50年前、明治、大正、昭和と人生54歳を、生きた父が、
晩年、ぽつんと言ったことが、神社のことでした。
階段を登り、大鳥居を避けて、横から参道に入り、一歩一歩歩くうちに、
「ありがたい、、、」という、不思議な、感謝と、敬虔な気持ちが湧いてくるから
「神社って、いったい?何があるんだろうね?」
子供達への、、、問いかけだったのかもしれません。
大きな家の長男に生まれ、弟、妹2人、関東大震災に出っくわし、
弟を負ぶって逃げ回ったという父。
父の弟(私の叔父さん)は、兄の肩に噛み付いて、しがみついて、固まっていたのか
父の肩には、歯型が残って傷となっていた。
父の実父は、宮内庁に勤務していた。
明治神宮は明治陛下の神宮であるので、三元日も、受験も、縁談も
ことある如く、神宮におまいりしては、心の平安を戴いていたそうです。
では?、、、宗教心があるのかどうか?
それはまったく別の心のようなものだそうでした。
父から聞いた靖国神社のことも、もともとは招魂社といって、
函館五稜郭で旧幕府軍とたたかって明治維新の実現までに
憂国の志士といわれた吉田松陰や坂本竜馬らとともに、
戊辰戦争の戦没者が3千余人が文化の流れのように祭られて、
日本国民は、御神霊としてお参りしたそうです。
なぜか?というと、、、
300年もの長い鎖国をしていた徳川幕府の前に1853年
アメリカから、ペリー提督が黒船で浦賀に来たとき、
あまりの「文化の違いが見える恐怖で、日本はでんぐりかえるほどの
衝撃を受けましたとさ。
結局開国して列強諸国と、
弱者としての「不平等条約」をむすんでしまったとさ。
この条約をいいことに、
欧米列強国が、まるで、いじめをするかのように
何やカヤと、注文を出し始めたそうな。
このまま注文どうりに従っていたら、「植民地になってしまう!」
憂国の志士はじめ、多くのインテリは憂いましたとさ。
「日本は、どこの国の家来にも成らん!独立した国じゃ!」
300年の鎖国のリスクの、文化の送れなんぞ、100年もあれば
追いつき追い越せジャ!。
そういうわけで「日本国の独立を護るべく、近代的政治制度を取り入れて、
チョンマゲ、刀の「俺、俺、万歳の封建制度から脱出」「明治維新へと
わが国の世界からの孤立を憂う志士が、戊辰戦争で戦死を遂げた。
「我が国の為をつくせる 人々の 名も武蔵野にとむる玉がき」
やんごとなきお方の歌とともに
明治12年、明治維新へのための日本国内の内戦で果てた
戊辰戦争の憂国の志士たちが眠る招魂社は、
靖国神社と名前がかわったそうです。
西南戦争という内戦を経ながら近代政治へ、又、近代経済機構へ、
そして、近代文化の近代国家へと急速に発展し、欧米列強の武力による
アジア進出の植民地化に対抗して、
独立国日本を死守していったのだそうですね。
欧米列強国に「日本は対等の国」と認めさせる為の戦いに
さきがけ、中東アジアの安定の鍵を握る
朝鮮国の独立が最優先と
日本は、近隣国に働きかけ始めた。
ところが、当時の清国(今の中国)が干渉に乗り出し、
アジアの平等な平和への計画が進まなかった。
ついに!!!!!、、、明治27年日清戦争が起きてしまった。
たった、、8ヶ月前後で日本は戦争に勝利を収めたが、
ロシア ドイツ フランスの三国干渉で遼東半島は返還された。
さらに南下してきて、満州に進出して
南進政策のロシアと衝突!
明治37年日露戦争が始まってしまった。
旅順かいじょうヒャクナリて 敵の大将ステッセル、、、
お手玉も、縄跳びも、歌いながら遊んだ子供の頃が思い出させられます。
子供達は、、、わけもわからず、
歌い、踊り、靖国神社を参拝したのでした。
日露戦争が始まっていたのです。
旅順、奉天、日本海の海戦。
乃木大将、東郷元帥、ロシアの満州と朝鮮への進出を抑え
日本は、満州へ進出し、近代国家へと躍進し、
欧米列強国と結んだ「不平等条約を改正」出来るまでに
世界に向けて、共存共栄の成長を遂げたのだそうですよ、、、。
ここで、私事ですが、昭和35年都立高校の社会の授業には
こんな問題が出たのです。
なで???大東亜戦争がおきたのか?
思うことを書きなさい。
日露戦争までの日本の近代化のスイッチを押したのは
アメリカのペリー提督の黒船ですが、
三国干渉で、かかわってきたのは、ロシア、フランス、イギリス、
清国です。アメリカは、日本が近代国家に成長するまで、
傍観者のように見ていたのでしょうか?
力を持ち始めた日本の「幼さ、危うさ、、、」
アメリカは、未来をかんがみて、日本を「仮想敵国」として
対日政策を転換させていたのではなかったろうか?
虎の子は小さいうちにやっつけなければ、大人になっては
面倒だったのかも知れませんね。
なにも怖くないが、、、、あなたの優しさが怖かった?
自国とはとりあえず、問題は起きて無くても、
その、、、急成長振りの未熟さが怖かった???
日本はアメリカに敗戦しましたが、
生物、生き物、命、瑞々しさを、一瞬にして、「元素に還す」
化学兵器は、人間を「別の物質に変えてしまった。」
命という、瑞々しい生き物の戦いにはルール違反である。
独楽のように回転し、NとSとを指しながら、空しく軌道を
じてんスピン)しながら廻る哀しき元素に人間を無差別に変えた
アメリカの兵器「原子爆弾」
長崎、広島、への2発の原子爆弾の意味を知ったら
スモッグや、工場垂れ流しの汚染なかで発展する中国は
行き着く先が「元素に戻る人間の無差別破壊」と認識できたら、
開発を立ち止まり、地球の丸ごとの平和への政策に転換するのでは
なかろうか?
日本の、原子爆弾までの道のりは、あまりにも、残酷であったと思います。
肉弾三銃士、特攻隊、竹やり女性部隊、姫ゆりの塔。
日本の英霊達は、独立国を護ろうと、戦った。
戦わなかったら、植民地のような支配を受けて、今頃キット、
独立戦争がおきていたかもしれません。
アメリカの大統領は、黒人の血も入った方です。
日本への原子爆弾の意味を、キット、
世界平和への十字架とおもってくれるでしょうか?
生命科学の幅を、どんなに広く考えても、
人間は「元素に戻ってしまっては、おしまいです。」
かろうじて、原爆の洗礼は受けましたが、
之がm世界への平和への発言権になりえて、地球丸ごとの碧を護り
地球丸ごとの、戦争の無い星の認識に立てるなら、
今日の日本になるまでの、システムに巻き込まれて、尊い命を
戦争に捧げてしまった英霊を慰霊し、お参りに行くのは
日本人の父母に参る心とどこが違うのだろうかと、思えるのです。
日本国内の近代国家への発展の為に、時代の波にさらわれた
英霊達は、戦争という人工の津波の中で、消えてゆくのを
日本人なら哀しいはずですよね。、、、
オバマ大統領が、理解してくれれば、
中国も理解してくれるように思えるには、、、、
政治オンチで、時代も昭和生まれの
ばあちゃんだからかも知れませんね。
靖国神社のお参りは、なぜ?
こんなにも問題になるのか?
いまいちよく理解できないまま、、、70歳になろうとしています。
理屈はいりません。
時代の津波に巻き込まれるように
戦争を知らなかった庶民も女性も、学生も、
皆巻き込まれて、、、、死んでいったのが戦争でした。
誰かが指揮をとったのでしょう、、、
しかし、、、戦争って、集団のヒステリーのように
何が正しいのか、正しくないのか、
現実には狂気のゾーンに
人は、人でなくなり、愛も、命も、
木っ端微塵になったのです。
世界の平和につくしたいと発言されている
阿部首相にかけたい、、、
今は、あの、頑張りにかけてみたい。
コロコロと、首相の変わる国会には
再びならないように、
円卓に座して、皆で世界に向かって
戦争の無い地球を目指して欲しいです。
政治オンチの婆ですが、
孫子の代には戦争は無くなっている世界の国国を祈っています。
良い新年を迎えましょう!