花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

coronaを閉じ込めるのは、きっと!!、、国民の各自の対策だ!!

2021-03-31 06:18:38 | Weblog

2019年の12月、coronaの感染の嚆矢のように

私のパソコンにいろいろなメールが入った。

そのあと、メールが使えなくなって、、、今日に至っている。

メールの設定はややこしくて、その後メールは使っていない。

 

2020年に入ると、世界はcoronaの感染で

各国がそれぞれの「感染予防策」で、てんやわんやになっていた。

日本のマスコミも、半可通な報道で、

世間は正しく怖がることを通り越し、、、

政治がコロナを統括できるかのような、

実践の医学をしていない頭脳の錯覚で

教科書どうりに医寮はいかないことが解るまでには

政治の介入で医療現場がアレンジできると

考えがちな頭の良い人たちも

coronaの勝手に動く感染ぶりには

権力も、頭脳的指導も、すり抜けて

議員さんのcorona感染での落命には

もう、、、

感染現場の経験豊富な専門家や

医療の現場に精通した専門学者の分析を参考にするしかないと

マスコミも、、、

医療の組織の作り直しからしないと

保健所がパンク寸前。

いろいろあって、、、

都知事さん初め

北海道の知事さんも、市長さんも、

coronaから、日本を守ろうと必死になっていらっしゃる。

頭が下がりますが、、、

皆さんのTV画面の、、、お疲れの様子に

国民の一人として、、、心配しています。

頭も、人間性も、知事になられるようなマルチの知識人も

coronaの勝手でしょう!!!、、、と。

   新型出ました。

感染力は75パーセントはあるかな~~?

 

どうすれば、、、

医療崩壊が防げるのでしょうね。

主人もここのところ、、、

7000円におまけしてくれるタクシーで

疲労を避けて、免疫を低下させない工夫で

私も、タクシーを推進しています。

2回目のワクチンを受けて

重症化しないと、、一安心できるまでは

札幌のプロのタクシーで

疲れを休め乍ら、

免疫を低下させないように

疲れないように

外出で使っていた分はタクシーにお願いしています。

coronaは周りのアミノ酸が変化すれば

際限のない変種が生まれると思いますが、

思い切った3蜜を避ける政策で、閉じ込めてしまうと

  地域病として、、、地域だけでの特殊な疾患となれば

第二段階で、

地域病の撲滅に作戦がたてられると思えるのです。

我が家は、、、少なくとも、6月までは、、、油断しません。

coronaは、、、勝手に動くので、、、

   ウイルスの怖さを知っている医療人家族には

      国会議員さんの

       スケールの大きさが、、、coronaには

        裏目に働くという、、、ウイルスは怖いものですよね。  

政治をする職業の方には、、、デジタル会議やデジタルコンパは

    ピンと来ないかもしれませんが、

      今は、、、抑えて…抑えて、、、

    TV国会番組を、、、水掛け論にしないようにして

   coronaの代4波を防いでください。

  遠きに閉じ込めて、、、地域病にしてから

   完全撲滅に、、、させて、欲しいと思いました。

   

ありがたいのは、、、、タクシーです。

2回目のワクチンを受ける準備しながらの診療です。

主人は外科医ですので、女性の乳がんの手術も何例もしてきました。

組織も、病変も、♀で切り取り

読影した画像と、手術の感触と、

組織のすべてを切った仕事だけに

何十年も前の手術患者さんが

お婆さんになっても、、、

先生でなくっちゃ、、、って言って下さるので

身体の続く限り頑張って、、、、と。

兄も85歳で現役で、、、80歳で英検1ッ急に合格しています。

私も、主人が診療をしている限り

社会に役立っていることが

手ごたえとして、、手紙に、思いつづって

何通も来るたびに、、、医師をすると言う事は、

現場を知らない私には、、、聖域です。

医師をすることを家庭と言う舞台裏から

時間的にフォローして

医師にしか出来ない仕事に専念してもらえるように

機転が働くことが無くなってしまったら、、、

フォローできなくなったら、、、

私は私を辞めて、、、次の仕事を探さなければ 

役立たずの、、、寂しい婆さんが残りますね。

次の仕事、、、さ~~て、、、何を仕事にしようかね、、、

 

 

 

時間が早い時は、バスもガラガラで、、、バスで通い

深夜になった帰宅時は、タクシーを使っている。

札幌のタクシーは

  プロの運転手さん居てくれるので

       助かります。

     アクリル板で仕切った座席、

  窓を開けた換気、、、助かります。

     

 タクシー通勤で、当座のcoronaからの感染予防に

    我が家の全力を投じて、頑張ります。     

 

ベッドを数だけ確保すれば、

自宅で死んでゆく人が無くなるかのような

医療の外側から見た、現場を知らない半可通は

医療界の根本の組織作りを考え直さなければ

医療崩壊がおきて、、、

  入院ベッドは有った、、、

   ホテルも、入院室として確保した

     自宅待機も指示した、、、

      政治家の努力は

       目に見える物や、

        医療に関して、知識だけの豊かな

         良い頭で考えるから

           「貧乏人は麦を食べれば済む問題ではない」

          感染症の多角的な視点が必要な事を

         もっと深く考えて

        半可通な報道や

       検査も、腕次第で、誤差の出る世界だけに

      数字を盾にとって、、、政治の力でコントロールするも、、、

    相手は新型コロナ、、、変形、変質、、、

   たんぱく質の世界ですからね

  2019年の12月ごろ、

     中国の医師が亡くなった段階で、

       一帯一路、、、眠れる獅子は目覚めて

         まっしぐらに、、、イタリヤ北部に向かって

          獅子の道を走りだした夢をみた。

     過去の感染症や、細菌戦争の歴史を捲ったり

    日本の鎖国がなぜ起きたか?

   なぜ???マルコポーロ―が来たことと

  感染症がつながったか?

日本は、何故???東京で、

2回目のオリンピックをゲットできたのか?

 

    宇宙を目指す20世紀が始まっていたのではなかったのか?

 

    人間同士の考え方は

     かって日本の山と言う山には「お山の大将が居て!!」

      城をつくって、攻防戦の日本でした、。

        宗教も、戦争に勝てるようにと

            神社に参る武将の為にも

              神様の方で、

   勝負の神様

    恋の成就に神様

     安産の神様、、、

       病気をしないようにと健康の神様

        学校が、、、東大受かりますようにと、、学業の神様

  エトセトラ、、、エトセトラ、、、エトセトラ、、、

     神様って、、、本当に???居るの???

   わかりません。私にも!!

  小学校の頃は近所の教会に英会話を習いに行っていました。

其処では、聖書の話をしてくれました。

ギデオン教会って、、、

今もドンナ宗教なのか???。。。私は解っていません。

聖書が、英語と日本語の対訳で、、、

古文と言うか,、、古典の英語で、書いてあったりするので、、

古文を読むのと、同じ感覚で、「文学を読むが如くに」

皆が読むから、、、読みました。

聖書に中に出てくる「薬草を書きだすこともしました。」

聖書に中に出てくる病気を書きだしたりもしました。

しかし、、、どうしても、、、

イエスキリストが 

生きかえって

ヒトとして、???神として???精神の宿る魂として?

旧約聖書のエホバとして?

 混乱に混乱を重ねて、、、お手上げになりました。

 

しかし、、、地球のがん細胞のように

留まることを知らない人間の、権力闘争や

自己満足を求めての、科学の果ての宗教!!!

  coronaの感染を阻止するのなら、

エデンの園の、アダムとイヴに戻って

リンゴすら、食べない微笑で

  地球が有り、、、山河が有り、、、

 水の音、、風邪の音、 雨の音

 小鳥のさえずり、竹の葉擦れの音、、せせらぎの音、、、

原始人に戻れば、、、自然淘汰されて

感染するような、、、密の都会はありえなかっただろう。

  おっとどっこい、、、そうでもありません!!

 中国に古い原始時代のミイラが土中から出土して

近代人は、完全滅菌して、医学検査をした事件を

  覚えていますか?、、、

   いろいろな病気の跡が見つかっていましたよね。

  まして、、、電子顕微鏡で、、、姿を捉えたコロナウイルスは

   たんぱく質を作る、アミノ酸のお取り巻きが、、在るぞ、、、! 

coronaは人間の中に入り込んで、、、

人間の中で増え続けてゆく。

    肺がやられてしまい、、、呼吸困難

   体に酸素を送れない、、、

大都会がマヒするのとよく似ている。

大都会は、、、東京は

例えば、、、湿原の一望できる原野だった。

  明治神宮の杜をつくり、、、

    そこに、人々のこころの拠り所として

          神社が出来て、

            江戸の街から

              東京を見守る様な

   神様の時代、、、

  人はライ病に苦しみ、結核に苦しんだ

    ライ病は、ハンセン博士が「らい菌」を発見した。

    人種差別は無くなった今日!!

      ライのような、世間騒がせの病気も

     正体は「ハンセン菌」と解ったとたん

     専門家の意見とともに

      政府は打つ手を打って、、、人種差別は無くなった。

     平成天皇も、美智子様も、慰問に出かけて

      おそばでお写真に写られていた報道TVを

          拝見したことがあります。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

coronaの正体も、、もうすぐわかる時が来るでしょう、、、!

その時は国民の自主で、、、小さな地域の地域病として

           閉じ込めてから、、、

     撲滅できるのではないかと、、、

4月5月は、連休の誘惑に負けないで、、、

   6月には、、、雨が味方してくれて

     3蜜は守られてくれることを祈りながら

      医療崩壊と言う

     

     人としての、、、悲劇の無医地区にならないように

    お互いに、、、正しく、、、ウイルスの怖さを知って

      3蜜、マスク、手洗い、糖尿病の予防、、、

       各自で、、、頑張りたいと、、、思っています。」

      

        


椿三十郎、、、と、、、山本周五郎

2021-03-30 04:17:01 | Weblog

 

 

山本周五郎の作品は味が有るので、大好きです。

椿三十郎は、三船敏郎と、確か?山田五十鈴かしらね?

武士の時代の剣に生きる三十郎と

おっとりと、しっかりと、、、時代を生きる女性が

まるで椿の花のように思えたものです。

本日の三十郎は、息子世代の人気者の俳優さんと女優さん。

とっても面白かったし、、、楽しかったけれど

山本周五郎の独特の時代が伝わってくるというより

劇画のような面白さであり、

若さがはじける、色男ばかりで、、、

三船敏郎の「椿三十郎」とは。視点が違う面白さだった。

山本周五郎の、、、形にも、画面にも出せない人間三十郎が

伝わってくるのは、、、三船敏郎の作品の方だとおもった。

今回の三十郎の面白さは,、、あぶないでか、、、、

若者に受けそうな、切れの快活さが、在ったが

76歳の婆ちゃんには、、、周五郎の時代が伝わってくるのは

人物の動き、いでたち、表情、、、で

真っ赤な椿が大量に流れてくる、、、同じ場所、、、なのに

時代が人間が、、、周五郎を感じさせるのは三船三十郎だと思った。

元来、、、面白いのは、今回の方かもしれないが

感じる物の在るのが、、、三船三十郎だった。

76歳の婆ちゃんの、オリジナルな感想なので、

自分の為の日記メモなので、、、百人百様の思いで観るといいね!


土日はTVで過ぎました。

2021-03-29 00:48:56 | Weblog

なんといっても、、、大関に返り咲いた、、、感動が有りますね!

スキージャンプの女王様、、、鳥になりましたね、、、

高校球児、、、素地☝、、、ニュース、、、!

現実に戻るのは月曜日になってからにしますね、、、

柔道の名選手、、、忘れない、、、あの試合

そして、、、3月4月は移動の季節、、、

法律では抑えきれない、進学,、、進級の大移動!!

老若男女、、、皆、、、

    生きてゆかねばなりません。

、、釜飯屋さんの、

コロナ時代の

   生き残りへの現実の闘いが

       TVから伝わってきました。

どんどん閉店する近所、、、

  お店をされている老舗の苦悩、、、

そして夜になって、、、

笑点、、、笑点、、、笑点、、、ははははは、、、、

そのあとは…雲霧、、、チャンネル権は私にはありません、、、

でも、地味に面白いでしょね、、

「君の名は」の、昭和の映画は

   銭湯を、、、空にしたというには本当ですよね。

佐田啓二さんの息子さん、、、中井貴一さん、、、

延々と、、今までTV,,,眠くなったので、、、また明日!

    大泥棒の物語です、、、。

おやすみなさい、、、


行ってきました!免許更新の老人コース!

2021-03-26 07:29:05 | Weblog

他人から見ても、、、老人

鏡に映ってる顔も婆ちゃん、、、!

気持は、北海道に来た20代から変わっていない、、、

3年経ったら、、、東京に帰るんだと、、、あの時の気持も

東京での教習所に通った大学時代も

昨日の事のようです。

        

  試験が始まりました、、路上試験が、、、ドキドキ、、

初めて乗るプリウスは車幅間隔が解らない!

おまけに、、、試験所のS字道路は超狭い。

 

私だけではなく、、、ノロノロ運転の受験爺さんも

     受験婆さんも、、、

   ナメクジに変身させたプリウスを

のろのろ、、、ノロノロ,、、慎重さが200点もらえそうだ。

 

確かに、、、歳をとるという事は

「転ばぬ先の、、杖をつく」

下手なのでは無いのですよね、、、

    慎重になりすぎるだけ、、、。

 

だって、、、、皆、、、S字の道路を出たとたん、、、

「ナメクジ走行だって、、、誰が??」

  そんなこと、、知りませんよ、、、夢中に慎重だっただけ。

      スピード落としたのではなくて、、、

        脱輪避けるスピードで飛ばしたつもり!

         実態はS字コースは  ナメクジ運転(^0^)

 

           

      直線どろに出たとたんに、、、

            切れ味よろしく、

    一時停止線をオーバーして、、、停止するという

 

      この違い!、、、若さが甦る!!安全域ではね!!

 

         老人の運転には確かに特徴がある。

 

   私は、、、老人の杖を捨てて、、、スピードは落とさず、、、

     プリウスだって、、車幅は道路より狭いはず!

   我が家の車と、、、どこが違う?、、、と言い聞かせて!!

      同じだと思えばいいと、

鼻ズラの先を、、S字の道路のへりに乗せて、、、

   スピードをやや落としただけで走行、、、!!

何だ!

我が家の車と同じ方法でやれば、

ハシレル、、、ジャン、、ジャン!!

  狭いS字なんて、、、思ったほど、、、

   !!!!、、、でもあるよ

         m(--)m

        実は大変です!!!

 

       山道なら、、、谷底転落です。

 

          後輪が脱輪です‼!、、、

        やばい!やばいやばい、、、やばい!

        やばいでしょう!!!、、、

        こんなに道が狭いはずはないのに、、

         車は傾いたが、、、ここは試験場!

     次の瞬間道路に帰り、無事に通過しました、、、が。。、

       「冷やーとしました。」

     横には、動じない試験管さんが、、、

     たぶん、、私より

       冷や~~ート。。。。したでしょうね。

老人は、、やっぱり、、、スピードを落として、

ペンギンさんぐらいの速さで

S字の走行をすべきだった子もしれません。

頭は、、若いのですが、、、

反射神経が、若いつもりで走ると、

     ついてこれない。

狭くて、カーブのきつい試験場のS字コースに

      教えられた事は

      初めての人の車には、、、運転する機会を持つな!!

 

           

         更新したら、、、車の少ない時間に

          speedを、ゆっくり、、、気持ちを切り替えて

     走らないと、、、山道なら、、、谷底だと、、、

 

ヒヤリハットの、、、警告を受けた思いです。

 

頭脳は若いんです、、、だかっらって、、、

歳は確実にとっていることが、、、

       脱輪、、、自覚しましたョ、、、

 

後は規則を守り、、、若者に負けない若さの発揮で

合格しました。

誕生日前に、免許更新に行けば

   めでたく77歳の、御褒美です。

        

         もう一つの筆記はね、、、

        呆けてさえなければ、、、出来るから、、、

    試験と言うレベルには入らないかもしれませんね。

         16枚の絵を見せて、、、

     その間少しよそ見問題をさせるのですよね。

 

絵を見せて,、、すぐに、、何の絵?と言われれば

見たばかりだから、、書けるのですが、、

そうはしてくれないのですよね。

一旦絵の画面を閉じて

   数字だらけのページを

       捲ってください、、と言ううんです。  

「この中の2と 4と  消してください」

    目がちかちかして、気持ちが数字だらけになったころ、

「今度は、、、3と,、消してください!

線だらけになったぺージでは,、、

   斜線の無い3の数字は見えにくい!

その中の3を探しているうちに

   さっき、、、見せた絵は何の絵ですか?

 

このわずかな、、、数字だらけの時間が

 

  「目前の問題に切り替えて、戦ってきた」

      貧乏時間人の悪い癖が出た。

数字に全神経投与!!

    次の命令を待っていると、、

     九カタンつんのめりの

   絵の画面に逆戻り、、、

   さっき観た16枚の絵の記憶を、と、、、、言われても

    倉庫に入れて数字だらけのカギをかけてしまった。

 

     ホヤホヤの記憶が、、、出てこない。

 

       それでも、、、鍵穴から見えるように

     絵の部分が、、チラリと記憶の脳に帰り始めた。

 

    頭から、、数字の残像が消えた頃、、、

試験管さんが「ヒント」を言ってくれた。

 

        「ヒントのおかげ」で、

 

    記憶の脳にたどり着ける手がかりが出来た。

      数字だらけだった頭脳は、、、

             記憶の世界の

                ボルダリングを始めた。

     足がかり、、、手がかり、、、

     

    動物園 家庭、、、花畑、、、日曜大工、、、の

    ごく平常な、、、頭に戻った。

           さっき見ていた

              「絵の画面」が、、、

         「数字の目隠」をとると

       「真っ白な画面に」

      先ほど観た絵が現れるように」、、、

   思い出された。

スクリーンの絵を観ながら、、、

   私は勝手に映画の世界を重ねながら

           想像の画面の小物や、

        セット、、調度品として

         創作しながら、画面を観ていた。

その自作のシナリオが数字がとれた頭脳に回帰し始めた!。

      ****************

   「ベット」の傍に「バラの花」が有り、、、

  「鶏」が鳴くまで、、朝帰り、、、の物語、、

   この、、、「絵には出てこないダンディ」は

    家に帰って、、

   奥さんに、、「ペンチ」でおケツをつねられたんだ、、

   だから答えは、、「」の中のものですよね、、

かってにストリーをつくりながら

   自分で映画にしながら観ていたものですからね、、、

 

「ヒントのバラ」を言ってくれたおかげで

 

   16枚のうち、、、14枚ぐらいは、、、

  次々と思い出すことにつながった、、、

    76年使った我が脳の倉庫!

 

   「数字問題に目隠しされていた記憶の倉庫」が一挙に陽の目を見た!

   

試験官は、試験が終わってから、、

     発言されました。

「スクリーンに映った絵」が

     16個のうち10個、、答案に書く事が出来れば

          合格の76点はあるんですよ、、、と。

 

    それが事前に分かっていれば、、、   

       

絵を観たすぐ後に、、、

     「答の絵」の整理をして、

         漢字で書くか、

          カタカナにするか復唱をして 

数字の問題は、、、手だけ、、後ランダムに

      手に任せて、時の過ぎる瞬間を狙い撃ちして

         電話しながら、絵を描くように

   頭は先ほどの絵の記憶に残したまま維持し

        観た時のままの頭脳を数字でひっかきまわさないように

              記憶の現場を離れなければ、、、

         ほとんど記憶は甦りますよね。

            私バカよね、、、おバカさんよね~~

         目先に置かれた饅頭に飛びつくように

            全力で、数字の消去と言う問題を喰った!!

          気が付くと、、、数字の柿の腰が気になって

        あと3秒あれば、、、端っこの3が消せたのに、、、

         数字の画面はチカチカして、、、

             試験管が「絵の事を離し始めた」

           そのこと自体

        数字の消去と、絵の記憶の問題の

         つながりは、、なんだろうと?

           まだ、、、やり残して消せなかった3の事が

            脳を占拠していた。

          障害物競走のように、、、

      落語で、買い物を頼まれたボケさんが

           人に言われた事に左右されて

             人と会うたびに、、、頼まれた買い物と

           違う物に変わってしまうのを

            私は、、、馬鹿笑いして、、、楽しんでいたが

          今回の私が、、、はまってしまった

        記憶の不思議な、、、障害物数字のマジックは

            人の記憶のいい加減さを

         周りの騒音の環境で

     思い違いも、忘れることも、

          当たり前の習性に近くなるという

              老年期の

           記憶の、、、周りの人との繋がりを体験しました。

    若い時と違って、、、

      私は、、、誰からも愛されない年代に入るだろう、、、

       その時は、自分の記憶が頼りになるだろう、

         しっかりと自分の中の自分を

          客観的に診ないと、、、

          「記憶に、、、ございません」、、、と言う

          便利な言葉が通用するのは

           てっぺんを極めて、

      高い山から低い山を見おろせる人でなければ

          通用しない事は解るだけに、、、

      大局観の在る、、、記憶にございません、、、は

     老人になってゆく、、、の頭脳のケアを、

      自分で認識しながら、、、自分でケアしなければ

          落語を聞きながら、、、

     馬鹿笑いしている場合ではないことを

         実感として、、、解った瞬間でもありました。

      私だって、、、

  まんじゅうを頼まれて、、

桶を飼ってくるかもしれない、、、明日!

 

     これほど啓蒙する、、、記憶の警鐘は

試験と言うより、、、カウンセラーを受けたような

よそ見の危険を、、、思い知った瞬間でした。

北海道で、、、独りボッチの50年を過ごしてくると

    ちいさなことかも知れないが、、、未来が思いやられる。

 「母さんに、、御茶を頼んだら、、、弁当箱に、セールと札が有った。

    大意は無いが弁当箱を買ってきて、、、御茶を買い忘れた。

 

 coronaのこの2年間、、

   昼と夜の弐食分、、弁当を、旦那に押し付けるせいなのか

    濃い御茶を頼まれて、、、

    マーケットに入ったとたん、、、赤札が目に入った。

        弁当箱セール、、、新学期に新商品を!!  

        もうすぐ世代交代で

   孫の時代に運転免許が配られ始めます。

手放し運転が出来る車が普及するでしょう、、、

    スマホも、しゃないTVも、、、ゲームだって

     車の運転と、同時進行の時代が来るでしょう!

 

若者の、、、これからの命を、、、守ってください。

老人の私も、、安全運転に気を付けますが、、、

若者同士の3蜜で車運転する時には

運転を忘れるような、、、数字の世界が介入するように

友人の言葉の介入で

一瞬運転を忘れてしまうとか、、、

スマホを観ながら、、、ゲームの世界に入ってしまい

周りの「絵」に相当する環境が、、数字だらけになるように

ゲームの「ピカチュウ」だらけになって

信号も、、一時停止も、、、横断歩道も、、、踏切も

  頭脳の倉庫に移されたために、、、

 ピカチュウのポスターに激突しないとは限りませんよね、、

     記憶って、、、コワイですね!!

       周りの人の介入で、、、ぶれまくり、、体験!。

事故ることがありうると

   よそ事を考える、、、妨害が、、、

   数字なら、、ともかく

  助手席の彼女の声だったㇼ、、、

友人の「とばせ、、の世界だったり、、」

   スマホの手放し運転中のゲームだたりしたら

     大変だと思いました。

 

 

    むすこの居た帯広も、昔は、、日勝峠が怖くて

       ノロノロ走ったが

     今は道が良くなったと、、言われても

    自分の歳を考えて、、、「遠乗り」はしていません。

     老化を、、自覚で来た事は、、、

            注意深くなります。

              感謝です

   

   道路が有るという人を感じ

  信号で知らせてくれる人を感じ

  へき地に旅をしたときも、、

     交番で道を教えてくれるとき

    人を感じてきました。

北海道で孤独であっても、、、

日本と言う国は、、、寂しくありません。

、、、ビートルズが来た時の「日本の警察の警備」は

日本も、、、仲良しの国も、、、がっちり守るんですよね!!

交通規則さえ守って走っていると

76歳まで、、車は親友以上の友達で居てくれるんですよネ。

人様に影響するのが、、、数字の問題のように

   私の為に、、

   大切な時間の記憶をちょん切らない為にも

自主自立で、、、車は親友だから

   大切に乗りますね、、

ちなみに、、、認知症の記憶は、、大丈夫

     合格しました、、、76点以上でね!

         


高齢者免許更新の為の、、、見当識テストに行ってきますね!

2021-03-24 22:19:08 | Weblog

明日は2,021年令和3年3月25日木曜日!

丸暗記したから大丈夫!

76歳になると、、、運転免許所の更新も、、、

若い人のように、講習だけと言う訳にはゆきません。

明日は、、、見当識の正常である範囲の者であるかを

テストを受けてきます。

本日は、、、早く寝ますので、、、

日記は、、、これだけでス、

     お休みなさ~~~い


ゾロ品

2021-03-22 02:43:47 | Weblog

昭和20年代の事です、

戦争が終わって、日本中が、、、そろり、、、と

まるで、、、冬のから葉の中から

小さな目を出すように

人々は静かにしずかに、、、頭を持ち上げて

周囲を見渡し、、、復興への一歩を踏み出し始めた頃の思い出です。

     

爆撃に有った市ヶ谷界隈は、、、

父の実家が有ったところですが

戻れるところでは無かったのです。

 

母の故郷の紀州の山奥の、診療所に

      疎開した我が家は

         村落の施設の一つでした。

      高野槙の生垣で敷地が囲われていて

        庭には「銀モクセイ」と「ヤマモモ」の大きな樹が有りました。

   裏は田んぼが広がって、、、カエルの声がにぎやかでした。

田んぼの隣が小学校で、寝坊しても3分で学校に到着しました。

    疎開の人々で、どんどん人口が増えて、

      いろいろな地方の方言を聴くことが出来ました。

    先生も都会で教えていたようなレベルの授業をする場合が増えてきました。

 

にわかに増えた人口で、

村の中は、新たな復活の兆しが陽炎のように

   まるで冬枯れの木の葉を押しのけて新芽が見えるように

     空気の勢いが日ごとに増していた頃でした。

        

 

        

焼夷弾の落ちる串本の防空壕で誕生した私は

   祖父によって、出生届が串本の役所に記録されて、

              私の戸籍が生まれました。

     お爺ちゃんありがとう!

     

               お爺ちゃんは明治のなかごろのうまれで、

                現代の筑波大学の前身の

                 「青山師範学校」を卒業して

                28歳でカリフオル二アの大学校に留学しました。

当時の日本の家には、、、お爺ちゃんの家のような

白い横木で、おおわれていて、

     「べランダ」が玄関ドアの上にせり出していて

            窓が真上に持ち上げるような、、、家は

                    少なかったと記憶しています。

    地下室は、風呂桶の大きさの木箱が何十も並び、

         空襲に備えた食糧庫になっており

              井戸と、大きな2畳ぐらいはあると思われる

                洗い場が有りました。

     戦後は、鶏を200羽以上,、、ひら飼育をしながら、

周りを金網フエンスを回し、夜の安心睡眠の木製の小屋が、、、長屋のように建っていました。

毎朝、、、お茶碗とお箸を袋に入れて、

   産みたての「ぬくい卵」が食べたくて、、、

      畦道を走り、田んぼの上の道に駆け上がり

        お爺ちゃんの家を目指してだっしゅしました。   

   早朝の塵小屋の前には、

      コーン、貝殻の粉、糠、大根の葉っぱ、小魚の粉、、などが

        金属製ンpバケツに入れて在り、、、

              私は、いつものように、教えられた通りに

                 餌を調合して、V字に造られている、、、

             鳥小屋の端から端まで長い長い、、、餌箱に

              餌をいれながら、お婆ちゃんが、、、   

                      朝ごはんだよー

              呼んでくれるまで、、押しかけお手伝いをして、

    温い、、、卵を集める時間までお爺ちゃんにくっついていました。

             あの、、、幸せな世界から、、、雪深い北海道で

               雪と闘いながら、、、76歳!、、、光陰矢の如し、、、

         本州に帰ろうと、、、思わない日は無かった、、、けれど、、、

          子供たちを思うと、、、彼らは、初期設定が「雪の中の当たりが当たり前」

         北海道の良さは、スキー学習の為に、子供らと山スキーに行くうちに

        北海道の大変さの裏側の、、、ありえないダイナミックな遊びを知った。

           しかし、、、春になっても、、、てんこ盛りの我が家の雪山、、、を視るにつけ

     南紀の春を思い出してしまうのですよね。 

お爺ちゃんは串本に家が有り、

      その家は屋根の上に、、、物干しのスペースが有りました、

            終戦で、日本の田舎にも

              進駐軍のジープが走り

     子供たちに、、、チューインガムをくれたりしました。

       疎開先の南紀の山奥には

          都会から疎開してきた「インテリ」と言われる一握りの人たちが

         村には無かった文化を持ち込み、、

             戦後の復活へと導く、、、凛とした指導力が有りました。

         一方、、、田舎とか集落とか、、、

         地元の絶対権力者と言う世襲制もあるようでした。

             山にも、旧家の叔父さんに、、、

         仕掛け(イノシシ狩りや、獣狩りの自動罠)の場所を確認しにいてから

           藪のタケノコ狩りや、、、山菜集めに行かないと

          父の所には、、、仕掛けの弾が足にあたったという患者さんが

                     戦後のハプニングでした。

               イノシシが住んでいて、

       イノシシやシカを猟銃で撃って

          (仕掛け銃)や、鎖罠)

 

  その肉を皆に分けている「猟師」さんらしき人もいました。

                  白土三平の漫画のような世界もありました。

 

小学校に入学したころからの記憶ですが

 ジョウドウ校長先生と、、、

      生徒たちは呼んでいました。

        受け持ちの、眼がどんぐり眼の、、、

             女の先生は

          「山口先生」と言ったかしら?

 

  授業は上級性も一緒に、、、大根の収穫や

         泥んこの芋を掘っては

   水を入れた木の樽に入れて  

            交叉した丸太を縛った

               二本の丸太ん棒で

                  樽のへりに乗っかって

 

               右に左に、マルタを回すと

 

   芋にへばりついた泥が落ちて、

           紫がかった、、、サツマイモが洗い上がり

                   給食に使う食材料となるのでした

          

     お爺ちゃんの親戚は

          串本に点在していました。

            新宮には「パルプ会社」を経営している親類がいました。

               県庁に勤めている、、、偉そうな叔父さんもいました。

         そこの娘さんは5歳ぐらい年上でしたが

                  私にとったら,、、又従妹、、にあたるんだと

                      年上の、、、その女の子は言いました。

           和歌山と言う県は、、、本当に、、、親類が多いと思いました。

    親類だからと言って、、3蜜になる事はありませんでした。

   とても、、知り合いが多いので、にぎやかでした、

       

 祖父や、母に連れて行ってもらった串本には

当時としては珍しい、女性の歯医者さんもいました。

 

          祖父とはきっと親類なのでしょう」

              そのとき、

         すでに、お爺ちゃんは「金歯」が有りましたから

             

この先生に「いればを入れてもらたのだ」という事が

解りました。

 

         串本駅から10分ぐらいのところに

       親類にあたる「、、薬局」が有りました。

   確か、、、「S、、、薬局」と看板が出ていました。

 

            お相撲さんの小結のような叔父さんが店番をしていました。

            母の親戚という店の主は、、、初老の御爺さんでした。

            和服を来ておられて、、、喘息なのか?、

                  咳をしていました。

            薬局には、粉薬の「エビオス」と言う

              「薬」が置いてあり、、、常用しているようでした。

          「エビオスはの、、うッ、、、良い薬やでの、、、酵素ってしっとるか?」

            「酵素?、、、」「何なん㋧~~?」

               「酵素ちゅうんはの、、、良い薬や!」

               叔父さんは、繰り返し言いていた。

     串本の、あのおじさんは「薬剤師」やで、、、

        「薬剤師って?何なん㋧~~~?」

        薬局におる(いる)大人は「薬剤師」やで、、、

     子供のころ、、、初めて、出逢った叔父さんや、

                      おばさんや、

                        お姐さんのはるみさんは

                                薬剤師…でした。

 

         

店番をしていた小結叔父さんと

          奥さんと言うのは

          たぶん、、、

      咳をしているおじいさんの薬局に

  お嫁さんとして来られた女性だと思いました。

            

1歳過ぎの男の子を背負って、甲斐甲斐しく家事をしていました。

 

姑さんあたるのだろう、、か??、

           趣味の良い、、、

                エビオスの薬の、、、

                   ベージュ色のような

                       きものを着て、

               店の皆に采配を振っていました。

 

母は、串本や、しんぐう、御坊、、、和歌山市、、、と

親類を訪ねて、泊りがけであちこちに祖父と出かけるとき

小学生の私も連れて行ってくれました。

串本の街は、何回も連れて行ってもらううちに

薬局には、、、はるみさんと呼ばれていたお姐さんが居ました。

 

小結叔父さんの妹さんだと解ったときには

、、、まだまだ、、、いろんな人に会うかもしれないと

傍観していました。

やがて、、、次に串本に行ったときには、

3歳くらいの男の子に逢いました。

 

いったい、、、この薬局には、、、

         何人の人が住んでいるんだろう?、、、

 

だんだん興味が湧いてきたころから、、、

祖父も、母も、山奥の診療所が忙しくなったために

                串本に行くことは無くなりました。

十何年も経って、疎開先から、父の故郷の東京に帰れた頃、

1人の大学生が訪ねてきました。

 

串本の薬局で、、、

       走り回っていた3~4歳に見えた男の子でした。

東京の薬科大学に合格したと言っていました。

昭和30年代の事です。

薬剤師になるために、、、串本から、、、東京まで

出てくるのだと、、、驚きました。

和歌山と東京の間には、、、

薬学部の在る大学は沢山あるはずなのに 

親元を離れて、、、はるばる、、、大阪に出て、、、

東海道線に乗って、、、

トコトコと、、、はるばる東京まで来た男子学生が

幼いころ、

串本の薬局の店の中を走り回っていた幼児だとわかると

戦後の疎開先の南紀の風景が

          懐かしく思い出されました。

はるみ姐さんは

      歳の違う一番上の姐さんだと、、、

        その少年だった大学生になった学生が言っていた。

  思い出は串本の海の桟橋に飛んで行った。

海の傍の桟橋で、、、

    長靴を履いていたおっちゃんたちが

隣接していた市場で、

      大きな魚を解体していた風景も

                  想い出した。

    、、、あれは、、、クジラの解体風景だった。

     戦後の串本の浜には

          クジラが何十頭も、、、

      シャチに追われて、浜に来たことがあった。

        

薬局のお姉さんたちと、母と,、、

橋杭岩に行ったっけ、、、

「岩にまつわる伝説のお話をしてくれたっけ、、、」

   桟橋まで戻ってきたとき、、、

向かいに「大島」という、、、島が見えたっけ、、、

島と桟橋の間を小さな舟が行き来して、

   串本の漁師の叔父さんから船の歌を教えてもらったっけ、、

 

、、、ここは、、、串本。、、、向いは大島、、、

中をとりもつ,、、巡行~~舟~~は

   あらヨイショ、、、ヨイショ、ヨイショ、、、、

こんな唱だったような気がします。

      潮岬にも連れて行ってもらいました。

   この当時は潮岬には東大が有ったような記憶が有ります。

 

あrから、、70年以上たちました。

    振り返れば、、、

    50歳のころは、人生で一番大変な子育ての時期でした。

北海道の、、、井の中の蛙並みに、、、放任して育てた次男が

     国立を受験して浪人しました。

       医科大学の難しさを、、、イヤ~~~と言うほど味わった彼は

     もう、、父の卒業大学の北大の医学部にも、九州大学医学部にも敗戦!!

        私の母校の日大の獣医が受かった時、、、

   「よかったね~~~日大の獣医学科は名門だよ!」

     上野動物園の延長目指して,、、Go~~!」

   私は同窓生に成れる息子が急に愛おしくなりました。

   「よし~~~!今からゴリラを観に行くよ!!」

    二人は、上野のゴリラを観に行きました。

京都大学のゴリラの研究は有名ですが、、、

   チンパンジーや、ゴリラや、、、サルは、、、

       物言わないだけに、、、人間よりも、、、基礎医学が楽しいかも!」

私は一人ではしゃいでいました。

   3年目も浪人なんて、、、人間がすることでは、、、避けれるものは避けるべき!

私の決心は、医学部にこだわっていたら、、、音楽が好きで、、、のんきで、、、

     一生懸命だけれど、、、田舎育ちの道産子だけに、、、

           生き馬の目を抜く「受験のメッカのような東京の学生」と

              紙の上で戦っても、、勝ち目はない!!

          受験向きの環境としては、北海道の羊が丘の麓は,、、暢気すぎる、、、かも?

     この環境でも、遊びながら、、、道内一番と言われる

  札幌南高校に上位入学できたのに、、、

      そこから先は、、、「親力だった」

       受験に賢い親と、、、私のように,、、勤務してしまった母親は

              受験生にとっては最悪だったかもしれない、、、。

    受験生の親が、、、父も、母も、、、勤務で当直してるなんて、、、

       息子は、、、獣医学部で、医学を研究すればいいと、、、決心できた頃、、、

     奇跡が起きた!!

        私立医科大学の、トップから、、、合格通知が来た。

      この通知一枚で、、、息子には干渉しなかった父が乗り出してきた。

        その時点で、、、私は次男を、、、主人に任せざるをえなくなった。

     「医師の父親は、、、息子を医師にしたがるのは、、、孤独な科学者が

         理解してくれる息子が欲しいのだろうう、、、ネ。」

     今度は、主人の医師のもとに、、、医学生となった息子の世話を担当するべく

      2年生の時に、、、柔道部で、、骨折して以来、、、

         退職して、息子係の専業主婦となった。

    骨折さえしなかったら、、、青春は柔道部の仲間とともにいたかもしれません。

良い人たちばかりで、、、退部コンパを、してくれたそうです。

  解剖学に実習の最中の部活だっただけに、、、初めての実習で

      疲れ切っていた精神で、、、柔道をしたのが、、、状況を考えるという

  技に敗れた、、、骨折でした。

  学内部活の怪我だったことが、不幸中の幸いでした。

医師になる為には、、、患者になって入院して、、、すったもんだの経験は

きっと、、、素晴らしい授業を受けられたのだと思いますよ。

患者さんの気持に、、、そのままなれたのですからね!。

   ヒヤリハットの続く、、、医科大学の3年生までは

      母親は精神的に息子に振り回されて、、、

       薬剤師としての復職どころではありませんでした。

4年生に慣れた時には、、、これから臨床講義も受けられるし

   医師になる為の入門を許されたような、、、

       安心感が私自身の中にゆとりを持てました。

 

   

串本には、、、次男が医科大学の4年に進学する春休み

    今までのへんてこな、、、緊張を陵駕するために

       二人だけで、、、登頂成功を目指して、、

        スタンスを整えようという事になりました。

大坂まで飛行機、、、白浜まで電車、、、

そこで、、、格安の

シティホテルに宿泊すると、、、

息子が、、「ここまで来て、、、温泉ホテルに泊まらないなんて、、、」

不満そうな一夜を明かし、、、

レンターカーを手配してもらって

白浜の三段壁や、海岸寄りの観光道路を走り、

免許取り立ての次男に、、、ここなら運転しても

   車が少ないし、、、道路は良いうえに

     見晴らしも一望でき☜

    おまけに、、、スピードを出している車も無かった。

一気に串本に向けて、、、海岸を走り

     海中水族館に立より、、、

         クジラの弁当を楽しみました。

     北海道育ちの次男は

             クジラの弁当は初めてだと

      シティホテルのボヤキも治りはじめました。

   学生のうちに、温泉ホテルに泊まるよりも

  紀伊半島の自然は素晴しいので、地球ホテルのつもりで

   レンターカーで、、、走り続けました。

1時間もすると、、免許取り立てのせいなのだろう、、、

   町中に入ってくると、運転を交代して

     古 座から、、、

「街道を行く」と言う司馬遼太郎の本で、有名になった

    一枚岩に、、、息子を案内した。

                                     

      ここは子供のころ、疎開先の小学校で

        遠足に来た思い出の所です。

  息子は一枚岩を観て、、、感激して、、、河原まで降りてゆきました。

  一枚岩から、、古座川ダムに向かう途中でした、

    古座川ダムは祖父が町長をしていた時に造られたダムです。

    ダムの施工業者の若集が、、、

        どうしても出る怪我人の手当てに

           疎開中の父は外科医の腕を

               フル回転で使う日が続いていた。

   息子は、、、道路の左側に崖が続き

     道幅も広くないので、、、

       母さんの運転だと怖いから

        海岸沿いを走る方が良い、、、と言い出して、

  三尾川村に入る手前の

        明神あたりで引き返し

          もうちょっとの辛抱なのに

        古座川ダムには、、、縁をとりもつ旅は

       又次の期会にすることにして

          勝浦に向かいました。

 

             途中、、、那智の滝に立ち寄りました。

 

                                     

     医科大学4年生まで、、、やっとたどり着いた息子は

    那智の滝の前で、立ち尽くしていた、、、

   「日本に、、、こんなところが有ったのか!!、、、」

    しばらく、、、動かないで滝を見つけていました。

 

   北海道には、いろいろの滝が有ります。

     しかし、、、

     那智の滝では、、、神妙な気配を感じたのでしょう、、、

   本宮、、、新宮、、、鬼が城の奇岩を案内した後

         瀞八丁の船で十津川荷向かいました。

     奇岩、、、山々の清流を

       息子と二人で、、、ポンポン舟のしぶきを浴びながら

     奈良県に突入しました。

        あの日に、、、キタキツネは、、、巣穴に戻ることのない

            自立の道に向かいながら、、、医学の道の厳しさを体感して

         「結婚する、、、時間と暇が、、、つくれなかった、、、(**!

       母さん,、僕の孫は、、あきらめてくれ、、、

           、患者さんだけで、、、体力も、頭脳も

                   緊張の連続だし、、、

               守らなければならない者が居たら、、、ダウンしている、、、          

                 忙しすぎて、、、

          どうやら、、、医師をすることだけで限界のようですね。

             「医師をすること」、、、充実しているようですので、、、

               孫はあきらめましたが、、、いつかは、、、出逢って

            豊かな人としての、、老後を願いながら、、、愛情にも出逢いますように!!

         卒業した、、、感動の日!!

         あの日から20年以上たちました。

       息子は48歳になりますが

          独身で救急のドクターヘリの飛ぶ

           総合病院で、働いています。

               本人は充実して、病院のnお仲間に恵まれています。

    良い医療設備、、、優秀なお仲間、、、必要とされる医師となった事で

           私は充分、、、

        「神様がいらっしゃってくれた」と信じられますよ」

           

         北海道に帰ってくることも無いままに

   月日は経ち、、、独身のまま、、、

     48歳になりました。

       父、兄弟、、、主人、、息子、、、と

         医師をすると言う、、、

        本人だけの充実の世界に生きてゆく

           医療人の中の医師、、、芸術家にも似て

          本人が総てと言う、、、生き方の

           相続人は居ない、

         一代限りの医療能力ですよね。

                                             

                                             

        医師が、自分一代で、、消えてゆくとき

        世代が続くというのであれば

              臨床の経験の口伝が

         教科書では治せない命を救うように

                医師の家庭からは

             胎児のころから、

        医療環境に居る子息たちのなかから

          医師の臨床力が継承されてゆけば

            名医が出現するのではないだろうか?

 

            人間は「ITだけでは治療できない。」

         真摯に命と向き合うとき、、、家庭を振り返っている時間は無いようです。

           自分で、計画どうりに出来る、、自分の医療施設を持つのは

         もっと大変で、、もっとマルチの才能が無いと、、、出来ないと痛感します。

 

           主人も、息子も、大学関連のドクターヘリの飛ぶ基幹病院で

          意に血と対面して「医師をすること」を真摯に実行しています。

           事務や、経済観念にたけた経営サイドの

         協力が有ってこその医療体制のなかで

 

         医師も、薬剤師も看護師も、技師もコメディカルの

        医療チームのスタッフは

          全員が専門知識を発揮する時

            国民の健康は守られると思うのですが、、、

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             医師の土台の来し方の一例を書きましたところで

              本題の

             ゾロ品、、、と呼ばれる、、、ずさんな製薬で仕上げた

               患者さんの多くを救ってきた先発品のコピー製品の「薬」

          一生懸命に生きている医師と、おryぷ機関の医療チームのサポーターの願いは

               処方箋は、先発の薬品の後発品として

                患者さんを、先発品に劣らない薬効で、ケアできると信じて    

                  医師は処方箋を書くのですよね、、、!!!   

                   経済的に楽になるという、、、後発品と信じていますのに

        半可通な専門知識で、、、政治が介入したり

          経済の数字が先行する時、、、

          あの、、、後発品の大量回収の会社のように

                 医療組織そのものが   ゾロ品によって不信感になって

                  処方した医師は

                    ゾロ品のレベルまで

                      せっかくの医療の腕が

                         ひきさげられるけっかとなり

                      

                   ゾロ品の会社は、、、札束を空しく、、、医療と思ってしまう。

 

       水虫の薬のコーチング剤に、、、後発品が、、、

                       精神役を使って

                          死に至らしめていたㇼ

         今回の大手のゾロの会社の

             Ca拮抗剤で、、、全身に「薬疹」が出てきて

               皮膚科の医師が

          「薬疹と診断」するまで、

              血圧調節の為、服薬していたため

                 体中に軟膏やステロイド剤を塗布して、

                   湿疹の対処をしていた。

                洗濯物は熱湯で2度洗い直ししないと

                 木綿のシャツはネラネラの軟膏にゴミがくっついた

                ごま塩のような、、汚れがへばりつき

                 洗濯機がフル回転して、、、本当に、、、大変です。

              

         、、、原因が日医工のゾロ品とわかり、、、服薬を中止すると

                「薬疹は、、潮が引くようになおった。」

              主人は医師なので、、、薬疹だと言っても

                   後発品は患者さんに安く届けるために許可されているから

                 先発品と同じものだと言って、、、

                    私は薬剤師だから、、、情報は確かだからと、、

                   信じられない、、、同じ薬なのに、、、とぼやく主人から

                先発品に、変えてもらうように勧めました。

                      

                  薬科大学の時に「製薬」の授業で

              錠剤なども実習で造ったが、、、

                   吟味に吟味を重ね、、慎重にコーチングしたモノだった。

           複数の薬が入っている錠剤は

                  その薬が体内の酵素によって作用が引きだされるように、

              各臓器の出す酵素の溶解する計算までして

               幾重にも、コーチングの薬品は重ねて行き

 

                   狙った臓器で溶解(薬品がとけだすこと)するか?!

 

               条件の時間内に、

          疾患の治療目的の薬品量が溶解(とけだして)くれるかを

             実験に実験を重ね、、、

           精度の高い溶解度テストを繰り返すという

           薬学にとっても、コーチングは勝負であると言えます。

           昭和40年代は、、、機器分析が出始めて機械そのものが少なく

               ガラスケースの中の毒薬天秤秤で、0,0001グラムまで

            四捨五入と、繰り返し秤量と計算で

                とけだすイオンから、、、溶解度を逆算したモノでした。

         現代は、、、ボタン一つで秤量できる溶解度を、、、省くなんて、、、

                 信じられない、、、怠慢だと、、、思いませんか???

                   

                ゾロ品(後発品)は

               溶解テストを不合格になった薬品を

              あたかも、

                   コーチングのやり直しをしたかの如く

                再度の溶解試験で合格を出した

                     合格品として出荷していたという!!

 

               会社からの、回収サイトには

                     わび状が出ていたが、、、

                湿疹や、、、薬疹で済んだカラいいものの、、、

                      主人にもしもの事が有ったら、、、

                     そう思うと、、、ゾ~とします。

                薬品の購入は、、、

                   患者さんの健康を第一にセレクトして

               次に患者さんが支払いやすいゾロ品を

 

                  厳重な管理のもとに購入しないと、、、

               自分自身は薬剤師として、、、そんな

                     ずさんな錠剤はじめ

                数多の薬を、製剤するなんて、、考えられない、、だから、、、

              ありえないと、、、打消し打消し、、、使っていたが

                 薬疹は独特の出方をするので、、、判定できるのですよね!!!

                その後、、、医師の手によって、アレルギー検査をしてもらい

                   信じられないが、、、やっぱり!!ゾロ品のせいだ!!

                     主人は薬を中止しました。

                     先発品に変えてもらいました。

 

          今回の会社の報告サイトには、、、

                  保管温度が高かったために

             コーチング剤に使ったでんぷんが変化していたものもあったと出ていた。

               大手の会社だけに、

                 管理者の薬剤師の先生の判断なのだろう、、か?

                 不備なものは全部回収していた。

                     各薬局には50品目近い回収を連絡したと

                         後発品の大手の会社だけに

                   監督不行き届きの理由とともに

                       各製品を回収していた。

               私的には思う事が有ります。

                    40歳代の時に

                       ヨーロッパの薬剤師会のゼミに出席したとき

                   歓迎パーティを開いてくださり

                    その時イギリス人の薬剤師が言いました。

                        「ヨーロッパには

                    色素だけ扱っている薬局もあるんですよ、、、

                    薬品の色素の臨床データーもそろっている品目棚もありますし

                 生活に使う色素の環境からくる人体へのデーターのある店もあります」

                その時は、、、意味がよくわからないまま、、頷いて質問も出ませんでした。

 

               今回、、、調剤の色素について、、、もっとデーターが欲しいと思いました。

                    製薬会社と言う、、、専門分野の

                           信じられない手抜きが、、、

                       現場でなされている、、、

 

             現場は、高額な医薬管理の下で発売された先発品の

                オリジナルな、優れたところまで、

                   技術的にマスターしてから、、、

                    製薬してほしいものです。

 

               薬を辞めたら、、、湿疹も、薬疹も良くなりました。

 

                 今回は生命にかかわることが

                 全面には出ていませんでしたが

               「ゾロ品の怖さ」ですよね、、、

              コーチングによる溶解度の変化!!!

              使っている色素の選定

               コーチング剤の保管の仕方

               同時に、、先発品に準じて精度の高い粒子の大きさにもこだわり選ぶ!

                社内検査で、、、半可通の正社員でない者には検査を担当させない。

                 再検査はきちんと行う、、、

                当たり前のことを、、、守って、、、

                 先発品の薬効を持った後発品を、、、

             患者さんの医療費負担を少なくするという

               「会社のビジョン」は、、、どこに行ってしまったのでしょうか?

         どこの病院も、赤字経営ですが、、、事務系の経済を考えてくれることで

           患者さんの、常用する薬の負担を少なくすることに、、、

                    医師の皆も協力して

                     処方に後発品を書いていたのだと思います。

                  患者さんの負担を少なくするためにも、、、

              それだけに、、、

 

                 後発品は必要なシステムだとは思いますが、、、

 

            後発品の製薬を任されている

              「製薬会社の手抜き製剤は、、、信用問題です!!」

 

          患者さんの為に、、、医療費が安くなるようにと、、、協力した専門家を

                         裏切る様な、、、

                    手抜きの製薬をしないでください!!

 

           私は薬剤師です。兄も、姪っ子も、息子も、、、孫も、、、

                   薬品に馴染んだ医療に従事して、

                     人々の快適な健康人生に貢献したいと思っています。

 

            製薬会社が、、、真摯な実験を根拠として

                      溶解度テストに合格した薬を出してくれないと

                     赤字で頑張っている病院が

                       信用に傷がつきます。

 

             私は薬剤師です。

             認定薬剤師は6回の更新をしています。

            免許を持って居る以上、、、質問もされますので

              嘘は言わないという,、、最低責任を果たすためにも

             大学病院、研究施設、

               結婚後は、北海道の某大学の薬剤科、

              晩年は、大手調剤薬局の立ち上げ勤務。

                  そして

 

                  親族には6人の薬剤師がいます。

 

                   根っこの部分で、、経済優先のずさんな

                      後発品の製薬をやられると、、

                     患者さんや、薬局に来てくれた病人さんに

                   経済的な負担を軽くするという本来の目的からそれて

                 変化して発行したでんぷんでくるんだ、、、そのまま吸収されない

                   効力の変化した薬が出回ることになり

                       挙句の果てには

                   水虫の薬のゾロ品のように、、、後発品と呼んでもらえないような

                   水虫が治らないで、、、害があるという

                     信じられない、、、情けない結果になります。

 

                       信用を揺るがすような会社の在り方に

 

                          危機感を感じました。

 

            こんな、目先の利益に飛びつくような製薬のやり方は

              薬剤師にとっても、業界を揺るがすような 

                 情けない、、、「半可通の、、、薬品製剤の怖さです!」

 

         今回は、我が家も、、被害を受けました。

               色素も、定量を精密にして、許可された色素の臨床データーを得てから

             先発品の色素と違う色への変更をすべきだと思いました。

                 主人の飲んだ薬の、、、ピンク系統の色素が

                    アレルギーの原因ではないと言い切れるかどうか、、、

                           未だに、もやもやしています。

           許可された品質を厳守してほしいと思いました。

                  温度管理はでんぷんやジアスターゼであったとしても

                    管理が悪いと、変質したり

                       発酵したり

                       効力がうすれるのは

                          教養時代の常識ではありませんか!

 

                今回の事を

                  もう一回繰り返すなら、、、信用できません。

               今回、一新して出直さなければ、、、

                 「患者さんに、、、同じ薬効で、、安く買える薬」

                   それが後発品です!と、服薬説明が出来なくなりますよね、、、!!

              ずさんなゾロ品の横行は、

      突然、、会社の崩壊の危機に直面することにもなるだろう、

 

       薬に半可通な技師の手で造られた後発品のずさんな管理の薬には

          各臓器の各酵素によって

           治療となる薬が溶解しながら

           プロドラッグのように

       人間の身体に寄り添うように薬効が発揮されてゆく という

 

     薬学ならではの

         きめ細かい製薬技術が

                ミクロな段階で

 

             薬品の溶解度を一定にしながら

              長時間効力を発揮する

                 この技術で、、、お金儲けは報酬と言えると信じています。

          しかし、、今回の後発品の会社の

          薬品回収の理由には

             薬の緻密な科学の技術を無視した

            半可通な形だけ   似せた、、、ずさんな

 

              経済効果を優先させたコーチングには

 

            薬剤師として、、、もう、、、 失望で、、、心が傷を負いました。

                  

              この会社のやることはショックで信用できない!

 

               お金をかけないで

              薬品のコーチング材料も

       、、、でんぷん  麦芽糖、、、 ブドウ糖、、、、、、エチルアルコール

               保管条件が…物質そのものが変身するのが

                 常識的に解っていますよね。

              粗悪品を使うという、、、保管条件の悪さは

                  薬に生きてないという、、、

                  儲ける手段が後発品、、、と言うのは

                     医療人の心も

                      使命感からも

                        落第点だから、、、

                     大学なら、、、再試験ですよね!

               もうけ主義は、、、医療には向いていませんよね、、

 

             

            

           「医療の心」を捨てて、、、「経営優先」にする

 

                   会社の為の後発品の粗悪な製薬工程は、、、

                   「医療の従事者の心」に対しての冒涜だと思うのです。

           

                 、

               後発品のような

                    経済優先の医療をすれば、、、

 

                       日本は感染症だけでも

                        医療崩壊が起きるでしょうね、、、

 

                医療に従事する者は、、、

                嘘をするな、、、

                      と言いたいですね、

                 嘘を言うな、、、

             この会社のCa拮抗薬を服用していた主人が

                    薬疹が続きました。

                      某会社の水虫の後発品が

                        コーチング剤に

                       とんでもない薬を使っていて

                        生命を脅かしましたが

                     儲けに走る後発品の

                 半可通な製剤技術が、、、問題だと思います。

 

           一つの先発品の医薬品を世に出すまでの費用は、、、

                    億と言う

        膨大な費用が掛かり、、、やっと、、医薬品が生まれるのに

             真摯な研究者、薬剤師、、、、臨床実験データー提供の皆さん

                 血と汗の努力の結果の先発品ですよね。

 

               姪っ子の薬剤師も、ネイチュアーなどに論文を乗せていますが

            会社は特許をとるくらいの精密な先発品ですよね!

 

         後発品は、、、真摯な態度で、、、全力で研修を受けて、

              指導されたマニュアルのような、、、先発品にのっとった技法を研修して

                先発品製剤の方法を、、、学びなおして

                 指定された製薬方法で製品を製剤して、、、同様に管理して

                 世に出すべきですよね!!!

 

                 特許権が外れているのですから、、、忠実に製剤しても

                   利益はあるはずですよね、、、

                不合格になった品を、、、

                  再試験して合格して通過させる、、、

               しかも、、再試験検査した痕跡は見当たらない等、、、

                 信じられない管理ですよね!!!

 

         きちんとした正直な後発品を出しても

           莫大な儲けが有るはずです。

 

         医師の見えない日々の、日進月歩の中の研鑽に

         多くの費用が掛かり、、、海外を見聞し、学会に所属し

                 スタンダードな力を下回る様な医療は

                      在ってはならないと、、、

                    どんなに努力と費用をかけて

                   患者さんの信用に答えているか、、、

                    ゾロ品を世に出す製薬会社は

                     信用を、、、

           台無しにしていることが、、、解っているのだろうか??

               働きかた改革などの声も届かない激務の中で

                 信用第一に真摯な学問を根拠に、、、

                    処方箋を書いてくれているはずなのに

                  薬そのものが、、、いい加減では、、、

                    全部のスタッフの努力を 無駄にしていることですよね!!       

             こうした一部分の不心得者が、、、信用を傷つけます。

                   

             患者さんの医療費が安くいくようにと

                   先発品の特許が終わった段階で

                       後発品を作る事になったはずですよね、、、

                   素晴らしい、、、使命感に私は後発品を支持していました。

 

             ひたすら、、、反省して、、、

                技術で報酬を得ることに徹してください。

                  あきれてしまい、、、こんな会社ばかりではないはずですから

               しっかりした技術で、

                      安心できる後発品の管理を徹底して、

                患者さんの経済的な負担を軽くすることに

                     後発品の会社は意儀を見出してほしかったと思いました。

 

               薬は、、、信用が有ってこそ。。体内に入れてもらえるのだと!!!

                    プラセボ効果は、、、精神の信用から

                      神様が下さった回復力を

                        後発品にも加味できるように

                       信用を、、、もう一度!信用を取り戻して

                       薬代に苦しむ患者さんを支えるという

                          正直な使命感を要望します。

                      外科医の主人は薬関係者の私に、

                 大なる信用を持ってくれていたといういきさつ上!!

                        薬剤師の私は、、、

                        もう一度、信用を取り戻して

                         社会に、貢献できるビジョンで

                           医療を支える会社に納てほしいです

                      今日の日記は、、、心の叫びでした。

                     

           後発品の患者さんの医療費サポートに  

                     敬意を持っていただけに、、

                 大切にしていたものに、、、失望しました。

                 


昭和20年代の時代の、、、筋肉注射の思い出

2021-03-20 01:49:26 | Weblog

ワクチンは筋肉注射と言う事で

子供のころ、疎開先の父の診療所で

     初めて見た「筋肉注射の事を思い出した。

小さな「バイアル瓶」に入った

    牛乳のような白い液体を

             父の人差し指ほどの長さの注射器に吸って

見る見るうちに「インジェクター」は

     白い、、大人の人差し指のようになった、

        先には、、、金属製のブットイ長い針がついている!!!

その針は、、、まるで、現代の医療に使う極太の採血用の

        17号より太い「金属針」だったような記憶が有る。

その針を、、、お尻のタプタプした筋肉に、、、ブスリ!!!

大概の子供は泣きだした。

     私も,なんかの時に???

       何の病気の時か忘れたが

         お尻に,、、ブスリ、、、と

           ペニシリンの入った注射を受けたことがある。

       「(>_<)!!イタタタ、、確かにドンな痛さは有るが

    我慢しやすい痛さと言うか?、、、

 

         ともかく、、、劇的に効果の在る

              ぺ二シリン注射の針を

 

      それが、、、昭和の時代にウルトラマンのように

        病人を救える、、、ペニシリンだった。

その後、復興の日本は、

      貧困の戦後から立ち直りはじめ

        私の家族も、東京の下町に開業した。

父は若い時には「北大の農学部に生きたかった!」と言っていた。

しかし、、、戦前は自分の父が剣道は5段で

         宮内庁に勤務していたことから

   父のお父さん、、、つまり、、私のお爺ちゃんは

      東大に合格して、日本の舵取りに御奉公するか、、、

        外科医になって、国の銃後の御奉公をすべき「時!」と

  父と、弟のひろしさんに申し付けたらしいのです。

 

  木刀を持ったお爺ちゃんは、息子達に稽古をつけるのですが

  父は、打ち込む隙の無い御爺ちゃんに向かって

   為すすべもなく、、、いつも、「ァッ!」というまに

    「こて」を打ち込まれて、、、自分の木刀は宙に舞っていた、、、

 「お爺ちゃんには隙が無いんだよ、、、」

   結局、、、外科医になり、、、戦地に行き

        勇敢な兵士の医療的な支持をした

         

 

       女の子は、、、人数に入っていないのですが

         仕事が間に合い、、、弟のめんどうをみるので

          ま、、、居てもいいかな???ぐらいの待遇だった。

        ちゅうしゃのはなし

  6人の男の子と、、、2人の女の子の父となった、

    子供たちには、予防注射をこまめにしてくれた。

          その時は細い、、、小さな針で

        腕にしてもらった。

        皮下にするときもあった。

        ちちにしてもらた、、、種痘は

       76歳になっても

         しっかりと跡が残っており

       いつも父とあっ所に生きている

  現在は、、、もう、、、金属の針を使っていないのではなかろうか?

    注射そのものを、、、コワイ武器だと思いませんか?

          

        積もる話もございます、、

            注射の、、、本質をしらず,、、

          臨床的には素人です!

 

   インフルエンザも予防注射を受けました

        現代は、、金属製の針は無くなっても

       

   針の長さと細さはそうとうの種類が出現している。

     主人は筋肉が多くない方なので

         23号あたりの針かしらね>

           それとも。20号あたりの針かしらね?

     針の太さによって、筋肉の指す場所によって

              痛さが減ると思ったりしています

                  つづく

         筋肉のある人、、、、筋肉の無い人、、、

       婆ちゃんのように、、、骨川の人は

          あまり長い針だと、、、

         腕を突き抜けたりしたらと、、、

       漫画チックな想像をしたりしています。

 

        針についての詳しいサイトが有るんですよ。

    そのサイトの先生は、何種類もの針を、

         患者さんの筋肉の付き具合によって使い分け

         (>_<)痛いという、、、患者さんは

             少ないんだそうです、、、

         かかりつけ医も、、、こんな先生ばかりだと

          注射は、、、恐くなくなるかと思いきや。。。

             薬の種類によって、、、

          どんなに工夫しても,、、

        痛い注射が有るというんだけれど

         

疎開中は、ここに居る人の予防注射は勿論、、、種痘も

    父が一人で施行していました。

   父に、、注射を   してくれる人、、、が居なくて

     可哀想に、、、

     自分で自分の腕に注射をしていた、、、父でした。

    ペニシリンはイギリスのセントメリーズ病院の医師が

    シャーレに培地をつくり、、、途中で、忙しさのあまり

      ほったらかしていたのに、、、

        アオカビが生えて、、、その部分だけが、、、

          抗生剤として薬効を発揮していたのを

       みのがさなったというから、、、

        リンゴが落ちたら,、、拾って食べてしまう我とは

       根本に違いが有るのですね,、、

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             


医療関係者のワクチンが始まっています。

2021-03-17 11:20:31 | Weblog

                     

新型コロナの感染症拡大を防ぐ重症化を防ぐワクチンは

集団免疫獲得によって、医療崩壊を防ぐ予防法としては

世界が推奨していますね。

                         医療現場、、ドクターヘリの飛ぶ基幹病院勤務の

      息子が、法に定められたように

        医療現場のスタッフとして

        ワクチンを済ませたと言った。

 

先週のうちにワクチン投与の結果、

   アナㇷィラキシーもなかったし

     発熱も無い、、、

       軽い

        アレルギーの症状も無い

         筋肉注射をしたので 肩が痛いのは2日間は続いた

 息子からの電話連絡を貰って、

        高年齢だけに、

      緊張気味だった私たち夫婦はホッとした。

          

        主人もワクチンを受けました。

私は一般人に相当するので、かなり後になりますが

       ワクチンを受けた人の報告は

    過剰な緊張感をほぐしてくれるし

        リラックスして受けることが出来ると思うので

   変化が、、、少しでもあったら知らせてほしいと頼んでおいた。

 

 

ワクチンをこれから受ける人の為にも、

   とりあえず、一例報告になりますが

      主人の場合

       注射後30分は注射した近くに居たそうです。

   30分経過しても、アナフィラキシーも起きなかったし

   発熱も、呼吸困難も起きないし、

       9時に注射してから4時間後は

    持って行った、

      シンプルな「コメと梅干だけ」の

            昼食を食べたそうです。

6時間経過、、、、発熱も無し

           不快感も無し

         夕食には板のりと白米と梅干のおにぎりを

         食べてもらいました。

       出来るだけ、シンプルな食事をして、

        その日は、救急病院にすぐかかれるように

        当直業務をしながら、

           カルテの整理と統計をしながら

           めったにメールしないのですが

           主人から、4時間おきに

           身体状態をメールをもらえるように

            たのんでおきました。

          熱も無し、身体状態異常なし

        だるさや、倦怠感も無し、、、食欲もあり

         吐き気ナシ、、、

 

   「私からは、、、白米と梅干、、、のり,、の弁当2食作った。」

 

          それと、野菜の缶詰と、さんまのカンズメ

             子供のころから食べなれているポンカン

             

            普段と違うものは口にしないが

             刺激物は控えた。

        

     

    👉 ただし、腕を動かすと、

      「筋肉痛が有る」と言っていました。

体調は悪くないと言っています。

      今日は、、、体調がいいので

       いつもの時間に帰宅します、、、との知らせメールです。

 

  以上が後期高齢者の御爺さんの

「ワクチン接種後2日間の報告です、」

個人差が有りますので、

 

  前の日の夕方からはシンプルなお米食事にしています。

 

トイレを済ましてから、

    9;00から、、、

    コロナ感染予防注射を受けました。

当日は、白米と板のり、、、6時間様子を見て

      野菜ジュースのカンズメと

         さんまのカンズメを、食べたそうです。

      もうすぐ、、、タクシーをお願いして、、、帰宅しますが

   さすがに、、、メールのやり取りはこまめにしました。

 

    携帯電話も、、、久しぶりに、、、持ち歩きました。

 

       これから、ワクチンを受けようとしている

         高年齢の医療現場の先生も

          ご自分の番となると

         自分の中の「医師」の指導には

        優等生のように、、、繊細にしたがうのは

       新型コロナのワクチンの、、、アナㇷィラキシーは

        注射液に使われている「界面活性剤と言う説」もあり

       風呂上がりの男性化粧品を使っている主人は

          化粧品で感作されているかもしれないと

            ちょっぴり、、、緊張していたみたいです。

 

          私も、、、順番が来ればワクチンは受けます。

            本日の日記は、、、ワクチンの投与の後の

           2日間の経過報告の記録にしました。

             


孫の卒業は15日

2021-03-16 01:22:59 | Weblog

昼過ぎ、、、自宅に電話がかかってきた。

孫からの電話であった、

 

「今からばあちゃんちへ行っても良いかな?」

「婆ちゃんの所に?、、、」

 

爺ちゃんは病院でお仕事で居ないけど良い?かな?」

 

「今日は中学卒業したんだ!、、、ホヤホヤのたった、、、今!」

「婆ちゃんだけで充分だよ、、、

    爺ちゃんが仕事で留守なのは解ってるから、、、」

 

「おめでとう!、、、家にはあがってもらえないけど、」

「門のところで、記念写真撮って、、、

今日は、札幌も10度もあって、温かいから、、、

外で話そうよ、、、」

車で5分のところに住んでいる息子と孫が

 卒業式の服装のまま、、、やって来た。

おやおや?。。。。

     大学に行っているはずの長男にあたる孫も車から降りてきた。

 

「coronaのおかげで、、、学校での授業は無くて

                オンラインのデジタル授業だ」という、

           

「デジタル授業はどう?」

、、、、、、、、、、、、、、、、

      「ウン、、、

        キャンパスに行って

      友達をたくさん作りたいと思うけれど

        、、、、、、、、、、、、、、、、、

   、、、新型コロナや、

      変形した感染力の強いコロナの

          感染者が出始めているから、、、、

 

     デジタル授業が必用なのが解るから、、、

        自宅学習だけど

        一生懸命勉強してるよ!」

 

          一方、、、末っ子の孫は、

     優等生タイプで、

       しなやかなそつのない孫だ

 

      しかし、、、優等生と言うのは、

        物事を理路整然と学者風に整理するから

         高校の受験ランキングの方は高い。

 

         ノートもきれいだし

         研究的な思考もあるようだ、、、、が!、、、?

 

        

         可愛がられた育て方を受けている、

         親からも、拒絶されたり

         ひどく叱られることも、、、なさそうだ。

 

       石橋をたたいて、、、渡ろうとする確かさが

         

          厳しい道を説く気にもならないという

           

            仲間に、疎んじられる経験や、疎外される事の

         苦汁を飲まないで育つ場合が多いと思う

         

       

     私は、、、私立大学につながった高校も受けておくという事を

     息子達の受験には実行した。

     私立大学と言うのは、、、東大とか京大とか

       人生の生き残りの闘いで

       「金屏風になってくれる大学名は無いと思わねば、、、

      玉石混合、、、才能もまちまちの方向にプロ性を発揮し

        現場に間に合わない、、、役に立たない卒業生は

         就職できない。

         英語の論文は読めない書けないでもOKだが

         外人の言っていることが聞き取れない、、、

           [yes]   か   [no]で仕事にならなければ

        役に立つはずの技術の出番もゲットできない。

 

         私立大学の学生の親たちは、、、

               たぶん、、、

         学問で戦うことの難しさを知っているから

         社会で必要とされる人間を育てることを

             応援するという

        「学者の力を応用できる方向の知識」と

          現場と理論と経験の業と感の体験を

           積ませる努力をするだろう。 

       

            

       

     昭和20年~30年の高校受験は

    東京の方面では、私立の一貫教育の学校に

    裕福で社会的な安定した職業の御子息たちは

    進学するケースがかなりの率でみられた時代に

      私は、、、旧府立第7高女、、、

      弟は,、、旧府立高校、

       兄貴二人も旧府立高校

    一般の家は、公立に、、、ごく自然に進学した。

 

     理由は簡単です。、、、

           授業料金が安いことと、、、

      一般庶民の学校なので、

      登山や、スポーツ、勉強をすることで

         友だちは盛り上がった。

       金銭による「豪華さ、、贅沢さ、、、斬新なスタイル、、、

      クロスのボールペンなどを持っている生徒」の方が

      浮いていたという、、、

           居こごちの良さが有った。

 

          私立の一貫教育高校では

   幼稚園から一緒だったという学友は 

       青春の真っただ中の高校時代を過ごし。

         運動に、美術に、体操に、ダンスに

    子供のころから打ち込んでいて

       社会的にも「素敵なご両親」のもとで

         垢ぬけた、、、大人の香りを漂わせていた。

 

   高校生になったころには

        、友人としての絆、

              ライバル、、、

                相棒、、、

           クラブ活動メンバーとして

              その絆は、、、

         青春の宝物になりそうに、、、見えた。

           

 

           ::::::::::

          公立は公立の良さが有り

          私立は私立の、、、ユニークな特徴があり

 

       それぞれの豊かな

       青春時代の過ごし方に方向性があるように思える。

 

       価値観は異なるが

       公立高校に通学している生徒たちにとって

   高校と言う時期は、、、

       大学受験を控えているだけに

 

      クラスの隣の席の子は、、、ライバルであったりする。

      昭和30年代の東京の下町の開業医として

        戦後10年以上たって、、、里帰りで来た父です。

 

         

        仲良しの開業医の娘さんたちや

         ハイヤーの会社の社長さんの娘さん

          近くに住んでいた議員さんの娘さんらは

       「私立高校に進学した、」

              戦場から運よく帰還できた父は

           母の戦場でのPTSDを治すには

            母の故郷が良いと

           父は考えたのではないでしょうか?

         母の故郷は紀州の本宮まいりの

           時の天皇様や、大名の通り道の村落ですが

          川も、水も。風景も空気も、、、美味しい山村です。

         その山村の旧家の娘だった母は

              新宮高校を卒業して

            東京の国立音楽大学に入学して、、、

              卒業している。

     しなやかな、強靭な心の音楽家の友人たちは

          素晴らしい人ばかりで

           娘の私は

        「お母さんは、、、素敵な人なのに、、、

           どうして、、、娘のあなたは

            おとこのこみたなんやね???」

 

 

           幼年期を熊野の山奥で過ごした

          田舎っぺの私には、

           周りの人たちの評価は

             さんざんな、、、モノだった。

 

             

   授業は、、、大根育て、、、芋掘り、、、イモ洗い、、、

      小学校の授業中でも

    ゴンゴン、、、ゴン、、ゴン、、、B29の音がすると

    先生自ら、、、肯定に飛び出して行って、、、

     「生徒を呼んで、、、皆で空を見た!」

   「 もう、、、爆弾は落ちて来んさ鹿野、、、安心せえ、、、」

     家に居るときも,、、ゴンゴン、、、B29  B29

        音に反応して、逃げ回るのは、、、母だけだった。

     よっぽど、、、コワイ経験だったのだろう、、、

       それから、13年後

          父は疎開地を去って東京に帰って来た。

         私たちが、、、時代の教育が受けられるようにと、、、

         戦争で、自宅も、

       総合病院の院長だったすべてを無くした。

        自社ビルだっただけに、、、生活のギャップは大きい。

       そして、、、とうとう,、、戦場に行く命令で在った。

 

        周りの兵隊さんが、医師をかばってくれて、

          生き残れたようなものかもしれません。

 

         戦後17年・・・高校生になった私には

         無一文から、、、東京に帰還できた奇跡に

           感謝しかなかった。

          私なりに、、、教育こそ、、唯一の財産だった。

         公立高校でも、、、高校に行けるという幸せに

               感謝しかなかった。

          一方、、、

           東京はどんな時代にも、、、

              お金持ちと言われる

                桁違いの種族が住んでいた。

            公立高校を目指して勉強している私たち、、、

           あそばせ言葉で、、、バレーを習い

           名門私立女子高校へ行くのがステータスの

          お嬢様、、、しなやかな、、、上から目線の

            幼い貴婦人たちが、、、結構住んでいた。

 

      我が家は、戦争で焼け残った古寺を

          病院いするのならと、、譲ってもらった敷地に

            待合室、診察室、医療機械室

         入院室、、従業員室、、、厨房,、、リネンの部屋

           建物は大きくても、、、私の部屋などは、、、

             男の子優先で、、、あちこちに移動しながら

            片隅に押しやられた。

           男の子たちには家庭教師が英語を教えに来ていた。

         男の子たちは受験勉強に深夜まで殺伐たる緊張感で

           空気は凛としていた。

          思い出しても、、、

        受験戦争など無ければいいと思った。

           図書館で、英語を勉強する代わりに

          「チャタレイ夫人の恋人」などを

         辞書を使って読破した。

          噂はすごいけど、、、図書館に置いてあるだけに

         大したことはないな~~と記憶している。

       シェクスピア作品集の英訳を始めた

               野に咲くスミレ、、、うなだれて

              少女を恋して一生懸命咲くのだけれど

              少女はスミレを踏んで通る、、、

           スミレは

             踏まれてもいいの、、、少女に踏まれて

               足の下で死ねるなら、、、

           この詩の方が、、、チャタレイ夫人の恋人より

              グーと胸に来て、、、涙が出そうになった。

 

         そして、、、今度は、、、赤と黒、、、すげ~~~!

            私は男になって驚いた気分。

             そして大地、、、

          大地は手ごたえが有りすぎた。

        女性差別の時代だったこともあり

         3人の男兄弟には家庭教師が英語を教えていたが

        私は、、先生に、、カレーライスを作る役だった。

          しかし、、、図書館のおかげで

            英語の辞書も、英語の本も豊富に読めた。

           私は白い3本の白線のセーラー服の高校に入った。

          リボンは白では無かった、、、。   

             下町ではその高校は、、、

            皆が入りたがっていた。

             一方、、、

         セーラー服でも

         リボンを結ばないで、

       学校のワッペンが刺繍してある制服が

       お嬢様と言う、、、バラ園の向こうにある

        特別の女学校に見えた。

       

       たぶん、、

    学習院の女子部の高校だったのかもしれません。

       小学校6年の初めまで

      疎開地の南紀の山奥で

        高野山の競書会などで

         御習字を坊さんから習っていたㇼして

         木登りも、、、そり道も、、、吊り橋も

        猿のように、、、日常の遊びの延長で

             走り、渡り登って、

              類、猿人だったような子供時代は

      縦関係の子供らの集団の

        遊び仲間の中に居たこともあり、

            ついて行けない物は

            置き去りになり、、、皆が帰るまでの間は

          孤独と、恐怖に耐えるという、、、

          天然の上下関係のルールが、、、法律だった。

         

          お金持ちと言う、、、

        子供から見ると、、、

            ランクの違う友人は

         田舎の育ちの私には一人も居なかった。

 

        疎開地の山奥では、、、

          戦争で無一文になった父母がほとんどで

           七ゕ村の唯一の診療所の医師と言う事で

       ミカンや栗や、、、野菜や、、、川の魚が

        診療報酬でも、、、皆に分ける物が有るというので

         兄の御下がりを着た女の子のぼくちゃんは

         「お前んち、、、金持ちだろう!、、、」と

         妬まれていたぐらい、、、

               戦後は皆!!!

        、、、貧困者の、、、情けないほどの質素な社会だった。

          

         高校は、

      新宮などに行ける一部の旧家の子供たちだけが

        進学していた。

        高校を受験して落ちた女性は

    裁縫を学んで十台で結婚して母となっていた女性もいた。

       小学校は南紀、、中学は区域外の

           図書館が門のある学校に進学した、

       動機は簡単です!!、、、

        買わなくても、、、本が借りられたから、、、

        読み終わったら、、、ゴミにならないという

        最高の立地条件の中学が有ったから、、、

 

    せっかくの3年間は、、、時間がすっ飛んでしまって

      お互いに知り合う事の時間が無いままに

        卒業して、、、

      本だけは、、、読みたいだけ読んで

          友人と言うほどの仲良しは居ないまま

        卒業して

          ばらばらになってしまった。

          

      高校に入学すると、、、小学校の時

       毎日迎えに来てくれていた、、、

              クラスメートと

            再開した、、、が、、、

         区域外の中学を選んだ私は、、、

            話しかけられても、、、

            にっこりするだけで

           言葉は、、、

       「あら~~^よろしくね、、、又!」

          それだけにしたという、、、記憶が有る。

         

    中学、高校、、、大学、、と、、、

    一貫教育の学校に進学した生徒は

   長い、、長い、、、育ち盛りの20年間が

     多くの姉弟が切磋琢磨するように

       友人と言う、、、

         かけがえのない宝物を知るだろう。

 

       孫の世代に、、、婆ちゃんは、、、まだ生きている、、、

         孫の高校受験に、

       こうして日記もかけている、、76才!

 

          

         

        

         私立高校の、入学金や、授業料の事は考えなかった。

        奨学金も、入学金の借用申し込みも、していない。

           

     

              

 

    

       明日の発表を、、、待たずに

     「おめでとう、、、しっかり、、、高校生活を楽しみ

       大学に進学した時には

          高校からの一貫教育でしか得られないような、、、

  友だちをつくってね!!、、、」

           良い友達は、人生の宝物だよ、

     それだけ、、、心に思い浮かべて

    明日は、進路が決まると思うと、、、

   決まった位置で、進路と希望を夢に託して

     頑張ってほしいものですね!

 

         外国の進んだ国では

  進路は、、、高卒であれ、、、大卒であれ

    自分の道を歩む過程で、、、出逢う人の中には

   運命の出会いをすると言う。

           

        

        外国の場合は、好きな学校に進学しても、、、  

         卒業は、、至難の業であるという

 

           子供時代から、、、大人の世界への

          通行手形は簡単には入らないという、、、

 

         朝三暮四か、、、たらふくあそんで、

       受験は合格したモノの卒業できず、、!!

 

      受験を青春にしないで、

        青春時代に、

     自分の生きてゆく手段を取得する方向に生きる人生って

     一部の親たちは気がついていたようだ。

       日本はそのような、、、せしょうな、、、システムの

          高校も大学もほとんど聞いたことが無い、、、

         受験戦争で、

          選抜されたものが入学するせいかもしれません。

         でもね、、親が経済力さえ保証されるなら

        エスカレーターで

        小中高の一貫教育や

        夢に向かっての

   生涯を通しての「学友」を得られる、、、高校など

       友人が出来る高校生活って、、良いですよね。

 

   その出会いを大切に、、、学びの意味が

    変わってゆくはずです。

           

 

       

  

 

   

     學校は今日と言う15日に卒業式をする

 

明日が、公立高校の合格発表だからだろうう。。。

 

親の経済力が育てる、

     個人的な魅力のある

      ある種の力が

        合流する大学で、、、

    自分の未来にふさわしいと思う道に進んでゆく。

   親友も、知人も、、、大学を卒業すると同時に

     生きねばならない、、、人生の戦場に、人は分かれてゆく。

  どんな学園の生活でも、、それぞれは

       かけがえのない、、、見えない財産を身に付けて

         大人の社会に入ってくる。

       どこの大学を出ても、

         就職率の100パーセントの国になってほしい。

       日本の社員で、勤務地が外国のデジタル勤務で在っても

      面白いよね!

        大卒で、、、就職の無い国になる事だけは

            青白きインテリ時代の再来になるから、、、NG!!

       思いやらねばならない、、、

          若者の、、、不安な時代を、、、

 

      学校も、今日という、、、絶妙の日に

        義務教育の卒業を、

               両親にも、

                 友人にも、、、

                  爺ちゃん婆ちゃんにも

         義務教育卒業式の門出の孫を

            送り出してくれた。

     ************************

     ともかく、、、今は、、、家の中より

       札幌の青空の下で、

         息子家族の卒業式を

            3メートルずつ離れて、、、

             マスク越しに、、、

          「卒業式のお祝いのひと時」を過ごした。

       

昭和38年、東京都立高校の二人、、、誰でしょう?この二人!

     日記の著者の高校生の制服です。

          あれから60年近く経ちました。

         北海道の高校生が、、、又、、出発します。

          時代は、、、孫が高校生の時代です。

       私立でも、公立でも、、、どっちでも、、、素晴らしい!!

        それぞれに、、、特徴がある。

          高校時代の友人がそのまま大学生になって

           仲間の居る大學も、、、最高ですよね!!

          パソコンで、

       ハーバード大学の授業も受けられる今日に

          目先の学力もさりながら、、、

        私立の高校の大学までの一貫教育の面白さが

         先生次第だと思うのですよね、、、

         生徒にきめ細かい指導をしてくれるのは

         私立のような気もしますね。

 

        成熟した自立心の強い子は公立で自分が決める方法で

       授業に付て行き、先生を追い越して、、

         未来の世代を世界と共存共栄しながら

          リードしていって、、、

          平和な地球を取り戻してほしいものですね。

        お茶も、御菓子も、昼ごはんも出せないが

       並んで、記念写真を撮って、

         すぐに、又、、、間隔をとって、、、

             10分ぐらいは、、話したろうか、、、?

 

      今日で、、孫は3人とも、、、義務教育は終了した。

          

       息子よ!!!おめでとう!

     息子の奥さんにはとっておきの、、、

              ブレンドコーヒーを

            孫に持って帰ってもらった。

          

        coronaの収束が待たれますね。。。

       その時は、、お祝いの食事会も

        一緒にしたいものですね!!

          coronaの感染の怖さを考えると、

         卒業祝いも、、、略式の戸外の撮影会で

           済ませることも、、、

          やむを得ないと思うのでした。

 

        

   

 

       爺ちゃんはお仕事なのは解っているから!」

      高校は、、、進学出来た高校が、、、

       その子にとって

         一番良い高校なのだから、、、

     学力で、若き青年たちを分類するのは

      日本の受験の、、、

     「教育と言うジャンルの決めたこと。」

         教育界の価値と

         社会に出てからの価値は、、、大きく異なるから

        高校のランキングで、慢心したり、、、萎縮したりは

       大人たちの、、、世界の、、、過去の評価だと心得

         新しい時代の、、、新しい世界と、交流しながら

        ここは日本と言う、、、大切なものは世代を超えて

        守っていってほしいものですね。

            今日は、、、TVで

 「たそがれ清兵衛」のTV映画を見た後では

      視えない身分制度の為に

        人として

        素晴らしい人物が、時代と、身分制度に

       翻弄されて、時代の大河に流されながら

        きらりと光る心の交流が

            娘たちの心を育てていったのが

       救いだった。

         TV映画を観終わった後、、、

           自分では、、どうにもならない、、、

        生まれた場所

          時代、、、

             貧富の差、、、

              権力のようなもの、、、

      高校受験、、、と言う、、、

        義務教育の終わりの日に

      世界の数多のベクトルの方向から

       ITはベクトルの方向を刻々と変える中を

         来るべき孫の時代は

           社会にとって必要とされる能力を

        一つでよいから、、、持つことだと、、、

         ふと、、、自分たちの70年を振り返りながら

         後は、、、ぴんぴんころりの、、、

           人生で、、、孫子の足を引っ張らないことだと

        思ったりした。

 

       今日の後半、、、「たそがれ清兵衛」の

        魅力のある映画に、、、日記は、、、

       何を書いていたのか解らなくなってしまった。

 

     りえちゃんの美しさ、、、

      岸 恵子さんの、、、

       エキドチックなあでやかな成長した娘さんの姿が

        一見風采のあがらない貧乏50石の武士が

          育てた娘の美しさで、、、

      清兵衛の、、誇り高い人生が生んだ時代の子供を

          かくも美しく育てた

           幼馴染からの真実の恋が、

              双方ともに苦労の末に出逢って、

           りえちゃんの心身共に美しい女性を演じているのが

       清兵衛の短い人生の見事な花を見たような

                    花の命の短く美しい

                  ため息が出ました。

               おやすみなさい、、、  

          教育界のランキングは、、、大切なことが

         点数化できないという事を、、、

            たそがれ清兵衛のTVから、、、

           ツタワッテくるようだッタ

           婆ちゃんの、、、心、、、伝えられるかな??

          大切な心が、、、

         点数では、、、順番がつけられない。    

        

        

     

 


春先の気のゆるみで、三密になることをグ!!とこらえよう!!

2021-03-14 02:59:04 | Weblog

2021年の春に向かって、、、ややもすると

coronaの感染予防の緊張感が

雪融けのように、、、緩みがちですよね。

今日も、玄関周りの残氷割をしながら

しばらく、、、

食事も一緒にできなかった、、、孫子の事が

ふと気になりながら、、、

此処が我慢のしどころと、、、独りぼっちの世界に帰ってゆく。

早朝8時にふと、、、TVチャンネルを札幌局にした。

創立30年以上になる

手稲渓仁会病院の

       救急対応と

         重症で運ばれてきた患者さんの検査で

            救急の処置と、

       corona検査陽性の感染予防対策を

             同時進行させながら、

 

      激務中の病院内の映像が映し出されていた。

 

coronaの陽性の患者さんだ!、、、、、と解ったとたんに

          大勢の人出がかかり、

             感染防止の為に

        個室に移動してゆく様子が映し出されていた。

        個室はコロナの陽性患者さんによって使われるので

 

        平常時なら、入院が必要な緊急疾患の患者さんは

          救急車搬送されてきても、

            手厚い救急処置を受けられるから

              病院の機能は正常に作動することによって

            市民の健康は守られてきた。

            

             

救急で命の境目の疾患の患者さんが

本来なら、救急処置をスムースに受けられて

入院も出来ていたはずが、、、

                           

運び込まれてくる患者さんが

救急処置と、

        corona対策の処置と必要とする為

                           看護師さんも、

                                 普段の何倍もの人手がかかる患者さんに

激務を余儀なくさせられる結果になっている様子が

   TV画面を通して、

                           茶の間にも映し出されていた。

 

医療崩壊とはどういう状態のとき起きてくるのか???

 

ありのままの様子で、、、お茶の間に届けられた映像は

corona感染予防への真剣な市民の

                                     各個人の注意力が

                                 医療崩壊を防ぐための、、、

                             需要であり、、、かつ、、

            ポイントに近い協力となる事が

 

   ありのままの現場の映像を通して

 

        76歳の婆ちゃん事、、、私にも

         緊張感を持って伝わって来た。

 

市民の健康生活に、

   基幹病院の救急処置を必要とされる患者さんが

    救急車で運ばれてきたとき、

      coronaの感染症患者で

       ベットも満杯で、

        看護師さん初めとして、医療スタッフが

         1人のコロナ患者さんの周りに

               まるで

          磁石の周りに吸い付けられる

           安全ピンの塊のように

 

         そのピンは、、、ほかの何ものにも関われなくて

 

 救急医療が必要な一般の疾患の重症の患者さんを

         運んできた救急車は

          医師も、看護師さんも、医療スタッフも

           coronaの患者さんに吸い寄せられているため

              どなたも、

         本来の医療を必要とする患者さんに

            かかわれなくなるという、、、

           断るしかないという現状が映し出されていた。

 

         市民は急病になっても

            救急車は引き受け病院を見つけられないという

             安心できない状態が

 

        「医療崩壊の前兆であることが、、、伝わって来た。」

 

                  各自が、

        corona対策に真剣に取り組まないと

        市民の急病人は行き場がなくなるのだという事が

        TV画面の映像を通じて、

            緊張感を持って

               お茶の間に伝わって来た。

 

          「春だ、、、ルンルン、、、食事会にgoーーー!」

         ウキウキし始めた私の心は、

        氷の融け始めた「つらら」で、、、

            ひっぱたかれたような、、、

         冬の緊張に逆戻りした。

 

         15日は、、、中学卒業の孫の末っ子が

         「婆ちゃん所に行くから、、、」と

         言ってくれてはいるが

 

         今回も、門の所で、

              記念写真を撮影して、、、

 

        お祝いの食事会は、、、6月過ぎてすることにしよう!

 

        病院の現状をTVで観ていると

         絶対に後悔しないように

         3月の雪融けの季節には

        コロナ対策の気持まで、雪融けになるのは止そうと!

           啓蒙されるものが有った。

 

           確かに、、、普段なら、、、

               重症の患者さんは

                 救急処置を受けられて、、、

           入院できるはずであった。

 

               それが、、、

    運び込まれてきた救急処置の必要な患者さんが

     検査と同時に、、、corona陽性であるという

      映像は視聴者に、、、現場の医療人の厳しい現実を

           伝える画面が続いた。

 

         救急処置のほかに、

     corona感染予防の業が要ってくる様子が

 

        画面の完全な滅corona防御服の装着が

            映し出された時、

           現場で働くスタッフの

          汗だくの闘いが思いやられた。

                 札幌の住民は、

               今後、安心して

        普通の疾患の処置や入院を受けられる状態の病院に

            もどってもらうためにも、

 

          この春先からの3蜜は、さらに気を付けて

         普通の救急患者さんが受け入れられて

           本来の病院の役割が果たせるようにと

               協力することが、、、

            coronaの感染を、これ以上増やさないで

          収束に向かう努力をすることですよね!。

          「 医療崩壊」と言う

             必要な医療が受けられなくなる恐怖から

           病院を救えるのは、

     1人1人の市民がコロナに感染しない事ですよね!!

 

      救急車のたらい回しを防げるのは、、、

       市民が、、、心ひとつにして

         マスク着用、  手洗い、うがい

             3蜜を避ける事、

           不要不急の外出を避ける事で成し遂げられる

        感染予防への自発的な協力が

            医療崩壊を防ぐことへの、、、第一歩!

        TV画面を通して、、、啓蒙されるものが有った!!

 

       先生方を先頭に、

    スタッフは激務に追い回されている様子に

        言葉がありません。

 

     1人でも多くの医師や看護師さんが

        現場において、

     少しでも安眠休息がとれるように

       coronaの感染者を減らしてゆくという自覚で

       札幌市民は協力することで、

 

     救急車のたらい回しにならざるを得ない現状を

       打開できるなら、、、

        協力を、、惜しみません!!

 

       春のルンルン気分の不必要な外出が

      新型coronaの

        変異型の感染を増やす原因になるのなら

         自粛して、3蜜を避けて

           飛沫の飛び交う食事会なども

            密集しないように、

         間隔距離を置く事ですよね。

         医療崩壊になって、助かる人が助けられないという

         そのような札幌になる事は

          断じて在ってはなりませんよね!!!

 

           祈るばかりです。

 

     coronaの感染症がおきる前までは

       当たり前のように受診できていた

       救急車の患者さんが

         突然の、、、検査で判明した

     coronaの感染者の患者さんの為に

大勢のスタッフも入院室も

呼吸装置もフル回転していて

満杯になっていて、、、

 

救急車の患者さんを

受け付けることが出来なくなって

      お断りせざるを得ない苦渋の顔の責任者の顔には

     もうちょっとで、、、べそをかきそうな

        不安さえ、、、お茶の間に伝わって来た。

 

       社会が作動してゆくためには

         こんな時代に

       無理がたたって、、、急病になって

        救急車で運ばれてきた、、、各職場の

        キーマンだっているはずである。

       絶対に救わねば、、、

         大勢の命に係わる人だからこそ

        、、、無理を重ねて急病で、、、

      救急車で運ばれてきていた急患を、

       深夜と言わず、、、明け方と言わず、、、

       医師たちは臨時手術を受け入れてくれていた。。。

 

        コロナ患者さんで

     一人に大勢のスタッフが必要とされて、、、吸い寄せられて

     

救急車がたらい回しになっている現状に

        何とも避けがたい、、、不安を覚えながら

         TVを観ていた。

 

             医療崩壊寸前の

             病院事情が、、、伝わって来た。

          医師も看護師さんも、事務さんも

            疲れ切ったのが、、、伝わってきていた。

             何とか、医療の疾患の分担を

             札幌市の機転で

           専門の感染病院に病院に役割分担の適正化を諮れない物なのだろうかと物なのだろうかと

      祈る思いで、現状の医療の危機を観ていた。

 

       医療現場であるのが

          画面に映し出されて

         危機感を持って報道された。

       何とか、、、このまま、、、

      coronaを収束に向かわせなければ

          心の油断が、、、致命傷になるという

        安心できる医療体制の崩壊が、、、ミシミシと

          音を立てているようで

         危機感を感じた。

 

     「コロナワクチン」:もそろそろ始まってきて、、、

         重症患者さんが減ってきて、、、

      普段どうり救急車が運んできた患者さんが

      当たり前の処置が受けられるように、、、戻れたら

    医療崩壊は寸前のところで、、、回避できるのではないかと

        祈る様な気持ちで、画面を観ていた。

         もう一息、、春のルンルン気分の

         気持ちを、、もう一度引き締めて

        札幌市の健全な医療体制の維持に

          協力することを誓います。

           北海道の知事さんの、

            新型corona

           新型コロナの変形型の対策に、

          3蜜の防止を

            呼びかけている目が、

        マスク越しに、画面に映し出され、

   若い人たちの、不要不急の外出が減ることを期待したい。

 

          

        医療崩壊だけは避けないと、

       本当の悲劇が起きてしまうから、、、

 

私は、、、この春も、、、正念場と心得て

   coronaの感染者にならないよに

春だからこそ、、、ルンルン気分になるのを抑えて

 

corona収束に向かって、

手洗い、マスク、洗濯 除菌、茶を飲むことや、うがい、、

不要不急の外出や、、、孫子との会食も控えて、

医療崩壊が防がれることを祈って

1人1人の市民としての、、、

感染予防の対策が

健康を守れる札幌になるのだと、

もうひと頑張り、することを誓います!!

救急基幹病院のcorona感染者によって

日ごろの救急患者さんの救急車が、

  命の境目で、、、

    やむをえず、

       たらい回しになってしまう

          コロナ感染時の

            医療崩壊の危機を

      救えるのは、、、一人一人のcoronaの感染症への

             理解で、正しく怖がる自覚でしょうね!

           マスク、うがい、3蜜の回避の大切さ

 

 

        医療スタッフに、、どのようにしたら、、、

      休息をとっていただけるか、、、

           死と隣り合わせの緊張が続く中で

          ある種の戦場を見ている様な

            祈る気持ちでTVを観ていました。

 

  もう、、、一息の頑張りで、、、

      国民全体の健康の為に!!

          医療崩壊だけは避けなけ避けなければ

              

             札幌市の根幹の健康が守れなくなると

                 大変なことになると     

                   思いました、

     ゆっくり、、、確実に、、、正しく新型コロナを怖がり

     一人一人が確実に感染症対策に協力する以外に

          札幌市の市民の健康は守れない時期でもあると

               自覚できました。

       

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ワクチンって、、、???

2021-03-12 07:20:42 | Weblog

近い日に

    医療人として、

       現場で患者さんに

         接する人たちに接する人たちは

           ワクチンを受けることから

             coronaの収束に向けて

               戦いが待っています。

   

TVのワイドショウも、

   

    感心させたㇼ、驚かしていたㇼ

      持ち前の天性の芸の素質だけで

        76歳の婆ちゃんは、癒され、笑わされ驚かされていた。

          しかし

コロナが日本の見えないインベーダーだという事もありうるので

極力、専門家以外の意見は聞かないように、注意している。

 

美人で、、、何を言っても可愛かった国会議員さんも

   ひとたび戦場の闘いになると、、、地雷を踏んで

        辞職、、、、

    菅首相の足を引っ張っている猶予は

           日本にないはずだから

    今は、宴会に行く前に、、、

       野党の議員さんが、、、

        「思いもしない落とし穴ですよ、、、」と

   教えてあげればいいと思うのですよね。

 

そのようにすれば、スマホ料金なら、10万円以上になる様な

    国会討論んで、接待受けたとか、、、受けないとか、、、

       茶の間の退屈な時間が無くなって

         東北の地域から、

          首相にまでなられた菅首相の

         とんでもない次元の

         日本を守る民主主義の

            腕前が、現れて、

           次世代の若者を

        、反対に反対、、みたいな

          無駄の多い国会劇場から、

       

       世界の中の日本の活路が解る、、、

         国会劇場にしてほしいですよね。

 

coronaのワクチンについて沢山のHPに

    「専門家」が答えていますよね!(^^

ファイザー社の新型コロナワクチンQ&Aを13ページまで読んで観ました。

 

承認されたフアイザーのワクチンは

    mRNAワクチンという新しい技術を用いたワクチンです。

ホームページの原文を、抜粋してみました。

 

このワクチンではmRNAというたんぱく質を生成するために使用する

情報細胞を運ぶ設計図が、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の

スパイクタンパク、つまりウイルス表面の

トゲトゲした突起の部分を作る指示を伝える役割を果たしています。

ワクチンが摂取されると

mRNAは注射部位近くのマクロファ―ジに取り込まれ

スパイクタンパクを作るように指示します。

その後、

スパイク蛋白はマクロファ―ジの表面に現れると、

このスパイク蛋白に対する抗体がつくられたり

T細胞を介した免疫が誘導されることで

新型コロナウイルスに対する免疫を持つことが出来ます。

、、、、、、、13ページまで、、、読みたい人は検索すると

ワクチンの姿が、自分なりのレベルで見えてくると思いました。

 

つまり、生きたウイルスはワクチンの中には入っておらず

また、遺伝情報を体内に摂取すると言っても、

それによって、人間の遺伝子の情報に変化が加わることもありません。

 

 

ここまで読んでも、、、ほっとしますよね。

アナフィラキシーとか、

アレルギーの心配な方は

ワクチンを作る段階の界面活性剤と入力して検索すると

原因の多くは

「界面活性剤に対する反応が問題だと、書いてありましたよ。」

私は免疫学的に興味が有りましたので、、、

家事をほったらかして

感染症学会のHPとか、免疫学用語集とか

 夜中までサーフィンしていたら、、、

主人は夜ご飯には、朝の残りのサラダセットに

これまた残りのパンにはさんで、済ませたとか言っていました。

たまには断食も、健康法の一つに、、、

彼の国は取り入れているから

「コンビニのスパゲッティを夜食に食べてね!」

オクラと

       菜の花のおひたしと、

                   コンビニのスパゲッティ、、、

                           ヨーグルトにプリン

とりあえず、、、おそまつながら

          テーブルに並べて

目下目的のcoronaワクチンの記事を

  13ページまで読破しました。

 

念のため、

私なりに、忘れないように、、、

      区別をはっきりさせとかなくっちゃ!

マクロファ―ジって、、、簡単に書いているけど

本格的に理解しょうとと、、、無理を望むなら

免疫学の初期のころの、用語が問題だった時代の本から

スゴイ速さで進んだ免疫分野の南江堂からの出版物を読むと

 

 

免疫って、、、解らん、、、と言う事だけが

 

解りますよ、、、

 

人間の中の軍隊の構築は諸葛亮孔明もたじたじですよね。

死んでる諸葛亮孔明がが生きてる仲達武将を走らせたという

  免疫の世界には、、在りそうですよね、、、コワイよね、、、

ワクチンは、、、ワクチン諸葛亮孔明の生きてると勘違いするほどの

    警戒心を、体内を守る兵隊≪免疫≫を動かすという

      coronaウイルスも孔明も、、、油断大敵な

         軍師だという事でしょうね。

       ドラマだね~~~!!

    三国志バンザイ!!ってとこですかね、、、ワクチンは??

深く知ろうとすると、、、時間が過ぎる速さが解らなくて

40歳で始めた免疫の、、、混乱状態がいまだに続いていますが

 暇があると、、、菊池先生の免疫学の本をめくっています。

   私たちが昭和42年に薬剤師になったころは

       免疫学の黎明期で、、、手探りの時代でしたから、

次の世代では、日本の薬剤師は、感染症のワクチンは

    「日本にお任せを!!」と言える時代に                 

               なっているかもしれませんね

    それとも、、、感染症の専門医に、、、

        医療崩壊寸前の、ノルマが、、、繰り返されるほど

       coronaの変異型は、、、浜の真砂ほどに

         尽きない感染者を出して、

        世界を、何度でも、、、ひっかきまわすのでしょうかね?

    感染症の歴史の本を読んでいると、、、戦争で死ぬ人間より

          感染で死ぬ人が多いという過去の現実に

            76歳になって、、、

        もう、、、先が短い年になっても

          免疫の謎は、、、魅力のある分野ですね、、、。

        もう一度、、、若くなりたい!!

 

      お、お勉強が,、居、意、意、未だに

           窓辺さんの助っ人の、、、眼鏡ちゃん並みの

       免疫興味にんげんってとこですかね~~~(**!

 

      解りませんよね、

   体内の連鎖的な反応が多岐にわたる

          免疫の世界は、、、???

解らないまま、、

解らないという事が解ってくれそうな読者にだけ、

書いてみました。

一緒に、、、解らない世界を歩きましょう!

 

アナフィラキシー、、、とは

    抗原で感作された固体に、

       同一抗原を再度与えた時に生ずる

            IgE抗体を介した

       抗原の特異的な反応ですよネ!!

         血液透過性の亢進

          平滑筋の収縮

           分泌の亢進

     重症になると、、、

         呼吸困難、、、血圧低下、、、

 

アナフィラトキシン、、、て

聞いたことあるでしょう???

 

補体分子由来のペプチドで、、、

C3a   C5aで

肥満細胞の脱顆粒や平滑筋の萎縮を引き起こす。

 

 肥満細胞???て??、、、このあたりになると、

       肥満気味の

     医師になってる息子の学生時代の本とか、、、

画像診断では、日本のコロンブス並みのパイオニアの、、、早期がんの

画像診断は、息子に言わせると、、、「神の域、、、とか!」

    昭和40年代は、免疫学の黎明期でもあったようだ、、、

弟の、、、免疫学の本が、、、

日本ではあまり聞きなれない時代の本とかで

日進月歩とは、免疫学の分野でもそうであると、、、

言っていたのを思い出す。

どんどん新しい免疫の本が改訂版が追加されて

旧い本は、、、むしろ、、、害になるとか言っていたっけ!!!

 

医学部の学生時代の二人の

「ほ~てあった教科書」に書いてあったよ、

 

ぶっちゃけて言えば、、、

スズメバチに刺されたら

一部の人の中に、、、

「アナフィラキシー」起こす人いるよね!

2回目に刺された時にさ、、、

 

だから、、、万一の時に為に

 

coronaのワクチンした後は

少なくとも30分、、、頑張ってた緊張ほぐす意味でも

1時間ぐらいは、、、

     病院の近くにいようと、、、思いませんか???

15分~30分以内に、症状が現れるったって、、、

  一難去って、、、また一難は避けたいからね。

 

ありがとう、、、私の,、、知恵袋さん!!

ワクチン打つかどうかは、、、

    めいめいの意思判断が決めることですよね

ワクチンをするか、、、しないか?、、、

 

私はワクチンを受けることに決めています。

     

   

  責任は自分でとることですよね、、、個人差がある世界ですものね!。 


春も、明日も、来る!

2021-03-12 03:13:57 | Weblog

一夜あけた、

津波は多くを飲み込んで

    東北は、、、災害地、

 

       言葉があrませんでした。

 

 もうすぐ、、、春になる、 

    もうすぐ、、、春が来る、、、

   

  coronaの津波を防ぐ為にも

       ワクチンを、、、私は受けたいと思っている。

     それで、、、命が救われるなら、、、

       coronaの津波も、、、

     6月には、先が見えてくるだろう


道路、、、つるつる、、、札幌の3月10日

2021-03-10 01:40:35 | Weblog

さすがに、、、10年前の震災の関するTVを

ごく自然に,、、診てしまいますね。

震災地の被害に出逢ってしまった生徒に

10年と言う年月が、心の扉をノックして

思っていることを作文に書いてもらう事によって

生徒の成長をサポートしている先生、、、。

学内のTV放送の画面を見ながら

未だに、、、大自然の力の前に、、、命、、、って何なのだろう?

大人も、、、子供たちも、、、

生涯、、、生きている間中

問い掛けても答えの出ないテーマです。

 

被害を受けた学生の一言一言は

聖書の言葉のように、

   深淵,、、深遠、、

     真実そのものが

       目の前の色あせない体験から降りてくる言葉のようだ。

 

子供たちの作文の中で、

    素直な本人の心のままの発言として

      死んでしまった両親に、、、いまなお、、、

            頼ろうとする自分が有るという。

 

私の母が、7歳の時、現在のcoronaにも似て

      伝染疾患の「肺結核」が流行したそうです。

私の母の実母,、、ツマリ、、、

     私の婆ちゃんにあたる方が27歳で死んだとき

         母は、7歳だったという。

 

          幼かった、、、母と母の弟(私の叔父さん)は

   実母が死んだ後も、、、

      夢に出てくる母に頼ったと言っていたのを

            役耳にした。

 

        私は28歳の時に

       「母の花、私の花」と言うエッセイにして

      ありのままの気持を「生け花は語る」という

      草月の出版社の本に投稿して

         掲載されたことがありました。

      安野さんと言う絵本作家が

        表紙を描かれ、15人の女性が、

      生け花の考察を書いたものですが 

        私は、生け花に関しては、よくわからないので

       花を生けるという、、、行動になる

             心の原点に、

        孤独が潜んでいるのではないかと思い

           母の孤独な幼年期を

          北海道に嫁いだ、、、孤独と

            花の孤独が重なった

                                    自分の心を一瞬、、、内観した。

         その瞬間を一気に,、、文章にして

            読み返すことも、推敲することも無く

          花の師匠に手渡しました。

 

      とうとう、、、会えなかった、、、

       28歳のままの祖母を、、、知りたいと思った。

               どんな女性だったのかと思うとき

          私の中に、、、母が入り込んだ瞬間が有った、

        夢に出てきたことがあった。

            母と同一人物になったような錯覚の中で

           私は、戦争で、逃げ場のない逃げ場に、、

          戦争の最中に、産まれています。

            防空壕の中で、生まれた赤子は

              栄養失調で、、、泣かなかった。

           母は私を抱けなかった。

           戦地まで、

       我が身を振り返ることなく迎えに行った祖父が

          泣かない私を抱きあげ

           串本までたどり着いたとき

            串本で、私の戸籍を手続きしてくれた。

         母は年子の兄が生き残った事で、

           やんちゃ盛りの兄だけで、

          せいいぱいの逃避行だった。

 

          外国の戦地に近い病院の宿舎から

         はるばる、、、生まれ故郷まで、、、

              避難してきた。

          8歳の長男と、4男と、生まれたての、、、赤子!

            次男三男、、、長女と、、、流産一人、、、

           貧しい日本の終戦間際は

          人間が武器だった。

         産めよ、、、男児を!の、、、   

           国の生き残りをかけての

             富国強兵策が、、、男子の出産!

          学徒出陣、、、特攻隊、、、肉弾三銃士

           戦争中の母たちは

          予期せぬ、子供たちの死にもあった。

          人間の愚かさが作った、、、

            地獄であった事だろう!。

          津波の追いかける中を、

            誰かに、、、誘われて、、、

          高台に避難するような、、、その時点での

         一瞬の自然な、逃避行だったのだろう。

 

母は、激戦の戦地の中を、死んだはずの実母に導かれて

    戦火の中を生き残れたと、、、言ったことがあった。

  第二次世界大戦のさなか、、、

  大陸から日本に帰還したときのことである。

 

       父は

野戦病院へ向かうトラックに乗るはずが 

      最後のトラックも、、、来なかったのであった。

     日本から、舅が、火の海を渡って戦地まで

        娘の家族を迎えに来た!。

 

      7歳の時に死んだはずの実母が、

        母の父(私にとっての祖父)を

          

        戦地の至近距離にある病院の

       息子夫婦のもとに娘を迎えに行ってほしいと

         誘ったというのです。

 

        お父さん(私にとっての祖父)の言う通り、、、

         子供二人と

           リュック一つで、、、母は、、、

          父の後について戦地を後にしたのでした。

        恐怖と不安のつのる中を

          どこをどのように、、、歩いているのかも

      わからなかった時間が過ぎて行ったそうです。

               

         幼いころに、、、結核で28歳で、、、死んだはずの

          懐かしい、、、母が、、、

         何度も、、、何度も、、、振り返りながら

               母を日本迄、、、

            導いたというのです。、、、

 

          立ち止まっては、、、振り返り、、、

 

   この船に乗りなさい。。。

     この汽車に乗りなさい、、、と

       まるで言っているように

         振り返り、、、また…立ち止まった、、、

   

          日本に着いてからは、

      着の身着のままの姿で、、、洗濯をして

       やっと笑顔が出たそうです。

 

        助かった❕!!、、、母の、、、こんな写真は

            

          戦争からの逃避行でなければ

       凛とした母の姿以外は、、、

         その後見たことがありませんでした。

 

   稀有なる体験で、愛する家族を亡くした人には

       慰めの言葉など、、、届くはずはない。

           

      寄り添う事の難しさも感じた。

 

   同じ苦しみを知るものだけが、、、寄り添えるのだ

 

       同じ体験をしたものでなければ、、、

            言葉は、、、空しく、、、 

 

           「何が解っているというのだ。。

                と、、、慰めの言葉も無い!!」

          

          

    実母を無くした母の写真は

     理性だけで、、、強く生きようとしているのが

      せいいぱいの瞳が語り掛けてくる。

       

 

       のちに、幸せに生きている母だけに

      周りのサポートのおかげかもしれません。

            

       結婚してからも、国外で兵隊に服役した戦地の

          親戚や  次男、三男、長女と

     母は3人の子供を失って、、、時々、、、不思議な

 

             音が聞こえているようであった。

 

          幻聴なのか、、、子供の声が聞こえる、、、と

        疎開地では、死んだ息子や娘に

         毎朝,、、お膳を備えては

           死んだ子のことを生きてる子供のように

              話していた時が有った。

 

         母は、防空壕で生まれた私のことは

           自分では育てようとする気力が

         無かったようであった。

        父は疎開先の、戦争未亡人を私の乳母として

         育児をすべて任した。

          高菜のおにぎりなどを、、、

       作ってくれたその女性は

        男の子2人と、女の子の母でもあった。

        私は、、、運が良い!

         最も母親らしい女性に

           育児の係になっていただけたのでした。

         母は、、、たぶん、、、多くの物を無くし

           娘や息子も亡くし、、、

      理性だけで生きてきた,,,

           ikirukoto wo mitumetahaha

 

                             強い女性にしたのは、

      結核で死んだ実母が、死んでゆく、、、やぐらの上に

          クラス全体ではやった和ばさみを

       母が死ぬ間際まで、、、買ってほしいと、、、

      せがむ我が子に、、、母さんは、、、これからも

        母の朝を知らない娘が、

          隔離されて、療養の小屋ごと

            ダビに去れる運命を知らずに

           死んでゆく母んに、、何度も何度も

         来てはいけない!と、、、言われたやぐらの上の

           療養小屋に這い上り、、、

          クラス中の女の子が持っている鋏を

          自分も、、、欲しい!、、、買ってほしいと

          日参したという。

       あなたが欲しいものはすべて、、、

      買ってあげられない所へ、、、これから行くのです。

               遠くへ行くけど

          一緒にいるから、、、いつも、、

      母さんにせがんで、、、来ておくれ、、、そして、、、

         それを買ってあげられない所で、、

         母さんは一緒にいるからね、、、

 

    「忍耐」の中に、、、母さんと一緒にいられるんだよ、、、

 

        夢の中で、、、実母が言っていたそうです。

               母は、、、

       生きる為に頑張った人かもしれません。

    よそ見する余裕は無かったのかもしれません。

 

    母を、幼くして亡くした女の子は

         もっと幼い、、、弟をかばって

           生きる為の忍耐強い大人になるのかもしれません。

         祖父は妻が結核の末期の頃は

             そのころ、、、アメリカに

            いたのだと思います。

   

     母の話には、、、祖父の事は、、、在りませんでした。

              親戚に預けられていたとは言っても

            実父の家は旧家の、次男で、

           その村全体が、同じ姓の家が多いという

          親戚の多い環境だったようです。

            実母の死は、、、津波のように

           母と弟を、新宮の街に運んでいったようでした。

         命、、、命の火が消えるとき

               津波は起きるのですね。

 

         人間が起こす津波、、、!!!、、、戦争!

           戦争は世界という広範囲を波で押しつぶす。

          私、自身も、

       3人の姉弟を戦争の時に失っているが

           目下、、、、、、

      長女ですが、、、姉が生きていたら、、次女です。

 

        人間の罪として、戦争は非難できる。

        戦争は人間の愚かさが引き起こす、、、津波だと思った。

 

          しかし、、、震災は、。。。

         大自然の地球エネルギーの氾濫です。

 

         あ~~~と言う間の出来事であり

              言葉が無い、

          津波がこんなに怖いものだとは、、、知らなかった。

         逃げ遅れても、、、不思議ではない。

 

      明日は10年経った、、、とは思えない

            月日の速さに驚く。

           地球は真ん中は火の玉で出来ている。

           転変事変は、火の玉のある限り

          明日は、、、我が身かもしれない、、、災害!!

 

      明日は我が身と心得て、、、災害に備えねばならないが、、、

 

 ベスビアス火山のように、、、

       地域ごと一瞬で無くなる津波は

      私の思考能力を超えて、、、言葉が無い。

 

             尊い命を、

     一瞬で亡くされた人々に、改めて哀悼の意を表し

 被害者の子供たちにも、、、

       寄り添う力さえない76歳の私は

           改めて、、、生きてる不思議を想い

              命を、、、思う

 

         「命」は一瞬の連続であり

         一瞬の出来事で「亡くなる」

 

          一瞬一瞬を、

        「生きていること」と考えるようにして

  納得のいく「死」である人生を「生きた」と言うのだろう。

         76歳になっても、、、

        「確実のある死への旅」が

        「命」だとは、、、考えたくない。

 

      TVに、、、映し出された少女。

    少女は父母を津波から救えなかった事が

   自分の非力だと、、、

 心が立ち上がれなかったときが過ぎて

     「命」という事を、

        学友たちと考える時間を持てるまでに

          災害のショック状態から

           時が癒していったようである。

 

        先生が企画した「作文を書いてもらう授業!」

 

         作文を通して、支え合っていることが

           TVを観ている視聴者にとっても

             救いとなった。

 

   夜中の番組で、、、バトミントン部の再会を観ていた。

 

明日の11日が、、、思い出されて、、、恐ろしいことであるが

   現実は受容して、、、

     あまりにも小さな人間の力が

          津波や、災害の被害に遭遇することのない

        

       「命」の守れる未来を模索⒮乍ら

        11日は、、、mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm 

         波が穏やかである未来を

              祈ることしか出来ません。

    命、、、健全な普通の環境が、、、心を自由にさせますが

        災害は、、、心を見失ってしまうのが

               恐いことです。

    命、、、それは、、、心が明日に向かって   

          生きようと,、するかぎり、、、

            人は、死なない。

         

          

    何年たっても、、、3月11日は、、、コワイ日の記憶。

        災害に強い東北になることを

          願いながら、、、

           おやすみなさい      


月曜日の朝のご飯をタイマーで仕掛けました。

2021-03-08 00:54:46 | Weblog

洗濯も、

ご飯焚きも、、、

スイッチを入れれば

機械が働いてくれる。

 

もし、、、こんなに外出できない日々が続いて

雪掻きが必用でないと仮定すると、、、

ドイツの、、、お年寄りの女性のように

○○と、、、おへそを中心にして

   円を描いたような

      コレステロールで出来たスタイルになっていたかもしれません

 

そんなことを想像して、、、

   ま、、いいか、、!

       真夜中に、吹き付けられた玄関ドアの下の雪をどかして

         明日の出勤に慌てないように、滑らないように

     真夜中の見回りです。

    北海道の老人は、、、転んで骨折して

        大腿が運悪く傷つくと

           入院して、立てないでいるうちに

      痴呆になる人が出てきます。

   病院側では、、、骨折の処置が終わると、、、

   すぐに、、、    立って歩かせる、、、!そうですね!

     痴呆にならない為にも、、、まずは

       玄関から道まで砂を撒いて、

        つるつるの道路はあるかないで

         タクシーで、駅まで行くようにしています。

    外食費が要らなくなった分、、、

      タクシーに来てもらえるので、、、安心です。

    この年になると、、、健康以外、、、

       守るものも無くなりますね、、、。

           coronaの3蜜と、、、道路がリンクの危険が有り

       タクシーが有るという事で、、、北国の冬は

     何とか、、、無事で過ごせています。

   春が来て、、、安心して、道路を歩ける日が

       待ちどうしいですね、、、

    北海道は4月も雪が降りますからね、、、

  5月になって、、、急に夏が、、、空から落ちてくるという

  南紀で過ごしたような

       春待ちながらの

           小春日和が有りません、

ガラス戸越しに、庭の木々には「雪の花」

    真っ青な束の間の空見ながら、、、外に出ると

   零下の寒さに,、、はっくしょん!!

       外に出ると、、、寒冷蕁麻疹で

        慌ててストーブの傍に帰ってくる。

    分厚いキルキルティングとマスクと手袋

       靴下は毛糸のを履いて

      出直して、、、玄関の雪をどかしながら

     朝のパンを買いに行くと

       帰るころには、、、眼が覚めて、、、頑張れます。

 

戦争中に生まれて、、、

    一億総人口皆貧乏な時代の育ちのおかげで

       主人は、、、3蜜には厳格なまで耐えられているようだ、

    感染症の真っただ中の病院勤務の条件下で

      coronaにかからない、、、coronaをウツサナイように

      主人も、息子も、タクシーは主食並みに必要です。

     札幌のタクシーの会社は

       運転席と客席を透明なアクリルガラスで経切ってある。

     後方の座席の窓も、少し開けてくれる、、、

       corona対策は万全で、、、客が降りるごとに

      席を滅菌、、、滅ウイルスのアルコール清掃をするそうです。

     さすが、、、プロ根性ですよね、、、!!

      こちらも、マスクは2重にしてお互いに

       コロナ対策をする。

      息子も、主人も、、、、

      感染の事には神経質すぎるぐらいだが

     タクシーはさすがに、、、corona対策が完璧だ!

    個人個人がコロナ対策にベストを尽くせば

      3蜜も、、、営業も

      地域移動さえしなければ、、、

        暖かくなるころには

      かなり、、、経済流通が戻るのではないかと思って

      今少しの閉じ籠りに緊張をもって配慮しています。

    

    4月までの、、、大移動を、、、なんとか

       個人個人のcorona対策で

         日本を感染症から守りたいですね。

       親しい人とは、、、公園で、、、戸外で

     ハイキングで、、、会合は原野で野点も悪くないですよね、、、

         孫と婆ちゃんは5メートルは離れても

          戸外なら不自然ではないですよね、、、

         もう少しの頑張りで、、、

           集団免疫を獲得したいものですね!

         

       桜見物の人ごみだけは、、、先手で3蜜を工夫!!


日曜日も我が家で、、、TV漬

2021-03-07 15:33:47 | Weblog

今日一日分の、、、主人の牛乳もあるし

卵は1個、、、残してあるし、、、

明日の早朝のご飯焚きは予約で出来るから

おかずだけを点検!

伊藤ハムの焼き豚がワンパックあるし、、、

ほうれん草に熱湯をかけて

おひたしを付け合わせ

  かつをぶし、、、めんみをかけて

キムチと、、、今夜の煮物の人参を、別にとっておくとOK!

日曜日は買い物客が多いから、、、今日は、どこ絵も行かないことにした。

私がコケタラ、、、主人が一人では、、、何もしない人だから

きっと、、、にわかに困るだろうから、、、

万一にも、、、家内からコロナが感染することがあってはならない!!!

日曜日の買い物は、、、我慢するのに、、、結構大変!

行かない理由を探さないと、、、

   割引はある、、、ポイントは10倍!

         品物は豊富で新鮮!

          大量に買い置きするのには

           もってこいの、、、マーケットの買い得の日!

   もし、、、TVが無かったら、、、ストップは出来ないだろう、、、

            日曜日の、、、お買い物!!

          うずうずするけど、、、

            クレオパトラと アントニオの映画に決めた。

 

    エリザベステーラーのクレオパトラと

 

          筋書きが???。。。違いますね!?

 

     シーザ―に迎えられて、、、

      ローマには行かないストーリですね??

 

       

    古い歴史は、本当のことがわかり肉ですよね、、、!

      ラストシーンも、、、あっけなくて

        ドラマチックでは無かったので

             物足りないと思ったのは

         kaimonowo gamannsitaseikasirane???