花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

神社のお参りするという、、、千差万別の日本人の心

2013-12-29 04:11:28 | Weblog


50年前、明治、大正、昭和と人生54歳を、生きた父が、
晩年、ぽつんと言ったことが、神社のことでした。

階段を登り、大鳥居を避けて、横から参道に入り、一歩一歩歩くうちに、
「ありがたい、、、」という、不思議な、感謝と、敬虔な気持ちが湧いてくるから
「神社って、いったい?何があるんだろうね?」

子供達への、、、問いかけだったのかもしれません。
大きな家の長男に生まれ、弟、妹2人、関東大震災に出っくわし、
弟を負ぶって逃げ回ったという父。

父の弟(私の叔父さん)は、兄の肩に噛み付いて、しがみついて、固まっていたのか
父の肩には、歯型が残って傷となっていた。

父の実父は、宮内庁に勤務していた。

明治神宮は明治陛下の神宮であるので、三元日も、受験も、縁談も
ことある如く、神宮におまいりしては、心の平安を戴いていたそうです。

では?、、、宗教心があるのかどうか?
それはまったく別の心のようなものだそうでした。

父から聞いた靖国神社のことも、もともとは招魂社といって、
函館五稜郭で旧幕府軍とたたかって明治維新の実現までに
憂国の志士といわれた吉田松陰や坂本竜馬らとともに、
戊辰戦争の戦没者が3千余人が文化の流れのように祭られて、
日本国民は、御神霊としてお参りしたそうです。

なぜか?というと、、、

300年もの長い鎖国をしていた徳川幕府の前に1853年
アメリカから、ペリー提督が黒船で浦賀に来たとき、

あまりの「文化の違いが見える恐怖で、日本はでんぐりかえるほどの
衝撃を受けましたとさ。

結局開国して列強諸国と、
弱者としての「不平等条約」をむすんでしまったとさ。

この条約をいいことに、
欧米列強国が、まるで、いじめをするかのように
何やカヤと、注文を出し始めたそうな。

このまま注文どうりに従っていたら、「植民地になってしまう!」
憂国の志士はじめ、多くのインテリは憂いましたとさ。

「日本は、どこの国の家来にも成らん!独立した国じゃ!」

300年の鎖国のリスクの、文化の送れなんぞ、100年もあれば
追いつき追い越せジャ!。

そういうわけで「日本国の独立を護るべく、近代的政治制度を取り入れて、
チョンマゲ、刀の「俺、俺、万歳の封建制度から脱出」「明治維新へと
わが国の世界からの孤立を憂う志士が、戊辰戦争で戦死を遂げた。

「我が国の為をつくせる 人々の 名も武蔵野にとむる玉がき」

やんごとなきお方の歌とともに

明治12年、明治維新へのための日本国内の内戦で果てた
戊辰戦争の憂国の志士たちが眠る招魂社は、

靖国神社と名前がかわったそうです。

西南戦争という内戦を経ながら近代政治へ、又、近代経済機構へ、
そして、近代文化の近代国家へと急速に発展し、欧米列強の武力による
アジア進出の植民地化に対抗して、
独立国日本を死守していったのだそうですね。

欧米列強国に「日本は対等の国」と認めさせる為の戦いに
さきがけ、中東アジアの安定の鍵を握る
朝鮮国の独立が最優先と
日本は、近隣国に働きかけ始めた。

ところが、当時の清国(今の中国)が干渉に乗り出し、

アジアの平等な平和への計画が進まなかった。

ついに!!!!!、、、明治27年日清戦争が起きてしまった。
たった、、8ヶ月前後で日本は戦争に勝利を収めたが、

ロシア ドイツ フランスの三国干渉で遼東半島は返還された。

さらに南下してきて、満州に進出して
南進政策のロシアと衝突!


明治37年日露戦争が始まってしまった。

旅順かいじょうヒャクナリて  敵の大将ステッセル、、、

お手玉も、縄跳びも、歌いながら遊んだ子供の頃が思い出させられます。

子供達は、、、わけもわからず、
歌い、踊り、靖国神社を参拝したのでした。

日露戦争が始まっていたのです。

旅順、奉天、日本海の海戦。

乃木大将、東郷元帥、ロシアの満州と朝鮮への進出を抑え
日本は、満州へ進出し、近代国家へと躍進し、

欧米列強国と結んだ「不平等条約を改正」出来るまでに
世界に向けて、共存共栄の成長を遂げたのだそうですよ、、、。

ここで、私事ですが、昭和35年都立高校の社会の授業には
こんな問題が出たのです。

なで???大東亜戦争がおきたのか?
思うことを書きなさい。

日露戦争までの日本の近代化のスイッチを押したのは
アメリカのペリー提督の黒船ですが、

三国干渉で、かかわってきたのは、ロシア、フランス、イギリス、
清国です。アメリカは、日本が近代国家に成長するまで、
傍観者のように見ていたのでしょうか?

力を持ち始めた日本の「幼さ、危うさ、、、」

アメリカは、未来をかんがみて、日本を「仮想敵国」として
対日政策を転換させていたのではなかったろうか?

虎の子は小さいうちにやっつけなければ、大人になっては
面倒だったのかも知れませんね。

なにも怖くないが、、、、あなたの優しさが怖かった?
自国とはとりあえず、問題は起きて無くても、
その、、、急成長振りの未熟さが怖かった???

日本はアメリカに敗戦しましたが、
生物、生き物、命、瑞々しさを、一瞬にして、「元素に還す」

化学兵器は、人間を「別の物質に変えてしまった。」

命という、瑞々しい生き物の戦いにはルール違反である。
独楽のように回転し、NとSとを指しながら、空しく軌道を
じてんスピン)しながら廻る哀しき元素に人間を無差別に変えた
アメリカの兵器「原子爆弾」

長崎、広島、への2発の原子爆弾の意味を知ったら
スモッグや、工場垂れ流しの汚染なかで発展する中国は
行き着く先が「元素に戻る人間の無差別破壊」と認識できたら、

開発を立ち止まり、地球の丸ごとの平和への政策に転換するのでは
なかろうか?

日本の、原子爆弾までの道のりは、あまりにも、残酷であったと思います。

肉弾三銃士、特攻隊、竹やり女性部隊、姫ゆりの塔。
日本の英霊達は、独立国を護ろうと、戦った。

戦わなかったら、植民地のような支配を受けて、今頃キット、
独立戦争がおきていたかもしれません。

アメリカの大統領は、黒人の血も入った方です。
日本への原子爆弾の意味を、キット、
世界平和への十字架とおもってくれるでしょうか?
生命科学の幅を、どんなに広く考えても、
人間は「元素に戻ってしまっては、おしまいです。」

かろうじて、原爆の洗礼は受けましたが、
之がm世界への平和への発言権になりえて、地球丸ごとの碧を護り
地球丸ごとの、戦争の無い星の認識に立てるなら、

今日の日本になるまでの、システムに巻き込まれて、尊い命を
戦争に捧げてしまった英霊を慰霊し、お参りに行くのは
日本人の父母に参る心とどこが違うのだろうかと、思えるのです。

日本国内の近代国家への発展の為に、時代の波にさらわれた
英霊達は、戦争という人工の津波の中で、消えてゆくのを
日本人なら哀しいはずですよね。、、、

オバマ大統領が、理解してくれれば、
中国も理解してくれるように思えるには、、、、
政治オンチで、時代も昭和生まれの
ばあちゃんだからかも知れませんね。

靖国神社のお参りは、なぜ?
こんなにも問題になるのか?

いまいちよく理解できないまま、、、70歳になろうとしています。

理屈はいりません。
時代の津波に巻き込まれるように
戦争を知らなかった庶民も女性も、学生も、
皆巻き込まれて、、、、死んでいったのが戦争でした。

誰かが指揮をとったのでしょう、、、
しかし、、、戦争って、集団のヒステリーのように
何が正しいのか、正しくないのか、
現実には狂気のゾーンに
人は、人でなくなり、愛も、命も、
木っ端微塵になったのです。

世界の平和につくしたいと発言されている

阿部首相にかけたい、、、
今は、あの、頑張りにかけてみたい。

コロコロと、首相の変わる国会には
再びならないように、
円卓に座して、皆で世界に向かって
戦争の無い地球を目指して欲しいです。

政治オンチの婆ですが、
孫子の代には戦争は無くなっている世界の国国を祈っています。

良い新年を迎えましょう!

12月の中心街

2013-12-22 15:22:29 | Weblog
雪が少ないうちに
買い物をしましょう、、、!

年の瀬の駅前のデパートに
半年振りで行ってきました。

高級品が多いですね、
品もいいし、

芸術品のような
洗練された陶磁器も

師走だからでしょうか?
ついつい、面白くって、時間が過ぎてゆくのでした。

何を買ったか?

実は正月休みのために、
缶入り野菜と缶入り飲み物、

ちょっと値段が張りますが、
正月ぐらいはと、、、カズノコ、栗、がごめ昆布茶

それから、、、トラウトサーモンのカマ
お正月のものばかり、、、

ご馳走の後の鮭茶漬け、三つ葉を入れてね、、。

お友達の皆様、今年も、ブログの、
かってな日記を読んでくださって
ありがとうございました。

今日は、フィギャースケートを観ます。
もちろん、、、笑点は欠かせません。

何十年も観ています。

明日からは、TVを毎日観るので
又来年、よろしくお願いします。

暇を見つけて、年賀状を書きまして
大晦日をひっそりと、休もうと思っています。

、、、、孫と騒ぐことになるかなー?
そうなると、体力的に、正月は寝正月です。

本年は、ありがとうございました。

良い新年をお迎えください。

                 (^^M

ごちそうさんのアサドラ

2013-12-20 09:41:58 | Weblog

             アサドラ

平均すると7時ごろ出勤の夫を見送り、ゴミ出しや、そこで出会った近所の人たちと
言葉を交わしたり、カラスを追っ払って、散らかしたのを掃除して、やれやれ、、、
チャンネルを押すと「ごちそうさんのテーマソングが聴こえてくる。

それなりに、若返ってNHKの隠し味を学びつつ、朝のリフレッシュに、15分間は
魔法の時間です。

思いっきり豊かな時代、戦争、関東大震災、そして又、戦争と、生き残ってきた
父母に抱えられて、防空壕で生まれ、母乳も出ない精神状態の母から、ヤギを
飼う疎開地で、ヤギの乳に育てられた自分の時代と、大きく違う飽食の画面に
味も匂いも伝わってこない食卓の料理を、ぼんやりと見つめながら、
恵まれすぎるような、食卓に言葉は出ない。

         (^^!

華のような、メイコさん、ノリコさん、意地悪な姉さん、
極楽トンボのオカアサン!

要に、ごッついハンサムで、イケ面で、ムードメーカーの
スイートな東出さん扮する西門家の嫡子。
華やかで、味があって、万華鏡のように、画面がくるくる廻る。

軽いのか、重いのか、関東大震災の被災者の炊き出しなど
メイコのまっすぐな自己中な価値観が、
被災者の気持ちに「寄り添うことが出来ない場面」は
しみじみと、人の心と共鳴することの難しさを感じながら、
共通点を探すメイコの努力に
ひたむきな21世紀の若さを感じました。、

昭和20年代、疎開地で、7箇村「無医村」に囲まれた熊野の山奥で
医師をしていた父の元には、村の人が使えるように、洗濯機も数台、
モーターで水を汲み上げる井戸、七輪がズラーと並んだ土間、
薪と火吹き竹で米を炊く「大かまど」、その日の食べ物にも困る
村の未亡人が炊事場のおばさんとして、私達に「高菜のめはりにぎり」
を握ってくれた。、、、おいしかった!。未亡人には3人の子供がいて
帰り際。母が「めはりにぎり」を竹の子の皮に包んで、毎日渡していた。

バターは無くて、「マーガリンが四角いブリキ缶で医療施設の我が家に
配達され、その日のうちに、村の人たちで分けてしまった。

炊事場のおばさんは、缶に残ったマーガリンを丁寧に集め、
「奥さん、これ、、、もらって、、ええかの?」というと、
母は、「ごめんね、残りもので、、、」と。寂しそうに、言っていた。
軍医から、日本帰国を許可されるまでに、母は3人の子供を外国で亡くしていた。
遺骨も、外国の地で眠っている。ここにたどり着いたとき、一粒の米も無く
父の「外科手術のとき使う、鋏と、コッフェル等が唯一の宝だったという。

村の精米所に、

「お金はそのうち間違いなく払いますので、
                  米をわけていただけませんか?」

眉毛が米ぬかで真っ白になった精米所の叔父さんが、
「いいですとも!こんな山の中の無医村に、東京の学校を出たお医者さんを
つれてきてくれたんだ!、、、この俵、持ってってください!」

お米は久しく食べてなかった母は40キロに足りない体で、俵を抱いて
座り込んでしまったそうです。

「糠が、、、目に入ってしまって、、、、と、、
ボロボロと涙が糠を流し去ったといっていた。

幼い頃の写真は、私も、栄養失調のように細い。
しかし、村人は、鮎や、うなぎや、野菜を、「診療費」の代わりに
届けてくれたおかげさまで、七輪で焼く川の恵みのおかげで
少しずつ、栄養失調は直っていった。

それでも、村の中には、その日の食事に事欠く疎開者であふれていた。
「おまえんちは、医者だから、美味いもん喰っとるやろう!」

青洟をたらしたガキ大将から、
ボロボロのわらじを投げつけられたこともあった。

「人の見ている所で、食べ物を思い出させるような事をしてはいけません!」
母は被災地から帰ってきたような疎開地の人の心を察していたのだろう。

それでも、私は、恵まれた医者の娘と思われていたのだろう、
2歳半のとき、十代の女性に、囲炉裏に落とされ、右手の手のひらが
くっついてしまい、左効きに育っていた。

食べ物の恨みは恐ろしい時代であった。

外科医の父は、京都大学の、教授に山村までお越し願い、一ヶ月も
お泊りになって、指導してくださった先生のおかげで、
娘の私の手を、開いてくれました。

17歳になるまで、7回の移植手術を受けました。

東京に帰還できてからは、警察病院の大森先生が「Zカット」という
新しい方法で、最後の仕上げの指の形成をしてくださいました。

母も、私も、人前で食べなくなったのは、こうしたいきさつがありました。

医師の夫人や子供達は、とかく、「得をしているやつら」という
レッテルの中で、生きねばならない時代でした。

しかし、舞台裏は、
小学校の先生が、生徒に弱みを見せられないのと同じで
「命を預けてもよい」と患者さんが思えるような
威厳と、信頼と、品性と、哲学の中で、
総ての貧しい気持ちにも寄り添うことが大切と諭され、
父母は、私を囲炉裏に落とした女中さんを、叱ることも、
解雇することもせず、村人に受け入れられてゆきました。

祭りの日には下戸の父は、お酒を勧められるのを避けて
雲隠れしていました。

母は、モロブタいっぱいの握り飯を、何段も重ねて、みこしを担ぐ
若衆に、炊き出していました。

小学校には、音楽の時間、ピアノを教えに行っていました。

それでも、家族が食事をするとき以外は
母の口が動いているのを見たことがありませんでした。

今、日本の「ごちそうさま」を
食事に事欠く後進国や未開の奥地の貧しい人たちが見たとしたら、、、

どんな気持ちになるのか?想像もつきません。

飽食にあふれた食い倒れのような番組の中で、

NHKの伝えたい「人としての最大公約数のような、、、食べること」が
実は、もっとも、残酷な妬みをもたらした戦後があることを、
私は、体に残る植皮の後をさすりながら、

自分の痛みは感じる時間のない、「外を整えて、干渉しない」
コミュニケーションの下手な人生を、歩んでいます。

誰が悪いのでもありません。

「貧乏」という条件が作り出す
「妬み」や、「いじめ」や「疎外」は
大きな時代の大河のの中で、
流れに乗れなかった小枝や、
ゴミのように軽んじられた孤独が、、はけ口を求めて、
身近な、、、よく見える朋友にも出てしまう時代だったのです。

目指せ東大!、、、受験地獄の時代を流されて、青い鳥を求めて
さまよう若者に、突破口を与えたのは

被災地で立ち上がった、少女だったかもしれません。

TV番組では「医師」の家庭の夫人など、
面白おかしくドラマ化していますが、

現実と、あまりにも違うので、私は、おかしくて、笑いながら
よく観ます。

「命」をいつも見つめてきた医師のそばで、

ちぐはぐな時間に食事を一人でトル主人と、
「病院漬け」の医療人は、15分で昼ごはんを済ませます。

私も、病院に薬剤師として勤めた頃は、
昼休みのカーテンを閉めても、
10分後にはカーテンを揺らす患者さんに、
弁当を全部食べきれない昼休みを過ごしたものです。

大阪、、、食い倒れ、、、
人として
最高の贅沢を許されている不思議な街と思います。

ごちそうさん、、、とても面白いのですが、、、

戦中に生まれた70歳は
複雑な気持ちの、泣き笑いで、見ています。

長谷川利行の絵のような、すごい時代でしたからね。

彼の歌集を見ていると、精神の壊れそうな境目を歩きながら
東京大震災の街を、さまよってます。

食べれる、、、これ以上の贅沢は、、無いんではないですかね?!

垢抜けした、ごっつい素敵な青年と、まっすぐなメイコさん、

紀子さんがとても可愛くて、ドラマは毎日が待ちどうシイですよ。

なぜか、、、命も70歳になると、時代の風景を回顧したくなっただけです。

もう、二度と戦争を起こさないでくださいね!

国会は一丸となって、平和を護ってくださいね。

世界で、初めて原爆が落ちた国なんですから、

世界の平和を引っ張っていけると信じています。

ごちそうさん、、、という言葉自体、平和が条件の言葉のように思えるのです。


東京都はどこへ行く?

2013-12-20 01:59:14 | Weblog

連日、東京都知事の報道がTVやラジオでなされていますね。

オリンピックも東京に誘致されたし、

めでたしめでたし、、、とは行かないのが、
政治のせかいなのでしょうか?

次は誰が?
都知事になられるのでしょうか?

10人衆ぐらいが、円陣を組んで、
各専門分野の頭脳を出し合って
一人の都知事の役をこなしても、
まだまだ、、、ムツカシイ巨大都市東京です。

100人衆の円陣のまとめ役というよりも、、、伝達役が
都知事サンと言うことになっても、
不思議ではありませんよね。

文化も、政治も、貿易も、外交も、、、、etc.

皆、ハイレベルから、ロウレベルまで、
山手線の真ん中と、
外側周辺と
共生してゆくような、大都市の知事さんを、

一人で出来るなんて、、、、すごいことですね。

かって、「そうせい、ソウセイ、、、」と
何でも部下任せの名君が徳川300年を、
明治に変えて行ったそうですが、

都知事になってしまったら、、
個人的に、何かをすることは、
出来ない立場なのかもしれませんね。

そうせい、、、!

個人的に借金をすることが、
違法になる立場というのは、
個人ではなにも出来ないということなのでしょうか?

東京都のドンが5000万円持っていたとしたら、
高級老人ホームにも入れないということになりますね。

そうなると、やっぱり、政治家さんは
お金持ちの坊ちゃまか、嬢ちゃんで

秀でた政治力と、名声と、ぬきんでた個人の能力が無いと
勤まらないということでしょうね、、、、

美濃部さんや慎太郎さん以上の都知事って、
若い中から出てきてくれると、

雨降って、地固まるのでしょうけどね。

せっかくオリンピックを誘致できたのですから、

東京を、これ以上、、、ごたごたさせて、
イメージを悪くするのは、

国外からの競争相手が、、、どう思うでしょうね。

隣の国に笑われますよ、、、

国の中で、仲間同士争うのは短期間でクリヤーカットにして

オリンピックのためにも、

団結してください!日本よ!東京よ!

政治オンチの、70歳のばあちゃんは

ごたごたが、、、大嫌いですよ!

オリンピックまでは、絶対生きていたいから、、、

老骨に鞭打って、若返ります。

世界のイメージを、壊さないリーダーに、、乾杯!



輪と和と環と話と倭と羽

2013-12-14 02:27:52 | Weblog
最高ですね、、、今年の「輪」
五輪の輪、、、国会もようやくころころと「総理大臣」がかわらなくなり

敗戦後60年以上過ぎて、日本の位置を国民も国会も、手探りで認識をはじめ
日本は、世界の輪の中で、和を担当できる国家になりたいですね!

秘密云々は、いろいろありましたが、阿部さんを信じて、
国民を護ってくれるためにしたことと、信じますから、
孫子の時代に、アジアも、世界も共存して、瑞々しい地球の平和を大切に護って
世界が、母なる地球を皆、丸ごと愛する国になるように、祈っています。

札幌市のような近代の都市でも、何十年も、北38条西7丁めあたりには
市のバリケードがおかれて、道路と敷地内が遮断されているところもあるようです。

理由はわかりませんが、税金も十分過ぎるほど納めていますが、
何かわからない理由で、市のバリケードが撤去されません。

きっと、市役所の職員が忙しすぎるのか、
コロコロと転勤するので申し送りがされていないのか?
あるいは、他にわけのわからない秘密の理由があるのか?

平和な札幌市に、何十年も、道路と敷地を隔てるバリケードが撤去されないのは
政治と市民の間の「秘密があるのでしょうか?」

市民と政治が信頼関係で結ばれるなら、秘密は仕方がありませんが、
差しさわりが無いのでしたら、理由を知りたいと思うのは
平和を愛し、個人の権利が、安心して暮らせる日本であって欲しいのです。

たわいも無いことであっても、
理由がわからないと、不安になるものです。

今回、国会を通過した秘密何がしも、市民にわかりやすく説明して
国の輪を大切に、納得して、国家に協力できたら、
日本は、末永く栄えると思います。

大切なのは、理由がわかるということですよね。
冬の除雪も、両サイド平等に除雪する難しさの中で、
市民は、真夜中の除雪車に感謝しています。

もうすぐ、、、今年は過ぎてゆきます。

阿部首相の、目覚しいアクティブな行動に、平和が答えてくれますように。
いつまで生きているか解からない年になった私ですが、

日本の平和が、世界の平和と「輪になって、緑の地球が永遠であるように!」