今は、北海道の住民として、北大の開拓精神に改めて
歴史的な重さと、敬意と、数々の恩恵を感謝で受け止め、
構内を歩きながら、
北大グッズのペン皿などを買ってきては、安らぐ日々であるが
北大生の雪だるまが、、、雪まつりになった歴史は味が深い。
二男が東京に出て行ったときは、
遠くに行ってしまったように思って、さびしかった。
小学校時代の野球のユニホームやランドセルも、置いたままである。
ある日二男から送られた一冊の本!、
「白い航跡」など、順天堂大学の創始者や、慈恵医科大学や、緒方洪安庵や
松本良順、など、西陽洋医学の黎明期に活躍した医療の変遷がおもしろい
本であった、「コチョウノユメ」は実に司馬氏の力作で、3冊はずっしりと
歴史が盛り込まれていた。北海道には多くの愛読者がいることと思う。
読み終わったころ息子から電話が入った。
母さん、僕が東京に行ってしまったと思う前に、
北海道と、僕が入った医科大学は
「歴史の中でつながっている事が解ったろう。」
日本ばかりか、ドイツ、ヨーロッパ、ともつながり、
日本の医学界の進歩が「戊辰戦争」や「明治維新」の中で
実に、外国まで医学を学びに行った先達の努力があってこそ、
今につながっているだろう!」
僕はここでしっかりと医学を学びます。
必要とされる医師となります。」
あれから15年、、、母校で必要とされるスタッフになれただろうか?
まだまだ、、、40歳ぐらいまでは、とらなければならない資格や
発表すべき論文の生活が先なので、、、結婚は出来ない。
おもむろに、、、北海道と、本州との、医学の歴史考えていた。
:::::::::::::::::::::::::::
何と、、、「土方歳三」の妹姉の夫、、、つまり義兄弟の間に生まれた
有山氏の長男が、かの有名な「静岡病院」を開院。
函館と東京と静岡はつながった。その娘「越」さんの夫が、
ディズニーランドで世界中が知る「浦安」に浦安病院を開設。
知る人ぞ知る「佐藤泰然」先生は「松本良順」の父上!
松本良順はしばしばTVドラマにも登場する民間の知るところ!。
初代軍医でもあり西洋医学所頭取、小島養生所設立や
長崎でポンペイを補佐し。幕府の奥医師を勤めた。
日英同盟に尽力のあった「林薫」の兄でもある。
同じく弟の「林洞海」の娘「多津」さんの夫は!!!!!なんと!
「榎本武揚」その人である!(^^!
そして、、、孫の登志子は「森鴎外」と結婚している。
私は主人を促して「ドイツ」に行った。
「森鴎外」は「鴎外通り」があるほど
鴎外を慕う学生らが、一つの町内会のように、鴎外エリアが残っている。
つまり、、、ドイツとがっちりつながった。
東京、、、長崎、、、イギリス、、、北海道はここで繫がった!
さらに末娘「きは」の娘「よし」さんは、、、!!!
これまた、かの有名な「緒方洪庵」の二男と結婚し、
「緒形病院」を設立している。
緒形惟準は東京陸軍病院長として、
知る人ぞ知る西洋医学の先達である。
「よし」さんの姉妹の「もと」さんの夫は、、、
何とフランスの法学を日本に紹介している。
ここで日本とフランスは繋がった!
驚いてはいけない!、、、「もと」さんの娘の夫!つまり「婿」さんが
長岡半太郎であった!
何?長岡半太郎をしらない?
、、、顔を洗って、、出直して参れ!
日本の「物理」が秀逸な「土星型原子模型」を提案し
物理の世界に光を投げた有名な学者先生であるよ!
説明するのも失礼な私ですが、、、
サラブレッドは「血」で走る頭脳のすごさに
今更に「遺伝子」のすごさを思い知る歴史探索である。
息子を手放したという思いは一挙に無くなった。
こんなすごい先生たちの築いた「学び屋」に許されて入学したのですから。
その後、イギリスやフランスの病院交流会などに参加し、
「高木兼寛」の留学していた病院で「歓迎のゼミ」にも参加出来た。
医学は、大使館職員のように世界を繋いでいた。
帰国してから、中国四大中医学院での「学術交流に参加させていただいた、」
成都の薬草市場も視察できました。
チベットから、薬草をかごに背負ってくる文盲の人々が、
私のカメラに興味を示し、取り巻いてくる様子に、
医学とは別の意味で「漢方薬」の世界の必要性を考えさせられた。
その後、、、北海道の「陸別」本州の医科大学で「教鞭」をとっていた
医学者の「関」先生の博物館があるのを知って、泊りがけで観に行った。
地元には「関先生」の恩恵に感謝するフアンが残っていて、喫茶店を開いていた、 関先生は北海道と、本州をつなぎ、70歳から「十勝で優秀な牧畜」の結果を
出されている。
御子さんは、北大の農学部で北海道の知るところとなった。
また、お子さんの一人は、初代の網走の刑務所で、医師を務めている。
罪人といえども
「人の子であり医療を受ける資格を感じたのであろう!」
本州と、北海道はがっちりとつながっていた。
地方の時代は、こうして、本州から頭脳が飛んできている。
今ここで、根っこの部分の「親」のような隠れた頭脳のポケットを
「陸別に保存してきた、北海道の開拓の魂に敬意を感じました。」
親を踏み越えたり、叩きのめして自分が主張し、あたら大河の流れを
汚す風潮の、バブルの時代も過ぎて、先祖からのベクトルに、
北海道の新しさを積み上げ、他にない「味を出す」未来の孫達が
期待されますね!。
距離は離れていても、歴史を学び、東京の二男が隣にいるような
新しい感覚で、東京の息子を訪ねるこの頃です。
お隣さんの「東京さん」息子をよろしくね。
*******************************
僕がここで生きてゆく事は、
母さんが好きなとき東京に来て
ゆっくりすればいいということなんだよ。
日本は「地方の時代」と大声で叫んだところで、
地方の歴史をたどると、皆、
本州から行った人間の方が多いという事が解るだろう?!
高橋はるみさんも、東京の大学ですよね!
お母さんであり
美人であり
才女であり、、、
東京都札幌、中国を結んだ一人の女性の生き方として
札幌人の私は「フの一人」です。
歴史的な重さと、敬意と、数々の恩恵を感謝で受け止め、
構内を歩きながら、
北大グッズのペン皿などを買ってきては、安らぐ日々であるが
北大生の雪だるまが、、、雪まつりになった歴史は味が深い。
二男が東京に出て行ったときは、
遠くに行ってしまったように思って、さびしかった。
小学校時代の野球のユニホームやランドセルも、置いたままである。
ある日二男から送られた一冊の本!、
「白い航跡」など、順天堂大学の創始者や、慈恵医科大学や、緒方洪安庵や
松本良順、など、西陽洋医学の黎明期に活躍した医療の変遷がおもしろい
本であった、「コチョウノユメ」は実に司馬氏の力作で、3冊はずっしりと
歴史が盛り込まれていた。北海道には多くの愛読者がいることと思う。
読み終わったころ息子から電話が入った。
母さん、僕が東京に行ってしまったと思う前に、
北海道と、僕が入った医科大学は
「歴史の中でつながっている事が解ったろう。」
日本ばかりか、ドイツ、ヨーロッパ、ともつながり、
日本の医学界の進歩が「戊辰戦争」や「明治維新」の中で
実に、外国まで医学を学びに行った先達の努力があってこそ、
今につながっているだろう!」
僕はここでしっかりと医学を学びます。
必要とされる医師となります。」
あれから15年、、、母校で必要とされるスタッフになれただろうか?
まだまだ、、、40歳ぐらいまでは、とらなければならない資格や
発表すべき論文の生活が先なので、、、結婚は出来ない。
おもむろに、、、北海道と、本州との、医学の歴史考えていた。
:::::::::::::::::::::::::::
何と、、、「土方歳三」の妹姉の夫、、、つまり義兄弟の間に生まれた
有山氏の長男が、かの有名な「静岡病院」を開院。
函館と東京と静岡はつながった。その娘「越」さんの夫が、
ディズニーランドで世界中が知る「浦安」に浦安病院を開設。
知る人ぞ知る「佐藤泰然」先生は「松本良順」の父上!
松本良順はしばしばTVドラマにも登場する民間の知るところ!。
初代軍医でもあり西洋医学所頭取、小島養生所設立や
長崎でポンペイを補佐し。幕府の奥医師を勤めた。
日英同盟に尽力のあった「林薫」の兄でもある。
同じく弟の「林洞海」の娘「多津」さんの夫は!!!!!なんと!
「榎本武揚」その人である!(^^!
そして、、、孫の登志子は「森鴎外」と結婚している。
私は主人を促して「ドイツ」に行った。
「森鴎外」は「鴎外通り」があるほど
鴎外を慕う学生らが、一つの町内会のように、鴎外エリアが残っている。
つまり、、、ドイツとがっちりつながった。
東京、、、長崎、、、イギリス、、、北海道はここで繫がった!
さらに末娘「きは」の娘「よし」さんは、、、!!!
これまた、かの有名な「緒方洪庵」の二男と結婚し、
「緒形病院」を設立している。
緒形惟準は東京陸軍病院長として、
知る人ぞ知る西洋医学の先達である。
「よし」さんの姉妹の「もと」さんの夫は、、、
何とフランスの法学を日本に紹介している。
ここで日本とフランスは繋がった!
驚いてはいけない!、、、「もと」さんの娘の夫!つまり「婿」さんが
長岡半太郎であった!
何?長岡半太郎をしらない?
、、、顔を洗って、、出直して参れ!
日本の「物理」が秀逸な「土星型原子模型」を提案し
物理の世界に光を投げた有名な学者先生であるよ!
説明するのも失礼な私ですが、、、
サラブレッドは「血」で走る頭脳のすごさに
今更に「遺伝子」のすごさを思い知る歴史探索である。
息子を手放したという思いは一挙に無くなった。
こんなすごい先生たちの築いた「学び屋」に許されて入学したのですから。
その後、イギリスやフランスの病院交流会などに参加し、
「高木兼寛」の留学していた病院で「歓迎のゼミ」にも参加出来た。
医学は、大使館職員のように世界を繋いでいた。
帰国してから、中国四大中医学院での「学術交流に参加させていただいた、」
成都の薬草市場も視察できました。
チベットから、薬草をかごに背負ってくる文盲の人々が、
私のカメラに興味を示し、取り巻いてくる様子に、
医学とは別の意味で「漢方薬」の世界の必要性を考えさせられた。
その後、、、北海道の「陸別」本州の医科大学で「教鞭」をとっていた
医学者の「関」先生の博物館があるのを知って、泊りがけで観に行った。
地元には「関先生」の恩恵に感謝するフアンが残っていて、喫茶店を開いていた、 関先生は北海道と、本州をつなぎ、70歳から「十勝で優秀な牧畜」の結果を
出されている。
御子さんは、北大の農学部で北海道の知るところとなった。
また、お子さんの一人は、初代の網走の刑務所で、医師を務めている。
罪人といえども
「人の子であり医療を受ける資格を感じたのであろう!」
本州と、北海道はがっちりとつながっていた。
地方の時代は、こうして、本州から頭脳が飛んできている。
今ここで、根っこの部分の「親」のような隠れた頭脳のポケットを
「陸別に保存してきた、北海道の開拓の魂に敬意を感じました。」
親を踏み越えたり、叩きのめして自分が主張し、あたら大河の流れを
汚す風潮の、バブルの時代も過ぎて、先祖からのベクトルに、
北海道の新しさを積み上げ、他にない「味を出す」未来の孫達が
期待されますね!。
距離は離れていても、歴史を学び、東京の二男が隣にいるような
新しい感覚で、東京の息子を訪ねるこの頃です。
お隣さんの「東京さん」息子をよろしくね。
*******************************
僕がここで生きてゆく事は、
母さんが好きなとき東京に来て
ゆっくりすればいいということなんだよ。
日本は「地方の時代」と大声で叫んだところで、
地方の歴史をたどると、皆、
本州から行った人間の方が多いという事が解るだろう?!
高橋はるみさんも、東京の大学ですよね!
お母さんであり
美人であり
才女であり、、、
東京都札幌、中国を結んだ一人の女性の生き方として
札幌人の私は「フの一人」です。