花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

真夜中のTVが面白い

2018-03-30 07:45:59 | Weblog

最近、

夜中の3時前には起床して、

もろもろの家事をしながらTVを観ている。

本日は赤道直下の

発展途上の国の生活ぶりを観ていた。

地球的には環境保持の宝物のような大木を伐採して、

家族を養う男性の仕事ぶりが放映されたり、

巨大な湖の生態系が、

壊滅状態寸前までの、

欲だけに生きる湖畔に

漁師たちの

明日のともしびが消えそうな、

無計画な

漁獲の映像とか、稚魚まで釣り上げてしまう文化の遅延だろうか?

総合的な政治の普及の待たれる思いであった。


コンクリジャングルになる前に

自然と共生して、豊かな心で生きることのできる

「高度な環境学」や、

人工放流のサポ―とがあれば、

今ならまだ、

湖を復活させられるのではと、思いながら、

貴重な映像を観ていた。

昼間のTVは、

映像が出ているのだから、

雰囲気や芸の力で、視聴者を引き付けてほしいと願う。



コマーシャルも、

ソフトバンクの犬のお父さんとか、

何十年も前のトリスのおじいさんとか

比布エレキバンの社長と樹木希林とか、

洗剤の効果を、しゃべくりではなくて

お皿キュキュの音で「お皿にしゃべらせたウイットのある宣伝。

今でも、記憶にありますよ。




、急に音量を大きくしたり、

押しつけがましいうるさいおしゃべりで繰り返す宣伝は

TVの映像の持つ力を使っていないとおもいませんか?

売らんかな売らんかな、、、の、、、しゃべりすぎの宣伝は

むしろ覚えていない。


Everest登頂成功の80歳のおじいさまと加山さんの宣伝は、さわやかですね。

海の若大将も、山の英雄も

健康が一番ですよね。

元気をいただいています。

3分間、、、地球を23回る光の力、

映像の力の前に立ちはだかる「しゃべくり、、、」、、、

もったいないですよね、、、哀しからずや、、、説明を説く画面。


宣伝は3分間のフイギャスケートだと思って、

舞台のしぐさを、

摩擦なく高速で行う芸術にすれば

おしゃべりで押し付けなくても、

胸から胸に突き刺さる面白さが、

いわゆる宣伝になるとおもいませんか?

早回しの

「おらはしんじまっただ~~~天国にいっただ~~

天国良いとこ~~~一度はおいで、、、

心憎いじゃありませんか?

人間はフト、、、

一度は死んだ後の世界の、、、

天国って、、所を、、

ミテみたいと、、、

誰しも一度や二度は考えるものでしょう?

天国良いとこ一度はおいで、、、


心憎いほど、、、心をとらえた、、、

この世の人間の声から逸脱した高音声!

早回しの音が、

ベストセラーになったでしょう?

非日常に、、、茶の間は、、、はっとするのよね。

コマーシャルタイムは、、、音が消えて

天使が通りがけに、、、やっと聞こえる声で

吹き出しに商品の画像が物言う方が心に残りますよね。

工夫して、声を大きくするというより、

ラジオじゃないんだから

視覚で、、、クスクス、、笑えるものとか???


とにかく、効能説得型より

視覚に印象付ける野がTVなんだと、

も一度、押しつけ宣伝や説明宣伝を、

貧乏な心はお金で幸せになると信じて、、、地球はビルだらけの都会になってゆく。

貧乏な心、、、それ自体、、、人間社会が作ってしまったのかもしれない。

「徳、、、より、、、欲張りな欲に走り寄る人間!」


シンデレラのかぼちゃが馬車になるような、

比喩で、

視聴者を圧倒させてみては、、、いかがでしょうね!

光を、、、もっと光を!!!

画面が「詩心」「笑いの奥義」「驚きの感動」「さわやかさの極致」、、、

    「不思議」「音楽とのイメージの相乗作用で曲を連想することが製品につながる、、、とか、、、。

視聴者の時間を、上から目線で押し付けタイムにしないでね。

ご招待時間に変えてくださいよね。

その方が、製品にも興味が湧くと思うのよね。

すてきじゃない?

句読点のような、、、コマーシャルが、

リラックスの中に、茶の間に微笑みかけて

虹の橋を見せるように

画面に色と、光の感性を振りまいて、、、包んでくれればと願っています。



書くべきか?、、、書かざるべきか?、、ビルマの竪琴、、、中井貴一さんの演じた水島。

2018-03-27 01:51:13 | Weblog



ビルマの竪琴の物語に出逢ったのは

小学校に入る前、、、

疎開地で、にわかに人口の増えた集落で

町立の医療施設に

父が、七か村、、無医村という

医療の激戦地区にいた頃でした。

蚊帳を張った障子の部屋で眠るときでした。

障子に庭木の影が映る、柱時計のある部屋で

いつものように、父が話してくれた物語が

「ビルマの竪琴」の話でした。

戦争のおきていた「富国強兵時代」生まれ

戦争に赤紙で参加して、

外国の戦場を体験した父の話してくれた「ビルマの竪琴」。

小学校に入学してからも、

疎開地の先生は、戦争がもたらしたものは

すべてにおいて「破壊でしかない、、、」と、言っていた。

目に見えるものすべて、、破壊してゆく。

目に見えない「人の心は、、、ゲルニカ。」

父が戦場の真っただ中に行ったのは

敗戦の一年前であったらしい。

それまでは、大陸の医師は、弾丸の傷や、刃物の傷や、

さらには、

切断された手足の治療が出来る医師が極めてまれなほど、

戦争の傷病兵には、

なすすべもなく、

炭などを傷口にこすりつけていた
現地の医療班を

西洋医学を学んだ父が
指導するはずだった。

しかし、、、野戦病院には、

薬も、包帯も、ガーゼもない状態だったという。

「先生、、、僕は助かりますか?、、家族が待っているのです、、。」

「大丈夫だよ、、、、」

しっかりと手を握ってあげることしかできなかった。

ホットした顔で、彼らは死んでいった。

戦場に行ったものでしかわからないだろうね、、、

「どうすることもできない傷病兵に、、、、お父さんの目には見えたんだよ、、、」

キリストが立っていた姿を、、、たしかに見えた。」

父の心には「祈りしか、、、なかったのかもしれない。」

人は究極の場面に出逢うと、

「祈り」の中で神様を知るのかもしれません。


敗戦のあと 疎開地は、にわかに銀座が出現した。

住民は3000人近くまで増えた。

日夜、寝る暇もない激務の診療と、手術、お産、整形外科の分野まで

戦場の医師を体験した父にとって、

「自分の力で何かをしてあげられることの、天への感謝で、働き続けた。」、、、と

戦争の悪魔の破壊を話してくれたものでした。

いろんな俳優さんが、どんなに演じても

戦場の破壊は伝えることがむつかしい。、、、

しかし、水島がビルマに残ったという、、、

一緒に帰れなかった、、、このことを通して、

戦争は、

救いようのない間違いであることが、、、

伝わってくる。


ビルマの竪琴、、、若い中井貴一さんの

筋肉のたくましくみなぎる健康体が、、、

オウムという、、、

真似でしかない鳴き声で

帰還してゆく日本兵と、

柵を隔てて、、、


「埴生の宿」が聞こえるシーンには


言葉が出ない。


戦前、戦中、戦後、

団塊の世代を

復活の時代の


日本人のたくましさと思えども、、



柵を隔てて、、

「埴生の宿」を聴くように、、、

原子爆弾の落ちた、

神様の居なくなった人類の世代を


「お金がないのは



首がないのと同じ」、、、と



一刀両断しないで、


人類の英知を超えた将棋の一手のような

存在のポテンシャルそのものの役割を

これからは、人工知能が予測していくだろう。


壊さなければならない

行き過ぎたデジタルの軸を

自然は淘汰してゆく

無限のバランス感覚は

実に、、神としか言いようのない、、悲しみの域だから。

「イマジン」、、、

国境さえ要らなくなるほど、、、

人間の業を乗り越えて、

役割に徹してゆきたいと、心がけてはいるが、、、。



戦争のない世界へ、

アナログと、デジタルと、

科学と愛と、

科学の果ての宗教に行き着く人もいるだろう。

人知を尽くして

人工知能も含めて

バランスをとるためにも、

世界中が円卓を囲んで、

自然の命の限界まで、

心とともに、

心身一如の、、、

100年に満たない人生を「幸せに過ごしたい。」

生まれてきたからには、、、

謙虚に、勤勉に、

生まれながらの役割に、全力で応じて、

自然の風化を待ちたいと思う歳になりました。

見守りをしないで、ルールをどうするか?

自分の国に合わせようとすると

戦争が起きてしまうことが、歴史が語る、

、、、一方的な進化に変えようとは、、、

無理があるようにも、、、今は思えます。

多くの「水島」が、、、、今なお

日本の中の「神としか呼びようのない、、、

目覚めた大きな、、祈りを抱えています。」






札幌の郊外の風物詩、、、雪割り

2018-03-26 00:17:35 | Weblog


久しくまぶしい太陽を見ていなかった。

朝の光がまぶしく、、、トンネルを抜けたときのように

季節が通り抜けていった。

日曜日はブランチの主人だが

9時に無理やり起こした。

庭の車庫の周りが雪山になって、、

まるで雪渓を登るときの

感触が残っているような音に惹かれて

主人に寝ぼけ眼のまま

庭を一回り歩いてもらった。

昼まで眠るつもりが、9時に起きて

ザラメの氷の音を踏みしめながら

サンサンと降り注ぐ春の日差しに

眠気も飛んで行ったらしい。

春の日差しは、まるで、、、

青春時代の若者に出会った時のように

まぶしい。

札幌郊外の、、、このあたりの家々は

路肩の雪山を崩して、道路の真ん中に散らかしてゆく。

50年近く、春になるとみられる

不思議な「風物詩」であるように思える。

道路に雪を散らばすと

早く融けて、春が早くやってくるのだろうか?

雪割をしながら、

黙々と雪を道路に投げるのである。

、、、私は、一度も雪割をしないで春を迎えた。

当たり前のように、、、

路肩の雪を道路に散らばす春の風物詩、、、

北国の、雪割の、、、春。







チャングムの誓い、、、最終回

2018-03-24 00:22:16 | Weblog


とうとう、、、年度が替わるように

チャングムの誓いも、、、最終回でした。

チャングムの娘さんが、素晴らしい子役ですね。

きっと、娘さんが「女医になるころは」

帝王切開も、王様の腸の病気も

治癒する時代が来てるでしょうね。

王宮を出て、医学の探求心に生きてゆく医女のチャングムには

医師としての「ヴィジョン」があって

人間の強さのような、男女で区別できない次元の

志を持っていて

観ていて、楽しい番組でしたね。

それにしても、、、、魅力のある女優さんが

韓国には多いですね。

「女のひと、、、」っていう、、、

日本の女性には少ない、心の故郷になれるような

感情を一途に生きれる女性が

チャングムの「面白さ」でもあったと思いましたね。



春の重たい雪、チャングムの放送観たさに掻きおわる(^^!

2018-03-16 13:06:39 | Weblog

早朝から、玄関のドアが雪を押しのけて、四分の一円を描くように、開いた、

道新さんは4時半には新聞を入れてくれる。

風邪も強いべた雪の中、、、新聞を取るのは気の毒かもしれないが、、、

新聞がない日は、何か物足りないので、ネットでも読むが、、、

新聞紙を広げる感触が、あさ!  朝!、、ほら!、、、もう、皆働いているよ~~と。

気合を入れてくれるのが、、、気分的に甦る若さのイケイケを取り戻せる。

本当は、今日の雪かきは、、、雪が重いので、一度は新聞を持って居間で躊躇した。

新しく越してきた方が、機械で道をあけてくれるモーターの音がする。

勢いが出てきて、私も今朝の多いべた雪の除雪を始めた。

早朝6時から、、、9時に一段落。

あとの半分は、溶けてもわだちにならないと、、、、思うよ。

9時25分の「チャングムの誓い」に間に合った。

年子の兄の嫁さんも、以前にも見て、高い、「ビデオ」も買って

入れあげ方はすごかった。

チャングムは、心がまっすぐなために、、、苦労が絶えない。

美人である。

若い、、、

画面も色とりどりの衣装を着た応急の女官が

美しい。

悪役で、煮ても焼いても食えないような。

「名誉と、一族の既成権力に支配されている」頭がよさそうで、

狭量な女性が、ひっかきまわすのが、結構ドラマの見せ場であったりして。


TV番組の中でも、かなり、人気が高いと思いました。

薬剤師としても、朝鮮の漢方薬や、東洋医学が垣間見れて、

奥深く味わうシーンも多い。

先日は「黄土湯」が必要になった女官に向かって

チャングムが、「真鍮の器に入れてね、、、」というくだりなんか

勉強にもなりました。

銀じゃないし、銅でもないし、、、錫でもない、、、のです。



ザクロ皮には「石細胞」が存在していて、顕微鏡下で判定する

滝戸先生の授業だった。

放課後、滝戸先生は、スタッフの山内先生らと実験室を見せてくれた。


「食塩で創ったレンズ」を使った機器分析を見学させてくださった。

四角いガラスのレンズかと思っていたら、、、食塩でできているとおっしゃられた。

舐めたかったが、、、誤差ができると申し訳ないので、、、

そのままお返しした。、、、忘れられない、

生薬と科学の出会いの印象が、、、

塩のレンズだった。


「正倉院の生薬を解明された、、、大判の本を出版なされているのが

学生たちが,、、啓蒙を受けた一冊でもありました。


木村雄四郎先生とは、

春日部の薬用植物園で、

薬の怖さも教えていただきました。

北海道に来てからは、、、

木島先生のゼミや、後援会を、後ろの席で聞いていました。

40歳を過ぎて、薬剤師に復帰したとき、

まず、

北大の薬学科の聴講生に在籍して、

ブランクを埋めることから必死でした。

九州大学の

、西岡先生のタンニンの研究は

北海道の漢方の医師の間でも知られていて

薬剤師と医師の合同の勉強会のとき、

西岡先生のタンニンの研究の話が出たものでした。



信州に実習に行ったとき主催者でいらした

上田先生は

ご高齢にもかかわらず、

ヤナギランのじゅうたんの続く入笠山あたりを、

お元気で引率してくださいました。

生薬学の最も充実していた時代に、

東南アジアの山野のみならず、黒竜江省あたりまで、

薬草で、現地の人々も名前を知っていた先生方に、

教えていただいた時代に生きていたという、、、

ラッキーに

自覚さえなく、

ほどほどの勉強で過ごしたことを

この年、、、74歳になろうとする老人になって、

もったいない、、、過ごし方を、、してしまったな~~~と。

つくづく、時の過行く速さを思い、、、振り返るのです。


漢方薬の素材となる生薬の鑑別を学ぶ機会がありました。


生薬のチームの一人が誘ってくださり

韓国の国際学会に

学生たちの中に交じって、

参加する機会がありました。


学会後の登山に参加しました。

彼の国の女性が、

とても美しく、奥ゆかしく、感動しました。


かって、日本の女性も、

「おんなのひと」だったのかもしれません。





チャングムが流刑されていた島にも行きました。


その島からは「対馬が見えました。」

次のチャンスに、

対馬の生薬探索の登山に参加しました、


季節良い、、夏の日でした、


対馬という、

ほどほどの高さの登山実習に参加するとき、

まさか、

難所のある山とは想像もしていなくて、

厚底の、スニカーで参加した。

10分も歩くと、、、

石、、、岩、、、盤岩、、、

鎖が付いているものの、、、スニカーでは足の裏が痛い、



靴の中敷きを持って行ったのが、

かろうじてセーフの岩登りだった。


途中、、、

「椿の原種」に出会ったことが、

感動した思い出でした。

その後、、運よく、、、



富士山の樹海の探索に、

北大の助手の先生のお導きで参加しました。


京都大学の生薬の先生が、

中国の四川省で見学した生薬市場の写真を

パネルとして、発表することを許可してくださり、

当時の生薬の値段が

北京で決められていたという

生薬原料の「等級別」の値段票を、、、

恐れ多くも、、、怖さ知らずで、、、

国際学会の、パネル部門に参加したのでした。


貴重な、、、

オール英語の、、、生薬の本を送ってくださり、

その緻密で難解な本を観て、、、

学問の深さは

きりがないと、、、悟ったのでした。



構造決定に

人生をかけた生薬学の先生の時代は

3次元の分析機械の出現で、

院生の一年生が、

一週間ぐらいで、構造決定できる時代になり、

人工頭脳の前には、、、

生薬学も、、、形を変えて、、、生きているのでしょうね。





チャングムの誓いの中で

最も興味が湧くのは、、、やはり

「医食同源」のドラマのシーンですね。



私自身、、、

支離滅裂の、、、まとまらない、尻切れトンボの、、、

人生に、何とも言えない、、、絶句。


薬剤師に復帰したことが、

束の間では、、、ありましたけど、、、

自分主体に時間を使えて幸せでした。


今、、、なお、、

世界の中の日本の女性は


「型にはめられてゆくのを、、、残念に思うのでした。」


パソコンのない時代だった今までは仕方がなかった。


日本の男性は、

家庭は女性の責任として切り離してゆく。


切り離された女性は

優勢順位に従って、、、

給料を交通整理する。



パシュートスケートではありませんが、

女性が、家庭を守りそこなうと、

チームはガタガタになります。



男が居場所を創るということは、、


既得権力のあるチャングムの王宮の中と、

同様だろうと推測する。

「相棒」というTV番組にもはまっているが、

女性の主婦の立場と相似形だと思いながら、

実績だけが、、、力である、、、

面白い番組だと、、、思う。



男社会は、第一に必要なのは、

組織に参加していて

評価があって、

出番が仕事として周りの認識があることが大切だと

「相棒」のTVから感じながら、、、

笑ってしまう。(^-^)


仲間の支持を得ることができた者のみに

居場所が与えられるのであるから、、、

大変であると思う。


実力もいる。

周りの認定も必要である。

いつも、職場第一に行動していないと、

チームのレギュラーから、外れてしまう。


家庭を振り返っていると、

居場所がなくなる。



日本の女性は、

結婚して、

子供を育て、

父親の存在という、、、「家庭という城」を任される。


気が付くと、、、70歳を超していた。

発表したかった、医薬の歴史の自作の年表も、

四大中医学院で見聞きした資料も、

リュックに担いで帰ってきた苔むした屋根の、、、

博物館らしきところの資料も

とうとう、、、自分が楽しんだ本として、

消えてゆく、


チャングムが、結婚して

、子供ができるのであるが、、、

その続きはどのような、、、結末だったのか、、、

忘れてしまった。



チャングムのように、、、

一途な強さがないことが、、、

日本の女性が、

型にはめられる原因かもしれないと、、、思ったりした。




今日は、、、重い雪なので

いつものように、、、

ラジオを携帯しないで外に出た。



力任せに雪を救っては、

投げる間の束の間に、



走馬灯のように過ぎた、

希望に満ちてた人生が、、、

思い出されて


雪かきを、、、

9時25分までに終わらせて、

今日も、、、チャングムの時間を、

楽しんだのでした。


チャングム!、、、頑張れ!!!








三寒四温の北国の春へ向かって、ラジオと過ごす

2018-03-13 10:56:32 | Weblog

道路状況のきわめて厳しい、

羊ケ丘のふもとの一軒家で








いつしか、、、40年以上が過ぎていった。

冬の半分は雪を掻いていた。


お気に入りの「パナソニックのNSB.AM RECEIBER R-39

DIGITAL SYNTHESIZER TUNER  の搭載された」短波も入る

雪かきの時には、胸ポケットで時間を忘れさせてくれた、親友以上の

友であった。

この、手のひらに乗る親友のおかげで、

漢方薬の短波放送や、

かけっぱなしのNHKの、英会話を来たりしながら

時には、今日の料理のヒントを得たり、、、

今どきの「スマホ」のような、携帯ラジオが離せなかった。

2年ほど前から、聴こえなくなって、

SONYのメイドインチャイナのNi-MHniに、取り換えた。

しかし、初恋のラジオのように、私の一部のようにはゆかず、

コンパクトなのに、、置き忘れてしまう。

壊れていたも、雪かきを一緒にしてくれた、、、パナちゃん。

修理で来たら、また、50年来のラジオの友達として

親友がいるという、リッチな冬を過ごせるんですが、

子供のころのように、器用な修理屋さんのいる店がなくなった。

大きな店では、最新のもっとスーパーな機能搭載を進められる。

私たちの年代は、日ごろ使う機能だけがあれば、十分であるという

ゆっくりズムな時間と過ごしたいものであるから。。。

ラジオが壊れてからは、雪かきも雑になってしまった。

ラジオをききながら、雪を掻いているときは、

城の石垣のように、美しくできていた、

今は、何度も観たけど、、、チャングムの誓い、、、の時間になると

TVを見るために、雪かきは挫折する。

老人の時代には、目に訴えるスマホや、タブレットより、

耳で聞きながら、自由に仕事のできる、携帯に便利な、

電池の長持ちするラジオか、充電式電池のラジオが

意外な「ヒット商品に」なるのではなかろうか?

ただし、親友になれるほど、繊細な音質や、操作が簡単で

日本人の感性のマキシムに工夫された、精密な設計でなければ、

親友にはなれないと思った。

軽すぎても、重すぎても、大きすぎても、小さすぎても、、、

親友のラジオにはならないということが、判明した。

SONYの、チャニナ製品を持ってみて、

役には立つが、、、長く聴いていられない、、、何かがあって、

私は、親友を、懐かしく、、、手のひらに乗せて、

長く付き合ってくれた感謝と、見慣れたぬくもりに

今は、さりげなく、支えられている。




3月の雪国道路

2018-03-08 11:22:53 | Weblog

どこかで梅の花が咲いてるでしょう、、、!

後楽園の梅も、香りを楽しむ人たちで、

きっとにぎわい始めているでしょうね

南国では、

花が空に向かって、

両手を挙げて 

はじけていることでしょう

北国の三月は

タイヤの跡が溝になたっまま、凍り付いた道路を

リュックを背負って、

転ばないように、

スパイク長靴で歩いています。

北海道に来るまでは

3月が、待ち遠しかった季節ですが、

三月は

冬将軍の、最後の兵法のように

足首を 立ち止まらせる戦場です。


スコップを持つことも、ごみを捨てることのない主人は

患者様のお肌に触れる、敏感な手を

手袋に包んで、、、眠る。


私の手は、、、
グローブのように節くれだっている。

主人にゴミ捨ても、

ダンボールタタミも、、、頼めない。

持ち込んでくる書物も、

天井に着くころ、

ダンボールに小分けして、
しまい込む。

北国の、、、
勤務医の奥さんになる場合、、、


マンションに住むことをお勧めしますよ。

羊が丘のふもとの一軒家は

夏は別荘地ですが、

一年間を通して、

鶏のように、家の番をする。



4月の終わりには、
冬物の手入れをして、
来年に備えて収納する。




大雪だけを考えて設計されているかのような

我が家は、収納は、一部屋だけにしかない。


枕カバー

座布団カバー

クッションカバー

衣装ケース、

ダンボール、、、

冬が終わるころには

冬の防寒服や、

マフラーや 靴下、手袋、

セーターに、エトセトラ、、えっとせとら、、、

電気毛布に、

電気絨毯

あちこち置き散らしたミニミニマット。。。
10枚以上、、

一体、、、この部屋は何なのですか?

物置にしては、、、クッションだらけ。

枕だらけ、ダンボールだらけ、、、

一室丸ごと、、、
冬物収容の足の踏み場もなくなる。


第二次世界大戦の始まったころ
生まれた主人は

日本全員
「我慢、、、我慢、、、」の時代の記憶がある。




自家用車は25年間乗っても、

セーターは毎年、、、あれこれ買っては

毎日違うものを着るのが、、、ご機嫌という


バス、地下鉄、JR、、歩き、、、と

いつも、乗り合わせる隣人からは

毎日、新しい人に見えてるかもしれない。



夏は、

主人のお気に入りの冬用コート、

冬は、

主人の買い散らかした夏物のお気に入り上着、、、

引き出しには、

学会に行くときの、
お気に入りの、下着がいっぱい詰まっている。

医局のみんなと、
アメリカの学会に参加した時に、

胸に、英語で、「ハーバード」などと書いてある

ワインレッドのシャツを

息子たちの分まで買ってきたのが、、、

引き出しを一つ埋めてある。

道内の私立大学に通っていた息子は、

お土産にもらったこのシャツを

「有難う、、お父さんらしいね、、」と言って、

持って行かなかった。

行き場のなくなった、ネッカチーフには

「メイド イン ジャパン」と英語のタグが付いている。


有難う、、、と言って受け取って、、、

シルクだと思って買ったというが

通気性のない、、、
化繊によくある、、、不自然な光沢!。、

マイアミの海の

サイケな色彩の模様がある、、、これ!

風呂敷にも使えない派手な、、、これ。

どう見ても、、、日本製には見えないが、、、?

タグには「made in japan]


国内の学会の帰りにも、
桐生のシルクだと、

お土産店のおばちゃんに進められて、、、

緑に金色の化繊の糸の

機械刺繍の帯を買ってきてくれた。

、家を空けて、4日も経てば

敷居が高い玄関の
踏み台にでも使えますが。

飾っておく、、、アトラクションの、、、帯でしょう!

重かったでしょう、、、
とうとう、、一度も使わないまましまってある。

戦前戦後、、、日本人、、、

全員貧乏家族の時代に育った主人は

バルブ時代の幕開けで、



にわかに、、、買えなかった物を買い集める。

最終的に、ごみ!、

見かけだけの良いものが、部屋をうずめていった。

しかし、、、

本人は、毎日違うセーターで

ストレス解消にはなっているのがよくわかる。


季節の終わりに、、、

テレビのコマーシャルタイムは

主人の冬物の「毛玉取り、、、の時間である、」






部屋中に、

スライド式の一間幅のドレサーが3本ある。

全部、主人の服入れである。

背広に、Yシャツ ズボンに、、、ハーフな上着、

めったに行かないゴルフウエア―

全部、、、行きがけの、思い付きの

ストレス解消買い物であるらしい。。。?



安物ばかりの、

店頭品を、、、

あまりよく考えないで買うようだ。


一つでも、二つでも、

ブランド品があれば、

もらってくれる人もいるでしょうが、、、



枕カバーや、
座布団カバーの中で、
飽きられた着古しが、
部屋をうずめる。

主人の買い散らかした衣類の

手入れのおかげで、

私は衣類に興味がなくなった。



結婚してから、一枚の着物も買っていない。

たった一枚のブランド品も買っていない。

ひたすら、

TVコマーシャルタイムには

息子たちが着たジャージの生地を、

マルク切ったり、

四角に切ったりして、

雪かき用の靴下のかかとの補強をする。



手袋には人差し指にかかるゾーンを、

裏から補強する。



大好きな靴下は、

いつの間にか、

ツギ当てゾーンで別物に見える。



そんなこんなで、

3月に突入した。

春に向かう最悪の季節には
外出する暇もないほど

主人が、一冬お世話になった
衣類たちの

冬物のリフレッシュで過ぎてくれる。






週末に帰ってきたかと思うと、、、

救急車が緊急手術の患者さんが運ばれてきたからと

電話が鳴る、、、

ゴールデンウイークも,

お盆も、

暮れも、

正月も、

我が家には寝室がいらなかった。

呼び出しで、

病院で、漬物になっているのではと心配だった、

仕事を主体に考えた家の構造は、

全室が主人の部屋と

医学書や、パンフレットで埋まっていた、

晩年、手術に入らなくなったころ、、、

病院も、スタッフが増えて、

主人にも、人並みに休日がある人生に突入した。

休みになれば、温泉ぐらいにはゆくのかと思ったら、

一日中部屋で、何かを調べていたり、

時には昔の映画を買ってきては

深夜まで見ている。

外出しないで、一日家に居て、、、休まった!

ご機嫌で、翌日、、、

仕事に出てゆくのである。



冬も終わろうとする3月には

仕事に出かけてゆく主人を見送りながら、、、

この人から、、、仕事を取ったら、、、

何もないのではないかと、、、

フト、、、苦笑したくなる半面、



こんな調子だから、、、

昔の患者さんが、

今でも、通ってきてくれて、

回復の喜びの、お葉書や

お手紙を、、、くださるのかもしれません、、、ね、


主人には負けてしまった、、、人生でした。


医者の家に生まれ、
娘なんて、、、

父の付録、の時代から、自分を探していたような気がする。


医者と結婚したら、、、一生付録だから、、、

女医になりなさい、、、という父。


19歳で父が亡くなったとき、

高校生の弟が居た。

ダイナミックで、繊細で、骨太の包容力のある

戦争を知らない時代の

「団塊の世代の、

日本を復興させた男たちである、」

子供時代から、私より、はるかに利発だった、

父の時代は、、、日本は、富国強兵政策で

戦争モードに、心の平和はizukuyara ,,,.


軍医に従軍した父
野戦病院では、食べるものも、薬も、包帯もなくなった、、、
命の限界を体験して、

体はきっと、、、内臓から、、、ボロボロだったのかもしれない

54歳で、これからという年齢で人生の幕が降りた。

私は19歳、、、だったかな?

医師一年目で、

弟妹と未亡人のピアニストの
母の未来を任された、、、
内科医の兄、、、

お化けを背負った気持だったかもしれませんね、、、。

スピードスケートのように

弟は群を抜いて
走った、

父の若死にで、
生前言っていた父の言葉に導かれるように
命の剣ヶ峰の医療に向かっていった、

国立がんセンターで、
がんとの戦いに
医師生命をささげた

CTって何ですか?、、、という時代から

へりかるCT が、普及する時代まで

がんは死ぬもの、、、から、

がんと共存して、働きながらの治療の時代へと

日本のがん治療の黎明期を、、、弟はがんセンターで仕事をやりぬいた。


少なくとも、私の息子が、
おじさんの生き方にあこがれて

放射線科の医師になった。

弟は、最後の一周で、兄弟を一気に抜いて、

世界の名医の中で、知られるところとなった、、、


本人は、新聞に出ようが、ハーバードに呼ばれようが、、、

ヨーロッパG7にような、、
医療界のメンバーに選んでいただこうが、
その日その時に全力投球するだけの、根っからの医師だ。


不治の病のがんに、果敢に、向かっていった、
金メダルのスケートチームのように
素晴らしいチームにも恵まれていたようだ、

定年のあたりに、、、
日本の政権が変わり、、、
生涯をささげるはずのがんセンターが

独立法人になるという、、、
、、、、、

そしてまた、変わり、、、

何が起きたのか?????

せだいこうたいなのか?

、、、、???

ともかく、日本の明治生まれの父母の時代から
日本の家電や電気の文化を支えた名門の電気の会社の

東芝も、北京で見たのを最後に、、、

ごたごたの、、、激動が起きたみたいだ。

日本の富士山

東芝、、、日立、、、

電気はサムスンとか???
中国製品とか?

グンユウカッキョ、、、の時代に突入。


遠く離れた、北海道でも、本になり、テレビに出演し、

新聞雑誌に載り、ジャーマという英語雑誌でも

紀伊国屋で、弟の本を見つけては、、、買った。

前後して、サインの入った本が、、、郵便受けに入っていた。

「心から、うれしかった、」

医師として、自分の家庭は振り返れなかったとは思うが、、、

医の道を、まっしぐらに、発展させるメンバーとして

医学のリンクで、

すごいスピ^ドで、

世界の強豪の居る医療の世界のリンクで

マススケートの菜奈さんのように、

走り切ったと思うのです。

北海道から、わくわくしながら、目が離せませんでした。

医師の姉は付録以下でもいいのです。

頑張る兄弟が居ることだけで、頑張れたのですから。


医師の後ろの家庭婦人は

「愛」が入る隙間のない

すっ飛ぶ速さの時間の渦の中で

歳だけ重ねて、、、鏡の中の自分に

「あなた、、、だれ?」、、



自分の時間が、

いつ消えたのかもワカラナイママ、、

歳をとって、

根こそぎ、医師の生きてゆく時間帯の

メビウスの輪の「裏側の時間を

ぴったりと走っていたのだけは確かです。




しかし、、、

医師の仕事の世界を生きる主人とは

とうとう、、、出会うことなく、、、

今日も、メビウスの裏側の時間ゾーンを、

走り続けるのです。

医療の仕事の中でも、

「愛」が邪魔でない科もあるでしょうね、、、きっと。

彼らは、有機化学の世界から、

永遠の命を目指して、どこに向かってゆくのでしょうね?????


医家に生まれ、

医師の兄弟

、医師の夫

、医師の息子

医療関係の嫁たち、

世間に向かって、確実に貢献してゆく足跡が

雪の草原に見える。

窓から、、、社会への貢献の足跡を見つめながら

彼らは、自分の世界を生きているから、、、

家庭という、最も近い距離に見えて

永遠に出会うことのない

メビウスの輪の至近距離で

表と裏で走り続けた、、、

三月の、雪のわだちにはタイヤの跡が交差している

私の人生には、、、足跡はどこにもない。

しかし、、、確実に、

未来に向かって、何本かの「矢」が飛んでゆく。

子供たちが、孫たちが、、、

私に代わって

社会に還元してゆくだろう

人生の、、、雪の野原の足跡を探す


**************************************

主人も、この世を旅立つ一日前まで、

患者さんのことを考え、

仕事に生きて、

医術という、役に立つ面で、

社会に参加し続ければ

メビウスの裏側から、

お互いに、見えない時間を過ごしたけれど、、、

、、笑って、、、旅立てると思いますよ、、、。


子供が、メビウスの表で、バトンタッチして
走ってゆくと、、、気が付いただけでも、、、

お互いの出会いはなかったが
存在だけで

役目を果たした、お互いでした。

医師の家庭で医師でないものは

人間社会に交わりを持つと

付録扱いになることが多いから、

出会いは、自分の生涯の仕事の配置決定と思って

医師という、患者さんを中心に、自分の医術を磨くことしか考えない

一見、、自己愛の怪物と間違うほど、

強敵に囲まれた中で

自分にしかできない医療の居場所を作らねばならない、、、人生の受験生と

結婚しても、大変なことは知っていた。

社会的には、どんなに頑張っても、

寄らば大樹の陰を、、、ぬくぬくと生きてるイメージになる。

大樹にとまった、、、蝶ちょかな?

薬剤師の腕を持っていても、、、

後ろの大樹の医師に止まった、依存女性として、扱われるから

私は、必要以外のところにはゆかなくなった。

人生の自分の登山を一歩一歩歩みながら、

最後に、、、二人で、、、

メビウスの輪の、、、表と裏から

同じ「ご来光」が、それぞれを、、、達成感の輝きの中に「感動」できれば、、、

人間同士の「夫婦の愛」を

はるかに超えた、同格の一から

二人で見上げる人生の終焉の輝きが

私たちの場合、、、「出会い」だと、、、

なぜ?「相棒」だったのか、、、?

この人の、相棒は、ご来光のように、天命だったのだから

人生を振り返ることも、待つことも、愛することも、、、一瞬の瞬きだと

ご来光を見ながら

光の中に、、、一足飛びに、、、吸い込まれて、

私は、今度は、、、孫子の足元を照らすことができる、、、粒子になって

社会では知らなかったみんなと、

大きな光を投げかけて、

「愛は光になれることかもしれない、、、」






今日も、セーターの毛玉を取りながら、、、

私の時間は過ぎてゆく、、、



真珠貝のように、

海の底で、体内に痛みを運ぶ小石があるから、、、

毎日毎日、毛玉を取り、

私の魔術で小石を巻いてゆく。

いつしか、、心の痛みも、、、真珠のように

光輝き、患者さんが、

胸にかけて健康に過ごせるように、、、。

人知れず、、、

真珠貝になって、

人生の、

だれもやりたくない

小石の角を巻きながら

一粒の真珠を世に送り出す。

私には「足跡はない。」

光る真珠の存在を知るだけ。

孤独とは言えないが、、、

私だけの、海の底の人生の営み。




結婚した多くの女性の中には

共鳴できる方々が、、、きっといると思っています、

3月の、、、わだちの凍り付いた雪道は

春を信じて歩き続ける、、、女性たちの主婦という仕事の道

足跡すら、、、ない、、、道に似ていると思ったのでした




そして、主人とは「存在そのものだけで、息子や家庭の城壁だったのかもしれませんね???











孫との写真

2018-03-05 12:01:54 | Weblog


去年の入学した日

嬉しそうに、、、息子夫婦が。報告に訪れてくれました、

春先は、冬との戦いがすんだばかりで、

髪も染めていない、

急いで束ねたロングの髪は

白髪交じりの、、、悲しいばあさんヘアスタイル。

合格で 
ウキウキの息子家族は

「ばあやンも入って!!!と、記念写真。

、、、、、あれから一年、やっと、末の孫が中学に入るというので

息子の嫁さんが、「遅くなりました。」

アルバムにして、持ってきてくれた。

はじめは、、、忘れていたのに、、、思わず写真を見た。

親の背丈と並んだ、若い、みずみずしい高校生親子のそばで、

まるでしなびた干し柿のような

それでいて、冬を雪かきで戦った冬将軍との終戦で

緊張がほぐれた、垂れてる感じの「満面の笑顔」が、、、私!

郷ひろみの隣で踊っていた樹木希林は、郷さんを食ってしまうほどの

年取りぶりで、見事な不揃いのリンゴを、輝かせていたが、

息子家族の、新鮮な写真を、

私という、冬にくたびれた「ばあさんが」

彼らの「美しさと、
フレッシュなムードを
見苦しさで、
邪魔している写真である。

その点、現役で仕事をしている主人は、
屏風のように
背広も凛として

品よく、
孫のウキウキ若さを引き締めて

味のある画面にしている。

。。。。。。。。。。。。。(^^!


やっぱり、孫とは一緒に写っていたい、、、が。

あまりにも、不用心に、
孫の声を聴いてしまったから

今行くよ~~~!と

玄関の外に出て、

ぼさぼさ頭で、高校入学合格の

{記念写真}に、、、、入ってしまった。

私は、、、
息子たちは、同じ写真を持ってはいるが、

スマホの中なのが救われた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


自分の姿を切り取って

微塵になるまで粉にした。

素敵な息子と孫と、
まだまだみんなを引き立てている
現役医師のじいちゃんを入れて

兄弟の制服で写っている写真に再編集した。



自分では、
自分は結構捨てたものではないと自負していたが、、、


周りの若者の美しさの
邪魔になっている「おばあさん」になっていた、



やがてぼけてしまうと、

自分の「お邪魔虫」に気が付かないで

しゃしゃり出て、、、、、

樹木希林さんのような、、、芸の光るとぼけた味も出せずに

周りをこまらせるんだろうか?

不安になってきた、


ボケるのだけは、、、回避しないと、、、、。


思い起こせば、私の 
大切にしていることがあります、
目標にしている
人生の老いの終着駅の過ごし方です。


        (^^

死ぬ着前まで、ピアノのお弟子さんを育てていた母は

凛として、死に顔までもが、眠っているようで美しかった。

孫の一人が、走り回る孫たちに向かって

「静かにしなさい!!!」
「おばあちゃまが起きるでしょう!」

大声で、叫んでいたっけ、、、、。

思わず、大人たちは、、、、
気持ちが和んだものだった。



品が良くて、見事な老いの美しささえあった。

当時、がんセンターの職員だった弟が、

お仲間の先生方の協力に感謝しつつ

今までの、、、お弟子さんが全員来てくれていました。

母は、亡くなる日の3日前まで、
現役で社会参加」していました。

「四葉会」という、
自分の教えたピアノの弟子の音楽会を例年開催しては
母校の、国立音楽大学からも、
後輩に来ていただき

歌とピアノの、素晴らしい空間でした。




母に、僕は素晴らしい人生だったと

拍手で、送ることができます、、、、と。

挨拶していた言葉を宝として、

私も母をまねて、かくありたいと、、、願っていた。

しかし、、、不用心なこの姿に、、、

これからは「自分に関心を持たないと、、、!」

屋根に上がって、雪下ろしする前に、

鏡の前で、自分の手入れをしないと、、、

とっさの場合、、、

はた迷惑な、老いの醜さで

貴重な記念写真を、、、めちゃくちゃにしていると

気が付きました。

家族や、孫のことより、

まず自分が、優雅にならないと、

、、、、

ショックを受けた、、、嫁さんの善意で作ってくれた

入学記念写真でした。

世のおばあさん、私の同年あたりのご婦人たち、

写真を見て、、、自分が嫌になった経験はありますか?




例年のごとく、、、大雪到来!

2018-03-02 06:40:30 | Weblog

早朝から雪かきしています。

重い雪です、

とても大変です。

咳がぶり返しました、

車庫は古いので、雪下ろしをしましたが、、、

もう、、、積もっています。

この季節、、、北海道では

生きるためにも、雪と戦います。

今日の雪だと、、、、、
除雪慣れしている北海道のことです、
除雪機到来を待っています。

今朝は、、、もう、、、バスが定刻に来るはずです、

今、朝の6時45分です

除雪車が、車が通れるだけ、雪を書いてゆきました。

一寝入りして、、、今日は一日雪かきです、