花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

夕張の若い市長さん

2011-04-25 02:18:22 | Weblog

  高倉健さんと賠償千恵子さん、、、桃井かおりさん、、、何と!!!
  武田哲也さんじゃないですか????、、、

  若き日に爽やかな感動で観た「黄色いハンカチ」
  健さんが絶妙な味を出していた映画に
  なんともユニークな若いカップルの喜劇!?

  夕張なんですよね!
  日本の男
  日本の女

  そして、新人類の二人!

  メロンの味で微笑みを育てるのもいいし
  黄色いハンカチの希望の丘に
  「愛」を育てる魅力の坂道を歩くのも素敵。
     
  短い夏は

  フランスのような、若き芸術家の集う温泉の泉があっても面白い。

  温泉は女性が水着を着用した混浴の浅い露天プールがいい、

  娯楽の域まで行ってしまう遊びの要素は似合わない。

  旅人が、必ず立ち寄りたくなるような
  屋根の色も、形も、トータルに、
  何かをひょうげんしていたなぁ、、、って、
  帰ってから、ほのかに感じるゾーンがあって

  誰かに逢えて、
  毎年、、、
  メロンを食べに来るのが楽しみな
  素敵があって、、、

  夕張のシンボルだった
  炭鉱のジオラマが
  時を止めて、
  無言のメッセージが
  黄色いハンカチの愛を伝えてくる。

  炭鉱夫募集、、、
  健さんが黄色いハンカチの
  我が家に進むとき
  チラッと見えた求人広告を忘れられない。

  若者に「働く仕事場のある町を!」
  炭鉱はなくなっても、
  街づくりは、、、仕事場があるということが原則。

  どんなに素敵があっても
  仕事場の無いところからは
  人は去ってゆく。

  夕張の仕事!

  何かを感じさせてくれればいい。

  東京が夕張に希望の虹を架けたなら
  北海道のエコと
  東京の立体文化が溶け合って

  日本に無かった新しい
  空気が美味しくて
  空が美しくって

  田舎なのに
  都会の洗練された愛が
  スピードを運んでくるのではないかと、、、

  湘南太陽族が、元気をくれたように
  夕張メロン族が
  日本中を「美味しい若者」に変えてしまい

  都会にも「子沢山の夫婦」が伝染して
  日本が元気になる出会いの夕張になるといいですね。

  若い市長さんが起こす旋風が
  希望の街をつくる気配がしますね(^^

  札幌から近い気楽な愛の街
  リラックスの街
  仕事のある街
   
   
  治安が良くて品があれば
  北海道の
  「夏の夜の涼しさと、美味しい空気と星の煌き」が

  計画停電の夏の東京から
  避暑の観光客をスイカの種、メロンの種の数ほど
  夕張に集めてしまうといいですね。

  どのレベルの若者も楽しい
  「アルバイトのあふれた消費の楽しい文化の町」
  「知恵とセンスと魅力の街を!」

  ぜひとも実現して
  トータルに素敵な札幌ゾーンをつくれば
  「中札内の美術ゾーン」に似た
  観光ルートも実現する簿では?
  若い長の出現に
  盛りだくさんの夢を見ている、、、婆ちゃんです。
  
  

元気いっぱいもらった!ファイターズのルーキー

2011-04-17 16:17:28 | Weblog
     なんとなく、落ち込んでた毎日でした。

しばらく、、、ふさがっていた気持ちが

今日のファイターズの
一丸となって勝利した
チームの実力に
見事に華あり!

花を開花させたルーキー

ルーキー  
斉藤佑樹選手の「勝利!」

暖かい観客席!
頼もしい打線
頑張ったリリーフ投手!

斉藤佑樹選手は

    もってるね(^^

解説の「岩さん!」
    本をください、、、
応募したくなるような
「暖かな楽しいわかりやすい」
いい解説でした。
もっと知りたいファイターズの
選手の皆の事!

ファイターズには、
大切な今日でしたね!
すばらしい魅力が
出発ですね!

被災地の人たちも
きっと!!!!!

一丸となった戦いぶりには、
元気を
いっぱいもらったのではないでしょうか!

早稲田大学の斉藤佑樹君は
名実とも卒業ですね!
プロですね!

久々に、元気が沸いてきました。

頑張れルーキー
頑張れ日本!

今、出来る事は、とりあえず、、、義捐金

2011-04-12 22:48:18 | Weblog


とりあえず、
邪魔にならないで、被災者が
助かる事をしたいと考えるのなら
お金ぐらいしか思い当たりません。

所属団体が
まとめて
「日赤に届けてくれる義捐金振込み」を済ませた。

次は、現地で被災した、
「同じ団体会員に届けてくれるという振り込み」も済ませた。

しかし、TVを見ていると、
なかなか早急に
被害者に届けられるものではないらしい。

助かるはずの人が、避難所で亡くなられている。

条件の悪さのために、
あたら助かった命を失うのは悲しすぎる。

せっかく生き残って、
避難場所にたどり着いているのだから

何とか、
半日でも早く
衣食住の基本だけは整えて、
頑張る心をサポートしたいものである。

原発は
「桝添さん」がTVで発言していらしたように

プラネットの問題だと思うのです。

津波や地震の被害とはまた、
別の
「グローヴァルな責任問題」に発展してゆくと思える。

世界の原発の採用国家は
明日はわが身の問題として、
恐怖におののいている。

今回の状況を
精緻な頭脳の持ち主が
事細かにデーターを整理し
包み隠さず

「学者たちの学会」のように
発表し、少しでも考察があれば
各国からも意見を聞き、
未来の安全のためにが最先端の知識を共有すべきであると思う。

地球全体が共有できる処理機能のある
巨大なタンカーのような
核納システムを
移動させられるシステムとして完成させれば
原始空母のように
接岸可能となり
どんなに頼もしい事だろう。

そして、
日本海溝深く
格納庫と化した空母ごと
原発漏洩同位元素を海中深く閉じ込めてしまう、
半減期を被害を受ける事の無い状態で待てるのなら
どんなにホッとするだろうか!

砂漠の地下深く
タンカーのような原子空母を
丸ごと眠らせる事が出来たら、

地球は、がん細胞のような
危険な同位元素とともに

共存できるのではなかろうか?

像が死期を悟って
自ら像の墓場に歩いてゆくように、

原発も巨大な動くタンカーのような処理施設のある
土台の上に構築し、
最悪のときは、処理できる原子処理空母にドッキングして
牽引できる構造であればどんなにいいことだろう。

太陽系以外の宇宙の
放射線空間に
放射能が漏れない状態にして
打ち上げてしまうとか、、、

未来は、地球上だけで考えていては
解決できないような気がしてくる。

毎日、、、原発の事を考えていると、
マキシムまで行ってしまったら
地球は生まれる前の
水蒸気のような竜巻になってしまい

人間という生き物は再び現れない。
がん細胞のように
抑制する事を知らない、
とまる事を知らない人間社会。

がん細胞のように
宿主の地球を
「死」に追い詰めてしまうのだろうか?

浦安は地球に置かれた別のコンクリートのように
地面の方が液状化現象を起こして
生活インフラがでんぐり返っていた。

人間で例えるのなら

地球は病気です。
手術も必要です。

手術は世界の名医が協力して
原発に最高の施術をしてください。

未来の孫子の時代が
幸せであるために。



選挙

2011-04-12 03:21:15 | Weblog
石原さんも高橋さんも
頼れる感じがしました。

お二人とも、、、
一貫して、、、
ぶれない信念が、、、、
一本通っている、、、

だから、、、私自身、、、
心がグラリとなっているとき、、、
政党も、政策も、この日本の明日も、、、
混沌として、一票を投じようとしたとき、

「人」だと思った。

一貫して、あの服装で過ごされた慎太郎さんは
皆の心を代表している服装だとも、、、私的には思いました。

どうか、、、日本を立ち直らせてください。」
孫子の時代に、大いなる遺産を残すのは
「地球の健康」ではないでしょうか?

被災地から脱出をするエネルギーの大きさ

2011-04-12 01:53:44 | Weblog
この10日間あまり、北海道を離れて、静岡、東京、千葉、と、
携帯に地震速報をキャッチしながら、
精力的に、移動する人のサポートをさしてもらいました。

サポートといっても、
私ごとき荷できることは知れています。

大移動する子沢山の母子に
偶然乗り合わせた客になって
駅から駅まで、
子供が怪我をしないように
何気なく、寄り添っている同乗のおばさんという、

「目」になって、見守るだけの役です。

特別のことは、、、何も出来ません。

しかし、移動するということが、
当人にとって
いかに、ストレスの多いことか、、、、

想像をはるかに超えた、
孤独感と、喪失感が、行動を緩慢にしてしまい
母親は、子供に注意を払うエネルギーが少なくなってしまっています。

子供も、母親と同化しているがごとく、
無口で、行動が少なく、しょんぼりしています。

同じバスに乗って、隣の乗客になって
見守るだけの事でしたが、

今回の地震と津波の被害のもたらした心の傷は
長い目で、周りが見守ることが大切だと思いました。

かって、戦争で兄弟姉妹3人を失った私の母が、
子供たちの位牌を抱いて言ったことがありました。

「先に逝った子供たちが気がかりで、
何度、後を追う気持ちになったか知れません。

でも、、、生き残ったあなたたちが居るから、、、、
死ねなかった、、、。」

それから、20年がたった時でした。

「私は、死んだ子供たちをかわいそうだと
思わなくなりました、、、、。

生きて行くことの大変さを思ったとき、
あなたたちの頑張りを見てきた今は、、、

死んだ子は、決して不幸ではないと思えるようになったのよ。」

生き残り組みの兄弟4人で、
母が始めた「四つ葉会」という
小さなピアノの会をサポートした。

絵の得意な兄は
10号ほどの会の看板を「四つ葉のクローバー」で飾り
私は、コンサートの「花束を創った」

弟は、何かにつけ母を喜ばした。

軍医として奉公を終えた父も、
母のお弟子さんの使う
「バイエル」「ハノン」「チェルニー30.50」や
「ショパン」「ベートベン」「ハイドン」「バッハ」など

母が練習するときは、客になって拍手と花束を惜しまなかった。

「新しい生きがい」
「新しい喜び」
「新しい使命感」

そのような気持ちが母の中で育ってくれました。
戦後、「着の身着のまま」の疎開生活から

晩年は「故郷の東京に帰還できた父」は
55歳になる前に、最後の患者さんの診療を終えて、
眠るように、明け方亡くなった。

母には「ピアノが残った。」
晩年、自分でピアノ教室を運営して
自分の力で「ヤマハのグランドピアノ」を購入した。

お弟子さんの中からは
音楽大学への「合格者」も出始めた。

父も、母も、「関東大震災」「第二次世界大戦」の時代に
災難に遭いながらの一生を過ごした。

傷ついた心に負けなかったのは、
周りが暖かく見守ったことも大きいかもしれないが、

本人が、たくましく、次々と、生きがいに
チャレンジしたことだと思いました。

「国はやる気のある被災者には、『生きる舞台』を用意できた。」
「舞台」とは、やる気を受け止める周りの頑張りの事かも知れない。
日本人全体が、頑張り続ける気丈な「大和魂」が受け継がれていた。

やる気の出てきた立ち直り組みに、
しっかりと、生きる舞台を提供できる日本の団塊の世代こそ、
影の功労者だったと思うのです。

取り分けて、手伝いに参加できる力が無くても、

ぶれない一貫した生き様を、
「周りの人間全体で示して、生きる元気をあげれることです。」

人は、、、、一人では生きられない、、、
あなたが居て、君が居て、、、、
皆頑張って生きているから、、、、
元気が沸いてくる。

だから、帰りの飛行機から、被災地の原発を見下ろし、
謙虚に、科学の限界を認識し、
世界の力を借りて、頭脳を借りて、
地球の碧だけは壊さないで欲しいと祈っています。

国といっても、
時にはなりふりかまわず
地球の汚染を防ぐためには
見栄も、政治も捨てて、
収束させられる力にひれ伏す事が
解決策に近づくのではなかろうか?

かって、、、原子爆弾を落とされた日本に
原発は容赦なく迫ってくる。

、世界国家全体の、、、未来への啓示であると

世界の心と技術と実践が
一つになって、
「地球という母」を、、、
サポートして欲しいと思っています。

心が一つになって、
地球の未来を考える「天の啓示」と思えてくるのです。