花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

東京マラソンを楽しみました!

2016-02-29 01:52:48 | Weblog

東京マラソンと石原慎太郎さんは、都知事の時代

快挙ですよね、

こんなに楽しめるマラソンが

東京にあるなんて、

それにしても、

順天堂の時代に

山登りで、

皆の記憶に新しい、、、あの選手!

病を乗り越え5位日本に完走しただけで、

観劇しました。

よく頑張ってくれました。

時代は移り、

今は、青山大学のマラソンチームが

大輪を咲かせていますが、

世界の強豪は

黒光りした太陽の子

強いですね!

エチオピア、、、

楽しかった!、、高橋さんの

マラソン解説も、よかったね!




厳寒の2月、、NHKにすくわれています。

2016-02-27 08:34:52 | Weblog

外はマイナスの世界。

自転車で九州、四国

山のプロが一筆書き登山で案内してくれる
北アルプス、黒岳が。水晶だったなんて

山の神様の光の恵みの貯金箱が岩だったなんて、、、
かってに考えて、ほほ笑んでます。

3つの県にまたがる山頂の
登山者の、欲張りスタイルの茶目っ気に

若いから、天地を抱けるんだねー!!

このNHKの山の番組の後だと
カチカチになった72歳の筋肉を、

湿布だらけ、サポーターだらけにしても
あの若者に、、、負けちゃおれんと!!!

ドカドカ豪雪を雪かき完了。3時間登山相当の
3時間雪運び完了!

車庫の上で大の字になって
72歳のばっちゃんは、
若者に元気もらって、雪の空を抱いた。

氷が冷たいなんて
言ってられません、、、

岩手の氷のスケートの妖精たちに
心洗われました。

金メダル争うのと、、また、、一味違うね。

解説で、早口で、、音楽を邪魔しない心を使う、、女王。

トリノの誰も寝かさない興奮のあの日が

真っ赤な真紅の押し花になっている舞台の上で

真っ白な光の中で、真っ白な心が

被災地の復活を祈る。

レクイエムの空気の中の懐かしい方々を

量子力学の世界の、永遠の宇宙のほほえみのように重ねて。

摩擦のない、器の中の祈りが宇宙に拡散してゆく。

彼が、この世に降りてきて
陰陽師を舞うときは、氷のリンクが舞台になって
真っ赤な血潮が優劣を乗り越え、芸と、スポーツと気力の
限界に挑む彼の男の挑戦が

年齢を超えた観衆の血潮を掻き立てる。

でも、、、私は、、レクイエムを舞う彼が

天に祈りを届かせて、復興は夢ではないと信じたい。

子供たちと舞う真央ちゃんに
また、
新しい命を感じながら、

真央ちゃんは、真央ちゃんだと

還って来てくれて、、、とてもうれしい。

あと、2週間、厳寒期の北国の冬も
今年は越せそうです。

41歳になって、、、
やっと一人前の医師になった息子に
真央ちゃんのような
素晴らしいお嫁さんと出逢ってね!

真央ちゃんのような人は
世界の宝だから、

個人のお嫁さんにはならないでしょう。

真央ちゃんのお姉さんは
美人だから

大富豪に嫁ぐでしょう。
楽しみな美女ですね、、、

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   気になる息子の結婚適齢期

41歳、、、やっと一人前の腕になった息子。
夫が、一人前になったのも40歳。
10年間は、女房が、ひたすら、
後方の憂いなきように全てを引き受けて
孤軍奮闘した。

僕は、晩婚になってもいいから、
一人前になってから、
妻と一枚の着物の裏と表のように
二人で一人の結婚生活をしたいから、

43歳までには誰かと出逢うと思う、、、と言う。
目下、家も、車もない。

結婚してから、二人で都合の良いところに
家を、ローンで買うという。

短大以上の、育児の知恵と常識があれば
あとは、、、僕を愛するか、
僕が彼女になる人を
命に代えても、「守りたい」と
思える相手化によるよね、、、と。

夫も、75を超えても
青年のように
頭は若い。

現役の医師達は
時間と言う敵に負けているのかもしれない。

気持ちだけが、若さのまま置き去られているから
41歳は、、、焦るべき、、、結婚年齢だと
自覚がない。

仕事が、好きで、良い仲間との啓蒙し合った時間が

リンクの上の妖精たちのようなスピードで
時間が過ぎる。

神様、、、多くの人の力になれますように
私の息子にも、スケート靴を与えたまえ。

彼を置き去ってゆく時間のスピードに乗れる靴を
彼にも与えたまえ。

彼は「医師としては血筋はサラブレッドです。」
父親は外科医、
父親の父方のおじさんは産婦人科医で
叙勲されていますし

母方のおじさんは「宮様の賞をいただいています。」
お爺ちゃんは外科医です。
もう一人のおじさんは「内科医」ですが
国立がんセンターで内視鏡の指導医をいただいています。

学者さんのような根っこのある考え方ですが
多くの患者さんをすくえたら、
満足と言いています。

彼のおじさんは
被災地同様な
敗戦の戦後を復活させた「団塊の世代」

日本にCTなるものが無いと言っても過言ではない時代に

千葉大学の市川先生に出逢い、
外科の医局を飛び出し
「国立がんセンター」に青春の夢を抱いて飛び込んだ。

息子は、おじさんの夢に萌えていた画像診断や
画像病理やらせんCTの話をする熱気に
巻き込まれていったのかもしれません。

画像診断は時代の先を行っているから、
外科医にかかるときの
疾患の手遅れを未然に防げると、
興奮していた。

しかし、、、悪性だけというより
助かる疾患の治療をベストに持って行けることにも
夢があったようである。

家に帰ってからは
「病院の話や、病気の話、仕事の話はしない。」
叔父さんは、僕たちの世界からすれば
パイオニアで
コロンブスの卵を立たせた先駆者だから、
国の宝だよ、、、と言う。

「親父がバイパスの基礎実験をして
博士号をもらったとき、
おふくろは、外科医だった父が、54歳で過労死したのは
バイパスの手術が、その頃はなかったと言っただろう!
今は、、母校の「神の手の外科医」が
玉体を「お救いできる時代になったんだから、、」
医学の進歩はすごいんだよ。

血管の異常だって、ステントと言って
手術しないで出来るんだ。
息子は、おじさんの話になると、
外科医はお父さんに任せて、
画像診断の選考をした。

(息子が)医科大学に入学したころは
叔父さんは、「肝胆膵」に関する
医科大生の教科書を出版していた。」
(当時息子の尊敬していた)叔父さんは、
さりげなく自分の著書をくれた。
叔父さんは、神の域だ!と、
もらった教科書をなでていた学生時代だった。」

その叔父さんも、息子が一人前になるのとすれ違いに
定年していった。

激動の戦後に、巨大な花を咲かした無痛の検査の
検査室長を定年で引退したおじさんは、
多くの、若き医師達の心の中では現役である。

その叔父さんは、

最近、定年してから、NHKの医学番組に登場する。
「ご近所から、NHK 出てるから!!」と電話が鳴る。

北海道に、若き外科医を迎えに結婚した私は、
医学の日進月歩の速さに
夫を実家の東京に迎えるチャンスを無くした。

親からの時代の開業であったが、
外科医の院長だった父を54歳で亡くした後、
内科医の兄と、従妹の耳鼻科医。旧友の歯科医、、
そして、画像診断の弟、私の夫の外科医。

病院拡大のチームもできていたが、

兄は「医師は、一代限りだ、、、後を継ぐことはできない、、、
出来るのは、施設と言う物と、医療施設だったという
既得権のようなものだけじゃないか?」

疑問を持ち出した。

皆、力いっぱい、自分の医師生命を燃焼できる生き方に向かえ!」

息子も内科医になったが、、、兄のあとは継がない事になった。

親の代からの敷地は、東京都であるからして、
現在の値段の95パーセントに現金納入の相続税がかかる。

一戸の家も買えない値段で父の代の施設も土地も人手に渡り、
老人施設に移る義姉の記憶は天使になっていた。

実家が無くなった寂しさはひとしおであるが

遠く離れていても、

弟とは
TV出逢えるから、。
NHKには感謝である。

閉じ込められたような北国の生活は、
厳寒期はNHKに救われて。

何とか頑張っています。

来年も、頑張れたらいいね。
愛があれば、頑張れるよね。

医療施設も、医療も、
政治の胸先三寸で
鳴門の渦を乗り切らねばならないのが
病院経営であるから、

我が家のように、
医師としての命をとれば、
開業は医師の腕が振るえないと考えたのかもしれません。



育ちは中流以上の教育と教養を受けれたのですから、
不動産の後ろ盾が無くても、
息子の医学の腕さえ無我き続ければ、
大きな施設から、地域にも、国にも
お返しできると思うのです。

無一文に見えるけれど、
一人前の医師の腕は
お金では勘定できない財産です。

ある女性と、
運命の出会いがあって、

見えないけれど、
一人前に育った医師の腕を持つ
息子の、
社会から必要とされることが

夫婦の財産だと

財産に気が付く前に、
愛がめばえたら
 
見えない財産ではあるが、
医師の腕を持った息子をきっと
認めてくれるでしょうね。

居場所があるという、、、宝に気が付いてね。

親の私としては、明日がわからない高齢者になりましたが、

とりあえず、一人前の医師になって
人様の役に立つ社会人になれて

社会にお返しできたのだから、

ここから先は、運命の神様が
運命の妃と出逢わしてくれますように
祈りながら、

銀板の上の妖精たちと、
未来に出逢う息子の嫁さんと重なりながら

大根を抱えた、藍色のワンピースの丸ぽちゃの
眼鏡をかけた女性が、
温かいみそ汁をよそって笑う現実が見えて

窓の外では 雪が舞いながら
夢と現実を吹雪に中に飲み込んでゆく

厳寒期の2月です。

之は、電話をしても、診療中の君だけに
日記として、
母の本音を書き記します。

NHKがある限り、
自転車と、山と、スケートと、
世界の旅をして、
幸せに、頑張りながら、

天地のおっぱいを、
夢中ですって
おなかいっぱいで
コトンと眠りに落ちる赤子のように

天地のおっぱいを口から離して
眠りながら、、、私は逝きたい。

嬉しい雪の排雪日です(^^

2016-02-19 02:58:30 | Weblog


毎日毎日、こまめに、雪かきをしていた冬も

とうとう、、、春が見えてきました。

思いっきり若くてかっこいい若者が

ロボットマシンにも思える除雪車で
これまた、ダイナミックに雪を寄せて行く野ですよね!

毎年、幼稚園生になったような、わくわく感で
道路が、幅広くなってゆくのを観ています。

TVは、除雪車や、排せつ状況を中継しませんね。。。?

私は、仙台以南のTV中継をすると
雪国の、雪と闘う本気の男性たちの作業が
きっと、
目からうろこの、知恵と体力の勝負だと思うのですよね。

少しばかりの雪で
都会では、いろいろな事故も起こっていますが、

北国の雪との戦いは本物だと思いますよ。

除雪車と、雪の吹き上げ車、
そして次から次へと、雪を受け止めて、
荷台を雪山に変身させてリレーのように

次から次へと、走り去る排雪の現場は
冬に打ち勝って頑張る北国のエネルギーですね。

やっと、春が来ます。

春 来たりなば、、、桜の花を訪ねたし。




もう、、、雪かきでへとへと、、、冬だけ伊豆に行きたい!

2016-02-14 02:53:32 | Weblog

札幌の除雪は、表の通りはこまめに頑張ってくれますが、

二本も道路が傍側になりますと、
真ん中だけ雪押しする除雪では
降るたびに、道路半分の雪をどかさないと
わだちになってしまいます。

わだちになると、ご近所は、
御老人が多くて、
転んでしまいます。

夫も私も、転んでしまいます。

昨日、ママさんダンプと言うジャンボなスコップで
雪を寄せていたら、
連日の雪かきで
足が、こむら返りして、転びました。
ダンプだけが、滑って先に行ってしまい
握っていた捕っての部分で、
思い切りおでこからほほにかけて
顔面衝突し、

マルビッツの強い眼鏡のフレームのおかげで
目は守られましたが、
瞼が、、青たんになりました。

雪かきを途中でやめて
部屋に戻りました。

肩とひざにも 青たんが出来ています。
手は50肩で、不自由だった動きのせいもありましたが、

連日の雪運びで、足が過労になっていたのです。

おとといの朝7時から、3時まで雪をスコップで圧縮し
玄関前に築山を造りました。
一眠りして、夜、3時間かかって、
雪置場まで、ママさんダンプで運ぶのですが、

最後の一杯の時、
力が抜けて、、、地面と顔面衝突するという
ドジを、、、やらかしました。

気ばかり若くて、、、
体が置き去りになっていたのを
思いやれなかったのは、、、

自業自得というもの、、、ですが、、、

税金を納めていても、
除雪依頼をする余裕が出ないのは

北海道と言うところは
雪のリスクを解決しない限りは

3か月間の知能労働が高覧になってしまい
主婦は、時間を雪に閉じ込められてしまい

時間が止まってしまって、
置き去りになってしまいます。

雪のリスクを、、、何とかしなくては、、

考えながら、、、とうとう70歳代を、
筋肉頼みで、、冬超えしている最中です。

冬来たりなば。。。。。春。。。。遠い。

もうすぐ、、春ですね、、、

青春時代が、、、懐かしい、、、


日本人の特徴を生かした幸せを手探り

2016-02-10 03:06:20 | Weblog

島国だった。
天然の、
修行のように、
海が隔てた孤高の環境で
天地と語る機会が多い。

四季があるという
天地が変わる楽しさを教えてくれている。

天然の恵みの中で
共存共栄を自然が教えてくれた

何もしなければ、
神の造りし日本の四季の中で

輪廻転生の自然体のまま
時が止まったまま

人々の営みだけが繰り返されて
そのバランスは
自然が淘汰して、保ってて行った事でしょう。

かって武蔵野の東京は、
ぎっしりとビルが建ち、

地下鉄は、地下で幾重にも交差している。

神殿は2人、、、?

永遠の地上の鎖は
森羅万象を繋ぎ合わせて

宇宙までもはみ出して行っただろうか?

         眠くなりました、、、、ZZZZZZZ




札幌雪祭り、、、始まりましたね!

2016-02-06 16:02:46 | Weblog

雪が足りないのでは、、、と心配した事も、
杞憂に終わり
たっぷりと、
本物の冬将軍が
真っ白い夢を乗せて、
大通り公園にお目見えした。

全身打撲の雪かきも、
雪祭りを迎えるたびに
自分の腕力の小ささを思い知り

ダイナミックな集団の力を
喝采の拍手で迎えてきた。

40年以上前のことである

路傍に石ならぬ、、、
雪の造形の素朴な陳列が
いつしか、
多くの人々の
冬のマイナーな、雪かきから

雪と遊び、

アグレッシブに
雪を作品として楽しみ

大通りの冬のイベントまで発展させてきた。




札幌に来た当初の雪祭りは
私たち、
住民のささやかな思い思いの
おらが、、、ステージであった。

へんてこではあるが、
腹から笑える素人の世界の
陳列物が、
不揃いのリンゴよりも
赤く、香ばしく雪に咲いた花だった。

笑った、、、
腹がよじれた、、、!

冬の鍋焼きよりも
心をホットにしてくれていた。

いつしか、一代イベントとして、
津軽海峡を超えて、観光客が来る真冬

金髪外人や、太陽の国の外人が
雪に奇声を発していた。
祭りは、おらたちは、、、
ため息で、、、
絶賛する見物人になった。

札幌は板垣市長の時代であった。

オリンピックに
外人の案内のボランティアを募ったとき、

なんとなく、気軽な気持ちで
案内のボランティアを引き受けました。

五輪のマークの入った、
金属製の、大きめのバッチを下さり、
仲間たちと、外人さんの為にも
自分たちの、若さの発散にも、

単語を並べて、盛り上がったひと時でした。

国際色が出始めた大通りの風景でした。

それから、雪祭りは、
本格的に、大きなイベントとして、

遠くから眺めさせていただき
巨大なスケールの建造物には

自衛隊の皆さんの努力なしでは
ありえない、
「日本の祭り」の一つとして
札幌の市民権が、
海を越えて
輝くようになりました。

私も、、、生活や育児や子供の進学で
モミクチャの40歳~50歳が
職場復帰や、雑事で、飛んでしまいました。

年をとったせいもありますし
気がついたら、
孫が中学生になっておりました。

あちこちの神経が痛むこともあり
雪祭りは、自宅で

テレビや、DVDでの鑑賞になりました。

しかし、、、今年は杖を突いてでも
観たいのがあるのです。

新幹線の画像と
雪像のコラボレーションで

技術とアートが
円卓にならんで作成したという。

自衛隊の機動力
技術者のPCの技術
デザインの光のアート
そして、、、かの有名な音楽が
若き心を「わしづかみ」する。

札幌市も道も
力が入っていると、
ラジオもTVも紹介しています。

時代の黒船を感じるゾーンです。

70歳を過ぎた私には
気持ちばかり若くて
自分のコントロールが大変です。

雪祭りで、今回ほど

観たいと思うものが、、、かってあったろうか!!!

いつも、なんとなく大通りに行ってから
気持ちが盛り上がり
笑顔がこぼれて、
孫と「滑り台」にへばりついていたこともあった。

来てよかったね!、、、のパターンでした。

でも、、、今年は、見たいのですよね。

40年も待ち続けた

「新幹線」のイヴェントが



来し方の、人生の
離れ離れになった兄弟家族が
もしかしたら、
80歳を目前に、、、

北海道まで、、、やってこれるかもしれない!

あんなに、、、
新幹線を待ち続けていた母は、、

今は居ない、、、

空で見ている雪祭り、、、。

毎年、、電話がかかって来ていた。

一度でいいから、、、
雪祭りを観たいのよね、、、と。

寒いだろうね?
でも、美しいだろうね?
宝石の世界だろうね、、、

結婚する前は

一緒に
「ピラミッドに行きたい」
と言っていた。
なんで?「ピラミッド」に行きたいの?

『ピラミッドのてっぺんまで登ると、
其処には、
「一本の百合の花が咲いていて」、
微笑みかけてくれる気がするのよ、、、、』

私は理科女の薬剤師、
日大の理工学部を卒業している。
理屈で、物事を、具体化して観る傾向が強い。

母の言葉は難解である。

夢見る瞳で
「ピラミッドのてっぺんの百合の花」

雪祭りの白い光は
七色の夢の光が集積して
母の心の中では

「雪がダイヤの光を放ち、透明の雪を見るという?、、」

毎年、、、
2月には、電話がかかってきましたが、
私は、人生の山坂谷間を行脚中でした。
気が付くと、、
激動の若き時代が、
光陰となって過ぎていた。

60歳を過ぎてからの母を、、、私は知らない。

81歳の3日前まで

「よつ葉会」と言う。
音楽の会を主催していた。

結婚前は、私もお弟子さんたちの
演奏後の花束を用意したり、
お弟子さんの中から
音楽大学に進学した方もいる。

母の母校の卒業した音楽大学の後輩さんが

「協賛出演」してくれる舞台裏を
お手伝いしたり、

幼いお弟子の
「お馬の親子の連弾」を担当したり

地区の公会堂で、
皆の夢のお手伝いをしたものだった。

私が嫁いでも
北の果ての留萌に住んでも

若き娘たちが、
母を取り巻き、

親思いの弟も兄も近くに住んでいたから、

皆が、母のそばに居てくれたから
居てくれていたから

寂しさの、、、欠片も、、、無いはずと
思っていた。

私の方が、仕事の合間に
ふと、家族と離れ離れの人生を
寂しく思い
やるせない時がしばしばあった。

それが、、、
2月になると、
雪祭りに
「一度でいいから、一緒に会場を歩きたい」と、、、
電話のベルが鳴った。

迎えに行ってあげられるものなら
どんなに幸せだっただろうか?

私も、あのころの母の年になった。

どんなに、母が
大勢の人に取り巻かれていても
母と二人で、
雪祭りを楽しむべきだったと、、、

ふと、思うのです。

新幹線が、もう少し
速く本州と北海道を結んでいたら


宇宙からの雪の一片の詩の断片が

「無音の音楽だったかもしれない夢のの集積」
「雪の夢」は、母のオリジナルな曲になって
家族の愛唱歌になっていたかもしれません

冬の銀河になって、
空にばらまかれたかもしれない
星の瞬きの数だけ
母の呼びかけと思えるのです。

「母さん、、、ごめんね、、、」

地軸の上で輝き続ける
「小熊座」の尾っぽの星は
少年のように母に接した、、私かもしれない。

迎えに行かなかった娘は
母に矢を放とうとした少年のように
母の存在に気が付かなかったのかもしれない。

母は、どんなに多くの娘たちに取り巻かれていても
それは母熊の美しい毛並みに過ぎなかったのかもしれない。

心から、娘の私を
懐かしんでいてくれたのだった。

気が付いたときには、、、親は天空の上。

2月にやっと現れる大熊座の
「夢をすくう柄杓を見つめて」

多くの夢をあげたかった。
あの、、柄杓から、雪祭りの夢がこぼれるまで
母の心を満たしてあげたかった。


永遠に距離がある空の上で、

新幹線が走ることを、、、
喜んでくれていると、、
信じたいのです。

あなたの分身である孫子が
いつか、きっと、

新幹線に乗って
雪祭りに来ると信じていますよ。

銀河から、
しっかり見ていてくださいね。

お母さん、



五十肩と七十肩

2016-02-04 01:21:15 | Weblog

今年は、雪が少ないねーと
暮れには喜んでいたのが

北海道の冬は本物です!
雪まつりのころまでには

ドカン、、ドカン、、と雪が降りました。

息子たちは、
「呼んでくれたら、雪を描きに来るからね」
「母さん!屋根にあがるんじゃないよ!」
「業者にやってもらえよ!」

色々と、「気持ちだけは、伝えてくる、、、が!」

彼らには、勤めという、時間制限や
厳しい体力のコントロールも必要である。

まして、、、三人の子供たちの親なのだから、

屋根から落ちて、骨折でもすれば、
勤めは果たせなくなるだろう、、、。

業者と言っても、そもそもが、
ミサワホームが、
設計にない屋根の形を
あとから、あとから、つぎたしたり、とったりと

南に落ちてゆくべき雪が、
北側の、一階の屋根の継ぎ目の上に溜まるような

ありえない修理をしていったことから、

こまめに屋根の雪を下さないと、

氷になって、へばりついてしまい、

ピッケルが無いと、氷の部分ははがれない。

結局、こまめに、
自分で防ぐ意外に
屋根をいためず、
3回の吹き替えを、
このまま持たす方法はない。

今回の連続の降雪で、

右肩が五十肩の時のように病む。

外科医の主人は、
「靭帯が一部切れたのかもしれない」

湿布を這ってはくれるが、
手を痛めると
患者さんの病気の診断に困るからと

スコップは持たない人生である。

結局、40年以上も、雪の管理は
家内の仕事として
ごく自然に、定着した。

今年は暖冬かと思いきや、
正月から、急に雪が降り続けた。

毎日毎日、、、、
除雪車は道の真ん中だけ除雪するから
どうしても、幅3メーターの塀よりを
15メートルは除雪する、。。。角地なので。

さすがに、筋力を誇っていた
元気婆ちゃんも
3年前から、ガタガタである。

2年前の冬は、子宮落下により
入院手術で落下してこないように
腰の下を補強してもらった。
化学繊維のネットを、
筋肉の間に入れて、
ネットに、筋肉を這わせるのです。

●一年は、回復に安静。
次の年からは、
恐る恐る、、、屋根の雪を下した。

いちど、屋根の雪が巨大氷になって
バウンドして、居間に飛び込んできて以来

命拾いの戦慄の記憶が消えてくれなくて、
屋根の雪を、こまめにおろし
安心感を得ている。

しかし、今年は、思わぬ痛手に
日々の除雪に
いつもの3倍の時間を喰う。

おまけに、、、今年は、
自慢の筋肉も、形無しである。
真夏の、汗だくの筋トレは
大雪の前に、
はかなく、、、敗北。


左足が臀部から、坐骨神経痛になった。
さらに、五十肩と同じ症状には
肩コリと、痛みと、しびれが
ミックスして襲ってくる。



消炎剤を服用し、
湿布を張り
サポーターをはめて、

今日の雪は、ゆっくりと、ゆっくりと、
リハビリーのつもりで
ひとすくいづつ、圧縮して、小さく積み上げて終わりにした。
早朝5時から、8時の「あさがきた」の番組まで

3時間かかって、健康な時の半分を雪かきした。

前の御主人が手伝ってくれた。

ミサワの、屋根が心配で、仕方がないが
坐骨神経痛が、屋根にあがるのだけは
ストップをかけてきた。

ミサワの2級建築士さんに
北画をの屋根が、雪が解けないのに
南に落ちる雪まで
北に落ちるような、屋根の修理をしたから

北側がつぶれるのではないかと心配です。。。。と言ったら

去年の暮の段階では、
意外と屋根は強いですよ、

そういうのですが。
無理に、どこかが引っ張られているのだろう。

煙突の真ん中に
モルタルが横線一本はがれてきた。

真ん前の家の屋根は壊れて
半分ぶら下がっている。

北国の雪の重さが計算されていない屋根のこう配は

冬は真下の部屋に居る気がしないので、
物置として使っている。

夏になれば、水道や、カメムシだらけになる

換気口を防ぎ、
新築時代から、見つからない漏水している水道が
使わないで水落としたままである。

しっかり、、、固定資産税は毎年かかている。
リホームの見積もりを書いてもらったら
1500万円だという。

老人家庭には、とても、やる気の起きない値段である。

雪かきの季節になったら
五十肩、坐骨神経痛、不安と、恐怖で

屋根にあがってしまう。
今年も二回、屋根から雪を下したが、

解決方法が見つからない。

旧い家の、維持の難しさに
ほとほと、、、時間を奪われています。


フィリピンご訪問の夜明け

2016-02-02 01:50:17 | Weblog

個人の日記帳のブログとはいえ、

君だけの為の、交流会話ブログとはいえ、

両陛下の事を
私ごときが文字にして良いのかと
2~3日迷いました。

日本を許したフィリピン、、、

国民代表の美智子様を迎えられた陛下が
再び、フィリピンをご訪問されたことは、

戦前に産まれて、平成の世を生きてきた
私たち70歳代の者にとりましては

アジアの夜明けのように思いました。
日本はアジアの多くの国と
仲良く、助け合って、

平和に貢献できる夜明けに様に思いました。

お二人の光に包まれたフィリピンへの旅に
深く、、深く、、感じるものがございました。

自分の日記であるこのブログにも、
万感の思いで、記しておきます。

両陛下のご健康を祈ります。
、国民とともに
生きてくださった日々に、
感謝しております。

大河ドラマの想い出

2016-02-01 00:41:17 | Weblog

若いころ、母が結婚のお祝いに買ってくれた「高雄」と言うTVが
札幌に嫁いだ私の唯一の、情報源だった。

石坂浩二さんだったかしら???
「天と地と」と言う大河ドラマが印象に残っています。

それから、毎年、大河ドラマにはまってしまって
いつしか70歳を過ぎていました。

今年は眞田家の、戦国の生き残りをかけての
知恵と度胸と、生き様の幕開けです。

元来、眞田家と、毛利家、そして、、、そうせい公の
長州藩の歴史ドラマは、面白いと思っている。

世界情勢が、ネットで、ガラス張りになった今日

日本物語もできそうな時代であります。

生き残るというよりは

世界が丸ごと助け合って

戦争の無い世界にしてゆかないと、

原子爆弾を2発も受けた貴重な体験が

生かされません。

眞田の物語は、結末がわかっているだけに
安心して観ておりますが、

日本の政治討論会を聴いていると
TPPの働きが評価されながら

美学で辞退してゆく議員さんに

お疲れでしょうから、
しばらく休息されて

また、世界維新の時代を

日本丸が無事に航行できますように

出ていらっしゃるのを、

待っています。

大勢の頑張る政治家さんが
一丸とならないと、

世界中が、皆、仲良しの国になるまで、

足の引っ張り合いをしないように

国民は、見つめ、平和な世界を
祈っています。