の職員さんが、庭を掘って
原因を突き止めてくださり感謝しています。、
漏水などしていなかったのですが、
メーターより外側の、
水道局や施工業者の管轄の外側とのつなぎが
接着がうまくいってなくて、
雨水が庭からひかないで、水たまりが20年以上続き
漏水だ、、、漏水だと言って、
水道の契約は止めてあっても、、、
こっそり使用していると、、、40枚以上の請求書で、
十数万円の支払いで、目が白黒なりました。
地下の部分で
公が責任を持つ区域での漏水が
水道局の内勤の正職員さんが現地調査してくれるまで
何年かかったでしょうか?
漏水が治るまでに、
メーターを何回も取り替えては、
冤罪をかけられました。
不愉快な年月でした。
ストレス回避の為にも、
水道の契約は何十年もしていません。、
お宅は、、、水道契約を止めてあるのに
メーターが回っていると、、、請求を受けました。
我が家は、、、
社会的な信用で生きている仕事だから
そんな、、、
ミクロなごまか史をする人間に見えますか?
かなり、、、きつく反論しても、!
いくら言っても、、、
地下のメーターコックがが開いていたとか、、、?
「どうやったら元栓に手が届くのかも知りません。
地下まで操作できる主婦がいるのでしょうか?」
押し問答の末、、、
払ってもらえないと、、、
自分が職を失うとか、、、
証拠のない押し問答の末、
「これっきりですよ、、、」と支払った。
その後も、メーターを何度か取り換えにきて、
交換部品を、近くに置いてあったりした。
私が、、、完全に、、、冤罪の悪者の時代が続きました。
その間、庭の水浸しが何年も続き、
すぐわきの、山モミジの木
(ミサワ建売の時に植えてあった樹木)が
お二階の屋根より高くなり、
梯子に上って、何回か、
別れ幹を切り落とし、
私は枯葉の被害を訴えてくる
過剰反応の被害を訴えてくるお年寄りの
ご近所の奥さんの苦情に、応じてきました。
その方は、今は亡くなり個人となりました。
枯葉ごときにも敏感だった神経質な頭の良い奥さんでしたが
家を2軒ももって、一軒は趣味に使って
お宅は贅沢すぎると、
しばしば言われて、、、、言い返しても、理解してもらうのは無理と思い
道路や吹き溜まりで枯葉地獄になるあたり一帯を掃除して
ゴミ袋12さんこ、秋の終わりにかたずけていました。
ボランテイアト思えば、
苦労に感じることも無く、達成感に浸っていました。
地殻の公園の「アカシア、ニセアカシア、ヤマモミジ、など
天を衝く高さの木々が伐採され、
あの奥さんが逝ってしまってから、
枯葉がほとんど気にならない量になり、
今年はゴミ袋に3袋で、あたりは掃除が行き届きました。
東京で24歳まで育った私は
北側の角には吹き溜まりが出来ることを知りませんでした。
宅地造成の時に、吹き溜まりを無くす良いアイデェアはありませんかね?
冬は、つぎはぎだらけにりほーむしていった屋根が、
ミサワホーム本来の、
切れ味の良い
すっきりしたデザインが変貌をして
バラックのように修理され、
南の屋根に沿って落とすべき雪を、
南屋根の北側に沿った60センチぐらいを
北側に落とすように
屋根の途中から勾配の向きをを急にして
屋根の幅を勝手に変更してしまった。
北側に落とす勾配に、
勝手にデザイン変更したものですから、
重心の位置が変わって、
モルタルに大きなヒビがが
入るようになりました。
その時は78万円かけて、
修理リホームを
ミサワホームのアフター窓口に頼みました。
何という素人かんがえなのだろううか?
モルタルの上にさらにモルタルを塗装、
その上から、ベージュのペンキを塗装、
見違えるように、亀裂が消えて、
見かけ上は
78万もかけただけあって、
リホームをして、よかったと思っていました。
しかし、冬を越すと、またまた、
四隅の外柱の内側がすがもれし
モルタルの亀裂は以前より増してきました。
何回か、ペンキ塗装で
亀裂は消えたり現れたりしながら
もう、、、イタチごっこなので。
知り合いの建築士さんに診てもらったら、
モルタルの上にモルタルをかけて重くしてしまうと
ラスというネットと、壁部分のコンパネとの間が密着しているから
本来なら、モルタルの亀裂をリホームするときは
亀裂のあるモルタルをはがして、
それから、
ラスネットと、
コンパネの間に
空気層を入れて、
壁板から離して
結露で壁が腐るのを防ぐ辺クだよね。
モルタルは、日々の部分をV字カットして
弾力素材の防水をして、モルタルを壁から離して塗りなおすべきだよね!
78万円はものすごく高い足場代金だけとしか認めたくない間違った施工だよ!
塗りなおすべきだよね。
78万も費用をかけて、ヒビ部分をカットして弾力素材で詰めないでさ!!!
、、、、ではなくて、
モルタルの上塗りでヒビをごまかしても、
密着した分厚いモルタルが、
下地を結露で腐らせ
塊で落下するのは
プロならだれでもしってることだがね~~~?
施工ミスだよ!!!と、、、怒ったような口調でした。
手の施しようのない原因が日々を増やしてゆきましたが、、、
もう、、静観して、ストレスで病気になる方を回避するという
診ない考えない、
捨て置いてから10年以上たちました。
今回の地震で、
この界隈の町内で、
「キケン」と
テープを張って掲示してくださいと、
近所から言われて、
ミサワホームに連絡して、、、
修理を指導してもらっています。
今回は実際の危険なモルタル落下が起きましたから
ミサワホームも、
二級建築士を持った技術のある社員を
担当によこしてくれました。
25坪弱の、若き日に、喜んで買ったはずの我が家。
リホームは、モルタルを全面落下させ
今回のように、タタミ2畳分の塊のモルタル落下、、、
しかも
2度重ね塗りのモルタルか重くて、
コンクリーのように危ない!重さのある巨大塊。落下。
外ごみ箱に水を入れて、倒れてこないようにしてありますが、
ラスが結露でさびて膨張してしまっているのは、
すき間を作らず密着塗装のモルタルが原因で、
二重に層になっていますが、上塗りされたモルタルで日々隠しの施工は
明らかに間違った施工であり、
78万円という代金は、
足場代金と言ってもかごんでない素人考えの施工で、、、
信じられないと言っていました。、
柱が、スガモリの湿気で腐ってしまっており
コンパネと密着させてラスを設置、
すき間を作らず
その上からモルタルを重ねて塗ったためなのだろう、、、
落ちるべくして落ちてきている。
北国は、結露に備えて、空間を作り
ラスを設置して
コンパネの壁と空間を開けて、
モルタルを塗るのが常識だと言っていた。、
この方法だと、雪のない地方ならまだしも、
北海道のような豪雪地帯では、
モルタルと壁の間の空間が必要と
知り合いの建築士さんがため息をついた。
危険と書いた紙が、雨に濡れながら、
近所の男の子の蹴るボールが庭に入り込むたびに
「おばさーーーん、、、ごめんなさい、、、ボールとって、、、」
「はいよ、、、何回入っても、おばさんがとってあげるから、、、
ここに近づくのは、、、危ないからね、、、」
子供たちとは
なかよくやっていますが、、、
こっそり、、、
私に、、、何回も、、ボールをとらせるのが悪いからと
自分で取りに入ると危ないので、
町内の住人に言われた
「危険と書いた張り紙のあるロープ」は、外せないし、
ヒビや切れ目の入ったモルタルを壊して、
運ぶのは、、、石綿(アスベストを混ぜているかもしれない)感触なので
高額と、、知り合いの建築課も
ミサワホームの
専属の工務店の社長と、
ミサワホームのアフターさんも言うが。。。
施工の時の材料明細や、見積もりは大雑把な項目だけだから
ミサワの会社の建物だから、前面に信頼依存で発注しました。
主人が生涯をかけて、大切にしてきた
医療用の雑貨、
二階には子供、孫の作品、、、
そして、何よりも、
仕事に使う蔵書が多い。
そして、、、やがて、
仕事から卒業する時が来たら、
病院には迷惑をかけないように
速やかに、この、、、離れのミサワホームの倉庫に
受け入れて、個人情報などあったら選り分けてから
セキュリティを守って、シュレダーにかけてから、
処分するために、
ミサワの家は3年は壊すわけにはいきません。
札幌市では、市民の救急を守り、
地域には貢献して、
知事さんからも、感謝状がいただけた仕事ぶりに
見えない裏の主婦の私も、
医師をすることの応援団として、
出来る限りの、裏方に勤めて、
医療に仕えてきたつもりでした、
立ち上げから、、、30年近く従事してきた職場には
30年間の診療記録の分類や、回復プロセスや、
退院後の再診の記録や考察など
学者肌の医師ならではの、時間をかけた記録の集積があると思います。
患者さんの病気の再発の時などの為の
貴重な入院時の医師の見解記録など
5年保存の後捨てようと思います、
捨てきれない物が、
一時適に収納されるスペースの確保がいる。
患者さんの、病状変化や、病気への治癒までのデーターが
整理されたデーターは、
5年間保存されて、
「患者さんの病気そのものが先生」であるという臨床医の視点にとって
現場からの引き上げの時にも、
30年間の勉学資料は帰ってくる。、、、と家内の想像である。
息子も同業なので、
高額な医学書は、
無差別には捨てられない、
博士論文に役立った資料などは、
本人にとっては大切だろうと推察する。
確かに、、、
ミサワホームから見れば、、、
壊したほうがあぶなくないし、
土地にすればすぐ売れるといいます、
しかし、、、
天下のミサワホームは、
生活基盤の
水道もガスも契約していなくて、
スガ漏れの水漏れもしますが、
ストーブさえ焚かなければ
本など、
本人に貴重な雑貨を守ってくれているのですよ、
ミカン箱のような木材のブロック状箱がパネルになっているだけあって
今回の地震ぐらいでは、30年以上過ぎた建物でも、
躯体はしっかりとしています。
医療に生きて、
札幌市の地域医療に生涯をささげるつもりで
働いてきた結果、
これだけの雑貨の収納が必要だったのです。
また、、、退職するときには
全部運んで、選り分けてから、シュレダーをかけてから捨てる予定です。
医療人の主人二しか雑貨の意味がわからない民間の人の私ですが
医師の家内の裏方の仕事だと思って、
大学人事で移動するたびに、
かなり多い資料や、雑貨を選別し、シュレダーをかけて
処理してきました。
2軒も家があるように見えますが、、、倉庫に近い必要スペースです。
贅沢なスペースと思うかもしれません。
事実、、、固定資産税も相当な額がかかっています。
おいてあるのは「古くなった物質」ではなくて
日進月歩の医学の世界で、
若き日は心臓外科を、、、
そして「循環器外科」を
個人の生活をさておきにして、
家庭をも振り返らずに病院に泊まり続けた足跡の一部が
生活としては機能しないミサワホームに
収納しているのです。
明日の一歩を踏み出す、
昨日までの足跡が
保存されているという、
精神の、
エネルギー保存の法則で
命と向き合う医療の戦場に
向かうファイトがわいてくると思うのですよね。
この、
古いミサワホームを壊して、
新築したとしても、
主人の、気持ちは、喪失!!にしかならないと思うのですよ。
勤務しているうちに、
バリアフリーの一階建ての、
寝そべって入れる風呂場を作ることは、
バンカブルな合理性に満ちた
正しい考えかもしれません。
しかし、、、目の前のことに全力をモットーに
命と対面し続けた胸部外科、
循環器外科の医師にとって、
先取りされた終の棲家は、、、いま、現在、必要でないという
勇み足になると考えました、
今は、
ご近所のストレスにならないように、
これ以上の、重たい危険なモルタルの落下を防ぐことが
ミサワホームにとっても、
我が家にとっても、大切なことだと思うのです。
一見無駄なぜいたくに見える、
倉庫の役割しか果たせないミサワホームですが
せっかく、、、
かくしゃくとして、、
人生の晩年を医療にささげることで
ボケもせず、生き生きと出かけていく現役医師のためにも、
医療以外の、ストレスは、
人生を卒業して、
一老人になってからでもよいと考えています。
だから、
今回の壁は、危険がないようにするリホームをとりあえず急いで
ミサワホームの本来の実力で力学の腕を見せて、ください。
二件目の家に見られがちで、
ぜいたくに思われがちだったこの家は、
家族の、明日への力を生み出す
糟糠の妻や、古い畳のごとく替え時に見えますでしょう、、、が
主人の「足跡」で動かせないのです。
これ以上、余分なお金をかけて、新築同様にするのは
今までリホームでかかった精神的ストレスで、
かえって、マイナス面が出ると思います、
長いスパンで、急がず、、、
この家の役割を終わらせるまで維持したいのです。
やがては私一人になったときに
(主人より、、、長生きしないと、、、主人は片付けが苦手な人ですから)
全部処分できる日も来るはずです。
今、新築してしまっても、物の行き場が見つかりません、、、、
他人は、、、ガラクタ、、、と思うことは確かですが、、、
ミサワホームランドで、、、
数ある建売ランドで、、、
モルタル壁が2畳大の塊で落下したのは
我が家一軒だけです!
施工ミスを知ってほしいと思いました。
すぐ対面の目の前の、
雪の重みで軒の折れたミサワホームの住人は
「軒が、無残に簡単に折れて落下したので、
今回の地震では、家が倒壊するかと、ひやりとしたけど、、、、(笑い)
意外と、この家強かったよね!、、、揺れたけど、
家の中は、壊れなかったよ、、、」
ニコニコしていました。
我が家は階段のある吹き抜けの壁が
波のようにうねって浮きましたが、
この家の表層の仕上げの施工は、
全てがこのような調子でリホームしましたが、
なみうった階段の壁は、数日たつと、
やや、、、元のように平らに落ち着いてきましたが
ほんの一部は、目につくような地震のダメージを受けています、、、
本質は、
弐階のかもいが1センチほど隙間が発生しただけで、
棚や本棚が倒れないまま、中身が落ちていました。
この分なら、外側の危険を直せば、
波打った階段の壁は、当時から、装飾ベニヤが浮いていたから
上からたたけばもとに戻ると思うし、
ぼちぼち耐震工事を加えながら、
長い間使えなかった水道の漏水も、解決して、
使えないままさびているだろう鉄管を、
銅管に引き直せば、、、、
懐かしい、我が家が、
40年目には、帰ってくるかもしれないし。
少し長いスパンで考えて、
損得考えないことが、、、
ストレスを回避して、
本職で社会に地域に貢献できる
づ脳明晰な仕事の鬼が続くことかもしれません。
技術の未熟で、、、しょげたいときはいっぱいありましたが、
ミサワホームを、ただただ壊してしまうのは、
遠く離れていても、
時には帰ってくるだろう息子たちとの
共通の記憶を失うようで、、、
躊躇しているのです。
あっという間に、、、土砂で亡くなったり
「水に流された被災地の方々のストレス」を考えると、
、、
心の絆になっていた出会いから今までの
共通の記憶が奪い取られることの
喪失感は、
両陛下の温かさのほかには
立ち上がる光を投げかけることは
できないのではないかと思うような、気がしています。
結婚式の引き出物に配った博多人形の
壊れた腕を、私は、、、床にはいつくばって探しました。
カメさんをしっかり握った右腕を見つけたとき、
部屋中に散らばったガラスコップのかけらをそのままにして、
アロンアロファで修理したとき、
「くっついた!!!」
家族も心も健在につながった安堵感と、
被害にあうことの、ストレスの原因が、、、
なんとなくわかってきました。
人は、何が大切なのか、、、
その場になってみないと、、、
わからないということでしょうね
ミサワホームさんへ、、、
せっかく強い家なのですから、
人が見える外壁の塗り方は、
本社の技師さんが
責任指導することが、大切かもしれません、
外壁が、、、壊れていると、
ミサワホームは弱い家と、勘違いされてしまいます、
これは、、、
私の、震災被害度を記録する日記帳です、
ブログは公開していません、個人の家族友人との交流日記です。
ミサワというキーワードで
ミサワさんの会社のサーファーに
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幸いです。