雪が溶けて春が待ちどうしいこの頃です。
5月ごろには、皆もはじけて
日本中が、ゴールデンウィークのイベントに
フィーバーするのが、、、、、通例でした。
今年は、どうでしょうか?
戦後の貧しいモノのない時代に
5月になったら、
大人たちが、夜なべして創った鯉のぼりが
5月の空に泳いだものです。
障子紙の長いロールが
色とりどりの絵具によって
「空泳ぐ鯉」に変身するのです。
家族の鯉がバシャバシャと
和紙の音を立てているのが、
いつしか、、、
滝登りする鯉の
「水と戦う風の音」になっていくのです。
子供の心は
鯉の心とひとつになって
大空を泳いだのです。
私たちの育った昭和は
瀬を登り
岩に体当たりしながら
傷だらけになって
戦後の激流を登り切った時代です。
戦場で死んだ若者
置き去りにされた子供たち、、、。
精神病院に相談したいような
心の病を持って
戦場から引き揚げて
ゼロからの出発を余儀なくさえました。
ボロボロになった親たちは
それでも、、、
子供たちに
「何をしてやれるのか?」
暗中模索しているのが伝わってきました。
鯉の鱗を丁寧に色塗りしながら、
夜明けの光が
障子越しに。庭木を映し出す頃
鯉が仕上がりました。
朝日の中で
空に向かってポールを立て
家族で旗紐を引っ張るのです。
男の子達は
「ヨイショ ヨイショ」掛け声が大きくなり
てっぺんまで上がると、
手を叩き、飛び上がりました。
戦争で、我が子を大陸で失い
家も焼かれ、
財産も全て失った父母が
私たち生き残り組の
4人の兄弟にしてくれたことは
むしろ
大人たちに
「立ち上がる心を呼び戻したのでした。」
誰かにしてあげることができる自分たち!
空の鯉が父母を「スキル」の世界に導きました。
今は世界遺産となった熊野の山村で
七か村。外科医の居ない村に
父はやってきたのです。
医療保険の制度もありません。
医療費を払える人は
一握りです。
鮎やウナギが診療報酬の代わりに
ぴちぴちと跳ねていました。
ちょび髭の父は
村の人に教わって
鮎かけが楽しみになりました。
東京の坊ちゃまが
何ひとつふじゅうなく育った青春時代に
国立音楽大学の学生だった母と
新橋の演舞場で出逢いお互いに運命を共にした。
牛込の小学校では
陛下がお出ましになった事の興奮が
一念発起の勉強家になったそうな。
父は当時は自己実現が夢だったのかもしれません。
外科医となって
母が弾く
ドイツ製のピアノの「ムーンライト」に
満足していた。
やがて戦争に巻き込まれ
「外科医」は戦場に送られた。
東京の家は空爆で木端微塵。
軍では
「死ぬより恐い地獄の中でボロボロの兵士を手当てした。」
現地に子供を連れて合流した母は
3人の我が子を失った。
敗戦の防空壕の中で生まれた私は
栄養失調で泣かなかったそうです。
鳴き声のない赤ん坊は助かったそうです。
串本の親せきを頼って行った時
B29のゴンゴン、、、、という音と共に
親戚は吹き飛ばされたと言っていました。
熊野の奥えへ、奥えと逃げる父母。
古座川の上流にたどり着いた時、
村の診療所から頼まれて、
医師をすることになった。
初めて「米」をもらったときに、
戦地でも泣かなかった!
子供gs死んでも絶句していた母が、
米俵にすがって涙を流したと、、、晩年人づてにきいた。
人間の「居場所」というのは
きっと、、、白米が手に入るとこなのだろうね!
「居場所」は刻一刻と日時計のように
移動するが、
戦争というのは、
医師とピアニストという
猛烈に努力を重ねたスキルさえ
無視して、戦禍に放り込むものだと思うと
戦争だけは起こさないでと叫びたい。
幸運にも
熊野ノ一千年のパワー自然から恵まれ
父母の「喪失の心身喪失一歩手前の心」は
癒され回復に向かったのでした。
戦争を知らない「弟が産まれた!」
村中は皆で喜んでくれた。
この子のためにしてやれることは、、、
「鯉のぼりだったのです。」
末っ子の弟が、
スクスクト育ち
抜群の天才ぶりを発揮し出したころ、、、
父母は「戦後のアメリカナイズしてゆく日本に
息子たちの「居場所は新教育」だと感じたようです。
日本を再び無知な戦火で焼き尽くさないためにも
この子には
戦後の
「新しい教育をつけさせることだ、、、」
地球が一つの平和を求めるのなら、
「スキルこそ財産」なのかもしれません。
やがて、村人たちの涙の見送りに
何度か振りかえりながらも、
父は生まれ故郷の
東京ジャングルに帰って来たのです。
和紙で創った鯉のぼりこそ
空には上げれませんでしたが、
戦争を知らない末っ子の「弟」は
今は父の夢を引き継いで
スキルの人生を空高く泳いでいます。
雪を掻く合間に見上げる「オリオン座」
生き残り組の四人兄弟はバラバラに住みながらも
一つの星座を見上げています。
それぞれの「スキル」が必要とされる居場所に
今日も、身一つのスキル人生で
「夢追い人生」の「居場所」にいます。
でっかい「鯉」にも似て
空を泳ぐのが見えるから
私は「孤独ではありません。」
戦後の立ち上がり人性の
多くの夢追い人のおかげで
日本は復興しました。
しかし、大きな誤算は
女性が自己実現に目覚めたことです。
日本の女性は
「皆のために何がして上げれるのか?」
このように教育された時代から
大きく目覚めました。
次男も結婚願望が薄れてしまい、
30代半ばを過ぎて、
雑務を天職として、
子育てに母となって埋没してくれる女性は
出会えないと言います。
私も思うのですよ、、、
結婚は、、、肥沃な土壌に落ちた種のみ
幸せを感じる時間の余裕があるよね!、、、
スキルに生きる旦那方は
スキルを磨きそこなったら
日時計のように
居場所がずれ込み
夢を追えないから、、
女性が無意識に継ぎ足す「雑務の時間」を
ちゃっかり便乗するしか
活路はない。
それを支える女性は
自分が「鯉」になって空を泳ぎたいという
素敵な人ばかりになった今日、
結婚と子育ては
育児手当のような「具体」では
欠員となった「雑役ママ」の
代わりに成れて
鯉のぼりを空に引っ張り上げることが
できるのだろうか?
女の子だけを育て終えた母親達は
再び、、「女に還るのを身近に見る。」
男の子を育て孫も男ばかりの私には
素敵な若者に囲まれて
喜んで「雑務に明け暮れている」
結婚以来、、、40年
幸せは「雑務が生むのかも知れない、、、」
雑務の中で
寸暇を惜しんで
自分の「鯉」を空に放ちたい。
人間は、、、
最後に、、、
皆、空に舞い上がり
空を泳ぐのだから。