花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

今は、党争いをしないで、日本は一枚岩になってがんばるときでは?

2011-05-30 01:35:47 | Weblog
 災害から、少しずつ立ち直りつつ、みんながんばっていると思います。

 しかし、精神状態も、衣食住も、落ち着かないし、
 医療衛生状態も、バランスが崩れている災害地の状況下に、

 原発が追い討ちをかけている現状の中で、日本が一枚岩にならなければ
 処理できない問題が山とあると思いませんか?

 地域独立という自立的なことも大切でしょう。
 地域の価値観と、国家の価値観のギャップも大きいことも
 いろいろとあるはずです。

 政治的に与党になったから、
 野党になったからということでは、解決できない問題を抱えています。、
 国内の問題をさておいても、世界への責任を考えるときでしょう。
 選挙で問題を、左右するというだんかいなのでしょうか?

 日本という国が
 一丸となってしなければならないことが山積みです。
 せっかく集まった
 「災害救助のための費用」が、
 選挙の繰り返しで
 バタバタと、走り回り、
 あちこちに、放射被害が運ばれて、
 何がなにやらわからなくなる精神状態が治まるまでは
 いま少し避けてほしいと思います。

 まず、原発を
 日本は一丸となって、安全なゾーンの維持に努め、
 やがては、その技術が高く評価される機会となるように、
 情報は公開して、
 世界の知恵も技術も、
 進んでいるものはすべて、援助を受けて
 解決するのが先決ではないですか?

 どんなジャンルの業界も、
 医療で言えば「臨床」「研究」「経営」「政治」と
 多岐にわたった協力で成り立っています。

 しかし、
 「患者さんを主体に考える」ことが原則だと思っています。

 被災地の方、被災地の復興、被災地の放射線を浴びた土の除去が
 とても大事なことです。

 それが、海外に影響を及ぼさないように
 閉じ込めたままで、30年の半減期を過ごせるように
 一日も早く処理すべきではありませんか?

 孫子の時代に、澄明な水、澄んだ空気、おいしい穀物、海産物、
 世界から、人も国土もすばらしいという日本を取り戻したい。


 学者も、企業も、政治も、地元も、被災を受けてる人も
 一丸となって、円卓を囲み力を合わせてほしいと思います。
 「風評や、目先の利害に振り回されて、時を見失わないでほしいです。」

 国会の討論を聞きながら、
 情報も過多になりすぎると、

 大阪の若き知事さんが、
 鳥取の知事さんに
 謝るようなことになって、
 現場は、現場の内部の発言を聞かないと
 情報は、政治的に作られてゆく恐れも出てきますよね。

 そうなると、、、日本国内の権力闘争のような政治になり
 国民という、現場の人間が置き去りになります。

 企業が都合がよいと思えるような、
 扱いやすい人材を政治のトップにしても

 津波は企業の思いどうりにはなりませんし、
 情報を隠しても、放射被害は、
 解決しない限り、じわじわと、時間と比例して追い詰めてきます。

 政治がどんなにうまくまとまっても、
 放射能の被害は、
 学者、企業、世界、日本丸ごとひとつになって

 実態のわかる方法で、
 ごまかしのない円卓で方向を手探りし、迅速に解決に向かって
 協力を惜しまないように、
 がんばれ!日本!

 どんなに、風評を偽っても、放射能や、半減期は
 ごまかしが聞きません。

 放射崩壊のエネルギーが
 次々と影響して行く前に、

 議論の為の議論を避けて、
 やってますという、、、アピールや、
 自己防衛の時間があったら
 前に進まねばなりません。

 はしごをかけてはずすと、どんなことになるか、、、

 津波を防げない町を造ってしまうことになるのではないですか?

 今こそ、過去は「温故知新」の言葉に習って
 踏み台にして、飛躍してほしいと思います。

 最近の病院は経営権が企業になっているケースが増えてきました。

 私の父の時代は、院長がすべての責任を背負っていました。
 よい面悪い面、、、ずーと見てきました。

 カリスマ院長、、、
 わが子のように、、、わが子以上に病院を愛していたケースも見た。

 大きく成長すると、いつの間にか、企業の経営になっている。

 プリンスーウエルス号が沈むとき、
 全員を避難させた後、

 「船長!今度はあなたが逃げる時です!」
 逃げれば間に合う!、、、
 船員の呼びかけに、、、「ノウ、サンクス」と答えて
 船長は愛する船から降りなかった。

 父から、、、幼い日に聞いた話である。

 現場の声は、企業や政治には振り回すことの出来ない
 仕事にかけた人生と誇りが言わせる言葉と、いき方がある。

 政治をころころ変えても、
 「深きは、、、声なし」の心意気と誇りを理解しないと
 日本人の中には、まだまだ「ノウ、サンクス」の心が宿る。

 倫理といえばよいのだろうか?

 企業の力、政治の力に「倫理」の力が加われば

 もしかしたら、、、現場が勝手に動くことなく
 現場の理解を得る方向になり、
 企業や、政治が「ビジョンを掲げて貫くのなら」
 人は、、、ついてくるのではないだろうか?

 国民を外野にして、政治だけが突っ走っても、
 心がついてこなければ、

 日本の国会ってめまぐるしいね、、、て

 世界から相手にされなくなるのが目に見えています。

 協力しましょう。

 頭で考えたり、権力を取るための行動のサポートは
 現場にいれば、功利的なアピールに過ぎないのです。

「本質が見えない人たち」
「現在に至っている流れもわからない人たち」
に分類されます。

 どうか、日本の危機に慣れてしまわないで、

 心から、、、自衛隊の人々のご苦労や、
 消防隊の勇気在る行動や、
 現場の捨て身の処理班の皆さんの努力を

 祈る思いで、、、「ノウ、サンクス」と

 沈ませないでください。

 小さな、、、日本国土!

 蝕むものは、島国根性の勝気な政治の体質。

 本当に大切なものに気がつき、
 一致団結して、目下、見えない敵を閉じ込めてください。
 100年待てば、、、消えるでしょう、、、セシウムも、、、。

 最後の一人を救ってこそ、
 本質に迫る進歩だと思っています。

     老婆心より

北海道の医師不足を補うためのひとつの考え

2011-05-26 12:01:17 | Weblog
今回の災害でも、医師の不足、
看護婦さん、薬剤師、医療全般が
緊急時には不足していることが伝えられました。

ボランティアで薬剤師は
3000人が動き、現地には2000人が
赤十字スタッフと協力体制で活動したと、
「北海道の薬学大会」の
ポスターセッションで写真で紹介されていました。

東北の薬剤師は
日ごろから「お薬手帳」をこまめに配布し記入していた。
それによって、
にわかに入り込んだボランティアの薬剤師は、
ずーと
患者さんを担当していた薬剤師と同じく
処方ができた例が多々あったと
ポスターを前に、
写真の投稿者が話してくれた。

何もおきないときは
「プロの根性の仕事」も「真似事の仕事」も
何とかなるかもしれない。
しかし、
利益を考えないで、
自費実費でボランティアの現場を体験すると

民間の薬の情報を
「お薬手帳」の持参として、
配布していたことが
「何か起きたとき!!!、、、
これほど心ある仕事はないと思えた。」

******  かみ締めるようにつぶやいた。

北海道にはまだまだ医師が足りません。
何か起きると、
病院は戦場のようにERで
パニックになるかも知れません。

被災地では
「研修医」が日夜若さにものを言わせ、
寝ないで働き続けた。

インタビューには次のように答えていたから、
頭が下がります。

*****

「確かに、、、大変でしたね、、、
今もなかなか寝る暇はないが、
最初はまるっきり寝ていませんでしたね、、、。

都会の大病院とか、大学で研修していたら、
なかなか、、、出来る機会のない症例を
思いっきり寝ないで、担当させていただいたから、

力がつきました。

*****

研修医は「医師の免許を持っている。」
腕のよい医師になる「臨床」は、
これから体験して力をつけなければならない。

自分から、力をつけようと、
必死でがんばり
新しい経験を日々待ち望んでいる戦力でもありそうだ。

本州がお金をかけて一生懸命医師まで育てた研修組みが

研修するのなら「北海道のマルマル病院だ!」という
「研修医希望名門研修病院」を作ればよいという
ことにはなりませんか?

地域の政治としては、
地域の直接の利益を考えてしまうから、
実力より「地域実益還元型」を政治は考えるものですよね。
院長は北海道出身者が多いのは事実です。

しかし、、、
芸術家とか、
医師のような「アーティスト」に似た心の動きのある人は

利益だけにはついてきませんよね。

利益ばかりを考えた
民間の会社が運営する病院が陥りやすいのは

目先の利益に目がくらむことではないでしょうか?

千葉の亀田病院は優れた医師がたくさんいると聞いています。
父の同窓生が創世記の一員ですので
しばしば、父から名前を聞いたのです。

沖縄の病院も優れた医師の集う病院があるそうですね。

外科医師の父、の内科の兄弟、
医師の夫、医師の子供、と
周りが医師の多い
聞き役の私には、
なるほど、、、という意見が飛び交うのを耳にする。

民間の個人が立ち上げた医療施設が
大学にまで発展した順天堂。
「白い航跡」胡蝶の夢」など読むと面白い。

昨日「ヒストリア」でTVでやっていた
「緒方先生の塾」

札幌にも在る、民間から
大病院に発展したK病院。

ここには全国から研修医が来ていたそうである。

先代の北大出身の院長は
「よい医師の集まる病院」ということを願い
常に言っていた。
医師の質が落ちてしまう運営だけは避けなければならない。

たとえば「ペット」が入っても
読める医師がいなければアウトであると。

よい医師が集まれば
自ずと全国に医師間で知れ渡り研修医が集まる。

研修医を「よい医師」に育て、
地元が魅力で動かないでも満足できるよう
力を発揮できる舞台になる地位を作ることで、
持てる力を表現できるようにする。

施設と指導の充実を図れば、
病院は臨床と、
研究のタイアップもかなうようになり
よい医療、オーダーメードの医療が出来るようになる。

利益追求の
医者を休みなくなく働かせ稼ぐという
重さ×距離=仕事量のような
パタリロの鞭のそろばんでは計算できないような、

見えない部分のメンタルな
ポテンシャルエネルギーを得る。

そうなると、
そのエネルギーは、患者さんを引き寄せ
医療の活気のある未来につながる施設と成る。

ドクターヘリも頼もしくビルの屋上に待機する
緊急病院の医師は
病院の発行する雑誌でも、
災害地の働きが掲載されていた。

彼らはカリスマ性のパワーがみなぎる。

希望とビジョンと自己実現の夢を求めて
研修医がもっと多くきてくれれば、
現地救済が即医療の体験として、
時代に即応した医師の研修もかねてゆく。

地方勤務のときは、ネットで画像も診断も教育も届ける。

医療界の外側にいる他の学部を卒業した凄腕の経営陣が

経営にのっとって、
利益を主体に
数字で経営手腕を発揮することになれば。
「金で買った腕」を各部署に配置することになり、

元来が
「ビジョンに燃えてる主体と主導と医療のアーティスト」のような
外からは見えない部分のすごいエネルギーが、
金銭の操縦ではうまく行かないと思います。

医師は優秀性も必要でしょうが、
偏った、医療に猛進する適性が必要だと
思って観察しています。

「自分の思うようなビジョンが、即行動に移せたら、、、」

周りのサポートを充実させると、
彼らは恐ろしい忍耐と積極性で
患者さん主体に救うことを考える。
自己実現の納得に向かって
疲れを知らない働きで結果を出す。

しかし、
「経営者」という医療人ではない者の目には、
俺のほうが東大だ!
京大だ!。慶応だ!、、、
早稲田だ!、、、云々と
高校3年次のアチーブの
点数で、優劣で支配しようと考えるのは無理もない。

優秀性は受験的には突破力さえあればOK.
後は適性だと思いました。

息子が医学生のころ
解剖ご遺体に「敬意の名前をつけたといいました。」
毎回「マルマル様、貴重なご遺体を、学問にささげられたことに
敬意と感謝で、今日も教えてください。」と
挨拶しながら、授業を受けたといっていました。

すべて授業が終わり
お葬式も済ませ、
ご遺体の名前が発表されたとき
「僕は、僕が捧げたお名前と同じだったので、腰が抜けるぐらい
びっくりしたよ、夢の中で、笑った!」と
母の私に打ち明けてくれたことがありました。

ありがたいことです。
息子は医者になることを天が選んでくれたのですから。

オカルトではありません。
医師になることは、天命だと思ったのはこのときです。

それからの毎日は、
国家試験合格のためのサポートを
全力で出来るようになり、
ひたすら、6年間は自分の人生を凍結して
医師の誕生に捧げることを教えてくれたのは
「解剖学のご遺体様」でした。

尊いお体をさえ、、、
医学に役立ててくれた方がいらっしゃるのです。

医師になっても、
無機質な「利益の数字」を追わないでしょう。

PCのデーターが即経営術に影響してゆく。

しかし、、、私の見る限りにおいては
身の回りの医師たちは、

開業して銀行に追いまくられる現状では

利益に振り回される医師となり、
医療のレベルは利益主体にならざるをえない
政治主導の診療にならざるを得ない。

手に負えない患者さんを大学病院や
巨大病院へ送るという。

順天堂の静岡病院を訪ねてみた。
救急のドクターへリポートが
病院のテッペンを丸くかたどり
救急車がサイレンを鳴らして走る。

産婦人科もお母さん方を守っている。

大学の付属病院なので、
研修医が勉強にやってきている。
夜中の戦力である。
病院から300メートルあたりの時間外の居場所から
夜も昼も、病院の周りに医師が飛んでくる。

札幌で「研修医のあふれる病院に成長しても、
企業のオーナーが
目先の数字的PC的損得で
研修医が集まらないような、

地元優先の旗を立ててしまうと
本州からの医師を呼べなくなると思ったりします。
自己評価と
他からの評価の異なる価値観に傾倒してしまっては

よい医師の集まらない病院になってしまう。

よい医師、、、、
医療は社会のものであり
会社のものではなく、
医療自体が自発的に成長してゆく性格のものだけに
会社のほうで医療という精神に沿って
サポートする必要が出てくる。

「よい医師」が、企業についてくるとすれば

企業の介入の仕方が
「医療界の心を含めてサポートできなければなりません」

一歩間違うと
、金という問答無用のエネルギーで

経験の学問といわれてきた臨床医学を
金で横面をたたくことになりかねません。
医師たちを駒にしてしまうのなら
駒にしかなりえない医師が集まる病院になってしまうということです。

仁というTVを見ています。
大好きな番組です。

兄は9歳年上です。
内科医で、
指導医で専門医で、数々の認定がある
「スキル人間です。」

大学卒業後、父が「築地にがんセンターが出来るよ」
その一言で、当時「医師の神様」
といわれる凄腕の医師の集まったがんセンターで
専門医を許されました。

時々妹の私に真剣になって聞くことがあります。

「お兄ちゃんはこの件はこう考えるのだが、、、お前の意見を聞きたい!」

「私は専門家ではありませんから、
ギリシャ劇で申すと「市民」の声ですよ」

「それでもいい、視点の異なる意見を参考にしたい!」

兄弟という」気安さもあって、
私は思ったことを言うことにしている。

当時としては白い巨塔の医局ではなく
がんセンターの研修に飛び込むのは
少ない生き方だったと、妹の私は
がんセンターまで、同行した。

「医学博士のある医師とない医師は
どのように価値が違うかね?
民間の意見も知っておきたい」

「医学博士を取得していない私が言うのも
口幅ったいが、医史学が趣味のヒストリアの私は
市民の声としては答えても責任がない。

明治のころの
「医学博士は医学大博士とともに、
国家的な称号だと思いますが

厚生省が「医学博士を管轄する」という時代に
なったということは、
政治的に国会秘書ではないですが
物申しやすいという称号で、
運営や政治に役立つ仲間であるという
連判状のような気がします。

学術や研究ならともかく、
例えば外科病院なら
熟練の外科医で、手術例が多く、腕がよくて、

創世記から病院の人事性格を捉えていて
病院の毛細血管に至るコメディカルも

やる気が沸いてくるほど
活力を与える医師の方が
「医学博士」や称号より
臨床現場では戦力となるのではないですか?

それに、「医学博士(○)大学」という
後ろを省いて名刺に書くから、
一律の
高い評価と混乱しますよね。
東京大学や旧帝国大学、千葉大学、
名門私立医科大学の博士号も

他の学部を卒業したトンボの目玉を研究した医学博士だって
いると思えるし、、、、

今は論文博士は、消えつつあります。
手塚治虫は「デンデンムシノ精子」を
研究したとか、、、しないとか?

臨床をきちんと研究してきた医療の実力派も
今までやってきた研究の
申請していない人が申請を終わると

実質的に
「大学院」を出ないと、
なれない時代が目の前まで来ているし、
医学博士=大学院卒業と言える称号になるかも知れませんね。

イギリスの博士号のように、
称号のアルハベットが即「ケンブリッジ卒」なんて
主張できるのなら、日本の博士号もかっこいいですね」
金メダルみたいで、、、見せたくなる。

*****

「なるほど、、、医学博士の価値はどうかね?」

私的には薬学の同級生でも
独身で病院薬剤師という臨床に従事した友人は
「薬学博士」ではなく、、、「医学博士」を取得しているようです、」
結婚式に出てくれた同級生も、
医学博士を取得して医科大学の臨床機器分析の
ドンになってるし、、、。

パスツール研究所に行っていた先生は
「薬学博士」を取得してきて
国家の与えて国家権力のもとの称号だと説明してくれた。
その後、パスツール研究所を見学してきました、

サポーターは婦人だったかもしれない?と
私的には思いたくなるほど、
女性的な繊細な環境でした。

「フランスの博士号」は明治時代の
「大博士」のような重さで
研究歴があることの証明だと思ったわ。

その点、
「日本の臨床論文の医学博士」は臨床で取得するから、
基礎の研究とは意味が違ってくるし。」

*****

ありがとう、、、
一般の薬剤師レベルの考えがよくわかったよ。

病院長がね、
博士号があるとか、ないとかで左右されると言うことは
暗黙のうちに、
その院長の出身大学が
上層部にいるということになるのかな?
仲間の連判状という証みたいなことかな?

話が大きすぎて私にはわかりませんよ、、、
だけど、
医療を扱った本や、歴史や漫画では
そのような黒幕はよく出てきますよね。

現実は

そうとは限らないわ、
院長が出向く先が政治的な交渉の場で
事務的な場であったのなら、

大きなダイヤでぎらぎらしているアクセサリーが
お金持ちという条件だったりするかもしれないし。

素人には、
国立がんセンターの所長と
博士号がどっちが「医療人としての実力者」か
混乱していると思うのよ。

*****

お兄ちゃんは
ひたすら医療にまい進してきたから
「いい医師」、「凄腕の医師」になるために夢に生きた、
名門といわれる先生の弟子になって腕を磨いたと思うのよ、

元来「医師」はそれでいいんじゃないでしょうか?
「院長」とか「副院長」とか「理事長」は、

私的には「立ち寄った駅のベンチのように、誰が座ってもいい」

病院の医師が切磋琢磨する気力を
うしなうことのないような
医療のビジョンを持てば、いいのではないかと、
私は思いますが、
勘違いして、
私物化したり、自分ひとりで「俺は専制君主」だと輝いたり
俺様が病院を運営してきたと、
自分で自分を胴上げするようになったら
ほかの医師が迷惑しますよね。
病院はチームで、それぞれがベースを守ってるから。

「院長が脳みそ」というわけではなくて、
病院がすべてが「国家免許取得の脳みそ軍団」なのですから、
群雄闊歩の各科の、
「脳みその代表になれる院長」はありえないから、
経営者も、院長も、
病院という気合の入った生き物のような活気を
そいでしまって、
金に利益に走ったとたん、

馬車はかぼちゃに戻ると思いますけどね。

父も敗戦で病院の院長を退いているし、
お兄さんだって、そうでしょう、、、。

カリスマ性の在る医師軍団が、
宗教的なカリスマ性に取り込まれると
赤軍派みたいなことになるし、、、。

医師は医師同士、協力して、今までと同じく、
患者さんに、最高の医療を届けられるように

経営者側にわかってもらうことが

末永く、
時代にも
次代にもかなう
医療体制が取れるのではないですか?

私は医師ではないですが、
中国四大中医学院はじめ、
ヨーロッパの
500年前から存続している病院や、
ホスピスや、
20箇所以上の病院の内部見学を
させてもらえました。
教会と隣り合わせの精神病院を見学したり、
ゼミを受けてきましたが、

一番恐れていることは、
企業の介入で
本来の医療が利益主体になってしまうことです。

医学の高台に病院を建てないと
時代の津波が押し寄せると
跡形もなくなるのでは
会社と同じ位置、利益の位置は
低地ということかも知れません。

ヒポクラテスの時代からの病院資料が
「ウエルカム医療博物館」に
残っていましたが、

医の心は他のジャンルが理解できないほど、
圧倒する輝きが
見えない部分に感じられました。

EBMの時代の医学になって、
いろいろなテクニッシャンのような
医師が出てきているように、
外側からは見えますが、

私は部外者として思ったことは、

企業は己の手のひらに、
好きな形にして医師を閉じ込めて
戦力として駒にしたと思ったときは、

本来の「医療に従事した医師はその手のひらの上には居ない」と。

つまり、企業が手のひらに載せた医師は、
自分で自分を胴上げするのが心地よいと、
名声に酔える医師が残るでしょう。

本来、医師は、格好をかまうこともしないで、
人間の「人体という宇宙開発」に
人生を注ぎ込んでいた
「夢追う人」ではないでしょうか?

去年「森鴎外」の行った「ドイツ」に行ってきました。
小さな開業医の病院が、印象に残っています。

北海道に、
主人の父の親の長男が
明治時代に開業をしています。
晩年、本州に戻っていっています。
医師を育てたようです、
親戚だという医師が名乗ってくれました。

運命の赤い糸があったのですね!
驚きました。

本州から来た指導者も晩年本州に戻っています。

北海道で医者不足を補うためには、研修医時代に
指導してもらいたいという病院を創ることです。

よい医師を北海道で養成し、
ここに、骨を埋めたいと言わせるように
彼らに「舞台を任せる」度量が必要です。

せっかく、すばらしい」先生が指導にいらしても、
この狭い日本の中で、
いつ「島ごと沈没する」かもしれない列島で
セクトを争っていては、
「いい医師」は本州に戻ってしまいます。

陸別の関寛斎のミュージアムにも
泊りがけで行ってきました。
お子さんから網走刑務所の医師が育っていました。
最後に自殺されていました、
夫人は黄八丈の着物で
関先生の日記の表紙を造っていました。
お子さんには
北大の農学部を卒業されたかたもいました。

医学と農学は、私は
もっとも近いと父から教わりました。

本州から来た研修医に、
医師の奥さんとして、キラキラきらめく人ではなくて
北海道のよさを痛感させられるような配偶者も育て
謙虚なサポートで自立できる理解者を育て
北海道を好きになってもらうことですよね。

医大だ、北大だ。地元だ、本州だという垣根を取っ払って
研修医が研修後も
北海道に住み着けることが大切に思うのですが
いかがですか?
魅力と品性が無意識に
医師のみんなが大切にしているように
思えるのですが。

*******

そうだね、、、医学博士とか、権威とか、どこの大学だとか、
まず、垣根を取っ払って、
「よい医師」の育成が
「地元に残る政治をすることだね。」
能力を使い倒し、
腕をふるっても、立場を与えないのでは
最終的には「レベルは停滞します。」

順天堂の歴史を見てると、
優秀な医師を跡取りにしてきた歴史があります。

世襲制や地域性にこだわらなかったことが
すばらしいと思いました。

一人の医師が医師になるまでの金銭を考えても、
一人一億以上かかるでしょう!

研修に来て、北海道に「ほれてくれれば、」
本州の親御さんも
腕をふるえて、のびのびとよい医師になってくれるのなら、
日本中どこにいても言いと思いますよ。

医学博士、、、どう思うか、、、答えになったでしょうか?

    兄さんへ       妹より

すべてのものの分別のメリットとリスク

2011-05-20 01:04:18 | Weblog

札幌市のごみの分別は
かなり厳しく繊細な注意を要する。

職業によって
ゴミの種類も千差万別であるが、
分別のルールは
どの職業の家庭にとっても
一律のルールで処理されてゆく。

今のところ、
我が家の生ゴミは一週間に10リトルで足りている。

ペットボトルも1ヶ月に1回捨てる。
雑紙と新聞とチラシ類を
3ヶ月に1度資源回収に出せば

後は庭の木の選定した枝の束ぐらいであるから
結構こまめに分類して出しています。
、ダンボールが簡単に出せなくなった分
買い物を控えるようにもなった。

津波の後の瓦礫をTVで見るにつけ、、、
胸が痛みます。

最近放射線をブロックするショベルが登場!
ひとまず、、、ホッとしています。

イオンの満載のゴミを処理する事の大変さを思うとき、

ゴミの分類のリスクの大きさに
絶句する。

被害に遭われた方の思い出の品だって
瓦礫の中には沢山あることだろう。

当分、、、家から出るゴミは
謹んで分類しているが、、、、
時々、、、手がフリーズして、被災地を考えてしまう。

復興の鍵は「瓦礫をどうするか、、、?」
この、瓦礫の分類をどうやったら、出来るのか?

日本の皆の知恵を寄せ合って
何とか、リスクを最小限に避けて分類し、

二度と津波が超えられないような
巨大な堤防にならないものなのでしょうか?

出来上がった堤防は
被災に遭わないように、
鉛の層をコンクリートで覆います。
堤防の中に、鉛が出てこないように、閉じ込める。
壊れてしまった大切な思い出を
堤防に変身させて生き返らせて、
二度と壊れないように
しっかりとしまえたら

心の寂しさも、最小限に復活に向けて
出発できるのではないでしょうか?

TVに映し出される、瓦礫の山を見ると
宝に変えられないものかと、
苦しくなる。

日本列島の瓦礫は、
復活の為の
大きな踏み台になってほしい。
未来に向けて、防波堤となって
共に生きてほしいと願うのです。




言葉にならない、、、思い

2011-05-18 03:27:21 | Weblog

 終戦、、、広島、長崎、、ビキニ、、、
 子供のころ「原子爆弾」や「水素爆弾」の恐怖とともに、
 「科学の果ての宗教心」のような、、、神様、、、神様、、、と
 どこにいらっしゃるか知らないけれど、何かを信じたかった。

 「美しい絵」「愛にあふれた絵」、、、ふくよかな女性の体温が
  伝わってくる絵だった、、、原子爆弾ができる前の時代は。

 ピカソは、ゲルニカで信じるものを失った爆発をキャンバスに
 壊れた心で描いたのだろうか?

 悲しさも、驚きも伝わってこない、、、「心が壊れた?」

 勅使河原創風は、フリーズした心の主婦たちに、命の束の花をもって
 立ち上がるきっかけを作った。

 銀座四丁目和光のガラスのショウウィンドウには、
 心の砂漠で倒れて骨になった獣の頭に、壊れた飯の時間のように
 キッチンの用具が割れていた。
 それでも、命の花は、根から切り離され、茎に蓄えた力で咲いていた。

 人間砂漠の核戦争の爆発の残骸となって。

 父は戦場で野戦病院の医師だった。
 「軍医」といえば、颯爽とした軍服を想像するかもしれない。

 完膚なきまで最後の一兵卒まで、塹壕で死んだ大陸の敗戦。

  塹壕の中には上からどんどん死体が降ってきた。

 その上から、さらに敵兵に乱射されたという。

 人の肉体の折り重なる塹壕で、運良く生き延びて、帰還。

 戦前は、鉄筋の自社ビルのオーナー院長だった父。
 西海岸で日本人の開拓民として、大成功した祖父。

 戦争さえなかったら、、、
 私たち7人の兄弟が、3人もかけることはなかっただろう。!
 引き上げる最後の連絡船は、護衛の船はもはやなかった。

 東京の牛込の自宅も、市谷の実家も木っ端微塵。
 逃げて、、、逃げて、、、熊野の山奥に疎開した。

 戦争は、、、人災です。!
 真珠湾で奇襲攻撃の日本に下されたアメリカの決断は「原子爆弾2発」。

 壊れたのは、、、日本だけではなかった。
 原子爆弾は、、、

 「生身の心が宿るみずみずしい不思議な自然の作品の人間」も万物も
 「元素に変えた。」

  叫びたかった!
  元素を、もとどうりにつなぎ合わせて、分解した人間を作り直したら!!!!
  最後のピースの元素をハメタトキ!!!!!

  心は宿るのか!!!!!。

  科学よ、、、
  お前が「俺様は神だ!と、のたまうのなら、心をつなぎ合わせてくれ!」

 ブロックの玩具がロボットになって
  「僕、、、!人間!」

 手塚治虫の「鉄腕アトム」

  。。。僕は「涙が出ないんです、、、。」

 鼻の大きな「御茶ノ水博士」

 来日のアインシュタイン博士

 アトムに「涙をあげてください。」

 原子爆弾と、日本上空では試されなかった「水素爆弾!」

 砂漠の地下深く原子と中性子を巧みに操る一団が地球を壊す日も近い。

 私の少女時代は
 壊れた心が瓦礫になっていた、

 塹壕で折り重なった物体に助けられた父。
 壊れた心は、
 七か村「無医村」という熊野の清流の命のゾーンで、
 村人に滅私奉公の医療を持って尽くすことで、
 時は流れ、時間が父母を癒したのだろう、、、か?

 瓦礫の山から立ち上がる
 父母の背後には阿修羅の導きがあったのだろうか?

 学校では、お寺の和尚さんが
 先生を兼ねていました。

 原子爆弾」が、人間神の存在を否定した。
 ギリシャが滅んだのも、人災。

 「万物の霊長」から「
  原子の数珠玉」の有機体のつながりに

 人間を変えました。、、、、、ナミアムダブツ、、、、、。

  @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@¥

 火星に捨てよう、、、絶望を!
 スピリットにかけた夢!

 原発の放射崩壊のエネルギーの残骸は地球に捨ててはいけない。

 放射崩壊の光線を振りまく宇宙のゴミ箱に捨ててください。


 言葉にも文にも音楽にも、絵にも彫刻にもできないこの思い
 朝日が、、、背中の窓から差し込んできました。

 朝日よ、、、立ち上がらせて、日本を!

被災地に派遣された先生へ

2011-05-10 00:22:38 | Weblog

  生徒たちが伝えてくる生きる力
  子供たちが見つめる海

  荒れ果てた校舎が
  教育の原点を諭す。

  先生が学ぶ、、、心の成長。
  先生が考えさせられる、、、教育って何?

  母親の愛
  先生の知恵
  子供たちの成長

  この荒れ果てた教育の現場で
  教育って何なのだと、、、?

  先生は戸惑うかもしれない。
  一緒に時間を共有しながら

  未知なる「被災体験者の心」の光と闇を
  先生は根気よく
  手探りで共感しながら

  生徒の成長を
  見守って行くのでしょうか?

  祖父は校長先生でした。
  母は女学校の先生でした。

  幼いころ
  「二十四の瞳」という
   島の女の先生と生徒の絆を描いた
   感動の映画に連れて行ってもらいました。

  先生のすばらしい指導が
  今も忘れられません。

  大学では
  本職の薬剤師になるという
  目的のカリキュラムのほかに
  大学院の夜学授業で教職を選択しました。

  東京の中学で実習しながら

  生徒と友達になりました。
  課外時間は、一緒に走ったり、
  とにかく、一緒に部活をしてすごしました。
  

  私のほうが、
  授業中どぎまぎと
  冷や汗をかいていました。

  「先生!落ち着いて!(^^
  しっかり、がんばって!

  生徒たちのほうが
  ずーと大人でした。

  生徒たちと時間を共有できたことは
  私自身の宝物になりました。

  被災地の生徒は、
  きっと、、、
  ここに来なければ出会わなかった「心」を
  教えてくれると思いました。

  大人たちが、多くの事を学び
  明日の日本への

  希望の出会いになることを
  祈りたい。


   被災地の先生が
   いつの日にか、、、

   教え子が
   たくましい大人になって
   先生を訪ねてくれたとき

   きっと、、、感動の涙が、、、

   先生方の報酬になることでしょう。

   そこに、、、行った先生だけが受け取れる

   感動の日のために。