外はマイナスの世界。
自転車で九州、四国
山のプロが一筆書き登山で案内してくれる
北アルプス、黒岳が。水晶だったなんて
山の神様の光の恵みの貯金箱が岩だったなんて、、、
かってに考えて、ほほ笑んでます。
3つの県にまたがる山頂の
登山者の、欲張りスタイルの茶目っ気に
若いから、天地を抱けるんだねー!!
このNHKの山の番組の後だと
カチカチになった72歳の筋肉を、
湿布だらけ、サポーターだらけにしても
あの若者に、、、負けちゃおれんと!!!
ドカドカ豪雪を雪かき完了。3時間登山相当の
3時間雪運び完了!
車庫の上で大の字になって
72歳のばっちゃんは、
若者に元気もらって、雪の空を抱いた。
氷が冷たいなんて
言ってられません、、、
岩手の氷のスケートの妖精たちに
心洗われました。
金メダル争うのと、、また、、一味違うね。
解説で、早口で、、音楽を邪魔しない心を使う、、女王。
トリノの誰も寝かさない興奮のあの日が
真っ赤な真紅の押し花になっている舞台の上で
真っ白な光の中で、真っ白な心が
被災地の復活を祈る。
レクイエムの空気の中の懐かしい方々を
量子力学の世界の、永遠の宇宙のほほえみのように重ねて。
摩擦のない、器の中の祈りが宇宙に拡散してゆく。
彼が、この世に降りてきて
陰陽師を舞うときは、氷のリンクが舞台になって
真っ赤な血潮が優劣を乗り越え、芸と、スポーツと気力の
限界に挑む彼の男の挑戦が
年齢を超えた観衆の血潮を掻き立てる。
でも、、、私は、、レクイエムを舞う彼が
天に祈りを届かせて、復興は夢ではないと信じたい。
子供たちと舞う真央ちゃんに
また、
新しい命を感じながら、
真央ちゃんは、真央ちゃんだと
還って来てくれて、、、とてもうれしい。
あと、2週間、厳寒期の北国の冬も
今年は越せそうです。
41歳になって、、、
やっと一人前の医師になった息子に
真央ちゃんのような
素晴らしいお嫁さんと出逢ってね!
真央ちゃんのような人は
世界の宝だから、
個人のお嫁さんにはならないでしょう。
真央ちゃんのお姉さんは
美人だから
大富豪に嫁ぐでしょう。
楽しみな美女ですね、、、
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気になる息子の結婚適齢期
41歳、、、やっと一人前の腕になった息子。
夫が、一人前になったのも40歳。
10年間は、女房が、ひたすら、
後方の憂いなきように全てを引き受けて
孤軍奮闘した。
僕は、晩婚になってもいいから、
一人前になってから、
妻と一枚の着物の裏と表のように
二人で一人の結婚生活をしたいから、
43歳までには誰かと出逢うと思う、、、と言う。
目下、家も、車もない。
結婚してから、二人で都合の良いところに
家を、ローンで買うという。
短大以上の、育児の知恵と常識があれば
あとは、、、僕を愛するか、
僕が彼女になる人を
命に代えても、「守りたい」と
思える相手化によるよね、、、と。
夫も、75を超えても
青年のように
頭は若い。
現役の医師達は
時間と言う敵に負けているのかもしれない。
気持ちだけが、若さのまま置き去られているから
41歳は、、、焦るべき、、、結婚年齢だと
自覚がない。
仕事が、好きで、良い仲間との啓蒙し合った時間が
リンクの上の妖精たちのようなスピードで
時間が過ぎる。
神様、、、多くの人の力になれますように
私の息子にも、スケート靴を与えたまえ。
彼を置き去ってゆく時間のスピードに乗れる靴を
彼にも与えたまえ。
彼は「医師としては血筋はサラブレッドです。」
父親は外科医、
父親の父方のおじさんは産婦人科医で
叙勲されていますし
母方のおじさんは「宮様の賞をいただいています。」
お爺ちゃんは外科医です。
もう一人のおじさんは「内科医」ですが
国立がんセンターで内視鏡の指導医をいただいています。
学者さんのような根っこのある考え方ですが
多くの患者さんをすくえたら、
満足と言いています。
彼のおじさんは
被災地同様な
敗戦の戦後を復活させた「団塊の世代」
日本にCTなるものが無いと言っても過言ではない時代に
千葉大学の市川先生に出逢い、
外科の医局を飛び出し
「国立がんセンター」に青春の夢を抱いて飛び込んだ。
息子は、おじさんの夢に萌えていた画像診断や
画像病理やらせんCTの話をする熱気に
巻き込まれていったのかもしれません。
画像診断は時代の先を行っているから、
外科医にかかるときの
疾患の手遅れを未然に防げると、
興奮していた。
しかし、、、悪性だけというより
助かる疾患の治療をベストに持って行けることにも
夢があったようである。
家に帰ってからは
「病院の話や、病気の話、仕事の話はしない。」
叔父さんは、僕たちの世界からすれば
パイオニアで
コロンブスの卵を立たせた先駆者だから、
国の宝だよ、、、と言う。
「親父がバイパスの基礎実験をして
博士号をもらったとき、
おふくろは、外科医だった父が、54歳で過労死したのは
バイパスの手術が、その頃はなかったと言っただろう!
今は、、母校の「神の手の外科医」が
玉体を「お救いできる時代になったんだから、、」
医学の進歩はすごいんだよ。
血管の異常だって、ステントと言って
手術しないで出来るんだ。
息子は、おじさんの話になると、
外科医はお父さんに任せて、
画像診断の選考をした。
(息子が)医科大学に入学したころは
叔父さんは、「肝胆膵」に関する
医科大生の教科書を出版していた。」
(当時息子の尊敬していた)叔父さんは、
さりげなく自分の著書をくれた。
叔父さんは、神の域だ!と、
もらった教科書をなでていた学生時代だった。」
その叔父さんも、息子が一人前になるのとすれ違いに
定年していった。
激動の戦後に、巨大な花を咲かした無痛の検査の
検査室長を定年で引退したおじさんは、
多くの、若き医師達の心の中では現役である。
その叔父さんは、
最近、定年してから、NHKの医学番組に登場する。
「ご近所から、NHK 出てるから!!」と電話が鳴る。
北海道に、若き外科医を迎えに結婚した私は、
医学の日進月歩の速さに
夫を実家の東京に迎えるチャンスを無くした。
親からの時代の開業であったが、
外科医の院長だった父を54歳で亡くした後、
内科医の兄と、従妹の耳鼻科医。旧友の歯科医、、
そして、画像診断の弟、私の夫の外科医。
病院拡大のチームもできていたが、
兄は「医師は、一代限りだ、、、後を継ぐことはできない、、、
出来るのは、施設と言う物と、医療施設だったという
既得権のようなものだけじゃないか?」
疑問を持ち出した。
皆、力いっぱい、自分の医師生命を燃焼できる生き方に向かえ!」
息子も内科医になったが、、、兄のあとは継がない事になった。
親の代からの敷地は、東京都であるからして、
現在の値段の95パーセントに現金納入の相続税がかかる。
一戸の家も買えない値段で父の代の施設も土地も人手に渡り、
老人施設に移る義姉の記憶は天使になっていた。
実家が無くなった寂しさはひとしおであるが
遠く離れていても、
弟とは
TV出逢えるから、。
NHKには感謝である。
閉じ込められたような北国の生活は、
厳寒期はNHKに救われて。
何とか頑張っています。
来年も、頑張れたらいいね。
愛があれば、頑張れるよね。
医療施設も、医療も、
政治の胸先三寸で
鳴門の渦を乗り切らねばならないのが
病院経営であるから、
我が家のように、
医師としての命をとれば、
開業は医師の腕が振るえないと考えたのかもしれません。
育ちは中流以上の教育と教養を受けれたのですから、
不動産の後ろ盾が無くても、
息子の医学の腕さえ無我き続ければ、
大きな施設から、地域にも、国にも
お返しできると思うのです。
無一文に見えるけれど、
一人前の医師の腕は
お金では勘定できない財産です。
ある女性と、
運命の出会いがあって、
見えないけれど、
一人前に育った医師の腕を持つ
息子の、
社会から必要とされることが
夫婦の財産だと
財産に気が付く前に、
愛がめばえたら
見えない財産ではあるが、
医師の腕を持った息子をきっと
認めてくれるでしょうね。
居場所があるという、、、宝に気が付いてね。
親の私としては、明日がわからない高齢者になりましたが、
とりあえず、一人前の医師になって
人様の役に立つ社会人になれて
社会にお返しできたのだから、
ここから先は、運命の神様が
運命の妃と出逢わしてくれますように
祈りながら、
銀板の上の妖精たちと、
未来に出逢う息子の嫁さんと重なりながら
大根を抱えた、藍色のワンピースの丸ぽちゃの
眼鏡をかけた女性が、
温かいみそ汁をよそって笑う現実が見えて
窓の外では 雪が舞いながら
夢と現実を吹雪に中に飲み込んでゆく
厳寒期の2月です。
之は、電話をしても、診療中の君だけに
日記として、
母の本音を書き記します。
NHKがある限り、
自転車と、山と、スケートと、
世界の旅をして、
幸せに、頑張りながら、
天地のおっぱいを、
夢中ですって
おなかいっぱいで
コトンと眠りに落ちる赤子のように
天地のおっぱいを口から離して
眠りながら、、、私は逝きたい。