花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

大寒の季節の野菜鍋の買い物風景

2018-01-20 16:55:57 | Weblog

朝は4時起きが習慣になった70歳ごろからの、
「暗い夜明け。」
洗濯ものも
部屋の中に蒸気を担当する、
ストーブも元気な炎。


ドアの外は何処の家も窓は暗い。

新雪が、
「今なら軽いよ、、、雪かき時よ!」
新しい足跡で、ドレミファソラシド、、、

お寺の尼さんも、雪の中で
ホウキの目で、波を描いているでしょうか?

角の2軒の前の道が、雪搔きの道路になっている。

このあたりは、
すっかりお年寄りが多くなって、
凸凹道路には、冷や汗ものの緊張が続く。

愉しく歩けて、
元気を道路に敷き詰めるのが
冬の雪搔きの報酬である。

ここのところ、
雪掻きの時間が長くなり
5枚目のセーターも汗で濡れるから、
最高のトレーニングジムの代わりになる。

それでも、に時間が限度で、
一休み、昼ごろに、続きを描いて、

後は夕方、買い物の前に雪を圧縮して

雪の塀を積み上げてゆく。

このまま買い物に出ると汗が引き
風邪を引く。

風呂に飛び込み頭から、ざぶざぶと湯をかぶる

タオルで髪をターバン巻きにすると
純毛の髪は自分で乾く力がある、

すっかり乾くまで、
テレビを見ながら歯を磨く。

丁度、藤田まこと  
美人の出ている刑事ものが終わるころ
身支度もリニューアルしたさっぱり気分で
「歩くか?車で行くか?、、道路の状態で決める。」

野菜の買い物の日は
車で行く。

300円を超えるレタス。
3本300円を超えるきゅうり。
3個で250円を超える玉ねぎ
70円のもやし、、、

ニンジンや、ジャガイモは高くなる前に
段ボール箱で買い置きしてある。

後は、ネギや、ホーレン草、シイタケ、ブナシメジ

十勝の豆の御豆腐
群馬のコンニャク
ホクレンの卵、

豚肉は「切り落としが使いやすい。」
鳥は岩手と、網走と、国内産で
買い物で「日本応援」の気持ち。

戦後の「日本全員貧乏所帯」の時代に
主人も、私も疎開先で育った経験があるだけに、

買ってきた野菜を大切に1週間分として使います。

寒冷の中、こうした野菜が食べれる交通インフラに
感謝しながら、

この時期は、野菜を食べれることに至福の感がある。

高いとか、安いとか、考えないで、
子供の学資のように
健康を維持する命の欠片と思って

外出や、衣服や、他のもので節約する。
春になって、
野菜が安くなっても、量が増える献立ではないけれど。
野菜を買う時の顔が
皆、リラックスして、
満足な微笑みが帰ってくるのが楽しみである。

人は、、、何かの命をもらって生きてゆく。
人は「欲張りな業を背負って生きてくる。」
戦争の最中に生まれた私も、
戦前にうまれた主人も、
未だに、ニンジンを半分使って
残りは朝半分使う癖が治らない。

北海道は住んで50年になろうとしているが
挨拶、天気、TVの話など、井戸端会議以上の知人は出来なかった。

冬と、雪が妨害になって、
コンスタントな出席が出来なかった事も原因の一つです。

冬も大して寒くない東京が懐かしくて、
冬になると、東京に行っていた。

息子が東京から転勤になって以来、
北海道で雪を搔いて過ごす冬の将軍の去ってしまうのを待つ。

野菜は、あたたかな春が来るという
約束の元気をくれる。



あと。2か月!、、、
冬のピークに備えて、
あたたかな野菜鍋に
舌づつみを打ちながら

主人も、私も、今日が一番若い日と自覚しながら
冬に負けない温かさを
湯気の中からいただいている。

正月の御飾を仕舞って、18年も頑張ろう

2018-01-12 10:15:30 | Weblog

          

早朝から、自宅のあたりいったいの除雪をしていると
5人の子育ての傍ら、パートに行っているらしい奥さんが
元気に声をかけてくれる。

「おはようさん!雪、、、重くないですか?」

私は、全身がリラックスするように、力を抜いて
挨拶を交わす。

「へーちゃらよ、、、このくらいの雪ならね!
子育て時代の激務を思うと、奥さんの方こそ、頑張ってね!」

「行ってきます。」

思いきり美人で、しなやかなのに、
ァ―――という間に5人のお母さんである。
車も運転するし、
お友達も、多いみたいで、
現代人の優秀性を全部持ってるような、
素晴らしい女性だと、いつも、感心している。

縁という不思議な天与のめぐみが
このご夫婦をめぐり合わせたのでしょうね。

5人のお子さんのお父様になっているご主人も
なかなかのハンサムで、
お二人とも、映画俳優と、女優さんだと言っても
きっと、、、本気にする人は多いと思いますよ。

先ごろの、TVでは、
女子アナの皆さんも、タレントさんも、女優さんも、

昭和の時代の6頭身の美人とはちがってきてますね~~~

皆、ビックリするような八頭身で、プロポーションが良くて、
化粧も上手だから、圧倒されますね。

でも近所の奥さんの
全く自然のイデタチで、
足早に職場に向かう姿は
天然の美しさです。

動きの美しさや、
急いで目的に向かいながら、挨拶をしてくれる美しさには

美と強さと、天然の動きがあり

しばらく、、、後姿に見とれています。

笑点に出ていた、、、晴れ着姿の、、、「はるかさん」。。
あの女優さんのような
自然体の、風景のような、
野生の美しさがあるんですよね、、、

新年の雪の中で、スコップに、もたれかかり、
後姿を観ていた。

この美しさは、若さという動きと、
仕事に向かう緊張のバランスが
光のように、輝いているのかもしれません。

人世も、暁の73歳の老婆になるなんて
昨日までは、、、若かった気がするのですが

遠く風景を見るように、
世間を蚊帳の外から眺めるのは、、、
まだ!!!!!早かったかな?

思い直して、。。。そうだ!
我が家の元気な爺さんを起こして

コーヒーたいむにするか?!

Gooからの課題、平成で一番驚いたことは?

2018-01-11 11:56:55 | Weblog

私のような、一主婦が、
この課題に意見を述べるのも
畏れ多い事ですが、

皇居での、やんごとない方々の

要でもいらっしゃいますと同時に

日本国民が
世界のいずれの国にもない
歴史始まって以来の
日本という国の
「象徴」でいらっしゃる陛下の
ご年齢、ご公務、御身体の
年齢相応のお仕事への、お考えのもとに、

国民とともにお過ごしくださり

苦楽の
耐えがたきを耐えられ

平成時代の平和な戦争のない時代を
国民とともにお過ごしくださった陛下が、
お年を召されたという自覚。

陛下自ら、天皇という象徴を、
次代に引き継がれ

ご自身が、
私たちの様な、
一家庭を守っている者にまで,
画面を通じて、お伝え下さる。

TVで、直接、

「ご自身の御意思」で
平成の幕を下ろされるという

畏れ多い発表が、

茶の間にまで届けて下さった陛下。

「平成」という、

昭和から引き継がれた
「戦争からの復活の時代の中」で

「見えるものはことごとく破壊されてしまった時代」から、

国民は「団塊の世代を育て」

陛下は国民とともに苦楽を生きて下さり、

眼には見えない「もの」ではありますが、

「日本という文化」とともに、
「日本の魂のような」「時代ごとの光の束の様な」、
日本人という誇りを、
忍従の中で守って下さった時代であったと思います。


昭和天皇陛下の、
「神であられた」戦前から、

人間宣言をされた戦後」

軍の一部の、世界音痴のエリートの采配が
インパール作戦のような、人間以下の
エネルギー戦を強行した責任は
神様だって、、、責任は取れない、、、
無知の時代の間違いが
重なり合って、敗戦となったと、TVは報じていましたが

私には、、、敗戦とか、勝利とか、、、人間の間には
在ってはならない、、、男の獣の域の部分だと思えるのです。

戦争そのものが「武器であってはならないと、思うのです。」

かといって、「マトリックス」の映画のように

人工知能の行き着く先は「支配」と「羊の大軍」で、有ってはなりません。

人知を超える、天地の流れを大切に誠意を尽くす地球全体の
人間も、万物も、共存共栄すべきです。

人間宣言されたことによって
皇室には、
「孤独な皇太子さまは、解放されました。」

陛下が、自ら、テニスを通して恋をされ、
あの、敗戦の中から、
よくぞ、このような素晴らしい女性が育っておられたと
美智子皇后さまのような
インタナショナルの、知的なお考と、
何処のどなたもかなわない、
日本の美人の品性と柔軟さを
国民に示されながら、
ミッチーブームに沸いた、、、。

青春時代のほほえみ。

しなやかな高貴さは、
陛下をも 恋に目覚めさせられた。

国民、、、私たちの中から、
陛下はお妃になる方に恋をされた。

人間皇太子が、国民の象徴になられた。

この、思いは、皇室への畏れ多いことながら

高貴な親類が輝いてくれているような誇らしさが、
国民にも沸き起こった。
新人類の、若者も、プリンセスモードに夢中になった。

日本は、日本人は滅びていなかったことを、
胸に刻んだ。

戦後の復活を果たした「国民の力の源」になったと思いました。

海外の旅行に行っても、

あなたは
「何人?何処の国の人?」と聞かれるたびに

「胸を張って『日本人です』と答えました。」

陛下の存在は、
日本そのものの存在として、何千年もありつづけた

国土、大地、自然、稲作、米、川、山、故郷、両親家族、、、と
ルーツに近い、メンタルな面の日本のルーツだったからです。

昭和天皇陛下と、
カジュアルなムードの制服で
写真を撮っている「マッカーサー」の出ている教科書で
社会科を学んできましたが、
陛下と並んで、リラックスしている「アメリカ文化」との違いは認識できた。

後の記事で、
マカ―サーは
「世界中の中で、
『陛下』のような、
「心の中からの紳士」には
初めてお会いした」
と、近しい人に話されたという
とある雑誌の記事を観て、

日本の皇室は、
いかなる国も真似が出来ない
何千年という歳月が今日につながった、
日本の象徴だと思います。

御退位あそばされても、
その文化は永遠に尽きることのない
日本人の、
「核となる心」そのものの
「誇りの伝承の象徴」でもあられると思います。



平成の、天皇陛下自らのTVでのご発表
本当に驚きの時間でした。

被災地で、陛下が膝をついて
国民に力を、
復活の力を注いでくれた事も
お体を心配しながら
国民の多くは、感謝で頑張れたと思いました。

茶の間も、国会も、世界中も、
同時にて、
陛下の御意志を、聴くことが出来た平成時代に
わが身は生きてこられた、、、
心から、感謝を持って

畏れ多いことながら

この出来事が、人生の中でも
平成を通しても、
一番驚いたことです。

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一主婦の、日記ブログに
Gooからの課題が入っており、
このことだけは
お答えできる驚きでした、

無意識に、
遠く外から、
皇室ニュースを観ておりましたが

今回ばかりは、

日本人である自らの心の中が
驚きとは、驚きであると、、、

長きのご苦労に

感謝しながらも、

平成は永遠の心の財産として

私の、頑張れる力の源です。

なにごとも、、、平成が続きますように祈ります。

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これは内緒ですが、、、

ちなみに、理由は解りませんが
手のひらサイズのお写真で
平成陛下の父君と母君でいらっしゃる
昭和天皇陛下と皇后さまのお写真が
当時のまま残っています。

表の写真いての封筒には

「御大典記念写真」の3組の中の
「紫宸殿の御儀」という、一組と思います。

どなたにも、見せていませんが、
73歳になった今、
どうして、この写真が残っているのが不思議です。
少し変色して、黄土色になりかかています。
これに関する問い合わせには
一切お答えいたしませんが、
こうしたお写真が、
民間にもあったという、歴史の事実は
昭和天皇と、国民の距離が
近かったのかもしれません。
「尊敬する存在は?」
「はい!天皇陛下です。」
そのような時代に、家庭で大切にされた
プロマイドのような、
お写真だったのかもしれません。

何で、我が家ごときに
このような、
「やんごとなき方」のお写真が
伝承されてきたのか?
私にはわかりませんが、

大切な、
「戦争時代を生き残った写真として、お守りにしています。」

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日本は、、、日本の心を忘れない限り、
お米のご飯を、ありがたく、稲を栽培し続けて、
自然の恵みと拝し
自然の連鎖に敬意と、
命の源を感じ続ける限り、
日本は、永遠に存在し続ける


太陽の育てた国土であると思うのは、、、

戦前から戦後まで、
73年間、、、生かされてきた直感で

「第6感をはるかに超えた天の教えてくれた目セージです。」

胸から胸への理屈鳴き感情です。

陛下が、
永遠に国民とともにいらっしゃることを
願いながらも、

人間の生身の器をお選びになっていらっしゃったから。
お体第一にと、
最大限の配慮と、
最大限の感謝で便宜をつくすのが、
日本人と自覚する事につながると感じています。
ご生涯を通して、
戦後の日本の苦境に中で
日本の在るべき姿を世界に表現してこられた
象徴という、平民には出来ない役割を果たされ
生涯を通して、国民とともに過ごしてくださったことに、
これからは、ご老体になられても
陛下がお困りにならないような配慮を尽くすことで、
4月からは

国民が感謝に答える返礼と思います

御退位されて、陛下にご苦労を感じさせるようなことは
在ってはならないと、思うのです。

国民とともに、生きてこられたお方への感謝が
日本人である証となると思います。

ちなみに、私たちの様な昭和生まれが
消えて行っても、
「日本人」というのは
権力でも、財産でも、無いという事です。
まして、、、勝ち負けではありません。
品性を保って、日本の長き歴史がはぐくんだ「日本人の心、感性、つよさ。」
在りつづける、、、という事が「日本」だと思うのです。

   一主婦の、心から素直に思う事を書くことで
   お畏れ多い事ですが、

   「私自身の日記のブログ」に、
   勝手連の手記として

   両陛下への心からの感謝と
   ご公務、、、本当に、、、お疲れ様でした、、、と、
   記しておきたかった。



   雪搔きながら、、、こんな雪なんか、、、
   苦労でも、なんでもないと、、、頑張れている73歳です。



***********【断っておきますが】**************

ちなみに、これは、
公開していない、Gooブログに課題されたテーマで
公開していない、
親類縁者、友人の掲示板です。

万一、偶然この記事と出逢った、、、あなた、、、

「転記、」「引用」、「コピー」は、
堅くお断りします。


なぜなら、、、
私は、皇室について記事を書けるほど、
社会が解ってない、一主婦ですから、

。。。。

私の、個人の、ありのままも感情を書いているからです。



畏れ多くも、社会性のある記事ではありませんので、
皇室への、ご無礼が有っては、
記事を書いた意味が亡くなります。

おなじ考えを持つ、同年代、親戚縁者に、、、

「そうよねえ~、、、
陛下には、生きて行く力を、
いただき、復興の光でもありました。

国民にとって、、、
日本が、日本人が存在し続けた、
根っこの光だと思っています。
、、
インタナショナルな、
グローバルな時代に
、世界と協調しながらも
個性を放ち、
世界が訪問したい国として、
平和の象徴になる事を
祈って、


73歳の来し方の気力が、
踏み台になれば
若者が、その上に、新しい時代の
時の速さを積み上げて


「温故知新」の日本を守ってくれれば、


日本は未来永劫在りつづけるでしょう。





1月10日になりました。

2018-01-10 01:31:19 | Weblog

18年1月10日
早いものですね、、、、もう10日ですよ。
毎年、お正月は主婦にとって、忙しすぎる毎日が飛んでゆきます。

主人が、毎日家にいて、ご自分の腹時計に合わせて、
台所を行き来する。
TVの誘導するままに、次から次へと、番組の誘導するままに
音がする。

野球、、、とにかく、栗山監督の顔がテレビに映っている。
亜米利加のリーグが映っている、
マー君が、、、失礼しました、
今は、マー君なんて言ったら、、、叱られそうです。

ヤッター、、、の場面が映っています。

大谷君が映っています。

。。。。。
、、、、、
。。。。。。

主婦は忙しく動きまくっている新年の休み中
とにかくTVを観ています

やっと、お出かけの今日は、道路がバス停までツルです、

一個3キロの砂袋を、10センチの幅で、
バス停まで砂を播く。

主人は砂の上を歩いて、バス停に急ぐ。
少し、離れた公園の前から、

無事にバスに乗ったのを見届け
自分も転ばないように、
家に向かう。

仕事が、溜まっているが、
とりあえず、休息。

ロバートミチャムと「クルトユルゲンス」の
「眼下の敵」に、迷わずチャンネルを選んで凛となる。

子供の時も、この映画にした。
青春時代に観たときは

ロバートミチャムの「甘いマスク」、、、
一方
青い瞳の
「クルトユルゲンス」の、
男らしいマスクに

けっこう、、私は「イカレテ」いた。

弟にも、「4000円もしたビデオDCを送った。」
すごく、、、感じるところがあるから、
観てよね!

おせっかいかもしれないが。
弟の性格は、、、
クルトユルゲンスの方だと思った。

息子たちには、戦いは避ける本能で
とりわけ、戦争映画は進めていないが、

孫たちが大学に入るころ
この映画は進めたいと思った。

戦争は、闘う国同士の問題であって
兵士は、最後まで人間であることの、
強さが、映画では現実となって
戦争映画の中では「希望」が持てた。

最後のシーンで
ロバートミテャムが
「この次はロープを投げないぞ」
。。。。。
クルトユルゲンスが、ブルーの
海の蒼より深い「男の言葉で。。。」
「この次も、君は投げるさ。」

このセリフは
忘れられない、戦争映画の中でも
人間が、人間で居られる強さと、
言葉では表現できない
戦う運命に負けていない、
男の中の男を
ブルーの瞳で直撃してきた。

ポジティブな、
忘れられない「戦争映画」であります。

日本人の心が、この二人の男らしさを観て、
映画の味が、浸みこんでくると、、、

    私は、一番繰り返して観た映画だと、言えそうです。



新年のお参り 北海道神宮へ行ってきました。

2018-01-04 20:18:13 | Weblog

 

今年も、北海道神宮に

お参りに行ってきました。

アカチャンを抱っこした若いお父さん。

ヨチヨチ歩きの女の子の手を引いて

ゆっくり歩くお母さん。

振り返るお父さん、、、

お参りに来る人は

さまざまのスタイルで、鳥居をくぐる。

ツルツルの氷と、

踏み固めらて、

氷になった参拝までの

参道は、家族や、受験生らしい友人同士や、おめかしした女性や

縁結びを願う恋人未満、、友人以上?

微笑ましいカップルの寄り添う歩み。

 

しかし、80歳ぐらいの、背中の丸いおばあさんが

私たちを、どんどん追い越して、歩く姿には脱帽しました。

 

さすが、、、雪国育ちも80年の歳月を重ねると

ツルツルの雪道など、、、何のハンデも感じないらしい。

そうかと思うと、、、50台と思えるような女性が、

転びそうになり、

パートナーにしがみついて難を逃れたりしている。

私は後期高齢者の主人から。。。。。5歩ぐらい遅れて、

後ろから、せっかちな若者が突き当たらないようにしながら歩く。

10歩前を長男が歩き、ツルツルの革靴で、親孝行にも

ミニスキーのように、歩く事で、

「ここは滑るからね!、、、と、振り返る。」

遙か前を、孫三人、

少し遅れて孫の集団の中でお嫁さんが歩く。

早足の孫たちが、時々止まっては、

孫の中の、二男が心配で迎えに来る。

行きつ戻りつ、孫たちは、きわめて、早足で

しかも、、、敏捷で、頼もしい。

大家族のように、縦長の行列になって、

池のように横長の御賽銭ゾーンに横並びになって

思いっきり硬貨を投げ込む孫たち、、、

何を祈っているのかな?

 

毎年、正月三元日のうち、

天気の良い日に

皆でお参りに行く。

結婚以来、一回も欠かしたことがない。

正月休みは、里帰りもしなかった。

帰りがヒコーキが飛ばなかったりすると、

主人は新年会に間に合わないかもしれないと

苦労性と、勤務への責任感が、

冬の道外への移動のブレーキになった。

我が子も二男の場合

何年か前に正月に帰省した時、

私が肺炎で、病院に運ばれて、二男は付き添ってくれて以来

その後、、、

正月は一度だけ、来るはずが、

数時間飛行しながら、千歳には着陸できなかった。

ヒコーキは、運悪く、U-ターンして羽田について以来、

「母さん、、、正月は帰らないことにする。」、、、宣言した。

4人家族が3人になり、、、又、いつの間にか

7人になり、

頼もしい集団になったが、

我が子の次男が

本州の救急病院に勤務して久しくなり

飛行機が、確約できない北国の冬を知っているだけに、

元日のお参りには帰って来なくなった

故に、

いつも電話で話して正月は過ぎてゆく。

電話をしたら、、、今年も

元気に勤務中だった。

本人が好きで選んだ職業だから、、、

一人ぼっちで過ごす正月も、

仕事に没頭していれば、

きっと本人は充実しているのだろうと思うから、、、

親は、「体だけは壊さないようにね、、君の分もお参りしておくからね、、!」

「うん!、、オンコールって言ってね、救急車が来ると仕事なんだ。」

「自分にしか出来ない事をやっているから、緊張感で、正月はすっ飛ぶよ。」

お父さんの若い日の元旦と同じことを言っている。

やがて、、、いつかは結婚すると思いますが、

正月も、留守の主人を、理解してくれる人である事を

祈って、、、縁結びのお守りを、一つ,、、

この次、君に元気をもらいに行く旅行の時

渡そうと、、、、

君の御婆ちゃんが、ママの結婚の時にくれたピアノの上に置きました。

御婆ちゃん、、、あの子を守って、幸せにしてやってください。

お参りは、いつも、家内健康、良縁に恵まれますように。

そして、、、交通安全の御札です。

主人も仕事人間でしたが、

次男は、外科ではないので、少しはマイホームサービスが可能かしら?,、、

チョット、、、普通のマイホームパパと違うタイプなので

包んでくれる女性と、

縁がある事を祈ってきましたよ。

家族と遠く離れているせいもあり、

寂しい時も、言いたいことも言えないかもしれないと思うと、

次男の事を、第一に考えてくれる伴侶が現れて、

結婚するのが一番良いと思いますよ。

子供が生まれると、きっと、父親も母親も同時に生まれて

他者を愛せる大人同士は、思いやりが出来る戦友にも成れますよ。

育児戦争、、、は、惜しまず夫婦二人で参加して、

子供との絆が、夫婦の絆もより強いものとなるでしょう。

神宮で、神様に話しかけていると思うかもしれませんね、、

お祈りですよ、、、。

家に帰ってくると、食堂のテーブルの脇の

大きなビニール袋に包んであった君子欄の鉢植えから

満開の花が咲いているではないですか?!!!

気が付かなかった、、、忙しすぎて、、、雪かきでへとへとで、、、

お参りは、一瞬の忙中閑あり?

花の呼びかけが聴こえました。

ありがとう!

元旦の三元日中に咲いてくれて、、、何か!良い事がありそうです。

初夏にも咲いた君子欄が、今は部屋の中で、ほほ笑んでいます。

 


マラソン

2018-01-03 13:52:27 | Weblog

 

あの、、強かった駒大も

山登りの凄かった順大も

シード権は逃したものの

マラソンは、実に、、、はらはらドキドキ

新年のTVに毎年釘付けです。

特に順大のアンカーは立派な走りを見せてくれました。

14秒まで、平地で詰めたのですから

もう、、、言う事はありません。

拍手をして、花のある走りに、、、新年おめでとう。

来年は、又、頑張って、マラソンに参加してください。

         お疲れ様でした!

 

それにしても、、、笑点の青山大卒の、、、あの人!

日本中のTV力を駆使して

マラソン日本一を自慢して、凄い応援力を発揮しましたが、

来年は、青山大を追い抜く大学が出てくると

盛り上がるのにね。

でも、、、青山大学って、粒ぞろいだから、、、

しばらくは、王者の座を守り、

座布団10枚は行くかもしれませんね。

私は順大を応援しています。

来年も、しっかり生き残って

マラソンを新年に観ますからね!

再び生まれよ、、、強い順天堂大マラソン!


次男の正月風景

2018-01-03 07:07:23 | Weblog

 

長男には、小さいころから

勉強をしなさいと言わないで育ててきた。

主人が駆け出しの新米医師の大学院の学生だったこともあり

アパートに日常雑貨を置いて、拠点とはしたものの

大学の医局の都合で、留萌、余市、夕張、函館、旭川、、、等々、

新米医師にとって、勉強になる症例をマスターする時期でもあり

今日は何処に行ったやら、、、の、

ローてぇーション生活の最中の子育てでもあり

息子にまで「勉強を強いる気にはさらされなかった。」

留萌出張の子育ては、3か月ごとの移動でもあり

幼稚園に入園することは辞めて、

主人の出張先の地方の文化を知ることを優先した。

幼い子は、すぐに新しい環境になじみ

すぐに友達らしい相棒を造り、すぐに忘れる移動生活だった。

4年目にようやく札幌に定着することになり

連棟長屋のど真ん中を、ローンで500万で購入した。

医局から、タフト大学への留学の話が命じられて

亜米利加生活になったときには、

連棟長屋の真ん中なら

生活一式、おきっぱなしで渡米できると考えたからでした。

ところが、予定の出発の日になっても、

帰国するはずの先輩が、実験の結果が出るまで

あと一年、米国に留まるという急な知らせであった。

次の年も、その次の年も、部屋に、段ボールを積み上げて、

帰国の時にすぐに生活できるように

整理して、出発に備えていた。

母からは、私と息子の分の生活費が送られてきた。

帰国して、病院に固定出来た時には返済しますから、、、と。

あるとき払いの借財をドルに替えて、待機していた。

しかし、日本に来た時も、若々しく、お元気だったはずの

米国の教授が他界してしまった。

人の命も、自分たちの運命も

明日にはわからない、、、夜半に嵐が吹くものである。

主人は、博士論文を仕上げて、

当時の東京女子医大の榊原先生から

良い実験だと評価をしていただき

榊原先生の、真っ赤な分厚い「心臓」の御本に

主人の事をほめて、論文は、引用された。

「もういいじゃない?」

母には、故郷に帰り、

私の実家を手伝うという約束で結婚したのだから

潮時よ!

私は、帰省できる運命の転換に、にわかに希望が湧いてきた。

3年生からであるが

息子も「幼稚園に入園させた。」

しかし、突電、、、外科医が欠員になった札幌のど真ん中の病院に

全く、、、突然、勤務医として勤めることが

医局経緯で決まり

主人は、たった一人で承諾した。

主人が固定するならと、

若手が合流してくださいました。

そうなると、、、医局で、教授選には出る予定にない大先輩が

院長として、何か月も後から赴任してこられた。

外科医が居なかった事もあり、

主人は、患者さんを集めるために、

大学の医師としては珍しい、、、草の根の努力を始めた。

往診も、真夜中の呼び出しにも、走り回った。

初任給が23万円だったのが

患者さんが増えてきて、

収入が増えるにしたがって昇給した。

外科という、部門がはっきりと機能するころには

43万円とか、、、もらえた事を記憶しています。

地方の病院は、ビックリするような給料だったと伺っていますが、

研修時代に、留萌では16万前後の給料だったので、

世の中の風評には騙されないで、

しっかりと病院を、自らの手で発展させて、給料を上げてゆくからと、

主人は、めちゃくちゃに働きました。

固定出来たおかげで、

長男に続いて、4歳違いの弟が恵まれました。

次男の誕生です。

月給もいただける、固定も出来てる、、、、

しかし、母と約束した帰省は無理である。

主人は病院の外科のエースだったからです。

万の困難な出来事も、主人が中心で解決するという戦陣だった。

上下の先生が生き生きとメンバーで居てくれたという為にも

主人は必死だったようである。

雪印の伝統あるその病院では

若い主人を実に上手に使いこなしていたと、、、

事務サイドの、全体の把握をする広い視点には驚かされた。

月給は、札幌である以上、天井は安いのは仕方ありません。

しかし、綿密な事務の統計で、患者さんが多すぎた時などは

事務長さんが、健康管理を兼ねて

ゴルフ場などに、日曜日は連れて行ってくれました。

若い主人は

「評価をしてくれる心にすっかりやる気が起きていました。」

戦後の、オール貧乏人の日本の状態は

勉強して這い上がる以外に道はないという、、、二男だった。

家庭環境も、男3人女性一人

サラリーマンの父親は、授業料でパンク寸前の進学家庭だった。

ゴルフなんか、、、打ちぱなしにだって、、、行ったことが無かった。

事務長さんは高級車で、ゴルフに連れて行ってくれては、

激務に耐えてる外科医のストレスを発散させてくれた。

「若い、、、ピークの、、外科医を、、、上手に使う事の総合力に脱帽でした。」

暮れには、ススキノに連れて行ってくれて、

慰労会兼忘年会に、最高のフグ料理などを食べさせてくださり、

留守番で、主人とは正月も出来なかった私の立場から思うと、

医者は自分しかできない状態で、

正月も、連休も出勤する事には

むしろ、医者冥利に尽きるというような、、、医者バカなところがある事を

その、、、事務長さんは、実に心得ていらしたと思いました。

月給の高いとか、安いとか、、、サラリーマンよりは高いわけですから

自給が100円であろうとなかろうと、

自分が居なくちゃ、、、この患者さんは死んだ!、、

どうだ!元旦だって、外科には怪我人が運ばれてくるんだ!

自分が出勤したから、命が救えたんだ!

元旦も電話のそばで呼び出しを待って仮眠していた若き日が思い出される。

家庭は、父親が居るのか?居ないのか?わからない状態で

不規則な帰宅だった。

しかし、、、若き医師だった主事は、

多分、、、時間給になおせば1000円あったとは思えないほど

病院が住所だった。

外科医としての腕も上がり、

患者さんは主人の名前を憶えて下さり

家族全員、、、知人友人、、、と紹介患者さんが増えて

月給も安定したころ、

連棟長屋のど真ん中は、不用品となり

格安だっただけに、売ってしまった。

家賃の分だけ、ローンが減っていた。

今度は、札幌に進出していたミサワホームランドの売り家を買った。

提携ローンという、便利なローンがあり

年利9パーセントという、バブルの最中利率で

とりあえず、一軒家に移動した。

23坪の手頃な大きさであるが、春と秋に23万円のボーナス払いが来た。

月々に10万近くの支払いと、ボーナス払いで

安定した収入が必要になった。

主人は、病院に固定することになった、

ミサワと言えば、昭和基地に頑固なプレハブで有名になって

人気が上がり、斬新なプレハブ工法は、評価が高かった。

高利率の提携ローンではあったが、

間違いないと信じて購入したものの、

当時は、栗林ミサワという、北海道のメンバーで組み立てられた。

もう、、、言うまい、、、本州の高度な技術のミサワの家とは

似ても似つかない、、、欠陥住宅だったことは、、、思い出すまい。

毎月起こる建築未熟からくるトラブルのメンテナンスに疲れて

おなじプレハブでも、

コンクリートなら、イイのではないかと、、、

大成の「パルコンを新規に建てた。」

之で、落ち着いて、すが漏れや、雪害で、窓も壊れることも無いと思っていた。

しかし、、、プレハブというのは

天井も、パネルの接合体である

防水技術が未熟だと、大成であろうと、ミサワであろうと、、

水は漏るのであった。

パルコンも本社の学者肌の、

何やら分厚い防水の本を出している社員が

夏に、あちこちの壁に石灰?に似た白い粉をべたべたと塗り、

屋上から、水をまき続けた。

壁は色が変わり、、防水のミスとにんていされ,

防水ゴムの上から、ゴムを重ねて、何やら、シリコン塗料を塗った上から、

モルタルをかけ始めた。ベランダだけ、モルタルを終えたところで、

パルコンは、来なくなった。

航空写真を撮ったとすれば、

ベランダは、モルタルの灰色で、3分の2以上の屋根の部分は

シリコン塗装というツートンカラーのまま

大成は、パルコン部分は引き揚げてしまった。

仕方がないので、

ベランダの上も、色合わせに、

銀粉塗料を買ってきて、

私自身が、丁寧に、モルタルの上から銀色に塗装した。

之で、、、空から見ても、銀色の屋根が、全体に完成したことになるが、

実は、大部分がモルタル塗装を未完成のまま、、、

ほーり出されてしまったのでした。

社印は入れ替わって、昔の人は何人かしか残っていませんが

本社から、水漏れの認定を受けるに至るプロセスにおいて、

北海道の社員に、強く抗議して、結局本社からプロの方がいらしたという

いきさつもあり、道内の社員は、我が家には来なくなった。

水漏れの後の、畳みも、交換に来ると言いながら来ないので

外していった二枚が足りないまま、、段差のままで家具に埋まっている。

もう、理想の家の事は考えないようにした、

しかし、、、ローンの上にローンが重なり、、、

主人は結局札幌に居残って、勤務する事が、ごく自然の流れとなって

私たちは、70歳を過ぎた今は、

年月の速さに驚くばかりです。

今振り返ると、、、

素敵な家を借りて住めばよかったかもしれないと思うのです。

家の購入は、良く考えた方がいいと思いました。

その作品が

会社の技術どうりに建てられていれば問題はないのですが

あたり外れがあるだけに

下手な業者が担当した者を購入すると

メンテナンスで、費用が掛かり、

結局は、別の家を建てるという事になり

生涯のローンになってしまい、

返済が終わった時には70歳という、

人世はあまりにも短く感じてしまいます。

主人は、、、あんなに働き続けても

遊ぶ時間にも恵まれづ、

パリにも、ロンドンにも、、、行った事がありません。

医学の為に、ドイツ、アメリカ、中国は、仕事で行きましたから、

ラッキーだったと思います。

やっと、纏まった休みも申請すればいただけるようになりましたので

家のメンテナンスは当分やめにして

元気なうちに、ロンドン経由でパリに行って

医者バカの人生から

円熟の視点に向けて、最後のチャンスの年代が来たと思っています。

家内とは、、、主人という着物の「裏地」であるだけに

気長に時の来るのを待って、

生きてきた地球の、皆が知っている国の

皆が知っている観光地ぐらいは観ておかないと

「医者バカ」は治らないと、、、私的には、、考えるのです。

今年の抱負は、、、

健康で、70過ぎても、、、行きたいところがある事です。

次男の話って、、、二男だった主人の、

真面目で。勤勉で、実直に、医師であること、医師をすることに

全力をかけてきた、生涯で、やり残した

ロンドン、パリでの、素敵な時間を取り戻したいという

世間の風評とはかなり違う、

医師の中の「医者バカ」のお話でした。

 

 


大晦日と元旦の映画と雪かきの正月

2018-01-02 04:16:44 | Weblog

 

昭和生まれなら、黒沢作品は知らないとは言えない。

眼がしょぼしょぼになるまでTVに漬かった大晦日から、

元旦は「マトリックス」に漬かりこんだ、

早朝、あたり一帯除雪をした後は、、、映画。

このあたりは、除雪がほとんど来ない。

高齢者ゾーンになった住宅地は、70歳過ぎた老人が

ゆっくりと雪を搔く。

元旦の年賀状も、主人の長年の年賀状文化に圧倒されている。

世界のニュースが飛び交う中で

情報社会になったデジタルな正月を過ごすのは

老人にとっては、受け身になってしまうのは

私だけではなさそうデス。

チャンネルを、「マトリックス」シリーズに合わせ、

コマーシャルタイムに、お節を祝う。

マトリックスとお節、、、不思議な組み合わせの元旦の今日は

かって、人気の爆発時期に観たマトリックスの伝えくることと、

ミサイルの飛び交う昨今、1月9日のニュウスの中で観るそれとは

番組を通して感じることが、大きく違っている。

地球は人間にとって唯一の星かもしれないが

情報社会になったマトリックスの世界では

もはや、人間たちの「コピー」だらけの、

狭すぎるせかいである。

地球を支配して、統制を緻密に敷くP、C

かって、孫悟空が、毛を抜いて吹いて、分身を創るように、

人工知能に操られて、人間のコピーが蔓延する。

人間の中から、生命体の持つ感情や感性が忘れ去られて

ほう牧牛の様な支配された人間軍が、コピー連帯を造ってゆく。

デジタルな人工頭脳の研究では

未来には廃墟のような大都市の姿が

何とも

哀しい。