慎太郎さんは、78歳になられたと聞きました。
爆弾発言は「太陽族の時代そのままの時間が止まっているようです。」
普通の人があのような発言をしたのなら
私は、、、絶対許せない怒りがこみ上げるだろう、、、、
しかし、、、
慎太郎さんが発言したとなると、、、
あの「作家なら、、、言いそうだ!、、、」
私も、中学時代の自分にまき戻されてしまう。
あの時代、、、
戦後のサヴァイヴァルで、
皆、なりふりかまわず
目指せ有名大学!
目指せ、破格の高度成長!
その時代!!!!!
湘南の海を舞台に
「太陽族が、横行闊歩した、ブームを作った。」
日本人でドラムをたたく若者が現れ
慎太郎さんの頭脳の中を
弟さんの「裕次郎さんが表現して日本中に
太陽文化を巻き起こした。」
学校から決して推薦はされていない
「太陽の季節」を読んだ。
マスクをかけて、
こっそり日活の映画を見に行った。
慎太郎さんは、いつもドキ!となることを言った。
私が、理解できるのはいつも10年遅れだった。
「慎太郎発言が半減したころ私のテーマとなって考えた。」
東京には100回以上飛行機に乗って
仕事のために通った。
今も2ヶ月に10日ほど
仕事のために行っている。
仕事といっても、給料は出ない。
しかし、、、行くたびに
仕事場に着く間の変化が給料である。
東京は片時も、同じ姿をしていない、
この「強い東京の知事である」巨人の言葉は
即座には理解できない。
半減期が来るころ、
やっと、、、ぼんやり解ることも多い。
Csのように半減期が30年ぐらいあるのが
慎太郎さんの「言葉」であった。
即時即決で、自分流に解釈すると
「神の目線の信長的な怖ろしい目線である。」
神は「あなたの心の中に住んでいるのよ。」
ピアニストの母は、光になって、飛散して空に飛翔した。
母も慎太郎文学を高く評価していた。
明治生まれの祖父は28歳でアメリカに渡っていた。
祖父が送ったピアノの代金で
母はドイツのピアノを買った。
ショルツ先生を慕って国立音大に進んで
当時、日本中を演奏旅行したモダンな精神の持ち主だった。
医師だった父に似た私を、
母は「じれったい人ねー!
理屈は要らないのよ!」
「あなたはお父さんと一緒ね!、、、
どうやって心を伝えたら
解ってくれるの?!」
ショパンを弾いては
「今。こんな気持ちなのよ、、、」
バッハを弾いては、、、「苦しいの、、、!」とか、、、
ドボールザックの曲を連弾さしてもらったとき、
「お母さん、何で同時に二人で同じキーを
たたくような、、、、譜面を選んだのよ!?」
私は納得できなかった。
「もう!!!!!、、、いいわ!、、、
あなたの頭はお父さんと一緒ね!」
その母が「慎太郎文学がすばらしいと言った。」
私はすばらしさが解るまで、慎太郎の本を読み、
日活の映画を見て、
裕次郎さんの「セツナイ男心がわかりそうなころ、、、、」
受験に突入し、
つまらない、、、まじめな、、、普通の大人になった。
だから、Csのような放射能を持った発言を
有効に踏み台にして
大東京をさせる知事にまでなった
特殊な人間の脳みそを持った方の発言は
半減期が来るまで、、、近かづかないことにした。
ヨウ素131なら
「東京大学に勤めていた独身のころ」
半減期はきわめて短く、3ヶ月もすると「0」に近くなるので
薬品の体内動態の追跡に使ったものである。
しかし「見えない敵に向かった東京消防庁!」
石原発言の怒りが自分の中の
不可抗力な次元の
人間全体の「未熟な傲慢に対して、、、」
思わず「天罰」という言葉が
科学全体の
「完全に見えて、、、
実は自然の摂理の前には未熟な人災」に向けて
脅威を感じて、思わず「天罰!だ」、、、と
ぐらぐらな心の一瞬が言わした
「感情が描いた言葉が、、、「天罰」しか
考えられなくなった一瞬の心の不安定な内面が
あのような、特殊な表現になったのかな?
東京消防庁の働きは
捨て身の使命感が伝わってきた。
あまりのことに、、、涙も出ない。
慎太郎さんの言葉は
決して、津波の犠牲になられた国民に
向けられたものではなかったと、、、思った。
東京消防庁!
慎太郎さんの発言の意味は
決して表面的に被害に遭った国民に向けられてはいないと
私は信じることにした。
東京消防庁の勇者の皆様に
何と申し上げれば、、、
失礼にならないで
感謝をつたえられるのだろうか?
東京は、、、強くなった。
強い東京のリーダーが、涙を流して
消防隊に感謝をした映像は、忘れない。
慎太郎さんが、、、泣いた。