花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

一番の愛情!

2008-11-26 13:01:59 | Weblog
          

            生まれてきたという事を
            眩しく見つめた40年前

            親になった我が子。
            孫が元気を運んでくる。

            にぎやかな
            だんご3兄弟

            お兄ちゃんは
            末っ子思い

            末っ子は
            お兄ちゃん思い

            まん中は
            いつも一人ぽっち

            だから、、自分が一番!
            だから  自分が一番!

           だんご3兄弟の童謡の
           歌詞は正確には思い出せないが、、、

            3人の
            2つ違いの孫

            まん中は
            上からも、下からもうとまれる。

           愛されたいのに、
           はみ出してしまう

           愛されたいから
           がんばってるのに

           お兄ちゃんに
           勝っても、、、怒られる。
      

           弟に勝っても
           怒られる、、、

           僕は、僕は、僕は、、、
           一番の愛情が欲しいだけ、、、

           一番の愛情が欲しいだけ!

           大丈夫!婆ちゃんは
           君を一番に愛してるよ!

           上の子も
           下の子も

           ばあちゃんは
           皆一番に愛してるよ!

        一番の愛だけが
        皆を愛せる
        子供になれる「愛」なんだよね。

        だから、皆に一番の愛が贈れるように。

第9回クリニカルパス学会盛会で終わる

2008-11-24 04:16:04 | Weblog
22日(土)

     盛会のうちに、今年のクリニカルパス学会が
     終わりました。
     

     特にメインテーマの
    「包括医療への対応ークリニカルパスの真価を問う」

     会長の原澤先生の講演
     DPCと病院経営ー当院の経営戦略について

     現実の医療の問題として、
     大切なお話ばかりだったと
     皆、学術集会の素晴らしい内容の学びを
     お土産に帰ってまいりました。

     学術集会の成功が来年の「岐阜」の松波病院へと
     リレーされますネ。

     一度白川郷に行ったことがありますが
     「白山」が雪帽子をかぶって展望出来てきれいでした。

     若き日に、金沢大学の先生方と
     8月の白山に登りましたが、
     「馬の背」に沿っての登山道は
     高山植物が素敵でした。

     岐阜の「世界遺産」を帰りには観てきたいと、
     来年が楽しみです。

     若いスタッフの先生は「金,土、日」と
     三日間当直が続いて、

     参加こそ出来ませんでしたが

     来年もしも当直がはずしてもらえるなら
     皆で一緒に学会参加をして、
     帰りに、
     「白川郷を歩きたいですね。」

     もろもろの事情で今年は参加できなかった先生方も
     
     いづれ参加できる機会が来ると思います。

     抄録には、
     薬学の教授の発表もありました。

     「癌の専門薬剤師」が北海道からも
     誕生しておりますが、
     これからは、
     ドクターや看護師、
     コメディカルの皆と
     「癌の専門薬剤師」の参加が
     必須になってくると期待しています。
     クリニカルパス学会は、
     薬学系の専門薬剤師にとっても
     ますます大切な学会になりそうですね。

     道東のの薬局長先生!
     このプログ見ていますか?

     大雪で参加できなくて残念でしたね!
     
     
    
     

麻生首相の医師への発言

2008-11-22 01:34:32 | Weblog
      麻生首相は、病院を経営されていらっしゃるから
      いろいろな、医師の
      暇なとき、忙しい時、余裕のある時、無い時、、、etc,

たぶん、いろいろな角度から先生方を見ていらっしゃるのでしょうね。

  私の周りにも、父、主人、兄、弟、甥、親戚、、、、と
  いろいろな「お医者様」がおります。

  周りの医師の趣味を考えて見ました。

      音楽、ゴルフ、囲碁、将棋、スパでのリラクゼーション、
      
  父の時代は明治の気風が残っておりました。
  周りの友人たちはいろいろな趣味がありました。

  父は戦前は趣味もいろいろあったそうですが
  戦争を境に、趣味どころではなくなりました。
  疎開中に、村の方から「鮎かけ」を教わりました。
  診療が忙しく、日曜は川に行ったかと思うと
  患者さんに呼び戻されてしまうのです。
 
  夜中、、、夜、、釣りに行くのです。
  真夜中の田舎道は村人も怖がる淵に降りてゆくのです。

  「ここまで呼びに来る時は、
  よほどの重傷だろうから、、、ネ。」

  地域医療で90パーセント患者さんの時間の父の逃げ場が
  村人も怖がる「深の淵」の夜釣りでした。

  村の若い衆が日曜に囲碁を教えてほしいとやってくる。
  以後の途中、休日なのに、何度も診察に呼ばれる。
  若者は、根気よく待ち続け、又、囲碁を続ける。

  リハビリ―と、戦後の精神状態の回復にと
  週に何日か自宅を開放し、蓄音機をかけてダンスの集いをしていた。

  母は一日かけて町からやってくる、本屋さんから、
  待合室で、村の子供たちが読めるように、雑誌や漫画を
  毎月取り寄せていた。

  少年、少女、少女ブック。少年、少年ブック。
  譚快、、、?こんな字だったかな?
  この本には「巨人ガランガラン」という連載が出ていた。
  手塚マンガの手書きの吹き出しセリフに「手塚治虫」の
  自己の宣伝がよく入れてあった。
  「月世界旅行」など、斬新な「かぐや姫」の科学版といえる作品が

  父の待合室に並んでいた。

  その中でも、「砂漠の魔王」は傑作であった。
  色彩もきれいで、魔王が壷から出てくるシーンは
  子供心に、砂漠のメルヘンに引き込まれていた。

  父母の、患者さんへのサービスの本は、だんだん増えて
  子供達は、受診しない日でも、我が家に来ていた。
  「貸して!」「いいよ、読んだらまた持ってきてね!」
  「みんな待っているからね!」

  持って行った本が、帰って来ることはなかった。
  私は小学校に入学する前には、
  マンガや雑誌の字が読めるようになった。

  父の人生は、、、振り返るとあまりにも忙しすぎた。
  夏の日、スイカを持って父と川に泳ぎに行く途中も
  呼び戻された、、、。

  上品な語り口で、穏やかな笑顔だけが思い出される。

  親の苦労の時代が過ぎて、
  昭和の高度成長期を境に、
  二代目の時代は恵まれていた。

  、、、、開業という檻に閉じ込められた閉塞感が
      事あるごとに、非現実の自由を求めて
      自己の感情バランスを取るかのように
      必死に、まるで、義務のように、、、趣味に走った。

  医師は閉じ込めると、、、悲惨な閉じ込められた虎のように
  檻の中を歩き回るがごとく、、、出口を求めてモガキマワル!。

  父の趣味は「礼儀」「常識」すべてを含んでいた。

      乗馬、社交ダンス(ワルツ、タンゴ、ブルース)
      ビリヤード、釣り、囲碁、剣道、ゴルフ、

  現在の医師は「患者様」という「勘違い訴訟」の嵐の中ですね。

  訴訟は、証明義務は片手落ちの法律であり、
  医療行為と「証明のための時間、労力は両立しない。」

  訴訟を事前に防ぐためにだろうか????????!
  どんどん、専門化して、
  絶対に自信のある分野しか診療しなくなった。

  しかも、「認定医」や「専門医」やもろもろの資格が義務づけられ
  研修を終わるまでいは33歳~35歳と婚期も遅くなる。

  患者さんに説明義務もある。しかし、、、
  医学に素人の視点の患者さんへの説明は
  常識では考えられない工夫がいる。

  先生方への注文は100パーセントでは足りない。
  病気の人間は、精神も正常ではなく
  感情的で被害妄想で依存的である場合が多い。

  「命」という宝石以上の輝きを扱う医療。
  ドバイには1泊250万円のホテルがあるそうですね!

  病院は、差額の千円とか一万円の単位のお金を

  不払いで、

  しかも「ありがとう」の無い
  当然のような
  「勘違いの訴訟」。
  真摯な態度で、対応する医師の苦労は
  常識では考えられないのです。

  甲状腺の手術の後、転移があってはと全身検査し
  乳房に「必ず癌細胞になる細胞が見つかった!」
  「やっぱし!転移していたか!」
  さっそく手術をした。

  その後、弁護士にそそのかされた患者さんは、
  「癌になっていないのに手術した!」と訴えてきた。

  病院側が勝訴したら、
  弁護士が勝てると進めてきたから訴えた。
  弁護料は不払いである。

  しかも自分は「客」であるから、
  再び病院の患者として、当然という態度で受診にやってくる。

  常識があったら、、、
  やっていられないのが医師という職業ですよね。
  愚痴る話を聞いているだけで胃潰瘍ができます。

  患者様、止めましょうよ!「患者さま」って呼ぶの!
  「客」という立場とは違うのではないですか?

  医師サイドは、この病気は自分が診察すれば治癒すると判断すれば、
  患者さんの病気に向かってゆくのでしょうが、

  患者さんと医師という立場は、
  「信頼関係」で初めて成り立つ「関係」なのですから、
  「常識では考えられない艱難辛苦の伴った診療」にも
  信頼関係で、お願いされれば、患者さんの見方になって
  病気という敵と一緒に戦うのが父の姿でしたね。

  麻生さんは経営者というお立場なので、きっと現場の
  修羅場を体感なさってないのかも知れませんね?!

  基礎系の、患者さんを診察しない、医学誌は
  教授や学長になられ、学問的な実績を世に問うでしょう。

  臨床医は患者さんが教科書です。
  常識では「右」に心臓があります、、、と。
  本に書いてあります。

  臨床では、、、左に心臓がある人もいる。
  臨床医には常識を覆す毎日があるのですから、
  常識を求めるのはかわいそうです。

  常識の「本」を読む前に非常識な現実が毎日起きるのですから、、、
  手伝っているスタッフも、非常識に思える言動があるとおもいます。


  

    

忘れられないシーン

2008-11-17 18:48:33 | Weblog
            

         高校生の頃
         東京大学を卒業された英語の先生と

         黒ちゃんとニックネームのついた
         外語大学卒業の英語の先生が

         英語特別講義を週二時間を
         自由な教材を使って授業をしてくださいました。

     女子高生の間では
         「どちらが素敵か?昼休みになると、先生方の癖の
          物まねをする男子生徒が居て、盛り上がりました。」

         四角四面な教科書とは異なり
         その二時間が待ちどうしかったものでした。

     東大卒の先生は
         「東大生」だったという事がわかる
          難解なテキストを
          選ばれました。

         「モーム」の本から

         店のおやじさんが、
         毎日何回も道を尋ねられるシーンです。

     そのおやじさんは

     「初めて聞かれたかのごとく、誠心誠意丁寧に答えるのです。」

     たったこれだけの文章でした。

     先生は、「スゴイおやじさんですね~~~!!!」
     「本当に、、、素晴らしい!」
     「私も、、、このようになれたら、、、と思いますね!、、、」
     
     都会の紳士のような穏やかな色の白い先生でした。
     是も無く非も無く、お習字を書いているような
     抑揚の無い「力」の入った授業でした。
     全く、当てる事もしません。
     寝てる人も起こしません。


     「熟睡してますね、、、!いいですね(^^!
      羨ましいな~、、、」

     後は何も無いかのように英文を読んでは訳してゆきます。
     独りで、、、。

     ほほ杖をついている生徒も居ました。

     素晴らしい、、、???何が???、、、
     その時点では、
     感銘している先生の方がおかしくて

     「すばらしいですね~~~!!!」と、

     物まねをしては、、、
     「ははははは、、、ハハハ、、、!」

     東大生卒の気持ちは
     わかる~?

     「、、、、んんん、、、ハハハ、、わかるわけありません!」

     などと、、昼休みはワケモ無く盛り上がっていました。

     一方、
     「外語大卒の黒ちゃん」は、

    遥か彼方から!!!!!!!!、、、!!!

     上履きの皮が
     廊下をたたく
     前奏曲と共に、

     ガラガラ、、、ガラ!と

     教室の扉をすっ飛ばして開けて

     「おはよう!」

     腹から声を出して挨拶するのです。

     皆、眠気が吹っ飛び、
     背筋がピンとなり、
     黒ちゃんの
    「口元から飛び出す『日本語』にピリピリしました。」

     とにかく、、、

     当てるのです。

     「ハイ!君!本伏せて、今読んだところ復唱しなさい!」
     、、、、!

     次々と当ててゆくのです。

     素敵な魅力的な40歳代の
     おでこの皺を思い出すのですが、、、

     その皺は当てられても、、、
     「ウン」とも「スン」とも言わない
     私達生徒がつくった皺だったかも知れません。

     黒ちゃん「その方そのものの仕草」は
     忘れないのですが、

     「授業内容」が思い出せないのです。

     60歳を半ば過ぎて、、、
     思い出すのは、

     毎日毎日、何十回と同じ道を聞かれながらも
     初めて聞かれたように
     誠心誠意答えていた
     店屋のオヤジさんの話の授業です。
     

     黒ちゃんの
     精悍なカッコよい姿容は思い出すのですが、

     いつも、、、存在を消して、
     内容だけを
     生徒の机の上に置いていった、、、
     もう一人の先生は
     丸い顔をした御餅のように、、、
     顔が思い出せないのです。             

知的財産

2008-11-15 11:24:38 | Weblog
昭和40年代のころ
        学生運動が盛んでした。

        多くの学部の学生たちは
        授業そっちのけでデモに参加しました。

       医学部も「青医連」とか「◎×連」など
       国家試験をボイコットしたり、激動の時代でした。

       その頃、日本にはCTも
       「ラセンCT」もありませんでした。

       CTという言葉さえ、
       一般の人には
       ほとんど知られていませんでした。

       親指のように太い胃カメラが、出始めていましたが
       カメラの部分が
       回転しないものでした。

       東大の実験室に勤めていた私は
       医学部の5年生に
       クリヤランスの測定方法などの
       技術を実践して
       ピペットの洗い方や
       自然乾燥しないとファクターが狂うという
       実践からくるコツを話したりすることもありました。
       業務の延長の仕事として、
       若い世代の学生さんの実験のお手伝いもしました。
       学生さんと五月祭を見て歩く事もありました。

    昭和40年代の初め、

   東京大学の医学部の学際には
   太い胃カメラがまっすぐに
   展示されていました。

   5年生の学生さんが
   胃カメラ飲むときはキシロカインで麻酔して、
   食道に傷を付けないようにしないとね!
   太いからね!
   等と話しながら、満足そうに手にとりました。
   「何だ?カメラのあるトップが回らないんだ?」

   医学部の5年は知識満タンの医学者の卵で、
   早く鳥になって飛びたくて飛びたくて仕方ないようでした。

   空の話をしながらも、
   実践ゼロの一言に、

   私は思わず申しました。
   ガラスファイバーで胃カメラを創る人たちですもの!
   そのうち、蛇みたいに自分で口から滑りこんで
   管空臓器を這いまわって、
   「ハイ!データーです!って差し出す胃カメラが出来るわよね!」
   と、冗談を言って大笑いしました。

   実に、あれから40年!
   冗談ではない現実がやってきました。
   
   夢にあふれている

   五月祭を今でも思い出します。

   医療のレベルが時代とともに進みました。

       父が「がんセンター」という言葉を
       しばしば口に出すようになりました。

       当時、がんセンターには市川平三郎先生や
       崎田先生という
       著名な先生方がいらっしゃいました。

   当時は卒業すると医師は医局に所属して、
   絶対の権力者であり
   実力者であり
   親父殿であった教授の愛の鞭を受けながら
   部下として所属し
  、自分で考える事を許されるまでは
   「ハイ」しかなかったという時代だったそうです。

   その時代に、医局をを飛び出してまで、
   指導を受けに多くの医師ががんセンターに研修に行ったのは
   なぜだったのでしょう!?

   当時としては劇的な
   「二重造影」という、
   胃の中にガスを入れて
   二次元の扁平だったⅩ線を
   立体に撮影するという斬新さが
   医学の世界の学生を魅了したようでした。

   母校の医局を離れてでも

   二重造影や、
   胃カメラを習いに来ていると
   ある(内科医師)は
   万感の思いで語りながら、申しました。

   がんセンターの技術が習得できて
   がんの初期のうちに見つけて患者さんを救えるなら

   「博士号」はいらない!、、、と。
   彼は熱っぽく語りました。

   今や「博士号」は
   博士号を与えた学校の方が誇りを大切に満足している
   権力の称号に変わっていったのでした。

   教授の後継者とか、教授の笠下で生きる医師にとっては
   研究歴を証明する大切な履歴書だという医師もおりました。
   博士号は、縦関係の強い公務員などの仕事に就く者にとっては
   必要不可欠な履歴証明である事は周知のとうりです。

   しかし、現実の病気と闘う医師たちにとって、
   博士号より、臨床の力を客観的に評価し、
   全日本の多くの実力者から、臨床力を証明された
   認定証や指導医師としての合格証明書の方が
   実践現場で必要な時代になってきました。
  

   医学部や医局や博士号が
   従来とは変わりつつあることを熱っぽく語ってくれました。

   博士号は習得した大学の称号であり、
   研究歴の証明にはなるが、
   大学評価が各大学によって雲泥の差があり、
   全日本的には
   臨床力の実力を証明するものではないそうです。



   博士号なるものの評価は
   元来が「取得した学校の出した称号」であり
   共通評価ではない以上
   日本中で皆が認めるレベルまで
   到達しているという証明ではないということです。

   実践の医学の力を評価されるものではない
   ということなのでしょうね!

   しかし、当時は
   一代センセーションとなった
   日本初の「心臓手術」は
   生命体の奥の深い、未開の部分を突き付けてきました。

   外科の
   繊細な技術と
   生化学や薬理分野や

   免疫学の博士たちとの

   綿密なコラボレーションが
   必要だったかも知れないと
   結果が医学にブレーキをかけた時代も思い出されます。

   しばらくの間、
   日本は移植手術に踏み切る
   大学病院がありませんでしたよね?

   東大の基礎の学者コースにいる大学院生に
   いろいろインタビューしてみました。

   結論は、患者さんと付き合う暇があったら、
   生命の不思議に迫りたい。
   僕は僕の「なぜなんだろう?」という
   自分の疑問と一生付き合ってゆくつもりだ。

   毎日患者さんがやってきて
   診療する人生は僕には耐えられないほど、
   自分がイナイ、、、。

??????????????
   私にはよく解らない答えが返ってきたことを
   最近になって、ふと、思い出すのです。

   自分に生きる、、、ってこと?
   「俺様の、生きてる実感の瞬間が最高」?って事?

   基礎医学者は、
   ほとんどが、
   先生や教授や学長に選ばれてゆくので
   権力は得られるが

   下手をすると
   学問は日進月歩の世界なので
   機械の方が論文の結果を1日で出してしまうので
   「何もしなかった実験者」になることがある。

   「なんか?やってたつもりの人生」になったら困るよね!

   大学院生は遠くを見つめて、
   自分を嘲笑するかのように
   目をそらせて笑ったのが印象的だった。

   これからは、臨床医は
   「実力評価の時代」であるからして、

   がんセンターで研修して
   実際に、
   初期の癌を見つけて、
   患者さんを救えるかどうかが大切である。

   がんセンターはすでに斬新な医学の最先端であり
   CTの開発を始めていた。

   やがて、二重造影の時代はCTやラセンCTの時代になってきた。

   難攻不落の「肺がん」も初期のそのまた初期の影とらえる
   すごい時代に入った。

  
   ラセンCTやCT,MRI 超音波、ペット等
   医師の艱難辛苦を乗り越えた画像診断力と、
   医師が望む画像を映し出すべく努力を惜しまなかった
   日本の東芝や、島津や技術提供の多くの会社の技師土地の
   「夢を追い続ける超人的な努力のコラボレーションを
   日本の国は応援したからではないでしょうか?!」

  日本の国の誰が理解者だったのか?!
  国立がんセンターの物語は、
  単行本になっているので、超スピードで

  世界のがんセンターになっていった歴史が
  私ごとき「ばあちゃん」にも
  わくわくしながら、読みふけることができた。  

  病気を「三国志」の物語に重ねたり、
  軍師を医者に重ねたりしながら読みふけると面白い。

  がんセンターの
  若き医師が「CTを撮らしてください」と、
  頼み込むシーンには、
  読み終わってから涙が出てくる。

  忙しいからと、なかなか協力しない医師たち

  知らないということ 
  理解していないということ
  解らないという事は

  時には残酷な仕打ちを知らないでしてしまうのだと思った。

  「若き夢追う医師」は
  「患者さんに痛みを感じさせないで診療したい!」
   「がんは初期だと治る率が高いので、
    なんとか、初期のうちに発見したい!」

  

   家族団らんのとき
   築地に「がんセンターが出来たよね!、、、」
   若くして死んだ外科医の父が

  現在のがんセンターを訪問したら何と言うだろう!
  X線で潰瘍の出来ていた両手で
  唇を震わして、
  言葉の出ない様子を想像したりする。

  
   父が死んだあと、

       二重造影で
       胃の中が立体に見えるレントゲンフィルムを
       感動して眺めていたのは
       内科医の兄でした。

       父が言っていた「がんセンター」に
       兄と私は見学に行きました。

       当時としてはびっくりの
       回転するレントゲンを
       目をマン丸くして見つめました。

       やがて、
       オリンパスの社長さんと出会いました。

       胃カメラを造っていた「オリンパス」の
       会社のトップの人たちと話すことが多くなりました。

      「カメラの首が回るのを開発できないでしょうか?」
       「もっと細くて、しなやかで円のように
        曲がるものが出来ないものでしょうか?」

    あるご縁があって
   「社長さんが自宅に見えられました。」

    兄は両手で
    胃の形を作り、

    「胃カメラを大きく曲げられないか?」
    又、
    「回転することによって
    胃カメラを動かさなくてもカメラの回転で
    胃内を取れないか?
    胃カメラの先に
    病理の為の組織を取るものを付けられないか?」

    などと、社長さんと、喧々諤々
    アイデアを話し合っていました。

    数時間に及ぶ団らんの話は
    私ごとき者は口をはさめる話題ではありませんでした。

    兄の胃カメラの購入は
   、留まる事のないテーマのように
    新しく出ると買うのでした。

    コンピュータのCPUの変わるごとに
    買い換える現在の若者とおんなじでした。

    当時。胃カメラの請求書には
    70万~150万の数字が
    私を圧倒しました。

    普通のサラリーマンが
    月給3万円ぐらいの時ですから、、、。

    収入の15割を胃カメラにつぎ込んで
    いつも、よれよれの背広を着ていました。

    内視鏡室には道場の竹刀のように、
    何本も太さや長さの異なる胃カメラが並び、

    崎田先生から、
    指導医を許されたころ、

    胃カメラ室の電圧とイオンの動きまで把握するほど
    でした。
    
    
    胃カメラは
    医療において無くてはならない時代になっていました。

    その胃カメラも、
    3次元の螺旋CTの出現で
    大きく役割が変わってきたと思います。

    実に、
    政府が理解を示した時代のことで
    日本の医療を
    世界の医療たらしめた築地の物語が
    三国志と重なって
    面白く読めるのです。

    出来てしまった手遅れ癌を
    眠る暇もなく切除する外科医の
    空しい努力も救われて、

    患者さんの癌の早期発見により
    「若き夢を追い続けた医師、CTにこだわり、
    画像にこだわった医師と技術人」の夢は

    現実になり

    彼らが言っていた「痛みのない治療」が
    手遅れにならない治療が
    検査によって実現する時代が来たのですね。


   「夢追う若き医師たちの姿を

医療問題として北海道の地域医療を考えてみよう

2008-11-12 14:11:36 | Weblog
     四十年も前のことです、

猫も杓子も
東京大学を目指して
受験地獄が
青年の心を「夢」と「絶望」の二色に別けました。

今の時代なら考えられない
高度成長期の頭脳が、
東大に、京大に、阪大に、、、
第一期国立大学へと受験生を向かわせました。

しかし、
ノーベル賞を獲得したのは京大でした。

湯川秀樹博士です。

この日から、知人に「秀樹」という名前が増えました。

現在のノーベル賞は
名古屋大学と、
文学者や、
民間の会社社員、

時代は大学格差もなくなりました。

その中で、
「名誉や栄光の為だけではない,,,

青年達が
夢に憧れて
 オリジナルな生き方を
ユニークな
国際感覚で生きる時代に突入しました。」

時代は「目指せ大学」ではなくて、
自分達の
「やりたいことを果たすのに必要」な
「指導教授」が居ることや
カリキュラムが押し付けでなく
ゼミが充実している事、
卒業してから出口がいろいろあること。

学生達はネットで調べ、
自主的に
各々の進路の為の大学を
検索する時代となりました。

同級生で、
医学部を受けた友人がいました。
公立の医学部を受かったのに、
北大の他の学部に入学しました。


高校の同級生も2人北大に合格して、
エルムの学園から卒業後は東京に帰郷して

東京だけで大人になった者には無いだろう!、、、と思われる
「北海道の空気」を持ち帰り、
東京の真ん中で
会社のリーダーとして
研究成果を残しているのが、
ネットで見ることができます。

ガンマーナイフがまだないころ、
彼は、
「人体のたんぱく質」に興味がある。
DNAの
「螺旋蛋白」を好きなところでカット出来たらな!
「高分子」が人体を造り、性格や、能力をつくる。

自分の夢は
「医師になって地域に閉じ込められてしまっては実現できない!」

化学部で同じ時間を部室で過ごしながら、
高分子を選択できるのは北大と、、、東北大?・・とか・・・、
いくつかの大学を口走っていながら、
近くの医学部も受験しました。

しかし、
北大にAランクで入りながら、
Aでなくても行ける
「高分子学科」に進み、大学院まで、、、そして研究所へ」
一貫して自分のやりたい事に進んでゆきました。

今、
「北海道の地域医療の為の医師」を確保したいと考えるなら、

地域医療に興味があって、
地域に籠ることが、すなわち、
「その医師」の「ビジョンに向かって生きている」という条件が
必要ではないでしょうか?

その地域の風土病や、食生活からくる病気など、
本格的に研究できる施設が併設されていて、
「本人が研究することで、
『博士号』がとれる条件の地域にしてはいかがでしょうか!?」

若き日に、東大に勤めていたころ、
著名な学術書を残されている臨床教授の医局員が
薬理や生化学の実験をしに、よくいらっしゃいました。

臨床と、基礎の実験室はその頃から
「コラボレーション」していました。

又、私のような、
私立の薬学部を卒業した実験助手が、
一手に実験方法や
データーの作成のための実験を任されていました。
大学からは、
図書館や、施設を使える赤いカードを下さいました。
図書館で外国の文献から、実験方法を調べ、
大学に実験器具を申請すると
注文のオリジナルな実験器具を創って配賦してもらえました。


今のような機器分析の機械がなく、
緻密な手技を持った薬剤師が
卒業時に
母校の教授によって
薬理学部に籍のあった生徒の中から、
職業として紹介されて勤務しました。、
公務員の技官として、自主性を持って
お忙しい先生方の
実験データーを作成していました。

高度成長を遂げる以前は、
大学の数も少なく

地域の医科大学が
地域の僻地の医療を担っていたようでした。

しかし現在、
北海道の僻地で臨床だけに従事し、
実験の機会も、勉強の機会もなく、
ひたすら「マルチタレント」並みの
僻地の医師をするでしょうか?

軍医だった父は
戦争で
自宅も爆撃され
オーナー院長をしていた病院も失い、
母が最後まで持っていた
「手術用の鋏み」だけが光っていました。

   *******

復活のために、
疎開先の僻地医療に、
従事しました。

神様のように慕われ
相談され、
大切にされました、、、が。

子供の教育のために
渾身の力を振り絞って、
鮭のように、
生まれ故郷の東京に帰郷したのです。

「子供の教育」のために、、、。

そして、忙しすぎる夜、
手術を執刀した後、
患者さんの麻酔が覚めるまで仮眠すると、、、

54歳の冬、
あと3か月で55歳の父は
仮眠しながら永眠してしまいました。

地域医療の大変さを見て育った私達兄弟は
父の命がけの死の行軍のおかげで、
再び、
高等教育を受けられ、
大学まで卒業しました。

  ***

「道民の為の医学校」「道民の為の病院」は、
地域のスタッフだけで創ろうと、、、
考えがちですよね!、

  ***

医師になる知能クラスの人々の考えは、

「そこに習得るインタナショナルな魅力がないと行かない!ということです。」

日本中から、
医師になりたい学生がやってくる北海道にするためには、

「全日本に通用するパイプがある大学」と
病院がコラボレーションしている事が
「北海道に住みつく魅力の一つ」ではないでしょうか?

道内の学生が
道内の医科大学を卒業して、
本州や、
外国の大学に研修を希望して出ていっても、

再び道内に戻りたくなる「魅力」「力」「パイプ」が必要です。
学生の夢を実現できる
「大きな懐を持つ」ことだと思います。

地域の国立のパイプ、
公立のパイプ
これらが「コラボレーション」しないと、
自立した良い学生は
きっと
「『やりたい事の夢の叶う病院』へ行ってしまうと思います。」

医師を増やしても
地域の公立で、
鎖国のようなシステムにされては
研修の時代に、
他の、
懐の広い大学へ行ってしまいます。

医師を養成する経済的負担だけが
地域にかかり、
出来あがった医学部卒業生は
本州や外国へ行ってしまい、

僻地はやっぱり空っぽという事に
なりかねません。

医療評価の高い病院、
開かれたガラス張りの
人事の病院、

地域に閉じ込められないこと。

病院の艱難辛苦を乗り越えた、
創世記からの医師が、生甲斐を持って
誇りを持って、
医師として、「やる気」のおきる人事が大切です。

北海道は長い間本州の援助を受けてきました。
依存体質が旺盛であった歴史があります。、

せっかく、
日本全国に名前が知られ、
国際的にも通じる病院に育っても、

医師の卒業経歴が
「ローカル色」一色になると、
本州からの頭脳の考えの多様な医師が
閉塞感を持ってしまい、
北海道に必要であり、
「北海道の公立には無い能力」を失う事になりませんか?

本州の大学では、
2年ほどの差別待遇の結果の
修士や博士というのが
40年前は珍しくありませんでした。

昔は大学格差が露骨にありました。

当時、、、
もう時効ですのでお話できますが、


T大学では、わかるだけでも、
Q大、K大、Y医大。医科歯科、、、
N医科大学、、、
G大医学部から
研修生がいらしていました。

廊下では外人の先生が見学に来て、
行ったり来たりしていました。

有名なT講師の先生が
世間で受け入れられていた時代でした。

大学内では、ユニークな先生でした。
50歳を過ぎた助手の先生もいました。


北海道の単科医科大学からも
夢多き先生が実験室に来ていました。

4年在籍しても
修士の称号さえ許されず、
数の少ない
実験用の双眼鏡も
順番待ちでした。

5年目の途中、
北海道に帰られた
さびしい結果でした。

道内医大の先生も、
今なら、
あのような待遇は受けないですんだと
思いました。

T大学の研究で、
忍耐の研究生活の結果
博士号を許された
二期校医学部の大学の先生は

その後、
母校の教授になられて活躍されました。

こうした大学間の格差は
今日でもあるのでしょうか?

「ばあちゃん」になった私には
わかり兼ねます。

しかし、
地域の公立医大と、
道の政治家とが、
「こじんまりした地域の優先人事」で、
地域の医療を担当する医師の人事を
考えたと仮定するなら、

医師という
「自己実現を夢見るまっしぐらな性格の人」を

「将棋の駒」のように配置するという
無茶苦茶な考えに思えます。

時代は、IT革命により、
情勢は3次元のデーターで読み取れます。

自ら「檻に這入る医師」は
いないのではないでしょうか、、、。


自らの夢と希望の実現できる
開かれたシステムの
未来ある人脈と、
パイプを駆使できる環境に、魅惑され
切磋琢磨を目的に
医師は集まるのではないでしょうか?

御金でも、名誉でも、栄光でも、
動かないのが医師という人々のような気がしています。

「ボーイズ ビ アンビシャス!」ではないでしょうか?

孫たちの時代、
大志を持って、
地域医療に人生をかけれる医師が、
地域では総合力で不便な「子供の教育」や、
研究も、勉強も恵まれない地域で
50歳からは体力だけが頼りとなっては
医師は「使い捨ての悲哀を受けます。」

路頭に迷わないシステムを
命とともに「良い医療を続けられるシステムを!」
地域に医者を送り込むのではなく、
そこに「医師の求める何かがある!」
終世、置き去りにならないシステムを
考えていただきたいものです。

英断を持って、
駆使する知事さんが、、、いますよね。

すごい、、、美しくって、
魅力的な、お母さんなのに、、、知事さんです。

しかも本州の大学を出ていらっしゃいますから、

地域一色になることが
時には、
墓穴を掘る医療破壊が起きるという
危険があると思いました。


地域偏重のあまり

人事を捻じ曲げてしまう事も、、、。
功労者を大切にする人事が
「150パーセントのやる気を医師から引き出せる待遇だと思います。」
医師の「やる気」こそ、
少ない医師を補う唯一のエネルギーとおもいませんか?

80歳や90歳のお年寄りは
60歳の医師の方が安心という、
「医師と患者の信頼感」という
「心の絆」があったりします。

現場の医師のチームワークは、
長い間の、相性などからも、
どの先生の患者さんというつながりが
病院の底力だったりします。


政治と権力が先行すると
「現場を度外視した人事」がなされます。

鎖国のように
「世界からの、中央からの置き去りのリスク」があるという事も
感じていらっしゃるのではないでしょうか?

本州と、世界とコラボレーションする人事。
現場からの「地に足のついた人事」

すべては「人」が大切と思います。

歴史の浅い北海道は
長い間、、、植民地のように
補助金やサポートが続きました。

台の上に立っている事を自覚出来ないまま
それが「実力」と思うのも無理はないと歴史は頷くでしょう。

しかし、
プライマリーケアの出来る医師だった私の父の時代
医師は時代と政治に翻弄され過労でした。

「患者さま」という勘違いもここまで来てしまった
患者意識のなせる「訴訟」ラッシュ。
果ては21条のなせる「逮捕!」

医療を現場で理解しない政治は「医療破壊」を招きます。

医師は専門化!、、、

訴訟など、
味方から背後から撃たれてしまうような
「患者様!?の意識の勘違い」は、
小児科も産科も困惑!。
「感謝の代わりに医療費不払い!」

眠る暇のない若い時代、
束の間の時間を
睡眠に充てたくてタクシー移動。
報酬はタクシー代になる激務の研修。

これらをクリヤーしてきた医師を、
政治や地域や自治体で
都合のよい人事を推進しても
専門化した学者の魂を持っている医師たちは、
「自己実現できる環境を求めて去って行きます。」

一度「破壊された「医療現場は二度と戻らない」

「ガストロカメラ」をしますから、
あちらでお待ちください。

老人の患者様はUターンして質問した。
「ガス」も「カメラ」も解るんじゃが、、、
「まん中の『トロ』が解らんのじゃョ?」

医学は「説明が難しい、、、」
うっかり日常の医学用語が出てしまって、、、、(^^!

医師は苦笑いをして「患者さん」に
長々と「胃カメラ」の事を話し始めました。
患者さんが「解りました。」と言うまで、、根気よく。

地域医療の忍耐は体力、気力、忍耐力、寛容。
そして、、、日新月歩の医学の進歩から
ズルズルと置き去られてゆく。

50を過ぎて、医学の進歩から
置き去られた医師を想像してみてください。

地域医療の医師不足は
「数を増やせば解決できるとは思えないのです。」




オールマイティの人はいないのだから、、、

2008-11-12 02:29:04 | Weblog
      日本の政治家の人気はどのようにして決まってるのでしょうね?

  私たち、町内会やPTAで上手に付き合える人は沢山います。
  学校の先生や、ちょっとしたインテリと付き合える人も結構います。

  大学は私立の総合大学校でしたので、社長さんやお金持ちや
  リゾート、別荘族の家柄の方も多く、学生という身分は便利でした。
  良く、誘われては、グループで社会勉強とばかり、なんにでも
  参加しました。

  しかし、同じ所で、同じように参加しているように見えても、
  オーナーは、皆には気がつかないパワーで、親兄弟、すべてを
  動かしてもてなしてくださり
  私たちのような、クラスメートに、ステータスという
  
  越すに越えられないガラスのハードルを感じさせないような
  洗練されたマナーで、「良い時間を提供」してくれました。

  麻生総理大臣は、確かに、、、
  私たち庶民とはお育ちが違っていると思いました。

  庶民になる必要もないと思いました。
  ハードルの向こう側の方々と対等以上にお付き合いできる人は
  日本の国際政治にとって必要でしょう。

  無理無理庶民にまぜこぜにして、足を引っ張らなくても、
  庶民には出来ない外交をなさると期待しています。

  日本人は嫉妬深く、何でも秀でた人を足引っ張りするする傾向が
  昔からあります。

  鳩山薫子さんとか、麻生さんとか、吉田茂さんを引っ張り降ろそうと
  人気投票で価値を決めるのは、どうかと思います。

  パワーにはパワーのある方を外交に向けないと、本当の政治は
  できないのではないでしょうか?

  癖が強烈ですが、石原真太郎さんも、永遠に年をとらないタイプでしょう。
  あんなに、足が長く、魅力的な裕次郎さんが、人気最高でも、
  政治にはおよそ向かないのと、おんなじでしょう。

  数十日で、麻生さんの人気がどうにかなるような、世論自体が、
  がんばる人、努力する人、が損ばかりする依存体質なのでは?

  立派なお育ちの、人の出来ない、VIPとのお付き合いが天然に
  おできになる、お人柄のお育ちを、麻生さんのユニークな
  稀にしかない能力ととらえて、政治のオリンピックで、
  優勝させるように
  サポートの偉大な日本を信じています。
  ダイヤはガラスケースの中で世界の首脳のため息を奪えば、あとは
  サポートが日本の庶民性を発揮して、
  「世界のVIPにみとめられて、庶民も幸せへの扉が開かれるのと
  違いますか?

  日本は小さい国です。
  能力、ポテンシャルエネルギー、技術、学術、知的財産を
  サポートできる、これらの取り扱い主任が必要です。

  事務に50人居ても、院長に秘書がいない日本の
  大きな病院の例もあります。

  奥さんが、薬剤師の能力で、努めないで、ひたすら、自宅で
  院長が「医師の仕事だけに没頭できるように」サポートするため

  雑用で埋まった人生を、阿修羅のように頑張っているのが
  日本の一部の病院事情です。

  自宅での雑用は、秘書がするレベルのものも多くあり、
  完全な無給の雑役秘書が自宅で頑張らないと、成りません。

  日本の病院は、政治とおんなじで、
  努力する者が「お人好し」という成行きに巻き込まれます。

  麻生さんのような特殊なポテンシャルの首相を
  生かせない日本は、マスコミに翻弄されているとしか思えないのです。

  戦後のどさくさの、本当にひどい時代を、
  「記者に」「馬鹿野郎、、」と水をかけてまで、
  日本を復活の方向に引っ張ってくれた吉田首相の事を、
  日本人として、誇りに思っています。

  吉田首相のゆかりの麻生さんを、マスコミの人気投票などで
  ぐちゃぐちゃにする日本人は、平和ボケだと思います。

  これからも、戦争のない時代を世界と手をつないで創ってゆく
  麻生さんを、能力限界まで、サポートしてからでも、
  人気投票はおそくないのではないでしょうか?

  マスコミが動かす政治になってしまっては、虚数の世界に
  翻弄されるのではありませんか?
  

アメリカンドリーム、、、夢ではないオバマ大統領!

2008-11-07 10:22:02 | Weblog
      黒人の遺伝子の優秀性を
      目の当たりに見るようです。

彼らは叫んでいました。
スポーツだけじゃない!
がんばれば「大統領になれるんだ!」、、、と。

   アメリカに奴隷として無理やり連れてこられた歴史を
   知らない人はいませんよね。

   人間としてすごいハンデを背負わされた出発ですよね。

   これだけの歴史を跳ね返して『ビションを貫いた「人間」。』

   「ベンハー」のチャールトンヘストンを見ているようです。
   白人にも宇宙につなげる頭脳の持ち主も多いと思いますが、

   あの若さで、
   アメリカの選挙方法に従って大陸を飛び回り
   日夜演説する
   「不滅のパワー」はどこから出てきたのかと思います。

   
   さまざまな国の、
   多くの人種の寄り集まったアメリカ。
   黒人のパーセントは
   ドイツ人よりも少ない。

   人間として支持されなければ、
   黒人だけの支持では、
   勝利はあり得なかった。

   ヒットラーのようなドイツ人ばかりではないという
   アメリカのドイツ人の勝利でもありますよね。

   ドイツ人も「アパルトヘイト」を乗り越えたという
   地球が皆、兄弟家族にになれるという嚆矢ですよね!!!?

   そうでしょう!!!?

   日本人も「小浜」さん、小浜地区はいち早く応援を始めていた。

  一部の 白人の率いる
   「資本主義と戦争のシーソー」の関係は、

   「戦争の続いたアメリカ」に変革を導いたのかもしれない。

   これから、
   「地球の平穏と平和と、
    人種を越えて、協力してゆく
    世界の平和への扉が
    開かれたのかも知れません。」

   アフリカの血をしっかりと持つ

   オバマ大統領は

   きっと、!!!!!
   「アフリカの素晴らしい自然」を
    壊さないで、
   近代化を実現してゆくサポートをされるでしょうね!

   「アフリカの父」になったら、素晴らしいですね。

    「アフリカとアメリカ」から,
    地球の平和、自然との共存、

    そして、、、、、、

    神の域に足を踏み入れない「科学」の発展。

   「戦争支配の行き着いた「地球破壊」を
    未然に食い止める。、、、、

   ちょうど良い、
   地球の文化と
   地球の空気を
   汚さない政治!。

   もう!
   武器は持たないで、
   世界はオリンピック精神で、
   感動と、平穏と、肉体を鍛えて、
   地球の命の一部としての

   「地球生命の数ある生命の一部」の
   「たまたま頭脳明晰な生命体の人間」としての

   役割を果たし
   丸ごと
   「地球の地域の特性」と
   「自然」を生かしながら、、、というより
   「自然を破壊」しないで

   「相互尊重」の思いやり精神で
   文化でつなげていってほしいものです。

   「人間尊重」だけではなく「宇宙尊重」まで、、、到達したい。

    期待していいのですよね!?
    「オバマ大統領」は
   「地球から戦争をなくす指導者」であることを。

   一本の木を切り倒したら、
   一本の苗を植えて、
   太陽の「蓄電池」のように、

    地球を減らないエネルギーで満たしてください。

    「戦争で獲得する資本主義」は、
    「地球の限界」が見える以上、

    破壊と、汚染と、自滅への
   「欲張り精神」と同じ結果になります。

   宗教による戦争は、
   「人種を乗り越えたオバマ大統領」の
   運命の一言で、
   「この世から戦争をなくしてください。」

   世界中が我が国家のように家族になれたら
    どんなに平和な地球になるでしょうか!

   太平洋戦争、イラク戦争、パレスチナ、中東戦争、、など
    世界で勃発している暴力をなくしてください。、
   「戦争貧乏」は罪悪です。
    「戦争貧乏」は物質、精神、安穏、感動、生命の尊重を亡くします。

   PC業界の商業戦争のあおりも民間は被害者です。
   なけなしの貯金で買ったPCは半年で時代遅れです。

   オリンパスのデジカメは
   スマートメディアだけが生産中止となりました。
   立派なカメラは、ピカピカのまま、ゴミとなりました。

   必要にして充分な生産と、
   CPUをどんどん進めて
   PCをどんどん買い変えさせる精神は
   戦争をあおるような精神を若者に植え付けます。

   社会そのものの「自由競争」に
   「無駄の出ない」

   ガラス張りのトータル管理ができないもののだろうか?

   「エコライフ」をベースに、
   「エチケット規則」を導入してください。

   CPUもソフトも
   半年で買い替えのPC業界を
   なんとかしてください。

   若者がゲームに狂った青春を過ごさないように
   「虚数の青春」を
   地に足のついた
   実際の喜びに導いてください。

   「不必要な金属」で地球を
    ゴミだらけにしない政治を期待しています。
   
   戦争はその中でも一番不必要な金属で地球を汚染します。
   三人の男の子の孫の時代

   唯一の贈り物は
   戦争のない碧の地球です。
   
   

オバマ アメリカ大統領

2008-11-06 01:18:58 | Weblog
       アメリカを変える大統領の誕生!

   黒人差別や人種差別の歴史の続いたアメリカで
   すべての障害物を乗り越えて、ビジョンの実現に向かう
   若き大統領が誕生しました。

   白人と黒人の間に生まれた、運命のオバマ大統領!

   神と人間の間に生まれたイエスの再来でしょうか?
   戦争を反対していたオバマ大統領は、

   地球上皆、手を取り合ってゆく政治にむかうのでしょうか?

   この劇的な瞬間を見ながら、「愛」のある地球政治を願っています。

   皆、で協力して、安心してくつろげる地球にしてほしいと思います。

初雪

2008-11-05 02:40:32 | Weblog
       札幌に初雪らしき「雪が降りました。」

  雪囲いを済ませ、かじかんだ手をこすりながら、

  昼からは本屋さんに行きました。
  近所の本屋さんは、
      時代の波で閉店してしまいましたので、
  駅前のKIKOKUNIYAに通います。

  映画のDVDコーナーには
 
  「文化映画」の復刻版もあって、
  親しみやすい本屋さんです。

  孫へのプレゼントに
  「切り紙細工」の絵本、
  
  嫁さんには料理の本がいいかしら?

  2Fにあがると、
  専門書がある。
  ここで、あれこれめくっていると
  3時間ぐらいすぐに過ぎてしまう。

  最近は「医療破壊」という本が増えた。

  消える病院!

  命を落とす医師!

  さまよう患者と家族!
  外科医の七割が当直明けに手術!
  全国の7割が赤字経営!
  綱渡りの血搬送!
  
  銚子市立総合病院が閉鎖
  崩れだした地域医療

  690円でこれだけの見出しがついている。

  医療界の仕事を
  親の代から続けてきた環境にいるせいか、
  医師への嫉妬がある以上、
  会社や、自治体や、地域が病院を乗っ取り、
  医師を駒にして
  自分たちが「中国三人組の時代」のように
  権力を持ちたいのだろうか?

  だとしたら、、、
  実際に診療している医師の意思はどうなってゆくのだろう?
  いろいろな

  政治家が作り上げた決まりで動いてしまうから

  薬も値段にならない薬を
  自前で使わないと患者さんは治癒が遅れてしまう場合も出ているようです。

  こうなる前に
  マスコミに報道をよくよく注意してほしいと思った。

  こうなる前に、
  昼間きちんと診察を受けて
  夜中の時間外にに、
  38度の熱さましをとりに来たからと、
  病院の医師を叩き起すのはやめようと、、、思いやりを持ってほしい。

  個人差や、合併症や、免疫の強さや、遺伝子が一人一人違う人間!
  100パーセントの結果が約束できないのが医療!

  すぐに「訴訟」をして、
  医師の診療の「やる気をくじく行動」は
  患者さんの意識の改革が必要ですよね。

  病院にはお金がある!、、、勘違いですよね。

  先生はお金持ちのお嬢さんと
  結婚している場合もあります。

  初めっから、お金持ちのお嬢さんなのですから、
  医師の月給とは無関係に「セレブ」な女性も目立ちます。

  マスコミは、特殊な「少数セレブ」をスクープしては
  世の奥様方の不満と反感をあおりたて、
   視聴率を上げますよね、、、!

  これって、、、地味に、
  学術に月給の11割を使って
  医学の進歩に貢献してきた医師にも
  家族や夫人にも、
  身に覚えのない「嫉妬の矢」が飛んでくるのです。

  病院は、医師のほかに、
  看護師、栄養士、、、、臨床心理士、、、事務、、
  数え上げればきりがないほどの
  「多くのプロが助け合って運営」しています。

  医療にひたすら一生懸命の
  医師やコ、メディカル、事務、、

  しかし、最近は、操業20年、、、30年、、と
  軌道に乗った質の良い国際的に認められた病院や、
  全国的になの知れてきた病院を、
  会社が運営してゆく時代に入った。

  つまり、、、出来上がったころ、
  自分たちの都合のよいスタッフから
  運営権のある理事を選出し、
  医師の理事はあっても、コメディカルの理事は少ない、、とか。

      尽した医師が出てゆく記事、、、、(--!哀しい!。

  創立時代からしっかりと、病院に泊まり込んで
  患者様との信頼を造り上げ、病院を軌道に乗せたころ、、、

  会社が買い取り、営業面だけを考えた人事を始めるから大変である。
  普通の職業とは違うのは、
   命を対象にしているだけに、
  医師と医師との助け合いのネットが、
  しっかりとしていないと
  命が危険なとき、
  急場が間に合わない。

  買い取った会社のスタッフは文系大学卒業。
  上層部の考えは医師ではないから臨床の経験がない

  賢さと知識と、
  上役という権力と、
  バンカブルであるかどうか、
  60年といわれる会社の寿命の運営を
  病院に当てはめてくる。

  1990年代は

  ヨーロッパの病院は
  行き倒れの病人を
  教会が世話を始めたのが
  創業時代の歴史だったりする。

  500年の歴史のある病院も健在である。

  バンカブル一辺倒な
  会社や自治体の「インベーダーの指揮官」のような
  上役は存在していない。

  心ある人々が「人間の生きる権利を見つめている。」
  患者様の病気と
  一緒に戦っている医師の行動を尊重してきている
  500年以上の歴史の病院の中庭に立ちつくした。

  「産む機械」的発想で、
   病院を思うように動かそうとする。
   

  人間という「命」「心」「家族」「社会」、、、と
  多岐に絡まった複雑な医療!

  「命」対象をする仕事の医師たちにとって、
   選手をよく知る「原監督」に
  「交代」、、と言われれば納得もゆく。

  しかし、
  オーナーではあるが、
  選手の特徴も、医師たちの人脈も
  医学的にはとらえていない、
  病院運営のオーナーであるという「会社」の
  「文系の理論」

  買い取ると決めた病院に、
  数年前にインベーダーを
  病院職員として送り込み、
  トロイの木馬のように、内側から
  病院買い取りの兵を集めてゆく。

  病院発展に尽した
  古参の功労者や
  中心となって頑張った人たちは

  インベーダーが造り上げた、
  数年来の新しい兵によって
  いきなり、人事が交替する!!!!

   この雑誌によると、、、

  会社の人事のように、
  自分たちの都合に合わせ移動さしても
  自分の思うように
  病院を運転出来ないのはなぜでしょう!?

  これらの本を読んでいると、
  患者様の為に努力して
  医療を進歩させてきた医師やコ、メディカル。

  自分が病院で権力を揮える人事にして病院を乗っ取りたい経営者。

  この矛盾した利害のバランスをの均衡が傾くと、
  医師は、一瞬にして退職してしまっている。

  或いは、「やる気」を失い、未来に不安を持ち
  経営者が「激」を大声で言っても
  病院は左前になって消滅している記事が満載だ!!!!

  自治体や、会社は、権力が欲しい。

  しかし、
  「診療の責任」は「国家免許を持つ医師」が負う。

  税金は「勤務医の学術」という
  「診療のための頭脳の中の設備費」は控除しない。

  医学は日進月歩であるだけに、
  医療はいつも新しい。

  そのうえ、病院の赤字の時は
  「責任だけ院長に押し付ける。」

  つまり、、、「診療」と、「経済」の
   両方を院長に責任を負わせている。

  「患者さんを見れない」「運営のスタッフ」が
   人事権を握っているからたいへん!

   気にくわない人間はどんどん追い詰める。
   プライドをはぎとり、
   顔をつぶしていられなくする。

  この雑誌を見ていると
  背筋が寒くなってきました。

  病院は「健康」という、衣服の前に着る大切な「あなた自身です。」

   医療は「商売根性」や、「権力欲望心」では
   良い結果を出せないと思います。

   医療は奉仕の心だと思います。
   医師は「仕事にプライド」と「喜び」が持てれば
   元気百倍で結果も良いと思います。

   だから、、、患者様も、意識を変えて、
   「感謝の心」で医療を受けてはいかがでしょう、、?」
   「感謝の心」が、
   医師のがんばる気持ちと
   「一生けん命な治療」を
   精神的にサポートすると思います。
   
   この雑誌のような、医療破壊が、これ以上起きないように
   祈らずにはいられません。

   学者は学者のプライドがあり
   臨床家は臨床家としてのプライドが
   生きてゆく原動力と思います。

   お互いのジャンルを尊重して、お互いの
   生きる原動力である範疇を
    いかなる甘言に乗せられようとも
   侵略してしまっては、、、
   
   医師は集団で辞めてしまっているのが
   雑誌の記事の行間に読み取れました。

 「 医師の持てる力」を「あなたの為に!!!」
   充分発揮してもらうためには、

   創世記から頑張った医師たちの誇りを守り、

   新しく十年以上も後から入った医師を
   「素人から見た評価の高さ」で、
   いきなり古参医師の上役に持ってくるのは
   集団で移動してしまった医師を見送る記事のあるだけです。
   「雑誌もびっくりして」喚いているように思いいました。

   「素人から見た評価」というのは、肩書きに翻弄されます。
   医療に携わる者は、真実の力を見なければなりません。

   「博士」だったり、「教授、助教授、講師、」、
   という肩書が医療に素人の患者さんにとったら大切です。

   しかし、、、「博士号」というのは
   運転免許のように、
    日本のどこでも通用する評価がありません。

    博士号を取得した大学で認められた称号ですから、
   『「国内で同じ評価」で通用しない』という事を
     知っている人は少ない。

    東京大学に勤めていたころ

    各大学から研究に来ていた博士の先生が
    大学によっては、全く評価されない現実に
    世の中の「実力」評価の厳しさに
    ひや汗がでる思いでした。

   博士号は、
   博士号を取得した大学の免許のような、
   狭い範囲の評価です。
   極端な話、
、、
   イルカの病気の研究やカタツムリの生殖器官の研究でも
   取得できるのが医学博士号ですよね。

   患者さんが教科書!、、、という
   臨床家の評価とは一緒に評価できないのが
   博士号だと思いました。

   臨床家の教科書は患者様の病気であり、患者様全体でしょう?!

   教授といっても、臨床の教授と基礎医学の教授では
   大きく担当分野が異なります。

   患者さんを一切診察しないで、
   菌の研究をしていても、
   寄生虫の研究をしていても、教授になれます。

   臨床の分野での教授は「臨床の力に満ちています」。

   しかし、、、
   病院は患者様相手に、
   地域で20年以上も尽くしてきた
   信頼の絆の深い古参の医師を、
   正当に評価する目がありません。
   なぜなら
   人事担当は「出来上がった病院を運営するために
   病院を買い取ったの会社から来た文系の知識と権力の上司だからです。

   会社経営と、利益と、権力と、見せかけの官位のようなもので
    人事をかき混ぜてしまうと、
   本来の医療が受けられないという
   「病院破壊」につながります。

   病院を潰さないように、
    患者様の協力で、
   医師を酷使することをやめなければ、
    医師を増やせば良い、、、というものではなさそうです。

    美味しい夕飯は「妻の料理の腕」
   「美味しい料理を食べさせたい!」、、、
    愛と真実と好意とやる気です。

    「料理の道具」
    「アツアツの時に帰宅して食べる旦那!」

  患者さんの病気も、
  「医師が病気を治す協力を惜しまない信頼関係」が
  良い治療に導くと思います。
  
   医師を窮地に追い詰めないような、
   安定した医療社会を作らねば、
   
   政治家は優れた頭脳で知識と考えだけで
   医療改革や医療費削減を行うと、

   一番大切な
    国民の元気がなくなります。

   医療費削減は
   国民の元気を守る医師を脱力させます。
   21条も、国民の元気のもとの医師の元気を奪います。

   麻生さんの「国民を元気にする」言葉を信じています。

   国民の元気は健康から!
 

北大の銀杏並木

2008-11-03 21:58:43 | Weblog
  
         銀杏の樹は
         特別の樹。

         「生きた化石」といわれている程太古の命。

         まるで人間の男女のように
         雌雄異株で、レディファースト。

         「葉擦れる音」で「恋を語る樹」!

         中国から日本に帰化して多くの弟子に
         御経を伝えた御坊様の杖に根がついていて
         いつしか大きな銀杏の樹になったそうな、、、、!

         昔、本で読んだことがあった。
          
         他の植物には仲間がいるのに
         銀杏の樹には仲間の
         「属」も「科」も無いという。

             唯一の樹

     大学卒業して、偶然のことから
     東京大学に勤めた時
     銀杏並木の美しさに見とれた日が懐かしい。

     「東大の学生さんの校章」が銀杏の葉だった。

     「銀杏の葉が黄色くなる前には試験勉強を済ませた。」
      勤務先の実験室に遊びに来ていた学生さんが話していた。

    和歌山県の古座川町のお寺には巨大な銀杏の木がある。

     「ギンナン」がいっぱい落ちていたからオスなのだろう!
     しかし、
     この雄の銀杏の樹には大きな垂れ下ったオッパイガある。

     夕焼けの中で美しい女の人に見えるときもあった。

    お寺の和尚さんは
    「銀杏の樹」のお乳には、食べても食べても無くならない
     白いお団子がいっぱい入っていてな、、、
    子供たちの豊かさを見守ってるのじゃよ、、、。

     秋野日に、たった数時間で音をたてながら
     一斉に葉が散ってゆく
     南紀の銀杏の大木。

    小学校の時、
      和尚さん先生は教えてくれた
     「銀杏の樹」の「おっぱい」の話です。

     あれから55年も過ぎました。

****************************

    今日は「北海道大学」の銀杏並木を見にゆきました。
     
    さすがに歴史の新しい
    北海道の銀杏並木は
     まだまだ
   「巨木の銀杏の樹」が見られませんが

    「公孫樹」と言われるだけあって、
     ゆっくりと育つ銀杏は、
     青年のような若いしっかりと未来に向かう並木道です。

    並木道を金色の葉を踏みながら歩いていると

     『これから「銀杏の樹の下で」という映画をするというので
     ぜひ観ていってください。』

     中央ローンの中の講堂に入った。

     北大の学生だったころ、
     埋めた思い出のタイムカプセルを
     掘り起こしにやってきた老人が、
     すっかり新しくなった大学の校舎を見て茫然としている。

     50年前に埋めたタイムカプセルが見つからない。

     女子学生が一生懸命サポートしても
     「さびしい顔」である。

     そして、銀杏並木にさしかかった時、
     「昔と同じ景色だ、、、」と。

     笑顔になる、、、

     抒情詩のような映画であった。

     人間はたった100年に満たない人生を
     自分が主体でせせこましく生きている。

     悠々と千年を単位に輝きながら学生を励まし
     煌きながら、言葉を伝えてくる銀杏の並木。

     フランスには田中角栄首相の名前がついた
     ボケ防止の薬がありましたが、、、今もあるでしょうか?
     奥さんを亡くされて、、、ボケそうになったら
     銀杏並木を散歩しましょう!

     亡くなったあなたの恋しい人が
     銀杏の木になって
     ヒラヒラ、、、キラキラ、、、葉を煌く言葉に変えて
     あなたに囁くでしょう。
     「私は、、、ここにいます、、、。」

     北大のキャンパスの美しさは
     比類なき美しさだと伝えられています。

     結婚間もないころ、
     東京から母が来ました。

     「どんな処へ行きたい?」と聞いたら、
      迷わず言いました。


     「ボーイズ ビ アンビシャス」の「北大を案内してネ!」

     最近台風で折れたポプラ並木が、
     まだ北大のシンボルとして健全な頃

     母は北大のポプラ並木に感動していました。

     そして、銀杏並木にさしかかると
     銀杏は「長寿の象徴の樹よね、、、。」と

     葉を「しおり」にすると言って持ってつきました。

     母が亡くなって、母の一冊の本の間から

     一枚の「銀杏の葉のしおり」が見つかりました。

     太古から生き続ける
     銀杏の樹の見続けた
     何千年のドラマの中に
     母の「北海道大学の銀杏並木の思い出」が
     しおりになって、白髪の私に届けられました。

     「本州から嫁ぎし娘と母親の思い出の並木道。」

     銀杏の樹の下で、人間ドラマが繰り返されて、
     思い出がヒラヒラト翻る扇の舞。

     北海道大学の学生さんの成長を
     見つめ続けるだけではなくて

     銀杏並木とともに
     北大の歴史が
     札幌市民皆の思い出になっているのですね。
     
     今日もまた
     卒後50年の、妻を亡くした
     白髪の、
     もと学生さんが、
     銀杏の葉擦れの「言葉を聞きながら、、、」

     「お前、、、と此処で踊ったステップを、、、」

     ツン、、タッタ、、、ツン、、タッタ、、、。
     懐かしい思い出のダンスのステップを踏みながら
     いつしか心が軽やかに笑顔で歩いてゆきました。

    北海道の北大の銀杏並木は、、、
    本州生まれの私の思い出の道でもあるのです。
     
     

三国志演義

2008-11-02 17:32:34 | Weblog
        三国志の物語と三国志演義

若き日に三国志に夢中になっていた。
30年以上も前になるが
横山光輝の
大判の三国志の漫画が本屋に出たころは
むしろ
三国志演義の面白さの方に惹かれていた。

本当は曹操は悪人ではないのに

日本人は
「水戸黄門」の勧善懲悪に
スッキリするという民族のように思えるほど
私も例外ではない。

「三国志演義」を
映画化した
「レッドクリフ」は
最高に面白いと思う。
「三国志」の中でも
傑作だと思った。

三国志に惹かれて
成都の
「英雄」と、「軍師、」「スタッフの廟」に行った。

若き日の情熱が再現されて楽しかった。

世の中では
どんなに真面目に生きても
火の粉は降りかかってくる。

顔をつぶされることもある。

しかし
「正義」を貫き降伏しない心ある呉の王。!!!!!!!

軍師の決断!

諸葛孔明と琴の音色で心を伝える場面。

三国志は「レッドクリフ」によって
その面白さが若き人々に伝えられて
日本と中国はもっともっと友達が増え続けるだろう。

帰りに紀伊国屋の本棚で
「東洋経済」の雑誌に
「戦国時代の医療界」の事が出ていた。

医術に責任を持ち、
医療に責任を持って
真摯に医学を修め

一人一人が患者さんの病魔と全力に於いて
戦っているとき、、、、。



「草鞋を編んでくれている「経営陣」が
見守ってくれていたら、

病院の戦国時代はなかったかも知れない。

数々の病院が閉鎖してゆく「医療の戦国時代」!
草鞋の一本の藁は弱くて切れても
固まってしっかりと草鞋になると
引っ張っても切れない草履となる。

子供を背負って戦う小児科の医師と
映画のシーンが重なった。

アト、、、君は
三国志では大切な赤ちゃんである。

雑誌によると、
つぶれた病院の共通点は
医師に「医療の責任を負わせる」だけではなく、

「経営の責任」を背負わせ、

敵である「病魔」の強さを
「医師でない者たちが値段をつけている」
という意味に解釈される記事であった。

銃後で草鞋を編むサポートの事務系が
自分たちの利益のための人事権を持って介入したとき
均衡が破れて、

「赤壁の戦い」が始まっているという事だと思えた。
個々rが一つになって
民のために、
医師という病魔に向かってゆく軍団の
草鞋を編む大将が居たなら

日本の医療は守られると思ったりしながら
紀伊国屋を後にした。

「那智の滝」と「華厳の滝」の品格

2008-11-01 13:43:44 | Weblog
         
        那智の滝
        華厳の滝
          

        ナイアガラ
        ベルホールの滝
        イグアスの滝
        
        多くの滝が魂を引きつけます。

        水が高きよりひくきに行くとき
        すごいエネルギーが出ているのだろう!

        大きい滝
        ダイナミックな滝
        地球の大動脈のような星の命を魅せる滝

        滝には命の源のような『空の力が魂を奪う』

   東京の「真ん中」で生まれた生粋の江戸っ子の父
   慈恵会医科大学を卒業した父は「ロンドンっ子」のように
   ピチピチのタキシードでワルツを踊っていた。

   国立音楽大学のピアノ科を卒業した「関西っ子」の母は
    「滝の音」を聴きわけた。

    父と母の夫婦喧嘩は

    那智の滝と
    華厳の滝が

    どちらが日本一かということであった。

    喧嘩は朝まで続いていた。

   子供の私には可笑しかった。
   しかし、60を過ぎて人生を振り返る時期になると

   「品」のあるけんかだったと、、、思うのである。
   

グローバルな視野の麻生首相に期待

2008-11-01 04:56:31 | Weblog
     日本が侵略戦争に巻き込まれた時代、
     ほんの一部の人の
     野心のために
     世界戦争が始まりました。

     時代の流れとは申せ、
    「鎖国から目が覚めた日本人」は
     日本が生き残るためには、
     世界に認められてこそ生き残る!、、、気が付きました。

     明治生まれの私の祖父母家族は
     アメリカにわたりました。

     祖父の兄はカリフォルニアに
    「日本人街をつくる!」という
     インタナショナルな夢に人生をかけました。

     祖父は
     「明治20年代」に生まれました。

     3か月もかかって太平洋を船で渡り、
     アメリカの文化や農業や
     酪農を学び帰国しました。

     祖父の兄夫婦は戦争に巻き込まれ、
     祖母だけが強制的に帰国となり
     晩年は日本で暮らしました。

     祖父母のおかげで、
     電気蓄音機で「ダンス」を覚えたり、
     油絵具で描かれた「ゴールデンゲイトブリッジ」を
     真似て描いたり、
     ずいぶんと影響を受けました。
     
      「300年間」も、外国貿易や交流を規制した江戸時代は
      国内の独特の文化を栄えさせました。、、、

     しかし、、、

     「鎖国」は長い眠りだったように思えます。

     今、北海道は「オリンピック」「サミットを境に
     「国際都市となりました。」

     北海道が世界に知られて、
     ルスッツあたりも
     洞爺湖と同様
     国際色豊な発展を見せています。

     若者の感受性の中に、
     しっかりと「国」が動く時の
     すごい警備がインプットされたと思います。

     振り返れば
     日本はここまで来るのに
     いろいろありました。

     一部の軍部の侵略思想の人々によって
    、戦争に発展してしまいました。

     国民は、「赤紙一枚」で、
     国の兵隊として、
     死んでゆきました。
     
     召集され、生き残った者も
     「敗戦」と、

     「原子爆弾」、

     「マッカーサーの指導」など

     「鎖国の眠りのツケ」が一時に押し寄せました。

     徳川の天下が「300年」も続いた、、、、。開国のドラマが
     NHKの
     「篤姫」で放送されていますね。

     小さな日本の島国が

    「日本という地域だけの繁栄を考えて鎖国」

     「自分たちだけの世界」を創った。

    「徳川幕府」のもたらしたものは
     開国のための戦争!
     ザンギリ頭を叩いて文明を受け入れ、
     やっと、目覚めた!

     「世界情勢」も、
     「アメリカの資本の巨大さ」も
     計算に入れる視野もなく

     ひたすら、自国の「欲の僕」のように、
    「侵略と支配」の思想が
     戦争へと向かっていった!
   
     「俺、俺、日本、、、」
    自分たちがいかに世界から見て
     ローカルな考えであるか、、、
     いかに、思いあがっていた事か!

     戦争をおこしてみて、
      敗れてみて
     初めて知る、愚かさ!。

     戦争のあとは、住む場所もなく
     昨日までの糧もなくなった。

     
     敗戦後38度線を境に
    「北朝鮮は地域色一色に支配政治」

     差別は
     文化の発展も
     歪なものとなったようです。

     一部の人々の「権力の貪り」が、
     戦争を引き起こしたのです。

     多くの努力の結果
     やっと到達した、
     「世界的視野に発展する考え」を
     「地域に閉じ込める。」

     「俺だけしか見えなくなる盲点!」

     北海道もサミットを境に
     インタナショナルに発展してゆくでしょう。

     「俺、俺、地域のみの権力、支配欲」が、
     まかり間違えば

     国ごと、廃墟になるのです。

     「閉鎖した地域」だけで特殊に発展した
     元禄文化など、、、。

    「鎖国」は
     「国を造り上げた国民」は
     自己満足に盛り上がって居た。

     世界レベル、
     全日本レベルからは
    「眠り姫」となって、
     取り残されてゆくのです。

    気がついたときは、
    原子爆弾が落ちて、

    「刀も」、「ちょんまげ」も、「文化」も

      「ゲルニカの世界」へ抛り出されて、

    元凶となった、
    「支配者」は、
    それでも「俺、俺!」と
    地域繁栄を叫び続けたのです。

    自分のレベルを自覚しないで、
    戦犯となって、
    哀しい人生の幕を「孤独」に閉じるのです。

  **************

    麻生総理は、
    戦後のドサクサの、
    絶望の日本を救った
    「吉田首相」のゆかりの方でもあり、

    また

    外交を得意とされる、
    エリートでいらっしゃると、
    マスコミでも報じられていました。

    音楽も、絵画も、科学も学術も、文学も
    「ノーベル賞」クラスの日本が
    世界に羽ばたいています。

    「地域色一色で纏まってしまっては」

    「緩やかに相手にされなくなってしまうのです。」
     そうなってからでは、
     簡単に復活できるとは思えないのです。」

     視野を広く持って、
     二度と廃墟になった空しさを味わうことがないように
     戦争だけは回避せねばなりません。
     
     
+++++++++++++
    
    日本が「元気になるためには」
     また!
    北海道が元気になるためには、

    一部の利益や権力や支配に委ねないことではないでしょうか!