花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

緊急事態宣言の2021年r5月の連休を記憶しておこう

2021-04-30 07:46:10 | Weblog

連休はTV漬になる予定の我が家

本日の3時過ぎに、、、

2週間分の食料を

   リュックに入れて買い物を済ませました。

     

明日、、、1日の出勤の後は、、、休みに突入するはず、、、です!?

 

70過ぎまでは、ゴールデンウイークの連休は

最前線の若い医師の先生方の、

日ごろの激務を知っているので

彼らが休みを、、少しでも取れて、故郷に帰れるようにと

出番を引き受けていましたが、

 

coronaが流行していることもあり

年配組は、、画像診断とか、、、超音波とか

    マンモグラフトか、、、外来を担当して

       サポートに回っているので、

  最前線の先生方に、、、余計なノルマがかからないようにと

        走り回っているようです。

外来患者さんは、、、診察の前に体温を測り

    コロナ対策の検査も充実しているので、

   診療室にはcoronaウイルスが入らないように、

なっているようです。

それでも、、、我が家は、、、

主人とはすれ違いの時間差のある

仕事に徹しています。

主人が寝ると、、、私は起きる。

主人が起きると、、、私は寝る。

食事は、、、バイキングと一緒のイメージで、

冷蔵庫に並べて、、、主人に勝手に選んでもらう。

必ず、、、熱を加える。

     レンジで温める。

      野菜類はピクルス液を通す。

       煮物は料理酒を使い、

余ったスープには酒を入れて保存する。

連休は、これらの事を習慣づけて実行して

出来る限り、、、自宅待機をするはずです。

           

そうなると、、、

     3食、プラス、、、

       3時の間食と

         夜更かしの夜食が要りますよね。

 

    

美味しそうで、、、食べるのには、、、👬難儀な柑橘類の???

       ***************

NHKは夜が面白いし、

民間は18時ごろから、、、大物俳優の映画があるし

早朝は、、、素敵な音楽がかかるし、、、

 

この年になると、、、

   緊急事態宣言が有ろうが無かろうが、、、

      TVに時間を持っていかれそうです。

 

三船敏郎さんが新選組の近藤勇、、、

    欣也ちゃんが出るから、、、みよ~~~と(^^!

    TV漬の準備万端!

 

連休に備えての、、、

     まとめ買いをしてきました。

      リュックの中身と、、、

        手提げの中身は何だと思いますか???

          

 連休も主人が自分の為にも、、、

    欠かさずつくる野菜サラダの食材です。

 

イギリスパンが大好きなので

     パンと、キュウリと、トマト、、、

毎日飲む、、、牛乳の三本をパックにして詰め、

  リュックの底に敷くように入れる

ヨーグルトが3個入りが4本。

    牛乳の上に3連に並べて入れる。

スケソウダラの、、、小樽の竹輪をおやつ用に3パック。

これらは、、、すき間に入れておく。

何にでも使える、、、

   4連の日本ハム。伊藤ハム、

 

      

76歳と言う女性の体は、、、

 

      「マグロと一緒です(--V

 

  アザラシになっていると、、、動けなくなります。

      マグロは。。。。。

動きを止めると、、、寝たきり老人への道に迷い込むので

あらゆる仕事を、、、筋トレに利用します。

家庭に居ても、庭の水やり、、、離れの片付け、、、

  TVのコマシャルタイムには、、、指を動かす縫物です。

 

   車は極力使いません。

      

リュックに食材を背負ってきます。

 

両手には、、、

パン類と、

いざというときにと

   透明のビニールの傘を杖代わりに持って歩きます。 

*******************************

 

牛乳が1キログラムが3本、、、、、、、、、、、、3キログラム

ヨーグルトが75グラムが9個、、、225×3で、、675グラム

 

竹輪が3本入りが132グラムが3袋、、、、、、、、396グラム

TVを観乍らの私、自分の為の御菓子パンが5個、、、500グラム

食パンが350グラムとして3斤まとめて、、、、、1050グラム

三菱食品の100円ピーナツチョコ70グラム4個、、280グラム

 糖質は28,5グラムが一袋に入っている!!!

みりんを54ミリリトル(大匙3,6ハイ)飲んでる糖分と一緒だよね!

之だけで410キロカロリーあるから、、、すごいよね!

 

これだけ持って帰ってくるのですから

主婦の買い物は,、、約、、、6キロ(正確には5901キログラム)

リュックと手に提げて歩いてくるのですから

*********************************

    

 

トイレットペーパーとか、キッチンタオルとか、、

ティシュペーパーは    3ヶ月に一度

車で運んで、まとめ買いをしてるんです。

     

やっかいなのが、、、coronaが収束するまでは、、、命が大事!!

    

弁当を2食、

外食する必要が無いように、

そして、

炊き立てのお米のご飯が大好きなので

北海道の米を5キロ入りの袋を2個買うんですが

どうしても、、

車で買い物になるので

アイドリングを兼ねて、

一週間に2~3日は車に乗るんですね。

 

 

 

          

76歳の婆ちゃんの、、、

日ごろの家事の体力は買い物と

毎日の布団を、

   二階の陽だまりに窓越しに干して

日光滅菌して,、、

    階下に運ぶのが、、、

       階段に苦労しています。

 

洗濯機が年中無休で廻りっぱなしです。

 

 

結婚以来、、、

助手席に乗せてもらって

買い物を手伝ってもらった記憶は全くありません。

 

ゴルフバックを持って嫁いだ時、

   女がゴルフをしながら、、、主婦をするなんて、、、!

 

生意気なばかりに

   露骨に、ゴルフは男がするものだと、、、

自分の練習用に持って行ってしまいました。

 

開業医で育った私の家の仕事の関係上

   ゴルフは、身分の上下にこだわらないで

     グリーンの上で、コミュニケーションできる

         医師会の奥さんやお嬢さんの健康法を兼ねた交際術でした。

父は、イギリス医学を取得して、

  お爺ちゃんと言う人は、、、宮内庁勤務だったので

     象牙の球の備わった、ビリヤードのたしなみは

        相当のもので、、、宮様たちも、、、なさったそうです。

ゴルフ場の会員権も、数か所以上あり

    手伝いに来ていただいた先生方や、

              奥様ご家族を

      ビジターとして、、、招待していました。

 

         

 

外科だった父は、、、

   緊急手術の妊婦のクランケが

     麻酔や、手術のショックで、

      胎児に影響すると考える場合など、

慈恵会医科大学の医学部の先輩が

       近くで産婦人科で開業されていたので

   その先生に来ていただいて、

     手術の執刀をしていました。

 

  その方の、息子さんは

     東京大学の医学部に進学されて

      学会で生きる道を選ばれて、、、

       開業の実家には戻ってこなかったのです。

 

    先生は「喜んでいいのか、、、

        女房の老後は寂しいのか?

         閉院するのがいいのか、、、」迷うようなときは

          ゴルフにいらっしゃって、

          すっきりして

        診療を続けられてと聞いています。

 

     父とは家族ぐるみに付き合いをしてくださって

      自宅の方にも

    ホームパーティに呼んでくださったこともありました。

先生も、奥様も、当時は先輩が後輩の面倒を見る時代でした。

   お礼は一切取って下さらなかったので、

   これからも、、、お世話になる事も多いし、、、

       父は、自分がゴルフはしないのですが、

          息子達に、、、ご家族とのコミュニケーションに

      ビジターの特典で、、、お礼を兼ねていたようでした。

 

開業医の娘は、

 日舞のお稽古や発表会で、

   奥様がたや、お嬢様と、お稽古の発表の踊り仲間として

      墨田劇場などで、、、定期的に発表会をしていました。

 

     御所車の男役が私で

       N開業医の先生のお嬢さんが

        飛び切りの美人であった為

         紅梅の咲く 

         山小屋の女性役をしました。

 

何十年も経っていますが、、、セリフを一部覚えています。

 

  ≪この山中にれきじつなし、、はても、、、見事な,、寒紅梅、、、≫

 

そして、、、一瞬の恋の出逢いを、、、踊ったんですよ~~~!

            5月頃でしたよ、、、連休でしたよ、、、

自分を取り戻した5月でした。

     

私の弟も、碁は段持ちですし

ゴルフは、、、プロの同級生もいますし、、、

   同級生がプロだという事は、、、

     プロゴルファーと一緒にコンペ機会が有ったようでした。

 

、年上の従妹は

  先生が連れて歩いてくれるので、、、

  シングルの腕前です。

ゴルフ仲間の知人も増えて、、、

イタリアンレストランを経営する、、、

    素敵なマダムになられていました。

 

いろいろのスポーツの、、学生プロが居ましたね。

体操の時間は、科の有名な、オリンピックの選手!!

   遠藤先生が授業に来ていたけれど、、、

     教えられて、、、学べるレベルでは無いですよね。

 

    圧倒する、、、プロの動きをみていたという、、、       

      思い出だけが、、、残っている。

 

 

北海道では、、、

奥さん方はボーリングをされる方が居て

何度かお誘いを受けましたが、、、

ボーリングは室内なので、、、

、行かなくなりました。

 

  

ゴルフを主婦の社交場にと、

   若い女性の競技場も素敵ですが

      別口で、、ショートコースでもいいですから

 ワンコインでプレイできるゴルフ場を作れば

寝たきり老人は居なくなり、、、

   昨日まで、アイアン風呂回していたのに、、、と

 人生がホールインワンの終結で

   どなたにも迷惑かからない体力で、追われると思うんですよね。

ちょっと見ると、、、世の中デジタル化すると

   経済的のように思えるでしょう???

  デジタル化のメリットは企業側にはありますが

    国民一人一人の家庭に、デジタル化が必要以上に入り込むと、

「生きる為に、、、身体を動かして、、働き、、、充実する。」という、

天与の、猛獣の部分が無くなるのですから、、、

  頭脳だけの人間群が、細い体で、、でっかい頭を支えて

  足が要らなくなる体型になってしまいそうな???

あるいは、、、おデブの体型になるか?

  自己コントロールの限界を超えそうで、、、コワイですね。

SNSが、、、会話の代わりだなんて、、、

TVを観乍ら、、、TVこそ、、、良い国民を育て、導くツールなのにと

税の行方が、、、デジタルになるという事は、、、一長一短ですよね。

付き合っているつもり、、、の人間関係が

六法全書の様な本の上で、、

    、機械が接触する知り合いなんて、、、コワイですね。

 

自然を軸にして、太陽の光を素直に受けて、、、

各、、戸建ての屋根には、太陽パネルを付けるか、、、

駐車場の上に付けるか、、、自家発電は賛成ですね。

自然の力と、心の触れ合う

     自然のぬくもりのある

          心の知り合いが

      香り付きの人生になると思うのですよね。

デジタル社会には、、、造花の様な見事さがあるけれど

   香りの無い花のように

人と人の、、、本当の言葉が無くなるようで、、、コワイですね。

裏社会が牛耳る世界になりそうですね。

国民は、、、すべからく、、、羊飼いに飼われる、、、羊になり、、、

悩みが無い幸せな牧場で,、め~~と泣いていたのに

   翌日は、、、お偉いさんの食卓のジンギスカンになっている様な、、、

管理社会になりそうで、、、

    便利すぎるのは怖い、、、

  欲しがりません、、、都会暮らしも高級マンションも、、、御馳走も、、、

誰かの為に、、汗水流して、、必要とされて、、、

   自分の存在理由が、感じることが出来れば

     明日への力と、、、やらなくっちゃ、、と

               頑張れるから、、、

  デジタルも、スマホも、、、ツールに使うには最高だけれど、

経済や便利さに負けて、、、

都会のジャングルは

生身の生き物が居なくなりそうで

     デジタル化の、、、バランスが、、

        心を守るとおもいませんか??

本当に会いたい人と

   本当に会いたかったのよ!と、、スマホで映るのとでは

     ホントに動いた心と

       簡単すぎる忖度とが区別出来なくなりそうで怖いですね!

   一部、、、無料の、、、アナログ番組のNHK、、、

      世界平和の心を育てるのは、TVかも知れない。

   とうちゃこ、、、グレーとトラバース、、プレミアムシネマ

      世界の風景、、、日本の空からの風景、、、

         いいですね、、、地球は、、、

           空気が美味しい!

   アナログは

日本は、老人の健康と言う、

   「たから」を手にできると思いました。

    後は、寝たきりにならない体力づくり!!

ゲートボールは、、、

日ごろから仲良しでないと、、、

交際に入ってゆけないという

  今一つ、、、似ていて、、、

参加するのはコツがいるのではと、、

   、、ゴルフの方が

      淡交除水で

       日ごろの練習だけで、

       後は、半年に一度12000円だったかしら?

        今でも、時間さえまとまれば 楽しめそうに感じています。

 

女性の場合の

   老後までの健康は主婦ゴルフが

      日本の若者を救うと思うのですよね。

 

これは日記帳ですから、、、

私が勝手に、、、

そのような気がするだけです。

 

   主人は、独特の仲間の世界が有って、、、

      主婦には敷居が高くて

    同行する雰囲気ではありませんでした。

 

主人も、家庭を切り離して、私的な事は

    一切、無関係に勤務してきたという

      仕事人間ですから、

 

戦中に生まれた主人の年代の、、、

      男尊女卑は

   日本の国の性質だと思いますから、、、

 

    個人個人の男性には、、、腹は立ちませんが、、

 

      子育て、、、マシーン

       家事マシーンで、、、

結婚した相手の男性の文化で過ごすことになる。

最近までは、、、連休が無かったけれど。

連休になってからは、

  一歩も、、、家を出て行かないのです。

運動不足になります。

野球を観始めたら

終わりまで、、、同じ姿勢でTV戸向き合っています。

            

  

     、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

ある日、、、お茶碗を落としたので、、、

運動不足が指にも表れてきた。!!!

立って、横横の運動と、、、指の運動にと

サラダの作り方の簡単な作業を指導して、

早朝のサラダを、時差出勤の遅番の日の朝は

自分で、アレンジするように役を持ってもらいました。

習慣になると、実に、頻繁に、サラダとコーヒーで

朝食を、自分時間に合わせて、とってくれるので

食事は一安心というところです。

coronaは勝手に動くので、、、運が悪いと

私自身がどんなに、、、気を付けても

感染しないとは限りません。

一日一食でも、、

野菜とパンと、

ハムと人参のピクルスなどを

自分流に盛り付けて

      食べている主人をみると、

主婦が、万一ダウンしたときでも、、、

食事だけは

一日一食、、、

自分でパンを買ってきて、、出来るという

習慣づくまで、、、頑固に、手出しはしないで

材料と、後片付けを早朝のうちに用意しておく2年間でしたよ。

やはり、、、野菜や果物、、パン食は

一日に一回は、、、食べるようにした方が、、安心ですよね。

連休は、すれ違いの食事をすることで

お互いの老後の自立に心がけれいます。

食べることに関しては、、、習慣をつけて、

自分流バランスで、アレンジして、

勝手に食事をしてくれるようになりました。

停電に備えて、、、

おにぎりを10個冷凍して2週間ごとに

入れ替えて、自分の昼食に、、、チーンしています。

 

TVのコマーシャル時間になると、、、

靴下やシャツや上着のツギあて時間にしています。

ボタン漬けの時もあります。

 

真夜中に洗濯機が回っている我が家では

真夜中には私は起きています。

出来上がるまで、、、キーボードをたたいたり、、、

皆の素晴らしい写真ブログを拝見しては

ストレスを解消しています。

美しい写真は、景色、海、山、川、

花、樹木、、、

最近は藤の花桜の花

目の可愛いのは、、、

なんといても、、、小鳥、、、、猛禽類、、、オシドリ、、水鳥、

キタキツネや、ツル、リス、野生の生き物が

一番癒してくれますね。

疲れてないときは、、、風光明媚な歴史の地区の写真など

平家物語など、思い出しながら、、、緊張の感動が有りますね。

早朝5時からは、、、NHK,,,

こうして、、、連休も過ぎてゆくと思いますよ。

此処が正念場です!!

6月までは少なくとも、

3蜜は避けて、、日本の若者の足を引っ張らないように

マスク、手洗い、、、

3蜜を避けて、、、

買い物は日中の人に少ない時に済ますように

日本中の皆さん~~~

医療崩壊だけは、、、命の保証が出来なくなるだけに、、、

   避けて通ることは、、、個人個人の注意力にかかっています!!

頑張りましょう!!、、、

自分の命の大切は、、、

孫子を大切にすることですし、、

孫子の足を引っ張らないことは、、、

日本を愛することにつながるのですもの、、、!

この美しい国を、、、coronaに占領させるなんて、、、

   76歳、、77歳になれても、、、

coronaには絶対に、、、占領させないと

  頑張ります!!、、、眠くなりました、、、少し居眠りますね


ワクチンと新型コロナと変異するコロナと合成ペプチドと。。。

2021-04-28 18:44:08 | Weblog

3月16日、、、21日後の4月6日

 

医療関係者の、corona患者受け入れている病院の医師や、看護師、スタッフは

ファイザーのワクチンを受けたという事は新聞にも出ていました。

 

すべて、公表されていることなので、、、

         日記に書いても、誰でも検索すれば

                                               解る事ですが、、、

               私自身が忘れないために、今日の日記は

                                   

現場を離れて10年以上の、、、

76才婆ちゃんが、気になる事を

                              メモっておきます。

 

                  医療関係者として、裏方になっても、

                  医療新聞は気になるものですから

          拝見することも多いのですが、

                                     

今回は、、、ワクチンの接種を受けた後の副作用の記事が出ていました。

 

                    先日TVで、道内、札幌、、医療崩壊を避けるためにも、

                   コロナ以外の重症患者さんの受け入れが滞らない為にも、

         必死で頑張っている

                             医師や、看護師さん、

                            医療技術のスタッフさんに

                            事務長さんが

                                                    孤軍奮闘しているTVを観ていて、

              1人1人が、緊張を緩めずに、この注意力が

    習慣になったとき、、、

  coronaに負けない、、、

                                     それだけではなく

                     医療崩壊も未然に防げるように、

            医療関係者の、

         時間的な限界を超えての労働が

  見直されるような、

            

         保健所のパニックも、、、もう、起きないような

             医療最前線の日本になるといいですね。

                                   

あの時のTV画面で、

   救急車で運ばれてきて、

      ICUに直行の患者さんが

                corona感染者だったりと、、、

 病院も、大変だったと思いましたが

お茶の間にも、、、

   医療崩壊寸前のcorona対策を伝えてくれたことは

危機感と同時に

  一人一人の、3蜜、手洗い、マスク、、、など

    coronaから平常を取り戻すためには

      知事さん、市長さんの指導も

        市民として、道民として、

        老人はしっかり、お茶の間でTVを見ています。

      

ワクチンを接種してからは、、、

     医師の先生初め看護師さんは

命を脅かされながらのストレスから、

     少しは緊張が休まると推察しています、、が、、、

医療人はワクチンに対しても、

       専門家なので、、、

    緊張がほぐれないのは

周りは思いやる事は出来ない事を承知で

医療新聞を見ていました。

             

 

    以下は医療新聞に、掲載されていた

    手稲渓仁会病院の

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コロナワクチン「接種後データ~公開」へ

2回目副反応対策に課題

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大きな文字の見出しが目に飛び込んできました。

 

1990名の2回目の接種者の

24時間以内の回答者1784名 (回答率90パーセント)

24時間~48時間回答者1739名(回答率87パーセント)

***************************************

1回目接種24時間以内   (いずれも1500名以上~1800名未満)

2回目24時間以内  

1回目24時間~48時間以内

2回目24~48時間以内

***************************************

ワクチン接種後の副反応を細かく人数を掲載して掲載されていました。

**************************************

貴重なデーターだと思いました。

 

医療人を先に摂取したことにより

スタッフと言う、、いずれも病院勤務の専門家の知識人の解答だけに

信頼に値する貴重なデーターだと思いました。

 

民間の人たちは、ワクチンの先入観やプラセボの時に起こる思い込みなどが

データーに大きく反映することも考えて数字を読みますが、

接種をした人が全員医療人であるというときの、データーは

日記にも、その存在を記しておいて、、、

自分がワクチンを受ける順番が来たら、、、

      もう一度読み直して、、、

疼痛、発赤、腫脹、倦怠感、全身筋肉痛、全身関節痛、

      吐気、嘔吐、悪寒

38度Cの前後の熱が出ても、、、

    ワクチンの副作用と思って

気楽に過ごすことにしましょう。

           

新聞に掲載されていた副作用の症状が

      全部当てはまるわけではなくて

副作用に現れる割合が

      パーセントで掲載されていました。

         

1回目のワクチンで疼痛は92,5パーセントの人に

               起きているようですね!

 

          

ワクチン終わった後も、、、

       イタタタ、、、と

     24時間以内に副作用が現れるという訳でしょうね、、、

 

後は倦怠感が17,3パーセントの人に見られているみたいよ!

 

100人中17人~18人が、、、倦怠感か、、、だるい、、ね!

 

その他は、自分で興味が有ったら検索すると出てきますよね。

              

2回目の方が、、、副反応が増加しています。

         24時間以内に

倦怠感が100人中46人弱の割合、、、、45,9%

頭痛が 100人中30人弱の割合、、、、29,4%

悪寒が 100人中20人弱の割合、、、、19,6%

 

38度前後の発熱は2回目の方が、、、多くなっています!!!

    *****************

一回目の0,2%から増えて

        7,5%と大幅に多くなっている。

 

48時間以内になると、、発熱は 9,1%となっていた。

      *****************

 

発熱、頭痛倦怠感は接種を受けた医療人の年齢にもかかわりがあるのでしょうね!!!

 

医療スタッフは60歳未満の現役であることも述べられていた。

 

60歳以上が含まれていない現役の医療人のデーターは

76歳のバアちゃんの私は、、、

    手放しで、、自分もこのパーセントだと

          短絡しては考えないが、、、

              貴重なデーターなので、

        日記帳に書いておきます。

            

私は、手稲渓仁会病院は距離的に遠いので、

        普段は近所の医院にかかっていますが

     インフルエンザなど、、ウイルス性の予防注射の時は

            いざとなったら、待合室で、長居が出来るし、

万一の時は、ICUが在るので、

       一日がかりで、、

          毎年ワクチンを受けに

バスに乗って、、地下鉄に乗って、、、

       JRに乗って、、、駅の階段を下りて

           歩いて、、、手稲渓仁会病院まで

           一日がかりで、

 

        インフルエンザのワクチンに通っています。

 

             

と、、言うのは、、、

今から10年以上前の正月に、

めったに帰ってこない次男が故郷帰りしたのです。

 

その時、、、私が,インフルエンザから、、、ひどい肺炎が始まり、、、

        正月の救急外来に

    唯一、受け入れてくれたのが、

手稲渓仁会病院だったのです。

 

肺炎は、重症に近くて

    、息子の里帰りには

        お茶一杯も出せずに、、、

           救急外来に、

            息子が私に付き添ってくれるという

  大失態を、、、やらかしました!!   

             m(--)m

 

踏んだり蹴ったりの正月から、、、

    渓仁会の女医さんに助けられたのです。

解熱剤、抗生剤、気道の薬、炎症のお薬、、、

     うがい薬に、、、正月は、、、薬に漬かりました。

 

あれっきり、、、十数年経ちますが、、、

    息子は正月には帰ってこないという

          堅い決心をしたようです。

 

あの日は、、、千歳に着いた飛行機が滑走路に降りれずに

       巡回して、、、

降りたところが羽田だったのを

      次の便まで長時間待って

         札幌入りしたのですが、、、

      私が肺炎で、、、だんだんひどくなり

        正月の救急外来で手当てを受けたという

    抗生剤,、、点滴、、、水まくらの正月だったのです。

       

これに懲りて、、、

    毎年、、、お世話になった渓仁会病院に

         インフルエンザのワクチンだけは、、、

             肝に銘じて、、

         反省を兼ねて、、、受けています。

 

coronaが流行している去年から、、、

インフルエンザは発生率が少なくて

   この現象も、、、免疫系の、不思議な現象だと思っています。

**********************************

        

新型コロナや、、、変異型のcoronaに関しては

    解らない子tが多すぎますよね!!!、、、、

 

変異型のワクチンの出現で、

確かにいろいろ心配な意見もネットに出ています、

    免疫学も、近頃の進歩の速さは目覚ましいものが有ります。

           

私も薬剤師の現役時代には

「ペプチド合成」「高分子化学」「免疫学」「生化学」が興味の対象でした。

 

      熱を挙げて学習したことが記憶にも新しく

オキシトシンやインスリンは、

実に100年前に

「ペプチドの合成」が成功しているわけですから

日本の「有機合成化学」は世界に通用すると思いました。」

 

合成ペプチド、ガンマーナイフ、、、

カスタムペプチドが売りに出されている今日

 

E484K 変異型YggB遺伝子を保有するコリネ菌の製造法が

記事になっていて、、、、記事は真剣に読むこともありますが

「Lグルタミン酸」を生産する能力を有する「コリネh型細菌」

「Yggb遺伝子」を用いて

「グルタミン酸」が生成する本を見たりすると

 

食卓の上に置いてある「味の素」が、、、

         やたらと気になります。

 

跡えば、、、こんなシーンを想像してみたりします。

        

      軽症のcorona疑いの肺炎かな?

         患者さんに用いた抗生剤などが

          こうした菌を殺す天敵の菌を

       「不 活性化」していることだって

              無いとは言えない!!!

 診断がつく前の、発熱や、肺炎の初期のような現象の時に

    常備薬の中から、、、抗生剤を服用するかもしれません。

 

何万とあるコロナの側鎖に、

   corona環境を取り巻く菌が、抗生剤で死滅したとしたら

      何万とある側鎖のアミノ酸の一つ、、、二つ、、、は

        別のペプチドの反応に巻き込まれるかもしれない!

     最悪の事だって考えられる、、、

    原子爆弾の投下成功と、笑っていた物理学者だって

       存在した過去の歴もある。

        愛の無い実験者だっているかもしれない、、、

    その研究者にとれば、、、高分子の御遊びかもしれなくても

アミノ酸の種類が入れ替わる場合が

   皆無だとは言い切れないと思っている。

 

*********************

         日本は使う事は無いと思うけど

coronaのイガイガを作る遺伝子を挿入した

「ウイルスベクターワクチン」の接種は、

        もう少し長期のデーターが知りたい。

**************************

 

mRNAワクチンは

不安定で壊れやすい物質で

薄い資質の幕で覆われていて

 

ファイザーのワクチンの添付文章によると

 

-90度C~-60度Cの超低温の冷蔵庫での保管と言う事で

日本中マスコミも、報道が目立っていた。

 

今後は老人や合併症んぽある患者さんなどには

 

「モデルナ社の、{mRNAワクチン} が 。

摂取されることになっているそうですが、、、

 

同じタイプのデリケートなワクチンなのに

-25度C~-15度Cで保管できるし

 

医療機関では2度C~8度C で、、、、なんとなんと、、、(^^!

       30日間も保管できるとなっているので

           

医療機関内に運び込まれた後も、、、

接種を行うときには

     室温で解凍できるという事です。

 

    未開封のワクチンは8度C~25度Cの    

       室温で使える状態を12日間保てる。

           

ただし!!!!!!!

    使い始めたら、、、

   ***************

        6時間以内に

        使い切ることが必要だというから

   ***************

    ワクチン接種の現場の、

     享ける側の私たちは、、、

       すぐに打っていただけるように

    腕まくりして待機する必要が肝心かもしれない等と

      先生方や、看護師さんや、事務の方やサポートの方の

      お荷物にならないように、、、しなくっちゃね!!!

    、

モタモとしていたら、、、

おしまいの人は6時間の時間切れになりますね、、、!

 

ワクチンを充てんする人も、

      打つ先生も、、、

        ワクチン後の

万一の

「アナㇷィラキシーの処置に備えるスタッフ」も、

ワクチンの、、、

壊れやすいデリケートな性質の為に

多くの人材の待機が要りますね。

       

昔のヨーロッパの貴婦人は

ワクチンのように、、、デリケートだったので

  多くの男性や、メイドさんたちが

    至れり尽くせりに取り巻いて

そのデリケートさが故に

本人は暖かく、、、夏は涼しく着飾って、

お姫様のように守られたのかしらね?

 

ワクチンは白魚の様な☝手の御姫様だと思って

   接種は、うやうやしく受けてきたいと考えています。

 

            

 

これは学者さん的な視点で考えると

   長期に患者さんの副作用を追跡して変異型との関連や

  !!!  半年後に!!!、

   もう一度聞き込みの調査で「副作用が、無かったゕ?」

   

 「循環器系統の浮腫」とか、

「神経的な疾患」が無いか???

   一年後、二年後、、、3年後、、、と

   体内でのウイルスの抗体と、遺伝子の変化や

    体内でのコピーが

アミノ酸の移動など、、、調べられたら、、、学術になりますよね。

    

日記帳だと思っていると、、、

   次々浮かぶ

    菌と抗生剤とウイルスとワクチンと「抗体」と、

      体内のアミノ酸の移動を、

 

麦藁帽子をかぶって、、、体内で仲間を増やし

     人間の体内で親分になってゆく

          

          抗体の隊長を

           想像して、、、

       医師も、看護師さんも、医療スタッフも

      事務長さん初め、事務のsupporterさんも

coronaを見つめて、、、ひたすら頑張るのが

    医療崩壊を防ぐ、、、目下の仕事ですから、、、

      大変過ぎると思うのです。

医療人は、、、このままでは「時間の奴隷かもしてません。」

税務署の方は数字に正直に仕えて国家を守っていると思いますが

時間貧乏からくる医師の先生方も

      人の病気と添い遂げる仕事は

        数字には見えないブラックホールに吸い込まれないような

         政治的な、理解のある、、、真心のこもった

       医療組織を見守っていただかないと、、、

      税金はすべて、、、医療崩壊が起きないように、、、国民の健康と

        医療人の健康を守れる使い方をしていただきたいと思うのです。

   日本の国民の健康を守るという「医療の組織の在り方の改良を!」

       政治をすると言うよりは、、、医療に理解を深めて

         優秀な頭脳で、医療崩壊をしないような

             心身、、、組織、、、物質、、、

         ハード面も、ソフト面も

           政治をするのではなくて、、、

             マルチ、、、万能の人脈と実行力のパワーで

           時間貧乏で走り回って、、、税金の申告も

            4月14日になっている、、、coronaの為に

             時間が作れない医師の先生方への

               余裕が持てるようなサポートを

              心から、、祈っています。

           先生、看護師さん、医療スタッフが、、、疲れてしまうと

          日本は、壊れてしまいます。

        重い病人が、、、若者の足を、、引っ張ってしまうから

           世界と共存共栄する力を、、、若者に、、、

          そのためには、、、後方に憂いが有ってはいけません!

           医療崩壊は、、、後方を守れなくなります。

            働く最先端の若者の、、、家庭を壊すような重荷になるのが

           医療崩壊です。

          ゴールデンウイークは、、、皆、、心して

            日本の国を、、、愛しましょう!!

              

東大卒業の、づ脳明晰、インターナショナルな人脈と

慎重さと、、、実行力の参謀が菅首相と言う、、、

和製ベーブルースの育った東北でたたき上げてきた実行力と

慎重さで、、、きっと、、、corona変異なのか、、、

科学の果ての、、細菌戦争なのか、、、ウイルス戦争なのか

地球温暖化が、、、変種ペプチドをつくり

   温暖化に耐える新生人間と、、、

      年寄りを入れ替えてしまうのか??

 

怖いよ~~~熱中症での「サヨナラ,、、は」

  76歳以上の老人への自然淘汰なのか?

      温暖化、、、眠れる獅子の、、、もう暴れの開発???

地球温暖化で、永久凍土や、北極の氷山も

温暖中の中で溶けた、、、として、、、凍り付いて保存されていた

    前世紀の細菌が

ウイルスの中で新たなるペプチド製造の傍ら、、、

アミノ酸を交換するという、、、

      悪戯をやってのけたのか?

 

偶然で、、、類似のアミノ酸の移動は起きないのか?

どこかの地下で、、、

変異した新型ウイルスが、

遺伝子ごと,

氷山の中で保存されていたとしたら???

恐竜の絶滅は、、、ウイルスってことも有よね???

、、、恐竜は、、みどりの地球を、、、コンクリートのジャングルにして

   地球は呼吸困難で、、、叫んでいるのに

  ITロボットが、、、永遠の命を創り続けるから、、、

   緑も、空気も、、水も要りませんのよね、、、未来の地球って!!

デジタルかも、、、若者だけが使えるから、、、

年寄りは困っているうちに

  TVのある居間ごと、、、楢山節考の、、姥捨てになるかも?

何が一にも、、、ウイルス兵器が製造されていたㇼ

SF小説の様な事が起きていたら、、、

チップ埋め込み人間のWi-Fi、、、通信人間が生き残り

   新たなる人間が決めた優秀な遺伝子の保存から

    試験管の中で、命が生まれる日が来たら

  天与のひらめき更新のできる女性は

   出産の役割が、、、過去のものとなり、、、

     どうなるんでしょうね、、、?

    ウイルスも、人間もペプチドの合成や

       遺伝子の科学操作で命が生まれるようになった日には

     命は、、、家畜のように改良されて

製造されているとしたら、、、

SFマンガも死んだふりするね、、、

        

日記帳に向かって、、、考えてたらきりがないので、、、

     こんな劇画タッチの横道は、、

        夢で見ることにしますね。

手塚治虫さん~~~会いたいよ~~

フアンを置いて、急ぎ過ぎですよ!!!

    

手塚さんの自筆の御葉書と、、FAXで「北海道に行くからと、、、

 

 


くたびれた、、、休もう、、、

2021-04-27 03:27:51 | Weblog

coronaの緊張が続く毎日、

疲労が蓄積してきたッテ、、

眠れないし、、、、だるいし、、、

これで、、連休に突入、、、

主人は患者さんのペースで動くから

黙々と、仕事に出かけるのに、、、

鶏のように、、、300メートル四方しか動かない私が

くたばっている場合ではありません。

しかし、、、家事だけ、、、

外出ナシ、、、2年以上も続いていると

筋肉がおちて、、、

何をするにも、、、身体が重たい。

例年は、、、農林試験場の桜を見に行くのが楽しみだったけれど

去年からは、、、花見桜もご無沙汰で、、、元気が出ない5月です。

 

 

そして、、、coronaの変異がたが、、

これからは、、、もっと出没しながら

だんだん、、、弱くなって、、、時々強くなって、、、

海の波の凪に入るように

収束してゆくためには

オリンピックで、、、水際作戦が 

成功するかどうかにかかっていますよね。

小池知事さんも連日東京を守るのに発信されていますね。

お疲れのご様子で、、、大変なのが伝わってきます。

菅首相は、海外を回られて、

サポ――トの、政治家の方々も

coronaは政治力をすり抜けるので、

厚生労働省と言う、、、「労働」と医療が

一つのベルトに見えていますが

メビウスの輪の表が医寮で裏が労働過剰で、、、

coronaが収束したら、、、

医療に半可通だから、、、生かさぬように、、、殺さぬように

医師たちの倫理観にゆだねて、、、

働き方改革の無関係な位置での、、、過重労働を

目で見て判断していると

coronaに、医療を奪われてしまうでしょうね。

 

NHKで 戦争の悲惨な人間の扱いが放送されていました。

集団パニックが戦争と言う形で破れないように

世界から戦争を無くす結束に向けて

   粘り強く、coronaとわねばなりませんね

疲れたなどと、、ねを上げている場合ではありませんね

オリンピックの

デジタルl参加の観客者もl参加はきっと、、、平和に貢献で来ますよね。

今日のNHKのドイツの歴史は怖い記録ですよね」

 


個人レベルの、、、医療崩壊を防げるのか???、

2021-04-22 16:01:52 | Weblog

corona感染の世界流行の中で

ウイルスの動きに対して、、、、正しく怖がるべき、、、と

このサイトは、疎遠になっている兄弟親戚、、、孫子に伝えれたらと、、、

極めて個人的な気持ちで、、、茶の間レベルで、、、

生き残りに向かって、、、76歳の、婆ちゃんなりに、、、

ムダなく、緻密に、過不足なく、、、私なりの我が家の「水際対策」をとっている。

 

神経質なわりに、、、男性特有な大雑把な所と

不必要な動きをしないという習性に近い、、、

私こと喜寿目前の婆ちゃん

 

主人が2回目のワクチンを、無事に終えて

     15日以上たったから、

私は、主人と一緒に

      [笑点]を観るときなど、、、

           マスクをするようになった。

 

主人は、慎重な人ではあるが、

           ワクチンをしているという

                  見えない油断が出ないとも限らない。

 

幸いの事に、結婚当初から、

                    主人も、私も

   次男と次女、、組み合わせで

親からは、、、、

   いずれ出てゆく目下家族として

          長男や、末っ子の扱いとは、、、一味違っていた。

 

幼いころから、、、

         「借り物でない生きて行ける力」が無いと、、

                         この世の中に、必要とされるしか、、、

愛は向こうから来ないという順番だった。

 

「居場所は、、、部屋住みだ!」と

     無意識の天の子。

たぶん、、、主人も同じだったのかもしれない。

私たちは、、、

 

   天が与えた

  「男と、、女の、、、磁石の様な出会いは無かった」

 

           

       

 

 

    結婚したくなる男女の引かれあう気持ちを

    経験することなく、、、、

    女性としては

    ケーキの、カステラだけを見てるような

    生きぬくための結婚だったような

     未熟なかけにも届かない、成り行きでしたね~~~ 

     

           父の残した、、患者さんの

 

               

    行き場のない、不安と喪失感を、、、どうすればよいか??

     地域のスケールであるが

      医療崩壊を、解決しなければ、、、ならない

       母の希望もあり

     この結婚は、前に進むしかなかった。

 昭和40年代は、まだまだ、、、

   終戦から立ち上がり始めていた貧乏な人が居た。

 

     未来のご主人様も、、、

    恋だの,、愛は邪魔だった

 

   私と会ったときは、、、おなかがすいて

      天井の節穴を数えて、、、食べないで、、、寝た。

      戦争の後の日本全土貧困時代に、

      あっちでも、こっちでも、、一家心中が有った。

      ある日、、、向こうが丘遊園地に家族で出かけ、、、

    いつになく、、御馳走が一杯なのに

      母は笑っていない、、、

      とりこし苦労かもしれないが、、、

 

       「母さん、、、僕は医者に成って、必ず楽にさせるから、、、と」

     何かを感じて、お母さんに言ったそうです。

 

     仕送りが止まったとき、、、その時のことが甦り、、、

    博士論文が出来たら、、、東京に帰るつも理だったらしい。

     本当に貧乏を味わった時だったのだろう、、、

      免許が有れば、、何とかなるが、、、免許がない!、

      医学部卒業していても、、、何もできない、、、!

 

 

奨学金だけが頼りで、、、大学院に進学していた。

昭和44年、、、秋、、、奨学金の4万円で

      結婚に踏み切ったのだから、、、

        すべては、未来の支払いで出来る条件を選んだのだろう。

   病気のように、、、真っ白な、、、青白い、、痩せた

    

 

     孤独の絶頂を感じる年齢に突入していた。

   目の前に30歳が来た!!

、、孤独と不安の中で、、、

手も足も出ない社会情勢の中で

   出口の光を探して、模索していた。

   故郷の東京に、

     外科医を探している私の母と出逢った。

  恩師の教授は東大卒の方だっただけに

   もうすぐ、、、東京に帰ってゆく。

  手も足も出ない、、、

   博士論文の研究もしなくてはならない、、、

故郷の両親は老いてくる、、、

、、、結局、、、

   母と医局の先輩と、主人の、偶然の出会いが

  主人には、渡りに小舟に見えてしまった時期だった。

母にとっても、、、

    これから外科医になりたいという青年は

  目下の条件が、

    サポートを必要としていた状態だっただけに

勤務の私を辞めさせてでも、、、

  父の早逝したための

   医療崩壊寸前の、、、我が家の開業医院を継続して

      外科、内科の看板は維持したかったのだろうう。、

双方のニーズの為に、、、

未来の薬局長候補が、、、失業状態で、

北海道に、

1人の医師を迎えるために、初対面で付き合いも無いまま

結婚に踏み切った。

  過労死した54歳の医師、、、

     父の残した患者さんたちに

     地域的な規模とは言え

       医療崩壊の不安を、感じさせたことの焦りが

娘が手段になるのなら、、、

    1人の苦学生をサポートしながら

   双方のニーズに一致した時期に

地域医療を復活させたいと、、、

母は、、、「政治をした???かも知れなかった。」

さすが、東京都の先生をしていただけあって

   学芸会の役割を与えるような、、、気楽さで

     北海道の若い外科医を迎えに行く結婚を推奨した。

実家は、、、内科医と称している兄が、、、

         汗だくで維持していた。

「若先生は、、、優しいけど、、、

大先生みたいに、、、頼りにならんのです、、」

患者さんは、待合室で、

  「大先生、、、大先生、、、」と言って、、、

内科医一年生の兄を、、、意気消沈させた時期でもあった。

 

医療崩壊は、、、大規模にしろ、、、小規模にしろ、、、

   家族規模の悪あがきでは、、、

      解決できないという

社会性のある、、、制度と,、、税金と、保険制度の間に

   医局制度と言う、、、鉄壁が、、、開業医の前に在った。

 

地域300メートルの、、、家族丸ごとの患者さんたちを

医療の上で安心して、もう一度、、、

     我が家を頼っていただけたらと

家族全体が願い、努力をはじめていた。

父に比べて未熟な面は、

   父の友人の先生の指導を受けた。

設備も、医療機械も、

    オルガン代のパソコン端末と銀行をつなぎ

      計ルはプロに任せた。

建物も、母の住む母屋を残して

     、地下のついた鉄筋に大改造して

父の時代の看護師さんから、

   兄の時代の看護師さんに入れ替わった。

 

主人が北海道から戻ってくることを想定して

      壱階部分を外科の診療所にするために

一階は空洞のテナントのように、、、

         何もないスペースが異様だった。

1人の医師を我が家に迎えるとなると、、、

兄が院長で、、、主人が副院長になるはずだった。

外科医の居る、、、外科の強い内科は、

理想的なコンビであると思った。

 

兄は、、新卒に近い一年目の内科医だけに

外から手伝ってくれる父の友人や、

医師会の先生や、パートに来てくれている医師の必要な空間を作った。

主人が故郷の東京に帰ってきたときには、

目下の240坪の医院を

銀行の勧める案に乗って、

道路に面した古い世代交代の間際の土地を買い取って

診療部分を拡げて、医師の確保できる方向へと動き始めていた。

「淡交会」とかいう、、、お茶会の様な名前の

「病院設立メンバーの会」などを打ち上げ

主人と私に名刺をくれた。

   30歳代の前半のうちに、、、東京に帰ってきてくださいと

母も兄も主人と打ち解け合っていた。

 

二番目の兄は、

スイスの日赤に勤務していたのを帰国して、

兄の医院の薬局長として格安月給で、実家を助けようとした。

用意万端、、、主人の博士号取得の後の、

  東京に帰ってくる体制は整えられながら、、、

弟は千葉大学医学部を卒業して外科の医局に居た。

、、、時代は進んで行った。

「外科での開業は、、

   もう、、、無理かもしれないという、、、時代に入った。」

弟も、千葉大と言う、天下国家のスケールの大きい医療を見て

千葉大の大先輩の市川先生と出逢い、、、

    国立がんセンターのスタッフとして勤務に入った。

     

もう、、、地域医療の開業には戻ってこないことが、私にも理解できた。

 

スイスから、帰国して、

  小さな開業医の薬局の基本的なシステムを敷くと

医師の集まってこない個人開業医の薬局を出て行った、

薬剤師と結婚して、

   地域に根差した薬局を立ち上げ独立していった。

自分で薬局を開業して、、、今日に至っている。

 

時代の変遷、、、日進月歩の医学の進歩は、、、

父の後の地域的医療崩壊は、

    我が家の手をすり抜けて

近くに大型地域病院が出来ることで解決した。

 

兄は、父の残した開業施設を売って、、、

       勤務医として出て行った。

旧い医療機械の片づけ、、、

     鉄筋コンクリートの地下付き3階の取り壊し、、、

相続したときの土地の値段が解らなかった時代だけに

95パーセントの税金がついたそうで、、、

職員には23人と何十年も居てくれた税理士さんには

職に就いている間に手腕を発揮した

「保養施設に近い貸家になれそうな別宅など」

退職金代わりに、切り離して、

職員が、、、パニックにならないように分配したそうです。

 

妹の私には,、、チョコレートの箱一個!!

      

弟には、、、開業中の空の金庫が送られてきたが

カギはかかっていなくて、、、中は空っぽで、、、

税務署さんだけが、、、分配金が有ったのではないかと、、、思ったとか?

病院に有った現金用の大型金庫は、弟の家では

   いい迷惑な、、、処分が大変だったとか、、、ぼやいていた。

結局、、、父の代から続いた開業医院は

手元には5000万円が残ったと、報告が有り

痴呆を発生した義姉はそのお金で、、、兄と

特別養護施設に入居。

兄はそこから現役の医師として、勤務中です。

 

周りからは、、風評被害のように、、、

家族は嫉妬され、、、虐めも人知れず根回しされる

光と影の世界は、、、

勤務医の妻と言う立場でも、、、同じである。

政治家は知能抜群で、知識人であるが、、、

専門家の医師の、、、生きるのに不器用な部分を

  理解してくれたら、

人生の終わりに、、、安住の場所の無い医師が減ると思うのですよね。

 

専門家は、、、専門分野に秀でていますが

専門分野以外は雇用して人にゆだねるので

多くの雇用している人たちの家族を養うという状態で

一見華やかな風評の中に居ますが、、、

息子を医師にしなければ、、、続かない会社と同様で

地域的な医療崩壊が起きてしまい。

小規模の人数ではあるが、、、医療崩壊の中で

閉院は、、、開業よりも、、、

    現金が必要になり

医師そのものの専門性も相続は出来ないし

施設も相続できないという、、、

尻切れトンボのエポックに、、家族は

「寒菊の、、、まとうは 己が光のみ、、、」

力を付けねばと、、、

頑張る人生で、、、私は、、、私、、、やるっきゃない!!!

 

あたかも、相続分が現金で分配されたかのような

送別会が、、、何十年も経ってから、、、開かれた。

招待状は何回も何回も、、、確認の分まで送って来た。

 

 

風評の中で、、、

現実は、職員の退職金や。建物の壊し代金

にっちもさっちもいかない、、

時代遅れの医療機械の処分

二重造影鉛の部屋など作った事もあり

業者に丸投げした様だッタ。、

閉院は、、、「医療をしている」という全財産のほかに、

借金が残るほど、閉院は大変だと思いました。

 

開業医の院長夫人は

天国から地獄への日常は、

短大家政のお嬢さんには無理だったのは

           解る気がした。

     痴呆と言う

     神様の贈り物によって、、、

      精神は幸福のまま、、、。

せめてもの救いだった。

 

   溺れる者をスクイに行っては自分も溺れる、、、

   全権放棄して、、、見守る日々は、、、苦しかった。

 

周りは大変、、、この一大事の時期に、、、

     痴呆出現。

 

兄は捨て身の、可決策に 大きな組織に全権譲渡した様だッた。

 

生前、母からもらったアルバム一冊の写真以外は

私の手元には残らなかった。

院長室に飾ってあった、、父が戦場の病院長の時の

   日赤の看護師さんらとの集団写真は、、、

    手元に残しておきたかった。

戦争時代の戦場近くの医療施設の写真は、、、

   歴史的に価値もあると思った。

でも、、時代は移り行くのだから、、、

          見送るしかなかった。

兄は、、、弟たちには全く知らせないうちに

            すべてをやってのけた。

       兄の長男のお嫁さんが女医さんだった事も

           姉弟の出番がないという成り行きになった。

       才媛だったのだろう、、、

   実家が、、、売られたのを知ったのは、、、

     かなりの年月が過ぎてからだった。

    弟も、、、相談を受けなかったと、、、落ち込んでいた。

 

売られてしまった実家を観に行くのは精神的に良くないと思い

私は、夢の中の実家に、、、しばしば里帰りをしていた。

弟が、、、「僕たちに相談してくれないなんて、、、」

落ち込んでいtので、、、

   弟は天下国家に貢献できた人生を歩んだので

    兄は、、、維持してゆくのに、、、

       足手まといにならないように

    自分の家族だけの問題として、、、

         解決したのだと思うよ、、と

閉院に至っては、、、マイナス財産しかないから、、、

    弟の荷物になるのを避けたのだと思うよ、、、

弟は、、自分の車に私を乗せて、、、

   最後に、、、実家を見に行こうと、、、私を誘った。

     寂しさは感じなかった、

       父と母の時代は過ぎたのだと感じたのかもしれない。

 

   瞬間的に、神様が私を「痴呆に導いてくれた?」

       違うって、、、!!、、、でも

      感情が動かなかった、、、。

 

   その後、兄夫婦は、大きな病院の関連施設の老人施設である所の

「サービス付き介護施設」に転居

「激動の閉院」に

精神がついて行かなかったのか、、、

脳がエンストしたのか??

痴呆になった夫人を避難させて、、、

     守ったけれど、、、

 

颯爽としていた医科大学に通っていた頃の

 

   独裁者も顔負けの、、、

妹の人生ごと振り回して

       配置しようとしていた、、、

アグレッシブな若さは

     父の残した本拠地が有ったからこその、、

政治だったのだろう。

一生懸命、、、若い頭で、、、家族の、、、 

兄が大切だと感じた「兄の流儀のプライド」を

一生懸命、、、守っていたんだね、、、。

   

ありがとう、、、男と女は、、考えてることや

    大切にしていることが違ったようだね、、、

   老後も、、、貧しくても、、一緒に行き来したかったよね、、、

 

元来は、、、神経質で、、、プライドが高すぎる地域の王者で

根っこは母から乳離れできない、、、

    

戦場の母にしがみ付いて命を守った育ちは

    

老人になっても、、、

「母の乳房から離れられなかった精神が有ったのでは??」

痴呆になった奥さんを、、、ほめそやしながら、、、

守り続ける兄は

戦場で、

母と生き残った母を守ろうとする、、、本能が

 

逃げの経営をしたのではなかろうか?

   

 

一般人の人生を過ごして、、、老境に入って、穏やかに家で過ごしている

舅の、昭和の晩年の様子です。

一方、、芸術家堅気の老人と言うのは

   同じ日本の、、終戦体験をしたとは

  考えられない、、、

「自己中な、、、楽天家である様な

              ゆとりを感じた。」

医師の人生と、コントラストをはっきりと感じる

 

主人のお父様という方の、

日常に、すれ違ったときの記憶を

  述べてみます、、、、

使命感が自分自身の中にある職業の人は

     享ける感じが、、、「池」のようです。

その池に、、、私と言う、、、蛙飛び込む、、、水の音を

  激走の時代に、、、池の波紋だけで、、

、静かな人生を感じました。

1人の老人との、、、傍観者の記録です。

旧い時代から、代々続く、

産婦人科の開業医の長男だったようですが

明治生まれの、その時代には、、、

    映画を作るの、、、絵を描くのだとか

         芸術家としての演劇を志すのは、、、

河原古事記だと、、、とは私は、、、

           どうしても思えないから

  いつかは未来の宇宙時代に

     古事記として残る人たちかもしれません。

ともかく、、、乞食扱いに甘んじ乍ら

   ザンギリ頭の文化人には

  クラシックの音楽の楽譜も日本に無いという時代ですからね。

家を継ぐべき長男が、、母の姓に戻って、

自由気ままな生き方を選んで行った。

同じような時代に、兄字様な場所から

萩原朔太郎は、、、詩人として、世に認められた。

     お兄さんという方のサポートは、

           並々ならぬ理解を示し

凛として、萩原朔太郎のすべてを支えたと

   何かの作品で読んだ記憶がある。

    

舅の場合は、、、才能が、その時代としては目立っていても

   時代の変化についてゆくという

     柔軟性に欠けていたのかもしれません。

Yafoo-検索にかけても

     2~3個の作品の制作者として出てくるだけで

       晩年設立した会社も、うやむやになっているが

結婚した当時は、舅が、北海道まで遊びに来て

     10日以上は宿箔すると言う、、、風邪任せの人物で

主人は、その間、早朝出勤の当直とか、、、

      せっかく来た親父殿の相手をする暇もなく

         幼児2人抱えて、、、私が毎日

    舅が行きたいという場所まで、車でお運びして、

      帰りたくなったら、電話を入れてもらって、、、

         お迎えに行くという、、、

     嫁の役割としての最低の事は、、、育児の合間に出来たつもりです。

  しかし、、、かなり、、、テンポラリーな性格で

     花火を見る約束をして、その夕方、

        アパートの、開花の奥さん家族に誘われたのを

    舅が来ていて、、、花火に行く約束を、先にしてしまっているからと

    後で、、会場で会いましょうと言う事になっていた。

ところが、、、その日は、、、夜の10時ごろのお帰りでした。

私は、、、花火に行かないで、、、待ちぼうけでした。

   お酒を飲んで、ご機嫌でしたので、、、

        そのことには触れませんでした。

翌日は「昨日の花火は楽しかった、、偶然知り合いに合ってね、、、

      一緒に、飲みながら、花火を見たよ、、、」

私との家族の約束は、すっかり忘れていて

     約束そのものも忘れている様だッタ。

翌日は、主人は心配になったのか

     北大病院に、全身検査に連れてゆきました。

    脳の異常も無し、CT画像も正常!

勢いがついたのか、、「眼医者さんにも連れて行ってくれ、、、!」

主人は、その日は勤務で行けないので、、、私がついてゆきました。

「親友に近い眼医者さんが開業されていて

    主人がそこなら、、、多少のわがままは許してもらえるから、、、と。」

ともかく、、、

裏書に「父です。よろしく」と

    走り書きした名刺を

       北大に勤務中の医師の息子が持たしてくれたので

  北海道と言う、、、お客さんの立場なのですが

眼医者さんに行って、、、

  その態度の大きいこと、、、大きいこと、、、

良く流行っている評判の眼医者さんだけに

  待合室には大勢の患者さんが待っていました。

    お子さんがたも、たったㇼ座ったりしながら、、、待っていました。

「お爺ちゃんは、、、待ちたくない、、、」とおっしゃるので、

 本意ではなかったのですが、、、

   主人の名刺も、渡して受付を済ませました。

  お爺ちゃんは、、、

    ちょっとの時間でも、

      待つのが苦手のようでした

 「受付には、息子の名刺を渡してくれたか?」

   「ハイ、、、順番が来たら、お呼びしますと言ってくれましたから、、」

私は、雑誌に目を通しながら、、

   そうとう待つことになると

     覚悟を決めて、ゆっくりと腰を落ち着けました。

お爺ちゃんは、、、たったㇼ座ったりしながら、、、

   北海道まで来た貴重な時間を、、、

     待合室で過ごすの不本意と言わんばかりに

立ったㇼ座ったり、、、

   「病院のせいではなくて、、、

ここは、、腕が良い先生なので、、、

  患者さんが多いせいですから

      少し落ち着いて,、、居眠りでもしていてください、、」

「起こしますから、、、」

そういって、、、なだめて、、、診療を受けてもらうのは

   大変なお爺ちゃんでした。

  たぶん、、明治生まれのお爺ちゃんの父上も

     そのまた上の父上も、、、

       そのまた上の父上も、、、

   産婦人科を、代々営んできた旧家らしいので

  舅は「故郷の小中学校の同級生は皆、親父の産科で生まれたから

      地域一帯が兄弟姉妹家族みたいなもんだね、、、」

  この地域で高校まで卒業しているのだから

    思うようにならないことの方が、、、少なかったに違いない。

   世の中には、、、本人が自覚しなくても

    周りが、、、「あの人は別格だから、、思うようにしてあげて、、、」

そういう言葉で、、、障害物は取りのどかれたのかもしてません。

之って、、、本人にとって、、、幸せな事なのでしょううか?

自分以上の力以上に、、、物事がスムースに運んでゆく人生って

本人が居るようで、、実は背後の、

産婦人科の看板が生きているのとは違うのだろうか?

お爺ちゃんが帰った後、、、

私は、本人が意図しなくても、、進んでゆく社会の怖さを感じました。

その後も、、、北海道にひょこんといらっしゃいましたが、

60歳を超していたせいか、、、

札幌には仕事仲間も、顧問とか、、、特別職の為

  舅は、訪ねようとはせずに

    「中島公園に行こう、、、連れて行ってくれ、、、」

 これは安全地帯なので、、、ご自由に遊んでいただけると思い

子供を公園に連れて行って後は、ベンチで居眠りこいているように

良い所に行きたがってくれたと、、、車で、公園までお連れしました。

ベンチでも見つけて,、井眠っているから、、、

帰る時には、、、起こしていただければ、、、と

言おうかな????!と思う矢先に、、、

「僕が歩いて行く後に少し離れてついてきてくれ、、、」

とおっしゃるのです。

   え~~~放任できないの???と思いながらも、、

  数日で、帰ってゆく人だから、、、と

「ハイ、、、そうします。」

拾い、、、中島公園んを、少し離れて、、、歩きました。

お元気な事、、、お元気な事、、、

当時は、売店もあり、、、現代もあるのかしらね、、、売店は???

あれこれ買われては、、、

「おい!、、、これ持ってくれませんかね、、?」

紙袋は、、、中島公園で出会ういろいろな落葉まで集まって

     結構な、、、お散歩コース、、、となりました。」

外での飲食は、、、

   お友達とでないと、、、

       行く気にならないご様子でしたので

そのまま家に引き返しました。

  翌日は、、、Sさんという、仕事仲間が居るので

    元気かどうか、、、?会いに行きたいというので、

 「そんなに、、、偉くなられた人なら、、、

      アポイントとらないと、、、

   札幌では、、、偉くなられて人ほど、、、

            アポイントとらないと。。。

    仮に、その時間が、、空いていたも、、、

    都会は飛び込みの仕事を受けるので

    『今日は予定があるからと、、、断られるケースが多いですよ、、』

私は、老婆心ながら、、、目上の舅にアドバイスの様な事をしてしまいました。

「君が心配することは要らないんだよ。、、、竹馬の友だから、、、

   僕の場合は別格でね!!、、、アポイントとる方が、、水臭いのだよ!」

あまり自信が有りそうにおっしゃるので、、、

   「そうですか???、、、札幌は見に東京ですから、、、下で待っています。」

車で、、三共ビルの隣のビルまでお送りして、、、

   「ここからは、、1人が良い」とおっしゃるので

  「 近くの駐車場に入れて、、、待っていますから」

 私は、、、いくら、、、竹馬の友でも、、

  生き残りの激しい戦いのある札幌で

    それなりの地位を得た人が、、、

      「アポイントとらない人」と会食して、、、

        飛び込みの仕事を逃すはずはないと思っていたせいもあり

  「待っているつもりでした。」

   「君が居ない方が、、気が楽だから、、

     家に帰っていてくれればいいから!」

   絶対に自信あり気におっしゃるので

  私は、自宅に帰りました。

30分で、自宅に着き、、、やれやれ、、、頑固な年代だ事!!

つぶやいて、、食堂に入ったとたん、、、

  電話です、、、!!!

「おい、、、迎えに来てくれないか?!。。。。」

理由は聞かずに、、

「今すぐこちらを出発しますから、、、30分は建物の中に居てください!」

「30分経ったら、、、車を降りたビルの前に立っていてください。」

私は、、、「やっぱり、、ここは大都会の札幌なんだ!」

、社会の常識が再確認できたことは、マイナスにはなりませんでした。

お爺ちゃんのおかげで、、、

   時代はそんなに変わっていないという事がわかりました。

私の母は、、、父が院長をしている病院の前の公衆電話から

  「病院前に居るんだけど、、、」と電話したとき

  「今は仕事中で、今日は会えないから、帰りなさい、」と言われたと、、

生涯の間に、、、10回は、、ぼやく母の言葉を聴いていましたから、、、

立場ある人は、、、時間の奴隷なのだと、、、その時から認識していました。

こうしたことを、、、通して、、、何が言いたいのかと、、、

一見すると、、、時代錯誤の舅のうっぷんに思えるかな?

   時間の奴隷と、、、全ての時間が我が物の人生の違い、、、!、

            

そして、、、北欧のエリート電子工学士たちは

チップを入れた手のひらから、

距離に如何なく、、、直接交流するという時代に

   人間は,どのようにコミュニケ―ションのやり方が変化して

   感染症も、coronaを含め、、、

3蜜の中で、、、精神交流の時代が来ると、、、

   どのような大学の学部が無くなり、、、

     どのような仕事が失業してゆくか、、、

        危機感で、、、食事系統の商売が世の中に苔平のように

     密集していった時には

        万一、、異次元のとり残された村落では

        立体多面体の社会を、、、

   米、野菜作りで、、乗り切れるのか、、、

     遺伝子操作で、、、アスリートが能力をつくられる日が来たら

      ドーピングは遺伝子にまで及び、、、

     オリンピックの選手の選抜は

        検査方法はどうなるんpだろうね、、、

          日本人の、、、オレオレ万歳!

          女性差別は、、、肝心の情報は置き去られて

       女性抜きの子だくさんになれば、、、

             男性同士や、女性同士の家庭から、、、

          異次元の日本の能力が生まれるかもしれませんね。

       疲れた、、、本当に、、

            

         我儘なお爺ちゃんが、、、時代を揺るがすことが無いので

        安心な安らぎの中で、、、

        思いやりさえあれば、、、明治の男性の方が

        時代錯誤は感じないかもしれませんね。

 

       76才、、、どう生きても、、、80歳代で、、、この世とお別れ

 

        私は、、、とり残された感が来る前に、、、旅立てる、

       何が幸せで、、、何が不幸なのか???

       権力と、、、電子工学と、、、遺伝子操作と、、、放射線と

       そして、、、女史は何処に行く、、、

 

       絶対の力に思えた出産能力が、、、遺伝子操作で

       冷凍保存卵子と精子で、、、独身の男性のkodakusan

         ありえないような未来が、、、

        coronaに勝てる日の、、、イメージとなって怖いよね!

        そこまで戦うか‼!!、、、人間よ!!!

        それとも、、、遊び心のゲーム基地の、、、行き着く先カナ?

    coronaで閉店の激動の嵐の中で

       我が家の、、、時代の波の中で

               東京は個人開業の時代を飲み込んでゆくのか??

     大学教育と、人生哲学と、、、電子工学と、ITとスマホ

       時間のspeedのクレパスに沈んでいった

         一開業医の夫婦は、、、どこに流れ着いて

         半可通の世間の波に抱えきれなお労働を背負って、、、

           医師の先生方は、、、大丈夫なのだろうか?

      医療崩壊は、、、半可通な専門分野の知識が

        SNSでツーとして、、、

        パクツイが、、、さらに、、、半可通なリブを受け取り

      医師虐めの様な、、、労働の連続を、救うという

        個人個人の、、、医師への思いやりが

          かき消されて、、、

          医師を無限の労働者にしてしまい、、

        ヘビが自分のしっぽから、、、食べ始めて

         ヘビが居なくなりましたという

           coronaの終結にならないように!!

         ヘビは、、病院のマークですよ!!

         3蜜を守ることは、、、

           ヘビが、、腹減っても、、、自分のしっぽを食べないという

          自分自身への、、思いやりですよ!!

          ゴールデンウイークは、、、3蜜の徹して

            ヘビを生き返らせて、、、

            エデンの園で、、、リンゴを食べて

             酒も、恋も、、、この世のイブとアダムの

            幸せが、、、きっと、、、又来ることを

             信じようよ、、、

            医者の先生だって、、、人間だから、、、

           働き続けることから、、、

            皆の3蜜の実行が、、その、、、重労働から

          救って差し上げられるのだから、、、!!

           私は、、、3蜜は守ります!!

            小孫には、、、カンズメを贈って、、、

            家に居てもらいます!

          正念場だと、、、思います!!!

 

  

  

 

 

 

んも


樹々の囁き

2021-04-21 02:40:10 | Weblog

櫻の花の咲く川を、  

     二人の冒険家が、空気ボートで降ってゆく。

 

狩野川はかって、、、

哀しいまでの「台風被害」に

   多くの人が泣いた川であることは

       記憶に残っていると思います。

 

そして、放水路が創られ、、、側溝に水を流すことで

最近の台風も、、

   、無事に乗り切った時、、、ほっと胸を撫であろした。

 

富士山は水を湛えた、、、日本の母の様な山ですね。

         

海の底から、、、伊豆半島を産み、

    日のあたる陸地まで押し上げた。

「伊豆の国市」、、、

     どんなにデジタルの時代になっても、

 

ITが「お喋り雑談」しながら

      こまっちゃくれて成長してきても

 

「伊豆の国」、、、この名前が今日、

      、、なお、、「伊豆の国」であることを

         説明できる日は、来るのかしらね???

 

「曾我の五郎十郎」の日舞の発表会の時

    伊豆の国の出来事だと、

            初めて知った。

 

「修善寺物語」を読んだ時、、、

          伊豆の国の物語だと驚いた。

豊穣の歴史も、、、すさまじいものが有りますね!

 

、学校で社会科の時間

  「源の頼朝」と「義経」の歴史的な中心地が

       伊豆の国だった。

私は,、、自転車を借りて、1人で史跡を走り回って、

       伊豆の国を、、、

   なんとなく、、、理解できた気持になった。

歴史の証言する日本は、

    「伊豆の国」から

    「武家政治」が始まっている。

 

未来においても、、、

  「伊豆の国」と頼朝の名前は永遠でしょうね!。

 

一昨年までは、雪融けと同時に

   伊豆の国のKKRに、、、

     ひと冬の雪かきの疲れを流しに行っていた、

     かけ流しの温泉は、

    冬の疲れと、閉塞感を吹き飛ばしてくれていた。

  あれから、、、2年、、、

 

伊豆の国の温泉に入りたいな~~~!!

 

、TVのチャンネルボタンを押していたら

狩野川を降る「二人の冒険家」が、、、

      空気ボートを、、

        ゴムボート、、、ていうのかな?

           コンパクト自転車を積んで、

狩野川の始発地点から、自転車、、、ボート、、、自転車ボート

    美しい淵も、、、激動のダンピングで降る瀬も

       富士山の見える川も、その澄明な湧き出る川も

           茶の間に届けてくれました。

 

北海道に住んで、

   雪かきと、

     家の管理と、、、

       子育てと、、、

          食事洗濯の人生は、

            春になると、、、「伊豆の温泉にハジケテ復活!」

自分から、、、旅行に行こうとか、、、

  食事をしようとか、、、映画に行こうとか、、、

    結婚以来、、、疲れて爆睡している主人しか

      お目にかかった事が無いのに、、、

 

  春休みだけは、、、伊豆の国市の温泉に行っていた。

 

   coronaの感染が世界の問題になって以来、、、

      温泉どころか、、、

    10分で行ける店の買い物以外

 ワンコインソバ屋にも、、、立ち寄ってはいない。

、        主人の弁当を作り、、、

           コロナ対策に集中している。

      主人が遅番の時は

        寿司酢とお酒と

        利尻こんぶを入れて

           北海道の米を焚き、、、

             二食分の弁当を作る。

 

本日のメニュウは、、

    、伊豆の国KKRの「お献立」には及びませんが

     主人が、、外食しない事は当分続くので

      栄養バランスは考えてつくる。

 

   卵焼きは

      卵一個、、、

         白魚を混ぜて作る

 

      玉ねぎ、ホウレンソウ、、、ニンジンのみじん切りと

       炒め物は、肉だったㇼ、、ベーコンだったㇼ、、

      大根とキュウリの簡単酢につけたもの

  

      ほとんど握りしめないで、

         ラップの中に閉じ込めた炊き立てご飯!

      10分蒸らして、コメを切り乍ら

       釜に接触している焦げモードのを

          混ぜ返して取り出す。

 

      お焦げのニュアンスの在る

          ほんのりと、、、焼きの入ったところが

      ラップに閉じ込めると、

           握らないのに、、、おにぎりのようになる。

   その代わり、、、ビタミン不足を避ける意味でも

   朝食はパンに限る。

     

   朝食の用意は主人が率先して役割を負っている。

   手指の運動をかけているというから、

   筋トレの、、、身体の目覚まし運動がサラダ造りなのであるようですね、、、」

きちんと並べるのは,、性格が出ていますね。

 

私なら、、、森山さんのウイッグのように、、、フワッ!、、て

   クロードチアリ―のギター曲聞いてるように、、、

   盛り付けるかもね??

速い話が、、、考えて盛り付けない、、、かな??

指が勝手に動かされるままに、、、

  頭抜きで、、、盛り付けるかもしれない。

食べてる人も、、、

勝手に気の向くまま

   パンにはさむかもしれない、、、様な。

お弁当も、、、

きちんとした感じにならないように

   かってにアレンジできるようにしている。

 間食用の、、ナッツだとか、、、

      最近は、どら焼きにしている。

結婚前は、江戸川のリバーサイドに

  早朝ゴルフの会員になっていたけれど、

    結婚以来、、、一度も主人とゴルフに行ったことも無い。

ゴルフクラブは、主人が練習用に使って、はげちょろけになった。

その後、主人は、、、ブラックシャフトを買って

    医局のゴルフ集会などが流行っていたころ

      医局長をしていた関係上

        おおきい科のコミュ二ケ―ションの手段として

     ゴルフのスコア―を競うという、、、

  ⚾野球の様な、、、感覚でゴルフをするので

    ゴルフをするような、、、タイプではないな~~~と

  眺めているうちに、いつの間にか、、、

我が家からは、、、ゴルフは消えた。

  やっぱり、、、ゴルフを好む人と言うのは

    車にも,ファションにも、、おしゃれにも

       時間とお金をかけますから、、、

     野球のようにユニフォームで滑り込みに拍手している主人は

スマートすぎるゴルフは、いつの間にか、、、

    立ち消えて行かなくなりました。

  しかし、、、野球には、、、イクツニなっても夢中でス!!!

   完全にすれ違って、、、、

   同居弥次喜多道中の人生行路中山道かな??

    NHKの真夜中の名曲を聴きながら、、、

     キーボードをたたいていると

窓の外が明るくなってきました。

       

   coronaの変身には、、、困った事である。

      たぶん初期症状がいろいろな薬で

          症状の重症化を抑えるときに使った薬なども

       無関係ではなさそうですね。

        

    coronaの分裂段階で、、、

       アミノ酸のつく位置がずれこんだり、

        いろいろな生き残りの方向へ、

           変異してゆくのかもしれないね。

        500~600番目の位置が、

      影響を受けやすいという事なのだろうか??

   ワクチンを作る時も、、coronaと、、、同じ手を使えるといいね。

 

   何にしても、、、NHKは真夜中に観て

     昼間は、ニュースだとか、、、

       チャンネルをアトランダムに選んで

    マー君から、、、中田選手がホームランとか、、、

      田中、、、中田。。。頭の中に若さが走ったり、、、

     TVが無かったら、、、coronaの時代は乗り切れないと、、、

          NHKに感謝!!!

         他局にも,、、棟茶個、、、の

        高知、四国版が現れましたね!

      ,狩野川下り、、、静岡に行けた、、、頭の中は伊豆の国に居ました!

             成り行きで、、

何故か、、仕事人を観る。

     ゾ~、、するような、山田五十鈴の美しさに

              好きだった「杉村春子」を重ね合わせてしまった。

 

     世の中の垢を、、、魔法で香水にして

            男であることにも、

              女であることにも

                欲張りに見えるほど

                  情の炎の、、、中をくぐり抜けて

                 女の妖艶さを磨き 磨かれ

         女性の中の、、、女を磨き上げて、、、

            不動の「山田五十鈴の味」にしたって、、、

             感じのする女優さんですね。

         茶の間の76歳の理化女の婆ちゃんには

          あのような妖艶な流し目は、

      とても、、、真似が出来ませんね!

 

        一方、、、杉村春子さんは、、、

            捨てて捨てて、、、煩悩は捨てて

       女も、、、見事に、、、枯れた味を出す女優さんだと

        山田五十鈴が出ると、、、杉村春子さんを思い出し

        杉村春子が出ると、、、山田五十鈴が思い出される。

   どちらかと言うと、、、杉村春子さんとか、欣也ちゃんが

       違和感なく、、、診れるかな??

    剣客商売の藤田まことさんの方が、、、無難に診れるかな。

      仕事人は、、、ゾ~となるよね、、、

       いつか観た、、、浜木綿子さんの息子さんが出ていた、、、

       モズ、、、とかいうのと、、、似てるよね。

     TVは、本当に、、、いろいろな社会の落ち葉を集めたような

          命の美しさ、汚れを、、お茶の間向きに放映するよね。

         何にしても、、、剣客商売の藤田まことは大好きだけれど

         仕事人の藤田まことは、、、二重人格みたいで、、、コワイね!

        完全に、、、

オシュメトさんと、御内儀にくわれたますな~~~

  あの二人のおかげで、、、お茶の間向きになっていますよね(^^!

        小唄の師匠の目も、、、ゾ~となるね!

       嘘、、とかいう、、、歌を歌っていましたよね、、、

        男の本質をついたような歌でしたよね。

 

      かんざしを作る職人さんの、、、

           筋肉のつきかたが美しいので

               見とれますね、、、!

         三田村さんは、、こんな時代が有ったのですね!!!

             イケテル!!

        この番組は、、、大好きな欣也ちゃんと、、、

          真逆の物が有りますね、、、

         杉村春子が、、、欣也ちゃんだとしたら

         山田五十鈴が、、、仕事人、、、

      とにかく、、

         茶の間は

           閉じ込められたコロナショックを

         俳優さんや女優さん、

            NHKの大自然、、、文化、、、

          ミキサーみたいに、、、感情をTVに釘付けで

         引っ掻き回せてくれちゃうので

            悩んだり、、、暇をもてあそぶ暇もない、、、

            TV漬‼!!、、、漬かりすぎ!!!

        味が解らなくなった!

          coronaで味が解らなくなったのではなくて、、、よ!!

          何でも、タイプを受け入れちゃうから、、、

          欣也ちゃんのビールで、別人のような、、、

            岩下志麻さんとの作品を見て、、、

          欣也ちゃんが、、、あの銭形平次が、、、

             こんな、、、濡れ場を演じるのかと、、、

             ショックを受けたり、、、

           岩下志麻さんの、、、ある種の美しさに

            似合わない、、、アルトの声が、、、恐い女性ですね。

         淀川さん‼!!、、、映画って、、、良いですね、、、

           今日の日記も、、、朝になってしもうたから、、、

          サヨナラ,、、サヨナラ、、、サヨナラ、、、

         ゴールデンウイークは、、、家で、、、TV,,,見ようね!!

           coronaに負けたら,、、いかぜよ!!!

            夏目雅子ちゃんの番組もヤッテ~~~ください!

       TVのおかげで、、、精神の正常を保っています。

           ありがとう、、、TV

 

              最後に一言、、、

             川下りの桜の並木、、、

         間隔が開いてて、、、樹々は自立して

       咲く時には咲いて、、、散る時には散る、、、

            日本人は桜の木々に教えられることが多いですね。

櫻、、、桜、、、咲くも花!華。。。散るも花!華、、、魂の花よ!!

         この日本を守り切れ!!!

 


天に自然に、成り行きに謙虚になって、勝手に動くウイルスを見つめる

2021-04-17 04:29:03 | Weblog

 

    

                                                                     

               日本の医療に復活と、

             追い付き追い越せのパワーは

         がんセンターに患者としてかかっていた私が

         受付で観たインフォメーションは

       世界の人々への「各国語で対応のカウンター」でした。

東南アジアの

在る国の御姫様も検診にみえられていて

    弟が担当していたので、、

      私は、待たされるのかと思っていたら、

        お姫様はどなたかに頼んで

          予約時間の通りに検査をしてくれました。

      国際的な受付空間でした。

   弟は日本では「CT??何ですかそれは?」

    研究の始まったころは、

       がんを診断する専門医師でさえ  

           CT開発の黎明期には

    診療が終わってから、

      話を聞いててくれるところから始まったと 

   初期のころは落胆して、、、ぼやいていたことも、、、覚えている。

       

  (北海道で見た弟の新聞記事に

        父と主人の祝辞を隣に置いたつもりでコピーした新聞です)

        朝日がん大賞とか,、たいそうな評価をいただいたそうです。)

                 ハーバード大学への道も開けて

             弟はCT画像の開発や、

           へりかるCT開発チームのメンバーとして

      がんセンターの検診研究の分野の長に

              任命されたた様だッタ。

       アメリカの学会発表の時は

          がんセンターで、

         内視鏡の指導医を許された兄が

           弟のアメリカの学会発表を聴きに

           アメリカまで行き、弟の発表会場会場にて

            合流したと言っていた。

 

      

           

********************************

   

 

           多すぎる毎日になるだろう、、、。

 

           「もう、、、今までのお兄ちゃんと違って

          、、、自分の事だけ考えて生きるから!」

 

              「皆自分で生きろ!」

 

            「母はお兄ちゃんが責任を持つから

       各人大卒したら。。。皆出てゆくように、、、」

 

     家族全員の「財産放棄の書類」に兄嫁が実印を取りに来た、

     「実印は無い」と言うと、、、

      勝手に実印をつくからと言った。

        それには答えられないので、、、代わりに

              三文印を押した。

 

     父が居なくなるという事は、、、

      私の居場所がなくなるという事だと

           気が付くのが遅すぎた。

                 反省しています。

           

          私立医科大学時代の独裁者???兄貴

       富国強兵時代に生まれて、戦地の近くの病院で育っているので

         終戦のまぎわに、弟2人、妹一人を、、、現地で亡くしている。

        PTSDが在るのかもしれない。

        戦後生まれた私も、、、弟も、、、「何とかなる!」

    「物事は、、、起きてから考える、、、一拍休みが入る性格だが、、、」

 

                               

     兄は神経質で、、、場合の数を読みすぎて、臆病な神経質なとこが有った。

      全財産は、圧を継ぐ者に一任して、、、合流させてもよいが

       母は、1人で、、、7つの部屋を使っていた、

        ピアノは3台あった。

         

           私の部屋は、、、取り上げられた。

        日本の女性は、、、本当に、、、男尊女卑だと言われるが、、、

    兄よ!、ブルータス、、、お前もか、、、!

          ギャグを言っているばあいでは無かった。!

 

       

      ともかく、、、弟は兄とは違って、

      人格も円満で、陽気で、考えも骨太で、、、頼もしかった。

      弟と、、、兄とが、、、ひっくり返っていたら、、、

       私は、ピンチの時こそ、、、

            役に立つ人間だと

                解ってくれたとおもいますがね~~~!

        姉の私にはとても尊敬さえできる努力家だった。

 

    し

            

            

         

     50人のピアノのお弟子を抱えていたので

     年金の無い時代、、、

     晩年は3万円の老齢年金とか言ったかな?

     支給されるように、成ったので

     病気をしても大丈夫だと、、、気が楽になったと

    言っていたそうです。

     人の世話になる事が

        自分を許せないという

         自立心の強い母でした。

    その母が、、、どういう訳か、、、

    晩年、、、北海道に娘を閉じ込めたのは

     自分んが悪かった、、、と繰り返していたそうです。

    個人的とは言え、、、地域医療に貢献できるまで

     父が早逝して

     毎日来ていた患者さんが150人だから、

       周り300メートルの住民の為に

          地域貢献できていたのですから、、、

            突然の早逝は、小さな地区とはも申せ

       「医療崩壊が起きる寸前の救急事態だったわけですから、、、」

 

        北海道でも、九州でも、、、実家が東京で、

          実家に帰るという医師が居たら、

       娘を嫁に出して、父の後を継いでもらおうと思うのは

      無理からぬことだと思います。

明治生まれで、国立音楽大学を卒業して

東京都で初期の、女性教師として勤めた母の気性は

明治生まれには稀有なる

   「自立した女性」だったと思います。

私ごときが、、、かなう相手ではありませんでした。

音楽家とか、、、芸術家に、、、勝てるわけはありません。

                                                                       

 

彼女たちは、、、「麗しき蛮族」です。

母を、、年取ってから、、、原野に放すよりは

兄は、、必死で、、、母の、、開業医の奥様から、、、

 「開業医の母上、、大政所」と言うステータスにすり替えて

     母が年老いて世に出ることを防ぎ、、、

ピアノ教師の席に座らせ続けたのかもしれません。

 

   私にとって、、、「蛮族」だった者が見えてきました。

 

芸術家が、医師と結婚すると、、、

    医師の方が、、、

      培地になるという事かもしれません。

母にも、、、弟にも、、、主人にも

私は敗北を認めます、、、が

兄は、、、強そうに見えますが、、、

 

         

 

「お母ちゃんのオッパイ」を離れなかったのは、、、

 

    兄だった子もしれないと、、

一人笑いが出てしまった。

 

         パラドックスな意見が出てしまいました。

 

日本の女性は、、、男尊女卑に甘んじて見えますが、、、

終戦の戦後を知っているから、、、

    強く出れない男性を、前に出さないと

      世界の国に合流していただきたいから

誰かが負け組になって、

      サポーターに回らないと

医師をすることの、

     ストレスが

        はけ口を詰まらせてしまい

    障害物が出来ると思えて

        supporterになるものは 負け続けることが、、、

           医師をすることの、サポーターとしての

 役目を果たすことかもしれませんね。

            

医師が柔くなってしまう事は、、、

半可通な世間に、、押しつぶされて

理解されようとする政治家と違う

     学者肌は、、、

   気が付いたときには、、、医療崩壊になってしまうのではと、、、

医学への貪欲さとは裏腹に

   サポーター次第で、、、

  医師の働きは

    方向づけられる可能性も

        秘めているのではなかろうか???

         

一部の特殊な医師は、、、

   医師をすることには

     スーパーな実力者ですが

 

   医師をすると言う事が、、、

   医師になる時よりも、、、もっと疲れると、、、

                  兄は言います。

   開業や、施設の維持や、

      医療機械や、薬品の購入や、、、在庫管理、、、

        医師をすることの、障害物競争のように

             税務署も、数字の出し入れだけで

     医療の実態はすべて時間が想像の倍以上拘束されている現実を

         経済的数字で考えてしまうと

           coronaの勝手に動くのに負けてしまうのと  

            似ているかもしれません。

        命との対面は、

お子様が生まれっ時の感激と緊張と興奮が

  ありますが、、、

    生命の分岐点で、働く医師の収入は

       大洪水の時、札幌から北見まで

           タクシーを飛ばして、、、

              ちょん切れた腕を縫いに走った若きにには

         医療費として患者さんが支払ってくれた倍以上を

        交通費に支払って、血管をつないできたことも

      あったのです、

        

   結婚後も

      主人とは、夕食を一緒に食べたことは稀です。

    準備だけはすべてにおいて、

     食べたいものを皿にとるだけにして

           食事はバイキングよろしく

         数種用意して

       自分で選んで、、

    1人で済ませて貰いますので、

    3蜜には程遠い  すれちがい食事です。

 

       すれ違いに行き来するように心がけています。

     医師は自宅に着いたときは、、、

    休みたい一心で

     やっとたどり着くのでしょうかね?

 

      私生活は、場所的には、、、すれ違いながら、、、

     いつも元道理にしておくだけです。

 

       胃袋の世話と、家庭運営は引き受けながら、

      必用な人になれたら

           それでいいと思う事で、、、

     空気のように、、、なれたかな???

 

         結婚すると、すぐに、、、次に続く奨学生の為に

          奨学金だけは一括返済した。」

         気持ちがすっきりして、、、心が豊かになった。

 

         大金ではあったが、、、良い使い方が出来て満足。

               

         そして札幌で見つけたアルバイトに勤しみ、

          風呂の無い

            16000円の木賃アパートに住みながら

         一番銭湯に通いながら、、、

            異文化の30年前の東京も

              こんなだったかもしれない等と、、思いながら

         誰もいない時間の

     銭湯の贅沢を独り占めした。

 

    やがて、、、外科に入局した主人、

      大きな科である、こんな大きな科で

        博士号を取得するのは

        2年や4年では無理だろうと

                直感で解った。

        無給医から、、、「医学博士号」を取得するまでの、

          冬場の留萌の断崖絶壁にある、

        古い寮生活が

      3か月ごとに、始まったのでした。

     1人の医師が、医局から、一人前と認められるまでの

    博士論文を書き始めて、

    7年目には、

   私は2人の息子の母となっていました。

         

       弟は、医学部を卒業して

       「がん回廊の朝」

        「明日への挑戦」

        「。。。   」

         外国雑誌ジャーマへの数ページは

         薬剤師仲間が、、、本を贈ってくれて、感激しました。

 

        そのころから、弟だけは、札幌まで来てくれて

         泊って行ったり、、、

        後日、総合大学の医学部の教授になられて、

          息子の事も知ってくださって、

          あの時の小さかった、子供が、、、と

          弟の友人として、泊まっていってくれた先生が

        主人とも交流があるようになり

          弟は本州と北海道の橋になってくれました。

 

            姉と言えども、、、月と鼈

            提灯と釣鐘ほど違う

 中学、   高校生の時は 、、似たり寄ったりの姉弟なのに、、、        

           社会貢献度の違いは

            弟の実績は新聞

        TVニュース、マスコミ、外国の医療雑誌、

            検索画面を通して知るのみだった。

 

           学者と言うのは、、、

        

           学会の参加の前に、、、

       ひょこんとやってきて

    サイズが,,同じの主人の背広を借りて出席

  帰宅後は、風呂に入って、

居間で寝てしまっていびき、、、

     息子達が帰ってきて

     狭い我が家は

    叔父さんが気持ちよく寝ている居間の

    向こうの部屋に行けない。

 

  息子達は、、、小さな声で、、、

 {叔父さん、、、起こすより、、

       、飛び越えるからね、、、クク、ク。。}

 

      子供たちは、、

      またいで通過。

      叔父さんが知っていたら、、、なんというだろうか??

 

    家族も、本人も、

  子供たちには

    新聞に出ていても、、、

     TVに出ていても、、、

      それは知らない、、、知らせない、、

     、一家族同様に、姉弟として接する。

 

     北海道に来た時ぐらいは、、、緊張の緩むように

      普通の家族である。

 

       この段階で、、、弟は、、、

      父の残した

「開業の自宅には戻ってこないことを悟った。」

                

    むしろ、、喜ばしい、ダイナミックな

      国と国との貢献が出来るので

       家族の誰もが、弟の社会貢献を望んだ。

 

 叔父さんを尊敬して同じ科を選んだ息子は、、、

       叔父さんは「神」の域だと追うが、、、、、

                追い付ける人ではない。       

  思い出しても、、、人生のピンチを、、、良く切り抜けたと振り返る。

     

    実家は父の居なくなった、、「内科」「外科」医院をどうするか??

    

             私抜きの、、、個人的規模の、

              医療崩壊を、、どうするか。。。

振り替えれば個人的な規模ではあるが、、

     、医療崩壊が小さな区域に起きたのだった。

         

    

 

  

 

 

 

 

 

           私が、北大の外科医と結婚したことで

              東京に住んでいる北大出身の医師を

              アルバイトに来ていただくことに成功したり、、

 

               

 

    、その博士号は、、、当時としては誰もやっていない

                血管のバイパスの実験で、

                  

                  今は禁止されている、、、

                 犬を使って

                実験に開けくれました。

        何十年後になって

  平成陛下の手術に役立つ基礎の分野の

   貴重な,、、価値のある実験だったとも知らずに、、、

 

            「汚い白衣なんかで、、

              白衣で帰ってくるなら!、、、

             離婚するか、、」

            アパートの階段に塩を撒いて

                 、、、腹が立ったのを

                     記憶から消し去れないのです。

                 私のストレスは、、、」 

                どこにぶっつけたらよかったのか?!!

 

              後日、、、何年も経って、

         順天堂の教授をされていた先生が、、、

           陛下の手術に成功されていた時

         「 新聞に出ていた人体の

            血管のバイパスの解剖図が

  主人の博士論文の解剖図と同じなので、、、感動しました。」

           

    実験で、汚れた白衣で、帰ってきて、、、

      家庭を黴菌で汚染する気か!!!

     後々までの、、、離婚するのしないの、、、と

  夫婦げんかの種だった、、、あの時の実験が

   博士論文を読んでいてくれた内科医が葉書をくれたそうです。

 

   人知れず、、、誰も気が付かない

  基礎の分野で、、役だったなんて、、、

  執刀された外科医は、、、

この世の花、、、華、、、

    ❀だけど

 主人は根っこの一本に成れたのだから!!

 

     もう、、夫婦げんかの時は

  白衣の汚さを知らない無給医は、、、無給で居ろ!なんて

      もう言わないと決めました。

 

   そのことがあってから、、、

   保健所で、行き場の亡くなった、、、

  可哀想な犬を

   何十頭も使った実験だったので

 犬の供養をして、

  この件は一件落着しました。

 

 

一人の医師が、、、何事もなかったように

  手術は成功ですよ、、、と

 

商品なら、眼でみえますが、、、

  助かった命の値段は

 莫大な価値があるのですが、、、

   患者さんは、、、

  日本の患者さんは、、、

     何故????

 病院にお金を払わなければいけないのだ?

    日本の医療制度って

   感謝して、自分の命の値段を知り

   政治が、国民の医療保険を考えてくれたから

 医療費は安いのですが、、、

命の値段と

  命を救えるようになるまでに、

  医師の来し方にかけた時間の値段は

知るべきですよね。

 

 

 

  

   

父母と、兄の3人が住んでいたという伊豆の住宅の写真です。

    母を守り切った、、、母が80歳を過ぎて亡くなる直前に

    閉院した。

 

       閉院しましたと、、、閉院の病院の写真と  

        新規に勤務する

        亀田病院の事が書いてあった。

     人生で、一度はこうした総合病院で、医療の贅沢を出来たらと

      常日頃から思っていた、。。。

     亀田病院の原点は、父のよく知っている慈恵会医科大学の

     同窓の先生であったと記憶している。

     アメリカナイズされて、昭和の終わりごろ

     すでに、、、コンピュータで院内情報はネットされており

     薬剤部も「コドス」と言う名称でよばれていた電子カルテを結ぶ

   オーダリングがすでにあったのを、記憶している。

  日本の最先端の国際的な感覚のすごい病院だと、、、

     私は、、、千葉の現地に見学に行ったことも思い出す。

 

    こんな素敵な病院の指導医として再出発で来た兄は

      苦労も多いだろううが、、、時代が時代なら

     こちらの勤務の方が、、、

    胃カメラ一本の、、、兄には向いていると、、、安心した。

 

         胃カメラの指導医として

        千葉の亀田病院に勤務していった。

     開業と言う、、、個人経営の、

     継続の難しさが身にしみた傍観者の私だった。

 

         時代の波を乗り切れなかった実家は

              閉院して無くなったが

 

              兄の長男坊が

             女医さんと結婚して、

           院長をしているクリニックに

            糖尿病専門医の開設者として、

               存在しているから、、、

        世代交代して、、、長男の長男が、、、全く別の場所で

         クリニックを開設しているという事が

          パソコンの検索で解った次第です。

 

      結婚式にも呼ばれる事も無かったし、、

          開院式も知らなかった、、、

         

          実家の生き残りに、、、

       何一つ実績のなかった私には

      

   

      おばさんが居たことに気がついたら

        何かで出会うかもしれないし、、、

   

       よく、、相続は争族と言われるが、、、

        何も主張しなくても、、

       、権利があるという事だけで

        弾き飛ばされる、、、

      男尊女卑の日本を体験したような、、、?

 

        日本て、、、女性にかまっていたら、、、

       男たちは生きて行けないという

      

       医師は、、医師になった者を中心に動かねば

       本当の、、、医療崩壊が起きるからかもしれません。

      

   こんなに多くの患者さんに慕われた父

     

 

       

  

            

チコチャンなら、、、炎出し、、、

   {どこみてんだよ~~~ボート視点じゃないよ~~~}

     どうでもいいことを見ている私は、、、チコチャンに怒られるよね!、

   医師の家、、丸ごと、、、理解されてないのが、、、

         解っていただけたでしょうか?

          

     無くなる直前の父と散歩に出る時、撮影しました。

     父の努力を見続けてきただけに、、、     

医療費は高くないと、、、私は思うのですよね、、、

   日本の医療は、、、医者の皆さんの

   使命感で成り立っているのかもしれませんね

     

医療崩壊だけは、、、一人一人の、、、真剣な国民の

個人的な「コロナ対策」への協力が必要だと

76歳の婆ちゃんは、、、本能で感じる物が有ります。

   日本をコロナの感染から救えるのは

    一人一人のマスク着用、、、

    手洗い、、、、

     環境の清潔と換気と

3蜜を避けて、時には二十マスクが必用かと

マスクをして手洗いを、励行しましょうね!!!

 


大阪のcorona対策を願っています

2021-04-15 04:16:49 | Weblog

日本の台所と言われた大阪が

    coronaパニックになりつつあります。

日本中から、、、どうしたら

   医療崩壊を避けられるか、、、???

     知恵を出し合って、

  未然に医療崩壊を避けないと

  感染症は新型コロナだけではないので

    オリンピックを期に

外国から、持ち込まれる、

   靴に着いた土、、

 輸入船の荷の入る時のダンボール

オリンピックとのかかわりの深いVIPの

   さりげないお荷物などの

     運搬途中のcorona埃、、など、、、

       豪華客船んでコロナが運ばれてきたが如く

船のつくところ、、旅客機のつくところ、

 水の豊富な所、

   商店街の多い所、、、

    何よりも、、、食堂やレストラン、喫茶店

      酒場、美味い物カウンター、、、

        一杯飲み屋さん、、、

海外からの高級ホテル、、、

   花柳界、、芸能界、、、大阪歌舞伎、、、

    ミナミの繁華街、ミニホテル街

外国人環境客の多い、、、難波、、、

大阪人が、マスクして、、、黙っている風景って

想像できないくらい、、、

口の達者なお友達が居ますけど

電話かかってきても、、、長電話になりますねん

心斎橋あたりで会うたら、

     、、どないに、、なるんやろうな?

会うなりいきなり、、、

百年の知己の仲やね^^~~~が始まり

若いころ、仕事で逢坂の講演会に参加したとき

迎えに来てくれてたんよ、、、!

女同士で、食い倒れ、、、したんよね!

大阪で、、、食い倒れ、、、

漫才としゃべくり合戦!?

ダンスホールに、

アメリカ直輸入のイベント大会場!!

   誰でも、、、

若けりゃ、、、休日は大阪へ行くでしょうね!!

 

      

       ワインも酒も、、、ビールも、、、美女も

  逢坂の青春と言う場所の多いこと!!

大阪は、食べ物だけでも

    東南アジアの旅行したみたいに

          珍しい、、大雑把な調理が美味しい!

   ☝鉄板焼き食べながら、、しゃべらん人いるんかいな~?     

     どこの国のcoronaが運び込まれても

        「マウス」と「マウス」で

       濃厚接触して、、、

       飛沫伝染は避けられないでしょうね?

   実に出入りの多いことで

成り立っている、、、そのように見えた大阪」!。

 

coronaの感染の危惧される要素の大きい

      大都市ですよね。

 

   coronaの感染の雰囲気が充満しているときに

    大阪の人たちには                    

医療崩壊が,,,目前生きている!!

  食い倒れの街で、

     どうやったら、、

、観光客を、、、楽しんでもらい、無事にお国にかえせるか???

客をcoronaから守れないようなら、

              営業できませんから、、、

 

運営がストップしてしまうかもしれないという

coronaの災難の最中ですが

此処で、心をしっかり持って、

      大阪は、、、天下の大阪を

          coronaから守ってくださいね。

 

 


corona君は風化なのか、、、進化なのか??

2021-04-13 19:07:26 | Weblog

かって、、、感染症で日本は苦しんだ時代が過ぎて

近代に入って、、ビル群になって

あたかも、菌も、ウイルスも、、、

コンクリートジャングルには住めないだろうと

タカをくくっていた時代、

 

ビルの食品の余りが餌となって

菌や菌もどきの毒素など

様々な病気や

感染症が流行っては消えていった。

    見えない敵と戦った時代を振り返ってみると

     coronaとの戦いに、、、ヒントが隠れていると

       思いませんか?

探し物は、、、なんですか?

   机の中?引き出しの中?

      歴史の本の中?

      探し物は、、、生きてるうちに、、、探さないとね、、、!

      

(日大の薬用植物園で、:研究会の帰りに戴いた、、、

  ピンクの花の咲くイチゴ、、、進化?、それとも遺伝子のイタズラ?)

 

中には営養的な欠陥からくる「脚気」まで

   森鴎外と、高木兼寛、、、

   両Dr.の熾烈な医学の闘いになったのは

 医歯薬歴史学会の会員をしているとき

   面白くて、、、その時代の歴史を読みふけっていた時期が有ります。

      そのころの本の記憶をたどれば、、、

つまるところ、、、高木先生が

軍艦一隻を、、実験室のようにみなし

    長期間白米だけの旅をした後、

  ビタミン類の欠乏の船員が、、、脚気になった事から

         決着がついた。

     

後の高木先生の弟子たちの、1人となった父が

    戦場から、疎開を得て、再び慈恵会医科大学の同級生と合流の写真

   *****************************:         

高木先生は、、、何故、、、こんな実験をされたのか?

「西洋人には脚気が、、、発生したのをあまり聞いたことが無い!!」

          日本人でも、、、

   玄米を食べているお百姓には、、、

        脚気はかかっていない!

 

確かに、、、学者の眼は、藪睨みかもしれないが

イケ面の、女性たちを虜にする目とは、、異質の眼であった。

   どっちが魅力があるかは、、、観る方の生きている舞台によって

     自由に感じてください。

 

    私が、高木先生に惹かれるのは、環境からの感性かもしれません。

     

子供のころ、お爺ちゃんの家に、、、お茶碗と箸を持って走りました。

     ホカホカの生みたて卵を食べに!!!

早朝から、畦道を走って、

      自分のお茶碗とお箸を抱えて

幼子の私は、、、「鶏さんの生みたて卵にダッシュしていた。」

 

町長さんで、校長先生でアメリカ帰りで、、、、、、

疎開地の田舎では、、、

皆の知恵袋だった、私のお爺ちゃんは、

       私には特別の人だった。

母方のお爺ちゃんに

私は、無意識に、アタックしていた。

 

お爺ちゃんは、疎開地の誰もが持っていない

    「電蓄」も持っていた。

お家にも、「地下室」が走り回れるほど大きくて、

其処に置いてある

    「四角な風呂桶のような箱」の中には

       芋類も、

        トウモロコシも、

         糠も、

          漬物も、、

           野菜類のほかにも

        山菜なども、満載していた。

 

      疎開地のお百姓さんが

      地下室のある、夏でも冷気のある保存に適した場所に

     緊急用として、保存していったものらしかった。

    そのころは、戦後とは言っても、、、

                                          B29の轟音が

                                    時々雲間から姿を魅せていた。

         

      syouwa 20年代の疎開地の学校の授業は、、、大根育てと、、、収穫だったりもした(^^

                    町長さんなのに、校長先生なのに、、、普通のお爺ちゃんだった。

                 ただ、、、鎖のついた「銀時計」をいつも持っていた。

                  その時計は、誰も持っていないような、、、柔らかな光を発していた。

           「お爺ちゃんが死んだら、、、その時計をください!。」

              あほか!、、、私は、、、

              大真面目に頼んだことがあった。

             「まだまだ、、死ねんから、大人になれた頃、、、叔父さんが死んだら

                         持って行ってくれ,、、ハハハ、、、、

                今思うと、、、なんて馬鹿な事を言ってしまったんだろう。

                私が、24歳になって、北海道の、留萌の宿舎で

                    主人の、出張先の宿舎に入る時、

                    海岸に出かけた。

                  真っ赤な夕日が、、、七色にその淦を、紅を、、、朱を

                      雲に反射しながら、、、夕やみに沈んでいった。

                  夕日が沈んで、、、夕やみになったのではなかった!!!

                  「私は、傍らで、、、ボーット、、夕日を観ている主人に

                     「 ボーとツ゚ッタッテンジャネ~~よ!」

                        チコチャンの気持がわかりました!!!

                   「、、、、、お爺ちゃんが、、、私に、、、さよならを言いに来た!!!」

                  留萌の生活が、、、あまりにも、、、孤独だったから

                       錯角かもしれないと、、、一瞬思った。

                     お爺ちゃんだ!!、、、お爺ちゃんが沈んでゆく、、、

                   その日の夜、電報が来ました。

                    お爺ちゃんは、留萌の断崖の上の

                         平屋の旧い病院宿舎に居る私の事が

                           どうしてわかったのだろうか???

                  威厳のある、お爺ちゃんだったと、、、懐かしく思い出します。

              

 

             お爺ちゃんは、鶏を200羽以上も飼育していた。

      「農家では米や野菜に主力を置くために

卵が不足していたことから、

    疎開地の健康の為にも

      鶏を飼い始めて、

       近くの農協に持って行っていた。

それらの鶏のエサ作りが、、、早朝から始めるのだ。

 

      お爺ちゃんは

      「糠持って来てくれ!」

       「バラにしたトウモロコシ、、、持って来てくれ;」

     「其処の刻んだ菜っ葉持って来てくれ」

      「貝殻持って来てくれ、、」

        小魚の乾燥したものをすり鉢で擦って、保存したものを

        一緒に混ぜたりもした。

     貝殻なんか、、、どうして餌に入れるんだろう?

 

      糠なんて、、、美味しくないのに、、、

      ハコベや山菜は、美味しいけど、、、

   トウモロコシの干したのって、、、

         胃袋が怪我しないのかな?

    そんなことを、、子供ながらに考えながら

       鳥には砂袋が有って

                人間みたいに堅いもので

       胃袋がどうにかなる事が無いと解ったのは

     お婆ちゃんが、、、

                               コケコッコーを

       追い回して、、、スープにするまでを

       地下室の洗い場で、、、   

            ショックとともに

         砂袋を見せてもらったときでした。

 

        しばらく、、、お婆ちゃんには、、、

           近づけませんでした。

             

    お爺ちゃんのお手伝いがうれしくて仕方がなかった。

 

    V字型のトユの様な、、、長い長い餌箱に、

   調合した鶏の餌を、バケツで、入れてゆくのです。

   そして、めんどりが

        早朝に産んだ卵を

            集めることを、、、

              御褒美に許可してくれるのです。

   私は、そのときの、ポカポカの、、、

    あったかい卵が食べたくて

   自分の御茶椀持って、、、

        畦道を走ったのでした。

          

            

自分のお茶碗で、、、どうしても、、、

卵を割って食べたかったのでした。

 

大人になって、、、

    薬剤師になってから

     お爺ちゃんの鶏小屋の出来事を

  しばしば思い出すのです。

 

  お爺ちゃんの鶏は、、、

    走っても、足が速くて

     追いかけてつかもうとしても、、、

      コケーコッコッコココッ、、、と

        逃げ足が速くて、、、捕まらなかった。

    

 白色レグホンの種類の鳥が、

       巨大な鳥に育っていた。

   オスの鳥なので、

      お爺ちゃんは竹の丸籠に入れて

    別の離れた畑に運んで放していた。

 

    確かに、、、

  糠は玄米を精製する時に出る!

   あれには、、、

     脚気も防ぐ

      「オリザノール」が入ってたはずだ!

   調合する時の、餌の砕く粗さ、、、と、

         混ぜる量!

      薬剤師になってから、、、

   絶妙な「栄養成分の相乗作用」を思った。

 

   作物は、自家製品であったが、、、

    畑の土には、卵の殻などを粉にして、

    枯葉を発酵させたものを、混ぜて、

           畑に畝をつくっていた。

   お爺ちゃんの畑の作物は

         何処か違っていた。

    サツマイモなども、大きかった。

    旬の香りは、自分の畑から

       野菜を収穫してしていた。

     一部の日本人は、栄養物質と

           体格や脂質、

     しいては、病気になりやすい体質は、、、

         栄養からという

    因果関係を

        常識的に、

         自分の生活では

             無意識に

              民間療法の民間薬のように

             取り入れていたのだろうね。

 

たぶん、、、高木先生は、きっと、、、

       脚気は、西洋人のように

         栄養の豊富な肉などを食べない日本人の

          ちいさな骨格から、、、

            食べ物と野因果関係や

          それを科学する、医学的な代謝や

           ビタミン類や、たんぱく質や無機物や鉱物の

         人体を組成する物質の

            成長と野因果関係などからも

             体外から摂取しなければ、欠乏する物質が

          病気を引き起こすという事を、

         脚気以外にも、

             多くの症例が、

              代謝物質などの

                 欠乏から起きることは、

                  体験為されていたのかもしれない。

 

         飢餓状態、、、戦場の偏食の人間

             環境の悪い条件の中の人間を、

               医師は、様々な視点で観察しながら

                        診ていたはずでしょうからね。

 

              これは日記帳ですから、、、私見が書きたくなる時もあります。

         学問と違って、、、日記には推測も書いておきます。

 

  船と言う、外からは遮断された世界で

    季節の自然の野菜も、穀物も、魚も、肉も、、、

       手に入らない環境をかんがえて、原因をいくつかに分けてみると、

          日本人は牛肉も、豚肉も、食物として

                 高級すぎた時代でしょうね?

             栄養物の欠落が創る病気だと

          思われたのかもしれませんね。

 

      後は臨床実験ですが

       どうしたモノでしょうね、、、???

     軍艦を試験管やビーカーに例えて、、、隔離ゾーンを作った?

       最近のcoronaの豪華客船のクラスターと、、、ダブル時がありませんか??

         

  北大の吉田尚利先生は、

         鉢植えで、蘭の花の本来を取り戻したような

                「大きな花のネジ花」を咲かしていた、

 

      元来の野生の「ネジバナは、この写真の大きさです。」

          話はそれてしまっていましたが、

             、、もとに戻しますと

 

        果たして、、、軍艦の中の兵士たちは

          玄米も、Vitaminも、、

         新鮮な植物からの営養だけではなく

          肉も、食べないわけですから、、、

   これは、ある種の食物の欠乏を一定期間、続けると

                  どうなるか???、、、

 

                  研究に没頭されると

           まっすぐに突進してゆく

      学者の考えそうな事ですよね。

  果たして、、、脚気は、、、

      感染症でも、特殊な病気でもなく

             ビタミン、、B群はじめ、、、

               筋肉やその他の栄養不足が原因で

                 発病することが多いことを証明した。

 

     :::::****************::::::::::

 

                それでは、、、

              栄養が原因とは思われない、、、

            世界を恐怖に陥れた「コレラ」は??

                どうでしょうか??

***************************

     栄養物や、食べ物には関係なさそうでした。

***************************

日本でも、、、「コロリ!」、、

   劇的な変化で嘔吐と下痢を繰り返して

     短期間に死んでゆく人で、

          世の中はパニックになりました。

、*****************

小中学校の時は

法定伝染病と言って,、、

「コレラ、、、赤痢、、腸チフス、、、

パラチフス、

天然痘,    発疹チフス 

猩紅熱   ジフテリア、、、

流行性脳脊髄膜炎、、、?????だったかな???

ペスト、、、日本脳炎」

++++++++++++++++

この「法定伝染病」が試験に出たから、、、わかるでしょう??!!

いつのまにか、、、

  あの!!!、、恐怖のコレラさえ

           紀元前から、、

            人を脅かしたコレラさえ

   下痢が始まって、、、嘔吐、、、下痢、、、繰り返して

    3日ぐらいの短期間で命は昇天する、、、

 

徳川幕府は「鎖国をしていたのにも関わらず!!!」

     文献を調べてみました。

           

           酒井シズ先生の「病が語る日本史」によると

                 文政5年(1822年)に日本の下関に上陸!

                  朝鮮半島から、

                対馬経由で入ってきたと想像されている。

               この時の死者は壱日に2~3百人だったと

                 シズ先生の本には書いてある。

 

                      こわいですねえ~~~~~!

           そして、、、萩→広島→岡山→兵庫→山陽一帯→大阪で爆発した。

 

            大阪の爆発は、、、外国からの船がオウサカニ着くという

              コレラ菌が

            運び込まれてきたという、、、見方をされている。

   宿→川→全市汚染→船着き場界隈の死者多く出た。

     西洋医学の高木兼寛先生の考え方が浸透する前は

 

        蘭学が主流を占めていた。

 

   東洋医学会員だったころ、薬剤師の職域の外にある

     臨床例の報告を聴きに、東洋医学の講演会に通ったものでした。

 

   医師の先生の一例報告で

   コレラが「霍乱」として

       伝染性の胃腸炎の疾患として

          漢方薬が処方されたが

            3日ぐらいで、、、皆死んでいた。

                !!!!!

 

  こういうお話を何度か聞いた。

    伝染病には「漢方薬」は、、、効果が無いという

      西洋医学の抗菌剤と、症状のすき間を埋めるために

             漢方薬を併用したという

 

    傷寒論の世界からはみ出した、

        近代の漢方薬の使い方と

    その結果の臨床例を聴きに仕事の延長上に

        講習会が有った。

 

    しかし、、、コレラの様な世界的な感染症は

     歴史の証人の様な古典の医学を読んだ方が

       次の感染症に対する貴重な参考になった。

 

     コレラはヨーロッパでは「井戸」が大きな原因だった。

     上下水道の完全なる管理とともに、、、

         コレラは、、、消えた。

   

 やがて、、コッホがコレラ菌を発見して

       50年経たないうちに

         コレラは発病しなくなった時代が来た。

 

コレラそのものが感染力も、重症化もしなくなるという

   「エルトール型コレラ」と呼ばれる、

         菌に変わってしまったそうである。

 

菌の正体を解られたコレラ菌サイドを擬人化して演劇にすると

 

  主役のコレラが全力にて人間様にコレラをうつすと

   人間が死んでゆく。

人間が死んで埋葬されると、実はコレラ菌も死ぬしかなかった。

  一部は埋葬された土から、コレラ菌が映ったというデーターもあるようだが

   土の菌床では時間の問題であろう!、、、人を殺せば、、、お前も死ぬんだぞ!

       コレラの、猪突猛進野郎!!!

      取りついた相手が死ぬと、

   そこから、、、コレラも発生するのは困難になり

         仲間の菌が少なくなって、、、自動消滅に向かって行く。

           コレラだって生きて行かれない。

        この、歴史的な過去の事実を、、、参考にするならば、、、

           coronaは考えるのだろうか???

           違うだろう、、、

            人を死なせたcoronaは焼き場に直行して死滅!

             ICUなどで、回復の人間の中で増えてゆく、、、中途半端に

             人間を弱らせるウイルスは、、、ウイルスも、、、伝染しながら生き残る。

       だから、、、人間も死なない、、、、coronaも死なない為には

             弱毒化した仲間が生き残り、

                強い菌は駆逐される。

          coronaの様なウイルスだって

               変形型になりながら、、、

                人間を殺さないっで

                 仲間を増やすウイルスにスライドしてゆくとしたら、、、

                  一定以上弱まったウイルスは、

                 発病しないまま。。。人間に同居しるかもしれませんよね、、、。

 

必然的に、、、菌が生きる為には

    やわな菌でないと、、、人間に退治されるから、

弱い菌が生き残ってゆくという、、、事になります。

     ウイルスも同様の事が言えるとしたら、、、

       重症化を避けて、生き残ったウイルスを撲滅させるためにも、

     免疫の強くなるような食事に心がけて

      体力を落とさないことだと推測されますよね。

        あくまでも、、、日記帳の、、、個人的な推測です。

         coronaの変形型は、、これからも続くだろうが、、、

         人を殺してしまうコロナは

            coronaも生きて行けない状況になり

       コロナウイルスは保菌していても、、、発病しないという事になるかもしれない。

   丁度、、、帯状疱疹が、

体力や免疫の落ちた時に

    疱疹が表面に出てくるようにはなりましたよね。

       免疫が落ちる状態って???

     男なら、、、アドレナリンが爆発していると樹ですよね、、、

       coronaの伝染のチャンスの時は、

      人間の免疫が落ちていると、、、思われると樹でしょうね!!!

      エーズが世界を駆け巡るのが速かった事を思い出します。

         3蜜‼!!!!ダメ、、、ダメ。。。     

            アドレナリンの出る行為も、、、免疫を下げて、、、

               coronaにドアをあけ放つ状態があるかもね!?

 

              

     人も、虫も,菌類も、ウイルスも、、、変わる!!

           素材は、、、たんぱく質などなのに、、、ね。

            コレラの恐怖を、、、coronaに応用してみた日記帳でした。

果たして、、、コレラ菌は、、、生き残るために

     自らの力で、弱毒を実行できたものが

        生き残り続けたというのなら

           進化論と言うより、、

            風化論のように思えてくる。

 

   ******************:

   新型coronaの変異型で考えると、

   人間の中で生き残ろうとしているcoronaウイルスは

   人間が死ぬまで、増えると、、、自分も死ぬという、、、

    子孫も残せないという、、、

    学修をしたとすると、

    自分も、、ほどほどにしないと

           人間とともに消えてゆくという地区が出てくる。

    人間を殺さない程度の変異をすれば生き残れると

 

     考えているのだと思いますか??

 

      ありえない発想ですが、、、

    coronaは自分が生き残るためには

      感染力はともかく、、、

        重症化をふせがないと

           コロナウイルス自から、

        子孫を増やせない事に直面すると                        

          学習するのか?。。。・・・????

           自然淘汰されるのか???で

             進化するウイルスなのか???

               風化するウイルスなのかで?

 

    収束の仕方が違ってくるだろううと思ったり、、、

 

    カラスの勝手でしょう!!!

    coronaは、人間の科学力で

    この世からつまみ出さないと、、、

    かってに動き回るのか、、、、

 

       疲れた頭で、、、考えている。

     coronaも考えているに違いない!!!

    だから、、、変異型は生き残ろうとするはずだから、、、

     母体となる人間を殺すような強いコロナは、、、、

      自分も亡びることに、、、気が付くはずだ!!!

     そのことを、、、

      coronaに知らせることのできるような

         薬剤を作ることが出来ないかと、、、

       考えているだけで、、、疲れた、、、!!!

       帯状疱疹の特効薬,、、ぞびらっくすの様な

        コロナウイルス特効薬は

          免疫剤の様な気もするが、、、

      寝るわ、、もう、、、疲れるだけだから、、、

        日記には堂々巡りの、、、疲れた一日を

        書いておきます。

     私は、、、自然淘汰される、、、凡人ですが、、、

       考える、、、故に我あり、、、 

           

        ZZZZZ~~~~~ZZZZZ,,,,,(ーー)、、、zzzz

 


kokorobasi 心橋syouheisan

2021-04-11 13:59:03 | Weblog

長い間、とうちゃこ、、、の

     自転車、、、目線の、、、自転車移動のゆっくりズム!

    いいですね~~~。。。

   火星にも、金星にも行く

          スピード時代に

   

 このようなスピードで旅のできる

             贅沢な目線で

         心の味わいのある思い出話と、、、

               時間が止まったままの心の風景。

 

           

       視聴者に誘導された、風景を

    語録で笑わせながら、、、

  自転車を走らせる仲間たち!!

          

   お茶の間で楽しませていただいている、、、

      婆ちゃんですが

 

空気のように自転車ごと風景の中に入って行って

地元のおばちゃんも、おじちゃんも、

   おっさんも、、おばさんも、

     にいさんも、ねえさんも、

学生も、女学生も、、、

    天然のシナリオで、

       自然体の親しさで風景に入ってゆく。

それぞれの地区の人の味が

    にじみ出る風景の中を

風景の一部のように、、

   カラフルなバンダナの

何とも言えない味のある、、、彼が同化してゆく。

早朝も、お昼近くも、、、

NHKの企画の自転車の旅に同行さしてもらっています。

 

今日は、90歳を過ぎた、、、、お爺さんが、

   鉄板を使って、マルタの橋を、、、

     見事な

  素晴らしい優しいカーブの

     強い橋に架け替えて

  亡くなられたという,、、

     その、、、橋に来ました。

見事な、、、愛情と、

    いたわりと、情熱と、

伴侶と出逢って

     お二人が

      おじいさんとおばあさんになるまでの

  真実の毎日が磨き上げたような、、、

          絶妙のカーブの橋!!

歳をとった、愛妻が、その橋を渡って、、、

    畑仕事に行く毎日を

        橋が、見事なカーブで、、、

              川を渡らせる

おじいさんの、、、妻を守る心が、、、

           永遠の輝きを放つ。

男らしい愛が、、、ここにあるのを、、、

     私は、、、、男と女の出会いが、、、

         見事すぎて

       圧倒された、、、!

   真実の愛

      男の心が、

        橋の美しさと、

           強さと、

             カーブの優しさに見えて、、、

 このような旦那と暮らした女房は

     日本の、、、男に見初められた、、、女房!

    男と、女の、、、心の交流を 

        橋を通して、伝えてきた。  

          見事な男の愛を

            無言で

         橋が表しているようで、、、

             長い人生で、、、初めて、、、

               この橋から、、、

   「男の無言の優しさ」を感じてしまった。

     日本の名刀の波の美しさのように

           美しい橋だと思った。

        女房にの心には、、、永遠に、、、

           旦那の中の男は生き続けてゆくだろうと思った。

    このような夫婦になれたら、、、

         歳はとらない、、、だろうね、、、

          魂の愛は強く生き続けて

            夫婦七世の川を渡って

              永遠に一緒に生きて行けそうな気がした。

 

  ジンワリト、、、心にしみて、、、強く 心を捉える、

    心橋、、、こころ橋、、、こころ、、、橋、、、

        女の心も、男の心にも、、、出逢い損ねて

        、、、、、、、、半人前の人生を反省!!

           

       自転車の君は、、、「心橋、、、こころ橋、、」

         名前をつけて、、、、、立ち去った。

    おっちゃんに見える、、、自転車の君は

      実は、、、男の心の持ち主なのだな~~~!!

    彼の心にも,、、とうちゃこ、、、

   いいね~~~この番組イイね~~~、、

     、独特の味が有りますね!

    NHK さんに 感謝!。、、、

       茶の間が楽しいひと時でした。

      

 

 


私的、、、イギリスの思い出と、、、ともに、、

2021-04-10 08:12:45 | Weblog

このたびは、、、日本の親交のあるイギリスの訃報に

    敬意と   黙祷を捧げます。

          

 

      孫たちに、、、伝えますが

        婆ちゃんの生まれた時代には

          女王陛下、フィリップ殿下を

          知らない人はいませんでしたよ。

      

       お美しいエリザベス女王様も

              若き日には

               日本にお出ましでした。

        スゴイ人気で、、、日本中の女性は

            しばらく,、夢の世界でしたよ!!

           

          女王陛下の

      若さと、、、威厳は、永遠であることを

          お守りなさるお方だと、

             明治生まれの母から聞きました。

 

        

   イギリスは、40歳のころ

           薬剤師の 仕事の延長戦で

      イギリスの薬史学会に参加したことがありました。

     セントメリーズホスピタルには

       戦後のスーパーな薬効で、人々も救われた    

      かの有名な「ペニシリン」の発見者

       フレミングの「青かびのシャーレが

        病院の入り口のロビーに展示されており

       そのガラスケースには

        マジェスティックな

         女王陛下のお写真とともに

        フレミングの功績をたたえるお言葉が

           英語で書かれておりました。

 

           

       良いものを、、、イギリスで観れました。

        薬剤師として、、、運が良かったと思いました!

         この時も、、、その威厳を支えられていらした

          フィリィップ殿下の

          お姿が、しっかりと、、、影で支えられている

         大きな威厳の感じられる展示でした。

         そして、、、病院から

       「ウエルカム,、、博物館に行きました。」

        ロゼッタ石と同じ部屋に

         フレミングの青かびのシャーレが、飾ってありました。

        北海道に帰ってきて、

        約史学会に発表しようかなと、、、

         写真と説明書きをまとめたのですが、、、

           北海道の薬史学会は

           テーマが北海道にゆかりのモノだったので

          控えてしまい

         イギリスの、文化の進んだ一面は

         私一人の思いでとして

        贅沢な、体験をさせていただいた、、、

          幸運の神様に

       折に触れて、手を合わせ、感謝しています。

 

         

      父も、、、イギリス医学を,学んだ

         戦争前は、

      宮内庁の方々の

        健康を担当させていただいた

     慈恵会医科大学の卒業生です。

       女王陛下と殿下のお話を

          幼いころから聴きながら

          

          40歳になって

         やっと、イギリスに行けた、、、感激が

        甦りましたが

       ロイヤルアルバートホテルに泊まり

     早朝の、騎馬隊の厳かな早朝の行進に、、、見とれました。

           

   ホテルのとかくには

     ピータ~パンの像が立っている公園が有り

       すぐ近くには、、、

     王室の方の住まわれるお屋敷町が有り

       門番の兵隊さんが、、、

           

     「普通は入場できないのですが

       イギリスが招いた教授の一行様ですから

        ロイヤルホテルのお泊りですから

          お通り下さい、、、と

          丁寧に、、マナーを教えてくれました。

 

            

       イギリスには、

        三井物産に勤務していた父が他の従妹も

        2年も住んでいた過去が有り

        折に触れて、、、アルバムをめくっては

        懐かしんだものです。

 

      その後、、、今は薬剤師として

          大学生を頭に

           3人の父のなっていますが

          むすこ二人を

      高校生の時にイギリスの

         語学学校に短期留学させました。

 

       きちんと、、、「修了証書」をいただいてきたのですが

 

        彼は、、、さっぱり、、、英語がダメで

         話を聞けば、、、

       出席カードだけ出して

         昼休みには、、、ラムスゲートとか、、

        ピカデリーサーカス通りとか

         イギリス兵のパレードとか

         午前中しか出席せずに、

       授業は半分しか出なかったようでした。

    「イギリスまで来て、、、教室の中に居たくないと、、、

           英語は、、投げた!、、、

          日本に帰ってから出来る。」

 

       イギリスの思い出を心の財産として、、、

         この経験が有れば、、、

       人生の地味な毎日を頑張れる!!

      あきれたことに、、、イギリスの、

         兵隊さんと一緒に写真を撮って帰国しました。

          今は、、、普通のサラリーマンとして

        大学生を頭に、、、三人の男子の父として

            孫たちの、

         義務教育を終えたばかりです。

             人生は、、、思い切って、、、

             一つでも、、、「宝物になる時間」を持てば

           頑張れる!!

          制作だっていいし、、、

          青春の思いでだっていい、、、

            旅行だっていい!

         イギリスの短期留学が有ったから、、、

           地味で、堅実に、、、コツコツと

        コツコツと、、、堅実に、、、

         薬剤師の仕事に没頭できているようです。

 

          日本人の、戦後の私たちにとって、、、

 

           イギリスに行くことは

          一生分頑張れる

             経験をいただけて

            その後は、、、地味な生活に戻れて

           職務を果たせるという

           そのような時代に、、、76歳の婆ちゃんの私は

            せいいぱいの子育てにと、、、

           海の無い羊が丘のふもとの

              ちいさな、、、団地で

          インターナショナルの教育は、自分からと、、、

            頑張ったつもりなんですが、、、

            立派な、、、力強い、、、がっちりと道産子の

           ナイスガイが、、、育ちました。。

          イギリスのパワーも

             道産子の座りの良さには

         「夢をみただけでしたが、、、楽しかった!」

 

           

            「イギリスに行けたんだから、、、」

          心に宝物を持って、、、

           一生、、、粉まみれになって

             一汁三菜のご飯さえあれば

               働き続けられたから、、

              王室の在る国の、、、

             若者に与えるパワーは「夢の国」でした。

            昭和の戦中に生まれた私たちは

           本当に貧しい生活の中で

           大胆な海外旅行を実行したと思いました。

 

            心が、、、お金持ちになりました。

 

          イギリスは、、、不思議な、、、

          満足感がある御国ですね、、、

                   

             天寿全うされ     

            一瞬に神様の傍に行かれ

            永遠の光になって

           昭和生まれの私たちの

             永遠の光となられました。

   

         思い出とともに、、、

       畏れ多いことですが

        日本は、、、イギリスが大好きです。

          心より、、、黙祷    

        

                 

 

       

         

 

    


国立感染所研究所のHPを開業されている先生のHPで読みました。

2021-04-09 03:40:35 | Weblog

VOCー202012・12

501.Y.V2

501.Y.V3

E.484.K変異

  これらのSARS-CoV-2新規変異株について

   感染力や、死亡率の上下

    そして、記号のような数字が

   コロナウイルスのスパイク蛋白に起きた変異であることと

記号の意味と、

アスパラギン

チロシン

グルタミン酸

リシン

等の変化する位置と

     アミノ酸の種類が説明してあります。

グルタミン酸は味の素として知られていますよね

   そのグルタミンですよね、、、

   頭脳に関係あるのが気になりますね。

 

記号のままだと、、、丸暗記になるので

coronaのパンチパーマとか

   母~~~ん、、、この部分だな?とか

絵本のように覚えると、、、いいかもね。

  484と言う数字は

coronaのスパイク蛋白の部分の

   484番目のアミノ酸が変異したという意味だと

    説明もあります。

    4と言う字が2個もある、、、、

    20パーセントの脂肪率の上昇が有るという

    感染したくないパターンのウイルスですよね。

   このHPを観ると

  せっかくのワクチンも、、、せっかくできた免疫も

   コロナウイルスは上手に回避して感染率も

35パーセントから、、、75パーセントも、、、と

書いてあります。

感染しやすいコロナウイルスが

南アフリカ、イギリス、フィリッピンなどからも

運ばれてきてしまったようですね。

  読んでおくのも、、、

自分自身でウイルスの怖さを認識でき☜

政治家が、言う事は守りながらも

自主的に主体を持って、正しくコロナを怖がるマナーに

ストレスが無くなり、、、

自分の運が良いことを、、、祈り、

感染しないことを、、、心で、、、運のよいことを祈り

三密を避けられると、、、思いました。

ここまで、、、頑張れたんだから、、、

自主的に、、、日本を、、、coronaから守り切り

  医療崩壊で、病院が、必要な医療を妨害されないように

皆の病院なのだから、

頑張って、、、不要不急の外出や

集団で食事会などの時は、、、

  時間と、、、場所と,、お席と、、、換気扇の位置と

     corona対策に協力して

若者の間に、発病しない媒介の役割をするチャンスを

  無くしてゆけば、、、

又、、、日は登ってくると、、、信じています。

 

    もう一度、、、日本!、、、頑張りたい!!

 

 


2回目の新型コロナのワクチン接種

2021-04-07 09:39:02 | Weblog

またまた、、、新型コロナに、、

新型の上前はねる感染力の

     へんてこなウイルスが出てきましたね、

インフルエンザウイルスと違う点は

   多々あるでしょうけれど、、、

     インフルエンザにはNAちゃんと言う

         子供を自立させて、仲間ウイルスを増やす技ありの

        奥さん役の酵素が有ったから

          NAちゃんと言う奥さんを遠のける薬が有った。

もう、、皆も知っているタミフルとか、、、

   新聞や、TVで放送されていたリレンザ

        ラピアクタ イナビル、、、など

    NAちゃんに、ダメージあてて、、

      「ウイルスの子供を自立させてはダメ!」と

         ウイルスが増えないようにする薬が

                有ったのですよね!

 

ところが、、、新型コロナウイルスには

        人の体に入ってきて、

           人間の温床を使って子供を増やそうとするよね!

     奥さん役のNAちゃんの

         力を借りなくても良いのだよね。

                             

       つまり、、、新型コロナウイルスは

     甘い助けは無くても、、、増える!

       人間という我が城に入り込んだ忍者みたいに!

         人間の城を中から爆薬仕掛けるようなもんだよね!

       古い時代の材料で、、傷んだ城は吹っ飛んでしまう。

     医師のトリアージは、、、この城の中に居たら

        全員吹っ飛んでしまうと、、、

            助かる人から、吹っ飛びそうな城から

      

 治療と言う乗り物で荷が住んとちゃうやろか???

新型コロナウイルスの増えることを助けるのは

      人間の体そのものだから、、、

         身体にコロナを入れない!  

    まだまだ、、、1人でも多くの医師が居ないと

   ピッチャーとバッターだけでは、、、

               野球は出来ない!

             世間では、、

      いろいろ、、、coronaのネタで

     茶の間を引き付けるのと一緒で

    感染症や、病気や、薬や医療機械、、、スタッフ

     すべてに半可通な軍師の政治家さんを

       本気でサポートするコロナの敵に向かう軍師の

           陣形を提供するお医者さんは

            現場で苦労した人でないと

         大名開業の坊ちゃまとか

             坊ちゃま政治家の現場しらずだと

           、、、、、、しんぱいやな~~~

    戦争に行った父は最後の野戦病院で

        塹壕の中は傷つき、、、瀕死の兵隊であふれたのを

           上から機関銃で撃たれたと言っていましたよ。

        人が重なって、、、穴の底に居た数人の兵隊と

         軍医は助かったとか、、、

           戦争のすさまじさを

       coronaの兵隊に置き換えたらええんと違うカナ??

 

      一生懸命、、、

   ブラック企業も舌を巻く時間外勤務!!

      医師の皆さんを増やしたところで

          一人前になるのは

        40歳ぐらいにならないと、

          教科書で100点とったら東大合格の世界と

         また違って、、、

           coronaは勝手に動くんやね。

 

     桜見物しながら、、、桜の花って、、、魂感じるんやね、、、

 

      今年は何処にも行ってないんで

        ブログのお写真で桜を感じています。

          やませんさん、、、この人のプログの写真は

         魂感じます。

        きれいな風光明美だけの

         圧倒する美しいだけが写真のメッセンジャーの

       優劣と違いますよね、、、

      写真の中に、魂映っている写真☝ありますよね。

     科学すると、、、瞬間に見えなくなるけれど、、、

     眼をつぶると、その櫻写真の木の根元に私がトラバーユしている

     不思議な映像もありますよね、、、

      桜の種類は何種類あると思いますか???

     北海道の農林試験所に

        「桜を楽しむ」と言う本が出ていて

       桜の写真と一緒に買ってきましたんや。

        ぎょうさん,、、ほんまに、、、

             桜の種類ってあるね~~!

     新型コロナが、変形coronaになるんのわかる気がするな~~~!

 

      大阪の知事さん、、、

      若くて一生懸命なんは伝わってくるけど

 

       ここ一発と言うときに、、、

         coronaの中に人と放つと

       アカンと思うでョ、、、

 

      若者は感染しても軽いから、、、

        インフルエンザ、、、と思うて、、、その方面の薬とか

       抗生剤もそうですが

            抗ウイルス剤も、、、

          若者の症状の軽い疾患に使いますよね、、、

       、肺炎の初期症状抑えたり、、、

     coronaか?、、、、、それとも風邪か??風邪か?。。。

        肺炎成りかけじゃけど、、、この薬で治るかな?

          検査の行き渡らない日本の各所で

           使われるインフルエンザの薬が

           交叉耐性起こすことだってあるぐらい

 

            薬の世界も細菌やウイルスの世界も

          勝手気ままな動きが等星とれませんよね~~~

            あの、子供たちの笑いの王様のsimura サン!!

            カラスの勝手でしょう!

            coronaの勝手でしょう!

       最後に国民に、国民を救うメッセージを残して

         、、、今も笑いは生きている。

 

            

      coronaの初期か?判明しないときに

          検査の遅れが有った日本は

           いろいろな変化に

     後手に回っている可能性が大きいと思いませんか?

        重症化を防ぐ予防に

         薬を、あれこれ使わざるをえなかった頃、、、

       恐ろしい、、、な~~~

    

 

 

軽症に解熱剤、、、咳止め,、、中等症にアビガン

      重症にレムデシブル

         重篤に免疫抑制剤、、、

          トシリズマブ≪アクテムラ≫

           デキサメサゾン(デカドロン)

     免疫の暴走時期には

         酸素吸入や人工呼吸器のECOM

          ICUのベテラン看護婦さんも

          へとへとになっているのが

      coronaの出初めに

        日赤から報道TVに現状報告してくれましたよね!

          主人は、病院が配ってくれたパンフレットを

            いつになく一生懸命読んでいるので

          「それは何が書いてあるのですか?」

            問い掛けると、、、

            家内とはいっても、、、部外者扱いの主人ですが

          「今回は、、、日赤が配った心の持ち方だから

             読む気が有ったら読んでもいいよ、、、」

        テ-ブルの上に置きっぱなしで、、、勤務に出かけた。

        学術書類ではなさそうなので、

           家事が終わってから、、、めくってみた。

         

          医療人が、しっかりと、、、 

           平常心で過酷な勤務体制をとれるように

             日赤が、心の持ち方、

              寄り添う心など、、、

            一生懸命、、、なるほど、、、なるほど、、、と      

           いろいろありますね。

        「心をやられないように、、、日赤の目の付け所が

         coronaと言うより、、、「人間丸ごとの健康維持!」

         

         主婦になっても読めるので、

           仕事のブランクが精神的に

          補われるという事でしょうかね。!!

 

       

               

       孫の二人が作った工作の竜です

 

  ****************    

        coronaは、投与された薬に負けんような形に変身する!!

         ****************

       coronaは、アミノ酸の兵隊にあれこれ支持しながら

         「第何師団のcorona兵!!、、、

           アミノ酸の武器を、交換せよ!

     coronaが周りの兵隊の交換をした番号が

        corona変形型の番号になっていたㇼ、、、

         corona戦争、、、

 

     感染症戦争とはよく言ったものですよね。

 

    ペストの時などは、、、ネズミを買い上げて

       ネズミが居なくなるほど国民も頑張った。

                                   ネズミ一匹、、、イクラで買い上げたんだろうね???

        指導者も、、、やるもんだね!!

       媒介の元凶のネズミを駆除するのに

          経済効果と一致させるなんてさ、、、

        貧困化したコロナ国民は

           失業しても、、、

       ネズミ捕れば食べて行かれたなんて!!

            

     海外渡航遍歴が無くても、、、

           変形型コロナのお目見えは

 

            

    軽症のはずの若者が、

       重症化食い止めで飲んだり、投与した薬が

      coronaの兵隊がとっている陣形の

     アミノ酸兵隊の組み方を

           変えているとしたら。?????

 

     感染症や、ウイルスや、免疫学に半可通な政治家が

      政権交代したとき、、、

        国立がんセンターなど

        弟は、、せっかく、、、50年の総まとめの研究中

       決まっていた予算も無くなり

        膨大な50年の総まとめをして

        50周年記念のがんセンターの記録に貢献で来たら

       次に続く若者の、指導者への道に何らかの

          手掛かりになる事を祈って

          総まとめをして定年に臨んでいたらしいです。

        仙石さんとかの介入で、、、がんセンターは

         50年間の黎明期を共に頑張った先生方の

          50周年であるはずの記念誌にも

 

       

          弟も、総まとめの本づくりのしないまま

          がんセンターから移動しました。

 

            

      黎明期から、がんの早期発見、早期治療の

       出発から、国際的評価まで伸ばした

       根っこから知る先生方を

        外からの政治勅で、交代させて

      独立法人にしたかと思えば

        元どうりの国立に戻し

         定期検査に通っていた患者だった私は

            見知らぬ先生方に入れ替わっていて

        往かなくなった。

         短期間の間に、、、政治家って、、、

           こういうことをやって

        患者から、、信頼しているかかりつけ医師を

           奪うかね!!!

           現場の患者さんにしたら、

         はらの中の、、、巨大腫瘍の指導から

           オペ室の予約、

            その後の病理解析まで丁寧にしてくれて

           がんからの恐怖を削除してくれた医師を

           見知らぬDr、に置き換えるかね、、、!!

          50周年の雑誌の中心のHPを飾っと思うと

            がんセンターを引っ掻きまわしたその方は

      もうがんセンターを三年以内に居なくなっていました。  、

            お世話になった、、、先生は、、、皆、

           別人になっていた。

            政治の介入で、がんセンターは困ったのは

            患者の、、、私です。

           16センチもある傷は、、、どこの医療機関にも

         私的には、、、気になって、、、

         検査に行かなくなりました。

        私的な恥を全部初期から知っていてくれるDr、と

        スタッフの傍では、、、ペット検査で流してくれる

         ヒーリングの音楽さえ、、、

      懐かしく、、、恐怖が癒されたモノでした。

             

        coronaも、同様で、

         政治の介入が、専門家の必要な条件を

         良かれとしてしたことが

          

           ほかの場所で働いている先生方、、、

     世界に名の知れた実績のある信頼の医師は

         センターから移動した。

             困ったのは、、患者さんですよね、、、

    。

        問答無用の独立法人だったㇼ

              国立に戻したり、、、

               先生がたが、、、入れ替わっていたㇼ、、

          医学や研究や、患者さんの信頼の心理の中に

         政治の処理班のように介入するのは

          相手が、病気や、ウイルスや,菌や

          ストレスからくる,、ホルモンバランスや 

          ターミナルな、、「死を受容したがん患者さんの心」

        いろいろな患者さんが

           世界中に散らばっているのに、、

         現場を知らない、、、

             表層雪崩のような政治の介入で

          多くの患者さんは、雪崩に飲み込まれて

            行き場を失ったと思うのですよね。

 

           政治家さんは、優秀な頭脳で、、、ITのように

         数字で医寮を動かし、、、

      数字で行動を起こすけれど

        有意の数字

         有意の差

          有意のデーターと言う

      大きな医学の流れに沿った基礎的な数字ではない。

       やり方も、方法も、、、検査技師のレベルも一定ではない。

 

        薬品保存も、運搬も、、、まちまちな条件で

         発表された数字で、、、知能の優秀さと

                   知識のすごさと、

              各部署が集めたデーターで

          グローバルな判断を下すと、、、

      医学に半可通な結果となるのではないでしょうか?

 

           患者さんは、、、

        右に心臓のある人だっているんですから

        双子も居れば、、、三つ子も居る、、、

         男なのに、、、子宮が隠れていて

       ミニミニ赤ちゃんが居ることだってあるんですから。

 

    現場の医師は修羅場をくぐって、

        命がけで使命感の闘いをくぐり

         採算度外視して、患者さんの命と寄り添う。

 

      医療技術は労働と言う  

       厚生労働省と言う、、、

       時間外労働で、医療だけに、、、

          医師をしばりつけてしまう。

         天,が知る、、、地が知る、、、經驗が知る

         研ぎ澄まされた医師の感が、

         命が本来の患者さんの治癒力に宿り

          医療は成り立っていると思うのですよね。

        医療と言う、、、經驗からの学門は

         書類や、研究をまとめて

            論文にしている暇がないという

              現状をつくってしまったのは

                   厚生労働と言う、、、

                「労働」だと。。

        医療スタッフを解釈している部分で

         哀しい現実があるんですよね、、、

           若き日より、、アメリカ留学を経験し

      50歳代で、、、

        未来の教授候補の指導力ある現場医師も

        過労死されて、、、

         涙も出なかった哀しさが有りました。

 

       その先生は日ごろから言っていました。

      「アメリカにいる時は、論文が書ける組織作りで

       論文を書くなら、アメリカに居た方が良い。」

 

       日本に帰ってきてからは、、、現場を大切に

       

       病院で協力していると、

      現場が忙しくって、、、週末しか家に帰れない,、、

      後輩の為にも稀有なる症例を論文にしようと思いながら、、、

      患者さんが来るので,、、

      「論文は書く暇がない、、、。」

      

       まもなく、、その先生は、、、

       50歳代で過労死されて

      労災が適応になりました。

 

     

        すべてを、無視しても、、、

      医療崩壊が起きてしまったあとでは

     どんな優秀な政治家でも、、、手は施せないという

      医療界の現場の頑張りを、、、尊重することだと思います。

      父が言っていました、。。。

        戦地では、、、軍医のいる隊は、、、強かった。

        「明日は、痛みがとれるだろう、、、

         軍医は手を握ったまま、、、お願いします、、、と

          安らかに死んでいった兵隊の顔が

            医療のすべてが無くなった戦場で

             医師が出来ることは、、、

           明日を信じて、安らかに眠りについたという

            最後の心の拠り所が、、、託されたことが

            何もなくなった戦場での最後の仕事だったと

           言っていました。

           後は、、、

         英霊を埋葬するだけであったそうです

        医療崩壊は、、、病人は恐怖の無医村状態で

            死んでゆくのです。

            

               

       無医村で頑張った父と疎開村の患者さんたちです。

      医師が居るという事は、、、大きな村が出来ました。

      人の生活に、、医療崩壊は、、、最悪の環境と言えそうです。

   

父の知人のドクターの皆さん(終戦後、生き残った医師の皆さんち、、、)

   

若き医師たちは、、、この時代、、戦場で、銃後の御奉公をなさったそうです。。。。

       医師の裏側からの主婦の視点の実録も

        筆を折る日が近いでしょうね、、、。

        あと、、、5年はあるかな???

    私は、、、82歳で、、、ぼけてないかな??

 

      皆   苦しさが、、、人が良く見えるのだろうから、、、

      いきなりの失業が、、、激務でも、、、

       職のある人をうらやむのだろうから、、、

     心の貧乏人を作るコロナの、、、心の対策を考えないと

    人は人を愛する余裕が無くなって、、、

      年寄りは見放されて、、、全く違う現象に見えて、、、

       楢山節考は、、、令和にもありうるという

        若者が負い詰まる心から、、、脱出することを

         年寄りは、、、質素倹約で、粘り強い

        

        忍耐力で、coronaと闘う覚悟です。

 

        長期戦でも、、、負けません。

        国民の個人の、、、正しく恐れる事と

       政治家が、、、

     医療崩壊を防ぐ組織の作り直しだと思います。

     いくら新卒の医学部の医師をつくっても

      40歳ぐらいまでは、、、一人前にはなってくれません。

     医師をいかに増やしても、、、

    

      医は算術ではない、、、と言う事でしょうね!

        


霧雨の中の進学お祝い

2021-04-04 03:09:07 | Weblog

早朝、末っ子の孫から

「制服できたから、、、爺ちゃんと婆ちゃんに

   みせにいってもよいかな~・?」

電話がかかって来た。

      

「何時ごろこれるの?」

「夕方、過ぎて、パパも、ママも、勤めから帰ってきたら、

   空手の稽古に行く前に寄るから、、、と言う。」

 

「それじゃ、、、写真が暗くて映らないよ」

「大丈夫、、、皆が帰らないと、、、僕一人ではね、、、」

やがて,霧雨のしぶきが絶妙な、、、

     coronaの中の高校進学祝いである。

全員が我が家の玄関前に

       3蜜を避けて、

         5メートル感覚位に立っている。

 

小雨の中、、、よっぽど家に入るように言いたかった。

 

しかし、、、主人はもうすぐ、、、

    2回目のcoronaワクチンを接種する。

 

万一、、、この、、、ポチピチ若い孫の可愛さに負けて

家に入れることは、、、回避しなければならない。

         

孫は、、、小雨紫吹をものともせずに、、、

玄関前の、

めったに車の通らない生活ドーロを

応接間代わりに

互いのペースで間隔を保ちながら、、、

 

「雨降ってるし、、、家に入れてもらいたいのは山々だけど、、、

    爺ちゃんも、婆ちゃんも、、、としよりだからな~~~!」

      長男坊の孫が、、、「外で話そうぜ!」

 

「爺ちゃんが2回目のワクチン接種の時、

   万一若者からコロナ貰ったら、、、やばいかも、、、」

  孫たちはカメラで、

      アトランダムにシャッターを押しながら、

        爺ちゃんが、玄関から出てくるのを待った。

     私も、孫たちも、息子夫婦も

    春雨小雨紫吹を、、、何ともかまわずに

   「婆だって、、、歳は歳だよね、、、coronaかかったら

        ヤバイヨネ、、、(==!」

 

 しばらくして、ホームウエア―のまま

   爺ちゃんが玄関から出てきた。

 

     ホカホカの湯気の出ている制服の

       上気した孫の顔に

         爺ちゃんも、

        にこにこしながら上機嫌である。

 

  門の所に、爺ちゃんと、新入高校生になる孫が並んで

       写真を撮った。

 

         次に、私も並んで、一緒に写真を撮った。

 

    小雨の中、、、5メートルぐらいの間隔で、、、

           アトランダムに動きながら

        10分ぐらい話したところで、

          息子と爺ちゃんだけが、

   ビニール越しに食堂で、御茶を飲もうという事になり、

 

     小雨の中に孫と私とお嫁さん、

     家の中に、息子と爺ちゃん

 

    二手に分かれた、5メートル間隔の、、

    義務教育終了のお祝い会合がなされた。

            

      食堂で、主人は、3人の孫の義務教育終了の

        大きな仕事を一段落させた息子に、

          

「まだまだ、、、元気に働くからな、、、2回目のワクチンを

    クリヤーして、2週間過ぎれば、、、

       万一の時も、、、重症化しないから

        病院にも、迷惑をかけないで済むし

         医療崩壊防止は、、、

       医療人から先頭に立たないとね!

     

         

  厚生省のHPからの情報だとね

医薬品医療機器総合機構PMDAのホームページからの

     転用が出ていましたよ。

 1回目のワクチンは注射部位の疼痛が

   86.6パーセントの発現に対して

 2回目は79,3パーセントと、、、少なくなっているよね!

      (^^!

疲労に関しては1回目は40,3パーセントになっている。

       2回目は60,3パーセントにアップしているから

       2回目はだるさが来る人が多くなっているという事かな?

頭痛に関しては、、、1回目は32,8パーセント!

           2回目は、、、44,0パーセント!

筋肉痛に関しては1回目が14,3パーセント   

        2回目が16,4パーセント

悪寒に関しては、、、1回目は25,2パーセント

           2回目は45,7パーセント

     つまるところ、、、

       風邪の引き始めの

        ブルブルが有るってことかしらね??? 

   1回目は何でも無かった人も、、、

      風邪気味になるってことかしらね?          

関節痛に関しては1回目は14,3%が

         2回目は、、、25,0パーセントになってますね!!

之って、、、熱が出ると、関節が痛くなるってことありますよね!?

       痛さのメカニズムが、、、同じなのかしらね???

       原因の場所は何処なのかしらね?

        Dr.でなければ、、、ここから先は解りません。

           

最後は、、、発熱!!

      一回目は14,3%

      2回目は32,8パーセント

 

   発熱に関しては、、、一回目よりも2倍の確立になってますよね!!

   、、、、しかも,、、37,5度(℃)

水まくら用意した方が良いかもね!

先生に聞きたいんですが、、、これって、、、解熱剤飲んだら

   免疫がつくのが妨害されるのかしらね?

 

   詳しくは、厚生省のホームページで確認するといいですよね。

何例中どうなのか、、、データーの出どころも書いてありましたよ。

 

 2回目の予防注射で、、、発熱と

   一回目で感作された界面活性剤で

      アレルギーの強く表れないことを祈っています。

 

    万一アナㇷィラキシーに、、、なったときの為にも

     15分から30分は、病院を離れないという、、、

    これだけは、、、大切かもしれないと、、、

     やがて来る、、、ワクチンの順番待ちを

       正しく、、恐がり、、、クリヤーして

        これぐらいの事で,、、なんかあったら

         それだけの、、、私だったと、、、

           思えるように、なっています。

       だから、、、ワクチンを受けるという意思は

       全くぶれていません。

       老人の重症化を防ぐことは

       医療崩壊を防ぐことにもつながるとおもいませんか??

       コロナ以外で、医療を受けれれさえすれば

       感知できる急病も、

       医療崩壊で、救急車でたらい回しになっている間に

      助かり、感知できる患者さんが

           命を落とすことになるのが、、、最悪だと

            coronaを収束する努力は

            未来の日本を支えるのに必要な命を

            確実に救えるような、、、医療体制が

            coronaの重症化患者さんの為に

             医療を受けられないという現実だけは

            避けなければならないと。

           (日記にも、、、書いておきます。) 

            

息子は、黙ってい聴いていた。

 

息子にとって

  結果が総てだから、、、ほんの少しでも

リスクが有ることに関しては、、、答えない。

 

一回目は、、、注射の位置が高すぎたのか

  あるいは、位置に関係なく、、、副作用が出たのか

肩が痛くなった。

熱は出なかった。

  2回目は、、、熱は出るという場合が考えられる。

しかし、、、ワクチンでどうにかなるようでは

本物のコロナにかかたら、、、

    重症化するのは疑う余地はない。

ワクチンでどうにかなるようなら、、、

   それだけの体力だったのだと、、、

思うしかないでしょしかないでしょうね、、、・

 

医療には専門家だけに、、、場合の数を考える癖が有る。

  2回目の接種の前に気を付ける事は

    接種後2週間過ぎるまでは、、、家族と言えども

     マスクをつけて話すことにしている。

2回目のワクチンの前後は、、、又、、、

      日記に、

   記録と言う意味で書いておくつもりです。

ともかく、、、

   3万円ほど「のし袋」に入れて

        家族で、、、マーケットで

          うまそうな材料買ってかえって

             ホームパーティで、楽しんで、、、欲しいと

  主人は、2回目の接種の為にも、

       長生きして、卒業までを、楽しみに生きてゆくためにも

   働く気満々である。

 

    働くという事は、、、進学祝いでさえ、、、

       孫を家に入れないで、、、自分の健康を守ることが

   時代を担う息子達の応援だと考えているようです。

 

 孫の未来に生きていたいという、、、  

     爺ちゃんの心の暖かさが伝わる

           

        二手に分かれた、、、

       小雨渋る戸外の会合でした。

6月までは、、、

     我が家は、、、

         緊張は解かないと決めています。

           

    本日の日記は、coronaが恨めしくもあるが

       coronaなんかに負けてたまるもんか!!!と

   小雨の中の、、、会合でした。