日本は第二次世界大戦で敗戦しました。
マッカーサーは「日本人は12歳」と明言を残して
戦後の復活に、多くのヒントとなりました。
亜米利加は多くの外国からの人々で洲ができて
合衆国となっています。
地球上からの国単位のレベルの視点を持っている国ですよね。
日本は明治維新になるまで
鎖国という、、
、俺俺万歳の頑固おやじと似ているところが多々ありました。
女性には、大きな頭の髷を結う時間で、早朝起床を余儀なくさせ、
重たい帯で動きの素早さをくいとめ、貞節は命に値する重罪。
手っ取り早く言ううと、日本という島国
海という堀
四季という恵まれた自然の中で
のうのうと300年も鎖国していたという
日本自体丸ごと世界遺産の国だと思うときが、、、無きにしも非ずです。
ここら辺で小池さんという貿易商の父のもとで
幼少のころから、
世界の何が商品になりうるか!を察知して
いち早く「公用語になったばかりの
アラビヤ語を学び
アラビヤ半島の発展の先を行く視点で行動していますよね。
米国電撃訪問の実績もさりながら、
千手観音様のように、見事な女性だと思います。
しかし、、、
女性だから、美人だから、、、インテリだから、、
関所の朝の鶏の声で開門したかもしれないと,,,
ふと思われる
ひやりとなる事も確かです。
大胆さには、度肝を抜かれます。
旧き島国の鎖国時代から、明治維新への激動の中、
東軍の末裔か?
西軍の末裔か?
今なお、世襲制となる櫃zrンの力を蓄えていらっしゃいますよね。
その反面、、、敗軍の将の哀しさもあります。
若き末裔たちのインタナショナルな環境で育った
新しいイデオロギーが、
歌舞伎座のその他大勢の役人の役をするがごとく
日本という国は、
いつも、日本から外を見ているような気がするのです。
白村江の戦いも、
蘇我氏の時代の仏像伝来も、
道鏡の事件も
日本は、
中国とも、韓国とも、北朝鮮とも
元民族や
ルーツはモンゴール、、
さらに
シルクロードをさかのぼると
アラビヤ半島にたどり着きます、
エジブトにも到達すると思います。
ネストリュウス派が迫害されたジンギスカンの時代の移動も
日本に渡ってきた指導者たち。
商売の上手い、頭の回転の良い、迫害にも負けない
世界中に四散して、
リーダーになって、
多くの祭りや、経典、、
人心を牽引していった国民の歴史も、
NHK-TVで観ました。
私は、、、NHK、、、婆ちゃんです。
私は、NHKに、かなり影響されているかもしれませんが
宣伝マンではありません。
関口さんの息子さんなんかも、
中国や、世界からの視点をもっていて
絵心もプロですし、、、こどもの目線を持ってますし
子供心で、、、
王様は裸だね!って、内緒で一緒に笑えそうな親しみを感じます。
政治的にはどうかわかりませんが、
政治家は、
雑談話の中から、気が付く人でさえありさえすれば
言葉の中に宝物を拾える人だと思いながら
ひょうひょうとした、
暖簾のようなお人柄の中に
素敵なひらめきを感じながら
NHK の
地学などを、、、
隊長観ていますよ。
(^^ ~~~~~~~❤
さてさて、話はそれましたが、、、
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200点ありそうな才女の小池さんに
ふと、、、
フアンになる事があります。
(不安との掛詞ではありません、、、念のため。)
女性から見て
女性、美しい、インテリ、
キャスターのプロ性。。。
何をとっても素晴らしいのですが、、
、主役になれているという事が心配です。
かって、、、
日本が太平洋戦争に引き込まれていったプロセスは、、
主役が存在したという事です。
女性であれ、男性であれ、、、
主役が要るという事の怖さがあります。
皆の日本であるから、
アジアの民族は皆兄弟姉妹だから
色々の視点で、手を取り合って、
西洋やアメリカと、しっかり認め合って
対等な友人になってゆかねば
大きな意味でロケット坊やと言われてしまうと思うのですよね。
阿部さんは、サミットやら、オバマさんとの平和の祈りや
リメンバーパールハーバーを
過去の歴史にして、和解が平和の祈りになったことは
世界が認める、、、核戦争への啓蒙になっていると思います。
小池さんは、飛んでる、、富んでる、跳んでる トンデル、、、
稀有な女性だと思うだけに
ジャンヌダークは革命が終わっても
生き続けて、
日本女性の伝説の地位向上の嚆矢とならねば意味が薄まります。
それだけに、
直訴は切腹
スタンドプレーは男性の中では許されない禁じ手であるところ
美しさ、しなやかさ、賢さ、プロのキャスターという
美は力なりを包含した外国人の素晴らしさも見過ごせないと
一般の民衆は思うのです、、、よね。
状況把握の失言のない多様な解釈を聴き手に預けた絶妙な答弁。
しかし、、、彼女は、
人世で一番、、多感な時代を、外国で過ごしていますよね。
グローバルな視点の獲得と引き換えに、、、、、。
男を立てて裏を引き受けてきた日本の女の歴史は
一見、支配下に下ることにより、
お産と育児のない男の条件を
裏側から支えながら、
その誇り高き名誉心がゆえに、
まねのできない突進のパワーを持っていることをかんがみ、
日本女性は、着物の裏になって、男の華を観てきました。
多感な18歳~25歳に、日本で過ごすことは
インターナショナルな視点には欠けますが
身に染みることは
日本とは、、、
ライシャワーさんと奥さん、
ハーンの「耳なし芳一」
京都の歴史。
滋賀県、群馬県、長野県、静岡県、、大分県、、の舞台になっている
数々の小説や、文学、歴史に触れて、喫茶店でゼミをした学生時代。
日本人って、単一の民族って思っていた子供時代。
でも、、、
日本に、多感な時代を預けることで
日本を知ってゆく日々でした。
日本の心そのものです。
負けさせてくない、、、世界から、、、信頼と、友情を勝ち得てゆきたい。
世界と、ギブアンドテイク!!!、、、平和って
戦争に勝つことではないことを、浸透させたい。
敗戦から学んで行った復活の時代
復活の為にに生きているかのような
団塊の世代の戦後に生まれた弟は
一億総貧困の中から
ぶれずに言っていた。
父の手は、放射能の潰瘍でただれていた。
外科医の父の所に運ばれた患者さんは
手術は成功していても、
病気の進行が素手の早すぎ手遅れが多かった。
早期発見、
早期治療!
未病のうちに病気の重症化をくいとめる。
手遅れ手術はなくしてゆく。
こどものころ、疎開地での医療現場を離れる日に
父の足元で泣き伏す患者さんを見ていて、
「お姉ちゃん、、、医者って、、、イイね、、、僕は医者になるぞ。」
小学校の三年生になったばかりの、
東京に再び故郷に帰還できる春だった。
疎開地の傷痍軍人、防空壕、自然の恵み、保険制度のまだなかった時代、
村人の、農作物や、川魚や、薪や、栗、ヤマモモ、クワ。などの医療費で
献身の医療をしていた父だった。
苦しい時代を生きたからこそ
心のふるさとが、日本として定着するのです。
小池さんが、神戸という外人の多い地区で
インターナショナルに育ち、
何が商品に成りうるかを、、
先取りできるひらめきの凄い家庭に育っていることの宝の時代。
一方、、、、
日本では、腹切りのできる男性が
プリンスウエルス号の船長のように
船と沈む覚悟で政治をとってきたと思うのです。
ノーサンキュウ、、、逃げてほしかった。
敗戦を予測しながら
隊長を務めた男たちの心はいかばかりだっただろうか?
だから、、、全知全能の知恵を、
島国初の発想の男たちの戦う事のみに生きる政治家に伝えても
良いと思うのです。
口で説いて、やって見せて、やらせて見せて、監督して
実績をあげた喜びを感じさせて、
自ら視点を広げ、
国会討論で、小さなことを穿り返さないようになるまで育て上げ
実績は、男に捧げて、世界に通用する政治家に育ててくださいと。
政治の母になってほしいのです。
女性が、革命者になることは
気が気ではありません。
都知事の仕事を通して
オリンピックを成功させて、
国政の力で全面的にサポートを受けられるように
国政は男性を建ててほしいと思うのです。
男の人は「大局観」があると、、、父の言葉で感じています。
私の主人は
ひたすら自分が大好きで、自分に優しく
私には厳しい人ですが、
それが、家を守る事だと考えている敗戦前の
明治の教育が身に染みている、男性優位の頑固な人です。
時々、、、反抗したくなり、、、、
めちゃめちゃに、口げんかしますが、
男は、つぶしてしまうと
やる気が無くなるのではないかと思いますので、
ほどほどの所で、
上手に負けて、忍耐の73歳まで
離婚もせずに、、、何とか来ましたが、、、
つくづく、、、男とは、戦士だと思っています。
女性がまねのできない頑固な誇りが命のような、、、
別の生き物だと、、、私は70過ぎても、、、あきれています。
敗戦マジカの戦場での壮絶な状態を
父は、幼い私に話してくれました。
東京の山手線のど真ん中に生まれながら、
日本の近代化の黎明期に生まれたばっかりに
富国強兵のとばっちりで、
従軍した生涯でした。
戦場での、、、思い出話の中には、、、絶句する惨状もありました。
壕に飛び込む兵隊たち。
「軍医殿」は奥の
横穴にと、、、、大切にされた。(涙)
軍医の居た部隊は強かったそうです、、、(涙)
哀しい、負傷兵だらけの話でした。
撃たれた兵隊が、塹壕の横穴に身を潜めている前に
落ちてきては、重なって死んでいったそうです。
死んだ人が塹壕の横穴の存在を隠してくれて、
上から機関銃で撃たれたときに、
つま先三寸で、命拾いをしたそうです。
「お父さんは、死んだ兵隊さんの折り重なったバリケードで
命を守られたのだよ。
だから、医者なんか偉くも何でもないと思うんだよ。
お父さんは、、、医者を辞めているんだよ、、、」
つぶやきながら、疎開地で、
7か村、無医村の山中で、
日夜、休むこともしないで、
大根やニンジンや川魚の医療費で
刻々と、診療していた父の両手は
粗悪な製品の自治体から用意されたレントゲンで
撮影、焼き付け、読影、診断、手術、ICU,すべて、、、
一人しかいない外科医が、全科に渡って治療せねば成り立たない
両手に潰瘍ができてただれていました。
戦地で、包帯も、薬もない、、、軍刀しかない、、、
その時、イエス様の姿が、確かに見えた、、、と。
後日、大人になってから、
内村鑑三を尊敬していた父は、
大学時代に、人並みに、多くの学生が読む聖書を
自分も、はまり込んで読破したと、思い出を語っていた。
それから何十年も経ってから、
東大の先生方と、医歯薬の歴史の学会で
パリ大学のゼミナールに参加させていただいたとき、
ミュージアムが別にあり
父から聞いた、
戦場に現れたイエス様の姿の描かれた油絵に目を奪われた。
戦争は、、、起きてはいけない。起こしてはいけない。
巻き込まれるような、、、隙を造ってもいけない。
父は、戦争で、体にもいろいろな無理があったのかもしれない。
へき地での疎開生活で、激務が過ぎたのかもしれない。
54歳で、、、、前の日に手術を執刀して、
患者さんの麻酔が切れるまで、、、寝ずの番をしながら
そのまま、過労死で、した。
「お父さん、、、ずるいわよ、、子供たちの学校も半ばなのに、、、
私に、全部なすりつけて、、、ずるいんだから、、、」
音楽大学のピアノ科を卒業して居た母は、
多くのお弟子を教えて、子供達を大学を卒業させてくれた。
こうして、、、運よく帰還できた兵隊に交じって
生き残り兵隊とともに、
力を合わせて復活していった日本でした。
父も母も、戦中に息子も娘も亡くしていた。
戦地では、子供を3人、
一人は外国の赴任先で死んでいる。
8人産んでも、
4人しか生き残らなかった日本の哀しい時代に
男たちは、名誉の死に場所を求めて、
又、
若者に生きる場所を与えられなかった日本の戦争。
片道しかない燃料で空に向かった学生たち。
西郷隆盛ではないが
特攻隊を命じた日本人は、
本心はいかばかりであったのだろううか?
私は、、、18歳から24歳まで
府立高校改め、合体する前の都立高校で
日本の歴史や、世界の歴史、
ポツダム宣言のありえない、、、成り行き。
そして、大学時代の交流を通して、
日本人の、敗戦に至るまでの、
戦争に追い込まれてゆくプロセスの、、、通説と、、、異論、、
亜米利加サイドや、ソ連サイドから見た日本を
外国からの視点と日本の視点で語り合った。
丁度卒業生が、国会で活躍していたころでした。
その後、、、
京都の神社仏閣として、
又、、、日本の城は何であったのか、、、
年月や、次代を超えて
繋がり続ける世界とのしがらみ、、、に
興味を持って、歴史のサークルに入って
世界の歴史探索の学会に
便乗参加させていただきました。
女性のトンデルテクニックでは
およびもつかない、、
男社会の厳しさを思うのです。
同じ民族の血が流れていると言っても
日本の言葉には出せない深い思いは
18才から24歳あたりまでに、
日本が生き抜いてきた根っこを知らされます。
素敵すぎる小池さんの環境は、
果して、国政と都知事を兼任できるか、、、?
世論のつもりで、
一人の平凡なオッかちゃんの私が、
日記につづっておきます。
東京が滅ぶ時は、、日本が滅ぶ時でもあると、、、危惧しています。
東京で、小学校から、大学卒業まで、
そして、東大の医学部に勤め、
お化けのような秀才の森を観ました。
女性と付き合っている暇のない先生たちなのでしょうね、、、きっと。
っ国家公務員として、技官職を始めたばかりの未熟な女性に
3人の、暇なし先生が
結婚を申し込観ました。
他人事のように、、、客観的に聞いていました。
このような秀才の奥さんに成る女性は、
才能も、金銭的にも、
お化けの森の、お化けの戦いに耐えうる備えがあるのが条件であると
父のすでに亡くなっていた私は、
母校の教授が、自分の先生の研究室に技官としていくようにと
紹介状を下さったので、
天下の東大を、見て、中からの視点で、仕事を体験するのも
勉強のチャンスかな?
臨床の薬剤師になるには、基礎の実験も大切だと、
自分の目的に沿って、勉強の場として、勤めをOKしたでしたから。。
少なくとも、私と先生方の間には、
見えない分厚いガラスでへ切られているという、
入社以来、自分はガラスのこちら側で
仕事を手伝っていた感があった。
、、、結婚は考えても居なかったし、、、
私のような凡人は
洗濯機を動かす洗濯機になるだけだと、、、
自分の居場所が想像できなかった。
すでに父親を大学時代に無くしていた私は
秀才の行く末の相棒になるには
総合力の面で、
「父の居ない子」のハンデが、感じられました。
世界に出てゆく人は、相棒にも国際的なスケールが必要です。
東大生は、ご自分の夢に人生をかけてゆくだろうから
結婚相手として、考えたことも無かった。
小説の「さぶ」に出てくるような
恋する女の自分がどうしても、見当たらなかった。
学者さんとか、東大生とか、芸術家は
大学生のころから、ガラスの向こうに居るのが解ります。
ガラスの向こうの東大生は、
ガラスのこちらには声をかけて通過してきます。
私の手を取って、もとのガラスの向こうに還ろうと思っても
私が、ガラスにひっかっかってしまう臨床家なので
先生方は、
ガラスを通り抜けれない私の為に帰れなくなるか、
ガラスの向こうの、
異次元の栄光を捨てて、
私「薬剤師」、あなたは「先生」の
地域に尽くせる父のような、小さな開業を夢見ていた私にとって、
研究という城の城主に使える気は湧いてこなかった。
ガラスの向こうにはゆけません。
こちらに残らざるを得ません。
やがては、研究部門の城主となって
力あるものとなり、やむなくと言えども
家庭を置き去りにするだろう者のののサイドから見ると
女の人生にも、夢があるとは
想像もつかないと思いますよ。
そのような、、、女性には不利な時代でした。
男同士は厳しい採点をしても
女性となると、
しなやかさや、若さや、御しやすさが、魅力となって
ガラスのバリケードを通過させてくれます。
しかも、母親のイメージが強いのか、
命を懸けての献身を前提として
自分のパートナーにと、おもうのでしょうか。。。?
自分と同じ異次元で通用すると
深く考えないで、
無意識に合格をさせることがあります。
私が北海道に嫁ぐからと伝えると
「なんで???なぜ北海道なんだ?」と、
不思議がりました。
「東大生の自分が、なぜ?、、、だめなんだ?、、」と。
不思議がりました。
ダメなわけはありません。
ガラスの靴は履ケルタイプの人が履くべきだと
先入観が強いだけでした。
私は、断ったのではなく、
研究の話となると
自分との差があまりにも大きすぎるので、
相棒は勤まらないと、、、自分に見切っただでした。
女性の特権を無意識に使ってしまっていると
眩しくて、その時は通過させてもらえても
相手の大きさが、違いを無視するのであって
私自身は、自分の正当な居場所にこだわっているだけでした。
等身大のポジションの方が
皆の知恵をいただきながら
皆で生きられると、思っていたから
孤立が怖かったのかもしれません。、
果して自分自身の力が、どれだけ通用するかは
小池さんという女性は、凄い能力の人に思えますから、、、
日本が、どうなるか?
剣ヶ峰での今回の選挙では、
世界に実績を残した阿部首相が、
小池さんの知恵を借りることで
危機を乗り越えるしかないと、
思ってしまいます。
かっての野党のようjに、
与党になっても、世界が認識してくれなければ
与党になったことが、日本を滅ぼすことにもなりかねません。
未熟な途上国が、女性の党首を認識できるかも不安材料です。
私の日記なぞは、、、
世論の一つでしかないけれども、
、杞憂に終わればいいがと、思いながらも
老婆心ながら、この日記をご覧いただければと思います。
こういう見方もあるから、、、
都政に専念することが、
穏やかに、
日本の母ちゃん式の「守り」の強さだと、
私は、、、老婆心ながら、そう思うのです。
東京、、、それは日本の母ちゃんです。